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2013年7月31日水曜日

「割り勘」



猛暑強烈、蒸し暑さ異常となると人間一人ひとりの動きも異常となる。

男も女も等しくまったりとだらしなくなってしまう。
歩く速さは猛烈に遅くなり概ねガニ股になる。

サッサと歩いている人は少なく、ぺったん、ぺったんと歩く。
扇子などで気取って風を送る女性は少なく、団扇を使ってヤキトリ屋さんかうなぎ屋さんみたいにパタパタ風を送る。

当然男はもっと気取ってはいられない。
ワイシャツのボタンを上から三つ以上外し、どこかの喫茶店から持って来てしまったのか、おしぼりで汗びっしょりの頭、首、胸などを拭きまくる。
中には体にハンカチを貼り付けている人もいる。
老人はお風呂と間違えたのか頭にタオルを載せて銀座和光のウィンドウの前に座っている。

猛暑は人々を無口にする。
街中無言の人々が、たまらん、たまんないわ、たまんねえとブツブツ呟きながら歩く。
ソフトクリームをベタベタ食べながら歩くOLたち、アイスキャンディーをペロペロ舐めながら歩く歌舞伎座周辺の着物の女性。
赤城乳業のガリガリ君をガリガリ食べながら歩く若い男女。

最早真っ直ぐ歩く事さえままならない位熱い日本列島だ。

一人ひとりよく見ると殆ど人はヨレて歩いているのに気がつく筈だ。

 そんな中楽しい夜があった。
元サントリー宣伝部制作室長(現練馬美術館館長)若林覚さんを囲む会であった。

サントリーの名作を大量に生み出したのが若林覚さんだ。
博覧強記の人、一年365日の内365回以上美術館や展覧会を見て回る超人だ。
サントリー宣伝部でやはり数々のヒット作を作った吉村喜彦さんと奥様の有美子さん(電通でサントリー担当であった)奥様のプロデュースでPHP文庫から出版された「ビア・ボーイ」は第九刷となった。

吉村さんはサントリーを退職後、作家の道へ。
そして今NHKラジオ番組のパーソナリティもつとめて大人気だ。

グラフィックデザイン界の巨匠、井上嗣也さんは絶対遅刻をしない人。
 やっぱりピタッと少し前に来た。長袖の白シャツと黒のスラックスはコムデギャルソンと決まっている。サントリーの名作は広告界の金字塔だ。
初めて会った人間は、初めてバンジージャンプをした時の様にオッカネーと恐怖感を持つ。

元電通のキャスティング部長江原立太氏はサントリーひと筋、ミッキー・ローク、ショーン・コネリーから矢沢永吉まで20数年サントリーのキャスティングを手がけた人だ。
一夜にして世界中のスターの動向がわかる優れ者だ。

男五人と女性一人。プロ中のプロと語り合う、その楽しさは格別だ。
映画、酒、本、美術、音楽、現代アートの話、それと楽しかった昔話だ。
仕事の話は一切なしで語り合う。

そして割り勘が決まりだ。女性の分は男が持つ。
吉村夫妻おすすめの店は格別の上を行っていた(店の名前は教えません)で、一人六千円ちょっとであった。外は異常に蒸し暑かったが歩く速さはまったりしていなかった。
楽しかったなあ、いい夜だったなーと言いながら別れ別れとなったのであった。

2013年7月30日火曜日

「人徳とは」


※写真は転載です


「ベースボール」を生んだ国アメリカは流石に洒落た事をしてくれる。
「野球」の国日本では考えられない事だ。

その日ヤンキースタジアムは超満員であった。
七年間しか在籍しなかった松井秀喜と一日だけマイナー契約をし、名実共にヤンキースの一員として引退式を演出したのだ。
松井秀喜はニューヨークヤンキースの一員として盛大に祝福された。

このイベントでヤンキースのスーパースターたちは松井秀喜を改めてリスペクトした。
ジーターがいる、リベラがいる、黒田博樹もいる、だがイチローの姿は見えない。
居る場所がない。遠くの方に居た様だ。俺が目立ってはいけないから(?)。
だが本当のところはイチローはヤンキースの一員としてのポジションはない。
今でもただのトレード要員だ。仮にイチローが五千本ヒットを打っても、ただヒットを数多く打っただけの選手であり、どんなファインプレーをしても守備がうまかった選手として記録に残るだけなのだ。

イチローがマリナーズを去る時、チームメイトはシャンパンを開けて大喜びしたとか。
その原因は「人徳」という事だろう。自己愛しかない。
自分の数字だけを追い、チームメイトとはコミュニケーションできない。超ナルシスト、つまりは変な奴、嫌な奴としか思われていない(川崎宗則以外は)ヤンキースの世界一に貢献していない、所詮最下位チームに居たヒットメーカーだったのだ。

松井秀喜の口からチームメイトへの悪口や、監督コーチへの批判や打てない時の愚痴などは一切ない。当然イチローはその真逆だ。イチローの悪口をいう選手は山ほどいるが、松井秀喜の悪口をいう選手は一人もいない。「人徳」があるか、ないかだ。

イチローはヤンキースを放出されるだろう。
とにかく嫌な奴と全員に思われているのだから。

日本人が選ぶ理想の経営者NO.1はイチローだ。
人間は近づいてみないと本物か偽物かは分からない。

ところで私はサブローだ。トコトン嫌な奴で生きて行く。
どれ位嫌な奴か一度会いに来るといい。無料で見せてあげる。
日本人の誇り松井秀喜を育てたご両親に心より敬意を表したい。
ゴジラは人間の理想NO.1だ。

2013年7月29日月曜日

「みたらしダンゴ」


安井金比羅宮 ※転載です


勝新太郎が演じた「座頭市」の中で必ずいう名セリフがあった。
「嫌な渡世ですねえ」と。義理も人情もない世の中を目の見えない按摩さんは嘆く。

鶴田浩二が歌ったヒット曲「傷だらけの人生」にはこんなフレーズがあり流行語になった。♪〜何から何まで真っ暗闇よ、右を向いても左を見ても筋の通らぬ事ばかり…。

「世の中真っ暗闇でござんすよ」とヤクザな男は世を嘆く。
人の世は縁と縁で繋がり合い、くんずほぐれつの悪縁が生まれて行く。
その結果あーあ嫌だ嫌だ、こんな悪縁を切ってしまいたいと人は願う。

京都東山に「安井金比羅宮」という高名な神社がある事をある年知った。
この神社は金毘羅信仰に加えて崇徳天皇の御神徳で良縁結びとも、悪縁切りでもご利益で名高い。

悪縁は婚姻、恋愛だけでなく人間関係全般的に加えて病気や不慮の事故、悪運、悪習癖(過度の飲酒、喫煙、ギャンブル)、借金、犯罪など広く悪から縁切りに霊感があるとして信仰を集めている。全国から悪縁、悪連と縁切りしたいという人々が集まって来る。大きな石を繰り抜いた穴をくぐり抜ける。

「縁切り縁結びの碑」という石碑には御札が何層にも貼られ、それはまるで御札の山。北国にある雪の住まい「かまくら」の様でもある。
一人ひとりその穴をくぐりながら願いを込める。地べたを這って出てくるのだ。
平安時代以前から藤の名所、見事な藤棚がある。

人間社会は一人では生きてはいけない。即ち嫌な事ばかり世の中にある、ほんのちょっとの良い事を見つけて世の中捨てたもんじゃないと心に言い聞かせるのだ。
悪縁と良縁の比率はきっと1001位かもしれない。
手柄は自分の物、失敗は部下のせい、借りた金は貰った物だから返す訳はない。

あなたは新郎◯☓が病気で苦しむ時、辛い時も愛を捧げる事を誓いますか、ハイ誓います。あなたは新婦□△が病気で苦しむ時、辛い時も愛を捧げる事を誓いますか、ハイ誓います。アーメン。なんて誓い合った後輩が離婚の相談というか報告に来た。
盛大な結婚式ほど離婚率は高く、早い。どうしたんだよと聞けば、縁が無かった。
悪縁とは早いとこ縁切りしたかったと二人は口を揃えていうのであった。

一度京都の「安井金比羅宮」に行って来いよとFAXで送られて来た資料を渡してやった。
愚妻が突然、女性はねえ一度別れたいと思ったら絶対元には戻らないからといった。
男は未練がましいけどねと重ねていった。四人でみたらし団子を無言で食べた。

2013年7月26日金曜日

「正露丸下さい」


※イメージ


これはあくまで私の経験と持論である。
今まで何度か記してきたのだが、余り反省がないので再度記す。

 人間は学校の勉強ばかりしていると何になるか「それは本当の馬鹿になる」という事だ。一番勉強した人は東京大学に入ったりする。次に京都大学とか大阪大学とか名古屋大学と続く。

最も東大生にとって、東大以外は大学でないと思っている。
特に東大法学部となるとその思いは更に強くなる。
勉強ばかりしていると自分が専攻している分野に於いては、世のため人のためになってくれるのだが、他の分野や社会的問題に関してはまるで知らない、見えない、分からない事となる、昆虫の様な複眼の思想が無くなってしまう。

勉強は知恵を生むが、それに比例して悪知恵も産み育てる。
東大の論文改ざんや東大教授のセコイ詐欺事件や、破廉恥な問題が次から次に噴出する。東大はお得意の隠蔽作戦を展開する。

勿論優秀な教授も多いのは当然と思うが、遊んでないで大人になった人間は社会的には「無知」な人間である。勉強ばかりしていた東大名誉教授、准教授、客員教授等々の人々は殆ど権力馬鹿、学閥馬鹿、名誉馬鹿となりせっかく出てきた若い才能の杭を嫉妬と怨嗟の力を込めて叩き続けるのだ。

警察にパクられれば東大教授も名前では呼んでもらえない。
点呼のたびに正座させられ、135番とか230番とか答案用紙の番号の様に呼ばれるのだ。

初めての留置場では教授たちはプライドをズタズタにされ、下痢を起こし、頭痛を起こす。担当さんスミマセン、正露丸下さい、太田胃散下さい、ノーシン下さいとおねだりする。手錠をかけられ、ビニール袋に入ったコッペパン二個と小さなバターと小さなジャムを持って地方検察庁の地下室に集められる。

あるヤメ検の弁護士の話によると、裏切り、寝返り、口を割る速さNO.1、人に罪をなすりつけるNO.1、政治家泣きつきNO.1は教授たち高学歴者だという。批判論評はすれど責任を決して取らない有識者という御用学者たちがこの国をいつの世も悪い方向に持っていく。

2013年7月25日木曜日

「丼のドン」


わさび丼 ※転載です


「深夜食堂」という小林薫主演のテレビドラマが好きであった。
原作はマンガであった。

一番シンプルなメニューは、あったかいご飯の上にバターを少しのせそれにお醤油をかけてひたすらかき混ぜる。
ただそれだけだが、一度実験したら抜群に旨かった。

「孤独のグルメ」という深夜ドラマがある。
やはりマンガが原作だ。松重豊という中年の役者が渋い料理を食べ歩く。

すこぶる美味しそうなのでそれを紹介する。
真似して食べたが実に鼻にツンとして、舌にツンときて、胃袋にツンツンくる絶品の味だった。世にツンツン気取りの女性がいるが、それに醤油をかけて食べたら意外にもシンプルで、純情で、健気であった。
それ故情が深まり別れられないという様な味である。

料理名を「わさび丼」という。
漆のどんぶりにあったかいご飯を七分目位に入れる。
その上に上質の木から生まれたカンナ屑みたいなクルクルの鰹節をゴッソリ置く。
 本わさびを一本買って来て、鮫肌の板の上でぐるぐる回しながら彩やかな緑色のわさびを生み出す。そのわさびを鰹節の真ん中にのせる。
そしてそこにお醤油を円を描く様にかける(少し多目がいい)。
 後はただ無心にかき混ぜる。
邪心があると味が落ちる(?)つまりわさび丼はこれだけなのだ。

一度知ったら忘れられない。
混然が整然となる。

二十四日のテレビドラマでは、松重豊が西伊豆河津町の「かどや」という食堂で「わさび丼」を食べていた。400円である。
他にわさびを使った漬物など小皿四品がそっと付いてくる。
一度試してみて欲しい極上の丼だ。

その日の午後、辻堂駅からワンマンバスに乗った。
連れていた子どもが車酔いするのでタクシーはNG
そこに二人の女子小学生が乗って来た。制服を見ると湘南白百合の生徒であった。
その二人がバスの運転手さんに向かってこう言った。「運転手さん、いつもお暑い中ご苦労様です」

頭にツーンと来た。
この子はこれからどんな女性になって行くのだろうか。
ブーッとオナラの様な音を発してバスは動き出した。


2013年7月24日水曜日

「猛書」


金澤翔子さん ※写真は転載です


七月二十三日(火)午後四時過ぎ、銀座は目の前が雨柱(こんな言葉はないかな)で見えない程の猛烈豪雨。降り落ちる雨がまるで一本一本の凶器の柱の様に一直線に突き刺さって来た。

四時半から赤坂溜池で打ち合わせがあるため外に出た。
一瞬で全身ずぶ濡れとなった。傘などは全く役に立たない。
雷鳴絶叫、天が怒り狂っている様であった。

天よ、何に怒ると問えば、先ずは猛暑にへたり込んだダラシネー私であり、嘘ばかりつきまくる東電であり、大惨敗なのに党の代表が責任をとらない民主党であり、全く訳の分からない選挙制度であり(何で緑の党の三宅洋平はワタミの渡邉美樹より多い18万票近くとって落選なのか)、どこまで人間を阿呆にするのかのバライティ番組であったり、辞めない全柔連の者共や、バックれまくるプロ野球のコミッショナーであったりと思われる。

五時半から銀座で打ち合わせがあり赤坂からトンボ返りをした。
三年前に亡くなった画家、宮トオルさんの奥さんが遺作リストを持って来るのだ。
奥さんはかつて私の処でコピーライターをしていた人だ。
宮トオルさんの未発表の絵を何とか世の中に出してあげたいと思っていたのだ。久々に見る宮トオルさんの絵はやはり素晴らしい。
独特の女性、独特のエロス、独特の風景、独特の色彩に心を奪われた。

そうだ直ぐ側にMEGUMI OGITA GALLERYという独特の絵や書や現代アートを発表させるギャラリーがある。そこのオーナーに見せに行こうとなり即行動をした。
生憎オーナーは出張中であった。来週また来るからと伝えておいてとギャラリーのスタッフに言った。

さあここでガァーンというものすごい書に目が奪われる。
ダウン症でありながらその書は天才の上を行く大天才と世界的名声を得ている書家、金澤翔子(雅号小蘭)さんの書を展示していたからだ。
NHKの大河ドラマ「平清盛」の題字の流麗にして豪快な筆走り。
「重厳雲雷」の四文字。二曲✕二曲の屏風の強烈な墨魂の塊。
一文字が一メートル以上、太さ三十センチ以上だ。書の雷に打たれ気絶しそうになった。へばっていた心と体に電流が走った。

人間はやっぱり凄い。五人で行って五人で驚嘆した。
病気だからと決してマイナス思考になってはならない。
人間は何かに挑戦しなければならい。私もたかが不眠症二十年位でへたってはならない、そう決意したのであった。とことんやってやる、猛暑も「猛書」で元気づけられた。

2013年7月23日火曜日

「仲良い恋人」


原美術館

坂田栄一郎氏「江ノ島」


JR品川駅から車で五分ほどの住宅街の中に「原美術館」はある。
東京ガス会長、日本航空会長、帝都高速度交通営団(現営団地下鉄)総裁などを歴任した実業家、原邦造氏の邸宅であった。

瀟洒な建築は上野の東京国立博物館本館や銀座和光本館の設計で知られる渡辺仁氏の設計による。昭和十三年に竣工された。
当時の実業家は芸術をこよなく愛しコレクションした。

私の敬愛する写真家、坂田栄一郎さんが十数年にわたって夏の江ノ島を探求し続け、「人のいないポートレート」を中心としたシリーズ「江ノ島」を初公開した。
作品の数四十点、ポートレート約十点が原美術館とベストマッチしていた。

レセプションには日本を代表するアーティストやクリエイターがギッシリ集まった。
坂田栄一郎さんといえば愛妻光豆さんが必ず側にいる。
仲良い夫婦であり、仲良い恋人同士の様でもある。
オシャレで可愛い光豆さんは作品を作る上で大切なパートナーでもある。
重いカメラや機材を担いで砂浜の上をずっと歩いたそうだ。
私たちが十代だった頃、江ノ島は憧れの地であった。

世界中の重要人物の内面を一瞬にして切り取る雑誌、AERAのポートレートはあまりに有名だ。旬な人間の旬な内部を一瞬で写しだす。
その鋭い感性とは全く別のもう一人の坂田栄一郎さんのカメラセンスの世界がある。
坂田栄一郎さんの中に生き続ける二十代の感性だ。

今時砂を被った言葉に「青春」という二文字があるが、作品の中に少年の目、少年の心、青春の脈拍がドックンドックンと聞こえてくる。「人のいないポートレート」はそこにいたであろう人々を連想させる。
ブライアン・ハイランドの「ビキニのお嬢さん」という曲が聞こえて来る。
パット・ブーンの「砂に書いたラブレター」とかビーチボーイズが。

江ノ島は江の島とか江島とも書くが、この写真展にはやはり「江ノ島」がいい。
二十代そこそこの若者たちの写真も実にいい。目が汚れなく澄んでいる。
この被写体になった若者たちは、今四十代になっていると聞いた。
優れた写真家の感性は、赤いスイカに刺さった二本の煙草も、会社員が脱いだであろう一対の革靴も冗舌に言葉を発して来る。

九月二十九日(日)迄、ぜひ観に行ってほしい。
きっと少年時代の淡い恋を思い出すはずだ。今江ノ島は夏真っ盛り。
私は休日の度自転車でクルージングをしている。
マックバーガーを食べながらサイクリングロードにいたら、いきなりトンビの野郎に持って行かれちまった。この間は崎陽軒のシュウマイ弁当だった。
トンビの狙いは油揚げだけではない。

2013年7月22日月曜日

「カチンコ」




選挙速報をTV各局手を変え品を変えやっていたが一番面白かったのは午前二時二十分頃にやっていた日本テレビだ。

北から南当選した候補のバンザーイ、バンザーイ、バンザーイをひたすらつないでいた。とってもシュールな映像であった。当選者の事務所の数だけバンザーイがあった。

唯一東京の山本太郎だけがやらなかった。
私が応援していた一人は当選し、一人は残念な結果となった。
国民の50%近くが投票しない選挙を国政選挙といえるだろうか。

ネット選挙は若者たちや無党派層に必ず投票行動を起こさせるといった社会学者や、政治学者、アメリカかぶれの統計学者の予想は見事に外れてしまった。
国民の政治への無関心にバンザーイ、バンザーイつまりお手上げであった。

これは政治の死を意味する重大事である。
憲法改正、原発問題、沖縄基地問題、増税、相次ぐ値上げ、非正規社員増加、生活保護改正、年金年齢引き上げ、老人医療費負担一割アップ、イジメ、自殺、少子高齢化、TPP等々一票を投じなければならない問題は山ほどあったのに何故投票に行かなかったか。
やけくそになったか、すっかりあきらめたか、どっかへ遊びに行ったか、ショッピングにでも行ったのか、政治家はよくよく分析しなければならない。

このごろの選挙は政治家の就職活動だという人もいる。
就職が決まってバンザーイならば困ったものだ。凄みのある政治家が少なくなった気がしてならない。政治家とは、代議士ともいう。

武士と同じなのだから「士としての志」と覚悟が必要だ。
選挙の時だけ頭を下げるのを政治活動とはいえない。
「一日一死」「一死多生」の日々を送らねばならない。
「志と死」は背中合わせなのだ。兵を失った将は腹を斬らねばならない。負け戦に学べという。次のため負けた後にどう生き様を見せるか。

大勝した政党は論功行賞で内紛を起こすのは必定だ。
古今の歴史は人事争いなのだ。歴史は繰り返す。これは人間という生き物の「性」なのだ。混乱が起きない人間の集団はあり得ないのだ。映画ならここでカチンコ、ハイカット。そして次のシーンに向かって、ヨーイスタートだ。

2013年7月19日金曜日

「絶句」




人間はびっくりした時にはビックリしたなあと言う。
凄くびっくりした時にはもの凄くビックリしたなあと言い、更にびっくりすると言葉を失ってしまう。

敬愛する映画監督中野裕之さんから、七月十八日平日ですけど見ると大変興奮する男子新体操のチケットを送ります、面白いから見て下さい。と二枚のチケットが送られて来た。

七月十八日(木)、国立代々木競技場第二体育館で私は言葉を失った。
青森大学男子新体操部のあまりに美しく、あまりに見事な演技にだ。
この大学は全日本選手権、四年連続九度の優勝を果たしている。

女子に比べ男子新体操は未だ普及率は高くない。私も知らなかった。
はじめにビックリしたのは三千人収容の会場が超満員、大行列。
百人近い会場スタッフは皆イッセイミヤケの素敵なTシャツ。
なんだこりゃと競技場を見ると真っ黒い円形のコロシアム。
その真中に黒く四角いマット(様々な色に変化する)。照明がタダ事じゃない。

次にビックリしたのがお客さんたち。
私は、きっとジャージ姿の学生客はゼロ、皆ファッションがユニークだ。
イッセイミヤケ風とミヤケ的。
まるなんかが殆どで、笛や太鼓や旗振りまくりを想像していた。が、そんなおでファッションショーだ。


次にパンフレットを見てビックリ、その参加メンバーは、世界を日本を代表するトップクリエイターばかりではないか。
クリエイション・ディレクションDaniel Ezralow、ライティング海藤春樹、モーショングラフィックス中村勇吾、ミュージックOpen Reel Ensemble、ミュージックスーパービジョン畑中正人、ドキュメンタリーフィルムディレクション中野裕之、ヘアメーク資生堂SABFA、コスチュームHOMME PLISSE ISSEY MIYAKE、企画・コスチュームデザイン三宅一生、とズラリ勢揃いだ。

三宅一生さんが青森大学新体操部の演技を見て素晴らしいといい、企画をしたと聞いた。東北の復興のためにも。二十七人の男子の新体操は、もはや体操というより舞踏劇に近い。

選手たちは体操着ではない。
イッセイミヤケオリジナルユニホームの青い服、赤い服、灰色の服が飛翔し、超回転し、疾走し、山となり、海となり、花となり、水彩画の様になり、水墨画となり、真っ赤な血をマットの上に照らし出す。
一本の縄、二個の輪、一本のスティックは魔法の動きを見せる。
漆黒の闇の中で忍者の集団の如く、妖しく、激しく、華麗に集結と飛散を繰り返すのだった。時にはソロで、時には五人で、七人で、十人で、二十七人で。

いやはや驚きの連続であった。
カメラマンの数が多く、中野裕之さんが見つからなかった。
きっと中野裕之さんの事だから思いもよらぬ所でカメラを回していたのだろう。
哲学的ミュージック・ビジュアル・ファションエンターテイメント新体操劇きっと世界中に広がるだろう。ビックリしたなもうと何度も呟きながら会場を後にした。

「良かった結果」



「個人差があります」これ程便利な言葉はない。

肌がスベスベに、肝臓が元気に、シミが消える、髪の毛が生える、目が良くなる、関節が柔らかくなる、毎日元気に、夜が元気に、朝がスッキリ等々健康補助食品とかの広告が世の中に溢れている。

私の様な呑兵衛は極めて意志が弱く、今日は絶対休肝日だと思っても気がつくとまあいいかと飲んでしまう。

私も十数年前には、ハイチオールC、肝元、ウコン、セサミンE等を毎朝飲んでいた。
ある年血液検査で色々引っかかっていた。
主治医から何かサプリメントを飲んでいるかと聞かれて、飲んでいた物の名を次々と挙げた。

主治医はアリナミンAを飲みながら(院長室で)これは効くよ、でも君の言った物は全て止めなさい、君の肝臓には悪い影響が出る可能性がある。
酒を解毒するためだけでも大変な君の肝臓がそのサプリメントを解毒するために参ってしまうんだ。
薬と名の付いた物、それに近い物は全て毒気があるんだから肝臓が解毒するために疲れてしまうんだ。

だいたいサプリメントが効果あるなんて科学的に実証されていないんだから。オシッコになって出てお終い。
アメリカ人はやたらサプリメントを飲むが気休めに過ぎない。
アメリカでは十兆円市場、日本も一兆円に近づいている。

バイアグラを飲み過ぎて腹上死が増えていると医師から聞いた。
診断書は心臓◯_とか心臓□△とかにしているらしい。
勿論患者とその家族の名誉のためにだろう。

私は体調を崩し服用する薬が多くなったのを機会にサプリメントを一切止めてアリナミンAだけにした。二ヶ月後、四ヶ月後、六ヶ月後、肝臓の数値は平均以下に、その他の数値も全て正常値になっていた。この手の商品の広告には必ず「個人差があります」とか「ご本人の実感です」と表示が義務つけられている。

殆どの広告はエキストラを使ったヤラセである。
だが個人によっては良かった、エカッタ、ヤッタゼベイビーとなった人も確かにいるらしいのだが。

自分の妻以外にベイビーが出来てしまって大問題となっている知人もいる。
近々愛妻に最後通告をされるとか。そのベイビーを先日見たがまるで外人の子の様に目鼻立ちが美しい女の子だった。

バーバリーのベビー服を御祝いに持って行った。
勿論本宅でなく別居中の相手と住む場所に。
予定では慰謝料や養育費などでスッテンテンになるという。立たないモノが立ってしまった結果は途方もなく高くついた。

でも赤ちゃんは可愛い事この上ない。
男は56歳、相手は32歳インド人と日本人のハーフである。
当然途方もなく美しい。その見方に個人差はあるが。知人が腹上死をしない事を願うといった、大受けした。するかも、するかも、したら最高だってハシャイでいた。近々裁判所の決定がでる。

2013年7月17日水曜日

「鬼と花」




今日は東北新幹線で東京〜小山へ、そこからJR水戸線、関東鉄道常磐線、真岡鉄道真岡線「下館駅」下車、北口徒歩8分の処にあるアルテリオ「しもだて美術館」に行く。

敬愛する市田喜一さんと奥様の左時枝さんの展覧会を観るためだ。

市田喜一さんの描く「鬼」の版画は実にユーモアに満ちている。
実に明るく、楽しい。また大胆にして繊細な色彩は人の心の中に潜む「鬼」を描きだす。

左時枝さんの描く「花々」は、秘かで妖しく、欲情的でありその色彩は女体の謎の様でもある。「鬼」と「花々」はきっと火花を散らし合っているだろう。

仲良いご夫婦の二人展。お互いリスペクトし合う姿に心より乾杯だ。



2013年7月16日火曜日

「親と子」


ザトウクジラ ※イメージです


七月十日、見逃していたNHKスペシャルの再放送を観た。
午前一時から二時。第五回科学映像祭内閣総理大臣賞受賞作「クジラ対シャチ」だ。

最愛の母が死んだ時も、最愛の友や知人、恩人が亡くなった時も私は決して泣かなかった。男は人前で泣くなと決めているからだ。「クジラ対シャチ」を見て泣けた。
何故かそれはクジラの母親が子を育て、その子を守るために自らの命をかけてシャチと戦う姿にだ。

クジラは暖かい海でしか子を産み育てられない。
子どもに脂肪がつかないと、北の海ベーリング海には行けない。
アリューシャン列島付近は世界一のオキアミの産地なのだ。

母は子に泳ぎ方、息の仕方を教える。暖かい海には食料のオキアミはない。
蓄えた体力を使って子を懸命に育てる。そしていよいよ5000kmの旅に出る。
ベーリング海に入るには10km程の海峡を通らねばならない。
クジラの数約四万頭、オキアミ約六億トン。それを目指す水鳥約数千万羽。

アリューシャンマジックという超常現象が起きる。
ベーリング海は真黒となる。だがそこに行くためにクジラは獰猛な肉食シャチの攻撃を受ける。シャチもクジラなのだが。

旅をして来た子クジラの半分はシャチに食べられてしまう。
チームを組んだ頭脳プレーで攻めるシャチの脳力はとんでもなく凄い。
時速70kmと速い。クジラの母は子クジラのために必死に戦う(世界で初めての映像)。

だが子クジラはシャチの餌食になる。子クジラの食べ残された体はヒグマが食べる。
食物連鎖の世界だ。小さなオキアミの爆発的発生が生んだ弱肉強食の世界だ。
BBCNHKの共同制作、圧倒的な世界だ。

特に小クジラを守る母クジラの姿に、迷惑ばかり掛けたがいつも深い愛で守ってくれた亡き母を思い出した。自分は何も食べずに子を育てる母クジラ、体は三分の二に減ってしまう。シャチもまた、実は子どもを育てるために食料が必要なのだ。
クジラを攻めて食べなければ親子は生きて行けない。

グラスに入れたハイボールが腹にしみる。眼から涙が流れる。
だが地球上最も大きいクジラを最後に食べてしまうのは人間なのだ。
人間ほど獰猛な生き物は地球上にいない。一頭の親クジラが子クジラをシャチの攻撃から守りきった時に思わず拍手してしまった。

親子とは本来とても仲のいいものなのだが。
何故にこの頃自分が生んだ子を憎んだり、自分を産み育ててくれた母親を憎んだりするのだろうか。悩める親子はベーリング海に行けばきっと仲良しになれる。

2013年7月12日金曜日

「托鉢の中へ」




あなたは隣に一億二千万円の腕時計をしている人が、木村屋のアンパンなんか食べていたらどうしますか?

銀座4丁目和光の隣にそのアンパン屋さんがある。
一階はアンパン売り場、二階が喫茶室、猛暑の中ある人と会うために私は二階に居た。

少し早めに着いたので冷たい抹茶を頼んだ。
窓から下を向くと暑さでヘロヘロになった人々がヨロヨロと歩いている。
交差点の側に修行中の雲水が托鉢を手にじっと下を向いて立っている。

「日本橋三越でヨ~今フランク・ミューラー(スイスの高級腕時計)の新作展示販売をやってんだよ。一億か一億五千万とかクラスが揃っているらしいぜ。行かねえか?この時計ヨ~一億二千万だろ、だからその上目指したいんだ。」
未だ三十代そこそこの男と二十代後半の女性がアンパンを食べながら話をしていた。
確かに高い事が一目でわかる大きな時計を右腕にしている。

七分のジーンズ、素足にデッキシューズ。
十本の指に五本の指輪、白のコットンシャツの中は日焼けした肌。
若い女性は薄いグリーンのノースリーブワンピースに少し太めの白い皮ベルト。
首には麻の様なショール。靴は白いエナメルのハイヒールであった。
アンパンを食べていた女性が突然ファークションとクシャミをした。
なんか冷房効き過ぎてないと言った。

その時私はある映画をイメージした。
例えば今ここに短刀を持っていたらどうするか。
あるいはマタギが持つナタでもいい。アンパンを持つ男の腕をバサッと斬り落とす。

落ちた手には半分食べたアンパン。
床下に一億二千万円の時計が血まみれになっている。
ダイヤの輝きが円を描き、赤い血の中で異様に光っている。
女性は何事も無かった様に二つ目のアンパンを食べている。
男は左手で新しいアンパンを食べ始めている。
私は床に落ちた時計を持って店の外に出る。
そして雲水の托鉢の中にそれをゴロンと入れて立ち去って行く。
男と女が一緒に出てきて腕を組み、日本橋三越に時計を買いに向かう。

暑い、その日銀座のアスファルトの上の温度は40.6度であった。
アスファルトの上に男が落としていった赤い血の雫が直ぐに焼けて黒い汚点となった。

2013年7月10日水曜日

「県民“性”」




週刊誌なんてお下劣な読み物には縁のない人に興味ある馬鹿バカしいある調査データを一部紹介する。

購入代金470円也。
週刊ポスト、猛暑御見舞合併・特大号の巻末に載っていた「県民“性”」データだ。
コンドームメーカーの相模ゴム工業が全国一万四千百人(2060代の男女)を対象にセックスアンケートを行ったのだ。調査は47都道府県に及んだ。

性生活の満足度一位、鹿児島県55.8%、四十七位、愛媛県46.2%。
一ヶ月のセックス回数一位佐賀県2.79回、四十七位大阪府1.52回。
初体験年齢一位沖縄県19.6歳、四十七位茨城県21.1歳。
経験人数一位高知県12.4人、四十七位埼玉県5.3人。
浮気率一位島根県26.5%、四十七位秋田県15.4%。
セックスレス一位千葉県59.2%、四十七位奈良県42.9%。
マスターベーション一位秋田県5.67回、四十七位福井県2.82回等々が載っていた。

20代女性の初体験の相手の一割がネットで出会った男。
30代の男性の約一割が童貞。40代女性の約18%が浮気中。 
60代男性の65%がもっとセックスをしたい。
 セックスレスの既婚者55.2%。男性の75.2%はもっとしたい。
35.8%の女性はしたくない。

と、まあどうでもいい話だが、相模ゴム工業にとっては死活問題なのだろう。
どんどん使用してもらわねばならないからだ。
要するに男性はいくつになってもスケベであって、現代女性は面倒な事はしたくないという分析が成り立っている。
若い男性は奥手であって、若い女性はその逆という事となる。

と、まあどうでもいい話だがもっと詳しく知りたい人は、代金470円を支払って購入してもらうしかない。私は何故購入したか、それは小沢一郎と西郷隆盛という馬鹿げた比較論を読むためなのであった。
次に参院は本当に必要か(?)であった。その次があったのだがそれは書けない。

暑いそれにしても暑い。
十九年使用してきた風呂の電源が遂に寿命を迎えてしまった。
当分水風呂か、水シャワー生活だ。愚妻は暑いから丁度いいんじゃないだと。
全く鈍感度100%だ。浮世離れした人間とは会話に成らないので一日一話と決めている。

2013年7月9日火曜日

「生きろor死ね」


プライベート・ライアンより


一将功成りて万骨枯る。
安倍晋三総理が一人勝ちして参議院選挙後一気に憲法改正に向かうはずだ。
自民党が単独過半数をとれば公明党をいずれ外すはずだ。
学会を利用するだけ利用して捨て去るだろう。
日本経済の事などにははじめから興味はない総理大臣なのだ。

私は今から十九年前医師に慢性的疲労型(?)鬱病だといわれた。
その時愚妻と会社の幹部が医師に呼ばれた。話は当然「自殺に気をつけて下さい」という事である。ある本(鬱関係)の扉のページにアメリカの専門医の言葉が一行書いてあった。

そこには、「鬱病は死ぬよりつらい、それ故死を選ぶ」と。
時速150km近い列車に友人、知人が何人か飛び込んだ。
死人に口なしだから分からないが、奇跡的に助かった人の話によると吸い込まれて行った。その時すでに死んでいたと言っていた、恐怖よりも楽になりたいという思いの方が深く強かったと。

二週間に一度愚妻と医師のところに通った。
十年以上も。私は負けてたまるかと、早朝一時間から二時間半海岸のサイクリングロードを歩いた。下手な絵も書き続けた。

三年前私があるイベントを催した時、担当であった医師(現在慈恵医大青砥院長)が来てくれた。究極の認知療法、行動療法でよくここまで来たねと笑って褒めてくれた。
毎日の様に列車に乗ると人身事故の遅れが告げられる。

「人生自分で死ぬほど捨てたものではない」という格言もある。
「絶望は愚か者の結論である」ともいう。 
1%の富裕層、1%の大企業が恩恵を受ける政治にあなたはYESNOか。
そのどちらでもいいが必ず投票に行って権利を主張して欲しい。

人生ケセラセラ、成る様にしか成らない。
この国は本当に真っ当な幸福の国なのだろうか。

「鬱」で悩み苦しんでいる人がいたら遠慮せず連絡をして欲しい。
私の体験と私が働く姿を見て欲しい(人に迷惑ばかり掛けているのだが)。

一将だけに功を与える必要はない。
自民党は大勝が仇となるだろう。それぞれの手柄争いと、あらゆる人事でモメにモメる。アメリカから嫌悪されているリーダーは必ず滅ぼされる。親中もまた同じだ。
男の嫉妬ほど醜い姿はない。我々は決して負けてはならない。
リングの上でファイティングポーズをとらねばならない。

古今の歴史は教えてくれている。
金を追った人間、権力や名誉を追った人間の末路は実に哀れなものであると。
但し堕落した人間、働かざる人間、学ばない人間の末路もまた哀れなものである。
一日一死、明日行きている保証はない。「今日できることは今日しよう」 

それにしても暑い。それにしてもマツコ・デラックスは暑苦しい。
医学的には生きている筈がないのだが。

「地球は宇宙の不良少年」だといった哲人がいた。
地球環境を守らねばならないのだが、CO2削減は忘れられてしまった。
やっぱり不良少年なのだ。

映画「プライベート・ライアン」の中で、トムハンクス演じる勇気ある軍人は傷ついた部下たちに「必ず生きろ」という。
日本軍人であればこう言った筈だ。「必ず死ね」と。憲法改正をするという事は、第九条を改正するという事なのだ。即ち戦争をする国づくりなのだ。さてYESNOか。

2013年7月8日月曜日

「マンボウに学ぶ」




ある社会学者によると、今度の参議院選挙の投票率は上がるはずだ。

その原因はイワシの群れにある。
 イワシの大群は実はなんの根拠もなく、一匹一匹が無目的に集まる(大きく見せて大きな相手を威嚇する防衛本能という学説もある)。
そこに餌があって集まるのではない。
みんなが集まりだしたから遅れてはならないと集まりだし、群れとなり大群となって行く(エジプトやトルコ、ブラジルのデモの群集心理も同じ)。
イワシの群れは結束力はなく、水温が少し変化しただけでバアーっと飛散してしまう。

ネット社会の住民は、人に遅れたくない。
人を意識する習性があり、自らが情報発信者となり、その事によって人が動く事を何より喜びとする。みんな誰に投票するのだろう。必ず勝ち馬に集まる。

投票した候補者が当選すると、俺が、私が、僕が、ネットで応援したからと自らを主役化する。人が投票に行くなら行かねばならないと、行動と確認をする。
無駄な行動を嫌うのだが、自己肯定主義なので遅れてならじと、いつもパソコンをいじっている場所からゴソゴソと出て来るのだ。
これが「イワシの群れ論」だ。
この群れは自分に都合悪くなると、削除、削除を繰り返し、君とはもう友達じゃないよ、とバアーっと飛散する。と学者は話をすすめる。

水族館でじっと、ずっとマンボウを見続ける人々が居る。
マンボウは泳いでいるのか、漂流しているのか定かではない。
ただゆったり、のんべんだらりと常同行動をする。
体の半分を食い千切られた様な不自然な形。象の様な肌と小さな眼。
おちょぼ口が実にかわいい。
ネットに支配されてしまっている現代人に「もっとのんびり、ゆっくり生きなさい」と哲学者の如く教えを与える。

私は時間を見つけては自転車で20分位の処にある江ノ島水族館に行く。
魚たちを見ていると心が休まるのだ。特にクラゲが好きである。
素晴らしいデザイン物体だ。宇宙的ですらある。思想家の様でもある。
私は群れるのが大嫌いなので、イワシよりマンボウを先生とする。
クラゲにデザインを学ぶ。

但しイワシを食べるのは大好きだ。万能の魚だ。焼いてよし、煮てよし、たたいてよし、つぶしてよし。マンボウは決して食す気にはならない。きっと食えない奴なのだろう。権力に接近する思想家とか、哲学者も食えない御尽が多い。
使えない御用学者は始末に負えない。世が世なら天誅だ。

さてあなたは、イワシかそれともマンボウか。気がつけば毎週金曜日脱原発のデモが盛り上がっていたが殆どその姿は消えた。

2013年7月5日金曜日

「福島へ」




七月五日(金)十二時八分発福島行きやまびこ137号に乗って福島に向かう。
昨年亡くなった親友のお墓参りに行く。

四十四年前小さな印刷屋さんの四階、四畳半二間で始めた時からのメンバーの三人と行く。はじめは私一人、次に入社して来たのが今年で四十年、その次が三十九年、一緒に行くもうひとりは三十五年位だろうか。

小さな部屋に集まって来てくれたわたしの宝物のような人間だ。

亡き友を失ってこの一年、私は機能停止となった。
知らない事を教えてくれる友がいない。一緒に美術館巡り、一緒に映画や落語、一緒に歌舞伎やお能、一緒に旅も出来ない。一緒に天下国家を語り合い、政治を断じ、経済に注文をつける友がいない。
ほぼ毎日会い、または声を聞いていた友がいない。

スコッチウイスキーが大好物であったのでそれを持って行く。
日本酒も、珍味が大好きだったので、それも持って行く。
みんなで毎夜通った赤坂のクラブのママがいつも友が書いてくれていた季節の挨拶状も、今年は私が書いた。とても友の名文にはかなわない。

それにしても医師をして生きている方が不思議、人間の生活じゃないと言われた罪深き私のほうが友より長生きしているのは何故だろう。亡き友の墓に報告する事が山ほどある。真の滅びの美学を友に教えてもらいに行く。
一切の治療を拒否して潔く旅立った友は永遠の先生なのだ。