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2018年8月29日水曜日

「掘り出し物」

掘り出し物の映画に出会った時はヒジョーにウレシイ、タノシイのだ。旧作中の旧作である「文学賞殺人事件」一本100円、原作筒井康隆、監督鈴木則文である。1980年製作、主演佐藤浩市(若々しい)主人公である。同人誌「焼畑文芸」に参加している。仲間には故蟹江敬三とか今も活躍している石橋蓮司等がいる。主人公は「直本四十五賞 」(直木三十五賞のパロディ)に応募していた。その作品が候補作となり大騒ぎとなる。七人の選考委員対策に、早速文学賞ブローカーが現れる。(故ポール牧)ブローカーは選考委員の特徴を言う。お金大好き(故小松方正)人妻大好き(故由利徹)、権威大好き(故南原宏治)、 オカマ掘り大好き(故梅津栄)、若い娘大好き(故天本英世(?))、 (その他老人性痴呆症気味のふたり、いずも故人) 文学海(文学界のパロディ)とか、文藝秋冬 (文藝春秋のパロディ)群盲(群像のパロディ)フール読物(オール読物のパロディ)などがオンパレード。ブローカーの指示に従い、500万円を用意してアチコチに払う。知り合いの人妻も差し出し、自分の恋人も差し出す。オカマも掘られ痛さで悶絶する。ところがすでに、主催者サイドの幹事である、雑誌社の担当は、受賞者を決めている。七人の選考委員に、候補作のあらすじをペーパーにしてあり、選評も用意してある。七人の選考委員たちは全く原作を読んでいない。原作者の筒井康隆がバーで飲んで文学賞の内幕を酔って大演説する。自身が SF が文学界において下に置かれているかを語る。(よほど直木賞にウラミがあったのだろう) 新喜楽をパロった料亭で七人の選考委員は、編集者のシナリオ通りに選びチョンチョンとなる。500万円を失い、オカマも掘られ、土下座までした主人公は、散弾銃を持って、選考委員一人一人を殺しに行く。故由利徹が殺される前に、子供の頃唄っていた歌を唄わせてと言う。♪〜夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が繋げるチョンチョン。そしてズドーンと殺される。40年近く経った今も直木賞の選考はきっとこんなものなのだろうか(?)受賞外となった報を聞いた、同人誌仲間はみんなでバンザイ、バンザイをしてよろこぶ。 仲間に先に受賞されたくないからだ。監督の鈴木則文が「トラック野郎」以外にこんな珍作を監督していたとは知らなかった。見直した。100円にしては掘り出し物であった。なぜか配給元がクレジットになかった。ひょっとして上映されなかったかもしれない。「シェイクスピア曰く、世の中で起きていることは、すべて序幕である」パロディのような、ジョーダンじゃないことばかりが起きている。♪〜雨、雨、降れ降れかカア〜サンが・・・。チョンチョンと。故由利徹が唄っていた。ピチピチシャプシャプ、ランランランと。(文中敬称略)


「狂熱の夏」と「オールドパー」

お盆休みのないお盆だったが、少しずつ合間があった。その間にこの国の前途の絶望と、馬鹿バカしいほどの現状と、確実に近づきつつあるあの世行きを感じた。すでに親友3人はあっちに行ってしまった。お盆にあの人に、この人に、私を置いて逝ってしまったあいつに、と仏花を送った。昨日青山通り、元ベルコモンズのところをタクシーに乗って停まった。運転手さん今外の温度は何度と聞いた。運転手さんはナビの中にある温度計を見て、ちょうど40度ですよと言った。朝家の前の小さな公園に、5月には見事に咲いていた、アジサイの花の無残な姿を見た。まるで焼夷弾でも浴びた後のように、焼けただれていた。お盆の合間にいくつか墓参りをして回った。どこも雑草が伸び放題に伸びていて、それをこのやろうとばかり引っこ抜いた。ヤブ蚊の攻撃を受けて、両腕は赤くふくらんだ。持ってきた新聞紙に火をつけてお線香に火をつけた。暑い。熱い。かゆい。 何軒かの墓石屋が店を閉店させていた。お墓まで連れてきてくれた運転手さんと、喫茶店に入り何かを食べようとなった。私はパンケーキを頼み、運転手さんはハヤシライスを頼んだ。小学生の頃、授業でパンケーキ(その頃はホットケーキ)の作り方を学んだことをふと思い出した。一年のうちに一度も食べたことがなかったが、その日なぜかメニューの写真に写ったパンケーキが食べたくなった。バターにハチミツをのせた。4段重ねのいちばん上にのったバターがとろり、とろりと溶けてパンケーキにしみ込んだ。親指ほどのガラスの入れ物にハチミツが入っていて、それをのせた。プーンといい香りがした。運転手さんはとてもいい人で、私の好きな音楽を編集してくれている。その日はボブマーリーと、キューバのヴエノビスタをかけてくれたのだが、 暑さで集中力を欠いていたのでイマイチ、ノレなかった。 三橋美智也か春日八郎の方がよかったかもしれない。名古屋に一泊して、飛騨高山の挾土秀平さんを訪ねた。お願いしていた作品のイメージができたというので、その作品を見ることと、挾土秀平さんの取材撮影をした。後輩のプロデューサーが大阪からレンタカーで来てくれた。カメラマン、ディレクター、クライアント、広告代理店の人たちも一緒だった。職人社秀平組にはアトリエがあり、天才挾土秀平さんの作品が勢揃いしている。実に超絶的で圧巻である。挾土秀平さんは、ピカソと棟方志功と、岡本太郎を足して「土と水」で割ったようである。モンドリアンやミロのようなところもある。写楽と北斎のようでもある。とにかく凄い人だ。眼光は鋭く、声が野太くて、体はでかい。高山に来る前日、ブックコーディネーターのカリスマ幅允孝(ハバヨシタカ)さんを取材撮影した。世界中の本がアタマの中に入っているような幅さんは、通常BACH幅(バッハハバ)さんと言う。音楽家のBACH(バッハ)が好きだとのことである。青山根津美術館の近くにあるアトリエには、英文字でBACHの文字のポスターがあった。いろんなところに独特のライブラリーをつくっている。幅さんはゆるやかで紙のようである 。ヒラヒラとして、ユラユラと語る。 若い仙人みたいである。世界的デザイナー、女子プロゴルファー夫妻、世界的生物学者、ライフスタイルコーディネーター、新進のアートディレクター、陽気なエディターの人を、次々と取材撮影した。人に会うのは大好きである。面白い人に会え、面白い世界を知る。変な人に会え、変な世界を知る。鳴かぬなら鳴き方を学ぼうホトトギスで生きて来た。人間は学校である。ややこしい人が、私は大好きである。ややこしいことを教えてくれるから。そして今、又、ややこしいことに取り組み始めた。誰も考えなかったことを形にしてみせる。お世話になった会社への恩返しもしなければならない。最優先のテーマだ。亡き友は我にチカラを。「狂熱の夏」むかしの日活映画、主演故川地民夫。ファンキーでモダンないい映画だった。それを探している。8月も終わり、いつものグラスに頂き物のオールドパーを注いだ。



2018年8月10日金曜日

「魔物のようなペヤング」

昨夜もう何度目かになる、ジョージ・ オーウェルの「1984」を見た。国全体がまるで新興宗教のように洗脳され、すべてが監視され、管理される。当然三権分立はない。法という法は支配される。電気、ガスは勿論SEXからチョコレートの配給まで管理される。日本国は現在このような国にひたひたと向かっている。これでいいのかと深夜ペヤングソース焼きそばを食べながら思う。今年2回目だが時として魔物のように旨いと思う。体全体が疲れたと表現する症状が出て来ているが、あとひと踏ん張りだ。時間ができたら北に旅したいと思っている。「1984」には、公開処刑のシーンが何度か出る。民衆は大声をあげ、拍手してそれを楽しむ。民衆はいつでも“観衆”である。「魯迅」はそう書いていた。
400字のリングは8月22日まで休筆します。アチコチ行って、いろんな人を撮影します。偉い人、才人、カリスマ、名人、各界のプロフェッショナルたち。10日から21日まで撮り続け、取材をする。猛暑が続きます。十分に水分を補給してください。お盆休みはしっかりとって、天才中野裕之監督の映画をぜひ親子で観てください。ニッポンは、本当に泣きたいほど美しい国なのです。秋になったらいよいよ来年のカンヌ国際映画祭グランプリを目指します。狙いは当然グランプリ。「夏の夜の夢」で終わるかも。では、又。


2018年8月9日木曜日

「ボスたちとオリオンビール」

だから言ったでしょ。日本ボクシング連盟を辞めると言った山根明、ガタガタ震えてメソメソ泣きを入れて、嫁が死ぬまで面倒を見てあげると言ってくれたとか、男が嫁の名を出したらオシマイ。男のケジメをつけると大見得を切ったから、腹を切るとか、せめて小指の一本か二本は詰めるだろうと思っていた。だって男の中の男だと言っていた。が、 小心翼々の男はそんな根性の欠片もなかった。ヤクザを語る人間は、本物のヤクザから見ると、単なるファンに過ぎない。この次は日大、その次は東京医大、女子学生への減点問題は、きっと全国に広がるだろう。小児科医が不足しているのに女医への道を閉じている。国が嘘八百、インペイ、ドーカツ、つまりヤクザまがいだ。日本国の大学は休むことなき権力闘争の歴史、ウソやゴマカシなどは呼吸をするのと同じ程度にしか思っていない。もちろん素晴らしい学究の人も多い。この人たちは愚かな権力闘争に興味がない。この人たちは山根明と同じで、いつも何かに怯えている。何故なら、人に知られたくない道をずっと歩いてきていて、いくらでも情報を持たれている。家族のこと、身内のこと、借金、裏金、愛人のこと、又、自分自身が変態趣味であること。“一将功成りて万骨枯る”と言うが、今や一将功もなにもなく万骨ボロボロとなった。今の権力者が三選された瞬間から、側近、茶坊主は次の主を探す。今までの反感反動を一身に浴びる。「無」を演じきった人間が次に出る。何も語らず、何も動かず、ただ大河の流れに身をまかす、サラサラと流れる木の葉のように。「無」こそ、「有」なりである。下腹に力を込めて、機会を待つべしだ。 京都学の総帥西田幾多郎は、晩年日々筆をとっては、◯ をずっと描いていたという。禅の世界では円相図と言うらしいが、同じ円は二度と書くことができず、気に入った◯をずっと描けなかったと言う。自らの思想が大したもんじゃなかった。その反省と敗北の◯であったのだろうか、有能な弟子たちは反戦を貫き獄死した。最高学府の信じがたき有り様は、 私が敬愛する、一人の天才的女性研究者を苦しませ、悩ませ、そして悲しませたのだろう。不思議なのは学生たちが全く行動しないことだ。つまり、国家のボスもヤクザなアマチュアのボスたちも、学問のボスたちも同じだということだ。沖縄の翁長知事が戦いの末ご逝去した。ご冥福を心から祈る。いろんなボスたちは手を叩いて喜んでいるだろう。乾杯はオリオンビールか。沖縄のナベチャン、がんばってよ。

2018年8月7日火曜日

「弱虫のオッサン二人」

すっかりヤクザに憧れた、老い先短い男が、ヤクザ風を演じている。山根明日本ボクシング連盟会長だ。あくまでも私の遠い遠い昔の経験から言うと、この手の男を「語り」と言う。恐くも何にもない。例えば「さらって」つまりどこか山の中とか、水の中とか、土の中に、埋めるか、沈めるか、と言うと100%泣きを入れて 、土下座して足の先でもなめる。カンベンして下さい。何でもやりますと。鉄条網なんかで裸にした体をしばる。そこに頑丈なフックのついた重い鉄の塊とかをつける。顔面はガムテープ。ビートたけしの映画みたいだが、そうすると体は震度8くらいにブルブルとなり、オシッコを垂れ流す。業界では 「ベシャリがマブイ」つまりハッタリが強く、シャベリ過ぎる。詐欺師に向いているが、親方には向かない。私はこんな男を主人公にした映画を企画していた。山根明このオッサンは、ケンカの一つもやっていない。サングラスの中の目がただのオッサンを現している。図体はでかいが小物の日大の田中英寿といい、東京医大といい(女子学生を減点していた)この国の大学は、最高学府の何たるかを見失っている。できることなら、日大の田中英寿とか、ボクシング連盟の山根明と会ってみたい。金筋のヤクザは決して多くを語らず、もの静かなジェントルマンです。




2018年8月6日月曜日

「残りの鮭とメザシ」

「何も足さない」「何も引かない」という。サントリーウイスキーの名作コピーがある。この12文字には、実に奥深く哲学性と文学性、そして禅の教えも徹底的に問答させる。水のような、風のような、石川啄木が天才だと言った雲のごとくである。常形なきものの時間が定着する。即ちいいウイスキーであると。昨日私は「何もしない」「何もしたくない」「何も食べたくない」ただゴロゴロとしていた。したことと言えばウイスキーを飲んではゴロゴロであった。小型の人間一人くらいを解体したのでは、と思うほどの肉の塊を後輩が送ってくれていたので、何か食べねば腹の中はウイスキーだけになるので、“豚しゃぶ”を作ってくれと言った。冷房を効かせた真夏の“水たき”とか、“キムチ鍋”気合を入れて“ちゃんこ鍋”などは相当に旨い。豚肉を5切れと、青い葉っぱを入れて、ポン酢で食べたら、極上の味であった。前の晩の残り物。鮭の半身に海苔でアツアツのご飯茶碗半分を食べた。鮭のハラス部分は何よりであり、たとえ数センチでも残すことになっている。とても立派なフランス料理のフルコースの結婚式から帰った後、ゴハンに永谷園のお茶漬けふりかけを、2袋かけて(フンパツする) 渋茶を注ぐと、フランス料理の残り味と、シンプルなお茶漬けは、山の手の贅沢と私たち下々の清貧が混じわり絶妙となる。そしてあ〜いい1日だったとなる。現在は冷やメシに冷水を入れお茶漬け海苔と一緒に冷やし茶漬けにしている。お茶碗は浅目、深目、 フツーと使い分ける。(1ヶ200円位のもの)これに黄色いたくあんがちょっとあればもう言うことはない。できるなら気取った急須より、安い茶色の安い急須がベストだ。冷や飯に目玉をワラの紐でつながれたメザシ(目刺し)で一飯も旨い。木枯し紋次郎の一宿一飯気分となる。この場合は、塩分強目の野沢菜が小皿に数切れあれば、十分である。
「何かしたい」「何か食べたい」やっと体が要求をはじめた。焼きタラコが2本あった。よしこれだと思った。


2018年8月3日金曜日

「刃鋼と癒しがたき」

英語で言うなら、パハップス(多分)40度を超えているだろう銀座の街を歩いていると、何を感じるか、不能感、無気力感、ボー然感、 脱力感、グワァ〜とする反射熱、道路から、ビルから、そして感じるのが、殺意である。アホみたいにリュックサックを赤ちゃんみたいに抱いた男が目の前にいる。まるで猫の集団のようなミャーミャーうるさい中国人が集団でいる。 暑熱の銀座の街を歩いていると、思わず自分の中にしっかりと(?)隠しておいた暴力性がグア〜ンと現れる。ウルセイ、ウザッタイ、アツクルシイ、ダラシネエ、石原慎太郎さんの原作「乾いた花」という映画のファーストシーンの言葉を思い出す。組のために人を殺して出所してきた中年のヤクザ(池部良)が、人混みを見て、こんなの中の一人ぐらい殺したってどうってことはネエだろう(こんなかんじ)。中年のヤクザはすでに無目的になっている。 アナキズム的になっている。秩序などは必要ないと、その中年ヤクザを支えているのは、バクチだけである。何のために生きているのか、40度を超える街は、その中年ヤクザの言葉を思い出す。「刃鋼」もそうだが、石原慎太郎さんのこのような人物を書いた作品は、絶品である。人間の中に潜む虚無感と暴力性、最終的に暴力的解決に至る、哲学性と文学性は、秀れている(他にはいない)。最終目的が、落とし前とケジメ、そして父親への愛情とその父親を殺した相手への復讐。昨日熱暑の銀座をトロントロン、ヨロンヨロ、フランフラと歩いていた時「乾いた花」と「刃鋼」を思い出した。今ならきっと異常を正常化するだろう。そして、それはきっと殺意だろうと。小説「刃鋼」の中で、主人公である横浜のヤクザ“角田良” が言う、俺は俺という人間に惚れるんだと。そして父の仇をいつか仕止めると言う。若きヤクザの三代目に対し、角田良は言う。あの若い三代目はきっと相手を殺るために九州に帰るだろうと。ケジメのない世の中、私の最も大切にしている“仁義”なき世の中、 銭なんてものはヨォ、その日自分の器量のためにありゃいいんだ、それ以上追うと恥をかいて、下手を打って、終わりだからな。ヤクザ者に明日はないと思え、銭で恥をかいたら男は終わりだと言った。ずーっと昔の先輩を思い出した。背中から太ももにかけて、「男一代」という文字を彩やかに刺青していた。男がすっかりいなくなってしまった。少しでも休みが取れたら、「刃鋼」を読もうと思った。そして、生涯読んだ中でいちばんと思った。小嵐九八郎氏の「癒しがたき」を読む。人はこうして死ぬという言葉通り、四国の鈍川四兄弟の話がある。これ以上面白い本には、いまだに出会っていない。人間は日々殺意の中で生きていることを忘れてはならない。パハップス(多分)ね。それにしても暑い。人間はドライフラワー「乾いた花」になって行く。その花に注ぐ水は何か。それも又、殺意だ。人を殺すのは簡単だよ、ヤッパ(刃物)で刺せば、プスーとヤッパが入る。それだけさ。その時自分が自分と繋がっている感じがするんだ。あなたの自分は今元気ですか(?)。侠(男)の世界では、金儲けばかりの話をする男が、一番下の扱いを受けるのです。人のために死ねるかどうかが、男の値打ちなのです。私は「乾いた花」になりたい。私たち兄弟会では、13時間30分近く話しをしている中で、金の話は一分一秒もない。サイコーです。私にはアノヤローズタズタにしてやる、そんなのが二人いる。冥土のみやげに、突然行くから待っていな。

2018年8月2日木曜日

「熱投と熱湯」

日本は依然として旧日本軍体質である。 野球少年たちは夏の甲子園を見る。熱闘甲子園は確かに感動を与えてくれる。が、この夏の大会で、将来有望であった野球少年たちが無数にその将来を失った。肩を壊し、肘を壊す投手は特に多い。野球には軍隊用語みたいなのが多い。刺殺、捕殺、死球、挟殺、遊撃手とか打撃手など。大会は朝日新聞と NHK のために真夏に行うとも言う。初期の頃の平均温度より数度以上高い。強烈な暑さの日は、10度くらい違う。 始めた頃の甲子園大会は30度以下が殆どであった。 熱投と言う言葉が好きでやたらに、熱投180球とか、200球を賞賛する。一人の投手がそれだけ連日投げたら、怪物以外はブッ壊れる。早朝から真っ暗になるまで、練習、練習、そして特訓だ。気合を入れろ根性だと続く。監督は絶対的存在だ。嫌われたら試合に出れない。元巨人軍の村田修一(37)はあと1年やっていれば2000本安打に届いたと思う。そして名球会入りだ。だが村田修一は巨人軍を昨年クビになった。20本以上のホームランを打ち、2割7・8分の打率を残していた。が、“一言居士”なのか、ブータレ体質なのかわからないが、たぶん監督の作戦や自分の起用法に文句を言ったのだろう。あるいはチクられた(密告された)。これは巨人軍(軍の名がついている)においては、軍法会議ものである。他のチームも同じで監督、コーチ批判は厄介者として追放される。7月31日までに入団の声がかからないと、今シーズン中に入団できない決まりがある。ひと言多い人間はスポイルされる。2000本安打を打った中村紀洋、三冠王になった松中信彦、実力あっても声がかからなかった。さて甲子園だが、もし一人か二人高校球児に死人が出たら、朝日新聞と NHK はどうするだろうか。空調の効いたドーム球場があるんだから、そこでやった方がいいとの声が上がり始めた。遅いくらいの話である。アマチュアボクシング連盟のバカヤローなヤクザ風な山根明会長以下の者ども、日大相撲部出身のヤクザ風な田中英寿理事長以下の者ども、およそ××連盟とか名のつく団体は、ヤクザものよりヤクザな人間が君臨して、国からの助成金、補助金を手にして分け合っている。全ての連盟をチェックしろと言いたい。アマに甘すぎるのだ。一生懸命にがんばるスポーツ少年たちを守る時期に来ているのだ。
監督やコーチがよく言う言葉がある。 これは軍の機密だとか、軍の命令だと。あまりにバカバカしいサインを無視したり、わざと失敗したりする選手もいる。イチローはスーパースターになったが、入団時は監督に嫌われて(確か元巨人軍故土井正三監督)二軍生活をしていた。が、監督が仰木彬に変わると、その才能を見つけられ現在の大選手になった。どの会社も同じようであり、ヨイショとゴマスリが出世する。一言居士はどんなに優秀であっても菅原道真のように、飛ばされる。
熱闘甲子園が始まる。見たい、感動したい。けど、球児たちの死人だけは出して欲しくない。将来有望な若い人材を、ブッ壊してほしくない。投球数は制限して、一人で投げても80球で交代だ。 連投はなし。 分かったか朝日新聞と NHK。 阪神タイガースは死のロードへと向かう。そしてきっと最下位だ。バターン死の行軍のように。 熱湯甲子園は沸くに沸く。
(文中敬称略)

2018年8月1日水曜日

「1日108錠」

先週末、「大統領の執事の涙」という映画を見た。貧乏な黒人が人種差別が酷い世にホワイトハウスに入る。以来アイゼンハワー、ニクソン、ケネディ、ジョンソン、フォード、カーター、レーガンたちに支える。ホワイトハウスの中では、執事は、見ざる、言わざる、聞かざる。空気のような存在でなければならない。その大統領の中で、 JF ケネディのワンシーンが強く印象に残った。腰痛が激しく、またキューバ危機、政敵との戦い。悪事を重ねてのし上がった。父のつくったケネディ王朝へのトラウマ。いろんな痛みとストレスが溜まっていたのだろう。一人の時は床に仰向けになっている。執事が水を持って現れる。ケネディは聞く。私は今1日何錠の薬を飲んでいるのか。ハイ108錠でございます。ちょっと手を貸してくれと言ってケネディは執事に起こしてもらう。一昨日午前2時30分頃、私は宿泊先のホテルを目指して歩いていた。暑い、むし暑い、とにかく暑い、親愛なる兄弟会を6時から2時20分近くまで楽しんだ。とにかく楽しかった。一人はもう少し残ると言って、私は二人で店を出た。やっとこさホテルに着き、カバンの中に入れて読んでなかった新聞を読んだ、オッ又芥川賞と直木賞か、選評した人間の言葉があった。いかにやっとこ見つけた感があった。 最早ニュースにもさしてならない。ケータイ、スマホ、パソコン、ゲームの時代に小説家が生まれない。何度も候補になっていた人間から選んだ。そもそも一年のうち2回も優れた新人作家を生むのは難しい。“堕落”した者でなくては、私小説は生めない。最低の人間が書いてこそ純文学で、先頃亡くなった「車谷長吉」がその最後ではと思われる。パソコンで打っているのは小説でなく“商作”だ。ボクシング連盟とか相撲とかアマのスポーツ界の悪いボスたちが、うす汚いことをしている。万死に値する所業の数々だ。いつから日本人は権力者に物を言わなくなったのだろうか。アマチュアスポーツは、オリンピックの利権でその精神がメタメタになってしまっている。参加することに意義がある、のではなく、儲けることに意義がある、に変わってしました。どうやらお盆休みはなさそうだ。スタッフは1日でも多く、一分一秒でも多く休んでほしい。天才中野裕之監督の映画を見たという人から何人も電話をもらった。これほど嬉しいことはない、目標は20万人とか、心を清めたい人、ストレス過剰の人たちはぜひ見に行って欲しいと願う。昨日の夕刊に、由紀さおりさん姉妹が童謡について語っていた。ニッポンは童謡の国であり、民謡の国であった。人間と自然、自然と人間が繋がっていた。もう一度童謡が生まれる国になって欲しいと願う。民謡もだ。カツオが大漁で、サンマが不漁、うなぎは業者たちが不良行為で値を上げている。タコ焼きのタコは、モロッコあたりのものばかり。タコがタコ焼きにされながら、アツイ、アツイ、ニッポンは アツイと悲鳴をあげている。「九月になれば」という映画があったが、九月になれば、私は売れない芸人に戻れるだろう。さああと30日勝負だ。