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2022年5月28日土曜日

つれづれ雑草「戦争反対」

1945年のいま頃、沖縄では日米の最終決戦をしていた。沖縄は米大艦隊にとりかこまれ、艦砲射撃の一大標的となり、島の形も変ってしまうかの情況であった。地上では大部隊が続々と、続々と、続々と――。上陸して総攻撃をする。この戦争の残酷さや悲惨さ、無惨極まる攻防は数限りなく語られ、小説や映画、絵画や歌によって表現されてきた。がそのどれもがしんじつを伝えきれない。まさに筆舌につくしがたしなのである。「ハクソー・リッジ」という米国映画を見た。主人公は実話で2006年まで生き86歳でこの世を去った。私は徹底的に反戦論者である。少年の頃、まるで日課のように喧嘩はしたが、両親の影響からか戦争には大反対であった。ロシアの侵攻によりウクライナは戦争状態にある。この機に憲法改正論者はビッグチャンスとばかりに憲法改正に動き出した。最終目的は再軍備であり、憲法九条の改正である。野党の存在感はまったくない。うつうつとする嫌な気分の中で「ハクソー・リッジ」を見た。主人公の青年はクリスチャンであり、人を汝、殺すなかれを信条にしている。父親は元軍人、青年を軍隊へ送り出す。小さな聖書を胸ポケットに入れた青年は、軍隊の訓練でも銃器は持たない。衛生兵になると主張する。軍隊はそんなことは許さない。仲間たちからリンチを受ける。さらに軍法会議にかけられる。それでも拒否をつづける。軍法会議は条件をつけ衛生兵として沖縄決戦に向わせる。銃器を持たない軍人が沖縄に上陸する。丘の上にトーチカを作った日本軍は猛攻撃をする。地中にはトンネルが掘られてアリの巣のように要塞化している。陸上からロープはしごにつかまり崖を越えねばならない。上陸隊が狙い撃ちされるからだ。決死の日本軍は強い。両軍あらゆる兵器で撃ち合う。頭が飛び、体が破裂し、両手、両足は飛び散る。吹き出た内臓が赤い蛇のように散乱する。青年は負傷した仲間を銃弾の雨、嵐の中を救けて回る。血と血の世界は凄絶な地獄絵となる。青年は負傷した日本兵にも治療をする。沖縄は無数の戦死者を出して終る。日本軍降伏。青年は72人の戦友の命を救い、銃を持たない軍人として初めて、軍人の最高勲章を受ける。実際の青年は細くて弱々しい。映画を見てメル・ギブソンの演出に驚嘆する。そして思った。人間と人間はなんで戦争をするんだろうか、なんで殺し合うのか。戦争の大義とはなんだろうか。国と国はどうして仲良しになれないのだろうか。きのうまでやさしい魚屋さんや肉屋さん、小説家、芸術家。プロ野球の選手やスポーツ選手、学校の先生や大学生が軍隊に入ると、強制的に人殺しになってしまう。生きるために殺す。おかあさんと叫んで特攻隊は散る。なんで戦争ばかりするのだろうと思いつづけた。そしてやっぱり答えは一つ、戦争で大儲けする悪い野郎共がいるからだ。軍事費倍増を画策している。沖縄戦争生中継のような映画を生んだメル・ギブソンは、戦争の真の英雄は、死んだ者たちである。そう表現した。神はいるのかを問う。聖書にある創造主は人間をなんで造ったのか。信じる者は全然救われていないのが世の中だ。私の親愛なる後輩が50歳近くなって肉体改造をしている。毎日2時間ジムで筋トレしてプロテインを飲んでいる。わずか3ヶ月余で上半身は筋肉モリモリ、これから下腹部をモナカアイスみたいに六分割にするんだとか。人に見せたいだろうと言ったら、見せたいんですと裸になった。why何故と聞けば若い女性とつきあいたいからだと笑った。ナルシストは裸を見せたがり、死にたがる。ナルシスが池に落ちたように。陽灼けサロン、筋トレ、プロテイン。何も知らずただルームランニングのために辻堂駅前のゴールドジムに数年通ったが、今振り返えるとかなり不気味なシーンがあった。とあることを知りやめた。長い間白内障で片目のジャック状態だったが、ついに手術をした。現在四種類の点眼薬を朝・昼・夜・寝る前に使用している。かなり面倒だが、やけにクッキリ見えてきた。いままで二度手術直前でキャンセルしたが、この世の有り様をしっかり見届けておこうと思って決断した。評判の高い眼科医はスゴイ、一日でなんと30人手術するとか。二人の医師は見事な手の術で、ハイ次、ハイ次と朝八時からやっていた。待合室には40人以上がいた。付き添いの人もいる。手術後は安静にと言われ、たくさんの穴のあいた片目用のプラスチックメガネを、茶色いテープでベタベタと貼った。私の人相で外を歩くと、ヤクザが喧嘩したあとみたいだと言われた。が、私は失明より少年野球の応援を選んだ。いざ寒川青少年公園野球場へ。1230分プレイボール。応援する少年は見事完投、3打数1安打、打点3で勝利投手、8対2で勝った。勝利の女神は微笑してくれた。夜、親愛なる沖縄の友人と電話で話をした。声に人柄が出るいい男なのだ。ガンバレ沖縄。今年で沖縄返還五十年だ。そのひきかえに沖縄は永久に米国基地として使用できる。アメリカの政府にとってこれほどウマイ話はないと、当時の高官たちは高笑いをしていた。そんな秘蔵ドキュメンタリーのフィルを見た。ハチの巣にしてやりたいバカヤロー共だった。(文中敬称略)



2022年5月25日水曜日

つれづれ雑草「すすり泣く」

深夜わたしは泣いている。名画を見ているからではない。ところてんにねりからしを入れ過ぎて目と鼻にツーンときたのだ。ところてんは実に奥深い食べ物で、時に大敵となる。酢が多過ぎたりねりからしを入れすぎると、なんとなく頼りなく弱々しいところてんが、が然強気になるのだ。その日その日でところてんの味が違うのは、ねりからしの量による。どれ位がもっともいい味かはいまだに分からない。これはおでんのコンニャクにねりからしの量がどれ位がいいのか分からないのと似ている。コンニャクは全身ツルツルなのでねりからしはしみこまない。表面にねりからしがぜんぶのるからだ。これをさらに比べると、冷やし中華におけるねりからしの量にもいえる。せっかくの冷やし中華もねりからしを入れこみすぎると、メンを食べている途中に、突然パニックが起きる。メンの中にねりからしがよく溶けこんでないで、ねりからしがたくさん登場するのだ。泣きながら冷やし中華を食べて、ガホンガホンしている人がいるのはこのためなのだ。ねりからしとは黄色い泣かせ屋である。洋ガラシ(マスタード)とは似ているがまったく別物で、マスタードは荒くれの味でホットドッグ用だ。日本料理とバーベキューほどの違いがある。週末愚妻が秋田での法事で出張(?)でもってオンボロファックス機が私では使えない。原稿を書いてもライターの方とのファックスのやりとりができないのだ。実に情けない。電子レンジも使えない。(一度マカロニグラタンで大出火させてしまった)おそらく私の知能指数は三歳児位だと思う。かろうじて映画は見れる。かつて見たブラッド・ピット主演の映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の中で、こんな教えを受ける。「答えのある問題なら悩む必要はありません。答えのない悩みなら悩んでもむだです」チベット仏教はそう教える。私はこんなバカ者でありながら生きてこれたのは、ひとえにひと頼みだったのだ。ところてんへねりからしを入れていたのは愚妻だったので、じぶんでねりからしのチューブを持ってからしを押し出すとその量が分からず入れすぎたのだ。バカは死ななきゃ治らないというが、私はきっと死んでも治らないだろう。答えはそういうことなのだと悟った。カトマンズの山の中に行かずに答えを知った。先週6月封切りの映画の試写会に招待されて観た映画「はい、泳げません」は、きっとベストワンになるだろう。尊敬するリトルモア孫家邦さんが企画・製作した。孫さんが手がける作品は、ベストワンになったり、主演女優賞や助演男優賞など多くの賞を得る。「舟を編む」「夜空はいつでも最高密度の青色だ」「花束みたいな恋をした」新作は水泳が苦手の大学教授が、一大決心をしてスイミングスクールに入る。長谷川博己が演じる。インストラクターはクルマが苦手の女性綾瀬はるかが演じる。昭和のある頃ヒトビトは貧しき中でもほっこりしていた。たき火でやいた焼き芋の味のようにほっこりとしていた。悪い事、嫌な事、忌まわしい事、許されざる事ばかりがテーマの映画が多い中で悪人が一人も出てこない映画は実にいい。さすが孫さんの企画力は冴えわたっている。カメラワークが新鮮だ。達人笠松則通さんスナップ写真のような映像がいい。シロウトみたいに見せる超絶クロウト芸だった。ほのぼのという言葉が消えてしまったいまの世に、ほのぼのとはを見せてくれる。ぜひ観に行ってほしい映画だ。脚本・監督は渡辺謙作さん。荒戸源次郎事務所出身で鈴木清順監督に鍛えられた人である。「舟を編む」の脚本でアカデミー最優秀脚本賞を受賞している。親愛なる友と、巨匠井上嗣也さん、その高弟と四人で観た。その後永坂更科のそばをすすり合った。世界的な文明学者が先進国で日本が唯一止まっていると警告している。『パリ=共同』「国境なき調査団」による、2022年の世界各国の報道自由度ランキングの発表では、対象180ヵ国の地域のうち、日本は昨年から四つ順位を下げで71位だった。安倍晋三長期政権の負の遺産だ。国民から知る権利を奪ってしまった。メディアはスポンサー離れを恐れてしんじつを報道しなくなっている。ちなみに第一位はノルウェー、最下位は179位の北朝鮮であった。憲法改正、第九条改正への足音がヒタヒタと迫ってきている。こればかりは口にマスクをして黙して語らずとはいかない。無気力に慣れてしまった国民を改正論者は見逃さない。戦争の世紀へ幕が切って落とされているのだ。すさまじいドキュメンタリー映画「ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い」を見てほしい。ウクライナ国民が自由を求めて国家権力と闘った壮絶の90日間余だ。独裁者は逃亡した。オレンジ革命の実況中継だ。若者が動く時、国家は敗北する。我が国の若者もSNSを国家管理され、スマホを取り上げられ自由を奪われたら、きっと行動を起こすだろう。私がいまハマッているところてんは、伊豆・三浦半島産・天草使用、ねりからしはハウス食品製だ。(文中敬称略)




2022年5月21日土曜日

本日は出張により休筆

 本日は出張により休筆致します。来週早々、掲載したいと考えています。皆様の週末が有意義でありますように。

2022年5月14日土曜日

つれづれ雑草「笑えない、お笑い芸人」

我が世の春は長くない。苦節を重ねた芸人が売れはじめ、やがて寝る間もないほどの売れっ子になる。ある夜、いまはきっと夢を見ているんだと思う。そして売れないころインスタントラーメンをポリポリかじって空腹を満たしているじぶんを思い出す。電気・ガス代がもったいない、水道代ももったいない。やかんに水を入れて熱湯がつくれないのでポリポリかじる。今はどうだ仕事はいくらでもくる。そんな仕事は断れよとマネージャーに言ったりしているじぶんがいる。やっと寝ようと思ってもアタマが興奮していて眠れない。その日許された睡眠時間は3時間だ。きのうは2時間、その前は移動する車の中の仮眠だけだ。仕方ないウイスキーで睡眠導入剤だ。えっな、なんだいまのじぶんはすぐにあきられて、また三畳一間でインスタントラーメンをポリポリだ。ガバッと起きると冷汗がたっぷり、ふ~と大きく息をすると夢を見ていたのだ。ああよかった。高級なマンションに住んでいる。高級車にも乗っている。預金通帳には考えられない数字が増えている。自分で死んだ先輩が言っていた。我が世の春は長くはないぞと。嫌だあんな生活に絶対戻りたくない。しかし死ぬほど忙しい日々なので芸を磨く時間がない。まるで売れないころ刑務所の慰問に行った時、刑務官も囚人も大笑いしてくれた日がなつかしい。老人ホームに行った時おじいちゃん、おばあちゃんが手を叩いて笑ってくれた日がなつかしい。もし売れなくなったらと思うと夜が恐いんですよ。笑ってもらえなくなったらと思うと、笑っていられない。かなしいもんです芸人はね。こんな話を撮影の合い間に話してくれたのは、お笑い界の大御所の一人だった。お笑い芸人の人たちは、舞台から楽屋にもどるとみんな暗くて無口だ。大、大、大ファンだった「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんが自死したのをニュースで知った時、ガク然、ボー然として言葉を失った。熱湯風呂に突入する。アツアツのおでんのコンニャクを丸飲みする。大やけどするようなその姿にみんな大笑いをした。上島竜兵さんに我が世の春があったかは分からないが、大人気の3人組だった。人には言えぬ苦悩があったのだろう。眠れぬ夜を繰り返していたのだろう。まだ61歳であった。私は、とてつもなくかなしい。私も広告屋という芸人だ。“おだてりゃ豚も木に登る”でつたない芸を売ってきたが、四十九歳になった時からその先のじぶんの姿が見えた。先輩から50歳までが勝負だよと言われていた。そして今日まで眠れぬ体となっている。なら誰も思いつかないビックアイディアで勝負だと、ふるい立たせる。NHKで「映像の世紀」を見た。1918年スペイン風邪が世界的流行となり、第一次世界大戦によって爆発的に拡散する。戦争は軍人も民族も移動するからだ。マスクをした兵士たちが行進する。握手もしない、それを徹底したアメリカの州は感染者が激減した。しかしスペイン風邪を軽視してマスクをしなかった州はあっという間に感染者が激増した。ハグをし、キスをし、握手をしまくった。世界的大ベストセラー「銃・病原菌・鉄」を連休中に再読した。上・下800ページ近いこの本は、帝国や王国が戦争とウイルスによるパンデミックで滅びてきたことを教える。スペイン風邪を封じたのは、人類の英知だ。電子顕微鏡の発明でウイルス菌を発見して、ワクチンの開発を生んだことによる。ゼロ・コロナか、ウィズ・コロナか。人類とウイルスの戦争は永遠につづくのだ。ロシアとウクライナの戦争の先に何があるかは誰でも想像がつくはずだ。世界人口はスペイン風邪の時より倍増している。つまり死者も倍増する。宿命は生まれ持ったもの、運命はどう転ぶか分からないもの、寿命は絶対にくるもの。天命は誰が決めるか教えてもらえないもの。上島竜兵さんのご冥福を心より祈る。あの世では熱湯風呂に入らなくてもいいはずですよ、アツアツのコンニャクを飲み込まなくてもいいですよ。ゆっくり、ほっこりしてください。残した二人の仲間を見守ってあげてください。売れっ子だった指パッチン!のポール牧さん、ウクレレ漫談の牧伸二さん、上方落語の桂枝雀さん、みんな自分で死んでしまった人たちですが、あの世では、悩みはなく永眠だからぐっすり眠れますからね。悪い夢を見ることはありません。大谷翔平選手が劇画も及ばない大活躍をしている。ふと売れっ子の見世物芸人に見えてしまう。私は運命論者なので、この先きっと起きるであろうことを心配する。私には見えている、クッキリと。好事魔多しという。(文中敬称略)