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2022年12月24日土曜日

つれづれ雑草「ベラボーな話」

勝者には何もやるな、もう勝利を手にしているのだからと、アーネスト・ヘミングウェイは書き残した。勝負の世界ではよくやったと言われる敗者になるなと言う。サッカーのW杯全試合を見てつくづくそう思った。毎朝四時キックオフ、延長PK戦になると六時半位まで死闘を見ることになる。わずか1ミリの運に味方された国、わずか1ミリの不運に泣かされた国、サッカーは貧しき民たちから始まった。ある物知りによると、かつて海賊国家だったイギリス人が、奴隷として捕獲して来た人々を、もう使えないと処刑した時、その首を落とした。そして布袋や皮袋に生首を入れて、足で蹴りつづけたのが始まりだったんだと(諸説あり)。サッカーにはそんな血の塊りになったことへの復讐がある。試合ではなく戦争に例えられるスポーツは、サッカーだけである。民族と民族、宗教と宗教、支配していた国と支配されていた国との凄絶な戦争なのだ。イギリス、フランス、スペイン、オランダなどが、南米大陸に奴隷船の船底で櫓を引かして南米に渡りサッカーは南米に根付いた。命果て労働力として役に立たなくなった者たちは、生首が布袋、皮袋入りとなった。南米の子たちは道に落ちている石ころや、丸い木をボールに見たてて遊んだ。そんな中で、欧州のエリート選手をやっつける英雄を生んだ。ブラジルのペレアルゼンチンのマラドーナである。そして遂にその二人の英雄を超えた選手がでた。身長167センチとも言われる、リオネル・メッシだ。神の子といわれていたが、遂に「神」になった。ブエノスアイレスの人口の倍以上(500万人)の大群衆が、伝説の神と、その仲間たちを祝福した。本当のブラボーとはこれなんだと思った。一点差で負けたフランスは、怪物のような二十四歳の若者が、一人で全得点(ハットトリック)を叩き込んで、歴史に残る一戦で光り輝いた。九万人近い大観衆は、メッシ、メッシを連呼しつづけた。あらゆる重圧の中で神の子メッシは、神業を見せつづけ世界を歓喜させた。日本はどうかといえば、予選リーグで強豪ドイツとスペインを破った。1ミリの好運に恵まれた。その時長友佑都という選手が、インタビューのマイクに向ってブラボー、ブラボーと絶叫した。私はその時、こりゃダメだと思った。やはり決勝リーグで負けて、早々と帰国した選手たちは、な、なんとベスト16の成績なのに、首相官邸に呼ばれ、ブラボーと叫んだ。ブラボーじゃない、ベラボーだと私は怒った。この国はよく戦った敗者を称える。神風特攻隊のように。私たちの世界では一つの仕事を得るために、プレゼンテーションという大会がある。数社だけの時や二十社近い大プレゼンもある。大きなものは何ヶ月もかけて、あらゆることを徹底的にやる。説明時間は決められている。徹夜、徹夜をつづけ仮眠し、又、徹夜となる。ボー大な労力と経費がかかる。で、発表の日残念ながら二位でした。とてもよかったですよと言ってもらいました、などとなぐさめられても、敗ければすべては紙くず、粗大ゴミだ。二位でブラボーなんて言ったら追放される。新しい景色を見たいなどと情緒的な言葉を口から出しているかぎり、日本のサッカーは現状のままだろう。戦争を始めるのはたやすいが、退却はむずかしいという。退き口(のきぐち)という言葉がある。その一戦は敗けても、勝利した国に、次は相手にしたくない、とんでもない強さだったと言わせるのが、最高の退き口だ。来年のNHKの大河ドラマは徳川家康が主役。関ヶ原の合戦の時、敗軍の島津藩の一軍が、家康を目指して猛進して来た。有名な島津の退き口だ。小心の家康は肝を冷やした。島津恐るべしと大きなトラウマとなり、減封しなかった。明治維新は関ヶ原で負けた藩によって成された。島津藩、毛利藩、土佐藩、佐賀藩。いわゆる薩長土肥である。私の人生もいよいよ退き口をどうするかになった。かつてない、悩み苦しみの一年であった。黄金のトロフィーにキスをするメッシ選手に大きなヒントをもらった。涙が流れて止まらなかった。私にはもう行き場は一つしかない。第一の仕事がパーティ券売りのような、愚かな政治家たちによって、この国は再軍備の国となる。増税、増税で財務省は、ブラボー、ブラボーとなっている。目を覚ませ国の民たちよ。少しばかりの年金をもらって、一日一日今日は何をするかと考えるような、生産性のない人生の敗残者になりたくない。白い灰になるまで戦いつづける。あしたのジョーのように。今年の400字のリングは終る。錆びたナイフでも時代は斬れる。老害麻生太郎がワンポイントでも、総理大臣になりたいと真剣に考えているらしい。読売新聞の老害渡邉恒雄が生々しく政治に口を出している。二人があの世に旅立つのを、初夢の前に見ている。害虫は駆除されるだろう。ゴキブリホイホイとか、ルーチョンキことキンチョールによって。みなさん良い一年は期待できませんが、国を正すのは清き一票の力である。国家のベラボーな動きにしっかり関心を持って行動してください。英米人はこの国を独立国として認めていない。生首としてサッカーのボール代わりなのだ。故安倍晋三の死がそれを物語っている。未だに何も調査機関がない。ケネディ暗殺は今でも調査委員会がある。うさぎは何で亀に負けたか、それを考えよう。何故この国はサイテーの国になってしまったのか。私は世界と勝負する。
(文中敬称略)  




2022年12月10日土曜日

つれづれ雑草 本日、休筆です

 本日、諸事情により休筆致します。近々、本年最後の「400字のリング」のゴングを鳴らします。

2022年12月3日土曜日

つれづれ雑草「クジラの竜田揚げ」

私は現在サッカーW杯を見るために、ずーっと眠らないような生活をつづけていて、脳内及び内臓各位、全身体がバランバランの不調和になっており正常を失っております。アベマTVとかNHK、大嫌いなフジTVまで見ております。おそらく四年後はこの世とオサラバしているので一試合でも多く見まくっています。日本は強豪ドイツとか、スペインを撃破して、ブラボー、ブラボーと叫んでいますが、これは日本が少しばかり強くなったこともありますが、強豪といわれていた国々が弱くなっているんです。日本人の悪いクセで相手国の実績にビビってしまうのですが、その相手国が世代交代で、ヒジョーに弱い国になっているのです。でもって、モロッコとか日本が予選を第一位で通過したのです。でもって番狂わせが多く発生しているのです。でもって私は早朝4時キックオフを見るのです。そのまま起きていて東京へ出て行くと、もう危険人物になっています。デンジャラスゾーンを突き抜けています。でもって極力人と会わない、人混みに行かないようにしています。だからと言って日本を応援しているのではありません。私はこの国は栄光を手にしてはいけないと思っているからです。あ~惜しい、チクショウ、あと一歩だのほうがいいです。岡田武史という大馬鹿の代表監督が、日本のサッカーを世界へと貢献した、「三浦知良」選手を、ただ嫌いだからと代表選手に選ばなかった。これはプロ野球でいえば、長嶋茂雄や王貞治選手を代表に選ばないのも同罪です。重大な罪です。それ故、私はサッカーW杯は三浦知良選手が、代表監督になった時、世界の強豪を撃破して優勝してほしいと願うのです。日本は強国ドイツ、スペイン戦で逆転しましたが、これは二度の奇跡、選手全体は技術力、走力、正確性に於いて、三、四人以外は世界レベルではありません。個人の力です。又、世界のサッカー界が世代交代の時期にあります。日本の選手は世界に出てスキルアップしています。つまりは今回のW杯はスキルダウンしている、かつてのスターと、スキルアップしている若手との戦いとなっているんです。あっとオドロクタメゴローみたいな番狂わせは次々に発生する。スーパースターはただ一人アルゼンチンの「メッシ、神の子」だけ。そのメッシも引退間近の年代となっている。大好きなクロアチア「モドリッチ」も37歳。今度は日本vsクロアチア、私は一生懸命モドリッチを応援する。犬には肉を与えるな、猿に戻ってしまうから”“人間には力を与えるな、獣物になってしまうからという。サッカーW杯の影で、日本の戦費を拡大させ、再び戦争へと動いている。又、あらゆる増税をすすめている。又、老人イジメの保険などの減額もすすめています。日本という国に過ぎる栄光を与えると、不幸の始まりです。頑張っている選手には準優勝か第3位がいいんです。それが次への向上心を生むからです。ブラボー! ブラボー! とモンキーみたいな選手が叫んでいますが、スポーツマンシップを失っています。全世界にリーダーなく不安定な時代をサッカーW杯が象徴している。王国ブラジルもカメルーンに一発で負けた。リーダー不在だったからだ。ドイツ、ベルギーも同じだ。そしてこの日本国のリーダーは、今や宴会部長といわれて、あちらこちらの座敷に、老実力者たちを会食に招きヨイショして回っている。W杯が終り気がつけば大増税、再軍備だ。それにしても政治家とは、なんてお金にセコイのだろうか。一人二万円のパーティ券のご案内がいくつも届いている。「義」なき政治家、「道」を知らない政治家たちとは、もう、オサラバ、サラバだ。昨日深夜赤坂の地下にて、打ち合わせした人と食事をした。クジラの竜田揚げがうまかった。少年時代の給食を思い出した。タクシーの料金が30%近く値上りしていた。これからは徒歩、トホトホと徒歩だ。東海道五十三次。(文中敬称略)



2022年11月26日土曜日

つれづれ雑草「達人に感謝」

突然テレビの画面が黒一面となった。プチンという音と共に。16年前壁にへばりつけたナショナルのビエラが寿命を迎えたのだ。フランスvs日本のラグビーの試合を見ていた。いよいよあと2日後サッカーW杯が始まるというのに。深夜一時頃黒い画面を見ながら私は失意のどん底気分になりながら、手にしたリモコンの電源を押し続けた。ナショナルのテレビは生産していないことは知っていた。明るいナショナル、みんなのナショナルは、かつての家電メーカーではない。私からテレビを取るということは、キリスト教徒から聖書を取り上げるのに等しい。何故なら信仰する映画が見れなくなる。映画は私にとって不眠の友であり、夜と朝の間の愛人でもある。濃密な関係なのだ。近所の電気屋さんで買ったのだがご主人が亡くなり、息子さんが後を継いで修理専門になっている。店頭販売はしていない。映画のない長い長い時間、仕方なく本屋大賞受賞作の時代小説を読み始めたが、これが大外れ、書き出しの二行を読んでこりゃ外れだなと思った。友人に頼んでアマゾンで買って置いた一冊だった。案の定時代小説の定番物語である。藩内の権力闘争であった。やっと50ページ位読んでやめた。こういう時は「北原白秋」の詩集を読むと乱れた心は安定する。日本語の神様である。この神様は道を外した恋愛を行っているので人間的である。そうこうしている内に朝刊が来た。未だ暗い、かなり寒い。朝刊をインスタントコーヒーを飲みながら読む。嫌な見出しばかりだ。新聞といえば朝日新聞の部数が400万部を切ったとか。日本の政治家に人物がいなくなったように、アメリカもいなくなっている。防衛費を膨大にしてその財源を国民一人ひとりの税金にと企んでいる。まるで再軍備だ。いずれ戦争に参戦する日が来るだろう。歴史は繰り返すという。それにしてもテレビがついてないのは心細く時間が経つのが遅い。朝七時半頃愚妻が降りて来たのでテレビがブッ壊れたよと言った。あっそう長く使っていたもんねえ、テレビを一日中つけてるからよと言った。電気屋さんの電話番号を調べてくれよと言った。スマホが少し使える。朝九時半頃電話する。もしもし○╳の○╳だけど買ったテレビが壊れたんだと言ったら、わずか2分位で息子さんが、あ~ビエラですね、16年前に取りつけましたが、もう生産していない、部品がないのでスミマセンと言われた。ケイズ電気よ、ケイズ電気と愚妻は言う。なんだよそれはと聞けば、辻堂駅の北口にある大型の電気屋さんであった。私はそういう所は大嫌いなので行った事がない。私の体をメンテナンスしてくれる平塚の達人はメカに強いので電話するとダメだと思いますよと言った。ヤバイW杯が見れないではないか。息子に電話すると、よく持ったんじゃないとつれない返事。オ~イ、ケイズ電気に行くぞどこだそこは。先日使うだびむせび泣いていた洗濯機が壊れて、やたら小さい洗濯機を買って来ていた。どこの国の製品だか分かんないけど、もうこれでいいのよと言った。ケイズ電気に行けば安いのがたくさんあるわと言った。夫婦で買い物なんていうことは記憶にない。人の群れが苦手なのだ。ずっと昔中国の万里の長城に行った時、中国人の群れに吸収されて、圧迫死されそうになった経験がある。で、ケイズ電気は恐ろしく広いのだが、お客さんがいない、ガランガランである。聞けば出店は成功でないとか。ケイズ電気通が言った。持って帰れる小さいのにすると決めていたので、テレビを売っているコーナーで小さくて安いのに即決定。私の買い物は5分位で決める。どこの国のテレビだが分からない。平塚の達人はメーカーは別々でも、中は殆ど中国製ですよと言った。店員さんの若い男はとても親切、これにしたいけどと言ったら、在庫があるか調べて来ますと言った。15分ほどしたらありましたと言って四角い箱を持って来た。やったぁ~である。小さいから軽い、若い女性店員が親切に対応してくれた。ウェットティッシュのおみやげをもらった。さぁ~買って帰ったはいいが、どうやって配線をつなぐのか、大騒ぎの始まりであった。そしてやはりここで平塚の達人へお願いとなった。わざわざ来てくれた。鍼灸の達人はメカの達人でもある。悪いな、悪いね、悪いわね、と言いつつ達人を見つづける。所要時間約30分、オッ、オオオ、テレビがバッチリ映像を見せたのだ。スゴイね、スゴイヨ、スゴイワネと興奮した。それにしても私は使えない人間なのである。達人にたくさん御礼をしたかったのだが手持ちがなかった。いずれ盛大に御礼をする。「聖なる証」という宗教画のような映画を見た。十代の少女は九歳の時に処女を失った。その相手は少し年上の兄であった。そして二人は結婚した。そう告白する少女は、数ヶ月食物を口にしていないが生きている。一人の女性がこの不思議な少女に食事をさせて、すべてを記録して報告をするようにと仕事を与えられる。さて少女は……。ケイズ電気とは、K'sデンキであった。夫婦で電化製品を買うなどという、恥ずかしいことをした私は罪悪感を重く感じているのだ。




2022年11月19日土曜日

つれづれ雑草「忘れ茄子」

十一月十五日京都御所のところ午後二時頃、空は薄青く、時に薄灰色であり、風がはんなりと動いていた。私は友人のウェブデザイナーとそこに居た。東京発十時二十分新大阪行に乗って日帰りでやって来た。目的は御所の側にある「虎屋 京都ギャラリー」長いお付き合いをさせていただいている、大尊敬する画家にして名随筆家「麻生哲郎」先生の「京都洋館さんぽ/麻生哲郎スケッチ展」を観るためである。このギャラリーは虎屋社長に選ばれし者にしか展示されない。いわゆる画廊は画家の絵を展示して販売する。販売価格の40%か50%を画家と取り決めて経営する。又は、新人や絵を描くグループの個展やグループ展としてそのスペースを提供して、一日ん万円を得る。麻生さんは先年、独特の水彩画法(絵に直線がない)で鮮やかに京都の街並やお舞妓はんを描いて虎屋ギャラリーで人気を博した。今回は、京都のあちこちに残るレトロな洋館16館をモノクローム(白黒)でスケッチした作品だ。建築物は直線でできているが、麻生さんの絵には直線はない。どの作品もゆらゆらとした線によって描かれている。十二月四日が最終日、一人でも多くの方に観てほしいと思う。ギャラリーの横には、美しい庭園を見ながら虎屋名物の和菓子とお茶が楽しめる。女性客でいっぱいだった。友人と共に一服をして遅い昼食をする。御所の側の店で忘れ茄子と鶏もつ煮込みうどんを食す。女性店員の人に、忘れ茄子って何と聞けば、京茄子を煮ていてそれを忘れ、京茄子がクタクタになるまで煮てしまった。シマッタと思ったが味がすこぶるよく忘れ茄子となったとか。さすがに京都であった。京都に行ったら第一旭のラーメンであるが、友人と行くとちゃんと数えて36名並んでいた。二時間近くかかると言うので、ラーメンはうどんとなった。大教養人の麻生さんは、山形県鶴岡市出身である。大きな養蚕場のあとをギャラリーにしているところで個展をした時、亡き大親友と二人で行った。鶴岡出身の作家故藤沢周平が執筆活動をした、旅館九兵衛に泊った。小さいが実にいいところだった。藤沢周平の書斎になっていた部屋が丁度空いていたので、その部屋に泊った。料理もよく私的には星五つである。下級武士の悲憤とか、市井の民を書き続けた作品は、池波正太郎と人気を二分する。それにしても日本の政治はガタガタのボロボロ、私の体みたいに不治の状態となっている。私は気合いだ、根性だと、一番搾りでなく、最終番搾りで競輪の最後の直線で行なうもがきをやっている。力をふりしぼるのである。人間には10%位火事場の馬鹿力がセットされていると科学者は言う。その馬鹿力を期待して若い人間を世に残すのだ。虎は死して皮を残す。私は死して人を残す。これが不良を尽くして来た私の罪滅ぼしだ。実を取らず、名を取るのだ。世界の政治家もすっかりチンマリしている。若い人間を育てて来なかったからだ。G20サミット中国の習近平が総番長の貫禄であった。悲しいかな岸田文雄は、庶務課長みたいであった。アメリカはスター誕生を起こすだろう。バイデンvsトランプだと、二人合わせて160歳近くになる。養老院政治だ。例えばオバマの妻が出たら大スターとなるだろう。左党といえば、呑兵衛のことだが、近頃サ党というサウナ愛好家が増えている。幻冬舎の見城徹は大のサウナ派で、365日外食というだけあって、醜悪なブヨブヨの裸体で画面に出て、およそ教養人とは思えないつまんない自慢話を発信している。金満家のその姿は見るに耐えない。残念ながら日本の出版社で黒字を出しているのは数少ない。幻冬舎はその中の一つだ。知人が本を出したいと、岩手から上京してご夫婦で幻冬舎に行ったら、ん百万はかかると言われてやめた。自分史を出したいなどと思っている人はご注意を。どこの出版社も同じだから。街から本屋さんが消えて行く。つまりこの国は無教養国家になって行く。先日ある新聞の書評を読んで時代物の一冊をアマゾンで送ってもらったら、素人の作文に毛が生えた位のものであった。つまんないのなんの怒る言葉もない。読み終ってブン投げた。時代小説界10年に一人の登場と書いてあったが、“10年早いよであった。嘘もやりようである。中井貴一主演の「嘘八百」は、なんでも鑑定団のパロディで面白い。二流の映画に徹している。世の中は嘘八百なのだ。あともう一本「決算忠臣蔵」というのも面白い。仇討ちも金次第なのだ。コロナの第8波は来年の一月中旬がピークとか。嘘か真実か。もういい加減にしてくれなのだが、ウイルスも生き残りに執念を持っているようだ。(文中敬称略)




2022年11月12日土曜日

つれづれ雑草「エビフライのアタマとオッポ」

暗闇の空から一人のロックンローラーが降りて来た時、ベルリンの壁は若者たちの打ち下ろすハンマーによって崩壊して行った。ロックンローラーの名は、「デヴィッド・ボウイ」であった。ソ連邦がゴルバチョフによって崩壊して行く時、一人のロックンローラーが国民の心を掴み熱狂を呼んだ。「ヴィクトル・ツォイ」という若者だった。アメリカが泥沼のベトナム戦争をしている時、戦場で戦士たちに向って、こんな戦争をいつまでするんだろうと歌った若者がいた。フォークロックの「ボブ・ディラン」だ。若者たちが求めたのは、解放であり、自由であり、戦争のむなしさであった。時代を動かして来たのはいつの世も若者であった。この国の若者も、封建体制を崩壊させ明治維新を生んだ。火炎瓶と石の塊とゲバ棒を持った数十万の若者が全国で反戦運動をし、大学教育の旧体質打破に向って行動した。それは純粋であり、不純でもあり、幼稚でもあった。がその行動が国を変え、大学を変え、国民に問題提起の一石を投じたことは確かだ。国家に利用され暴力に走ったセクトの若者たちは、総括という悲惨な結末に終った。彼等にはロックンロールがなかった。つまりメッセージがなかった。ソ連邦崩壊の時、「ツォイ」は僕たちは自由がほしいんだと歌った。自由なんてと日本人は思うだろうが、今の日本は自由ではない。不自由国家である。報道の自由度は先進国の中で下位に位置する。つまり体は自由だが、頭の中が不自由なのだ。思考回路が止まっている、救い難き政治家たちに言葉を失う。先日PARCOの文化部長だった方と昼食を共にした。中国で活躍しているすばらしい監督&写真家の人と一緒であった。元文化部長は私に紹介したかったと言ってくれたが、私ごとき者には身に余る天才だった。中国で興行収入300億位の大ヒット映画を作ったが、本人は厳しい検閲の中での作品で満足はしていなかった。中国には自由がないと言った。日本の映画界で作品を作りたいと言った。日本で映画制作の会社をやっている中国人の三十五・六歳の人が、すばらしい日本語で通訳をしてくれた。天才は小柄で寡黙だが全身から殺気を感じた。命がけなのだ。中国人から見ると、この国は自由に見えるのだと思った。値上げ、値上げでどうしようもない。税金、税金で頭に血が上る。大企業は最高益でしこたま金を貯め込む。アメリカのガラクタ兵器をゴッソリ買わされる。台湾防衛は俺たちに変ってしっかりやれよと、国防予算はガッポリだ。ある番組でこんなホホエマシイのを見た。八十五・六の老人夫婦が語る。値上げ、値上げでやってられないよ。だから風呂は二人で入るっちゃ。この間カアチャンとお風呂の中でキスしただガヨオ、オラの入れ歯が外れちまって風呂の中に沈んだわさ。ギャハッハッハッ。いいですねこんな話は。昨夜「善き生徒たち」というイタリア映画を見た。実話だ。カソリック系の学校の四人の学生が、二人の女子学生を監禁し、レイプをつづけ、スマホで写真を撮る。四人の学生の二人は今も刑に服し、一人は死亡し、一人は今も逃亡犯として国際手配されている。年頃の少子学生を持つ親の人にはぜひ見てほしい映画だ。SNSの時代は思いもよらぬ人間同士が出会い、信じられないような事件が次々と起きるのだ。私が住む家から自転車で10分位のところに、日本一のとんかつ屋さんといわれている店がある。ご主人の名が大関さんで店の名を「大関」という。間違いなく日本一だ。先日昼に行くと老婆が三人で食事をしていた。私は隣りに座った。おばあちゃんたちは八十代だろうか。体はちぢんでいるが、胃袋はふくらんでいる。食欲はすごい。一人はロースカツ定食、一人はミックスフライ定食、一人はエビフライ定食であった。キャベツ千切りが山のようについている。プラスとん汁も。私はガッツリと食べる老婆を見ていてやはり女性にはかなわないと思った。三人共きれいに食べ終えた。エビフライの人がアタマとオッポを食べ残すと、一人があなたもったいない、エビはそこがおいしいのよ、私が食べるわとバリボリと音高く食べた。とその時456歳の男が現われた。終ったの、まぁ~きれいに食べるねと苦笑しながら言った。クルマで迎えに来たのだ。私は食べている動きを止めた。私も同じことを言われたのを思い出した。そうです、私も老人なので気をつけないとマズイのです。とんかつ屋さんに行ったら、ひたすら昆虫のようにキャベツだけ食べるのです。「大関」は湘南工科大学の前にあります。いつも白い服を着たご主人は、タウン紙にエッセイなどを書くと私にそっと渡してくれます。長い付き合いなので仲良しなんです。




2022年11月5日土曜日

つれづれ雑草「きつねとたぬき」

日本人の世論調査というは、本当に変な数字のコトアルヨと珍さんは言う。ダッテソーデーショ、ワタシタチ、チューコクジンニヒタシミオカンジナイト、ハチチューパーセントノヒトガコタエル、デモトテモヘンノコトアルヨ。ニホンジンラーメンダイスキ、ギョーザ、シュウマイ、ハルマキ、マーボドーフダイスキノコトアルヨ、チャーハン、スブタ、レバニラ、ミンナダイスキ。チューカリョーリハ、ニッポンノコクミンショクデショ、ニホンジンカララーメントッタラタイヘンナコトニナルノコトヨ。ニホンノブンカハゼンブチューゴクノコトアルヨ。モシニホンカラチューコクリョウリテンオナクシタラ、ナイカクガトンデシマウノコトアルヨ。韓国人に親しみを感じますかと問えば。60%位が感じないと応える。朴さんはソンナコトアリヘンニダと笑う。ニッポンジンヤキニクタイスキダ、カルビー、ロース、ミノ、レバー、ギュータン、ビビンバ、ユッケ、ナムル、クッパ、チヂミ、ドレモコレモニッポンジンダイスキダニダ。モシヤキニクテンガニッポンカラナクナッタラ、ボードーガオキルニダ。珍さんと朴さんの店は隣り同士で仲良しこよしだ。イタリアンとか、フレンチの店が例えこの国から消えてもスッカタナカンベで済むが、もし中華料理店と韓国料理が消えたら天下大争乱となる。まるで花火大会のように北朝鮮からミサイルが飛んで来る。バックに中国がいてバンバン軍事費を出している。だからと言って、日本人からラーメンやギョーザを取る気はなく。焼肉ビビンバ、カルビクッパを取る気はない。嫌中、嫌韓の政治家たちは、夜毎中華料理店に集まり、韓国料理店で浅知恵、悪知恵を出し合う。そんな政治家たちの親方だった故安倍晋三も口では中国と北朝鮮を敵視していたが、裏では北朝鮮出身の故文鮮明が生んだ旧統一教会とガッチリニギニギの関係だった。暗殺後何の実地検証もない。これほどの大事件で、これほど何の捜査をしない事はありえない。周防正行監督の「それでもボクはやってない」という映画は、若い男が電車の中で痴漢行為をしたかしないかの裁判の話だ。(きっと実話がモデル)若い男は一貫して無罪を主張した。裁判官は電車と同型の物をつくりあらゆる検証をした。若い男は無罪となる。検察は一年近く若い男を収監していた。事実は小説より奇なりというから、一国の総理大臣を暗殺したのは誰れかを永遠に追わねばならない。ジョン・F・ケネディ暗殺は、今でも事実を追っている。満員電車内ではホールドアップ、両手を上に挙げているしかない。女性重視なので、この人痴漢ですと大声を出されたら、人生は終わる。急ブレーキでちょっと体が密着しただけなのに。男にとって不平等なのだ。女性から体を触られて、このオバサン痴漢ですと言っても笑われるだけだ。珍さんと朴さんは日本そばが好きで、二人できつねうどんとか、たぬきそばを食べる。ニッポンオイシイノコトアルヨ、ニッポンソバテウチニアルニダ、と語り合う。戦争ほどの商売はないから、日本の軍事予算はうなぎ上りに上って行く。国力の低下が著しいアメリカは、日本に兵器を売りまくる。我々の年金は下がり、やがて消費税が上がる。敗戦国日本は永遠にアメリカのダンベエ(金ヅル)である。真珠湾の憎しみは絶対に忘れていない。中国は日本軍への憎しみを忘れていない。北朝鮮、韓国は日本人から受けた屈辱の歴史を忘れていない。それでもしたたかに日本人の生活の中に定着している。食を制するものは、世界を制す。私がよく行く銀座のラーメン店「共楽」には行列ができ、家族で時々行く近所の焼肉店「ワッショイ」は一時間待ちだ。あ~、万世のパーコーメンが食べたくなった。食べたら下痢覚悟の激辛カルビクッパが食べたい。隣り同士は仲良くする、それでいいのだ。銀座二丁目の「菊凰」の酢豚やカニ玉は銀座で一番旨い。過日ホテルオークラの有名中華「桃花林」で偉い人と食事をしたが、あまりにマズイのでクレームをつけた。五目焼きソバであった。菊凰と比べようがない。偉い人はエライので、いいじゃないか、熱くない焼きソバもと言った。しかしかなり残した。スミマセンでした。なんで謝らなければならないのかと思ったニダ。
(文中敬称略)







2022年10月29日土曜日

つれづれ雑草「三条河原」

ぐっすり眠った朝はきっと気持ちいいだろう。しかし全然眠らずに迎えた朝は気持ち悪い。レンドルミン一錠、サイレース一錠、リフレックス一錠を早朝五時頃に服用したのだが、効果なし。ここで酒を投入すればなんとかなるのだが現在禁酒中なのである。実はアメリカの連続ドラマ「マンハイト」を一気に見て頭がコーフンしていた。実話の物語で13度もテロ行為をした。ハーバード大学を最優秀の成績で卒業した、IQ160近い大天才の数奇の物語である。14歳位ですでに飛び級で進学した神童である。この並外れた才能をアメリカ国家FBIは利用すべきと考える。産業革命以来人間は機械によって支配されて来た。我々は国家に全て監視され自由はない。その家のルーツは何から何まで調べ上げられている。アメリカのドラマの主人公は産業革命後のデジタル社会に警告を発すべき爆弾テロを起こし続ける。この男が正気か果たして精神異常者かが、全米注目の法延のなかで判決を迎える。その判決は終身刑3回というものであった。元電通の高橋治之がついに全てを謳ったようだ。皇室系の竹田恒和は急いでパーク24の役員を辞めた。その以前にパソナの竹中平蔵も辞めた。逮捕近しの情報をつかんだのだろう。悪の元凶、森喜朗の病状悪化の情報が流れ、入院を画策して逮捕を逃れる作戦のようだ。悪者にぐっすり眠れる日はないだろう。「青空は牢屋の窓から見た時が最も美しい」とは故太宰治の言葉だ。ここでいう「青空」とは芸術、文学であり、牢屋とは俗世間の身内の桎梏、不条理な私の心の喩えである。と友人に書き綴った。我々は今心からの青空を見ることはない。アメリカのドラマではないが、大天才は機械文明の進化をいち早く見つめ、社会の崩壊を見た。だからと言ってテロリズムは許されない。天才と狂人は紙一重なのだ。人類にはこれから誰もが予想しない出来事が起き続けるだろう。拘置所の窓から青空や夜空を見ることも少ないだろうが、高橋治之、角川歴彦、その使い走りが拘置所の中から窓の外を見ている。人を見下ろして来た人々のザマだ。東京の練馬に(東京少年鑑別所)通称ネリカンという所で歌われている有名な歌がある。ネリカンブルースという。ネリカン窓開け空見れば あの星あたりがスケのヤサ(彼女の家)スケチャン今頃何している……。写真片手に目に涙。少年たちにはたくさんの明日があり、やり直しの機会も多い。が、7085歳に近い老人にとってやり直しの機会はない。ジ・エンド終りである。死を待つばかりの中でこれからお互いに罪をなすりつけ合うだろう。「人間と金」うんざりするこの関係は、我々にゆっくり眠りを与えてくれない。世の中はどんどん悪くなっていく。子どもの引きこもりが増加している。政府が出したはじめに総額ありきの補正予算に、子どもたちの将来への投資はない。芸術文化への予算もない。「国破れて山河あり」というが、国滅びて明日がない。私が少年時代に憧れていたボクサー「矢尾板貞雄」さんが86歳で亡くなった。1959年矢尾板貞雄vsパスカル・ペレスの世界フライ級タイトルマッチの視聴率は92.9%と伝えられている。二回にダウンを奪ったが、十三回でKO負けした。当時は一団体10階級しかなかった。今は4団体チャンピオンだらけの17階級。金儲け主義が世界ランクの価値を下げ、ボクシングを神聖なもので無くしてしまった。私はすでに初夢を見ている。三条の河原で市中引回しにされた。森喜朗、高橋治之、竹田恒和、角川歴彦、ゲストとしてIOCのバッハ会長が、首斬り浅右衛門こと山田浅右衛門に断首されることを。あ~あ午前七時二十六分になってしまった。先日茅ヶ崎の花火大会があった。ベランダから少し見た。茅ヶ崎は未だに猫の額ほどのサザンビーチと、加山雄三通りしか売りがない。夜空にドボーン、ドボーン、パッチパチと花火が見えた。40年以上何も変っていない。茅ヶ崎市の若者たちにヤル気がすっかり見えなくなった。湘南ボーイなんていうのは、遠い昔の話だよ今のままでは海辺は老人たちのビキニ姿だらけになってしまうぞとハッパをかけた。河野太郎という変人代議士以下子分の県議や市議たちは何も本気でやっていない。茅ヶ崎は完全に今田舎になってしまった。辻堂には湘南モールができて、和田葬儀場だけだった北口が活気を持って来た。餃子の王将事件の犯人らしき者が九年近く経って見つかった。なんとその身は刑務所の中。間の抜けた警察捜査である。筋金入りのヤクザ者は、まず口を割らないだろう。死を恐れていないからだ。
                              (文中敬称略)




2022年10月22日土曜日

つれづれ雑草「伝説の天才」

元気ですかぁ~! 元気があれば何でもできる、とみんなを元気づけたプロレスの天才「アントニオ猪木」があの世に旅立った。骨と皮になった姿を見せ続けて見事に逝った。日本でCM=コマーシャルが制作されるようになって、何人もの天才と言われるCMの演出家が、時代の流れと共に現われた。私が知る限りこの人より上をゆく演出家はいないと思って敬愛していた「原田 徹」さんが9月3日に亡くなった。国内外の受賞歴で原田 徹さんを超える人は未だにいない。広告界でいえばCM&コピーライターの「仲畑貴志」氏、アートディレクター&デザイナーでいえば「葛西 薫」氏だ。この三人は神が私たちに与えてくれた宝物である。原田 徹氏を失った私にとって、仲畑氏、葛西氏はずっとずっとがんばり続けてほしいと願う。グラフィックデザイン界の巨人たち浅葉克己さん、井上嗣也さん、副田高行さん、一ミリの線にも強くこだわり、何もない空白に多くを語らせ、一匹の蟻ん子にドラマを生む。そのこだわりが生む作品は群を抜く。仲畑貴志氏の文章をアートディレクションした広告は、葛西 薫氏によって歴史に残る作品となった。京都の高校で喧嘩三昧をしていて、もうつまらんと東京へ出て来て、仲畑貴志氏はその才能を広大無辺なものとした。北海道の高校でバドミントン三昧をしていた葛西 薫氏は、東京へ来て商店街の印刷所に就職し、その才能を極上無限のものとした。天才たちに学歴は関係ない。原田 徹さんは金沢美術大学で絵画を学び、やがてCMの世界に入った。CM界の黒澤明といわれたその演出は完全を求めた。妥協のという言葉は存在しなかった。少しでも背中を見せると容赦なく襲いかかって来た。撮影の現場では必ず日本陸軍の帽子を被った。現場は私にとって戦場だと言って。一度、八千草薫さんとの仕事を断られたと言った。軍人みたいなその姿に、八千草薫さんは、右翼みたいで嫌だと言ったらしい。一度中国にロケハンに行った時、原田さん中国は危険ですよ、八路軍(パーロー)みたいのに銃撃されますよと言った。大丈夫ですよと言っていたが、さすがに中国では軍人みたいにはならなかった。アメリカやイタリア、アッチコチ、原田 徹さんとロケに行った日々がなつかしい。私のお願いしていた、ある仕事を徹夜で編集している時、関西にいた父君が亡くなった。深夜プロデューサーから、私には絶対電話をするなと言われたのですが、やはり原田さんはご長男なのですぐに帰ってもらうべきではとのことだった。私は当然そうしてもらってほしいと言った。しかし原田さんは編集室を出ることなく、亡き父君のところへ帰ったのは、お通夜も終った後だったという。親戚縁者からあらん限りの怒りの言葉を浴びたと後日聞いた。私は演出家ですから、その仕事が終るまでは戦線離脱はできないのですと言った。まがりなりにも私が今日までメシが食べてこれたのは、原田 徹監督のおかげである。死の前までパーキンソン病で動かなくなった指に、絵筆をしばりつけて大好きな絵を描いていたと奥さまから聞いた。その姿は画鬼であり、その心は絵画少年だった。この原田 徹さんを引き合わせてくれたのが、私が出会った広告代理店のプロデューサーでNO1だと思っている、立花守満氏だ。無念なことにこの人も過日亡くした。未だこれからという歳であった。この人も天才であった。プレゼンテーションの能力は群を抜いていた。先週金曜日、銀座四丁目鳩居堂横「大黒屋ギャラリー七階」で、友人青木勤氏の水墨画展を見た。今回は体がキツイので、奥方とホテルに泊まって一週間を乗り切ると腰痛バンドをつけ気合を入れていた。会場に行くとなつかしい人たちと会った。数十点の絵には殆ど赤い印がついていた。小さな体に大きな根性みたいな人で、仕事がゴチャゴチャになればなるほどそのチカラを発揮した。ヨーロッパでスケッチしたものを五年かけて色をつけた、美しい作品であった。1022日午前十一時~浦安市にある東学寺で四十九日の法要があり友人の椎原誠氏と二人で行った。奥さまと二人の娘さん、二人のお孫さん。七人でのものであったが、ご住職のいい読経があり、天才原田 徹さんは樹木葬で土に環って行った。マスクをしていたが、背筋をしっかり伸ばした二人のお孫さんの姿にすこぶる美男子だった若き日の原田 徹さんを見た気がした。やさしい、やさしい奥さまと双子の娘さんは、20年間数々の難病と闘う原田 徹さんを支え続けてくれた。「角を持ち、獅子のたて髪をなびかせ、炎の翼を広げ、伝説の原田 徹は天に向った。」(文中敬称略)




2022年10月15日土曜日

つれづれ雑草「ある広告」

電車の中から広告が激減している。中吊り広告や車額広告もスッカスカなのだが見る価値が多いのがある。広告主の多くは美容と健康であり、学校や専門校、塾などがポツポツとある。かつては週刊誌や不動産の広告が多かったが、今では少ない。整形外科や整体関係はそこそこ多い。チンポ、インポ、ホーケイを治すとか首猫背、背中猫背、頚椎症、圧迫骨折、筋膜ライン伸ばしとかを劇的に改善するとある。万病を防ぐとか、たった一日一分でとか、羽ばたき体操&サバ缶納豆で、猫背が招く「圧迫骨折」新体操なんて、ウソだろホントかよみたいなものが載っている。スマホやパソコンの見過ぎで、「カメ首」というのが増えているらしい。私は100%信用していない。だがギッシリ書かれた広告を見ていると笑えるのだ。男の力、夜の力、忘れぬ夜のための、チンポ力向上とか、中・高年の春を生むとか、彼女に恥ずかしい、ホーケイ治療をカンタンにというのは深刻だった。小さな広告の中に情報がある。昨日はこんなのが目に入った。頻尿・尿もれ自力で克服! 1分体操、過活動膀胱を改善、国立大病院で改善者が続出! 足裏の刺激で蓄尿力が向上! 昼夜とも減少。くしゃみでもれる。腹圧性尿失禁に断然効く1分タオル体操。前立腺肥大の頻尿が退く「骨盤スクワット」あおむけ足上げで夜間頻尿見事に改善、朝までグッスリ。等々信じ難きことが多彩な活字のレイアウトでビッシリとあった。現代社会は老人社会、その老人の悩みを解決すべく、超有名飲料メーカーから、地方の小薬品メーカーまでこぞって、サプリメント関係の開発に力を入れて商品を世に出している。テレビCMもこの手が多い。そして画面の中にチッコイ文字で、個人差がありますとか、個人の声ですとか、当社比較によるとかが見えないように入っている。なんと85kあった体重が2ヶ月で65kにとかがあるが、それじゃ4ヶ月で45kになっちゃうのと素朴に思う。たった四人で始めた脱毛専門の会社の社長は、いつでも何かお金を使うことないのと言っていた。毛を一本抜いていくらの商売、これぞケッコー毛だらけだよと言ってゴルフばかりしていた。今では業界一と言っていい会社になっている。一度アメリカで超売れっ子だったミュージシャンをCMに起用しませんかと言ったら、それいくら、ん千万円位ではと言えば、あっそう安いじゃないやろやろ、やろうよとなった。何しろ生えてくる毛を抜いて金になるんだから資源不足にはならないのだ。脱毛と脱税は背中合わせである。抜いた毛は元にもどせないが、稼ぎ過ぎの金はガッポリと持っていかれる。とはいえ、私をはじめ私のまわりでは、頻尿の話題が多くなった。軟便は何遍も出るという人に、一流新聞の広告に載っていたクスリの話をしたら、腹がパンパンになって出なくなった。それじゃドサッとその朝快便のクスリの話をしたら、超特急になり過ぎたと言われた。知り合いの医師にこの話をしたら、パンダじゃないんだから、熊笹飲んでどうすんのと笑われた。人には人の体質があるのでそれ以来はすすめることはしていない。すすめられても服用しない。だがしかし確実にヒンニョーになっている。1分の竹踏みで改善とかの文字にムズムズするのだ。サプリメントに治療責任はないから、作るのはカンタン、広告に有名タレントを使えば売り上げ大向上だ。この話をやはり知り合いの医師に言ったら、そんなもんはみんなオシッコで出て終りだよと言われた。以来各種のサプリメントやビタミン剤をやめたら、全ての数値が正常値になった。最後にこれはと思った広告の言葉を教える。あっ、もうだめと思ったときには「肛門締め」これはさてどうだろうか、やるべきかやらざるべきか。あなたならどーする、どーする。昨日、友人の見事な水彩画展を観た帰りの列車の優先席でこんな文字だけの広告をシラッと読んだ。



2022年10月8日土曜日

つれづれ雑草「ちくわぶとアラ」

裏表がない。この事に気づいた時、私は感動した。この事はある本に書いた。昨日金曜日は83年ぶりの寒さであった。地球の温度が上がって、日本特有の春夏秋冬の決まりが狂ってきている。夏が長くなり、秋が短かくなったのだ。秋は詩情豊かでヒトがこの時ばかりはと人間的になれた。空を見れば鰯雲が流れ、大地には落ち葉が風に吹かれて揺れ動いていた。夏に燃えた恋も、秋には切ない別れがあった。肉体を露出した愛は、コートを着る季節には、それじゃこれでさようならとなる。83年ぶりに寒い夜、おでんが鍋の中でぐつぐつするのを見ていて、人間は裏表ばかり、お前はいい奴だなとおでんに話しかけた。はんぺん、つみ入れ、すじ、昆布、こんにゃく、じゃがいも、ウインナー巻き、ごぼう巻き、バクダン、玉子、がんもどき、しらたき、ちくわに、ちくわぶ、きんちゃく、ロールキャベツ、大根にさつま揚げ。どれもこれも裏表がないのだ。こんなに正直な食べ物は他にない。余りに正直なので、黄色いからしで刺激を与える。私はおでんが大好きである。関西風の薄味より、関東煮といわれる濃い味を好む。特にちくわぶという、正体不明な白い練り物はいい。おでん以外にこの食材を見ることはない。あ~疲れたと家に帰り、今日のおかずはちくわぶよなんて事になったら、俺は一生懸命働いて来たんだ。嫌なお客にペコペコ頭を下げ、嫌な上司につまんない事で文句を言われ、満員電車に乗って、バスに乗って、コトコト歩いて、やっと家に帰ったら、夜のごはんのおかずがちくわぶなんて、ふざけんな、何! ハンペンを焼いている、そ、そ、それだけかよ、バーローと大声を出しながら目に涙をためるだろう。せめてアジの開きは、何! アジは高いだと、目刺しはないのか、あるだろう少し残りが、何! 焼きすぎてボロボロになっちゃっただと、バーローよく見てないからだよ、目刺しを焼くのはむずかしいんだよ。ちくわぶはぐったり煮すぎるといけないからな、火がしっかり通ってないと、粉のようなものが見えてダメだからなとブツブツ言いながらウロウロする。私はこんなちくわぶがたまらなく愛しいのだ。もう別れようと言い争う男と女、泣きながら別れないで、私にはここしか生きてゆけるところはないんだから。おでん鍋の中でぐつぐつと煮込まれているちくわぶを見ていてバカなストーリーを思い浮かばせる。フッフッ、ファックション、この時期必ずアレルギーで鼻の中がクショ、クショになる。目がしょぼしょぼになる。短かくなったとはいえ秋の決まりだ。裏の世界ではコテンパンにやっつけてやる事を、ハンペンにしてやったと言う。骨抜きでヘロヘロ、ペタペタ状態にしてやったという状態だ。値上げ、値上げで生活がハンペンになっている。このままだとおでんの鍋の中にはちくわぶだけになるだろう。故石原裕次郎の歌に「粋な別れ」というのがある。 泣かないで 泣かないで 粋な別れをしようぜ……。からしが効きすぎて私の目には涙がたまっている。こんにゃくにつけすぎたのだ。泣きながら食べる初秋のおでん。別れ話の相談を受けていて、つい、粋な別れをしろよ、なんて言ってしまった。何! そんなもんじゃない、血を見ないと治まらないかも、なんてブッソウな声がした。ついこの間まで、飛んでイスタンブールみたいな、派手派手で飛んだ生活をしていたのだが、超円安の状態で会社が一気に傾いてしまったとか。ブランドマニアの奥方との間に、ロシアとウクライナのような争いが続いているらしい。ピンポンと宅急便が来るたびに心臓がドキッドキッとすると言った。ご近所の家にある柿の木に、立派に育った柿がたくさんぶら下がっている。今年の秋刀魚は食べれるだろうか。明日は魚屋さんに行ってみようと思っている。大好きな鯛のアラを買いに。焼いて、煮て、アラの中にある味をさがす。アラさがしは亡き母が芸術的に上手だった。きれいに骨だけにしていたのを見て育った。私の大好物で母を思い出す味だ。アラ塩を多目にかけて焼く。これにはお赤飯が合う。何故か煮たものには合わない。焼き魚を食べるのが苦手な愚妻は、私が一時間位かけてアラ探しをしているのを見て、よく見つけるわねと言う。それでも今日のアラはサイコーだったと言うとうれしそうな顔をして、明日はブリカマを買ってくるわと言うのだ。ともあれ秋は前に進む。ちくわぶアラがあれば生きていける。鈴虫の声はまだ聞いていない。



2022年10月1日土曜日

つれづれ雑草「故人のプライバシー」

人の死は等しく悼まれなければならない。それが仮に極悪の死刑囚のものであっても。あるいはこの国をどうしようもないほど、酷い国にした人物であってもだ。先日の故安倍晋三元総理の国葬儀を見ていて、結局故人が生前得意だった嘘ばかりであった。招待客のアゴアシその他を足すと、葬儀予算は100億は超えているはずだ。純粋にその死を悼んで自腹を切って全国から来て、ズラリズラズラ並んでいたのは数少ないはずだ。半分以上は旧統一教会系や他の宗教系の動員であったようだ。招待客も2000人近く少なかった。詳細は確かではないが。私がホントカヨーと思ったのは、菅義偉前総理の弔辞だ。その私情あふれるものは感動を呼んだという。まるで恋人へのラブレターみたいだったという人もいた。それは涙を誘い拍手を呼んだ。私はそれを聞いていてちょっと待って、プレイバック、プレイバックであった。特に感動したという故安倍晋三元総理の議員会館室のテーブルの上にあった読みさしの文章の引用だ。故人と同じ長州人、これ以上金に汚い総理大臣はいないといわれた、山縣有朋(若い頃は山縣狂介)と、これ以上女性にだらしない総理大臣はいないといわれた伊藤博文(若い頃は伊藤俊輔)。伊藤が暗殺され山縣が詠んだ言葉(マーカーで線が引かれていたとか)だ。山縣有朋は数多くの汚職にまみれた手にした金を別荘庭園づくりに投じた。伊藤博文は明治天皇から、女遊びは控えよといわれたという逸話もあり、紙幣の顔に選ぶのを天皇に先送りされていたともいう。明治維新の号砲をあげたといわれた長州人、高杉晋作や木戸孝允(桂小五郎)から、シュンスケオンナアソビハイイカゲンニセイと叱られていたらしい。さて、菅義偉前総理は人の部屋に入って行って、机の上に置いてあった他人の読みさしの本を、勝手に開いて読んだことになる。故人であってもプライバシーの侵害である。もしその本の中に、読まれてはならない故人の私的な文などがあったら許されるのか。これは許されないだろう。親子兄弟姉妹の間であっても、人が読んでいた本を勝手に部屋に入って、勝手に読んではならない。現代でいえば勝手に人のメールやスマホを見ることは許されない。あの弔辞はスピーチライターが書いたものであったはずだ。最後まで芝居がかったものであった。故安倍晋三元総理シンパは支柱を失いこれから寄るすべがないので涙を流した。日本人はやさしい国民なので、いい話だったと涙し一部のマスコミは絶賛した。長州人にもう一人明治の悪玉がいる。井上馨という国の金を扱う重要大臣だった人間だ。山縣、伊藤、井上たちのどうしようもない姿を見て、西郷隆盛は失意したと司馬遼太郎は書いていた。金と女まみれの元勲たち、日本でもっとも総理大臣を輩出した長州は、実に興味深く、松下村塾の吉田松陰は、短い間に何をどう教育して長州人を育てのだろう。私は、おもしろきこともなき世をおもしろくと書き残した、高杉晋作の大ファンである。自民党はこれから岸田文雄後への内乱となる。故安倍晋三、前菅義偉、現岸田文雄、この人間たちが残したもの、向って行く先は、メッタメタの日本である。河野太郎とか小泉進次郎などになったらと思うと、メッタメタメタメタである。野党もメッタメタだ。ジャン・リュック・ゴダールが安楽死を選んで旅立った、91歳であった。ゴダールは生前こんな言葉を残している。「私が死ぬ時、映画は終わるでしょう」と。真意のほどはいろいろ説がある。その一つに「新たな才能により生き続ける」というのもある。ゴダールはテレビの台頭、SNSの台頭を見越していたのかも知れない。若者たちは映画を早送りで見るという。映画界は製作委員会方式といって、みんなの会社の資金を集めて作る。本屋大賞受賞とか、マンガのヒット本に資金が集まる。資金を出した分、イロイロ口注文も出す。あの女優はもっとエロッぽくとか、あの殺しのシーンはもっと暴力的にとか、気の長くない監督はブチギレてしまう。神田の岩波ホールがなくなり、飯田橋のギンレイホールも近々閉じるという。名物ホールが消えて行くのは芸術文化への補助がないからだ。オリンピックが商業主義になってから、スポーツは一大利権となった。そのボス森喜朗元総理が、検察からホテルに呼び出されて聴取されているらしい。いちばんの目的は、新国立競技場を作るときの都市開発にからむ巨大な利権だ。このオッサンは、ノミの心臓といわれるほど心配性らしいが、利権がらみになると、特上カルビーとか特上ロースの心臓になるらしい。生きているだけで迷惑な人間なのだが、肺ガン治療の新薬のおかげで命を長らえている。ある映画を見た。初老を越えすでに性の交わりはない夫婦だが、同じベッドで寝ている。しかし夫には自分の勤め先に若い恋人がいる。ある日の明け方、夫のスマホにその若い恋人からメールが入る。うろたえる夫、見せろという妻、さて、その結末は。長い間セックスレスの妻は疑いが深く、とてつもなく恐ろしいのだ。そしてベッドの中で妻は夫の耳元であることをささやくのだ。故人でなく、個人の安倍晋三さんはすこぶる気さくであったそうだ。政治の世界は人間を変形させてしまうのだろう。菅義偉前総理のヤキトリ屋の話は映画的であった。本当はロマンチストなのかもと思った。(文中敬称略)



2022年9月27日火曜日

つれづれ雑草「芝浜」

私のところのような米粒みたいな小さな会社でも、税理事務所のお世話になっている。公認会計士&税理士の先生は、アタマの毛は薄いがSEXは強いらしい。小社の創業メンバーの二人の同級生だ。月に一回時節を評じた一枚の葉書きが来る。今回届いていたのが秀逸だったので、この場を借りてぜひご一読をと思う。「罰金だらけですが、楽しんで生きましょう」と見出しがあった。働いたら罰金 所得税。買ったら罰金 消費税。持ったら罰金 固定資産税。住んだら罰金 住民税。飲んだら罰金 酒税。吸ったら罰金 タバコ税。乗ったら罰金 自動車税。入ったら罰金 入浴税。楽しんだら罰金 娯楽利用税。死んだら罰金 相続税。貰っても罰金 贈与税。老けても罰金 介護保険料。と書いてあった。税金は他にもたくさん発生する。有史以来、我々は税金を払うために日々働いている。その税金が我々のために役立つような仕組みになっていない。市井の民とは借金と税金に追われ続ける一般市民のことを指す。ところが税金ドロボーたちに罪はない。アッチコッチで中抜きする。特権階級たちである。金は金を生み、金持ちは大金持ちになって行く。ゴージャスなロココ調のリビングダイニングで、目刺しなぞを焼いて食べている。スキ焼きに玉子などもったいないと言い、その上牛肉はもったいないと豚肉だった。スキ焼きはシラタキと揚げ豆腐と、玉ネギに春菊のスキヤキのタレで食す。私はこんな事実を見聞したことがあった。ビンボー人はお金を使い過ぎるからビンボーなんです、なんて言われた。使うお金がないからビンボーなんですよと言ったら、それは違うビンボーな人は、ビンボーに馴じむように生まれて来ているんです。なまじお金を持つと馴じまないで使ってしまうんです。そのほうが気が落ち着くんですよ。落語の芝浜みたいなもんです。いつか金持ちになってやると夢を見ているほうが日々幸せなのです。取材先の人間は日本を代表するプロ野球の名監督であった。何日か経った時、その人から一枚の葉書きが届いた。美しいペン字であった。そこには「貧乏ほどの大敵はないですな」と書いてあった。私の取材目的は「成功とは何か」を聞くことだった。監督は成功とは金持ちなり、借金に追われていたら、いい作戦は生まれないからであった。こんなギンギラの部屋は女房の趣味、私はここでアジの開きや、目刺しを焼いて食べる。臭いが部屋の中を回るので文句ばかり言われていると言った。アメリカのある成功者に成功とはと聞いた時、たくさんの税金を払うことだと言ったのを思い出した。この人はピューリッツァー賞を受賞していた。私が納めた税金で国が富み、人が育てばいい時代になるからだと。どちらの人の話も「ホンマカイナ、ソーカイナ、エ~」であった。話が用意されたようによくできていたからだ。本音はどこにあるか、それはきっとサイフの中か、金庫の中であったろう。私は大きな家に住んでいる人は、大きな悪さをしている、と言っていたという亡父の言葉を支持する。本当に汗水たらして働いている人は、江戸時代の町人のようになる。私はその町人に憧れる。人情があるからだ。昨日久々に「男はつらいよ フーテンの寅」さんを見た。山田洋次郎監督も江戸時代の町人たちが大好きなのだろう。この映画には悪人がでてこないのがいい。徹底的に性善説なのだ。人情が映画になっている。山田洋次郎監督に、成功とは、と聞いたら、きっと寅さんに会えたこと、そう言うのではないだろうか。労働者諸君、今日も元気で働いているかと小さな印刷会社のタコ社長たちに声をあける。山田洋次郎監督は市井の民の味方、弱者の味方であり続けている。悪知恵を集める人間たちを嫌悪する。浅丘ルリ子のリリー役がよかった。キャバレーを歌って回る役だ。好きだった 好きだった 嘘じゃなかった……。寅さんは毎作純粋な恋心を持つのだが、正面切って言えないのだ。愛するって耐えることなのねと誰かが言った。この頃ではそうは行かない。別れる切れるの話になると、血の決裁が控えている。ゾッとするような事件が起き続ける。私は人情が消えゆく社会にこの国の明日の姿を見る。65歳以上の老人が約4000万人近くになった。2100年にはこの国は総人口約6000万人弱になる。私の孫が敬老の日を迎える頃は、人口が半分になっているのだ。変形したこの国はやがて国破れて人影なしとなるだろう。今夜は落語の名作「芝浜」を聞く。故立川談志のラストステージ物だ。夢を拾って、夢から覚めた話です。(文中敬称略)
通信機能不良のため、四日おくれの便りです。




2022年9月26日月曜日

つれづれ雑草「気狂いピエロ」

雨ニモ負ケテ、風ニモ負ケテ、毎日マスクニ負ケ、丈夫デナイカラダニナリ、政治ニウソオツカレ、右ニモ左ニモ頭ニキテ、海ニムカッテバカヤロート叫ビ、山ニムカッテ叫ブ。アンチクショウ、コンチクショウト怒ッテ、怒ッテ、怒リヌク、ソンナ自分ニナリタイ。モットモット馬鹿ニナリタイ。と思うのだがもともと馬鹿な人間は、馬鹿を極めるのは難しいそうで、結局生きている限りヒトビトに迷惑ばかりかけてしまう。この地球で平等なのは、世界中の人間に太陽と月が一つずつあることだ。それ以外は恐ろしく不平等だ。不平等は孤立を生み、孤立は憎悪を生む。メディアを支配して来たNHKや電通は政治の食い物にされ、ジャーナリズムを政治に売ったと言われる。読売新聞のボス・ナベツネこと渡邉恒雄は、未だ生きている。(現在入院中とか)このシブトイ人間がいなくなると新聞界はマシになると言う。スポーツ利権のボス・シンキロウこと森喜朗も悪い奴だからシブトイ。故安倍晋三という、プレッシャーから解放された警察庁や検察庁は、いままでのウップンを晴らすかのように、電通に一日かけたガサ入れをした。そこで宝の山のように情報を手に入れた。大変お世話になったAOKIの会長とその弟さんは、元電通のワル高橋治之に接近密着して、クサイメシを食わされた。高橋治之は生きてシャバに出ることはない。一審、二審、三審と進んで実刑となるからだ。森喜朗は軽口だから何でもしゃべって命ごいをするだろう。おそらく裁判が結審するまでにはあの世に行く。安倍派はチンコロ(密告者)合戦で、跡目候補の萩生田光一を潰した。統一教会問題は萩生田、下村潰しだから、おそらくチンコロは腰軽の西村康稔となる。この国は長い間人物育ててこなかったので、国を救うような経済人や、政治家が出て来ない。TBSの報道特集のメインキャスター金平茂紀がこの秋で降板させられた。辛口のジャーナリストだからだ。あとはいよいよ関口宏のサンデーモーニングだ。この国を徹底的に嘘ツキ国家にした故安倍晋三の国葬は、政局オンチの麻生太郎の入れ知恵だと言うが、思惑は大きく外れ、酷葬となってしまった。英国の王室といえば血の歴史、断頭台の歴史である。ロンドン塔は暗闇の塔だ。多くの王族が権力争いのために、首を落とされた。何人もの王妃たちも。故ダイアナ妃の謎の交通事故死を命じたのは(?) 英国の国葬はニギニギしい。NHKの大河ドラマ鎌倉殿の13もドロドロの権力争いだが、英国の比ではない。地球温暖化で大自然の営みがすべて狂って来たが、人類も相当に狂って来ている。完全にアブナイことになっている。金にセコイ汚い人間、ケチでチンケな人間はみんなに笑われブザマだが、金のない我が身はもっとブザマなのだ。ロシアのプーチンも習近平の前では借りてきた猫みたいだ。中国は必ず台湾を攻める。その時、アメリカは日本に莫大な金を出させるだろう。しかし中国とは戦わない。故安倍晋三銃撃犯はあっという間に精神鑑定に送られた。そしてきっと狂人をもっと狂人にして、この世から消すだろう。本当にあの男が銃撃したのだろうか。銃弾はいまだに見つからない。故安倍晋三の遺体は詳細に調べることもなく、すぐに焼かれてしまった。遺体の中にあった銃弾がもしライフルの弾だったらと思う。アメリカのCIAは何でもやる。9.11あのワールドトレードセンターは、内部から爆発させたという研究発表が、3800人近い建築の専門家たちが分析して発表しているという。ボーイングの特大ジャンボ機が突入しても、日本人建築家がそれに耐える設計をしていた。上部が壊れても、巨大ビルを解体するように下部に崩れて行くことはない。広島長崎に原爆を投下する国アメリカ、他国の紛争に介入して大儲けして来たユダヤ資本やアラブ資本は、3000人位の命、ビル二棟位どうってことはないのだ。9.11以降イラク戦争に進んだ。9.11のテロは戦争への大義名分だった。真珠湾を忘れるなを大義名分にしたように。日本の奇襲作戦は、すべて暗号解読されていた。飛んで火に入る夏の虫だったのだ。今年の夏モンシロチョウを一度も見なかった。セミの声も殆ど聞かなかった。アホー、アホーと私をコケにしていたカラスの姿がない、電線に何十羽も止まっていたスズメは数羽しかいない。マスク映えとはよく言ったもので、マスクを外したら、え? ウソーこんなだったのというヒトが90%だ。だから私もマスクをしている。このヤローと思ったらマスクを外す。効果テキメンなのだ。今、玉置浩二の田園を聞きながらこれを書いている。ファッションセンスは抜群であり、日本でいちばんの歌手だ。 生きていくんだ それでいいんだ……。と励ましてくれる。とはいえ私の命の先は一日一日だ。北海道は美しい声の歌手を生む。かかりつけの名医にもういつ死んでもおかしくないんですよ。朝起きたら死んでいる。そういう人が多いのです。分かりましたかと叱られハイ! 分かりましたと応えるのだ。死はOK!でもブザマに死にたくないからだ。少年野球の応援のために、アッチコチ行っていたら、足がビーチサンダルの形に陽に焼けていた。大尊敬していたゴダール監督が亡くなった。合法的安楽死であったと記事にあった。「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」は最高の作品だった。映画の作り方を劇的に変えた。私は勝手にしやがれとはいかずだが、気狂いピエロだ。ちなみに故安倍晋三の素顔は、とても気さくでいい人だったという言う人も多い。(文中敬称略)



2022年8月3日水曜日

つれづれ雑草「九月まで休筆」

お母さんは大きく手をたたいて、泣いていた。七月三十日、九時四十五分試合開始、狂ったように暑い。でも少年たちは元気いっぱいだ。私が応援するチームに、沖縄出身の子がいる。メガネをかけている。顔は陽に灼けて逞しい。体は丸々と太い。ライトを守っていて五番打者だ。副将でもある。当たればでかいのを打つ。お母さんは時々応援に来る。一人っ子だと聞いた。当たればだが、なかなか当たらない。でも私の家の前の公園に来て、一生県命練習している。努力は報われる、練習は嘘をつかない。第2打席ランナー二人、ピッチャーが速い球を投げた。ガァーンと当たった。高く上った球はグイグイ伸びてレフトの芝生の上まで飛んだ。ヤッタァ~ついに出た。お母さんは飛び上がって手を振りまくった。私もバンザァーイをした。チームメイトもヤッタァーホームランだと抱き合った。私はグラウンドからの反射熱で、顔面がパリンパリンのヒリンヒリになった。ビーチサンダルを脱ぐと指のあとがクッキリ白くなっていた。8対2で試合は勝った。私もかつては野球少年だった。今ではゆらゆら家に向って歩いていると、一人二人と抜かれて行く。愚妻に背中が曲がってるわよと注意される。いいんだよこうしてみんなに抜かれて行くのが人生なんだから、滅びの美学を追ってんだよ、と言った。今年も八月となるもコロナ禍は、拡大の一途だ。政府も専門家たちも、打つ手なしだ。一人ひとりの責任重視となり、それぞれの自治体で勝手にやればとなってしまった。非科学的なことになった。バカヤローのノータリンばかりだ。少年たちの必死の姿を見ろといいたい。当たればでっかいホームランのお母さんに、ナイスバッティングと言ったら、マスクをしながら、ありがとうございます、やっと当たりましたと目が笑っていた。私は勝負をかけていた仕事に勝が見えたとの連絡をもらった。詰めをしっかりしなければならない。世界陸上を見ていて人間は凄いと思った。ハイテンションの織田裕二がジャマだったが、山ほど感動した。0.01秒の差で金と銀の差となる。今日は何をすんべえかと時間を持て余している人間には、外へ出て公園の雑草でも刈ってほしい。海岸を掃除してほしいと思う。そうしている人も多い。ヒマは人間をマヒさせて行く。400字のリングは九月まで休筆します。生きるために働き続けます。少年たちに勇気をもらって。やってやるプロの仕事を。氷アイスを食べすぎている。ある花火大会で車椅子に娘さんを乗せた親娘を、ジャマ者扱いにしたバカ者たちがいたらしい。ケツの穴に花火をつっこんで、火をつけてやりたいと思った。オレのところに連れて来い。花火大会の主催者もしっかりしろと言いたい。共助の精神を忘れるなだ。次に殺られるのは俺かもと、パソナ会長の竹中平蔵が会長職から離れた。格差社会の生みの親で、非正規社員を大量に生んだ元凶だ。このアメリカの走狗を憎んでいる人間は多い。共助の精神はなし、金だけが命の罪深き人間だ。AOKIからしこたま賄賂を受け取った、元電通の高橋某は、自分が経営するステーキハウスの運転資金に使ったのだと、ステーキとオサラバしてクサイメシを食う生活が待っている。悪い奴はこれからゾロゾロと出て来るだろう。それにしても電通の力は非力になった。むかしなら全てモミ消していただろう。クライアント(お得意)のトップの顔写真が新聞に出るなどという事は、万に一つもなかった。しかしSNSの時代は隠し事はできないのだ。ではみなさんいい夏休みを。カナブンが網戸にへばりついている。権力にへばりついている。森喜朗というスポーツ利権のボスに検察の手が届くか。きっと高橋某がソックリウタッテいるだろう。ヤクザ者なら死んでもウタウことはない。朝顔の花が心をなごましてくれる。花は心の目薬と言う。私は小さな雑草の花が好きだ。東京大学に雑草研究部みたいのがあることを知った。一度ぜひ学生さんたちと会ってみたいと思っている。最後に勝つのは雑草だ。
                                (文中敬称略)

2022年7月23日土曜日

つれづれ雑草「ウラメシヤ」

「三隣亡(さんりんぼう)」という言葉がある。この日に建築をすると後日火災に見舞われ、近隣三軒まで滅ぼすと伝えられる厄日のことだ。この日に宝くじを買うと当たらないとも言われた。一、四、七、十月は亥の日。二、五、八、十一月は寅の日。三、六、九、十二月は午の日が三隣亡にあたる。博徒は、この日には開帳しなかったという。警察にパクられて(捕まって)あることないことペラペラとウタウ奴(しゃべる)を、アイツは三隣亡みたいだから気をつけろ。ヤクな奴(縁起の悪い)だと言った。野球界では守備を交代させると、何故か交代した選手のところに打球がいく。かなりの高確率だ。一人がエラーすると、次々とエラーがある。地震も続く、洪水も続く。この世は不可解の連続だ。アメリカでは、二度買った宝くじが二度とも大当りで、莫大な金を手にした男がいた。その男は気が狂って死んだ。国中から寄附をしろとか、ゆすり、たかりに遭い、神を憎んで死んだ。兄弟姉妹にも不幸が続いた。貧乏な労働者であった時の方が幸せだったと言い残して。テロリズムが盛んだった頃、当然の様に世界各国、日本国もテロが横行した。話せば分かる、問答無用と銃の引き金を引いた。初代総理大臣伊藤博文をテロで殺した「安重根」は彼の地では英雄である。伊藤博文は長州人であった。ある歴史家は、長州には血の臭いがすると書いていた。つい先日まで生きていた長州出身の安倍晋三元総理大臣にも、テロによる血の決別が奈良で待っていた。三隣亡であればテロは続く。アメリカやロシアか、中国かインドやトルコか、それとも日本かは分からないが、きっと続く。連鎖するのが歴史だからだ。奇跡的な事も続く。私の知人の双子の子は、幼い頃マンションの5階(4階かも)のベランダから二度落ちて、二度共無傷に近い状態で助かった。双子二人共だ。当時奇跡の出来事としてニュースになった。ふさふさの芝生が双子を助けた。子どもの頃、嫌な出来事が続くと、母親やおばさん、近所の人たちが、さんりんぼうだわねと言っていたのを思い出す。この世には二つの絶対がある。一つは、人間は死んでない限りは、生きている。もう一つは、生きてる人は必ずいつか死ぬ。これ以外に絶対はない。大変だ! 大変だ! と言っている内は大丈夫という。本当に大変なら、大変だ! というチカラもないからだと。コロナ禍は第七波となった。大変だという人がいれば、もう慣れっこでなるようにしかならないと達観する人もいる。最高権力者だった人間が、銃撃でこの世を去った。その瞬間に権力闘争のヨーイドンが始った。顔で泣いて、心で笑っているのが永田町、霞ヶ関の住人たちだ。オイラが次のドンだと口をさらにへの字にしている福岡の老人、麻雀大好きな島根の老人、スポーツ界のドン石川の老人、オレをナメんなよと睨みを効かす和歌山の老人、当面はこの四大老が仕切る。目の上のたんこぶがこの世を去った事に秘笑する。煮ても焼いても食えない老人だ。スポーツ利権の闇の支配者、元電通の人間の浅ましい行為と、その男にブランド価値向上を求めた会社の名が出た。とてもお世話になったトップの顔写真が新聞に出てしまった。かつてイタリアロケに一緒に行った。とても仲の良い兄と弟だった。あの権力者が生きていたら、闇から闇であったはずだ。スポーツ界は、三隣亡となり次々とイモズル式に名が出てくるだろう。元統一教会というパンドラの箱が開いた。人を制する者は、人に奪われるという教えがある。冷麦とソーメンの違いがいまだによく分からない。幼き頃メンの中に赤いのと緑のが一本ずつ入っていて、兄姉と取り合った。それがないのがかなしい。キザミネギとミューガ、それに生しょうが、まい日食べても飽きがこない。赤と緑の一本があればなと思いつつすする。駅弁が大好きなのだが、家で食べるとイマイチ感動しない。駅弁は割り箸で食べないと、ウマクない。自分の箸で食べるとすっかりイケナイ。崎陽軒の1080円の弁当を食べた。860円の定番が売り切れていたからだ。自分の箸でなく割り箸で、少し反り返った竹製のふたについている米粒を、割り箸で一つ、二つとキレイに食べてあげるのだ。駅弁には駅弁のルールがある。旅に出たいなと思う。各地の駅弁を食べる旅だ。コロナは三隣亡なのだろうか。北海道函館本線の森駅にある、いかめし弁当660円は芸術品に近い。小さな箱に丸々としたいかめし二個が、ニコニコ笑って入っている。これは箸でなく、手でつかんでかぶりついて食べるのだ。これがなんともいえない味なのだ。コロナ禍は世界的な三隣亡である。医学会は緊急事態宣言をと言う人が多いのだが、政府はその逆で、行動をユルユルにと言っている。ヤクな奴ばかりなのだ。ウラメシヤコロナ。(文中敬称略)



2022年7月16日土曜日

つれづれ雑草「天気の悪い日とは」

天災は忘れた頃にやって来る。古人は知っていた。気象庁が梅雨明け宣言をした時、今年の梅雨は雨が少なかったなぁ、そのかえし狂ったような暑さが来た。猛暑より狂暑といいたいほど、40度越えのところがいくつもあった。アタマがイカレてしまうことを、パープーになるという。古人の教え通り全国各地で線状降水帯がつづいている。ドラム缶をひっくり返したようだ老人は言った。普段はナヨナヨした川があっという間に狂った川となり、足元でチョロチョロしていた水が、車を見えなくして狂流となる。気象庁は今年も梅雨の終り雨を予想しなかった。ノー天気だったのだ。昨年は熱海で狂裂な山崩れがあり、多くの命を奪った。土の上に土をのせ、そのまた上に土をのせるという、法律破りのせいである。泣く子とお天とう様にはかなわないのだ。日本中に盛り土をした所に人々は暮らしている。お天とう様は意地悪な性分だから、今年はどこにすんべえかとくじ引きをしている。引き当てられた所はたまったもんじゃない。昨日お世話になった小林亜星大先生のお墓参りに行った。私の両親と長兄が眠る多摩霊園だった。先生は無宗教で葬式なし、戒名なし、人に迷惑かけること一切なしの見事なラストであった。先生の片腕でドラマーだった友人と行った。雨が降ったり止んだりしていたが、お墓に花をたむけ、お線香に火をつけた時はポツコリ雨が止みうっすら明るくなった。私は超晴れ男で数多いロケで雨にイジメられたことはない。予備日を使ったこともない。やっと先生にお世話になったごあいさつをして友人と武蔵小金井の駅へ行った。午後一時頃であった。ちょいとレストランでランチでもと思ったがそれらしきものはない。駅はきれいになっているがレストランはない。でもってマックがあったので、二人でダブルバーガーセットを食べた。その後中央線で東京へ。そして仕事場へ行った。ジャンクフードは突然食べたくなる。吉野家の牛丼紅しょうがてんこ盛りとか、ケンタッキーフライドチキンも突然無性に食べたくなる。ある深夜、パジャマの上にコートを着て茅ヶ崎駅南口にある吉野家へ食べに行ったことがある。ケンタッキーは夢の中に出てきて、次の日オープンと同時に突入して、指をベタベタにしながらむしゃぼった。これらは一年の内に二、三度起きる。どんな名店よりこの時は旨いのだ。ただ食後にいいようのない満腹感でなく、無力脱力感に襲われる。何かしてはいけないことをしたような気分だ。誰れも見てねえだろうなとヨソヨソするのだ。夜帰宅して夕刊をパランパランすると、サンマ一匹13000円と大見出しがあった。豊洲市場への初入荷はわずか十匹だけだったとか、やせ細ったサンマの写真があった。そのとなりの見出しに、ブドウ一房150万円とあった。高級ブドウ「ルビーロマン」特秀クラス一房に一粒30gほどものが27粒である。霊感商法の判子とか壺とかと比べては生産者に申し訳ないが狂った価格だ。狂乱物価の世の中になって来た。13000円のサンマを食べている奴がとなりにいたら、150万円のブドウ27粒を食べている奴が目の前にいたら、自分の言動を想像しただけで、ゾッとする。世の中は、ゾッとする事件が続々と起きている。事件を起こした人間たちに共通している要因は絶望感、疎外感、孤独感だと過日のNHKスペシャルで知った。特に絶望の二文字が世に満ち満ちている。刑務所に入りたかったので事件を起こしたという中年男、自分で死ねないので人を殺して死刑になりたかったという若者、七十を過ぎて十八歳の女性を手にかけるなんてまるで狂老だ。東京電力の四人の老人たちに13兆円以上の賠償を命じた地裁の判事たちに拍手を送る。多くの人々を絶望に追い込んだ四悪人に、絶望を味わってもらいたい。もっとも最高裁に行く前に、寿命が尽きるだろう。死んだらチャラだ。判事はそこまで読んでいたのかも知れない。あ~なんだか吉野家に行きたくなって来たではないか。絶望は愚か者の結論なりなんていう言葉を、ラジオ番組の枕言葉にしていた人がいた。人生相談の番組だった。今はガードを固めてパンチから守るしかない。みんなで支え合い、励まし合い、助け合って行くのだ。先日こんな記事を読んだ。ある少年が明日は天気が悪いでしょうという天気予報士の言葉に、悪い天気ってどういうことですか、雨が降らないとお米が育たない、野菜や果物も育たないとおじいちゃんが言っています。雨が降るのは悪い日なんですか(?)。さてあなたなら少年の質問にどう答えますか。いよいよコロナは第七波、尊敬する学者さんが国民の七、八割が抗体を持つまで、ウイルスは必死に変化しつづけます。マア10年はかかりますねと言った。あ~やんなっちゃった、あ~オドロイタ。今は亡きウクレレ漫談の牧伸二を思い出した。(文中敬称略)






2022年7月9日土曜日

つれづれ雑草「投票へ」

本日は社会騒然としているのでほぼ休筆。明日は参議院選挙投票日、決して棄権することなく清き一票を投じてください。数の暴力で嘘はつき放題、予算は使い放題、税金は悪用し放題、この国を壊し放題。与野党共にその責任がある。と言って投票をしないのは、自らの権利放棄となる。高い税金を払いつづけているのだから、自らの思いにいちばん近い人に一票を。わずかだけでも近い人に一票を。激しく愛し合って結婚してもすぐ別れる夫婦あれば、嫌々結婚しても長い間幸せでいる夫婦も多い。選挙の一票はラブレターと思えばいいのだ。投票箱は白いポストだ。



2022年7月2日土曜日

つれづれ雑草「骨まで愛する」

激痛は明け方突然起きる。寝返りをしたなとアタマの中でぼんやり思っていた。その時ギャ~と声を発した。痛、イタ、イテェ~、イテェ~、両足がこむら返りしたのだ。両足の筋肉がケイレンを起こした。足の親指は反り返って固まり、ふくらはぎの筋肉はカチンコチンになっている。イタタタタ立てない。今回のはいままでと全然、ゼンゼン違う。ふくらはぎだけでなく足全体なのだ。イテェ~といいながらガタンガタンしていたら、上から愚妻が降りてきて、何してんの、何してんのを連発。足がつってんだよ、立てないんだよ、と言った。どこ(?)どこ(?)と足を触りここでしょ、カチカチよと言いながらゴシゴシ筋肉をほぐした。が、今度はいままでのように足を壁に突き出して反り返りを治せない。親指を指で引き寄せても治らない。私の仕事仲間の一人にこんな話をしたら、やはり同じようなケースがあり激痛がおさまらないので救急車を呼ぼうと思ったとか。フツーなら五、六分で治るのだが、一週間経った今日の朝まで両足の筋肉は怪しい動きをしている。脱水状態とか、冷房で足が冷えすぎとか、足の疲労がとしのせいでとれない。つまり筋肉が反乱をしているのだ。クーデターなのだ。時計の針が八時になるのを待って(七時台だと悪い気がした)平塚の鍼灸の達人に電話した。痛いんだよ、動けないんだよ、訳が分かんない痛さなんだよと言ってスケジュールが調整できたら来てチョーダイと頼んだ。円盤投げで佐賀県のインターハイに出た達人は、(ちなみに息子さんは砲丸投げをしている)昼になんとかしますと言ってくれてその通り十二時にピンポーンと来てくれた。さすがに達人、グイグイマッサージをしてくれて、鍼を経絡(ツボ)に相当数刺してくれた。ハリーアップの治療でかなり治った。いやはやこむら返り恐るべしであった。いきなりの狂暑で体の調子が狂ってしまったのだ。眠る前には水より麦茶(ミネラルが入っている)の方がいいとか、薄い靴下をはいた方がいいとか、同じ姿勢でずっと座っていない方がいいとかを学んだ。私は映画とか資料映像をぶっ続けで10時間以上見る習慣がある。そんな時は時々立って少しでも動いた方がいいらしい。激痛から一週間筋肉をなだめている。やさしくナデナデしているのだ。しかし反乱を予感している。少年野球の応援はずっと立ち放しなのでこれからは折りたたみ式の椅子を持って行くことにする。海岸で釣りをする時に買ったのである。いよいよ鰻(うなぎ)の季節だが、とにかく高くなっている。私はうなぎ大好き人間なのだが、2ヵ月に一度行くか行かないかだ。今朝の新聞に手紙文化研究家の中川越さんの文化人たちの日々好日というコラムがうなぎにまつわる話を書いていた。その内容がおもしろかったので、抜粋して私的文体にして書く。江戸時代の人気作家山東京伝(さんとう きょうでん)が、人相・手相に関する本の中で、「鰻の筋」というのを書いていた。手相の筋について。チンタラ、チンタラ生活して、勘当された身の人間に置きかえていておもしろい。狭い活舟(いけぶね=入れ物)の中に入れられ、口をパクパクし、ぬらりくらりと過ごし、やがて親兄弟かの縁を裂かれ、(うなぎが切り裂かれること)竹の串で刺され、火あぶりの刑のようになり、団扇(うちわ)でバタバタあおられ、不孝の醤油(タレ)につけては焼かれて身を焦がす。やがて山椒をかけられてしまう。うなぎの手相とは道楽息子の典型なのだよとあった。(中川越さんの文章は古文で鮮やか)歌人で有名な斉藤茂吉は大のうなぎ好きであった。五十三歳の時、妻の浮気が原因で別居している時に、自らの弟子の女性に恋をして一線を超えてしまった。その女性とうなぎを食べ酒を飲みながら、「こうすると美味いんだ」と言ってうなぎの上に酒をたらした。茂吉先生は子どものようによろこんでいた。そして外に出てある池のほとりで、弟子の女性とキスをした。(中川越さんの表現はもっとうまい古文風)やはりうなぎには何かムラムラさせるパワーがあるのだ。私が銀座でいちばんうまいと思うのは、私の仕事場近くにある登三松だ。抜群の味だ。だがジリジリと値が上っていてうなぎは遠くなりにけりだ。近くを通ると団扇でバタバタして生まれたいい香りが心を動かす。ムラムラするのだ。顔なじみのおばちゃんに近い内に来るからなと見栄を張る。少し吃音気味の男の人が、オ、オ、オマチしていますと言う。この男の人は私を筋者(ヤクザ者)と思っているようで、私と会うと緊張して吃音が強くなるとおばちゃんが言った。そうだな、人相、風体がその筋の人間みたいだからなと思っている。自分の手相を見ると、鰻の筋が何本もあるように見える。狂暑はつづく、きっとこむら返りもつづくだろう。コロナが増加している。マスク生活もつづく。息苦しい世の中になっている。うなぎの骨は体にいい。深夜、ショパンのバラードト短調作品23を聴いた後、久々に城卓矢骨まで愛してを聴いた。 生きてるかぎりは どこまでも 探しつづける 恋ねぐら 傷つきよごれた わたしでも 骨まで 骨まで 骨まで愛してほしいのよ……。いいね、いいね、うなぎの骨を思い出すのだ。
(文中敬称略)




2022年6月26日日曜日

つれづれ雑草「命がけの駅弁」

まっ赤なホントは、上半身全体に出現した。ホタテ貝アレルギーを体感したのはロンドンオリンピックの時だった。深夜(日本時間)二時頃、日本人女子ペアと中国人ペアとの息づまる打ち合いを見ていた時だ。種目は女子ダブルス決勝戦、バドミントンであった。いつものグラスにウイスキー、大きめのロックを入れていざ決戦をと見始めた。試合が熱戦になると同時に私の体も熱くなってきた。カユイ、カユイ、なんだかカユイ。顔面から上半身にかけて熱くほてっている。試合はおもしろい。ウイスキーはうまい。試合はすすみ、ウイスキーもすすむ。あまりに顔が熱いので鏡を見た。なんだこりゃ~、もともとグロテスクな顔がまっ赤になっている。シャツを脱ぎ上半身裸になるとブツブツの赤い大地と化している。そしてカユイ、ついボリボリかいてしまう。私の辞書にアレルギーはなかったから何が起きているか分からず時間はすすんだ。試合は中国が粘り勝った。朝八時四十五分かかりつけの名医のところへ、九時過ぎ名医が私の手の平をつまんで、ハイ、これはジンマシンですよと言った。ジンマシン、なんとメカニックな言葉かと思った。注射を打ってくれて、これで二時間後には消えますからと言ってくれた。その通りであった。血液検査をした。前の日食べた物を言ってくださいと言われ思い出すママに言った。次の日結果が出た。アレルギーのもとはホタテ貝だった。え~、大好きだったのに。そしてこの瞬間から、私の大好きNO1の駅弁横浜の崎陽軒のシウマイ弁当との別れだった。何故といえば崎陽軒のシウマイにはホタテ貝が入っているのが特長だったからだ。シウマイ(焼売)20個入りを一人で食べる位大好きだった。ロンドン、北京、東京大会とオリンピックは開催されたが、私の崎陽軒との別れはつづいた。だが、先週末、東京発八時三十分特急小田原行きに乗車した時、私の隣りに座った中年の男がシウマイ弁当を食べ始めるのを見た時、ついに私は死んでもいいからシウマイ弁当を食べる決意をした。まず筍を煮たのを小さく切ったものを箸で一つ二つと口にした。俵形のごはんが二段になっていて塩ゴマがかかっている。(小さな緑色の小梅がのっている)それに箸を入れた。次に角に三角形のカタチがありそこにショーガと黒コンブの細切りが入っている。それをつまんだ。そのおとなりに小ぶりの鳥のカラ揚げ、マグロの煮付、紅白のカマボコ、長方形の玉子焼き、何故か杏子(アンズ)が一つ。弁当の中心にシウマイが五個整列している。これらが絶妙の弁当美を生んでいる。シウマイ弁当は何から食べ始めて、何で終わるかは一人ひとりほぼルール化している。いきなりシウマイに箸を刺す奴がいるが、こんな奴はロクデナシだ。シウマイに敬意を持つ人は、まずは小さな筍から入る。次にマグロ(濃い茶色)をひと口遠慮気味に口にする。次に三角形の中の細切りコンブとショーガ細切りをいただき、俵形の白いごはんの下に箸を入れて、ごはんをくっつき状態から解放する。これらを清く正しく美しく食しながら、中頃にカラ揚げを口に投入する。紅白のカマボコと黄色い玉子焼きを楽しむ。杏子を途中で食べてしまう不屈者もいるが、やはりラストがいい。私は湘南モールへ買いに行って、ジンマシン大会覚悟で、ついに食べたのであった。愚妻は死んだって知らないわよと言ったが、いいんだよ覚悟の上だ。駅弁は列車の中で食べるのがベストだが、とりあえず名医が近くにいる自分の家の中で食べた。旨い、ウマイ、シウマイ。ラストに小梅ちゃんを食して、杏子でフィニッシュした。さぁ、カユクなるか、一時間、二時間、三時間、そして夜になってもカユクならない。ヤッタァ~、私は大いに感動したのだ。ある駅弁人気投票では、全国第三位に入っている。一位は北海道の「いかめし」が多い。私は小田原駅で買う東華軒のこゆるぎ弁当がシウマイ弁当の次に好きである。茅ヶ崎→小田原市立矢作小学校グラウンドで先週末二日つづいて試合があった。東海道線鴨宮駅から熱波のグラウンドへ愚妻と応援に。土曜日に勝ったが、日曜日に藤沢鵠沼のチームに敗けた。一人とんでもな四番バッターがいて、三本も外野手の上を飛んでいった。私は顔面が熱波のグラウンドの反射で熱々になり、熱中症にもなった。グッタリとなったが、少年たちと比べればと思った。みんなちゃんとマスクしている。暑い中マスクをして歩いていると、疲労度は倍加する。それでも皇居の周りを多くの人がマスクや覆面をして走っている。ロスアンジェルスから帰国した友人夫婦が、ワインの産地ナパバレーやソノマでもみんなちゃんとマスクしていると聞いてオドロイた。消毒も検査も徹底しているとか。で、今日はホームグラウンドの汐見台小学校へ応援に行く。試合後湘南モールへ行き崎陽軒のシウマイ弁当を買って帰る。今夜の食事だ。体調次第でアレルギーの発作は起きるとか、食べることは命がけなのだ。




2022年6月18日土曜日

つれづれ雑草「大変なことに……。」

人間はほぼスケベだ。真夏の夜にはまだ時がある。それにしてもこんな捕物を見たかった。浜名湖のうなぎといえばヌルヌルしていてつかまえにくい。その浜名湖近くの別荘で男女100人以上が全裸でヌルヌルの乱交の夜を楽しんでいた。密告を受けた地元警察は、つかまえにくいのをつかまえる。コラッお前ら何をやってんだ! と大捕物。見りゃ分かるだろうとひらき直られたか知らない。中にはスミマセンなどとあやまった若手警官もいたはずだ。私が日頃力説するように、男も女も下半身は別人格なのである。そこに常識を超えたことがありそうと思ったら、哲人も賢人も、私はそこにある人間の真理をみたいと、その場にすい込まれて行く。妖しいランプの色がゆれる。ローソクのいやらしい灯り、全裸の男女が発する異様な体の臭い、喚声や嬌声、男と女が接する独特な音、酒池肉林に踏み込んだ警察官が、御用だ! とパクッた男女はSNSで集まったスケベ人間ばかりだったはずだ。破廉恥をとおりこした女性はもはや手がつけられない。アタシを放っといた罪だよ、とか私の体は火山みたいに熱いんだよとか、とことんあいつに恥をかかせんのさ、ザマーミロなどとなる。警察署は異常な状態となる。ナンダオマエその情けねえ姿はパンツはけバカ。この手の犯罪は双方同意の上であったとなると、厳重注意、氏名は公表せず、いくらか罪金を払って、ハイオシマイ。但し浜名湖周辺の噂さの渦はとどまることなく広がっていく。土用のうなぎはもうすぐだが、この地ではジュージューに蒲焼きは焼き上がっている。全国津々浦々こんなことはいくらでも起きている。参加者は圧倒的に高学歴のインテリが多いという。勉強ばかりしていたツケが下半身に集まるのだ。若い頃の苦労は金を払ってでもしろという。女性には高い月謝を払うべしともいう。世の中に単純に好き者というのがいるが、これはビョーキなので治らない。目の動きを見ているとすぐ分かる。私は90%は当てる自信がある。冷静に考えると夫婦がまい日ベッドを共にするなんて気持ち悪い。私は家庭内別居。欧米社会では離婚訴訟をしている夫婦でもベットを共にする。土足で家に入る。ペットの犬はウロウロ外から家の中に入って来る。朝から晩までキス、キス、キス。極めて不潔な国民なんだ。一度テキサスでロデオ大会の人間が部屋に入って来たが、履いていたビジョー付のロングブーツは、泥と牛のフンだらけだった。腰には銃があった。ガチャーンと窓の割れる音がしたら、女性が男に殴られて飛び出して倒れた。バーボンウイスキーをがぶ飲みした女性は男をハリ倒した。周囲の人間は大きな声で笑っていた。バカデカイスペアリブをベトベトしながら食らいついていた。なんだい喧嘩していた男と女は抱き合ってキスをしていた。牧童たちと女性たちはまい日こんな夜を楽しんでいるのだ。殺し合いを見たかったがそれはなかった。ヘイジャップ、リメンバー・パールハーバーは忘れてないぞと言った。右手を拳銃にあてた。朝から500gもある肉を食べる男たちと、木の根をかじり、昆虫を食べ、葉っぱをブッタ切って食べた旧日本軍は骨と皮となった。朝ロッジ風の食堂でトーストとベーコンエッグの朝食を食べていた。ギャ~足もとにぶっとい蛇がいた。私はこの顔で蛇が大嫌いだ。そのあまりの大声に他の客たちが笑い転げた。一人のガンマンがナイフで殺した。浜名湖のうなぎだったら大好きだったのに。ずい分むかしのことを思い出した。荒野では赤いサソリとガラガラ蛇がいい絵になるのだ。それと見えない風だ。風の音がアートになるのだ。私の敬愛する後輩がいま旅館を六つやっている。夫婦で発展させて来た。ちなみに宿泊付宴会の後始末が大変なベストスリーは、一位教職員関係、二位警察署関係、三位が役所関係とか。その結末は何もかもやりっ放しで、女中さんでも口にするのが恥ずかしいとのことであった。乱交の夜はコロナ禍の中でも日本中で行なわれている。あなたのご主人が、あなたの奥さんが参加しているかも知れませんよ。ワァハハハと笑ゥせぇるすまん風に。夫婦仲を大切にしないと大変なことになりますよ。ドーン。




2022年6月11日土曜日

本日、休筆です。

 今日は出張のため、休筆します。梅雨を迎えましたが、皆さん、明るくいきましょう。

2022年6月4日土曜日

つれづれ雑草「佐々木、イン、マイマイン」

この世では思わず言葉を失うニュースが洪水のように流れ、雨、霰のように降りそそぐことに耐えねばならない。東海道線午後九時二十三分東京発平塚行きに(小田原行きだったかも)乗った。四人掛けの窓側に白いマスクをした美人ぽい女性。マスク外したらどうなるかな、などと思った。ローファーの白い靴、オレンジ色のコットンの長袖のシャツ、いい色にしたブルージーン。私は通路側に座った。日本人はスゴイ昨日一日、マスクを外した人を一人も見なかった。女性はマスクを外したくないという。マスクをしていればほぼ美人風、ほぼチャーミングだからだ。私の隣に座っていた女性が、グレーの大きなトートバックから助六弁当を出した。オヨヨと思った。見かけと違ってかなり乱暴に包み紙を外し丸めてバッグの中に入れた。私は助六弁当大好きなのでこころが動く。おいなりさんと太巻きずしがビシッと箱詰めになっている。うわぁ~うまそうと思った。目の前には六十位のおじさんがいた。白いワイシャツに黒のズボンだ。片手に宝島社が出版している昭和の黒幕という文庫本を読んでいた。助六といえば歌舞伎の演目として有名だ。幕間の弁当としても定番だ。などと思いつつ私は疲れた目をしばし閉じた。さあ~オイラの人生の最終演目は何かと瞑想する。回遊魚の鮪(マグロ)と同じで、私は何かをしていないと即この世とオサラバしなければならない。鮹(タコ)はじぶんの足を食って生きるというが、私も今では鮹と同じでじぶんの足を食っている。むかし星セント・ルイスという漫才コンビが「俺達に明日はない。キャッシュカードに残はない」という決め言葉と「田園調布に家が建つ」という言葉でおおいに売り出した。気がつくと消えていたから、決め言葉通りに生きたのだろう(2004年にセントさん、2005年にルイスさんが他界)。私もヤバイじゃないか、瞑想している場合かよと目を開ける。助六弁当の太巻きを大きくあけた口の中に入れた窓側の女性がいる。マスクを外してアゴにかけている。食べている間は表情がよく見えないが、太巻きを食べたあとはしっかり分かった。かなり想像と違った。なんだなんだ次はおいなりさんかと思った。女性はやっぱりマスクがよろしいと思った。私はこういういけないこころを持ってしまう人間なのだ。家に帰ると愚妻が娘が住んでいるところではドヒャーとでっかい雹が降ったとか。テレビのニュースを見るとガチョンとビックリ、日大の理事長にな、なんと林真理子さんが就任とか、10万人近い生徒たちの顔が、100万人に一人いるかいないかという素敵な女性にというニュースを見て、あの助六弁当を食べていた女性を思い出した。人間は見た目ではないのだぞとじぶんにいい聞かせる。高校の教師同士だった男と女が、殺し殺された。不貞不倫の行きつく先は、失楽園だ。後楽園だったらよかったのに。人間は偶然と必然のあいだで生きている。昨夜いい映画を見た。「佐々木、イン、マイマイン」内山拓也監督作品。仲のいい五人の高校の同級生仲間にお調子者だけど、存在感抜群の佐々木君がいる。みんなに、ササキ、ササキ、ササキと手拍子されると、教室の教壇の上で学生服を脱ぎ全裸になる。女生徒たちはやめて、バカ、アホ、サイテーと逃げ出す。先生はまたかと怒り、仲間たちは笑い転げる。そんな陽気な佐々木君はじつにいい奴で、じつにかなしい。久々にいい青春映画を見た。損得のない友情とはいいものだ。コロナ、コロナですっかり忘れていた大切なものを思い出した。マスクは女性の大切なファッションアイテムとして定着するだろう。おたがい見ないですむなら、見ないほうがいい。カンヌ国際映画祭で早川千絵監督の「PLAN75」が新人監督賞に贈られるカメラ・ドールのスペシャル・メンション(特別表彰)を受けた。超高齢化、近未来の日本で75歳になると自らの生死を選択できる。この新制度によって人生どうなるかを描き、大評判になったと記事に載っていた。さて、あなたならどうしますか、「PLAN75」の制度ができたら。夫婦とは殺意と殺意が枕を並べて寝ているようなもの、私の好きな女優アシュレイ・ジャッド主演、1999年作「ダブル・ジョパディー」という映画も見た。ベッドの中から起きた妻の横には血だらけの包丁があった。法は同じ罪で二度裁けない。夫殺しの罪を負わされ刑務所に入った妻は、夫が生きていることを知る。まいにち愛し合っていた二人は、殺意と暮らしていたのだ。そして復讐を誓う。今は警察の留置所にいる、高校の同僚だった教師も、出会ってはいけない男と女だったのだ。スコップで穴を掘っている時、何を想っていたのだろうか。いいニュースがない世の中になっている。少年野球を見ている時が、今の私には何よりの時間だ。参議院選挙は近いのだが、野党はどこにいるのかさっぱり存在感がない。4630万を受け取ってバクチでスッた。いや金は回収した。なんてスットコドッコイのニュースはもう古いのだ。(文中敬称略)