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2021年4月24日土曜日

つれづれ雑草「赤いタオル」

何やってんだ! 立つな! 寝てろ! 倒れてろ! ボクシングの世界では、タフ過ぎるという選手は、セコンド泣かせだ。強烈なパンチを一発浴びて、ズドーンと倒れて、テンカウントをリング上で寝たままで、あるいは両ヒザをついたまま聞いて、(聞こえない場合も多い)ノックアウト負けをレフリーから告げられる。この場合選手のダメージは余程のメガトンパンチでない限り、試合後の選手の回復は早いケースが多い。ボクサーはリング上で闘っている時は孤独だ。頼れるのは自分しかいない。だが信じられるのがセコンドだ。セコンドは回を終えてかえって来る選手を、励まし、1分間(インターバル)の間に、ワセリンでの傷の手当てや、体をもみほぐしたり、水をふくませては出させる。(飲んだらダメ)その間アレやコレや作戦を選手にアドバイスする。タフなボクサーは殴られても、殴られても倒れずに相手に向っていく。ダウンするも立つ。立っては殴られ続ける。そして再びダウン(1R3回ダウンで負けのルールもある)。顔は変形し、両目は殴られてふさがり、鼻血で息もできない。そこに強烈なパンチがアゴに当たりダウン。セコンドはもう駄目だと白いタオルをリングに投入する(これをされると終り)TKO負けとなる。ボクサーは後ろに倒れたり、横向きに倒れている時は、立つ可能性があるが、前へ倒れるとまず立てない。TKOとはテクニカルノックアウト。タオル投入はボクサーにとって屈辱なのだ。超タフなボクサーは差別語的言葉で表現される。殴られ過ぎて引退した後にパンチドランカー、即ち廃人同様になってしまうからだ。セコンドは選手の命を守る役目と言ってもいい。ファンはあの選手は凄いね、いくら殴られても倒れないと賞賛する。リング上で倒れたボクサーは、失神していない限りセコンドの方を見る。それは救けを求める目であり、もっと闘えるという目でもある。さて、コロナ禍で長引く社会をボクシングに例えると、私たちはコロナウイルスという見えない相手と闘うボクサーである。ボクシングの世界タイトルマッチは12回戦だが、私たちは12ヶ月以上リング上で闘っている。セコンド役は、政府であり、県知事や市町村の首長であり、傷の手当をしてくれるのは、お医者さんや看護師さん、医療従事者のみなさんだ。現在セコンド役の総理大臣、西村新型コロナ対策担当大臣、河野ワクチン担当大臣、田村厚生労働大臣、加藤官房レフリーらの指示は、バラ、バラ、テキトー、ソノバシノギ、ウソ、ホラ、シカト続きである。各首長たちも私たち選手同様、セコンドの指示のバラバラに、ソノバシノギをする。私たち選手はもうダウン寸前、(ダウンしたのも多いが、ウソの統計で誤魔化す)試合を中継するNHKなどは、前田某という元バンカー(ゴルフの砂ではなく銀行家)が、中継アナウンサーに脅しをかけて、政府ベッタリの中継をする。心あるアナウンサーは前田某に飛ばされてしまう。私たちボクサーは殴られ放しで、一人10万円位の涙金で試合を続行となる。バカヤロー税金をがっぽり取られているのにと歯ぎしりをする。中・小・私たち零細企業や、フリーランスはもうタオルをいつ投入されてもOK状態なのだ。(KOではない、TKOだ)。これ以上立ち続けていると、みんなパンチドランカーのように、廃人同様となってしまう。バカヤローな親がいるという新聞記事を読んだ。このコロナ禍の中で、金持ちたちは株投資や持ち株上昇で、使い切れないほどの金を持っていて、都心の億ションを子どもたちに一つ二つと買っているという。又、家の近所にあるフェラーリの店には、バカ親とバカ息子たちが来て、飴玉を買うみたいに、フェラーリを一台二台と買うというではないか。バカバカに殴ってやりたい(リング上で)と思う。コロナ収束まで数年はかかるといわれている中で、ツケヤキバ的対応策しか出せないセコンド陣を退陣させて、キャリア豊富な人材を集めなければならない。あらゆる分野の人材を必要とする。国家百年の計を建てねばならない。私たち市井の民は廃人同様にされてはならない。「アリス」の名曲「チャンピオン」では、 立たないで もうそれで充分だ おお神よ……。と歌う。が、私たちは十分ではない。アリスには悪いが、私たちは不十分なのだ。神も仏もいないのだ。アメリカまで行って、国際電話(?)をしてワクチンを頼んだなどという、セコンドのリーダーに呆然とする。小泉進次郎という環境問題のリーダーが、昨夜あるインタビュアーに、なんで2030年の温室効果ガスの削減目標が46%という数字なんですか(?)と聞かれると、パッとひらめいたんですと応えた。大丈夫かいこのアンチャンはと思った。否、大丈夫じゃない、国家全体がグロッキーになっているのに(最大の借金国家)スットコドッコイのセコンドばかりだ。ボクシングの聖地後楽園ホールへ行ってセコンドとは何かを学んで来いと言いたい。私のチンに、ジョーに、テンプルに、ボディに、キドニー(ボクサーが攻める急所)にパンチが当って来る。チクショー、チクショーと立っているのだ。私はあしたのジョーではなく、今日のジョーなのだ。リングに立ち続けるのは、男の意地なのだ。負けてたまるかだ。皆コロナ禍の中でもがんばろう。白いタオルを殴られた血で赤いタオルにしてもだ。(文中敬称略)

「チン」はアゴの先、「ジョー」は、アゴ、ボディは腹(水月➡︎みぞうち周辺)、キドニーは、両方の横腹周辺。





2021年4月18日日曜日

つれづれ雑草「ノマド」

 「無能無芸の私にできる事は二つ、二つしかない。」自分の足で歩くこと、自分の句を作ること。私は流浪する外ない。私は今、過去のすべてを清算しなければならないのである。昭和5年頃一人の男が、行乞(おもらい)の旅に出た。「分け入っても分け入っても青い山」など1200余りの句を作り、昭和151011日酒に酔ったまま愛媛県松山の小さな草庵でぽっくり往生した。(享年43歳)男の名は「種田山頭火」山口県西佐波令村(現在の防府市)に生まれる。生家は大地主であった。しかし父親があちこちに女性を囲っていた。本名は種田正一、9歳の時に母親が井戸に身投げする。正一はその姿を見る。やがて上京して東京専門学校高等予科(現在の早稲田大学の文学部)に入学するも、退学して帰京する。生家は酒造会社を経営するが、正一33歳の時に破産する。大学を退学した原因は、うつ病であった。母の死を目の前にしたのが大きなトラウマとなっていたのだろう。又、弟も自死した。再び上京して図書館などに勤務するも、うつ病で退職する。ある年泥酔して路面電車の前に立ち、急停車させる事件を起こす。その電車の乗客の中に一人の人物がいて、正一をある寺に預ける。出家得度し座禅修行をする。「燃えあがる火山」という意味の俳号「山頭火」は、関東大震災にも遭遇し命の無常さを知る。種田山頭火の句は、五・七・五の決まりのない、自由な句であった。行乞の旅の目的は松尾芭蕉のように日本中を歩くことであり、理想的終りは旅先でぽっくり死ぬことであった、と思われる。それは清算したくて出来ない過去を、背負ってのものだったのだろう。「行乞の旅」とは働かずに人から食べ物や、いくばくかの金銭を恵んでもらいながら放浪する旅である。時代が行き詰まり、人間の心が行き場を失った時、山頭火が静かなブームとなり、書店でその句集が売れ始めると言う。今、私たち人類は長引くコロナ禍、終りの見えないコロナ禍の中で、人類とは何か、人間とは何か、会社とは、街とは、市とは、村とは、家族とは、親子とは、夫婦とは……。など答えのない方程式の中にいる。あるノーベル賞受賞者は、人類の究極の敵は、ウイルスであると言う。コロナウイルスがインフルエンザ化しない限り、コロナ戦争に終りはないのだろう。故小松左京さんが書いた「日本沈没」を基にした映画のラストシーンは、日本列島を失い生き残った日本国民が、ある国の大地の中を走る貨物列車の中にいた。それはかつて戦争で敗れた故国日本に、引き揚げて帰って来て、故郷に帰る日本兵を乗せた、ギューギューの列車に似ていた。私たちの国、日本は過去からの清算が出来ない国なのだ。過日、本年度アカデミー賞の有力候補作「ノマドランド」を観た。コロナ禍の中でも、日比谷シャンテの大きな映画館に8割位の観客がいた。ノマドとは、放浪の民という意味だ。喫茶店や公園や、どこかの空き場所などで、パソコンを使いながら仕事をしている人々をノマドと言う。アメリカ映画のノマドの主人公は、会社をリストラされても呈しく生きて行く中年女性だ。監督は中国出身の女性、クロエ・ジャオ。古ぼけたキャンピングカーに暮らしながら放浪する人々には皆、清算できない過去があり、過酷な現実がある。(中にはあえてノマドを選ぶ人々もいる。)深い悲しみや喪失感、孤独との戦い、世の不条理や理不尽が、広大な荒野の中にある。本来は青い空、白い雲、爽やかな空気が流れているはずの、アメリカ西部にそれらは全くない。灰色の空、重そうな雲、どんよりした空気。徹底的に青色と緑色を表現しない映画は、世界中の現代人(金持ち以外)の心の風景だ。バケツで用を足す女性は、そんなものには決して負けないぞと、日銭を稼ぐための仕事を探して旅をする。時々ありついたインターネットのamazonの倉庫の中で黙々と荷物を処理する女性の姿に、資本主義社会のその先を見る。そこには、青い空はなく、緑の樹木はなく、美しい花々もない。石川啄木が「雲は天才だ」と言った。白い雲もない。あるのは、ただ荒廃だ。日本の総理大臣が、アメリカのバイデン大統領に、初めて会ってもらった、国のリーダーだとして、大喜びだったが、ランチミーティングに出ていた食事メニューは、好物のパンケーキではなく、ハンバーガーのみだった。これはアメリカにとって、君は好きな人物ではないよの意思表示だった。アメリカ人は食事と使う食器で、メッセージをする。ハンバーガーのお返しは、きっと高額なメニューだ。私は、仕事という生きる糧を求めてノマドを続けるのだ。但し山頭火のような句才はない。             (文中敬称略)3/28 日経新聞別刷りより一部引用有り





2021年4月11日日曜日

つれづれ雑草「ヨイショな報道」

その奇異なシーンを朝見ると、嫌な気分になる。羽鳥慎一モーニングショーのラストに、MCの羽鳥慎一以下コメンテーターたちが、今日も見てくれてありがとうございましたと、深々と頭を下げる。こんなシーンは他のニュース・バラエティ番組でも見られるが、深々さの姿は羽鳥慎一がいちばんだ。最も腹の中で舌を出しているやも知れない。奇異なのは本来時の政権の批判勢力であるはずの、朝日や毎日がトゲ抜き地蔵さんに、全てのトゲを抜かれてしまったのかのように、腰の抜けた記事ばかりなのである。両紙共に部数が激減し経営状態も赤字だ。そのためリストラを加速している。しかし経営状態と批判精神は同列にはできない。貧すれば鈍するでは、せっかくの有能な記者(?)たちのペンも、宝の持ち腐れとなってしまう。朝日、毎日が大スクープなどという話は、とんと聞かない。安倍政権以来新聞、テレビ等マスコミの言論のチェックを厳しくして、気に入らないMCやコメンテーター、学者の首を取って来た。久米宏(朝日系)故岸井成格(毎日系)田勢康弘(日経系)後藤謙次(共同通信系)星浩(朝日系)国谷裕子(フリー)古舘伊知郎(朝日系)御厨貴(学者)大越健介(NHK)などたくさんいる。最近では有馬嘉男(NHK)が「ニュースウオッチ9」のMCから外された。この国の報道の自由度は、北朝鮮に接近している。講談社系の夕刊紙「日刊ゲンダイ」が徹底的に反政権の姿を貫いている。週刊文春と赤旗がスクープをとばす。“夜討ち朝がけ”の新聞記者なんざぁ、最近いねえじゃねえかと麻生太郎に言われる始末だ。オリンピックをやらねばならない政権を援護するように、福島原発の“汚染水”を“処理水”と言い換えて海に流し出す。その決定を後押しするかのように、安全です、安全ですと記事は書く。漁師たちは、風評被害で食べて行けなくなると大反対する。いつの間にか総務省の接客問題はウヤムヤになった。私たちの業界を代表するトップクリエーターの新社長(東北新社)は、さらし者の役だけをやらされた。私たちの業界はナメられているのだ。たかだか映像業界じゃないかと。国会で深々と頭を下げる姿と、羽鳥慎一がダブって見えた。銀座四丁目の和光の隣りにある“キムラヤのパン”の三階に、古くからのレストランがある。人を待ち合わせするのには、丁度いいのでよく行く。午後二時四十五分に着席、窓側の二人席。ジンジャエールを頼んで人を待つ。窓からは銀座の人の流れが見える。ここで何かを食すと、いろんな種類のパンが食べ放題だ(無料)。大きなバスケットにパンを入れたのをウェイトレスが、パンはいかがですかと何度も席に来る。ある強者は、シーザーサラダのみオーダーして、パンを20個近く食べたとか。人はパンのみにて生きるを実践したのだろう。MOTOKIと「田屋という銀座の顔のような洋品店が、コロナに負けず並んでがんばっている。かつて銀座のMOTOKIや「田屋」で買うのが夢だった時代があった。五十年以上銀座を庭にして来たので、マスク、マスク姿のファッションのない銀座は、つまんない街となっている。午後三時半頃、待ち人来たる。18歳の若者である。映画の道に進むので、その専門校に3年通う。映画・制作科。スーツを一着持っていたほうがいいとプレゼンする。かつて社歌をプロデュース(作詞阿久悠さん作曲小林亜星さん)したり、社長とイタリアにロケに一緒に行ったりして、お世話になったAOKIさんに行った。京橋店の店長さんがとても親切に対応してくれて、二着で半額セールをすすめてくれた。映画界は最も食べていけない世界だが、ガンバレよと応援する。東京駅でそれじゃと別れてホームに行くと、やけに人で混んでいる。丁度会社帰りの時間だから20分以上列車が遅れると。ホームの上はマスクをつけた人で密集する。こりゃヤバイ、座れないと思いグリーン券を買いに戻る。スイカというのを持っていないと、ホームの上では買えない。で、戻ると未だ列車は来ていなかった。やっと来た小田原行きに乗るとグリーン車も座れない。仕方ないと座っている人の横に立つ。腰はパンパン、両足はジンジンしびれていた。臭いな、なんだこの嫌な匂いは。ウルセイ、な、なんだこの音はと、座っている男を見ると、年の頃は36、7歳、チャコールグレーのスーツに、茶色の革靴、足もとに黒い鞄、メガネをかけていて、ヒゲが濃いような顔。臭いとウルサイ原因は、“じゃがりこ”のLサイズだ。これをポリポリ、カリカリと、いつ終わるともなく音高く食べる。ウイスキーのハイボール缶を左手に持ちながら。それにしても何本入っているのだろうか。ポリカリ、ポリカリと横浜に着いた。どどっと人が出て行った。男の横、窓側に座っていた人が降りた。つまり空席ができた。よかった座れると思うと、男が足もとの鞄を取って両手で抱きかかえ、(じゃがりことハイボールを窓のところに置き)私にどうぞ空きましたよと言い、男はズルズルと窓側に移動した。なんだ臭くてウルセイけど、いい奴じゃないのと思い私は座った。余程声をかけて、君じゃがりこ何本食べたのとか、何本入ってんのとか聞きたかった。男の顔をよく見ると、いわゆるおちょぼ口であって、一本一本食べる時に、バリバリ食べれずカリカリ、ポリポリと口の動きが多いのだろう。男は戸塚でスミマセン降りますので、と言って降りた。私は降りやすいようにと立ってやった。ビニール袋の中にキチンと飲み干したハイボールのロング缶と、食べ尽くしたじゃがりこが入っていた。男はそれを持って降りて行った。スミマセン、アリガトウゴザイマスと言って。さて、日刊ゲンダイを読むかと夕刊紙を出した。“五輪強行、人殺し”みたいなでっかい見出しが踊っていた。(文中敬称略)



2021年4月2日金曜日

つれづれ雑草「額の傷と背中の傷」

「ペレス・プラード」音楽好きの人なら知っているはずだ。マンボの王様である。躁鬱病の大作家で有名なのは、「北杜夫」先生でどくとるマンボウ航海記は人気シリーズであった。天気予報番組で有名だったのは、ヤン坊マー坊天気予報だった。沖縄では今辺野古基地反対運動が続いている。世界一美しいという青い海の中を悠々として游ぐマンボーを殺すなと、一致団結している。何がなんでもオリンピックを開催して政権を維持したい人間たちは、コロナ禍第四波により緊急事態宣言は出したくない。出せばGo To トラベルや、Go To イート解除宣言の解除失敗などを認めることになる。そこで、マンボーなる言葉が一気に流行語大賞へと向い始めた。まん延防止等重点措置略してマンボーだ。人間をだますために東大を出たような官僚たちは、この手のやり方を得意中の得意としている。国民は緊急事態宣言発出と言えば、オリャー政府は何してるんじゃ、菅内閣はドアホーか、同じ過ちを繰り返してばかりだろうが、井筒和幸監督風に言えばこんな風になる。マンボー、マンボー、言うとるがヨオ、ちゃんとペレス・プラードさんとか、北杜夫さんとか、ヤン坊マー坊さん(ヤンマーディーゼル提供だった)、沖縄のマンボーさんたちにヨオ、名前の使用料を払っての、オ、オ、オ、こんなはヨオ(あんたらはとか、お前たちの広島弁・特に呉のヤクザ)ウソばっかりついてんじゃないの、ヨオ、西村、ヨオ田村、ヨオ、河野、(各担当大臣)カバチタレとるんじゃないよ。(ハッタリとか与太話の広島弁)ワクチンなんか来る来るゆうているが、ゼンゼンこんじゃないか! ヨオ、噂じゃヨオ、コロナ第四波が来ない内に衆議院を解散して、総選挙をやるそうじゃないの、アメリカのバイデン政権にスケてもらって(助けてもらって)ヨオ、米軍の経費をたっぷり増額しますと約束するんじゃろうが、思いやり予算とかでな……。久々に深作欣二監督の名作「仁義なき戦い」を見て、すっかり広島弁風となった。官邸はいよいよ選挙モードになっているのは間違いないと思う。何故ならコロナ禍は拡大の一途になる。ワクチンは少しずつしか届かない。オリンピックはやらねばならない。安倍・麻生たちは週刊文春にリークする(これは推理)毎週木曜日の文春砲がボディブローのように効いてきた。あんたら新聞記者だろ、いつマスクが取れるんだよ、麻生太郎が、新聞記者たち相手にヨタッてた。永田町はすでに仁義なき戦いのど真ん中なのだろう。私たち国民はそんな戦いよりも、コロナとの戦いのど真ん中で、ニッチモ、サッチモ、ドッチモ、コッチモ、ちっ息状態だ。イギリスの医学博士がマスクから解放されるのは、どんなにはやくても。三、四年はかかるとか言っていた。マンボーなどと略さずに、総理大臣たる者は、国民に向って何時間かけても質疑応答をする度量がなくてはならない。その上で責任は私がとる。中・小・零細企業や、個人(フリーランサー)経営の人たち、ネオン街の人々へもしっかりとお金を出す、だから守るべき事は守ってほしいと言わねばならない。俠(オトコ)の社会では額の傷は男の紋章、背中の傷は男の恥と言う。正面の傷は戦った証拠、背中の傷は逃げた証拠ということだ。私はこの人とのいい思い出は大切にしたい。それ故このままこの人と付き合い続けたら、きっといい思い出がなくなってしまう。そう決めたら姿を消すことにしている。散る桜 残る桜も 散る桜という。キックボクシングのスーパースターだった。空手家出身沢村忠さんが死去とのニュースを見た。享年78歳「キックの鬼」232勝(228KO)5敗4分け。真空跳び膝蹴りで、巨人、大鵬、玉子焼きよりも人気があった。キックボクシングなんてものに神聖なボクシングという言葉は使わせないと。キックボクシングの生みの親であった。野口ジム会長野口修は、ボクシング協会から除名された。しかし「キックの鬼」沢村忠の登場により、テレビの視聴率は30%以上となり、1973年には三冠を獲った王貞治を抑えて沢村忠は日本プロスポーツ大賞を受賞した。沢村忠はリングネーム、引退後は見事に姿を消した。本名は白羽 秀樹、自動車整備士の資格を取得し、都内で整備工場を経営していたと記事で読んだ。五木ひろしが全く売れなかった頃、沢村忠とリング上で、大ヒット曲となったよこはま・たそがれを歌ったシーンを憶えている。五木ひろしをよろしくと沢村忠は紹介した。野口ジムは目黒にあった。会長の弟は野口恭という、フライ級のいい選手だった。大ファンだった矢尾板貞雄とのタイトルマッチを後楽園ホールに見に行った。私は野球、空手、そして何よりもボクシング少年だった。現在午前三時五十三分五十二秒。これから五木ひろしのよこはま・たそがれを聴く。 よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草のけむり ブルース 口笛 女の涙 あの人は 行って 行ってしまった もう帰らない……。作詞山口洋子、作曲平尾昌晃の名曲だ。五木ひろしは何度も芸名をかえても芽が出なかったが、この曲と出会い日本を代表する歌手となった。山口洋子は銀座の超高級クラブ「姫」のママであり、後年直木賞作家となる。一曲の誕生が多くの人間の人生を変える。人生はブルースなのだ。沢村忠さんに(合掌)ヨオ、西村、田村、河野、こんなら額の傷を恐れず、がんばらなゃ、いかんのじゃけん。担当大臣として男を見せい、国民を守るのが仕事じゃけんのオ。(文中敬称略)