赤い口紅が暑さと流れる汗と、叫びつづける涙で酷いことになっている。そうでなくとも、決して整っているとは思えない顔を変形させている。助けてください、厳しいんです。あと一歩、背中が見えて来ているんです。両手のマイクをでかい口で飲み込みそうだ。グァ~ン、キーンとした音響が駅前の、暑い36度近い広い空間に鳴り響く。30人近い聴衆たちは、ガンバレー、バンガレー(ガンバレーが変化)これからだぞーと七十五歳位の老人が、ガリガリ君みたいなのをカジリながら応援。新聞の予想では四人が当選のところの、六番手であるバカ者は選挙の時だけ小型車に乗って、そうでない時はガレージの奥にはBMWを隠している。どこが貧しき者の味方だっていうの、俺はこういうセコイ人間が大嫌いだ。どうせならロールスロイスに乗って、庶民の味方ですとやって見ろと言いたい。ウソつきばかりが次々とやって来る。俺はちゃんとお墓に参っているのかと野次を飛ばす。奥さんをDVで自殺させたと言われている奴が、ニッカニカ笑って手を振っている。ある議員の選挙カーが新橋SL広場に来た。いつもは街宣をやっている右翼たちが、車を移動した。筋金入りの右翼なら絶対移動などしない。リーダーたちは側にある“天然たい焼き”の店に行って、それを食べる。右翼の若者に、“昭和維新の歌”でも流せばと言った。自分の判断ではと、かわいく笑った。選挙はまい日コツコツと議員活動をやっている人以外は、ウソ八百、泣き八百、お願いを八万回位叫ぶ。俺は妻子に隠れて不倫を重ねていた、「玉木雄一郎」という国民民主党代表が、ヘラヘラした笑い顔で(コイツはいつも笑っている)東大法学部卒だが人間社会のルールを知らない政治家があろうことか党の代表として。一部の人間たちは(オバチャン多い)奇声を発して応援する。コイツの奥さん、お子さんたちはどんな心境なのだろうか。人間には無くて七癖がある。残念ながら決して治らない(ビョーキだから、)のか(一)盗癖(一)性癖(一)虚言癖の三つと言われている。(精神科医の間で)サントリーの「ロコモア」は罪な商品だ。ウソ八百八橋だ。本当に効いたという人の言葉を、未だ一人も聞いたことはない。CMのヤラセ出演者(シルバーモデル)だけだ。「ロコモア」が本当に効いたら、三年間学校で学び国家試験をパスして来た、鍼灸の先生たちは全員失業だ。やたらバキボキやって大ブームだった“カイロプラクティック”はどこへ行ったの(?) お茶を飲んで血圧が下がるなら、お医者さんはいらない。責任者出て来い! なのだ。政治家も「ロコモア」と同じだ。イテェ~、イテテテと泣きが入っている人々は、“ロコモア”や、“ロコモア”的、機能性商品とオサラバスベシ。確実におこづかいは増える。メーカーはウハウハ、ウハウハ大儲けなのだ。“どうせ広告だから”と言われるのが、俺は悔しいのだ。追伸、玉木雄一郎は必ずまた不倫するだろう。「国宝」「メガロポリス」「ブルータリスト」を観た。ラストのロールスーパーのデザインは最高だった。合計約十時間、役者さんは凄い、F・コッポラさんは86歳で製作費180億円の自主映画(?) やはり凄い。何だか分からないのを、分かっているのが凄い。天才中野裕之監督が参加しているのが凄い。現代社会はローマ帝国のように滅亡する。愚かな為政者によって。きっとその通りになって行くだろう。ところで「トクホン」はどこに行ったの? やっと芥川賞と直木賞、該当者なし。この先もずっとなしだろう。下手クソばかりだ。(文中敬称略)
2025年7月20日日曜日
2025年7月3日木曜日
400字のリング 「老人と山/パンチの山」
「死んでもやらねばならない時は、死ぬべし」、「生きていてやらねばならない時は、生きるべし」幕末長州藩の思想家、『吉田松陰』の言葉だ。かなり過激な中国の思想家、王 陽明「陽明学」の影響を強く受けていたと伝えられている。分かり易くいえば、能書きをタレているより、行動で示せということだろうか。明治維新はテロリズムによって成立した。いわば暴力革命だった。平民を軍人にする始まりだった。(皆兵制)現在世界中でテロリズムが横行している。人間社会は原始社会のように喰うか喰われるか。生きるか死ぬか。殺すか殺されるかの緊張状態にいる。ノー天気な島国ニッポン国家は、株価が4万円を超えているというのに(外国資本が安い国ニッポンを買い漁っている)、GDPは上がらず、値上げラッシュで平均給与は下がる。そんな中で江戸時代のような米騒動が起きている。備蓄米放出といイカサマに、行列を成してありがとうございますと、涙声で配給を受けるように頭を下げる。フザケンジャナイ、安い備蓄米を放出して大儲けしているのは、財務省主体の国家だ。小泉進次郎に無料で配給されている訳じゃないのだ。当然商人たちが“お主も悪じゃのう”と大儲けして大笑いだ。真底このノー天気国家にあきれ返る。集団心理、集団行動は、国家の集団自殺を生む。かつてアメリカに石油をストップされて、太平洋戦争という集団自殺を生んだ。終りなき宗教戦争を知らない、多神教国の、無能な指導者たちは、昔も今も変わらない。商人たちはテロリズム、行動こそ哲理だというのを利用して、巨大な富を築いてきた。トランプ関税は、かつての石油ストップと同じだ。日本の企業は現在コンサルタントの大ブーム。日本の経営者はカタカナ用語を巧みに使うゲーム世代の人間にヒジョーニ弱い。ちゃんとした社員なら一枚の企画書で済むものを、コンサルタント会社は、あれやこれやのカタカナ用語やグラフやデータ、映像を使い分厚い提案書にして、しこたま金を取る。で、目的が達成できなくても、オラ知らねえとなる。本当にアタマのいい奴は、一ページか、二ページあれば十分なのだ。資料やデータなんかは今の世はいくらでも手に入る。さて、王 陽明の陽明学だが、俺は佐賀の「蓑隠」を知って以来、「一日一死」いつ死んでも“ふんどし”が汚れていたら武士の恥(男の恥)と、下着に気をつけている。武士は毎朝井戸の水で体を清めたが、俺はシャワーにしてもらっている。目ヤニや鼻毛も注意、ツメの手入れをしっかりしておくのだ。靴の汚れも恥だ。必死に生きるとは、人は必ず死ぬから、その時にいつも備えよなのだ。「武士道とは死ぬことと見つけたり」その教えを持って、老ボクサーはリングで闘う。アリスの歌った“チャンピオン”という曲に、パンチを受けてダウンした老ボクサーに、“もういいんだ、もう十分だ”というフレーズがあった。この曲のモデルは確かカシアス内藤という選手だったらしい。そのボクサーは引退後、癌と闘いながら、名トレーナーとして多くの後進を育てた。この世に絶対が二つだけある。一つは人間は死ぬまでは生きている。一つは人間は必ず死ぬ。さあ~闘うんだ。“白鯨”のエイハブ、片足を失った松葉杖の船長のように。ロープ際の魔術師といわれたメキシコの名ボクサー“ジョー・メデル”のように、パンチの山を受けロープ際に追い込まれながら、強烈なアッパーで相手をノックアウトする。病いと闘っている多くの人々よ、勝負をあきらめるなかれ。ジョー・メデルは俺が一番好きなボクサーだった。ボッコボコの五月六月が終った。何のあいさつもなく七月が始った。参議員選挙があるぞ。棄権は国家の危険を呼ぶ。必ず投票行動を。一票は強力な一発のパンチだから。
(文中敬称略)
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