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2022年7月23日土曜日

つれづれ雑草「ウラメシヤ」

「三隣亡(さんりんぼう)」という言葉がある。この日に建築をすると後日火災に見舞われ、近隣三軒まで滅ぼすと伝えられる厄日のことだ。この日に宝くじを買うと当たらないとも言われた。一、四、七、十月は亥の日。二、五、八、十一月は寅の日。三、六、九、十二月は午の日が三隣亡にあたる。博徒は、この日には開帳しなかったという。警察にパクられて(捕まって)あることないことペラペラとウタウ奴(しゃべる)を、アイツは三隣亡みたいだから気をつけろ。ヤクな奴(縁起の悪い)だと言った。野球界では守備を交代させると、何故か交代した選手のところに打球がいく。かなりの高確率だ。一人がエラーすると、次々とエラーがある。地震も続く、洪水も続く。この世は不可解の連続だ。アメリカでは、二度買った宝くじが二度とも大当りで、莫大な金を手にした男がいた。その男は気が狂って死んだ。国中から寄附をしろとか、ゆすり、たかりに遭い、神を憎んで死んだ。兄弟姉妹にも不幸が続いた。貧乏な労働者であった時の方が幸せだったと言い残して。テロリズムが盛んだった頃、当然の様に世界各国、日本国もテロが横行した。話せば分かる、問答無用と銃の引き金を引いた。初代総理大臣伊藤博文をテロで殺した「安重根」は彼の地では英雄である。伊藤博文は長州人であった。ある歴史家は、長州には血の臭いがすると書いていた。つい先日まで生きていた長州出身の安倍晋三元総理大臣にも、テロによる血の決別が奈良で待っていた。三隣亡であればテロは続く。アメリカやロシアか、中国かインドやトルコか、それとも日本かは分からないが、きっと続く。連鎖するのが歴史だからだ。奇跡的な事も続く。私の知人の双子の子は、幼い頃マンションの5階(4階かも)のベランダから二度落ちて、二度共無傷に近い状態で助かった。双子二人共だ。当時奇跡の出来事としてニュースになった。ふさふさの芝生が双子を助けた。子どもの頃、嫌な出来事が続くと、母親やおばさん、近所の人たちが、さんりんぼうだわねと言っていたのを思い出す。この世には二つの絶対がある。一つは、人間は死んでない限りは、生きている。もう一つは、生きてる人は必ずいつか死ぬ。これ以外に絶対はない。大変だ! 大変だ! と言っている内は大丈夫という。本当に大変なら、大変だ! というチカラもないからだと。コロナ禍は第七波となった。大変だという人がいれば、もう慣れっこでなるようにしかならないと達観する人もいる。最高権力者だった人間が、銃撃でこの世を去った。その瞬間に権力闘争のヨーイドンが始った。顔で泣いて、心で笑っているのが永田町、霞ヶ関の住人たちだ。オイラが次のドンだと口をさらにへの字にしている福岡の老人、麻雀大好きな島根の老人、スポーツ界のドン石川の老人、オレをナメんなよと睨みを効かす和歌山の老人、当面はこの四大老が仕切る。目の上のたんこぶがこの世を去った事に秘笑する。煮ても焼いても食えない老人だ。スポーツ利権の闇の支配者、元電通の人間の浅ましい行為と、その男にブランド価値向上を求めた会社の名が出た。とてもお世話になったトップの顔写真が新聞に出てしまった。かつてイタリアロケに一緒に行った。とても仲の良い兄と弟だった。あの権力者が生きていたら、闇から闇であったはずだ。スポーツ界は、三隣亡となり次々とイモズル式に名が出てくるだろう。元統一教会というパンドラの箱が開いた。人を制する者は、人に奪われるという教えがある。冷麦とソーメンの違いがいまだによく分からない。幼き頃メンの中に赤いのと緑のが一本ずつ入っていて、兄姉と取り合った。それがないのがかなしい。キザミネギとミューガ、それに生しょうが、まい日食べても飽きがこない。赤と緑の一本があればなと思いつつすする。駅弁が大好きなのだが、家で食べるとイマイチ感動しない。駅弁は割り箸で食べないと、ウマクない。自分の箸で食べるとすっかりイケナイ。崎陽軒の1080円の弁当を食べた。860円の定番が売り切れていたからだ。自分の箸でなく割り箸で、少し反り返った竹製のふたについている米粒を、割り箸で一つ、二つとキレイに食べてあげるのだ。駅弁には駅弁のルールがある。旅に出たいなと思う。各地の駅弁を食べる旅だ。コロナは三隣亡なのだろうか。北海道函館本線の森駅にある、いかめし弁当660円は芸術品に近い。小さな箱に丸々としたいかめし二個が、ニコニコ笑って入っている。これは箸でなく、手でつかんでかぶりついて食べるのだ。これがなんともいえない味なのだ。コロナ禍は世界的な三隣亡である。医学会は緊急事態宣言をと言う人が多いのだが、政府はその逆で、行動をユルユルにと言っている。ヤクな奴ばかりなのだ。ウラメシヤコロナ。(文中敬称略)



2022年7月16日土曜日

つれづれ雑草「天気の悪い日とは」

天災は忘れた頃にやって来る。古人は知っていた。気象庁が梅雨明け宣言をした時、今年の梅雨は雨が少なかったなぁ、そのかえし狂ったような暑さが来た。猛暑より狂暑といいたいほど、40度越えのところがいくつもあった。アタマがイカレてしまうことを、パープーになるという。古人の教え通り全国各地で線状降水帯がつづいている。ドラム缶をひっくり返したようだ老人は言った。普段はナヨナヨした川があっという間に狂った川となり、足元でチョロチョロしていた水が、車を見えなくして狂流となる。気象庁は今年も梅雨の終り雨を予想しなかった。ノー天気だったのだ。昨年は熱海で狂裂な山崩れがあり、多くの命を奪った。土の上に土をのせ、そのまた上に土をのせるという、法律破りのせいである。泣く子とお天とう様にはかなわないのだ。日本中に盛り土をした所に人々は暮らしている。お天とう様は意地悪な性分だから、今年はどこにすんべえかとくじ引きをしている。引き当てられた所はたまったもんじゃない。昨日お世話になった小林亜星大先生のお墓参りに行った。私の両親と長兄が眠る多摩霊園だった。先生は無宗教で葬式なし、戒名なし、人に迷惑かけること一切なしの見事なラストであった。先生の片腕でドラマーだった友人と行った。雨が降ったり止んだりしていたが、お墓に花をたむけ、お線香に火をつけた時はポツコリ雨が止みうっすら明るくなった。私は超晴れ男で数多いロケで雨にイジメられたことはない。予備日を使ったこともない。やっと先生にお世話になったごあいさつをして友人と武蔵小金井の駅へ行った。午後一時頃であった。ちょいとレストランでランチでもと思ったがそれらしきものはない。駅はきれいになっているがレストランはない。でもってマックがあったので、二人でダブルバーガーセットを食べた。その後中央線で東京へ。そして仕事場へ行った。ジャンクフードは突然食べたくなる。吉野家の牛丼紅しょうがてんこ盛りとか、ケンタッキーフライドチキンも突然無性に食べたくなる。ある深夜、パジャマの上にコートを着て茅ヶ崎駅南口にある吉野家へ食べに行ったことがある。ケンタッキーは夢の中に出てきて、次の日オープンと同時に突入して、指をベタベタにしながらむしゃぼった。これらは一年の内に二、三度起きる。どんな名店よりこの時は旨いのだ。ただ食後にいいようのない満腹感でなく、無力脱力感に襲われる。何かしてはいけないことをしたような気分だ。誰れも見てねえだろうなとヨソヨソするのだ。夜帰宅して夕刊をパランパランすると、サンマ一匹13000円と大見出しがあった。豊洲市場への初入荷はわずか十匹だけだったとか、やせ細ったサンマの写真があった。そのとなりの見出しに、ブドウ一房150万円とあった。高級ブドウ「ルビーロマン」特秀クラス一房に一粒30gほどものが27粒である。霊感商法の判子とか壺とかと比べては生産者に申し訳ないが狂った価格だ。狂乱物価の世の中になって来た。13000円のサンマを食べている奴がとなりにいたら、150万円のブドウ27粒を食べている奴が目の前にいたら、自分の言動を想像しただけで、ゾッとする。世の中は、ゾッとする事件が続々と起きている。事件を起こした人間たちに共通している要因は絶望感、疎外感、孤独感だと過日のNHKスペシャルで知った。特に絶望の二文字が世に満ち満ちている。刑務所に入りたかったので事件を起こしたという中年男、自分で死ねないので人を殺して死刑になりたかったという若者、七十を過ぎて十八歳の女性を手にかけるなんてまるで狂老だ。東京電力の四人の老人たちに13兆円以上の賠償を命じた地裁の判事たちに拍手を送る。多くの人々を絶望に追い込んだ四悪人に、絶望を味わってもらいたい。もっとも最高裁に行く前に、寿命が尽きるだろう。死んだらチャラだ。判事はそこまで読んでいたのかも知れない。あ~なんだか吉野家に行きたくなって来たではないか。絶望は愚か者の結論なりなんていう言葉を、ラジオ番組の枕言葉にしていた人がいた。人生相談の番組だった。今はガードを固めてパンチから守るしかない。みんなで支え合い、励まし合い、助け合って行くのだ。先日こんな記事を読んだ。ある少年が明日は天気が悪いでしょうという天気予報士の言葉に、悪い天気ってどういうことですか、雨が降らないとお米が育たない、野菜や果物も育たないとおじいちゃんが言っています。雨が降るのは悪い日なんですか(?)。さてあなたなら少年の質問にどう答えますか。いよいよコロナは第七波、尊敬する学者さんが国民の七、八割が抗体を持つまで、ウイルスは必死に変化しつづけます。マア10年はかかりますねと言った。あ~やんなっちゃった、あ~オドロイタ。今は亡きウクレレ漫談の牧伸二を思い出した。(文中敬称略)






2022年7月9日土曜日

つれづれ雑草「投票へ」

本日は社会騒然としているのでほぼ休筆。明日は参議院選挙投票日、決して棄権することなく清き一票を投じてください。数の暴力で嘘はつき放題、予算は使い放題、税金は悪用し放題、この国を壊し放題。与野党共にその責任がある。と言って投票をしないのは、自らの権利放棄となる。高い税金を払いつづけているのだから、自らの思いにいちばん近い人に一票を。わずかだけでも近い人に一票を。激しく愛し合って結婚してもすぐ別れる夫婦あれば、嫌々結婚しても長い間幸せでいる夫婦も多い。選挙の一票はラブレターと思えばいいのだ。投票箱は白いポストだ。



2022年7月2日土曜日

つれづれ雑草「骨まで愛する」

激痛は明け方突然起きる。寝返りをしたなとアタマの中でぼんやり思っていた。その時ギャ~と声を発した。痛、イタ、イテェ~、イテェ~、両足がこむら返りしたのだ。両足の筋肉がケイレンを起こした。足の親指は反り返って固まり、ふくらはぎの筋肉はカチンコチンになっている。イタタタタ立てない。今回のはいままでと全然、ゼンゼン違う。ふくらはぎだけでなく足全体なのだ。イテェ~といいながらガタンガタンしていたら、上から愚妻が降りてきて、何してんの、何してんのを連発。足がつってんだよ、立てないんだよ、と言った。どこ(?)どこ(?)と足を触りここでしょ、カチカチよと言いながらゴシゴシ筋肉をほぐした。が、今度はいままでのように足を壁に突き出して反り返りを治せない。親指を指で引き寄せても治らない。私の仕事仲間の一人にこんな話をしたら、やはり同じようなケースがあり激痛がおさまらないので救急車を呼ぼうと思ったとか。フツーなら五、六分で治るのだが、一週間経った今日の朝まで両足の筋肉は怪しい動きをしている。脱水状態とか、冷房で足が冷えすぎとか、足の疲労がとしのせいでとれない。つまり筋肉が反乱をしているのだ。クーデターなのだ。時計の針が八時になるのを待って(七時台だと悪い気がした)平塚の鍼灸の達人に電話した。痛いんだよ、動けないんだよ、訳が分かんない痛さなんだよと言ってスケジュールが調整できたら来てチョーダイと頼んだ。円盤投げで佐賀県のインターハイに出た達人は、(ちなみに息子さんは砲丸投げをしている)昼になんとかしますと言ってくれてその通り十二時にピンポーンと来てくれた。さすがに達人、グイグイマッサージをしてくれて、鍼を経絡(ツボ)に相当数刺してくれた。ハリーアップの治療でかなり治った。いやはやこむら返り恐るべしであった。いきなりの狂暑で体の調子が狂ってしまったのだ。眠る前には水より麦茶(ミネラルが入っている)の方がいいとか、薄い靴下をはいた方がいいとか、同じ姿勢でずっと座っていない方がいいとかを学んだ。私は映画とか資料映像をぶっ続けで10時間以上見る習慣がある。そんな時は時々立って少しでも動いた方がいいらしい。激痛から一週間筋肉をなだめている。やさしくナデナデしているのだ。しかし反乱を予感している。少年野球の応援はずっと立ち放しなのでこれからは折りたたみ式の椅子を持って行くことにする。海岸で釣りをする時に買ったのである。いよいよ鰻(うなぎ)の季節だが、とにかく高くなっている。私はうなぎ大好き人間なのだが、2ヵ月に一度行くか行かないかだ。今朝の新聞に手紙文化研究家の中川越さんの文化人たちの日々好日というコラムがうなぎにまつわる話を書いていた。その内容がおもしろかったので、抜粋して私的文体にして書く。江戸時代の人気作家山東京伝(さんとう きょうでん)が、人相・手相に関する本の中で、「鰻の筋」というのを書いていた。手相の筋について。チンタラ、チンタラ生活して、勘当された身の人間に置きかえていておもしろい。狭い活舟(いけぶね=入れ物)の中に入れられ、口をパクパクし、ぬらりくらりと過ごし、やがて親兄弟かの縁を裂かれ、(うなぎが切り裂かれること)竹の串で刺され、火あぶりの刑のようになり、団扇(うちわ)でバタバタあおられ、不孝の醤油(タレ)につけては焼かれて身を焦がす。やがて山椒をかけられてしまう。うなぎの手相とは道楽息子の典型なのだよとあった。(中川越さんの文章は古文で鮮やか)歌人で有名な斉藤茂吉は大のうなぎ好きであった。五十三歳の時、妻の浮気が原因で別居している時に、自らの弟子の女性に恋をして一線を超えてしまった。その女性とうなぎを食べ酒を飲みながら、「こうすると美味いんだ」と言ってうなぎの上に酒をたらした。茂吉先生は子どものようによろこんでいた。そして外に出てある池のほとりで、弟子の女性とキスをした。(中川越さんの表現はもっとうまい古文風)やはりうなぎには何かムラムラさせるパワーがあるのだ。私が銀座でいちばんうまいと思うのは、私の仕事場近くにある登三松だ。抜群の味だ。だがジリジリと値が上っていてうなぎは遠くなりにけりだ。近くを通ると団扇でバタバタして生まれたいい香りが心を動かす。ムラムラするのだ。顔なじみのおばちゃんに近い内に来るからなと見栄を張る。少し吃音気味の男の人が、オ、オ、オマチしていますと言う。この男の人は私を筋者(ヤクザ者)と思っているようで、私と会うと緊張して吃音が強くなるとおばちゃんが言った。そうだな、人相、風体がその筋の人間みたいだからなと思っている。自分の手相を見ると、鰻の筋が何本もあるように見える。狂暑はつづく、きっとこむら返りもつづくだろう。コロナが増加している。マスク生活もつづく。息苦しい世の中になっている。うなぎの骨は体にいい。深夜、ショパンのバラードト短調作品23を聴いた後、久々に城卓矢骨まで愛してを聴いた。 生きてるかぎりは どこまでも 探しつづける 恋ねぐら 傷つきよごれた わたしでも 骨まで 骨まで 骨まで愛してほしいのよ……。いいね、いいね、うなぎの骨を思い出すのだ。
(文中敬称略)