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2010年4月28日水曜日

人間市場 監視市

連休中、気を付けて下さい。
路チューから不倫まで丸見えです。あなたの映像が撮られているのです。
「電子監視ネットワーク」です。別名「警察の警察による警察のための監視カメラ」です。正式には「街頭防犯カメラシステム」といいます。繁華街や道路、交差点、駅の改札口等至る所に設置されているのです。データ保存は原則一週間ですがそれが実行されている証明はありません。


よく事件が起きた時に田舎の夜道を二人で歩いているのが監視カメラに写っている。
信じられない程その監視網は広がっているのです。我々には既にプライバシーはないと思った方がいいのです。一家一族が丸裸にされているのです。コンピューターのボタンを押すとありとあらゆる情報が出てくるのです。警察のモニターではずーっとそれをチェックしているのです。

とんでもない冤罪に巻き込まれる可能性があるのです。
特に一度でも警察に指紋を採られた事のある人は気を付けて下さい。たかだか交通違反だなんて思っていると、とんでもない事になるのです。映画や演劇やコンサートのチケットの半券やタクシーの領収書、食事の時の領収書は必ず残しておいて下さい。
何故なら貴重なアリバイの証明になるからです。ちょっと公園のベンチで、路上の隅で、そのままラブホテルへ、そんな事はバッチリ監視下にあります。酔った勢いで風俗の店へ、当然しっかり監視されているのです。それじゃどうしたらいいのと大きなテーマが持ち上がります。

基本は何もイケナイ事はしないですが、それでは人生は味も素っ気もない事になってしまいます。やはり安く行こうとしない事です。一流のホテルに別々に入る、一時間位ずらしてです。が、それでも出入口は監視されています。結局のところイケナイ事はしてはいけないという事なのです。

連休中はとりあえずマジメに家族サービスがいいでしょう。
勿論独身者は自由自在、色々楽しんで下さい。監視カメラに写っている姿を見ている警察の人間は決して見物料を払ってくれません。ニヤニヤしながらズームアップしたりして、オッ、美人じゃない、可愛いじゃないなんて言いながらお茶しているんです。その監視された映像が探偵社や写真誌に流れ、売られたりするといいます。その為に別れた人々や失脚した人をを何人も知っています。

悪い事や嘘はいつか必ずバレるから気を付けて下さい。家族で連休を楽しむ、これが一番無難です。良い連休を。
ブログは510日より再開します。





2010年4月27日火曜日

人間市場 マザコン市


あるベスト10
①炒め物②煮物③カレー④肉じゃが⑤豚の生姜焼き⑥ハンバーグ⑦お鍋⑧鶏の唐揚げ⑨餃子⑩すき焼き。これは夫婦関係が円満にいっているという夫婦の夫が作る料理のベスト10

あるベスト10
①おかずこれだけ②食べた後(無言)③塩が足らない④美味しくない⑤不味い⑥味見したの(?)⑦俺が作った方が旨い⑧失敗したの⑨自分で作ったの⑩お袋の味じゃない。
これは夫婦が円満にいっていない夫婦の夫の不用意発言です。

男は台所に入らないでと言う愚妻なので私の作る料理はない。不用意発言はかなり言っていると思うが全て無視されている。家は料理屋じゃないからと。

一組の若い夫婦が離婚した。
結婚して10ヶ月余りであった。その原因は夫の方が32歳にもなって母親離れしていなかったのだ。自分達の新居の一つ隣の駅に両親の家がある。男は新居に帰る前に両親の家にただいまーと帰ってしまうのだ。そこで風呂に入り洗濯物を出し、着替え、お母さんの手作りの料理を食べ、しばらくテレビを観てから新居に帰る。

新妻は26歳、お帰りなさいと迎える。ご飯は食べてきた、お風呂は入ってきた、洗濯物はお母さんのところに置いてきた。可愛い新妻は部屋に入り泣き崩れる。何で何故、一体どうなってるのと悩み苦しんだ。既にお腹の中に三ヶ月の命が宿っている。
思い切って聞き出すと、だって君の体が心配だから無理させちゃいけないと思ってだよと言う。ああ優しいんだ、やっぱりいい人だった。誤解していて悪かったと心を新たにする決意をしたそうだ。しかしそれからも毎日の生活のリズムは変わらない。新妻は育児の本を読みながら帰宅を待ち、一人で淋しい食事をした。

原因は食事にあったのだ。夫の母親はかなり有名な料理家であった。パティシエとしても名を上げ料理教室を持ち、テレビにも顔を出しホテルで講演もしていた。
小さな頃からその母親の料理と盛り合わせとデザートに慣れた一人っ子は他人の味にどうしてもなじめなかったのだ。結婚前は自分の家でデートばかりしていたのだ。
それをしっかり確信した新妻は料理の本やDVDを買い一生懸命料理の勉強をした。涙ぐましい話であった。栃木出身の新妻は必死に努力した。しかし夫は相変わらず毎日母親の味を求めて実家に立ち寄った。

新妻の母親代わりをしていた私の知人のところにこれ以上続けられないと相談に来た時にはお腹が膨らんでいた。
マザコンをはるかに超えたウルトラマザコン男に私の知人は激怒した。何度も何度も阿呆、阿呆、アナタワオンナオトコを連発していた。

夫婦は元々育ちが全く違う同士、お雑煮だって、ちらし寿司だって、味噌汁だって、味付けや盛り合わせだって何から何までまるで違うのだから出て来たものはうまい顔を演じ合えばいいのだ。その内にその夫婦の味となっていくものだ。

栃木の新妻はその後離婚し
田舎に帰り元気な男の子を産んだ。小学校一年になったと手紙と写真を送ってきた。男の方は今も実家から会社に通っている。もう嫁に来る女性はいないだろう。阿呆なオトコオンナ&ウルトラマザコンが定着してしまったのだから。
夫婦円満ですかというある調査によると39%がまあ円満と答えていた。多分10%はゲタを履いているのだろう。夫婦とは妥協と我慢の同居なのだ。

2010年4月26日月曜日

人間市場 心の握手市


便箋発祥店といわれる、東京日本橋の紙製品販売「榛原(はいばら)」。
1806年創業で、幕末に縦の罫線入りの便箋を発売したという。昭和の初めには蛇腹に畳んで折り目にミシン線が入った「蛇腹便箋」を発売。切り取っても使える一筆箋の様なものになり大人気、それは今も続いている。

職人の腕前を見せる一枚一枚のものは素晴らしい出来栄えだ。銀座の鳩居堂という処にも色んな便箋がある。


この頃は手紙なるものがとんと少なくなった。
パソコンとかファックスとかメールで済ませてしまうからだ。
手紙は、まず便箋を選ぶ。次に切手を選ぶ。そして何より筆記具を選ぶ。万年筆、筆、ボールペン、便箋によって変える。ヤマト糊で丁寧に封をしてポストに入れる。
郵便局でそれを区別し、その先の郵便局に送る。受け取った郵便局はスタンプを押し局員が一軒一軒配達する。その一通の手紙がラブレターだったり、別れの手紙だったり、両親や友人や知人を励ます手紙だったり、なんとか借金を願いたいとか人生そのものが書かれている。葉書や絵葉書、素敵なポストカードなんかも全く同じ過程だ。自分で撮影した写真のポストカードなんかは嬉しい一枚だ。

ある有名な編集者は、葉書や手紙は「心の握手」なんですと言っていた。どんなに疲れていても目を通した原稿の作者や執筆してくれた作家の人達、出会った人達に毎日一枚の葉書を出すという。やがてその「心の握手」は強い信頼感を生み出した。

9.11があった時、イラストレーターの黒田征太郎さんは丁度ニューヨークにいてあの出来事を目の前で見た。その光景を一枚一枚葉書に描いて東京の友人に送り続けた。なんと千通近くになったという。ニューヨークの郵便局から日本へ、そして東京へ。色んな手順を経て毎日友人の処にちゃんと着いた。東京でそれを見て「ホンマ郵便は大変なコトヤナァー」感激するなぁーと話をしていた事を思い出した。

つぶやきというツイッターが流行っている。何とも味気ないやりとりである。つぶやきとはボヤキとかグチとか密告とかの為にやっていた後ろめたい行為であった。
美しい女性や憧れていた女性に通り過ぎる時に耳元で、好きよとかいつもの処でとか今日カッコイイとかつぶやかれたらその日は一日中ウキウキするだろうが、その逆を言われたりすると最悪の日となる。キライとかサイテーとかダサイとかである。

つぶやきひと言で一人の人生が大きく変わってしまう。
この頃葉書や手紙が少しずつ復活しているという。ほんの少しの動きでもいい事だと思う。手書きの手紙、手書きの葉書で是非「心の握手」をして下さい。
文明が異常に発達すると文化はどんどん後退します。人の心も同じです。おぞましい事件の裏に「心の握手」が欠けているのです。
テレビが世の中に出回った時、ある高名な人が「テレビを消す一週間」というキャッチフレーズを出しました。確か伊勢丹の広告だったと思います。「携帯やメールを忘れる一週間」を作ってみて下さい。そして一枚でも手書きの葉書や手紙を書いて下さい。字が上手くないとか下手だからは全く関係なしです。

私はこの国を立て直すには一枚の葉書、一枚の手紙からと思っています。「心の握手」を言ったのは幻冬舎の凄い編集者、石原正康さんです。物静かだが名刀の切れ味の人です。
もしかして大切な礼状を出し忘れたりしていませんか。親しき仲にも礼儀あり。まず親兄弟と「心の握手」をして下さい。難儀な問題、離れてしまった心も少しずつほぐれていくはずです。


このところ季節の便りは凄い寒い、凄い寒い、ちょっとだけ暖かいの繰り返し。何か変ですがこれも自然からの握手なんです。何かを知らせたいのでしょう。

2010年4月23日金曜日

人間市場 写真家市

四月十七日(土)、日本を代表する友人の写真家の処に御祝いに行った。

かねてより鎌倉雪ノ下に居を構えていたのだがそこに新たにギャラリーを建て東京にあった事務所も移転して新設、そしてご本人が何より好きだという珈琲の焙煎をし、お客さんに飲んでもらうという珈琲店も併設した。
小町通りに入ってゆっくり歩いて4、5分、右側に30メートル位のアプローチがありその先が大先生のかねてよりの場所だ。


先生の名は十文字美信さんという。前日がオープニングパーティという事で蘭の花や他の花々が百以上ある。有名女優の名がズラリ様々な業界の花盛りであった。

私は花はいらないだろうからとローストビーフで有名な鎌倉山へ行き、特製のチーズケーキと特製の塩(縁起担ぎに)と特製の飲めるオリーブオイルを買って持って行った。


久々に暖かかったので鎌倉山のレストランもセレブな人達がランチをしていた。近くのお蕎麦の名所、檑亭も人、人、人。日本酒を一杯飲んで盛り蕎麦をと思ったがとてもとても食べれそうになく目的地に向かってと運転手さんに頼む。

着くと和服のよく似合う女性マネージャーがギャラリー奥から出て来て、よく来てくれました、丁度良かった昨日パーティーで忙しかったので今日は一時からオープンにしてたんですよと、時計は一時十五分であった。



いやーどうもどうもと先生、珈琲店のマスター風ファッション。
長いコットンの白いシャツともう一種のシャツを重ね着し、大きめの薄いグレーのやはりコットン風のベスト。えらく格好良く優しそうな笑顔。いつも仕事場では鬼の様な顔をしているのがまるで別人の顔。美しく広い鎌倉庭園がよく手入れされている。

現在六十二歳。マネージャーから是非本人が焙煎した珈琲を飲んで行って下さいと珈琲店の方へ。程よい広さ、センスのいい木材を使った店内、カウンターの中で先生はニコニコしながら仕込み中。若い女性スタッフが確か四人、きびきびと動いている。

凄いですねと言うと前から考えていたんだよ、ギャラリーは若手を育てたいからその場所にしたいんだ。昔から仕事から帰ると深夜でも珈琲豆を焙煎していたんだ。
何か気持ちが落ち着くんだよねと言った。それにしても別人に変わりますねと言うと好きな事をやっているからだと思うよ、映画やっている様でいいねと映画談義。

その内お客さんがどんどん入って来る。いらっしゃーいと先生は明るい声。先生もカウンターの中から出て来て音楽をセット。なんと流れて来たのは、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」だった。
「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい 夜が明ける 日がのぼる
朝の光りのその中で 冷たくなった私を見つけて あのひとわぁ〜」と静かに店内に流れる。かつて全共闘の学生達が涙を流した曲だ。こんな暗い歌絶対売れないという会社を見事に裏切って大ヒットした曲だ。いいねえーと言うと、いいでしょと笑った。まさか鎌倉庭園を見ながらこの曲を聴くとは思いも寄らなかった。

かなり混んできたので又来ますよと言って帰途に着いた。海岸線を走っているとあっと思った、すっかり感激して先生の珈琲を飲むのを忘れて来てしまった。

鎌倉に行ったら是非お立ち寄り下さい。素敵な人生がそこにあります。現在ギャラリーでは「FACES Ⅱ」を展示してます。コレが又、凄い写真です。ピカソのゲルニカの様です。



1947年、神奈川県横浜市生まれ。
1970年に写真家としてデビューした。人物の顔だけをフレーム・アウトした作品「untitled(首なし)」が1974年ニューヨーク近代美術館にて開催された「New Japanese Photography」展に招待される。広告写真に携わる一方で、独自の体験に基づく作品を数多く発表。代表的作品として、ハワイ日系一世を取材した『蘭の舟』(81年伊奈信男賞)や日本の伝統文化を「黄金」という切り口で古代から近世までを撮り下ろした『黄金 風天人』(90年土門拳賞)がある。3Dによりインスタレーション「日本の王朝美術」がボストン美術館で公開されるなど、国内外で活動を続けてきた。2007年に刊行した『感性のバケモノになりたい』(08年日本写真協会作家賞)は、20代の未発表作品から60歳のデジタルカメラを駆使した作品まで40年間の作家活動を集成したものである。2008年には新作「FACES」を発表。今回展示されている作品は、それをさらに発展させたものである。

2010年4月22日木曜日

人間市場 命一コマ市

戦場報道カメラマン ロバート・キャパはヘリコプターの上で、今戦場に降りて生と死の確率が50%と言われたら間違いなくヘリコプターを降ろしてくれと頼んだと伝えられる。
ユージン・スミスも然りであろう。

日本でも戦場報道カメラマン達が命を落として逝った。
沢田さん、一ノ瀬さん達、そして今回の村本博之さん。ロイター通信日本支局のカメラマンであった。

かつて日本の映画界に内田吐夢という大監督がいた。
夢を吐くからその名を付けたという説がある。本名は内田常次郎という岡山県の和菓子屋の三男坊であったそうだ。水上勉の名作「飢餓海峡」を三時間十二分の長篇で仕上げた。会社は長すぎるからと助監督にカットを命じた。それを知った内田吐夢は激怒、映画監督にとって「命一コマ」なんだと言い、カットしたものを上映するなら自分の名を消すようにと申し入れた。そして東映を退社した。

その内田吐夢がいつも言っていた言葉は「歴史を描きたい。歴史を語る人間は自分の足の裏でその地べたを踏みしめないとダメだ」それを口癖にしていたという。旅役者の一座にいたり、浅草で日雇い労働者などをして人間を観察していた。やがて満州に渡り映画界に入る。

戦場で銃弾に倒れたカメラマンも歴史の一瞬を求めてシャッターを切り続けた。世界の報道はロイター、UPISUN、新華社から配信してもらう仕組みとなっている。

世界中でジャーナリズム、特に新聞社が次々と消えていっている。自分の足で記事を書かない記者、外注スタッフ任せの写真や、電子辞書頼りの継ぎはぎ記事を書く記者達、そこには執念も正義感も熱意もない。朝日、読売、毎日、日経、産経等主力紙は御用新聞と化し一体アメリカの味方か日本の味方かが判らない。何かの社会的テーマを猟犬の如く追いつめていくものが全く無い。

ジャーナリズムの始めはローマ帝国のカエサルが「アクタ・ディウルナ」という日々の事を書かせた事からだという。ジャーナルとは日々という意味だ。日々の地に立たないで、行かないで、聞き語りの様な記事を書く記者達よ、戦場の真ん中に行き銃弾の雨を浴びよと言いたい。

映画監督が「命一コマ」なら、戦場カメラマンは「命一瞬」「命一発」でないと歴史の瞬間は伝えられない、肉声が語れない。
かつては命懸けの取材であったという記事があったが、今や死語になってしまった。

旅行会社、出版社、宗教、通販等に頼る広告、減り続ける部数、新聞を読まないでもインターネットで十分という若者たち、それでも日本の新聞販売所は毎日正しくどんな日でも配達してくれる。世界の航空会社の中でほぼ時間通りに離発着する一位はJAL、二位はANAであった。列車が当然のように時刻表通りに駅に来る事は外国人にとってアンビリーバブル、信じられない出来事だと言う。

外国では時間通りに来る事の方がおかしいのだ。
バスも巡回船も日本は正確なのだ。何もかも正確な国なのに警察や検察の取り調べ、それを書く記事、今世の中に何が起きているか、今この国に何が必要かを正確に書くジャーナリズムが消えて行っている。もっと夢を吐け、血を吐け、靴の底を減らせ、今起きている歴史の地の上に立てと言いたい。

ある外国人旅行者達のアンケートが救いであった。
日本人の一番良いところはという問いにみんな口を揃えて第一位は「親切な事」と応えていた。この「親切」を磨いていかねばならないと、そんな国になってほしいと願う。「親切の国ニッポン」こんなキャッチフレーズでみんなが一つになるといいと思う。アメリカ軍隊にばっかり思いやりとか親切過ぎる事はない。政治家も「命一徹」を貫いて欲しいと思う。

2010年4月21日水曜日

人間市場 雑事市


すこぶる気持ちの悪い三人が居る。石田純一と東尾理子と東尾修。

女性を引っかけるしか芸のない軟派師と予選落ちしか芸のないプロゴルファーの最下位線娘。元夜の銀座の帝王名球会員の父修氏は娘の投げ続けた迷球に最後の最後まで首を縦にしなかったが、沢山ギャラが入るCMにはOKを出した。
ニヤつく石田純一、デレデレ照れる東尾理子、二人合わせれば九十歳を過ぎようというのに高校生の男女の様にイチャつく。

気持ち悪くて仕方ねえと言っていたら見なければいいのよ、色気違い同士なのだからと言われそうだ見なければいいのだ、と局を変えると又出まくっている。後はいつ別れるかだ。
どうでもいい関係か。裸足で革靴を履く様な男の足は酷く汗臭くヌルヌルしている筈だ。


殺人犯の時効が無くなるという当然の事がやっと実現する。
女殺しの男も犯罪者だから時効を無くした方がいい。菅家利和さんが故里で選挙権が戻ったという、しかし世間の目はやはりお前がやったのだと言っている様に見えるという。
過去に迷宮入りになった事件も捜査が出来る様になった。悪い奴は眠らせない、追いつめるだ。

趣味はSEXと言ってはばからない性豪 舛添要一がなんと日本の総理大臣候補NO.1だという。何回も離婚をし、かつての妻片山さつきはDVに悩まされたとどこかに書いていた。
こういうまやかし口先男、権力亡者が日本を動かすとなるととんでもない性犯罪、DVが増える国が出来る。趣味SEXだから少子化にはいいかもしれない。


十三日の火曜日総務省である代議士と打合せに行った。省内節電とかで真っ暗で、まるで暗闇だ。ここまでやる必要があるのかと思った。政治はやはり、明るいところでやって欲しい。

銀座でよく利用する白タクの運転手同士が客の取り合いでモメ殺人事件を起こした。
仲良くしろよと言いたい。ハゲの人や薄毛の人、植毛の人たちに日本皮膚学会がAからDまでのガイドラインを医師に向け出した。抜けた毛は余程でないと植えない、脱毛は止まらない、円形の場合は精神的ストレスが原因なのでかなりは治るが頭の中に沢山のバンカーがある様ならいっそスキンヘッドにした方が格好いいと思う。

加山雄三なんか異常に毛をくっつけている様だから不気味な七十代だ。いい年して幸福だな〜なんてやっていた。一度あるレストランで「素」のままを見た時は誰だか判らなかった。毛なんて無くして上等だと思う方がいい、洗うのも楽だし、床屋代もかからないし、まして育毛剤なんて効きもしないのに高過ぎる。リーブ21なんてとんでもなく高い金を取って、あっちこっちで訴えられて敗訴ばかり。だがCMはバンバン流れてるたどたどしい作り話だ。

教師の買春、盗撮、警察官の不祥事、省庁役員のスリや痴漢。人間は本当に難しい生き物だ。そう言えば東国原知事も同じ様な前科がある。一度やる男は二度やる、二度やる男は必ず三度やる、いやもうしでかしているかもしれない。昔から女へんと盗みは一種の病気、決して治らないのである。強欲、性欲、金欲、権力欲、名誉欲、欲深い人間は中々くたばらない。もうすっかり立たなくなっているのに、「たちあがれ日本」なんて気恥ずかしい党を作る。もう既に横になりそうな感じもするがかつて老人力というブームもあった。

はるばるアメリカに行った我が国の総理大臣がやっと十分間話をしてもらった。
日本という国はアメリカ人にとって金づるであって子分であって兄弟分ではない。
言った事を守ればいいんだ、占領国なんだから州以下の考えしか頭の中にはない。
普天間一つの基地の問題は利権争いなのだ。一人か二人命が亡くならなければ納まらないだろう。九州最大の暴力団に対し最大の殲滅作戦を仕掛け始めた。地下水脈では何か大きな動きが始まっている。

十四日朝は真冬の様に寒い。
テレビではあの高名な中尊寺の副住職が少女を買春したと報じている。世界淫産になってしまった。それでも三月の風と四月の雨が、美しい五月を育てるという。ウインド・イン・マーチ、レイン・イン・エイプリルきっと春は来る。

2010年4月20日火曜日

人間市場 モナカアイス市


藤原正彦先生は云う。
アメリカ人はジョギング好き、老若男女が至る所を走る。
健康の為なら何でもする。牛乳は低脂肪か無脂肪、チキンの皮や牛肉の白身は残し、ガムやコーラはシュガーレス、ランチはサラダバーへ、エアロビクスに腰振りダンス、ヨガや東洋的瞑想でストレスを解消しようとする。健康の為に一生懸命すれば永遠に生きられる。死んでしまうのは本人の過ちと考えられているのではという。

これだけしても肥満ばかり平均寿命は日本に比べて4.4歳も短い。アメリカ人は毎日アイスクリームを食べるという。30㎝位あるチョコパフェを食べる。世界一アイスクリームを食べる国民なのだ。逆にイギリス人は健康に注意を払わない。ジョギングなどはアメリカ人のものと見下しているのだ。

多くの人はせいぜい庭いじりで汗をかいたり、週末にロングウォークといって10㎞位の散歩をするだけ。食生活もいい加減で生野菜などは殆ど食べない。大学教授の家でも夕食はパンとスープだけ。イギリス人にはアメリカ人と違い、どうせいつかは死ぬんだという諦念があるのだ。それでもアメリカ人より平均寿命は1歳ほど長いのだ。

日本人もアメリカ人に近い、健康の為なら死んでもいいなんて思っている人もいる。
この頃ポカリスエットとかアクエリアスといったスポーツドリンクが売れなくなっている。糖分が入っているからだ。甘そうと思った品は買わない、糖質ゼロブームなのだ。とにかくゼロと表示しないと売れなくなって来たようだ。


四月十三日、東京駅発1936分の湘南ライナーに乗った。
発車ギリギリ腹の調子がイマイチなのでお腹の中はヘリヘリだった。前から四列目だけ二人分空いていた。窓際に座り夕刊を読む体勢が出来た時ドンという音と共にとんでもないデブの中年女性が乗って来た。
悪い予感は必ず的中する。手に缶ビール500mlとポカリスエット。大きなシュークリーム、モナカアイスの大判、袋物は海老せんとポテトチップスだ。飲んで食う、でっかいくしゃみする、飲んで食う、でっかいくしゃみの繰り返し、ゴクッゴクッ、バリボリ、バクバク、ナメナメ、そしてでっかいくしゃみ。ティッシュ出して思い切り鼻をかむ。全身無神経の固まりの様だ。夕刊を読んでいても文字がよく読めない。見た目と違って割と繊細な私としては横浜辺りで限界に達し始めていたが湘南ライナーは大船まで停まらない。ゴボッなんてでっかいゲップ、ビールの臭いがどっと来る。

こういうオバサンと一緒に暮らしているダンナがいるとしたらどんな人だろうと想像した。色々イメージしたがきっと温水洋一さんみたいな人ではなかろうかという結論を出した。
温水さんゴメンナサイです。

大船に着いた頃オバサンは膝の上に未だ半分位残ったかっぱえびせんの袋を乗せてゴーゴーとでかい鼾をかきだした。ウルセイのなんの上を向いて大きな口を空けてる所に夕刊を丸めてくわえさせてやろうかと思ったがあと二駅の我慢だと思い堪え切った。

藤沢そして辻堂着。オバサンちょっとどいて、降りるからと言うとキョトンとした目で大船ですかって言うから、大船はもう通り過ぎてここは辻堂、チョット早くどいて下さいよ、早くどけよと言い合っている内に列車が動き出してしまった。何たる事だ結局次の茅ヶ崎までご一緒となった。辻堂でも茅ヶ崎でもそう家まで大差がないが何しろオバサンから逃れたかった。

オバサンは荷物や空き缶や袋物をビニール袋に入れながらブツクサ言って茅ヶ崎で降りた。早足で歩きながら振り返ると丸太の様な体をユサユサさせながらホームを歩いていた。な、なんと又、モナカアイスを食べながらだった。温水洋一さん、奥さんの帰り時間が少し遅れますよと心の中で思った。どんな家庭か興味はある。

2010年4月19日月曜日

人間市場 デパート市


紫式部はきっと凄い不美人だったと推測した歴史学者がいた。
あれだけの美しい王朝文学を書く女性は自分のコンプレックスから来る美への憧れ恋愛への願望だという。

当時は電気もなく灯りは油皿に灯芯を浸けてそれに火を点けた程度。部屋の側には四角い穴だけ空いた厠、当然異臭まみれ。夏は暑く汗まみれの服の上に服を重ねていった。顔は火から出るススだらけで黒く鼻毛は伸びまくっていたと思われる。
髪の毛は長く伸び異臭を放つ、そんな感じで世界の文学史に残る源氏物語を書いたのだろう。

現代もそれに近い女性作家が源氏物語に挑戦した。その名を林氏という。これ程美への憧れを持っている人もいないのではないか。
ありとあらゆる方法でお金をかけるだけかけて美に挑戦している。
だがしかし、天は二物を与えずの通り直木賞という文学賞を天から授かったが、不美人からの「不」をとる事は与えなかった。
高い服、高い化粧品、高い靴、高い食事、高い香水、金で手に入れられるものは全て手にしたが「美人」には決してなれなかったようだ。土台が悪い建物はどうしたっていい建物にならない様に基礎が悪いのである。気の毒としか言い様がない。

プロゴルファーの不動裕理さんは大ファンだが、林氏の文学の世界は一度だけ半分読んで、こりゃ駄目だと思いそれ以来読んでいない。きっと私自身に文学に対する対応力が不足しているのだろう。どんな源氏物語か読んだ人間に聞いてみる事にする。

人間は不公平なもの」と言ったのは、確かJF・ケネディだった。ケネディも又、T・ウッズと同じセックス中毒症だったという。源氏物語でいえば光源氏だ。きっとそんな自分が普通の人間に比べて不公平に思ったのかもしれない。たまには何もしないでゆっくり眠りたかったのだろう。なまじイケメンに生まれたばかりに不幸になった人間を沢山知っている。顔やスタイルと人間の中身とは別だからだ。「色男、金と力はなかりけり」である。

仕事場の近所にデパートがある。
一階は化粧品売り場だ。そこに無料で化粧品の試しをしてくれるコーナーがある。メーカーは腕よりのコスメティックのプロに試しをさせる。がしかし、相手の土台と基礎が悪い人しか来ない。元々美しい女性はそんな事をして貰う必要がないのだから。
シャネル、エスティーローダー、資生堂、アルマーニ、みんな大苦労している。どうしたって美しくならないのだから。

丸く白い布の中からぽっこり顔を出した。白い生首みたいなのがゴロゴロしている。小さな目はやはり小さく、低い鼻はどこまでも低く、タラコ唇はやはり明太子でしかない。仮にその場で少々化けても家に帰り風呂に入り素顔に戻ると、誰なのこの顔はと鏡に向かって当たり散らすのだ。
全然変わってないじゃないと山ほど買った化粧品に八つ当たりする。悲しきかな、切なきかな人生の不公平。いいんだよ、心が美しい人ならばと声を掛けたくなるが近づくと恐い顔で睨み付けられる。

若い時四年間デパートに勤めた事があった。社員食堂に行くとコスメアドバイザーの女性スタッフが煙草をパカパカふかしサンダルの紐を外しながら酷い事をガンガンと言っている。世の中でどこが恐いって、デパートの社員食堂程恐い所はないと思う。売り場にいる時とは別人格の人間に変身してしまうのだから。

高級呉服、婦人服、化粧品、コレが大変身する三大売り場。源氏物語の主人公じゃあるめいし土台が悪いのは何着たって、何で化粧したって変わらねえってんだよ。全く時間ばかり掛けやがって結局何も買わねえんだからやってらんねえよ、あんた今夜紳士服の課長とだろ、あたしは家具の人、結構いい線いってるんだ今の処は。まあここは男がよりどりみどりだもんね。何て言いながら左手に煙草、右手にスプーンでカレーライスを食べているのです。
デパート不況の原因は実はここに問題があると私は確信を持って言えるのです。

十時オープン、四十五度に頭を下げて最敬礼、いらっしゃいませなんて言いながら腹の中では今夜のデートの相手の事を考えているのです。私はデパートに行けば一発でそういう女性を見つけられます。ただ、もの凄く多過ぎます。ホントに恐い女の人たちです。


2010年4月16日金曜日

人間市場 言葉と声市


大好きであり心から尊敬する作家、井上ひさしさんが亡くなった。

「記憶せよ、抗議せよ、しかして生き延びよ」がモットーであったという。そこに「笑い」を足したかったのだろう、反戦を言葉と笑いという武器で貫いた。
五歳の時から養護施設で過ごしたという。映画が大好きであったそうで、最後にこの一本を選ぶと云えば黒澤明監督の初期の作品、「素晴らしき日曜日」だと何かに書いてあった。

コーヒーが一杯5円の敗戦直後、35円しか持っていない若い男女のデートの物語だ。10円足らずに「未完成交響曲」のコンサートに入れない。二人は無人の野外音楽堂に行く、男は舞台に立ち指揮者の真似をする。
そして「未完成」を指揮する。拍手する聴衆は彼女一人だ。しかしそこには若い男女の明日への希望が満ち溢れている。いい作品を生むには日頃からよく勉強し、よく考え、大事な時にそういったものを捨て去って自然体にならなければならないと語っていた。「むずかしいことをやさしく」と言い更に、「やさしいことをふかく」と心掛けていらしたのだ。

こんなコラムを読んだ、今から十五年前警視庁上野署の取調室で中学三年生の非行グループのリーダーが一人の少年係の捜査員の取調べを受けていた。そこら中につけていたピアスを外された。その後冷えた缶コーヒーを出して貰った。その時少年はふと何で俺はこんな所に居るんだろうと思った。やがて両親に付き添われて署を出た。
一から勉強し高校に入り非行グループからも抜けた。専門学校に入りコンピューター会社に勤めた。世間からどう見られているんだろうと不安になる度にあの時の取調官のところに行ったという。五年間の保護観察が終わった後、挨拶に行くとこれからは大人と大人の付き合いだなと言われた。成人式を終えていたのだ。今29歳になった男は雪深い群馬の温泉旅館で結婚式をした。

乾杯の挨拶は取調官に頼んだ。本当の息子の事の様で嬉しいと声を震わせて話をしてくれた。今同じ年の奥さんの体の中には小さな命が宿っているという。
今度は赤ちゃんを挟んで一緒にコーヒーを飲みたいと思っているそうだ。きっとその日は来るだろう。

井上ひさし先生の「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」という言葉と重なり合った。「文学は声だ」と言った。ある文学者がいたが正に人と人の心は言葉と声で救われる。井上ひさしさんが舞台にこだわったのもその現れだろう。
いい文学は声を出して読むといいという。不出来な文章は声を出して読むとその正体が直ぐにバレてしまう。

宇宙に行った山崎直子さんから「瑠璃色の地球も花も宇宙の子」という俳句が届いた。声を出して読んでみると何と美しい句だろうと思った。山崎さんの心自体がきっと宇宙から見た瑠璃色の地球の様に汚れなく美しい心なのだろう。その地球を滅ぼしてしまうかもわからない核から地球を守ろうと核セキュリティサミットが始まった。

やっと地球のリーダー達は地球の危機を感じ始めたのだろう。地球の温暖化も待ったなしになって来た。四月なのに真冬のようだ。やはり井上ひさし先生の言葉を思う。「大きく見えた恐ろしいものの姿を小さくし、そのことによって、わたしたちの小さい力を大きく見せる」言葉と声はその武器なのだ。

一人の人間の力は小さいかも知れないが、一人の人間の遺した言葉と声は永遠の強さとして人の心の中に生き続ける。言葉も声も行動も軽い時代となってしまった。

小説家は自殺するために旅に出る。書き出しの一行を探すために何ヶ月も旅をすると、かつて開高健は云った。本屋に行って立ち読みし書き出しの一行が駄目な本は先ず買わない事にしている。

2010年4月15日木曜日

人間市場 お医者さん市


まず脈を測らせて下さい。それから、ハイ、アーンと口を開けて下さい。
ちょっと目を見ますね、舌を出して下さい。
胸を出して下さい、聴診器を当てますからそして後を向いて背中を出して下さい。
指でトントン、トントンと叩く。お腹を触りますからベットに横になって下さい。
首の回りを触ってくれる。昔はお医者さんに行くと先生が必ずやってくれる手順だった。手の感触が優しく痛かったお腹がそれだけで楽になったりする。

過日私が最も信頼する主治医の先生がこんな事を言った。
この頃ね、私大の医学部の受験が難しくなってしまった。それがいい医師を育てなくなってしまった、試験勉強ばかりしていて答案用紙はいい成績だが、人間が魅力的でないのだ。「病気を診ずして病人を診よ」というのが医師の基本だからね。

問診は一番大切な事。今は先ず採血、検尿、エコー検査や他の検査で患者を診ないで数値だけを見るんだな、前回来た時と今回来た時の顔色はどうか、肌のツヤはどうか、目の色はどうか等の変化を全然診ないんだ、これから日本の医療現場はどんどん非人間的になってしまうよ。研究専門の東大病院なんかは研究だけしておけばいいんだ。
商業的、官僚的、事務的になって行く。始めて解剖なんか立ち会わせると殆どの学生は倒れちまうよ。末期の癌の人の苦痛を毎夜聞いているだけで自分が病気になってしまう様な学生も多い。

外科医はね、救急医を何年か経験しないと一人前にはなれない、両手両足がちぎれている、頭はスイカを割ったみたいになっている、刺されて内臓が飛び出ている、毎日そんな救急の現場を経験して腕を上げ、度胸がついて行くんだ。正確な判断力と勇気ある行動が大事なんだ、絶対諦めない絶対命を守るその気持ちが何より大切なんだ。勉強ばかりしていた学生は使い物にならないという事だよ。
そんな話を聞いた、確かに最近はそんな若い医師が多くなった気がする。一度手術室に運び込まれたらそこは密室、中で何が起きても外からは判らない。手術ミスで命を取られても麻酔が未だ効いていますから、これから集中治療室に入りますから、実は既にこの時仏様になっている。真夜中容体が急変しましたと言われ、誠に残念でした、急変しました等と説明を受ける。こんな事が日本中の病院で行われているという。
手術室の中にいた人間はみんな共同正犯だから秘密は守られる。


私の義兄は八十歳で大手術をした、過去に大腸癌を二度手術している。体力的にも三度目の手術は無理だと思ったが三度目に挑戦した。始めは5時間位で終わるという事であったが、実際は13時間も掛かった。途中医師が追加投入されていった。姉は手術が成功した、やっぱりいい先生だったと手を合わせて拝んだという。私は間違いなく誤診だよ、一千万近く払ったんだから病院の方がありがとうございましたって手を合わせているよと入った。義兄はその後、抗癌剤と戦い大きな体は細く、小さくなり退院して三ヶ月後一月一日の元旦に亡くなった。

病院はしっかり選んだ方がいい、医師は必ず二人選んでおいた方がいい、この人なら、という絶対の信頼をおける主治医を持つといい。先日体調がイマイチだったのである医者に行った。どうしましたと言い、血液検査を進められた。いやちょっと腹をこわした様なので胃薬でも貰えばと言ったらああそうですかと薬を出す指示を、急ごしらえのカルテに書いてくれた。個人病院の中は人で一杯であった。
余程ここはやめといた方がいいよと言おうと思ったが営業妨害で訴えられるのが嫌で止めておいた。

一番素晴らしいお医者さんは、今日診た感じでは二、三日ゆっくり休めばいいですよ、お薬も別にいらないと思います、消化のいいのを食べて冷たくない水分をよく摂って下さい。こんなお医者さん近頃いないと思いますが私の主治医はこういう先生なのです。

2010年4月14日水曜日

人間市場 合がけ市


「カンヌキ」というと大具道具の様ですが築地の市場では特上のサヨリの事をいう。
カンヌキは漢字で書くと閂、観音開きの扉の錠で横に渡す棒の事、体長30㎝を超えるサヨリが一見このカンヌキに似ているからだという。

春を告げる魚、群れをなし海面を優雅に泳ぐ、築地の食通は薄づくりにしてから昆布締め。潮汁のお椀も上品でいい、体がピンとして銀色が鮮やかでくちばしが赤いものほど新鮮だという。
と、ここまではサヨリのいいところばかりの話だが私の様な岡山出身者にとってサヨリは忌まわしい魚なのです。ある高名な民俗学者が人国記を書き残した、そこに岡山県人は魚でいうとサヨリの如くであると書いてある。見た目はキラキラして美しいが中を開けると腹の中は真っ黒いという。

正体を中々出さずという。以来寿司屋に行ってもサヨリはあまりというより殆ど頼まない。確かに腹の中が黒い。そういえば私自身も腹の中は真っ黒いのかもしれない。それでもいろんな困難に対して閂(カンヌキ)の役目はして来た様に思う。

福沢諭吉の「学問のすすめ」の中にこんな一節がある。「人にして人を毛嫌いする事なかれ」つまり人間なのに人間を毛嫌いしてはいかんよ、という事だという。
世界の土地は広く色んな人がいる。碁でも将棋でも食事でも茶でも腕相撲でも何でもいい人と人の交際を大事にしなさいと教えている。明治以降のエリートたちは「学問のすすめ」を勉強のすすめと曲解し争って学歴の取得に走った。それが極端な官僚社会、学歴社会を創ってしまったのだろう。

築地市場といえば残念な事があった。
私の大好きな「合がけ」の店「大森」が創業から87年の店を閉じた。一杯700円、大盛り830B級でなくZ級ですよと主人は言う。カレーも食べたいけど牛丼も食べたい。
そういう重大な悩みを持った人にそれなら半分づつにして一つにしてしまおうという柔軟な発想から合がけは生まれた。

カウンター5席だけ、午前二時半に起きて仕込みを始めるという。
築地は早朝から午後二時位までが営業時間だ。小さな店、ユニークな店が沢山ある。徹夜した時等必ず朝方行ってとれたての魚を食べながら一杯飲む。これ程旨い酒はない。
コハダ、鯖、鰺、鰯、光り物が大好きだ。ホタルイカ、鮪の中落ちなんかは泣けてくる程旨い。この頃、魚の仕入れも電話やネット、ファックスが中心になり仕入れ人がめっきり減ってしまった。

その変わりに外国人観光客が増えた。中国語、フランス語、ポーランド語等で「ようこそ」という言葉を覚えたと言う。福井県の農家の三男だった祖父が上京して上野で開店、関東大震災に遭った。日本橋にあった魚市場が壊れて築地に来た、築地は日本の伝統文化の地、あらゆる知恵を出し合って残して貰いたいと思う。

今夜のメニューはカレー+すき焼きで合がけ丼を作ってもらう。
サヨナラ大森さん。ご夫婦お元気で。


2010年4月13日火曜日

人間市場 面接市


東大、藝大は別格として、早慶、一橋、上智のすべり止めといわれる大学がある。

第一群「MARCH」と呼ばれる、明治、青学、立教、中央、法政。
第二群「日、東、駒、専」これは日大、東洋、駒沢、専修。
第三弾「大東亜帝国」大東文化、東海、亜細亜、帝京、国士舘。
第四弾「関東上流江戸桜」関東学園、上武、流通、経済、江戸川、桜美林。
関西第一群「関関同立」関西学院、関西、同志社、立命館。
関西第二群「産近甲龍」京都産業、近畿、甲南、龍谷。
医大、美大、地方の国大は別とする。

私は別格の大学以外は大学の四年間一生懸命遊べと言いたい。
いい友、いい先輩を作る事に四年間を使って欲しい。何故なら私の長い就職に於ける面接経験で学歴を重視した事は一度もない。

四年間何してたと聞く、ハイ勉強してましたなんて答えたら即終わり。
最近女の子と恋したかい?エッ(?)最近読んだ本一冊言って、最近観た映画は、コンサートは、劇は、歌舞伎とか好きかい、その安っぽいスーツはどこの、何で靴が汚れてんの、君なんで面接に来てるのに爪が伸びてるの、爪の中が汚れているよ、いつもそうなの?君は自分を海科、山科、沼科、河科、草原科に分けると何科だい?普段はどんな格好してるの、大好きなミュージシャン一人言って、バイトは何をやっていたの、この辺になって来ると学生さんは顔には汗がびっしょりとなる。

お父さんお母さんのスネかじってその程度の大学しか入れなくては君に学力は期待しないけど、自分の一番の取り柄を一つ言ってくれる。
一人は馬鹿です、一人は暗いです、一人は酒が好きです、一人は根性あります、一人は空気みたいです、一人はスーツにアロハです、一人は坊主になると東条英機に似ています。よし気に入った、入社決定となったある面接結果です。

彼等の出身校を後から見ると、馬鹿は青山学院二部、暗いは中央大学文学部、酒が好きは明治学院大学、根性あります高校卒、空気みたいは明治大学文学部、スーツにアロハは中央大学法学部、坊主になると東条英機は上智大学新聞学科。
後の人は専門学校や無学歴に近い人が多い。会社という個性を創るにはその人間の持っている目の輝き、声の出し方、声の質、体から出る気配が大事、コーヒーかお茶を出してあげてそれを飲むか飲まないかでセンスと育ちが判る。飲み方でも判る。

アロハシャツにジーパン、テーブルの上にレイバンのサングラス、目つきの悪いヤクザみたいな男に面接されているより脅かされている様な時間、そこで一人の男の人生が生まれる。私なりに真剣勝負である。その他の人間との個性のバランスを頭の中で考える。

私はワンパターンの就活スーツというのが気に入らない。
面接はいつも着ている格好の方が本人の個性がよく判る。私の面接成功率は八割から九割は大成功。みんな期待通りに個性を発揮してくれている。今や独立して立派にやっている者も数多い。文学者になった者も画家になった者もサンドウィッチを創って大成功した者、花屋さんになった人、様々に成功してみんな今も付き合っている。

一つの仕事に一生をかけよう等と思うことはない。その為には二流、三流、無名の大学に入ったら徹底的に遊べと言いたい。サーフィン、山登り、沢登り、カヌー、釣り、マンガ、落語、バンド、昆虫採集、SL写真、バードウォッチング等々ひたすら日本中を歩くのもいい。病的でなければ色んな事をやり、いろんな人たちと会う事だ。

ちなみに私の人生を支え会社を伸ばしてくれている幹部10人の内、大卒は和光大学のみ、高卒、専門学校出身が多い。
一人は三十六年、一人は三十五年、一人は三十二年、二人は三十年、一人は二十五年、二人は二十三年、二人は二十二年、記憶が確かなら面接した日から今も一緒に戦っている。目に狂いは無かった、素晴らしい人材たちである。

我が社の人材募集のキャッチフレーズは、「社長以外はみんないい人です」だった。
ある会社が八人全員東大卒の人間で会社を起こしたら一年も持たずに解散した。全員が俺が自分が私が四番打者だと思っていたからだ。
色んな個性が集まっている集団、例えば真田十勇士みたいな会社が最も強く理想だと思う。社員は現在65人(?)、私は経営にはほとんどノータッチだ。

2010年4月12日月曜日

人間市場 花巻市


三月二十九日花巻市北上川沿い、中村光一氏撮影、朝日新聞の心の風景という日曜版にこの写真があり思わず息を飲んだ。

この風景は長谷川等伯も小林古径もあらゆる日本画の名人、達人も描く事が出来ないだろう。
宮沢賢治の生まれ育った地、賢治風に言えばドドドドドーっと白い雪が降って来てザザザザザと風が吹いたのだろう。

かつて日本はとんでもなく美しい国であったのだろう。万葉集が生まれ、童謡が生まれ、奥の細道が生まれた。しばしこの写真を見て心を洗って下さい。

中原中也の「汚れちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる」この頃自分の心もすっかり汚れちまった。

近々心を洗う旅に出る。
種田山頭火に尾崎方哉に宮本常一になってみる。
「花に嵐のたとえもあるさサヨナラだけが人生だ。」美しい連れと気の向くままに暫く歩き続ける。

2010年4月9日金曜日

人間市場 鯖江市


近松門左衛門、久里洋二、五木ひろし、佐々木小次郎、福井県の出身者だ。

過日鯖江という処に行って来た。
一日目は福井市、二日目は鯖江市に行った。
鯖江は日本の眼鏡の九割近くを作っている処だ。そこにいる若いデザイナー達と会った。ある新商品のアイデアを頼みに行った。三社三様それぞれ目を輝かして話を聞いてくれた。

福井駅に降りると街も道路も大きく広い、しかし人がいない。殆ど人が見えない。若者の姿はまるでなく、会社員も居ない、OLは全く居ない、オジサン、オバサンも居ない、ホームレスも一人も居ない。店はあるがお客が居ない、タクシーに乗って運転手さんにどうしてこんなに人が居ないと聞いたら、みんな家の中にいるんです。
漆芸と眼鏡は家内工業なのでみんな外に出ないのですと言う。塗芸と眼鏡はコツコツ、コツコツとにかくコツコツなんですよと言う。一人に一車というクルマ社会の処だから人が見えないのですよ、鯖江に行くともっと人が見えないですよと言われた。


その昔は鯖街道と言われ若狭湾でとれた鯖を京都に運んで栄えた。しかし雪深く農閉期になると産業がない、そこで明治三十八年増永五左衛門という人が少ない初期投資で現金収入が得られる眼鏡枠作りに着目した。大阪や東京から職人を招いたという。
世界で始めてチタン金属を用いた眼鏡フレームの製造の確率に成功した。世界シェアの20%は鯖江という。
又、業務用の漆器の九割近くもやはり鯖江だというではないか。持ち家率86%、みんな広くて大きい。人口比率は日本で第四位に低く、それ故人が見えず眼鏡をかけても見えない。家の中に居て場所から場所へはクルマで移動するからなのだ。

始めに駅に降りた不安はどんどん視界が広く明るくなった。大きな川べりには六百本以上の桜が咲いている。橋の名はさくら橋だ。


我々六人がなんか異物混入の様に思えた。清らかな湖に外来種のブラックバスが入った様なものなのだ。普通駅前にはお土産屋さんがあるのだが殆ど無いのも珍しい。ここから佐々木小次郎が出たと聞くと何か急に弱そうに感じてしまった。きっと穏やかな性格だったのではないかと思った。


DJ OZUMAもここから出たという。あんな派手な格好もきっと穏やかな心を隠すためなのだろう。何しろ人々はみんな穏やかなのだ。欲深き心を宿した人は居ない様に思われた。
東京という業深き会社の中で日々牙を剥いて目をギラギラさせて欲望にまみれた日々を送っている六人の一行は浮きに浮いていたのだ。中国や韓国やタイやベトナムは日本製を作っていた貧しい国であった、ところが今や著しい成長を遂げている。

日本人よ、今一度コツコツ精神コツコツ魂を取り戻せと云いたい。バブリーな心を一度捨てないといけない。濡れ手でお金を稼ぐとか、よその国に安い工賃で働かせて利益を出す。そんな邪な心を捨てよう。元々日本人程コツコツが似合う国民は居ないのだから。会社が大きい事がいいことなんていう時代は終わった事に気が付かないといけない。小さくても優秀な人間が集まれば一人でも二人でも、三人か五人でもいれば十分なのだ。

この街に来て確信した。
日本再生は日本人に帰ろうという事に、老人達の知恵を生かすのだ、老人達に教わるのだ。若者よ手に職をつけよ。大学を出ても会社に入れる時代ではない、大学はどんどん淘汰されていく、驚く事に近頃は大学生の入学式に親がこぞって参列するという。一度で入りきれず一部と二部とに分けて入学式を行っている大学もあるというではないか。大学生が幼稚化してしまっている大きな原因はここにある。親の過保護が様々な問題を起こすのだ、とんでもない風景だ。日本はもっと職能学校、職人学科を充実した方がいい、つくづくそう思った二泊の旅であった。

残念ながら越前ガニはシーズンが終わり、鯖はいいのが全然取れないと言う。
連れの一人が「へしこ」という鯖を米ぬかに着けたくさやみたいな品を買った。ほぐして茶漬けにすると絶品だと言った。
鯖江に「森六」というおろしそばで有名な店に行った。小さな民家であり、いい風情の店であった。