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2021年7月31日土曜日

つれづれ雑草「必死」

つれづれ雑草「必死」

勝負事に絶対はない。と言うよりこの世に絶対は一つしかない。それは必死だ。生あるものは必ず死ぬ。これだけは皆平等だ。必死にがんばるという言葉がある。文字通り死ぬ気で目標に向かうという崇高な行為だ。余力を残して決勝で全力をと思って、金メダル候補の瀬戸大也選手が、400メートル個人メドレーで予選敗退した。0秒32の差で8位になれなかった。4種目の自由型を流しながら泳いでいた。他の選手たちは必死で泳いだから瀬戸大也は負けた。以後どのレースでもメダルがとれなかった。調子が狂ってしまったのだ。その逆に奇蹟が起きた。チュニジアの18歳、アハメド・ハフナウーイ選手は予選も必死で全体の8位で決勝に、そして更に必死に泳いで、2位に0秒16の差で勝ち、金メダルをとった。水泳王国アメリカでもオーストラリアでもない、躍進著しい中国でもない。政情不安で国内混乱の中から出場した、チュニジアから金メダルなんて、神も信じられない出来事だった。オーマイゴッドだ。余力を残してという甘い気持ちは、必死抜きによって、水泳ニッポンを金メダルなしに沈めた。ニッポンの負けに選手は信じられないを連発した。バカ者め必死にがんばらない人間に栄光はない。金メダルラッシュといっても、半分はお家芸の柔道だ。その柔道も国の威信をかけ100キロ超級では三位もなれなかった。必死が持続しない。つまりヘトヘトだった。柔道もポイントかせぎのスポーツになってつまんなくなった。スケボーの13歳の少女に専門のコーチはいない。強化費もない。でも少女の栄光は楽しい必死で、大逆転して生まれた。ビーチバレーは砂場の遊びでやめた方がいい。美しくない。必死が見えない。サーフィンは会場の海の色がすこぶる汚いので、見る気がしなかった。六チームしか出場しない野球に何の意味があるのだろう。それもプロの選手だ。やめた方がいい。オリンピックとは必死の美が感動を生む。仕事だって同じだ。まあこんなもんでいいかと、勝負に行けばほとんどプレゼンで勝てない。マムシのようにしつこく、一夜にして全部やり直す。必死になってこそ勝てるのだ。勝負は一位が全て、第二位はなぐさめでしかない。愛の告日も必死が伝わらないと一緒になれない。現在ほぼ5分に一組ぐらいが離婚をしているらしい。男は浮気をする。女性が不倫をする。がある意味、文学的には健全だ。一人の男性、一人の女性とずっと性生活なんて、ウソ以外何者でもない。男女の不倫は、東京中のホテル、連れ込み旅館の上得意だ。東電OL殺人事件みたいに、超一流企業の高学歴の人間が、夜は着替えて変身し客を求める。金だけではない女性も男も実は変態な人が多い。昼はエリート夜は街に立ちつくす。体いらんかねえ~と。そんな人たちも必死なのだ。解離性同一性障害なのか、自分の中のもう一人の自分が、夜な夜な現れるのだ。昨夜佐野真一の本で読んでいた、「東京OL殺人事件」を題材にした映画を再度見た。ネパール人ゴビンダさんが冤罪で捕まり、何年も刑務所にいたが、必死で無罪を訴えていた人たちの努力で、解放された。つまり真犯人はどこかにいるか、死んでいる。ある賢人は、「モノはね、壊れたら捨てるのではなくて、直すものなんだよ」と言う。甘い嘘よりも、苦い真実。陶芸の世界に金継ぎというものがある。壊れた陶器も金継ぎをすればより強くなる。父親も東京電力のエリート、自身も超エリート。プライドというものから、実は必死で逃れたかったのかも知れない。一日の目標は四人の客を引くことだった。きっとSEXすることが金継ぎだったのだろう。克明にノートをつけていた。会社の仕事のように。コロナ禍はいよいよ拡大をする。オリンピックもいよいよ陸上が始まり、オリンピックらしくなる。が、日本人はマラソンか400メートルリレー、競歩位しか期待できない。より速く、より高く、より遠くへ。それに対しては、いくら必死になっても世界には通じない。つまり身体能力は世界のレベルになっていない。昨夜10000メートル競走を見たが、一着のエチオピア選手とは、一周もおくれていた。バドミントンの桃田選手、テニスの大坂選手などは、必死以前の問題があったようで、まるで別人だった。日本にもメンタルトレーナーが必要だ。私の体をメンテナンスしてくれる、平塚の鍼灸の達人は、円盤投げの選手でインターハイに出場したとか。でも日本人は全然世界レベルに達していないので、残念ながら応援する選手はいない。槍投げも、砲丸投げやハンマー投げも。これらの競技こそ肉体の祭典、オリンピックの正当な種目だ。ある雑誌の調査によると、次の衆議院議員選挙で菅政権は終る。与党は大敗するとあった。やはりオリンピックは無理筋だった。菅総理は昨夜会見をしたが、目は死んだ魚のようだった。鯵(アジ)に似ていた。必死を怠った人間は、きっと落選する。歴史が激変する気がする。親愛なるコピーライター、赤城廣治君が、熊本城をビジュアルに使ったポスターに、「籠城じゃ。」家にいよう。みんなで打ち克とう。というコピーを書いて栄誉ある東京コピーライターズクラブ(TCC)の、審査委員長賞を受賞した。この男ほど、必死に仕事する人間はいない。皆さん、必死で家に籠城を、つまりステイホームを。栄誉も栄光も、奇蹟も、必死にやった者のみに与えられる。(文中敬称略)



2021年7月23日金曜日

つれづれ雑草「血だらけのキス」

中国でもイジメの問題は深刻のようだ。2019年製作、デレク・ツァン監督、中国・香港映画「少年の君」は、現代中国の受験問題、校内のイジメ問題、社会の底辺で生きる少年問題や、格差社会を正面から描いた話題作である。中国で興行収入280億円近くを叩き出した。青春映画ジャンルでは、歴代第一位、数々の賞を受賞した。先週日本で封切られた。私は封切りを待ちわびていたので、すぐに新宿武蔵野館に行って観た。韓国映画の名作「息もできない」に匹敵する作品であった。中国でも韓国でも国が映画産業に大きな予算をつけ、有能な人間を世界中に行かせて学ばせている。「少年の君」は、北京大学か精華大学を目指す一人の女子高生と、社会の底辺である、ストリートで生きる不良少年との物語なのだが、この映画は一筋縄ではいかない。暗く、重く、醜く、その先きがない。有名大学に入れたい母親は、犯罪スレスレの事をしながら女手一人で娘を育てている。娘は清楚で美しく成績も優秀である。それ故クラスメイトたちから妬まれている。ある日校内で一人の女生徒が飛び降り自殺する。校庭に横たわる死体を皆は言葉失い見ている。少女は自分の身につけていた服を持って近づき、死体に掛けてあげる。それを見ていたクラスメイトたちは、少女への憎悪を行動で示し始める。イジメられ傷つき家に帰る少女は、暗いストリートで集団暴行を受けている少年を見る。不良グループのリーダーは、血だらけの少年と、そこで起きたことを見た少女をひざまずかせ、キスをしろと命令する。血だらけの少年少女は暴力下の中でそっと唇を合わせる。一流大学を目指す暗い少女と、何も目指すもののなき不良少年は、こうして出会った。この映画には心からの笑いというものがない。未来というものがない。ただ現実というのが無数の受験生の中にある。中国の全国統一大学入試試験を高考というようだ。それに挑む生徒の集団には圧倒される。苦難の道に向かう囚人の群れのようであった。トンネルを抜けると、そこはもっと長いトンネルだった。人生というものは、キリストの如く、苦難の道である。なかなかイエスとはいかない。だがしかし泣いてばかりではいけない。ボヤイてばかりもダメだ。与えられた運命線の上をガッタン、ゴットン進むのだ。宇宙に旅する時代がすぐそこに来ている。世界の大金持ちたちは、今後こぞって行くだろう。何を感じて地球に帰って来たのかは分からないが、おそらく次の金儲けを思いついたのだろう。オメーラ地獄へ墜ちろといずれ神は命じるだろう。ちなみに地獄へは無料で行ける。税金を払わずに大儲けして来たから、八大地獄へご優待だ。「少年の君」あるいは、「君の少年」誰にも淡い恋の思い出はある。コロナ禍の中でそっと思い出すのもいいと思う。岩井俊二監督の「ラストレター」は、オススメだ。島根県松江市の海岸で、キスの投げ釣りをしていた人に、な、なんと2メートル、125キロのマグロが掛かった。格闘すること8時間、釣り人たちの手をかりて見事釣り上げた。(木曜日のニュース)キスがマグロに大変身した。「CURE」という黒沢清監督の昔の代表作を見た。CUREとは、治療という意味がある。主役の役所広司が若々しい刑事を演じている。人間には潜在的に殺意がある。かつて大学で心理学を学んだ一人の男がいる。催眠療法を学んだその男自体が、自分から離脱している。その男と接すると、例えばいままで仲良かった夫婦が、恋人同士や警官同士、会社の仲間が、そして刑事までもが、突然仲間を殺してしまう。人間は大なり小なり身近な存在に、潜在的に殺意を持っている。今では世界的監督となった黒沢清だが、私はこの作品がいちばん不気味だと思っている。小栗旬と中村獅童が、本人と分身の役を演じた「隣人13号」という作品もいい。15年以上前の作品だ。小学生の頃醜いイジメを受けた少年が、オトナになり自分をイジメた奴等に復讐する。イジメのリーダーは若い頃暴走族の総長になり、その仲間の女性と結婚して、堅気になり大工職人となって、息子と妻と三人でアパートに住んでいる。その家族が住んでいるアパートに一人の男が引っ越して来る。部屋の番号は「13」だ。小学校の頃のイジメのトラウマを背負ったその男には、やさしい自分と、凶暴な自分が共生している。井上靖雄監督2005年の作品だ。反省だけならサルでもできると広告界の巨匠が書いたが、私はこのところ過去を思い出しては、サルのように反省している。ヤキが回ったのかも知れない。16年前の小栗旬の全裸のシルエットは実に美しかった。その気がある人にはぜひ。映画も実に良く出来ている。目の前で善意ある言葉をかけている人の中にも、殺意が秘められている。人間とは恐ろしいとつくづく思うのだ。そして呪われたオリンピックが開催される。何が起きるかは、疫病神に電話して聞くしかない。あ~モシモシ……モシモシ……

                               (文中敬称略)




2021年7月17日土曜日

つれづれ雑草「柿の種」

先生はやっぱり死んでしまったのだ。7月16日日経新聞の夕刊「追想録」というところに、小林亜星先生と、立花隆さんの二人が載っていた。人間は太ったら早死にするという、医学界並びに社会通念を、見事にバカ言ってんじゃないよと太りまくって、八十八歳の喜寿を生きた。先生の大好物は何(?)と、先生の右腕か左腕の元ドラマーの人に聞いたら、それはですね、新潟米で出来た柿の種ですよと言われた。柿ピーじゃないのと聞けば、ピーは無しですと言った。青山にあるという、新潟米の柿の種を見つけ、ご自宅に送ったら、愛妻家の先生の奥様から、葉書が届いた。すっかりごきげんで、柿の種をポリポリしながら時を楽しんでいますと。先生は銀座の夜をこよなく愛していた、永遠の慶応ボーイだったと思う。硬派でもあり、仁を大切にし、義を重んじた。銀座の筋者(ヤクザ)は、先生を見かけるとビシッとあいさつをした。倉本聡さん脚本の映画「冬の華」で、カラオケ大好き(映画では敵対する相手に、マイクを握られつづけ歌わなかった)の親分役を演じた。大きな組の系列の親分なので、相手からマイクを奪ってしまうと抗争になるので、組織のためにジッと我慢する。高倉健主役、池部良、小池朝雄、田中邦衛などが脇を演じた。クロード・チアリのギターが流れる。この映画が大好きである。モーツアルトのピアノ協奏曲第一番を知った。(あるシーンで流れる)どこから浮かんだのか言葉のマジック。マハリクマハソタヤンバラヤンヤン(魔法使いサリー)ボバンババンボンブンボバンバババ(狼少年ケン)don don din don shubi da don(サントリー・オールド)ダンダンデイダンシュビイダアデン、ウイスキー飲みでこれを知らぬ者はいなかった。地球は回って、朝が来る。ウイスキーはそんな男の飲み物である。先生もきっとあの世を一回りして、ドカンと銀座に帰って来られるだろう。何より先きに奥様のところへは掟だ。私は新潟米の柿の種を用意する。これも掟だ。さようならを言うよりも、おかえりなさい親方と、ドラマーの知人と迎えたい。知の巨人と言われた立花隆さんの記事、八十歳没。私の大親友だった亡き友も、博覧強記であって知らない事はないのではと、思う知の巨人であった。カバンの中には、アサヒ芸能や週刊実話、哲学や宗教、宇宙関係などのぶ厚い本が、ゴッソリ入っていて、もの凄い速さで読んでは、ゴミ箱にポイポイ捨ててしまう。唯一住むところに置いてあった本は、内田百聞全集だけだった。立花隆さんは読んだ本はちゃんと、とって置いた。一度その蔵書の引越しをテレビの番組で見たが、まるで図書館移動と同じであった。天皇と東大という巨書を数年かけて読んだが、チンプンカンプンであった。無学な私には読むほどに分からなかった。一つ分かったのは、戦争を始めたのは、東大法学部卒で、戦争を終らせたのも東大法学部卒。つまり高級官僚は、現在でもほぼ全員東大法学部卒である。この国を奇跡的に復活させたのは東大法学部卒で、現代のように世界一の借金国にして、徹底的に駄目にしたのも東大法学部卒といえるだろう。勉強しかできないバカは、血の通った国をつくれない。立花隆さんが認めていた、最高のジャーナリストは故筑紫哲也さんだったようだ。自分の癌を告知されて喜ぶ人は余りいない。どうやって自分が死んでいくのか、それを知りたかったようである。何かの番組で日本で一番興味深く、おもしろかった政治家は、田中角栄だと言っていた。昨日深夜見たのに題名が思い出せない。スペイン語だったからだ。今夜しっかり探す。1800年代のスペインのひなびた農家に、軍隊が来て二人兄弟のどちらかを兵隊に差し出せと言う。父親は何故か一家の跡継ぎの兄の方を選ぶ。三年余りを経て兄は帰って来る。そしてキョーガクする。仲良かった弟が巨人症にかかっていて、身長が3メートル近くなっていた。一家は貧しい。このままだと食べていけない。弟は何人分も食べてしまう。そこで3メートル近い弟を見世物にして稼ごうと考え、街に出る。人々はその巨大さに言葉を失い、オドロキ、コインを投げる。そしてイタリアへ、フランスへと旅をする。実に切なく、悲しい旅だ。名作「道」を思い出す。医師は巨人症は内臓が人の何倍も早く病んで、早死にすると兄に言う。そして弟は死んで巨大な穴の中に埋められる。が、その墓は誰かによって掘り起こされて、取り去られてしまう。医学界の人間たちが、研究のために持っていったのではとの説が伝わる。あるいはどこぞの国の博物館にあるとか。巨大な弟は一度だけ女性とSEXをしようとする。が女性は……。題名は今夜きっと見つける。人の不幸は、密の味の素と言う。同情ぶっている人に、ちゃんと同情している人は少ない。大事故で人が死んだり、殺人事件があって幼い命が奪われたりした時、すぐに花やジュースや、カッパエビセンや、ビールなどを持って行く人々は多い。なんてかわいそう、ゼッタイ許せない、などと言いながらスマホで写真を撮ったりして、知人や友人に送っている。私はこういう人間たちを見るとバケツで水をかけてやりたくなる。同情はつづけてこそ同情なのだ。野次馬たちの同情が次の不幸を生むのだ。インターネットと言う悪い同情だ。(文中敬称略)




2021年7月9日金曜日

つれづれ雑草「ドンマイ・ドンマイ」

 お姫様や大奥の女性たちは、きっと強かったという確信を見た。佐賀県のとある市、とある学校の体育館で、剣道有段者(二段、三段クラスの男子と女子2名)と、女子高校生薙刀部(一級、二級クラスの女子)が戦った。先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の各5人ずつ。これが実に面白かった。見応え十分だった。キェ~ィと剣士、ハリャーと女子、掛声はよく分からなかった。試合時間は3分3本勝負。面(メン)、小手(コテ)、胴(ドウ)、そして臑(スネ)だ。剣道に臑はないので、足に防具をつけている。地元の剣道連盟の剣士たちは、竹刀より長い薙刀対策が出来てない。高校生女子たちは、エイ、エイ、エ~イとか、ウキャ~、ハキャ~とか、大声を発しながら、剣士の臑を攻める。オメ~ン、コテ~、ドーと剣士は面、小手、胴を攻めるが、薙刀で防がれる。そしてキエ~イとばかり臑を攻め、一本! を取られる。男子剣士ヤバイ、マズイ、突きは危ないので禁止。長い薙刀を自由自在に操って攻めに攻め、守っては攻める。結局薙刀の3勝2敗だった。時代劇で見ていた、お姫様や大奥の女性たち、武家の女性たちの薙刀姿は、お飾り程度と思っていたが、とんでもないぞと思った。かなり前の映像だった。その次の大会は剣士たちが薙刀対策を練って、剣道の3勝2敗だった。人生を長くやっていると、臑に傷はつきものだ。弁慶の泣き所を薙刀で思いっきり切られると、飛び上がって悶絶するだろう。コロナが収束したら、大人たちの全国大会、それを見に行こうと思っている。剣道と薙刀はいい勝負のようだ。武士道の教本「葉隠」を生んだ佐賀の女性恐るべしだ。戦国時代最強だったのは、薩摩ではなく佐賀だったのではと、歴史家たちは分析している。薩摩は芋侍だが剣術がもの凄かった。佐賀は近代兵器を使用した鉋術に優れていた。話は変わる。去る日曜日近所の小学校に野球の応援に行った。雨のため試合開始が大幅に遅れていて、目指す試合の前の試合を見た。試合時間は一時間半と決まっている。少年たちは互いに整列して、遠く離れて大声を出さず一礼を交わす。公式戦なのでネット裏に公式記録員が三人。主審、副審三人の計四人で、いざプレイボール。ボール、ボール、ボール、打つ、エラー、ボール、ボールそして情は無用と打ちまくる。ボール、ボール、時々ストライク、あとはボール、ガツンとヒット。これを延々一時間十五分続けて一回の表32点入った。一回裏あっさりと終って、試合終了。32対?、監督、コーチ、応援の父兄たちは、ドンマイ、ドンマイ次があると、泣きじゃくる子供たちを励ます。でもって次の試合は私が目指す試合。プレイボールと試合開始、ボール、ボール、ボール、ドカーンと一発、ボール、ボール、バコーンと一発、ヤバイ、この先はつらくて、かなしいので書けない。32点までは取られなかったと思うけど。ドンマイ、ドンマイだ。いつもはいい球を投げるエースと、準エースが調子がよくなかった。最近女子選手もいてよく打ち、よく投げ、よく守る。それにつけてもよく雨が降る。カラ梅雨だと思っていたが、とんでもなかった。近所の名もなき中華店に入って新聞を広げていると、ギャ~、アジィ~と叫ぶオバサンがいた。いわゆる老夫婦だ。小籠包(ショーロンポウ)を一気に口に入れて、大惨劇となったのだ。熱い肉汁が老婆の口の中に充満した。水、水、水を飲めと老主人。目から涙を流す老婆。スミマセンとあやまるバイト風の女の子。ドンマイ、ドンマイとそれを見ている私であった。それにしてもNHKの天気予報士、斉田さんは苦手だ。まったく無感情で無表情。台風に大雨、竜巻に強風、大災害が来るやも知れない。何があっても、何人死んでも、ドンマイ、ドンマイ。◯×です。◯×でしようと、タンタンとタンタンメンなのだ。ムキャンキャンじゃなくて、ムキャンキャクでオリンピックを開催するとか。暗~い顔したこの国の顔。マスク、マスク、消毒、消毒の中でやるスポーツに、安全安心という言葉は使えない。裏社会にヤクな奴という言葉がある。疫病神みたいな奴のことを表わす。現在この国で、ヤクな奴は誰か。言うまでもないだろう。こればかりは、ドンマイ、ドンマイとは行かない。みんな共倒れになってしまう。昨日東京に出ると、銀座のクラブのヒトが来た。写真家の人と話をしていた。マア座れよと言った。ある大箱店に復帰したとか。もうやってられない。政府や東京都に潰されてしまう。銀座は殆どフツーに営業してますからと言った。そうかがんばれドンマイ、ドンマイだ。でも行けないけどなと言った。






2021年7月3日土曜日

つれづれ雑草「雨音の中で」

私が眠るところの斜め上には、約2メートル位のプラスチックの屋根もどきがある。そこには雨どいがないのでスキ間から雨が落ちる。透明なその部分にドタバタ、バタバタ、バチバチと雨が叩きつけた。午前一時~四時半頃まで映画を見ていた。いつもは雨音も風流なもんだと言っているのだが、今朝のように大騒音となると、やっぱりちゃんとした屋根にしとけばよかったと思う。映画の音量はフツーは1011なのだが、イジョーな日は18から20にしなければよく聞こえない。私の眠る所は、「方丈記」を書いた「鴨長明」の住まいより狭い。不眠症なので何かを見たり、聞いたり、読んだりと、たりだりを必要とするので、一階のキッチンのテーブルの横で横になる。壁にテレビ画面がくっついているので、それを見ながらが常なのだ。又、冷暖房機が現在2機しか稼働しておらず(一機は愚妻の部屋)四角いテーブル(お客用兼仕事用)と、長方形のテーブル(食事用)のスキ間が、眠る所となる。電気スタンドは自分の部屋にあるが、そこは今は資料室兼仮眠室など、マルチに使用している。(四畳半位だけど)狭い所では足手まといなので、懐中電灯を置く。家の中をアチコチふとんと枕を持って移動したが、今のスキマがすこぶる気に入っている。今日土曜日は平塚から鍼灸の達人の先生が来てくれるのだが、朝早くに電話が入り、平塚が大雨で大変な状態となり、本日は休診にとのことだった。スキ間が治療スペースになるのだが、今日はハリのない日となった。テレビをつけるとすさまじい雨の恐怖が拡大している。午後一時頃熱海の猛烈な山崩れ、土石流は家屋を根こそぎ飲み込んでいる。南極や北極が30度を超えたり、アメリカでは50度近い温度となったりと、地球温暖化の影響は、異常度をウサイン・ボルトより速く進めている。オリンピックはいつの間にか、中止か延期かではなく、無観客か有観客かにすり替わっている。いつもの日本流論点代えだ。雁首揃えていた専門家たちは、無視無視コロコロキンチョール。日当もらってルーチョンキだ。提言に決死の覚悟がない。雁首の中には一度も声を発することなく、まい日バイトの如く、日当もらって帰っている者も多いはずだ。「存在の耐えられない軽さ」こんな題名の映画があった。何度も書くがこの国は、地震帯の上にある国。四方八方が海、国土の半分以上が山の国。山を大切にしない、樹木の手入れを大切にしないから、同じ災害を繰り返す。海に敬意を表しないから同じ被害をくり返す。(被害にあった方々に心よりご冥福をお祈り申し上げる)コロナだオリンピックだと言っている内に、40年以上経った原子力発電所の運転がいつの間にか再開されている。東京電力の社員の給与が上がっている。「オオカミの皮をまとう男」というスペイン映画を見た。あなたが何を食べているか、それを知ったら、あなたが分かる美味礼讃にそんな言葉がある。主人公の男は四十歳位だろうか。雪深き山の中一人で暮らしている。家の周りには、粗末な十字架がいくつもある。誰かが住んでいたのか、誰かが来て死んでしまったのか。筋肉隆々、ヒゲもじゃの男は、自分で撃ち殺した獣の肉をむしゃぼっている。オオカミを殺し、その皮を山の下の村に行って売る。ずっと孤独だ。村に貧しい父娘がいる。父は姉を男に売る。生きていくために。娘は雪山の中で獣のような男の相手をする。多くを語らない男、娘は子を宿しており死産となる。娘は実は未亡人であって、子は村の誰かとの子であった。父は村人の噂を怖れて男に売ったのだ。その娘はやがて死ぬ。その遺体を雪ぞりに乗せ、男は山を下り父親にその事を正す。父親は謝罪の代わりに、美しい妹を嫁にと差し出す。村人たちとささやかな婚礼の式をする。父親は山に向う娘に、もしもの時はこれをと毒の入った袋を渡す。男を知らなかった美しい娘は、日々獣のような男の相手をする。そしてある日、雪山の中を逃げる。が山の中で男が仕掛けてあった、獣を奪るための仕掛けに、足をとられてしまう。やがて男に見つかり小屋に連れ戻される。半死半生の体を男は必死に温める。男は何も語らずにひたすら娘のために尽くす。美しい娘の澄んだ目はそんな男を見つづける。娘は何かを感じていたのだろう。しかし男の体には少しずつ異変が起きていた。この男の周辺に何があったのか、それを知っているのは山でしかない。空には不気味にハゲタカが群れを成して飛んでいる。中上健次の小説を映画化した「火まつり」を思い出した。何度見ても何故無理心中したのかが分からない。その答えは血であったのか。人間の本当の正体とは、何故私は私で、あなたが、あなたなのか。科学的に誰も証明できない。ニュースでは都議選のことを少し流していた。何かコントを見ているようであった。私は当選したらすぐやめます「議席を減らします党」の立候補者のポスターのキャッチフレーズに笑った。もう一人、私はバカでしょうか?京大卒。「愛の力党」都民の皆さん必ず清き一票を。

(文中敬称略)