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2021年7月31日土曜日

つれづれ雑草「必死」

つれづれ雑草「必死」

勝負事に絶対はない。と言うよりこの世に絶対は一つしかない。それは必死だ。生あるものは必ず死ぬ。これだけは皆平等だ。必死にがんばるという言葉がある。文字通り死ぬ気で目標に向かうという崇高な行為だ。余力を残して決勝で全力をと思って、金メダル候補の瀬戸大也選手が、400メートル個人メドレーで予選敗退した。0秒32の差で8位になれなかった。4種目の自由型を流しながら泳いでいた。他の選手たちは必死で泳いだから瀬戸大也は負けた。以後どのレースでもメダルがとれなかった。調子が狂ってしまったのだ。その逆に奇蹟が起きた。チュニジアの18歳、アハメド・ハフナウーイ選手は予選も必死で全体の8位で決勝に、そして更に必死に泳いで、2位に0秒16の差で勝ち、金メダルをとった。水泳王国アメリカでもオーストラリアでもない、躍進著しい中国でもない。政情不安で国内混乱の中から出場した、チュニジアから金メダルなんて、神も信じられない出来事だった。オーマイゴッドだ。余力を残してという甘い気持ちは、必死抜きによって、水泳ニッポンを金メダルなしに沈めた。ニッポンの負けに選手は信じられないを連発した。バカ者め必死にがんばらない人間に栄光はない。金メダルラッシュといっても、半分はお家芸の柔道だ。その柔道も国の威信をかけ100キロ超級では三位もなれなかった。必死が持続しない。つまりヘトヘトだった。柔道もポイントかせぎのスポーツになってつまんなくなった。スケボーの13歳の少女に専門のコーチはいない。強化費もない。でも少女の栄光は楽しい必死で、大逆転して生まれた。ビーチバレーは砂場の遊びでやめた方がいい。美しくない。必死が見えない。サーフィンは会場の海の色がすこぶる汚いので、見る気がしなかった。六チームしか出場しない野球に何の意味があるのだろう。それもプロの選手だ。やめた方がいい。オリンピックとは必死の美が感動を生む。仕事だって同じだ。まあこんなもんでいいかと、勝負に行けばほとんどプレゼンで勝てない。マムシのようにしつこく、一夜にして全部やり直す。必死になってこそ勝てるのだ。勝負は一位が全て、第二位はなぐさめでしかない。愛の告日も必死が伝わらないと一緒になれない。現在ほぼ5分に一組ぐらいが離婚をしているらしい。男は浮気をする。女性が不倫をする。がある意味、文学的には健全だ。一人の男性、一人の女性とずっと性生活なんて、ウソ以外何者でもない。男女の不倫は、東京中のホテル、連れ込み旅館の上得意だ。東電OL殺人事件みたいに、超一流企業の高学歴の人間が、夜は着替えて変身し客を求める。金だけではない女性も男も実は変態な人が多い。昼はエリート夜は街に立ちつくす。体いらんかねえ~と。そんな人たちも必死なのだ。解離性同一性障害なのか、自分の中のもう一人の自分が、夜な夜な現れるのだ。昨夜佐野真一の本で読んでいた、「東京OL殺人事件」を題材にした映画を再度見た。ネパール人ゴビンダさんが冤罪で捕まり、何年も刑務所にいたが、必死で無罪を訴えていた人たちの努力で、解放された。つまり真犯人はどこかにいるか、死んでいる。ある賢人は、「モノはね、壊れたら捨てるのではなくて、直すものなんだよ」と言う。甘い嘘よりも、苦い真実。陶芸の世界に金継ぎというものがある。壊れた陶器も金継ぎをすればより強くなる。父親も東京電力のエリート、自身も超エリート。プライドというものから、実は必死で逃れたかったのかも知れない。一日の目標は四人の客を引くことだった。きっとSEXすることが金継ぎだったのだろう。克明にノートをつけていた。会社の仕事のように。コロナ禍はいよいよ拡大をする。オリンピックもいよいよ陸上が始まり、オリンピックらしくなる。が、日本人はマラソンか400メートルリレー、競歩位しか期待できない。より速く、より高く、より遠くへ。それに対しては、いくら必死になっても世界には通じない。つまり身体能力は世界のレベルになっていない。昨夜10000メートル競走を見たが、一着のエチオピア選手とは、一周もおくれていた。バドミントンの桃田選手、テニスの大坂選手などは、必死以前の問題があったようで、まるで別人だった。日本にもメンタルトレーナーが必要だ。私の体をメンテナンスしてくれる、平塚の鍼灸の達人は、円盤投げの選手でインターハイに出場したとか。でも日本人は全然世界レベルに達していないので、残念ながら応援する選手はいない。槍投げも、砲丸投げやハンマー投げも。これらの競技こそ肉体の祭典、オリンピックの正当な種目だ。ある雑誌の調査によると、次の衆議院議員選挙で菅政権は終る。与党は大敗するとあった。やはりオリンピックは無理筋だった。菅総理は昨夜会見をしたが、目は死んだ魚のようだった。鯵(アジ)に似ていた。必死を怠った人間は、きっと落選する。歴史が激変する気がする。親愛なるコピーライター、赤城廣治君が、熊本城をビジュアルに使ったポスターに、「籠城じゃ。」家にいよう。みんなで打ち克とう。というコピーを書いて栄誉ある東京コピーライターズクラブ(TCC)の、審査委員長賞を受賞した。この男ほど、必死に仕事する人間はいない。皆さん、必死で家に籠城を、つまりステイホームを。栄誉も栄光も、奇蹟も、必死にやった者のみに与えられる。(文中敬称略)



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