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2020年8月6日木曜日

第84話「私は距離」

私は「距離」である。私距離は現在ソーシャルディスタンスなどと言われている。人間とは文字通り、人と人との間である。それが今、人間間間間人位に離れないといけない。麻雀をやっている人なら、千鳥(チドリ)という用語を知っているはずだ。(千鳥格子模様から)例えば麻雀牌(パイ)を上下17づつ積む時、|中| |中| |中|と飛び飛びの間をとる。現在人間関係はこの千鳥となった。列車の中、会社の中、レストラン、飲食店、映画館など人が集まるところは座席に╳印がついている。コロナウイルス狩りなどというのが始まった。米国で吹き荒れた赤狩り(マッカーシー施風)と同じだ。コロナに感染すると魔女狩りが始まるだろうと以前書いたが、やはりその通りとなった。家のご近所とか、学校とか、飲食店でコロナ感染者が出ると、陰湿なイジメがSNSによって一斉に行なわれる。いずれ八つ墓村事件みたいな惨劇が生まれるだろう。格差社会で人と人との関係、友人と友人、親と子、夫と妻さまざまな関係が、すでに千鳥となっている。家庭内感染が増えたから、いよいよ家庭内は千鳥となる。地方では村八分などという言葉が復活しているとか。内緒の話はあのねのねと言うが、人の顔を遠くで見ている人が、本当は今晩のおかずは、コロッケと魚の煮付、ヒジキに冷奴なんて話をしているのだが、コロナ感染で疑いを持たれた人は、アノヤローたちいつか見ていろ、人の噂ばかりしくさってとなる。大阪府知事の吉村さんがイソジンみたいな、うがい消毒液がコロナ感染に効く、そんなことを記者会見で話したら、近所にあるドラッグストア 「クリエイト」から、あっという間にうがい薬は消えたとか。その内イソジンのオンザロックみたいのを飲む人間が出るだろう。犯罪史に残る無残な事件は、小さな噂話から始まっている。又は、あの家の人は感染しないのに、なんでウチの人がとの嫉妬心である。人類史上初の殺人事件という、カインとアベルも兄弟間の嫉妬みたいのから生まれた。神々の世界も又、嫉妬の世界なのだ。私距離は人と人とがどんどん離れ離れになって行くこの世を嫌う。ちなみに「千鳥格子」という名称は、その模様が飛んでいる千鳥が連なって見えるところから来ている。(英国ではツィードとも言う)さらにちなみに、麻雀のプロたちは千鳥というツメ込みで八百長をやる。私たち貧しき者は必死に働いているのに、総理大臣は十月まで長い休みをとるのだとか。指揮官のいないコロナ戦争に終わりは見えない。政権はすでに千鳥足となっている。400字のリングはしばし休筆する。


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2020年8月4日火曜日

第83話「私は逆境」

私は「逆境」である。この世に生を受け、ものごころがついた頃から、私は逆境である。それ故逆境に打ち勝った人とか、ずっと逆境にいる人に共感する。日曜日は、「泣けた泣けた、こらえ切れず泣けた」元大関照ノ富士が、平幕番付どんじりで優勝した。モンゴル出身である。入門以来強いのなんのと勝ちまくり、十両から幕内、そして三役、大関へと一気に駆け上がり、すぐにでも横綱かと言われた。怪力無双で相手力士をつり上げた。横綱白鵬の全盛期であったが、照ノ富士時代が来ることを疑わなかった。しかし大関といっても二十三歳の若者である。相撲の怖さを忘れ慢心し、増長した。そしてその慢心が相撲の神様を怒らせた。ある一番で相手力士をつり上げ、つり落としを仕掛けた。その時相手力士の体重が照ノ富士の両ヒザにのしかかった。ガクッとして、ボキッとして、グシャッとなった。力士にとって両ヒザは命に等しい。多くの有望力士が横綱を目前にしてヒザを痛め脱落して行った。又、両ヒザを痛めて大関から関脇、小結、幕内、十両、幕下、そして序二段まで番付を落として再起し、幕内優勝をした例は江戸時代からない。照ノ富士は糖尿病と肝炎にもなっていた。正に身も心もボロボロになり、力士の命である体は再起不能に近い状態だった。引退したいと親方に何度も言ったが、元横綱旭富士の伊勢ヶ濱親方夫婦や知人友人がもう一度やってみろと励ました。優勝力士インタビューで、あの頃はイケイケだった。目をうるませながら、親方やおかみさん、励ましつづけてくれた人に感謝していた。二十八歳になった元大関は新大関も破りその実力を見せつけた。私逆境は努力をしてきたことが実ったと言う姿に泣いたのだ。努力しない人間が報われることはない。悪事を働いている人間が報われるのが、世の中だがそれは違う。株への投資や相場で富を得てもそれは仮りの姿、必らず地獄が待っている。照ノ富士の両ヒザには白くて大きくてぶ厚いサポーターが巻いてある。今度つり落としをしたら、相撲の神様は許さないだろう。楽して勝とうとする力士が大成した例はない。私逆境がいつも気にしている、茅ヶ崎出身の力士、服部桜は今場所も全敗だった。入門以来2勝しかしていない。100敗より先は勘定しないことにしている。番付表のいちばん下にいる。いずれ会ってみたいと思っている、アコガレの力士だ。二日の日曜日朝八時三十分プレイボール、小(四)の孫の試合だ。野球場に愚妻と行き検温をし、消毒をし、名前、住所年令を書き球場に入った。孫ははじめてピッチャーで先発する。公式戦なので審判も三人、記録員もいる。試合時間は七十分、一回に5点入ったら相手チームと交代するルールだ。孫は私らの顔を見ると大きく手を振った。息子は助監督である。孫の先発はみんなでミーティングして決めたと言った。空は青くグリーンに囲まれたグラウンドは整備されている。プレイボールと同時に、ボールばかり、時々入るストライクをボカン、ボカンと打たれる。エラーもあり、5点が入り、そこでストップ。相手チームと攻守交代。こうしないと少年野球は終らない。一回裏一点返す。二回は少し落ちついたのかストライクが入り一点で終えた。そして三回表、又、ボール、ボールでランナーを出しつづけ、監督がピッチャー交代を告げた。孫は逆境に強い(?)ので、交代してショートに行っても元気一杯だった。とにかく野球が大好きなのだ。その夜食事を一緒にすると、あ~楽しかったと言った。試合は結局コールド敗けであった。ネット裏に来ていた知り合いの市会議員が、二回はよかった、何度か投げて行けばよくなりますよと言った。この議員は少年野球の監督をしていた。私はいつも逆境の中にいるが、少年たちの一生懸命ボールを追う姿に、何よりの勇気をもらうのだ。今、全国民がコロナ禍による大逆境の中にいる。バカヤロー負けてたまるかだ。伊勢ヶ濱親方は常日頃、歩けるうちはケガではないと言っているとか。



2020年8月3日月曜日

第82話「私は応援」

私は「応援」である。八月一日土曜日午前九時四十五分プレイボール。私応援は高(三)の孫の野球の応援席にいた。孫はあと3試合で高校野球生活を終える。日曜日と月曜日には応援に行けないので土曜日に行った。相手は三浦学園という強いチームだった。野球の試合は孫の学校の野球場であった。横須賀線保土ヶ谷駅からタクシーで1500円位の所にある。映画を見ながら朝までずっと起きていた。八時四十分お世話になっている運転手さんに来ていただいた。グラウンドに着くと、丁度両チームが気合と共にホームベースのところに行き、相方礼をして試合は始まった。先攻は孫たちであった。孫は三塁を守り打順は五番であった。前の晩に食事しに来ていて、観に来たら絶対打つよと言って帰った。一回表孫たちは0点。その裏相手に4点をとられた。孫は第一打席鋭い当たりで、三遊間を抜いてチーム初ヒット。すかさず盗塁に成功した。ウオーヤッタヤッタと拍手。私はネット裏のスタンド真ん中にいた。年配のOBがたくさん来ていた。第二打席カッキーンと、凄いライナーでショートオーバーのヒット。ウオーヤッタヤッタ。しかし、相手はよく打つその後3点、1点と追加点。第三打席は四球で出塁すかさず盗塁したがタッチアウト。8対1のまま最終回、第四打席は満塁であった。カッキーンとセンター前ヒット。ウオ~ヤッタァー、ヤッタァーと大拍手、二打点をあげた。試合は結局8対4で負けた。私は二時には家に帰らないといけないので一試合だけ観た。四打席三打数三安打一四球、二打点、チーム一の成績であった。強い陽射しを受けて顔はヒリヒリとしていた。両手は拍手のしすぎでふくれていた。一打席ごと試合には仕事で来れない息子に、ガラケーで報告した。来てよかった。サイコーだった。小学一年生からずっと野球をしていた孫は、もう野球はしないと言う。保土ヶ谷駅までタクシーに乗って横須賀線久里浜行に乗った。大船で東海道線に乗りかえる。久里浜かとホームで思った。三分間ホームで待ち時間。少年の頃大好きだった先輩の面会に行った。久里浜の特別少年院を思い出した。「特少(トクショウ)」というのは文字通り特別に選ばれた不良少年が行く。当時は初等・中等・準特少、そして特少というランクがあった。久里浜は海のそばなので水泳の教練がある。先輩は水泳が苦手であったので、水泳の教練がキツイと言った。体は小さいがその根性は、すでにヤクザの間では一目置かれていた。十九歳でヤクザの幹部を斬り殺して入っていた。同じ中学の三つ上の先輩だった。久里浜の特少と言えば、羽仁進監督の「不良少年」という映画を思い出す。上映した年キネマ旬報のベスト1位になった不朽の名作だ。久里浜の特少と同じセットを作って撮影した。同じ年黒澤明監督の「用心棒」が大ヒットしていた。映画はこんな少年の言葉から始まる。「俺は銀座を歩いたことがない。護送車の中から見ただけだ」実際の不良少年たちを起用した映画は、監督賞も受賞した。私が生涯見て来た映画のベストファイブに入る。撮影が「金宇満司」さん。後に石原プロモーションで、石原裕次郎さんの名作を撮り続けた名カメラマンである。ホームに久里浜行が入線して来た。空席に座ると隣りに黒い短パンのマスクした外人、その外人と手をつないで座っているのは、ジーンズの短パンの若い日本人女性。なんだか横須賀線ぽい気分になった。石原プロを解散というニュースを思い浮かべた。いずれこの国のリーダーになる人を、今は支えている、ヨットマンでもある名物プロデューサー。調布にあった建築の現場にあるようなプレハブの石原プロ、駐車場にはシャワー付きのロケバス、大きな炊き出し用の鍋、裕次郎さん愛用のボロボロのソファー、映画屋の城はかくあるべしという、二階建てのガタピシの石原プロモーションがイカシていたシビレるような低く太い声の渡哲也さん、ジャケットのサイズが全く私と同じだった、舘ひろしさん。映画大好きの男たちの臭いがたまらない。ずっと野球少年だった孫は、映画の専門学校に行くと決めたようだ。映画屋はいいぞと、私がいつも言っていた影響だろうか。孫の親友は寿し職人になると言う。私応援は少年たちを、応援しつづける。大人は少年を経てしかなれない。私応援は、善良なフリしているつまんない人間は応援しない。不良の方がいいのだ。