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2018年12月21日金曜日

「今年、最終回」

何かを得て、何かを失った。その何かを今400字のリング上で考えている。確実なのは一年という時間を使い、一年という時間を失った。そして新しき年に一歳年齢が加わり、一歳寿命が縮まる。ある本の書き出しにこんな一節があった。「誰にでも計画(プラン)はある。顔面にパンチを食らうまでは」ボクシングヘビー級最強の一人と言われた、マイク・タイソンの言葉だ。ボクシングは殴り合いの単純なスポーツと思われがちだが、ボクシングほど、科学的で理論的で、戦略性と戦術性を必要とするスポーツはない。戦う相手を研究し、自分の長所と欠点を分析して挑まないと、一発のパンチで死んでしまうからだ。もちろん他のスポーツも命がけだが、合法的に殴り殺されるのを許されるのが、ボクシングである。現代社会において使われているようで、実はあまり使われなくなった言葉がある。「生存競争」という言葉だ。進化論で有名な「チャールズ・ダーウィン」が呼んだと言われている。現代社会はこの生存競争という言葉すら忘れてしまうほど、拝金競争になってしまった。生存競争には生き残るための、知的戦略と戦術を生み出す必要性があった。しかし高度に発達したココンピューター社会、又人工知能がなんでもやってくれるこれからの社会。さらにやがて来るであろうIoT社会において、人間のやることはなくなって行く。つまり高度に退化して行くはずだ。リングの上のボクシングより、ゲーム上のボクシングを観戦する人間の方が多くなる。eスポーツなる世界だ。会社は創ったものによって滅ぼされるという格言がある。私はその格言に従いそれぞれ分離独立化を進めた。会社は互いに利用しあえばいい場所であり、分離した者同士がその仕事の個性により、くっついたり、離れたり、分け合ったり、助け合い、励まし合えばいい。会社の名が利用価値があると思えば、それをしっかり利用すればいいと思っている。個人のスキルアップを目指し生存競争に勝ち残るためだ。一人で会社をつくれば立派な社長だ。今年得た言葉で新鮮だったのが「生存競争」だ。親分が親分風を吹かし、朝から晩まで銭の話をしている組は、必ず分裂する。ヤクザ者の社会でも、この頃は任侠道でなく、“金侠道”だとなげく金筋の筋者は多くいる。人間たちによって、生存競争を奪われた、自然界の生き物たちを多く失ったことを知った一年でもあった。東京ではウグイスやヒグラシは鳴かず、日本タンポポの花を見ることもなく。ツバメやシオカラトンボや赤トンボ(アキアカネ)の飛んでいる姿を殆ど見ない。トノサマガエルの観測は取りやめとなった。現代社会での会話の多くは、夢やロマンでなく。陰口や愚痴や、不平、不満、不信である。そんな話ばかりをしていないで、一人で生きる戦略性とそれを成功させる戦術性を学ばなければならない。原始社会がそうであったように。人生とは自分と戦うリングの上での戦いである。戌年のあとは、亥年である。猛進する前に、ジャブを鋭く出さねばならない。ジャブは世界を制す。それには日頃の鍛錬の積み重ねである。一人の会社から数十万人の会社でも起きることは同じだ。会社とは不満の塊である。私は一人でも多くの人材を育てていきたい。人間を創造した(?)神とは戦略家であったらしい。意地悪でずる賢く、謀略好きで自己顕示欲が強く、とても嫉妬深い。(旧約聖書)改めて後藤新平が言ったという言葉に学ぶ。金を残してホメられた人間はいない。即ち「下」。仕事を残して「中」、人材を残してこそ「上」である。400字のリングは今回が今年の最後のゴングである。みなさん、良いお年を迎えてください。※来年は一月十五日頃にゴングを鳴らす予定である。


2018年12月19日水曜日

「ライブの夜」

昨日夜10時40分品川駅より湘南ライナーに乗車した。今年も残り10日と2日だ。当然のように超満員(と言っても座席指定)ライナー券は売り切れなのでグリーン車へ。図体のでかい若い駅員が、グリーン券を見せろという、中年男と二人掛かりである。あいよと、見せると見上げるほどでかい男、黒ぶちの度の強いメガネで見て、あっこれはずっと前に行ってと言う。そうでなくても疲れてイライラしているのに前へ行くと大行列。で、今度はホラこれだとグリーン券を見せると、あっこれはあっちのグリーンの方でというと言う。酔った男女がヘロヘロ、ベタベタ、と並んでいる。渋谷のセルリアンタワーで知人の主催するライブ会場で、スパークリングワインを一杯と半分飲んでいたので、私はほぼシラフ。だが空腹で飲んだので、少々いい気持ちにはなっていた。「北野里沙」さんという美人歌手のニューアルバム発売前夜のライブであった。会場はとてもいいムード。100人位の座席があり、いいかんじのカウンターがあった。この位の会場のライブが私は好きだ。90人以上が来ていて、ほぼ満員であった。私は不覚にも入場料を払ったつもりであったが、 CDを買ったのと勘違いして、すっかり食べて飲んでただで出てきてしまった。先払いでなく、後払いというシステムだった。そんな、こんなの失態があって久々に何かあったら、何かするかもしれない精神状態であった。主催者に迷惑をかけてしまった。コラッあっちに行ったら、又こっちにと言われたぞ、しっかりしろと言った。怒鳴った時の私の声は、かなりただごとじゃないほど、でかい。あっ、スミマセン、申し訳ありませんと謝った。車内は殆ど酔って眠っている。オッヤッター中頃に席が空いていたので、黒いマフラーを外しながら座ろうとしたら、私のマフラーが35・6歳の男の顔をかすったらしく、すこぶる気分の悪い顔をした。ジーンズに黒いロングシューズ、ダウンジャケットを着ていた。かなり酒臭い。あ、ゴメンよと言ったら、さらに気分の悪い顔をしたので、混んでんだよ何か文句あるのかと、太く低く強く言った。足を伸ばしてないで引っ込めろと言ってその男の隣に座った。品川の次は大船→藤沢→辻堂である。品川から大船までかなり不穏な空気であった。私が独り言のように、 オマエ目付きが悪いな、と声をかけたら、黙っていた。何しろイライラしていたので、大人気ないが気にいらないやつだった。せっかくアカデミックな気分だったのに。大船駅に着くと窓側に座っていた男は、小さな声ですいません降りるのでと言った。私は足元に置いていたカバンを取り上げて、足をすぼめて通りやすくしてあげた。その後、睡魔が襲ってきて一気に眠りに落ちた。目が覚めて事件を起こさなくてよかったと思った。相当にアブナイ品川→大船間であった。辻堂駅に着きひとまずトイレに入り、洗面の所で手を洗いながら、鏡に映っている自分の顔を見たらこれ以上なく目付きが悪かった。ただで入場はまずかった。人に借りを作るのが大嫌いなので、さてどうするかと思った。



2018年12月17日月曜日

「アキラと、クイーンとサバ缶」

え、まだ観てないの、何!まだ観てないの、もう3回観たぜとずっと友人から言われていた映画「ボヘミアン・ラプソディ」をついに観た。日比谷ミッドタウン、3時半の回に20分間に合わず、ミッドタウン内で時間を潰した。館内は超満員であったが、いちばん前のいちばん右の席に座れた。スクリーンまでの距離がかなりあるので、広々と見れた。もともと前にアタマがあるのが嫌いなので、いちばん前に座る。前に人がいなければ、2段目か3段目だ。12月12日茅ヶ崎市民会館大ホールで、小林旭ショーを、会社の熱狂的アキラファン2人と見て聞いて久々に、アキラ節に青春時代を思い出した。小林旭は既に80歳(?)2時間以上立ちっぱなしで一気に20数曲を歌った。会場内は、殆ど同年代であった。石原裕次郎と小林旭は、私たちの必須科目であった。映画の主題歌を誰より早くマスターするのが、三度の食事より大切であった。歌とは、なんてすばらしいのだろうか。一曲聞くたびに青春時代にかえれる。アキラは旅から旅へ歌い続けて行く。アキラもいいが「ボヘミアン・ラプソディ」は、最高であった。 クイーンのフレディ・マーキュリー役を演じた俳優は、前歯を数本引っこ抜いて(?)マーキュリーと同じような出歯になっていた。あるいわハリウッド得意の特殊テクニックで。意地悪な女性インタビュアーが、なんで出歯を直さないのと聞く。又、仲間になる時、そんな出歯でロックが歌えるかと笑う。マーキュリーは言う、出歯の分だけ口の中が広い、だから広域の声が出るんだと言う。伝説の名曲がどうして生まれたかが分かる。プロは絶対に妥協しない。曲名はみんな知っているだろう。続々と歌う姿にゾクゾクする。気がつくと足がステップしていた。曲のフレーズが全て文字で出るのが、大成功だった。貧しき者、苦しみ悩む者、ラジオが友だった頃、きのこ雲の下で失ったもの。弱者たちの叫びを曲にしていた。極めて文学的で、詩的なフレーズばかりだった。 CDでリズム感と歌う声だけ聞いていたので、最後のウィーアーザ・チャンピオンを熱叫をしている姿に、涙が流れてしまった。戦え、負けるな、俺たちはチャンピオンなんだ。45歳エイズを告白した次の日に、この世を去った。ハリウッドの撮影、編集、 音響などにドギモを抜かれた。伝説のチャリティーライブは圧巻だった。小林旭も、みなさん年の瀬にたくさんお越しいただき、ありがとうございます。昔の名前で出ている小林旭です。大拍手で始まった。こうして大借金を歌って返した。クイーン時代に稼げたものは今、マーキュリー・フェニックス・トラストとして、エイズ撲滅のために使われている。
日本のロック界よ復活せよ。演歌よ生き返れ。弱者のために。熱叫せよ。男と女の愛を歌ってくれと。サバの水煮缶をパカーンと開けて、いつものグラスに酒を入れた。缶詰は青春の味なのだ。



2018年12月14日金曜日

「無」と「フェルメール」

「世の中は 何にたとえん 水鳥の嘴ふる露に 宿る月影」ー道元禅師ー外国映画のイントロにこの日本語が、フェードインしてきた。超SF的映像世界を見せる、アート・ドキュメンタリー。色々アイデアの源泉になる。(題名不明、外国語版で正確にわからない)世の中を何かに例えるとしたら、水鳥が嘴(くちばし)を水に入れ、それをふると水滴に月影が写りすぐに消える。学のない私は、学のある人に聞いたら、こんな意味だよと教えてくれた。無学な私の先生だった博覧強記の親友が、私より年が下なのに、私より先にあの世に行ってしまった。それ以来私は日々無学の度合いが増している。何んでも聞けば即座に何でも教えてくれた。今、私に課せられた宿題は、10月13日に誕生日のプレゼントですと、会社の女性から、I-PADなるものをいただきそれを使いこなせるようになることだ。アレ調べて、コレ調べてばかり言ってると仕事のジャマをしてしまうからだ。ショートメール位使えるようにならなきゃ駄目だと叱られてもいる。スマホを使えないなんてとも言われている。ずっと長い間凄腕女史に頼り切ったからだ。人生は小さな水滴に映るお月さんみたいに儚いのに、これでもか、これでもかと新しい情報が生まれる。グッドニュースは少なく、うんざりするバッドニュースが星の数ほど氾濫する。超SF的映画の最後は、地球という大宇宙の中の小さな点みたいな存在が、恐ろしく美しく粉々になって散ってしまう。この作品を創った映像作家は、禅の道を学んだのだろう。「無」の境地をアートにした。アートといえば12月15日(土)より恵比寿の三越で「フェルメール 音楽と 指紋の謎展」が始まる。フェルメールといえば「福岡伸一教授」先日お会いした時に、驚くべき推理を話してくれた。フェルメールの絵についた指紋は誰のものか(?)、フェルメールが描く絵には楽器や楽譜が多い。果たしてフェルメールが聴いていた曲とは(?)その楽器とは(?)「宮沢りえ」さんと「小林薫」さんが絶品の音声ガイドをしてくれる。謎を解説する福岡伸一教授は京都大学出身、当然のように京都学派の代表である、西田幾多郎大先生を研究している。西田幾多郎大先生は、禅の道を追求していた。(西田哲学という)まい日、まい日、筆を取りただひたすら 「◯」マルだけを書いていたという。「無」の世界を追っていたのだろうか。無学の徒には分からない。人生でいちばん格好いい人は、スッテンテンになった人だな。広島呉の伝説の博徒「波谷守之」さん。(金庫の中には堅気の人への貸しの証文があったがそのままであった)伝説のVANを生んだファッションデザイナー「石津謙介」さんとか、新宿の伝説の愚連隊で最強といわれた「加納貢」さんだ。「無」は「伝説」になるのだ。週末は「無」になろう。



2018年12月11日火曜日

「新橋の喫茶店」

カルロス・ゴーン容疑者が、起訴され再逮捕というニュースが、昨夜帰宅すると、どの報道番組でも流れていた。最長だと法的にあと20日間勾留される。となると娑婆に出る日は、除夜の鐘がゴーンと108回鳴らされている日になるのかなと思った。否認を続けると、検事は(この事件の場合は検察トップ案件のはず) 徹底的に辛い仕打ちをする。例えば二つ、三つの容疑があれば、それを一括にせずに、一つ、二つ、三つと分けて起訴を続ける。1日でも早く出所したいと思っている容疑者は、もっともこれを恐れる。いわゆる門前逮捕みたいなものだからだ。門前逮捕とはやっと出所して我が家の門に着いた時、今度はこの事件の容疑でと逮捕される。あ〜、やっと温かい風呂に入れる、やっと妻子に会える、 暖かい布団で寝れる。寄せ鍋とかでホカホカできる。久々に刺身などの生ものが食べれる。がすベてがオジャン。かつて男と男が酒を飲む時は、金儲けの話はご法度であった。私が憧れ尊敬する先輩からキツク仕込まれた。仕事をさせてください、それは若い人間を育てるためなのでとか、経験させてやってください、それは言っていいが、ひともうけにからませてくださいとか、ひと口のっけてください、これは絶対に言うなよと。スヤイ男にされるからなと。(スヤイは安いの逆の言い方)男の世界ではいちばん屈辱的な言葉。男と男は天下国家を語らい、夢やロマン、恋愛の歴史や趣味の話、大風呂敷でも壮大なホラを言い合うものであった。 議論風発である。昨今は、金、金、金。新橋駅前ビル3階に、昭和風純喫茶がある。お医者さんが急死してしまったが、その3階にかかりつけの歯医者さんがあった。 予約をとり少し早めに着くと、その喫茶店でコーヒーを飲んだり、夏はアイス入りソーダ水を飲んだ。ミックスサンドが旨かった。今、思えば確かにそれらしき男たちが何人かいて、スポーツ新聞を読んだり、訳あり風な話し方をしていた。森功の近著「地面師」を読むと、その喫茶店が一味の集まりの場の一つであったらしい。今、3階は中国人経営のマッサージ店がひしめき合っている。2階にアロハシャツの小さな専門店があるので、時々いいのが入ったと立ち寄ることがあるが、3階には行かない。♪〜星の流れに身を占って どこをねぐらの今日の宿・・・。こんな古い歌があった。カルロス・ゴーンが今いる東京拘置所の小さな窓から、冬の夜空が見えているのかもしれない。星の流れに我が身を占っているか、自分を売った人間たちを思い出しては、出たら必ず復讐をしてやると思っているかもしれない。否、 出たらゴッソリと貯めた金を、もっと増やす金儲けを考えているかもしれない。地球とは人間を収容する監獄であって、全世界の人間に金儲けという労役を課している。それ故、108の煩悩がゴーンと生まれる。


2018年12月10日月曜日

「あおりへの極意」

あくまでも十代の頃の事である。その年夏休みを利用して三陸に行こうぜと、近海、捕鯨で有名な鮎川港を目指し、友人3人と私の4人でクルマで向かった。当方は小型車であった。当時はトラック野郎大ブームで、ネオン街みたいなトラックが流行っていた。トラック野郎たちは無線で連絡をしながら、こいつと思った車をあおり運転でイジメていた。水戸街道は、トラック野郎のやりたい放題であった。バカな奴等がいてあろうことか私たちのクルマをあおってきた。又、横並びのようになり、畑の中に落とそうとしてきた。私は後部座席から顔を出して、停まれ、停まれと合図した。相手はチトヤバイと思ったのか、仲間に連絡して隊列を増やした。信号で停車したので、小さな道具を持って私はトラックの運転席横の階段みたいのに乗って、道具でバーンと運転席のガラスを叩いた。乗っていた二人の兄ちゃんは、ビックリして、 私が出て来いと怒鳴っても出てこない。信号が変わりトラックは動き出した。私は階段部分に乗ったままであった。何キロか走ったところにドライブインがあり、そこに停めさせた。30代と40代のゴッツイ男たちだったが、道具を持って怒鳴っている私にブルってしまって、スイマセン、スイマセンと頭を下げて絶対にトラックから出てこない。車から出てしまうと、相手になるぞということになり、免許を停止されたりする。10数台になっていた仲間のトラック野郎たちも決して出てこない。トラックに乗ると人格が変わるというか、すべてのクルマを見下ろすので、天下を取った気持ちになると聞いたことがある。気が大きくなり、我が物顔になるのだ。運転席のガラスは少し割れていた。私の友人が水を持ってきたので、それをバシャバシャぶっかけていたら、パトカーが2台来た。事情を説明したら、器物破損だが相手が謝っているので、カンベンしてあげろと言った。当時水戸街道で男女二人乗りのクルマがあおりと横並びされて、畑に落とされるというのが問題になっていた。パトカーの二人はよくやってくれました、そんな顔で、おとがめは何も無しであった。水浸しになった男二人は、ちぢみ上がっていた。 記念写真だと言って、私の友人がカメラで写真を撮った。トラック野郎二人は、ハイチーズの掛け声にも、全く応えず、ブルっていた。 私は白いスラックスにアロハを着ていた。でもフツーの人はすぐ100番を。むかしと違って今はアブナイ人間が多いから。

鮎川港

2018年12月7日金曜日

気分は「乱、乱、乱・・・。」

東海道線車内には、なんと冷房が入っていた。狂っているのだ。地球全体が。何か嫌な感じがする。この一年アメリカのトランプのツイッターに世界中が大混乱をした。米・中・露 、トルコ、イギリス、ノルウェー、イラン、イスラエル、サウジアラビア、アフガン、ブラジル、メキシコ、フランス、カナダ、ドイツなど、もう「瀬戸てんや・わんや」状態だ。何しろ政治経験ゼロ、不動産業やカジノ業を経営していた人間だから。日本国をといえば、存在感ゼロで発言力もなし。ウロウロ状態。盲従状態、アメリカの命令に全面的に“へいわかりやした、親分”である。ステルス戦闘機100機1兆円近くお買い上げ、軍需産業大満足。入管法などを即成立、竹中平蔵たち人入れ稼業(人材派遣)は大満足。今、メッタヤタラに人材募集のCMが洪水のように流れる。これも竹中一派が大繁盛。“口舌の徒”と言われる(人のことは言えないが)学者が、日本国をソックリ米国化する。竹中平蔵に誰も議論で勝てない。新撰組というテロリスト集団が、ブッタ斬った「清河八郎」みたいな存在だ。悪魔のような売国政商とも言える。郵便貯金は本来財政投融資に使っていたのに、民営化により使途不明金みたいに、アチコチに使い放題。時代劇なら、天誅だろう。小泉純一郎、福田康夫、森喜朗、安倍晋三、ちょっとの間、へらず口の麻生太郎と、悪夢のような菅直人、鳩山由紀夫、野田佳彦が、5年ほど、総理大臣になったが(順不同)清和会(旧福田派現細田派、実質安倍派)が10数年支配してきた。 そして現在も支配中。日本国の代表たちは、その能力に限界があるので、大実力者となっている。菅義偉官房長官に、オンブにダッコみたいと、なっている。つい先日友人と虎ノ門のおそば屋さん「砂場」で、お昼過ぎ席待ちをしていたら、大実力者が急いで入ってきて、靴を脱ぎ自分でちゃんと靴入れの棚に入れて、2階に駆け上がった。友人と靴が疲れているのに目をやった。一人でみんなやってんだから靴も疲れてんだねと言った。その大実力者が次の総理大臣に、私の一票を投じる選挙区の河野太郎を推すのではと言われている。 色めき立っている知人の茅ヶ崎市議や、神奈川県議たちが多くいるのだが、もしそうなったら更に救いがたき国政となる。アメリカのパシリになるだろう。言うことがコロコロ変わる口舌の徒だ。現在自然界の乱、世界は政治・経済の乱、人間界は人心の乱。気分は全然ランランではないのに、乱、乱、乱で、来年は値上げと増税の大乱となる。 「亥」年だから猪突猛進のように一直線で乱は加速する。故西村寿行のベストセラー「滅びの笛」のように、人間という生き物が、集団自決化するやもしれない。(滅びの笛ではネズミだが)♪〜あ〜やんなっちゃった あ〜おどろいた。故牧伸二さんのウクレレが聞こえてくる。牧伸二さんの最後も、滅びの笛ならぬ滅びのウクレレだった、国家百年の先を見て、目を覚まそう日本人。相当にヤバイ、株価はドーンと落ちはじめるだろう。アイデアは出すためにある。苦境は乗り切るためにある。思案は重ねるためにある。将棋の竜王戦で使用する駒に、年金だけでは食べてはいけない、家族のために生き抜かねばならぬと、駒作りを50代から始め、精進した人のが、羽生善治竜王によって選ばれた。全国から選ばれた名人、達人の作った多くの駒を、羽生竜王が一つ、一つ、感触を確かめながら、これがと選んだ。「遅咲きの駒師」遠藤正己さん(66)の駒であった。これ以上ない名誉である。血の出るような努力を重ねた者が生き抜くことが出来る。遠藤さんは59歳で天職に巡り合えたと言う。故阪田三吉の名言に“銀が泣いている”というのがあるが、羽生竜王が手にした遠藤さんの駒は笑っていた。私は今、歴史小説作家でいちばん認めている、故「綱淵謙錠」の704ページ、二段組の大長編に挑戦している。読破まで、きっと1年以上はかかる。本の題名は「乱」である。
(文中敬称略)


将棋竜王戦第3局に使われている遠藤さんの駒
(2018年11月2日朝日新聞より)



2018年12月6日木曜日

「うしろ姿は他人」

♪〜帰っちゃいやと 言えないわたし 今夜も来るとは 言わないあなた なんでもないよな顔をして 足音だけが遠ざかる ああ、ああ〜 うしろ姿は他人でも 夕べのあなたは あたしの あたしの あたしのもの・・・。この歌知ってますか、「矢吹健」という歌手が歌った「うしろ姿」です。道を外した男と女。夜の女とヤクザな男。尽くす女と、しゃぶり尽くす軟派な男。不倫をする男、あるいはしゃぶり尽くす悪女 何かの本の中の一説に好きな言葉があった。「許してください。今日だけはわたしは悪い女になっています。」そして男と女は道行きに向かう。昨日夜、忘年会のご接待をする店を訪ねて、打ち合わせをするために、夜の銀座を歩いていた。(食べ物屋さんです)今年も残りわずか、銀座の女性たちが一生懸命営業をしていた。Xmasのパーティ週間のためにお客を呼ばねばならない。大変だながんばれよと思いながら、つい矢吹健の歌を口ずさんでいた。矢吹健の「あなたのブルース」もいい。生死は不明だ。演歌やブルースが消えてしまったのはとてもかなしい。派手派手の服、ギンギラギンの宝飾、又は、見栄をバンバン張った和服。きっと今夜も、うしろ姿は他人でものような夜を、何人もこなすのだろう。私は女性には絶対に勝てないと分かっているので、夜の世界はずっと昔に卒業した。オバちゃんバラを五本ちょうだいと言って、花屋さんで赤いバラを買った。夜の銀座はブルースなのだ。ちなみに、夜の女性たちは12月が好きではない。何故なら、お店はXmasのパーティ週間で同伴のノルマが課せられる。自分の好きな男は、妻子らの待つ家に帰ってしまう。♪〜うしろ姿は他人でも夕べのあなたはあたしのものなのだ。



2018年12月5日水曜日

「『葉もれ日』グランドオープン」

浅草橋3-4-4に「葉れ日」 COFFEE&WOODというお店が12月3日に開店した。 お近くに行った人は是非立ち寄ってください。4年近く私たちと共に仕事をしていた、アートディレクターの山口斗夢という男が、店の主である。あるいは仲間と共同経営かもしれない。昨日開店(グランドオープン)の知らせをもらった。男の決断をスパッとして、日本に脈々と続く職人文化の灯を守る事業を始めた。人間にはいろんな才能がある。一つ事に固執するもよしだが、若いうちは他の分野に色々挑戦するのも、人生の道だ。芥川賞作家花村萬月さんは30数種の職業を転々としたらしい。山口斗夢の「斗」は北斗七星から、夢は正に北斗の夢である。東北地方の出身、夜空北斗七星を見ながら成長したのだろう。温厚にして篤実、長身帽子のよく似合うダンディな男だ。「葉れ日」には木を使ったさまざまな職人が出入りするらしい。これから東京オリンピックや、Wラグビー、また大阪万博も決まった。外人客が4000万人近くになるという。外人さんは職人たちが作った、日本独特の細工物が大好きだ。焦らずにじっくりと取り組んでいけばきっと思いもよらぬ大成功をするだろう。 斗夢ちゃん、妻子を大事にがんばってな、気持ちだけ花を贈った。近々行ってみようと思っている。日本は世界一の森林大国、もっともっと木を大切にし、木のアートや職人芸を見せてほしい。水上勉の名作、越前竹人形の職人芸を見た時は、感動した。手足の指はひんまがっていた。いろんな飾り職人、木工職人、大工さん、庭職人、石細工など、名人、達人に比べると、私の仕事などは未だ甘い。文句を言うより努力を重ねて行けば、きっとビッグチャンスが来る。アイデアは続々と出ているのだが、残念ながら資金がない。チャレンジした「葉れ日」の成功を心から祈っている。“斗夢ちゃん近々行くからな、木の香りを楽しみながら、珈琲をよろしくな。” 東北人は粘り強いからきっと負けない。



2018年12月4日火曜日

「ミニ盆栽と病気」

あくまで十代の頃の話です。ちょっとした喧嘩をして、二日間留置場に入った。喧嘩は両成敗なので相手も入った。もちろん別の監房に。その時、十代のフツーの男が私と一緒に入っていた。聞けば19歳であった。縁日の植木盆栽展で、松の木のミニ盆栽を窃盗した。刑務官がコイツは本当に手クセが悪く、窃盗ばかりしてはパクられて来るんだ、 ほとんど病気だなと言った。そして私は三日目にはもう喧嘩すんじゃないぞと叱られて、パイ(釈放)になった。警察では少々の喧嘩は事件にはならない。つまり得点にはならないからだ。傷害になると重い。盆栽を窃盗した男は、お金は持っているのに、ついそこに物があると手を出してしまうんだと言った。(お金持ちの息子だった。)数年前拙書で物を何度も窃盗するのは、病気だと書いた。気がつくと盗んでいるのだ。昨日元日本代表のマラソンランナーの女性が万引きばかりを重ねていたのを「窃盗症」という病気であると診断された。私の長い間の持論が証明された。治療すれば治るのだ。ということは全国の刑務所や少年院に、窃盗症でありながら懲役刑になっている者が数多くいるということになる。1日も早く治療してあげてほしいと願う。同じ犯罪を繰り返すと刑は重くなるからだ。ミニ盆栽を窃盗した十代の少年は、初等少年院(印幡沼)に行ったと、次に喧嘩して入った時に聞いた。子どもの前に無造作にお金を置いたりしないでください。つい手を出す病気の始まりとなりますから。おサイフも気をつけて。何!サイフの中には金がない、ならばサイフだけでも盗んでしまいます。 どんな病気もはじめはチョットなのです。そっと気をつけてください。鎌倉文士の代表であった作家の奥方も、窃盗症であり、年中大先生は、もらい下げに行ったと言う。話が変わるが、昨日21時30分東京発湘南ライナーに、過日書いた「おやつはカール」を食べていた女性が乗っていた。昨夜は実にシンプルな黒を基調としたファッションであった。斜め前に座っていて、何も食べず、靴を脱がず、かなり美人に見えた。女性とは不思議なもので、ちょっとしたことで別人のようになる。ユニクロからマックスマーラになったが如きであった。書類にじっと目を通していた。
ある賢人曰く、 美人はつまらん、いつ見ても同じだ。だがそうでないのは、愛しいものだ。 ある日は色香あり、又ある日は少女の如くあり、又ある日は悪女の如くであり、見飽きぬものなり。

イメージです

2018年12月3日月曜日

「晩秋の夜と蟹」

一年の終わりに一度、ぜいたくをする。上海蟹ではないが、形はほぼ近い。四万十川産とか、福井産の蟹をのせたパエリアを食すことだ。知人の経営する店である。先週末友人たちと楽しんだ。一人前3000円くらいだと思う。びっしりと卵が詰まっていた。そして高尚な話になった。神や仏はいるのか。数人の男が真剣になった。イナイ、イナイ、神なんぞはイナイ。仏もいない。いると思って“信じる存在である”と一人が言った。ミジンコもデンデン虫も、 ライオンも象も、カバもサイも、クジラもイルカも、トドにアザラシも、そして人間もナメクジと同じ、すべて奇跡的偶然が、いくつもいくつも重なり合って、出来た、生き物に過ぎないという結論になった。織田信長が一人の家来に、神はいるかと問うと「おそらくいますまい、もしいたとしても、人間のことなど、ことさら興味も持たぬかと思われます。」「何故じゃ」と信長が言えば、人間といえどもしょせんは流転する万物のひとつ。その一点においては、牛馬や蟻と変わりませぬ。あまたを照らす彼らも、それほど暇ではありますまい。人は死ねば、天にも地獄にも行かず。ただ灰燼に帰すだけです。莫大な財産を持った人間が、莫大な借金を背負った人間より長く生きる保証はない。とてつもない医学の進歩があったとしても、人間はいずれ死んですぐに忘れられる。いま世界では、食べ物が足りなくて死ぬ人の数より、食べ過ぎて死ぬ人の数の方が、史上初めて上回っている。魚は自分たちが増え過ぎた時、自分たちを守るために、海辺に打ち上げられる。きっと自分たちで間引くのだ。クジラが大量に打ち上げられたニュースを先日見た。自分たちがずっと生きて行くために、きっと集団自決したのだろうか(?)。人類が危ないのは、間引きの変わりに戦争という狂気を起こすことだ。と、こんな話をしたのである。世界は今、極めて危険な状態となっている。日本人の4分の1が、まだ働けるのに、働かない、あるいは病気で働けない。あるいは日々暇をもてあましている。自然の摂理でいえば、間引きが起きる。それが何かは分からない。新黒死病、新ペスト、新型のウイルスの発生とか。しかしある本には、シリコンバレーでは1500歳まで生きることを研究しているらしい。上海蟹風パエリアは絶品であった。おこげの部分は、この上なしであった。敬愛する旧友にワインを一本置いて帰った。ラベルには、「晩秋なり」と書いた。木枯らし一号の吹かない冬に向かっている。


2018年11月30日金曜日

映画「かぞくいろーRAILWAYS わたしたちの出発」

“命取り”という言葉がある。文字通りそのことに手を出したら、命を取られるものだ。その筆頭に映画製作がある。世にはいろんなバクチがあるが、映画ほど勝つ確率の低いものはない。が、映画制作ほどロマンに満ちたものはない。阿部秀司さんというロマンチストがいる。大ヒット映画「ALWAYS 三丁目の夕日」 を手掛けた人といえば、映画ファンならずとも知っているだろう。かつて大手広告代理店でクリエイティブディレクターとしてその代理店の中でも、抜きん出た活躍をしていたクリエイターだった。そこに出入りしていた私は、当時アドベンと言われ、大手のクライアントの仕事をしていたのに、退社することを知った。思い切った行動であった。その後世界的に有名になる「ROBOT」という会社を立ち上げた。アカデミー賞を受賞した短編アニメの制作者を始め、現在活躍している、多くの人材を育てた。又、次々とヒット作を世に出した。アドベンは凄いな、本当に映画界のドンみたいになり、遠い存在となって行った。その阿部秀司さんが昨日東京新聞の朝刊、文化娯楽面にドンがドーンと出ていた。新作映画「かぞくいろー RAILWAYS わたしたちの出発」が今日30日から公開される記事であった。確か慶應大学出身で、ずっと鉄道マニアだった。映画の題名にRAILWAYSが多いのは、鉄道へのロマンと映画へのロマンが大きいからだろう。RAILWAYSシリーズは今回が3作目、第一作が2010年、島根県の「一畑(いちばた)鉄道」を舞台にしたものであった。主演は中井貴一さん。第二作目は、 2011年、富山県の「富山地方鉄道」が舞台、主演は三浦友和さん。そして第三作目は、 鹿児島県薩摩川内(せんだい)市と 熊本県八千代市を結ぶ、「肥薩おれんじ鉄道」が舞台だ。主演は有村架純さん、共演青木崇高さんに國村隼さん、若手の歸山竜成(きやまりゅうせい)さんだ。記事には阿部秀司さんのインタビュー写真も大きく出てきた。69歳になっていたのを知った。エグゼクティブプロデューサー。いい顔になっていた。ローカル線を通して人間のドラマを描き、地域発の映画を全国展開する。地方の活性にもなればと語る。すでに次回作にも意欲を持っていると書いてあった。私はこういうロマンチストを心から尊敬する。心から拍手をおくる。 国際的プロデューサーとして世界中の映画人からもリスペクトされている。アドベン、失礼阿部秀司さんは、もう雲の上の存在になってしまったが、遠くから応援をする。一人でも多くの方々にぜひ映画館で観ていただきたい。家族とは、親と子とは、兄弟とは、夫婦とは、人生とは何か。自分は今どの運命線の上にいるかをきっと感じるだろう。有言実行の男の美学に乾杯だ。本当に凄い男だ。あらゆる困難と闘って来たのを知っている。私にいろんな仕事の機会をくれた。広告代理店時代阿部秀司さんのボスだった友人も、きっと又“やったね”の言葉をおくるだろう。命取りに挑み、金もうけを考えない男の顔は、清々しいものだと改めて思った。


2018年11月29日木曜日

「それにつけても・・・」

東海道線乗車史上、最高の臭いに出会った。昨夜東京駅発22時湘南ライナーでのことだ。47、8才のやり手風の女性が窓際の隣にいた、私の横に座った。すぐに靴を脱いだ。踵に2枚のバンドエイド。靴は黒にヒョウ柄の入ったパンプス。 ストッキングはベージュ。美人とは残念ながら言えない。昨日かなり暖かかったので、マフラーをバッグの中に入れていた。上下のスーツはかなり高級品だと思った。(ブランドは不明。) 市松模様の濃い茶色の大きめの革のバッグから、やおら出したのが「 Newsweek 英語版」と「それでなくてもおやつはカール」だった。袋を引き裂いて開いた瞬間、プーンと独特の油の臭い。英文雑誌を読みながら、カールをプシュプシュかじり、バクバク口に投入する。回りにイカの燻製リングとか、棒状の丸いサラミとか、空圧されたパック入り煮玉子を食べていた男がいたが、全然カールの敵でない。とにかくとんでもなく臭いがキツイ。私はじっと耐えに、耐えて、月刊誌に目を通していたが、活字がしっかり目に入らない。女性は川崎駅を出ると、エナジードリンク「レッドブル」をグイグイと飲んだ。エナジードリンクの王者「リポビタンD」 の売り上げが全盛期の半分に減ったと読んでいた月刊誌に書いてあった。



2018年11月28日水曜日

「バーゲン・セール」

「和田弘とマヒナスターズ」この名は、古い歌謡曲ファンなら知らない人はいないだろう。私たちは今「マヒ」なスターズになっていないだろうか。おぞましい出来事が、ギラ星のごとく起きても、すっかり「マヒ」してしまって、何もかも、あっそう、みたいにスルーしてしまう。宮崎県で一家5人殺し。しこたま酒を飲んでフライトするパイロット。カルロス・ゴーン逮捕もすでにあっそうのニュース。貴乃花夫婦離婚。国会での強行採決、マイクを握って離さない委員長、飛びかかる野党、みんなテレビカメラを意識している。入管法会期内成立へ。アメリカの命令でF35戦闘機100機追加取得1兆円以上、水道水を民間へ(フランスの企業)ロシアとウクライナが戦争前夜。学校教師による生徒の盗撮続く。 父長嶋茂雄が長期入院中なのに、息子一茂はテレビでバカを売りに出まくる。アメリカの命令でカジノをつくれと言われ、大阪万博誘致成功。で、集積場“夢洲”は、カジノ場に。カルロス・ゴーンの公私混同をキャッチしたアメリカは、親中のゴーンが、中国広州で開催される一大ショーで、ゴーンが大風呂敷を広げる直前に、あのヤローを捕まえろと命令(?)したと、やっとマスコミが書き出した。真偽は定かではないが、当たらずとも遠からず。親中はみんなアメリカから除外される。とはいえ、カルロス・ゴーンは許せない。孫が親をバラバラに。21年前バブルがはじけて、山一證券や北海道拓殖銀行などが次々と倒産、現在地方銀行はほとんど赤字。やがて将棋倒しのようになって行く。
消費税アップに対する訳のわからない軽減税対策。これらが起きているのだが、私は「マヒ」なスターズ状態である。国民全体も「マヒ」している。戦後は終わってない。この国はずっとアメリカの占領下にある。そしてGHQの占領政策の第一として、この国の人間を「マヒ」させることに成功して行く。昨夜あるところで、ある高名な元政治家のセミナーに出席した。この国を滅ぼすのは「竹中平蔵」という学者と、その子分大田弘子たちだとおっしゃった。和田弘とマヒナスターズのヒット曲に ♪〜さよならと さよならと 街の灯が消えて行く・・・。というのがある。国の灯りが消えないことを願う。「マヒ」は禁物だ。一生懸命に働かなければ、小社は木の葉のように飛んでいってしまう。人間は怒りという感情がなくなった時、終わりジ・エンドとなる。 それにしても、人間という生き物は、誰が、何のために創ったのであろうか。歴史は繰り返される。 日本は売り飛ばされる。
(文中敬称略)



2018年11月27日火曜日

「沖縄の渡邊修一から、菜の花ちゃん」

うれしい話というのは、いかに突然であってもうれしい。沖縄で四つの部屋と屋上ジャグジーのホテル「フォールーム」を経営している友人から、突然、沖縄テレビのディレクターから、 友人である渡邊修一に今春沖縄で放送したドキュメンタリー番組が、第38回「地方の時代」映像祭2018グランプリを受賞したと電話をもらった。渡邊修一は予算いっぱいの NHKスペシャル 「沖縄と核」など全国各地の番組に比べて、ローカル局の低予算番組(47分)が、まさかグランプリなんて夢にも思っていなかったようだ。「菜の花の沖縄日記」というのを渡邊修一が、構成とナレーション台本を担当した。彼はかつて伊集院静氏が勤務していたことのある、広告代理店に勤務していて、コピーライターや、 CMプランナー、テレビ番組の企画や構成、台本など幅広い分野で活躍していた。離島大好きでいつか自分の思い通りのホテルを経営したいと、コツコツ資金を貯めついに夢を実現した。これ以上いい奴はいないのではと思うほど、無欲でロマンチストで呑兵衛で、愛犬家である。私が沖縄に行くと最高の笑顔で飛行場に迎えに来てくれる。さて、グランプリ作品が先週末に送られて来た。一枚のダビングされたDVDと、 手紙と番組のストーリー、それと現在FNSドキュメンタリー大賞にノミネートされているという知らせであった。「菜の花の沖縄日記」は、心の距離を縮めたい、という石川県能登から沖縄に来た15歳の少女「坂本菜の花」という名の女の子が、珊瑚舎スコーレというフリースクールに入学する。(学校に行きたくない嫌なことが、前の学校であったのだ)フリースクールには、お年寄りが通う夜間中学が併設されている。そこでの体験を新聞のコラムに3年間書き続けていた。沖縄テレビの「平良いずみ」さんがそのコラムをずっと追い続け番組化した。渡邊修一はホテル経営を奥さんと二人でしながら、番組制作に何本も携わって来た。沖縄の言葉・ウチナーグチには「悲しい」という言葉はないという。悲しいに近い言葉は、「ちむぐりさ」と言うらしい。人の痛みを自分のものとして胸を痛め、一緒に悲しむ・・・。菜の花さんは老人たちと学び、遊ぶ。そしていつしか大きな笑顔ばかりとなる。なんともかわいい顔と笑い声が、画面から溢れ出る。沖縄出身の「津嘉山正種」さんのナレーションが実に良かった。12月1日13:30〜17:30関西大学東京センター/千代田区丸の内1-7-12 サピアタワー9階で上映される。参加費無料、申し込みは03-3211-1690、メール/ku-tokyo@m1.kanda.jp 心を洗いたいと思っている人は、ぜひ観てください。夜間中学で勉強する老人たちの姿に、久々いつものグラスで乾杯をした。とっておきの、いただき物のウイスキーの封を切った。ナベちゃん突然行くからな御祝に。 それと、夜間中学に入学して勉強がしたいから。


2018年11月22日木曜日

「こんな夜更けにバナナかよ」

本日22日はお墓参りの日、陽が落ちるのがはやく、4時半を過ぎると、つるべ落としに暗くなる。調布紅葉丘にある多磨霊園に着いたのが、4時近くであった。いつも花とお線香を買う墓石店が、開いていてよかった。紅葉丘は本当にきれいな紅葉になっていた。お墓に行くと心が静かになる。雑草をむしり取りながら、日々の反省をして、なんとかお許しをと願う。前田晢監督を紹介されて、12月28日(金)松竹映画から公開される映画「こんな夜更けにバナナかよ」のチケットをいただいた。筋ジストロフィーを患いながらも、全力で明るく生きた鹿野靖明さんの43年の人生物語り。ぜひ観ていただきたい。体は不自由、心は自由!お墓参りを済ませお線香の煙を後にしながら、やっぱり五体満足のくせに、親不孝をしている我が身を反省した。


2018年11月21日水曜日

「ゴーンと丸源」

12月31日の夜でもないのに、除夜の鐘がゴーンと鳴った。日産、三菱、ルノーの最高責任者カルロス・ゴーン逮捕。その日の夕刊紙に牛丼2社の生涯賃金比較表が出ていた。A社は入社して定年まで勤めて約2億3千万円、B社は約2億5千万円、35年〜40年勤めて手にするする賃金だ。カルロス・ゴーンの賃金は、5年間で約100億だから、一万円札を一枚二枚と番町皿屋敷風に数えると、どんだけ〜と女装男子のIKKOのフレーズが出る。ふと20年前位に見た報道番組を思い出した。MCのインタビューに応えていたのは、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった。IT業界のリーダーだった。そんなにお金を稼いでどうするの(?)みたいな素朴な質問に、あのねえ、人間は200億円手にするとどう思うか分かりますか(?)と聞き返した。う〜む、そんな金額想像もつかないからなと腕を組んだ。答えは簡単ですよと言った。200億円を手にした人間は300億円、400億円を欲しくなるんですよ。へえ〜そうですか、みたいなやりとりだった。そのIT業界のパイオニア的リーダー(ホリエモンではありません、ずっと先輩)事業拡大に失敗して、この世から消えた。昨日夕刊各紙を見ていると、銀座の不動産王といわれ丸源ビルを60ケ所位持っていた。86才になるオーナーに、実刑判決が下った。確定すれば入所となる。カルロス・ゴーンみたいなことをやったのだ。罰金も2億円以上くっついていた。夜の銀座には今も丸源のマークがたくさんある。資産1800億円ともいう、裁判マニア(?)川本源一郎という86才のオジイサンが入所か、むかし見た東映のヤクザ映画に、嵐寛寿郎という老優が鬼源とかいう伝説のヤクザ役で刑務所にいたシーンを思い出した。主演は確か高倉健だった。カルロス・ゴーンは特別扱いの取り調べだろうが、入っている部屋は狭く、枕は堅く、布団は重い。朝は正座して点呼となる。日仏間のOKサインなしには、決して逮捕はなかったであろう。国際的パワーゲームの中では、カルロス・ゴーンもただの民間経営者の一人にすぎない。(文中敬称略)



2018年11月19日月曜日

「れんこんとギンナン」

昨日昼晴天、江ノ島海岸側にある、モスカフェでチーズバーガーを食べ、コーヒーを飲む。遠くの海岸線に釣船のシルエットが並んでいた。今年こそ海釣りにと思ったが、できなかった。床屋さんに行って、頭をサッパリ、昨日もグーグーと眠ってしまったようだ。女性は美容院に行くと、大いにストレス解消になるそうだが、男も同じ床屋さんは何よりの所だ。新しく飾られていた写真がとても良かった。老婆が大山参りをしている後姿だが、これから登る階段の先に入り込んでいる光がいい。それと老婆のリュックサックに入っている光がなんとも秀逸だった。床屋さんに来る写真愛好家が、よく飾り変えている。アマゾンで買ってもらった、医学博士、西村正著の「明治維新に殺された男」を読む。人斬り半次郎といわれた、桐野利秋から見た西郷隆盛と明治維新である。医学博士の目線から、西郷隆盛がどんな健康状態で、どんな精神状態かを分析しているのが新しかった。230ページ位だったので好きな競馬中継を見る(決して買わない)までに、ほぼ読み終えた。G1レースはイギリスのダービージョッキーが騎乗した馬が勝った。このところ外人騎手ばかりがG1に勝つ。そして大相撲中継へ。横綱三人が休場、大関もパッとせず、応援している御嶽海は、勝った。服部桜は今場所も全敗中、今年中は無理かなと思う、序二段の足立が一勝している。茅ヶ崎出身はこの二人だけ。6時過ぎ愚妻と近所の小学校に茅ヶ崎市長選挙と、市議補選の投票へ。茨城の名産である、これ以上ないという見事な「れんこん」を茨城の知人から頂いていた。芸術的れんこんは、明日へと大事に保管した。それにしても見事だ。ご近所の方から、ギンナンを頂いた。立派な柿も、熊谷守一画伯ならどんな絵を書くだろうと思った。画題としては申し分ない。過日買ってもらっていた。垣根涼介著、「信長の原理」を読み始めた。こちらは586ページであるから、1日58ページ位を目標にしている。昨夜は夫婦二人きり、「たらちり」と「のどぐろ」の干物、浅利の佃煮で充分、腹が少々渋っている。6時〜6時45分BSで「西郷どん」を見る。瑛太という役者は実にいい。鶴瓶の岩倉具視は、怪演である。私は西郷隆盛は権謀術数にその限りを尽くした。政治家だと思っている。革命家から革命をとったら、何も残らない。もし許されるなら、生涯でいちばん会いたかった人物である。維新後、大別荘(3万坪)を構えた大久保は暗殺される。今のホテルニューオータニ付近である。あまりの憎しみか、首に刺さった刀は突き抜けていたという。ズタズタになった。9時からレンタルしていた映画を3本見た。「ミッドナイトバス」新潟日報150周年記念157分と長い。新潟←→池袋を往復する長距離バスの運転手の人生だった。小西真奈美がよかった。静々と物語は進み、静々と新潟の名所を写しつつ、一人の男を追った。次に「NEON・DEMON(ネオンデーモン)」を見た。アメリカのファッション界のストーリーだが、極めてスタイリッシュで、シュールであった。スパンコールを使ったタイトルデザインがgoodであった。もう一本斎藤工が初演出した、70分程の映画「blank13」リリー・フランキー主演。残念ながらテーマが古く、斬新な切り口がなかった。寂しいお通夜の話は、何度もつくられて来た。次作に期待する。現在午前3時49分11秒なり。晩秋というには情緒がない。



2018年11月15日木曜日

「岩波文庫と食事」

バーバリーのコート、黒のスラックス、短髪に黒縁のメガネ、手には岩波文庫。東京発→熱海行に同席した27・28才の女性は、絵に描いたような文学少女風で今どき珍しいと思った。みんなスマホばかりだからだ。列車が新橋、品川、川崎となった時、文学少女が抱きかかえたトートバッグの中から、 まず黒々とした大きなおにぎりを出した。次におーいお茶のペットボトルを出した。読んでいた本はバックの中にしまっていた。ここまではとても文学少女的(?)であったのだが、次に出したのはガビーンと魚肉ソーセージであった。これが結構臭いがキツイ。魚肉ソーセージのアタマの部分は金具でしっかり止まっている。女性はそれを歯でかじり切った。そして包んであるビニール部分も歯でツーと下まで取り除いた。プーンと臭って、魚肉ソーセージのピンク色の肉体があらわに現れた。ガブッというよりも、チョボチョボと食べて、おにぎりも食べた。おーいお茶を飲んだ。ずっと下を向いたままだった。横顔が岸本加世子にそっくりだった。その食事は藤沢駅まで続いた。午後8時過ぎ、車内放送で、線路の安全点検をしますので、しばらくお待ちください、誠に申し訳ありません、と何度も何度も言った。結局25分程度列車は停止した。魚肉ソーセージは臭気を出しながら、女性の紙袋の中に、完食のあとかたが消えた。少年の頃、魚肉ソーセージは最高のゴチソウだった。丸く切って油で炒めると、少しばかりそり返る。ご飯にバターをのせ、そり返ったソーセージを加えて醤油をかけると、もう絶品であった。大洋漁業のマルハの ソーセージが一等賞だった。



2018年11月14日水曜日

「カラダは正直」

先週金曜夜、長い間手掛けていた仕事の「打ち上げ」みたいな会があった。 招待客は六人、 記念品、お土産、帰りの車の手配、店との細かい打ち合わせ、ワイン好き、日本酒好き、ウイスキー好き、相手の好みを調べておく、画龍点睛を欠くというから、初めから終わりまでしっかりしてなければならない。事前に女子スタッフに頼んで協力してもらって、いろいろ運びこんでいた。徹底的にやるのが私の流儀なのだが、先々週タクシーに乗っていて、事故にあった。大したことじゃないが、顔と足の甲を傷つけた。少年が自転車でいきなり無点灯で飛び込んできた。タクシーの運転手さんにミスはない。が、足の甲の部分の損傷が思いの外深く、特に足を曲げる時にそこを使うので、やたらに痛い。タクシー会社には黙っていた。で、ずっと片足を靴から出している。まるで痛風の人のようになって歩いていた。大事な会は楽しく、終わってみんな満足してくれた。(?)が、やはり若くはない、体は正直であった。で、次の日に平塚の鍼灸の達人に来てもらった。あ〜これぞ天国だ。鍼千本でも、一万本でもブスブス刺してよと思った。それからど、ど、どっと疲れが出て華厳の滝に落ちたみたいに、ふとんの中に撃沈した。気がつくと13日(火)となっていた。この日はある映画監督と、一人の画家を埼玉県飯能のアトリエで撮影する日だ。しかし起きようにも、起き上がれない。体に力が入らない。ヤバイ、ヤバイ、と思うが動かない。プロとしていちばんやってはいけない、過ちを犯してしまった。"生きてたの 死んだのかと思ったわよ。ずーっと眠りっ放しよ”その声が頭にかぶさって来た。結局カメラマンに今日はすまない、もう間に合わないのでヨロシクとなり、監督にも謝った。人間記憶を失うというほど、不気味なことはない。長い文章を書いたなと断片的には思い出すのだが、まるで夢の中のようである。大反省している。ということで400字のリングは休筆していた。

2018年11月9日金曜日

「いい週だった」

今週ステキな出会いがあった。そうして嬉しい電話。ステキな出会いその一人は、映画監督の「前田晢」さんを、お世話になっている、会社のオーナーに紹介されたことだ。二人でわざわざ私の仕事場に来てくれた。前田晢さんは、「ブタのいた教室」とか「極道めし」「王様とボク」をはじめすばらしい作品を作っている。12月28日松竹から封切られる正月映画「こんな夜更けにバナナかよ」を作った。 私を訪ねてきてくれたのは、ある画家のドキュメンタリー映画のポスターを作らせてくれるためだ。会社のオーナーに一度ぜひ会ってみてよ、すごくいい人だからと聞いていた。長回しで有名な故相米順二監督や滝田洋二郎監督や崔洋一監督たち巨匠に鍛えられた人だ。東北芸大で准教授もしてると言った。
映画少年がそのまま目の前にいるという感じであった。当然話は映画で盛り上がった。ある画家については、ポスターができてからご紹介する。ものすごく明るい人で、ものすごく悲しい人だ。映画の題名は「ぼくの好きな先生」故忌野清志郎のヒット曲だ。先生の描く絵には、必ずRUNNERの文字が入る。それが悲しいのだ。来週13日撮影する。ステキな出会い、もう一人は、ブラジル・リオオリンピックで有名になった、ユニークな流面形の公式卓球台をデザインした、プロダクトデザイナー「澄川伸一」さんだ。やはりお世話になっている会社のオーナーから依頼された仕事の打ち合わせで会った。澄川伸一先生の自宅兼アトリエは東小金井駅の近くであった。千葉工業大学を出てソニーに入社、いきなりウォークマンをデザインした伝説の人だ。駅まで迎えに来てくれた。 BMWで約5分アトリエに着いた。私がイメージしていたものが、すでに模型として作られていた。アトリエの中には、いろんな流面形の作品があった。ジャコメッティが好きな人ですかと聞いた。人間をギリギリまでつきつめたジャコメッティの彫刻は、私も大好きであったからだ。ええ大好きですと言った。アトリエ内にジャコメッティ風のオブジェがたくさんあった。実はこの打ち合わせの後、電話を忘れたと大騒ぎになり、ご夫婦に大迷惑をおかけした。結局東小金井駅の切符売り場に忘れていて、駅員さんにもしかしてと聞いたら、親切な人が届けてくれていた。凄腕の女史がいなくなってから、 とにかく新人をはじめみんなに、迷惑ばかりかけまくっている。澄川伸一さんも大阪芸大で月に何回か教えていると聞いた。大阪芸大から有能な人材が、次々と出ている秘密を知った。教える人をしっかり選んでいるのだ。会社のオーナーの期待に応える作品が生まれたら、 日本の一つの文化が変わる。嬉しい電話は、友人の映画プロデューサー星野秀樹さんが参加している、上映中の映画「スマホを落としただけなのに」がヒットしていますと知らせてくれたことだ。北川景子主演である。みんな頑張っているなと思った。映画で生きていくという人間は、悪徳プロデューサー以外は、みんな、みんな映画少年だ。いい人と会った日は、私も少年の心になれるのだ。天才中野裕之監督の「PEACE NIPPON」の外国語版は、どうなっているだろうか。世界中の人に見てもらいたい作品だ。週末はぜひ映画館へ。


2018年11月7日水曜日

「しあわせの絵の具」

“正しい結婚”というのがあるとしたら、この映画の主人公二人だろう。実話を題材にした「しあわせの絵の具」という映画だ。借金だらけの兄がいて、意地悪な叔母と住んでいる女性がいる。やせていて、背中は丸くなっている。体はリウマチで、歩くのが苦手だ。歳はすでに40歳位になる。兄は住んでいる家を借金返済のために売り払い、体の不自由な妹を追い払う。叔母も賛成する。女性は家を出て一枚の募集のメモを見る。そこには“家政婦”募集掃除道具を持ってくることと手書きで書いてある。不自由な体ではやく歩くこともままならない女性は、足を引きずり、トボトボと長い道のりを歩き、広い畑の片隅にある、小屋みたいな家に着く。そこには街を嫌い、人を嫌う偏屈な荒々しい男がいた。男はオンボロ車とリアカーに積んだ、割った薪を売ったり、釣った(とった)魚を行商して日銭を稼いでいた。犬が二匹、ニワトリが数羽、電気はなくランプで生活をしている。ガスもないので薪で料理(とても固いパンと冷めたスープ位だ)女性は家政婦に雇ってくれと頼む。男は断る。何度か頼み、屋根裏で暮らすことと、週給25セントならと住み込ませる。小屋の中は汚い。空気も汚い。(網戸がないので閉めきっている。開けるとハエが入るから。)リウマチで指が不自由な女性にはひとつだけ、幼い頃から好きなことがあった。それは絵を描くことだ。女性は毎日男に叱られながら働く合間に、ペンキの缶の中に、持ってきた絵筆を入れて、壁や、ガラス戸や、いろんなところに絵を描く。働いて得たお金で絵の具を買う。(街には長い長い距離10キロを歩いて行く)汚かった小屋に花とか、鳥とか、緑の樹々とか、いろんなものを、絵本のようなタッチで描く。猛烈に雪が降る冬が、一度、二度と訪れる。女性はその風景を粗末な板に描く。小さな板にも描く。屋根裏で一緒に雑魚寝している男は、抱くこともしない。ある日、一人の女性が大きな車から降りてきて、ガラス戸とか扉に描いてある絵を見て、これを買いたいと言う。絵書きサイズ一枚をなんと5ドルで。男はこんな下手な子供のよう絵が、5ドルで売れたことに驚く、と言っても相変わらず荒々しい言葉で接する。ある日一羽のニワトリを締めて、温かいチキンスープを女性がつくる。男の中に少しずつ変化が起き始める。大きな車の女性は何度か来ては、絵を買って行く。そしてその絵のことが新聞で紹介される。当時副大統領だったニクソンが気に入ったと。小屋の前には、テレビ局や新聞社などが連日取材に来る。人が嫌な男は苦々しい日を送る。 そして何年か経ったある夜、男と女性は結ばれる、屋根裏の古いベッドの中で。二人は牧師一人、友人夫婦一組に祝福されて教会らしきところで式を挙げる。月日は経ち、女性の症状は悪化して肺の病となる。オンボロ車に、妻を抱きかかえて、男は街の病院に行く。そしてベッドの脇で初老となった男は息も絶え絶えの妻に、そっと「俺にとっていい妻だった」と言う。その言葉を聞き、永遠の眠りにつく。一つの希望の思い出を残して。昨日深夜から四時少し前まで、この映画を見た。夫婦はどちらか死んだ時、どちらかが何を言うかで、その結婚が正しかったかどうかが分かる。とてもいい映画なのでぜひ見てほしい。さて、私の場合はと考えた時、きっと地獄だったわよと言われるかも知れない。私は人に好かれようとすることが大嫌いである。それ故誤解を生むが、思いのまま、ありのままに行く。相手が分からなければ、それだけのこと。やけに絵が描きたくなった。週末久々に藤沢の画材屋さんに行って50号のキャンバスを5枚買うことにした。来年はきっと個展と、新作映画の短編を発表する。そのためにひたすら働き、ひたすら映画を見るのである。ルノワールも大恩のある大巨匠も、リウマチで体が不自由だが、執念で固まった指に絵筆を持って、日々創作している。

2018年11月6日火曜日

「競売と画廊」

毎月15日は“競売の日”むかしからの決まりが変わっていなければ、今も行われているのだろう。この日は政府公認(?)の土地や建物、ビルやマンションのバッタ市であった。(ずい分日にちが経っているので、今はどうかわからない)つまり夜逃げしたり、倒産したり、怖い人たちに追い込みをかけられた人々が、物件を競売に出す。談合と同じようにこれを仕切る人間がいる。当然人相のいいのはいない。取材のためにそっと入った私も人相が悪いので、全く誤解なくどこぞの若い衆だろうと思われた。××建設、××組、××会 、××商事、そして地面師集団などが集まり、あっとオドロクタメゴローのような、安い価格で競り落とす。当然、当番みたいなのが仕切って、なんらモメることなく競売の日はシャンシャンと終わる。 全てが終わった頃に、役人みたいな人が来て、本日はオツカレさまでしたと終わる。が、ひとたび話がモメると、何人かが東京湾に浮き、何人かが山の中に埋まり、何人かが行方不明となる。これらを動かしているのが、誰かは想像がつくだろう。昨夜「ビジランテ」という映画を見た。脚本・監督入江悠。東映ビデオ製作だった。父親がなまじ広い土地を遺産に遺したために、三人の男兄弟が血で血を洗うことになっていく。秀作の映画である。この映画を見てずっとずっと昔に見た“競売の日”の光景を思い出した。人間の人相は職業によって変わる。「男の顔は履歴書」と言った大親分がいた。金を追う人間は独特の顔に変化する。私は動物的臭いを感じとる。その人間の未来がほぼ見える。そしてほぼその通りになって来ている。ある画壇の大先生から電話があった。銀座の○×画廊で個展をやっている。キミの分を取っておいたよと言った。お菓子を持って行ったが、大先生の顔は悲しい位貧しくなっていた。しかし作品はすばらしかった。絵を買うような人間がすっかりいなくなってしまったのだ。芸術後進国のこの国は終わるなと思った。


2018年11月5日月曜日

「評論家を評論する」

世にはその膨大な蔵書を写真公開するバカな作家や、評論家たちがいる。本のために家を別に持っていたり、家を堅牢にして、建築用のクレーンで本を上げたり、下げたりする。どこに何があるのかわからない。この人たちが、世の貧しい人々のために、何かをしたという話は聞いたことがない。私は読書家は信用するが、蔵書家は信用しない。
もう全て読まなくなった本を、未練がましくずっと置いて何になる。否、買ったけど殆ど読まずに、インテリアの代わりに置いている。あるいは古書店に売る。そんでもって酒など入ると、読みかじりの話をする。評論家という仕事をする人間に多い。決してその評論の責任はとらない。世にはとにかく評論家と言うバカ者が多い。(小林秀雄という評論の神様(?)がいた)あろうことか広告評論家などという救いがたき者もいる。自分でつくってみろと言いたい。教育、文芸、映画、料理、庭園、植物、動物、落語、演劇、など電話帳に載っている職業の数だけ評論家がいる。一部には高尚な評論の方々もいるが、総じて心がけが貧しい。ギャラさえもらえばいかようにも書く。蔵書はいわばヤクザ者の代紋みたいなもので、相手を身じろぎさせる道具に使う。政治評論家などというバカ者たちは、レッキとした主義主張もなく、あっちこっちの政党の議員のパーティーに顔を出して、ジャッキを入れる(空気を入れること、つまりモメるようにする野次馬)映画館をハシゴして、チョイとだけ見て、星三つとか、二つ半とかヒマならいう映画評論家たちのおかげで、苦労してつくった作品の入りに少なからず影響する。音楽評論家というのも、いい加減だ(吉田秀和なんて凄い人もいたが)もうかなり耳が遠くなっているのに、ある演奏会の評論を書いて、不出来だったみたいに書いてその存在を知らしめる。実は聞いてなかった。これらの人間のポートレート写真のバックには、これでもかと本棚に本がある。過日とある著名評論家の蔵書の大移動の映像を見た。クレーン車が出動していた。この頃すっかりその存在感はない。その逆にこんな映像を見た。一人の文豪の家に取材カメラが入ると、蔵書なし本棚も一つもなし。あったのは小さな文机の上に、原稿用紙と文鎮と、万年筆とインク壺、それとある辞書が一冊のみ。そして座布団一枚。そうだなもう何年も本というのを一冊も読んでないなと、言った。かなり芝居がかって見えたが、かくあるべしと思った。先夜ある評論家と食事を共にした。人のことは言えないが、そのオソマツな人間性に呆れ果てた。自宅以外に蔵書を置いている家を持っているとか。 ただ酒をよく飲み、よく食べやがった。ご友人・知人に高尚な評論家がいる方には、お許しを。(文中敬称略)

2018年11月2日金曜日

「セールス、広告お断り」


先夜かねてよりこんなヤクザな私とお会いしたいと言う、私立大学の教授(マスコミ情報学(?)を教えている)と、そのお弟子さんの二人と、焼き鳥店で会った。21世紀の広告について、とか現状についてとか言った。バカバカしい時間だった。 教授、かつてはセールスや広告お断りと貼り紙されていたヤクザ業界ですよと言った。そもそも堅気じゃない世界ですから、十分に気をつけて本を出版された方がいいですよと言った。私は場末の芸者、されど高級クラブなどで、出版社にたかりただ酒を飲む小説家風情には決して負けませんよと言った。二流の小説家、特に歴史小説とかは、神田古書店をまわり、資料という名の“アンチョコ”を探す。著の後ろにこれでもかと、 資料として利用した本の名をズラズラと書く。最近人気の“新進歴史学者(?)”が、幼い頃から古文書に親しみ、歴史に残る古文を読み解き、いろんなテレビ番組で能書きを言う。そもそも歴史の古文書なんざは、勝者たちが都合よく書き換えたものである。きっといい奴なのだろうが、鼻につくので(つまり古文書を読める、自分の意見こそが正しいと)きっといつの日かギャフン、ギャフンにしてやろうと思っている。ウソ八百は私だが、ウソ八千みたいに骨董を評価する地面師みたいな、古物商たちがいる。一度その仲間同士のセリを見ていて、言葉を失った。2000円とか、3000円で競り落とされたのがん十万円となり、のショーケースに、骨董品として展示される。(旧大名、旧華族たちの品だ)私は思う、骨董屋は地面師みたいな悪党ではと告界におけるCD(クリエイティブディレクター)の役目とは、なんて言うから、CDなんて記号は、中日ドラゴンズのマークですよと言った。ぼんじりとか、皮とか、厚揚げとか、ギンナンを食べていた女学生は、私の言い放った、ギャグがわからず、メモをとっていた。ところで君は広告屋さんになると聞いたら、全然違います、バイオを研究しているのですと言った。なんで一流大に入り、広告研究なんかしているのと聞いたら、ここがいちばん入りやすかったんです、と言って笑った。あっそう。ここの親子丼最高だよ、食べると言ったら、ウレシイーと大声を出した。いけません、ここの料金は大学の研究費で支払いますと言った。随分つまんないことに金を使うのですねと言ったら、実は今、僕のゼミは人気なんですよと言った。歳はもうすぐ定年だろう。広告なんてものには、何ら定義も法則もない。上下巻1000ページの歴史小説より、わずかな数文字のほうがはるかに、人の心に届き、人の心を動かす。小説は誰でも書ける。(上手、下手は別として)が、社運をかけた、数文字、数行は絶対に書けない。

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2018年11月1日木曜日

「まともな男」

「最善の敵は、善である。」ある偉い人の言葉である。自分流に解釈すると、情は人為ならずとか、人の為によかれとか思い過ぎて、やったことがかえって、大間違いになる。昨夜帰宅した後、スイス(だと思う)映画「まともな男」というのを見た。善意の塊のような男が次々と災難に巻き込まれて行く。男はとある会社の PR 関係の仕事を10年近くしている。美しい妻は小説を書いている。15歳になる娘が一人。休日を利用して上司の娘をスキーに誘う。自分の娘と同じ15歳の美少女。自分の娘はそれほど美人ではない。男は酒が好きであった。過去に酔って大嫌いな同僚の車に、自分の車をぶつけてしまう。その頃、妻ともしっくりいってなくイライラしていた。と、セラピストの女医に言う。事故を起こした原因を知るために、セラピーを受けさせられていた。この事は妻に内緒であった。で、男は禁酒中であった。上司の娘と家族四人で、別荘(小さなヒュッテ)に着くと、電気がつかない。管理を頼んでいた友人のところに行く。そりゃすまん、息子にすぐ行かせるとなる。息子は17・8歳の未成年であった。さあ〜電気がついた。息子は週末にパーティーがあると言った。思春期の娘二人は、パーティーへの参加を両親にせがんだ。そしてパーティーの夜、上司の娘は友人の息子にレイプをされる。(そのシーンは見せない)上司の娘にとっては、初めての経験であった。自分の娘にあのアバズレが、とそのことを聞かされる。男は、友人宅に行ってレイプの事を言う。娘が警察に行ったら友人の息子の人生は台無しになる。上司の娘は薬局に行って、アフターピルを買うと店内に入るが、16歳未満は売ってくれない。病院へ行くように言われて車に帰ってくる。男は仕方ない自分が父親になって頼んで薬を買う。しかし処女を失い傷ついた上司の娘は、レイプは許さない、警察に行くと言う。私はキスをするのは許したが、SEXは断ったと言う。もし警察に訴えられたら、自分はクビになると思う。が、正義感のある男は友人宅に行き、 息子に上司の娘に謝罪しろと迫る。ふざけんな尻軽娘とは合意だったと、友人の息子は言う。夜、別荘のベランダでそのことを上司の娘に言うと、娘は、泣いて後ずさりして階下に落ちてしまう。男は病院に運ぶが意識不明、上司の男とその妻が病院に来る。男は未成年の少年の将来、上司の娘の将来を考え、どうしてもレイプの件が話せない。妻はそんな男を見て、もはや内緒にしておけないと言う。怒る友人、合意の上だと言い張る息子。二人は車で街に向かう。雪の中男は禁酒していた酒をゴクッゴクッと飲んで追いかける。何としても問題を大きくしないで少年少女を守りたい。怒った男は生意気な息子をビンで殴ってしまっていた。最善の友だった仲は、最悪の仲となる。息子の傷を医者に診せるために街に向かう車を追う男。 一気に飲んだ酒が効いてきて、スピードを出しすぎハンドルを切り損ねて、友人の車に追突する。車は雪の中、崖の下に落ちてしまう。男はもう心身ともにヘトヘトになって別荘に帰ってくる。ずっとスキ間風が吹いていた夫婦が抱き合う。一人で抱えていてはダメよと。映画の題名「まともな男」の果てしないアクシデントの行き先は(?)映画はそれを知らせずに終わる。セックスレス、ケンタイ期の夫婦、思春期の子を持つ人は是非見てほしい秀作である。人間とはどんなに善意ある行動をとってあげても、相手それただの善意と思、 次の善意に関心は移る。「最善の敵は、善」なのである。文豪夏目漱石は終生、知人、友人、身内親類の金の問題に悩まされ、ストレスで胃潰瘍になり早死にした。まともな男は、貧乏くじを引く。世の中はまともではない。


2018年10月30日火曜日

「母と子のドラフト」

長い人生の中、プロ野球選手たちとの交流は多く、今でも続いている。元選手たちはコーチになったり、二軍監督になったり、スカウトになったり、選手の首を切ったりしている。プロ野球の選手とは、すでにベンチに入っているだけで天才である。大敵なのが怪我と気持ちの弱さである。選手寿命は短い。セリーグで優勝した広島カープの新井貴浩選手でも41歳だ。(今年で引退する)天才野球少年たちの人生は、ドラフトというくじ引きで決まる。仮に18才でプロ入りして、41歳まで活躍しても、実働23年である。まるで鉄の固まりのような、ボールを投げて打つ。当然体中のアチコチを痛める。入団してもわずかで、野球生活を終える選手の方が断然多い。全国から集まった天才野球少年たちを待つのは、過酷な大人社会だ。このガキが活躍したら、自分の出番はなくなる。イジメ、イヤガラセ、軍隊のような寮生活が待っている。(この頃はパワハラとなるのでかなりやさしいらしい)
母子家庭で育った一人の高校野球少年がいる。母は朝も、昼も、夜も働き、息子のプロ入りを夢見る。息子はプロに入って母に「家」を建ててあげたいと、まい日朝4時から練習する。それを手伝うのは一人の老監督だ。朝からバッティングピッチャーをして教える。引退間近の監督は、一球一球愛情を込めて投げる。野球少年は、今年ドラフトで選ばれなかったらプロを断念する決意をしていた。ドラフトで1位に選ばれた選手が、期待通りに活躍するケースはそう多くない。むしろ少ない。夢の甲子園に行くまでに、肉体がボロボロになっているのだ。大学に進んでも、全国から集まった猛者の前では、ただの一年生でしかない。徹底的に成長の芽をつぶされる。(何故なら頭角を現したら、それだけ自分の道が狭くなる)そんな中、数少ない人間がスターとなる。 そのスターの座も、絶えず追われている。幸い母子家庭で育った野球少年は、ドラフトで選ばれた。お世話になった母に「家」を建てますと力強く言った。ガンバレ応援しているぞ。入団したチームはDNA横浜ベイスターズ。選手の名はあえて伏す。


2018年10月26日金曜日

「東京は遠かった」

♪〜ち、ち、ち、ち、ち、ち、ちち。僕の恋人 東京へ行っちち 僕の気持ち(心だったかな)を知りながら なんで なんで なんで どうして どうして どうして そんなに東京がいいんだろ 僕は泣いちっち 横向いて 泣いちっち 淋しい夜はいやだよ 僕も行こう あの娘の住んでる東京へ・・・。その昔三人ひろしという人気歌手がいた。「守屋浩」、「かまやつひろし」、「井上ひろし」だ。このやたらに、ち、ち、ち、が出てくるのは、守屋浩の大、大ヒット曲「僕は泣いちっち」だ。ホリプロダクションという、大手芸能プロダクションがあるが、その基礎は「守屋浩」が築いたと言っても過言ではないだろう。ホリプロ初代社長の堀威夫は、守屋浩の恩を忘ればずっと役員にしていたと聞いた。今、なぜこんなことを書くかと言うと、過日乗った列車の中で、70代中頃のオジサンが車窓を眺めながら、その歌を口ずさんでいたのだ。私の胸はトキメイた。話しかけるべきか否か悩んだ。おじさんはなかなかいいスーツを着ていて、靴がよく磨かれていた。持っている茶色の鞄もかなりの代物に見えた。列車が平塚橋を渡るころ、鞄の中から小田原名物鯛めし弁当を出した。その間もち、ち、ち、ちち、僕の恋人 東京へ行っちちを口ずさんでいる。小田原の鯛めしといえば、うす桃色の鯛おぼろが大半を占める。オジサンがゴフォンとせきをしたら、鯛おぼろが少々飛んだ。私は思い切って、スイマセンなんで守屋浩なのと聞いたら、詳しくは言えない。いろいろあったんだと言った。十代の時はじめて東京に来た時、本当に東京は遠かった、と言った。東京って何なんですかね、私は嫌いなんですと言って。鯛おぼろを口にした。口周りに鯛おぼろがついた。“井上ひろし”の「夜に咲く花」もよかった。♪〜及ばぬ恋とあきらめました。だけど恋しいあの女性よ ままになるなら もう一度 一夜だけでも・・・。こんな歌が生まれない時代になってしまった。“かまやつひろし”の歌は、♪〜下駄を鳴らして奴が来る 腰に手ぬぐいぶら下げて・・・。確かそんな歌がヒットした。昨日深夜一枚のFAXが届いた。高校一年の時の同級生からだった。なんでも野球部の同窓会があって、そこに一人の先輩が来た。その先輩と私が縁浅からぬ仲だったと知ってビックリした。で近々会おうぜと書いてあった。あの頃、「僕は泣いちっち」が流行っていた。(文中敬称略)


2018年10月22日月曜日

「赤いリンゴ」

植物や生き物たち、そして季節を告げる鳥たち、彼等の変わらぬ営みには到底私たち人間はかなわない。
数千キロを飛んで来る鳥たちを見ると、自らの苦労などと比べようもない。
マイナス50度の中、我が子(卵です)をじっと一ヶ月以上温める皇帝ペンギンの父。
どうしてこんなに動きにくい体型になったのかと思うペンギン。
母親ペンギンはトボトボと海を目指す、そしてやっと食べ物にありつき、体いっぱいにためて、ひたすら”夫ペンギン”とその子のところに辿り着く。
途中で死んでしまうのも多い。
膨大な数がいるのに、夫と我が子を間違えない。
何も食べずに”妻ペンギン”を待つ。こんな夫婦愛と親子愛は、現代社会では、夢物語だ。
今年も小さな庭に秋から来年三月まで、置いた赤いリンゴを食べに来るいつもの鳥が来た。どうしてリンゴがあるのを知っているのだろうか。遠い鳥の国に帰った鳥が、教えたのだろうか。
スーパーに行って一袋に六個、350円を持ち帰った。
何故だか緑色のリンゴは好まない。柿やミカンも、バナナも好まない。
♪~赤いリンゴに口びるよせて…。こんな古い歌を口ずさんだ。
私は未だ未だ苦労が足らないのだ。金曜日まで400字のリングは、休筆です。
長い書き物に挑戦中なのです。