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2012年8月24日金曜日

「孫とマゴマゴ」




♪なんでそんなに可愛いのかよ、孫という名の宝物〜。
と山形出身の歌手、大泉逸郎さんが「孫」という歌を大ヒットさせた。

あれから何年経っただろうか。今やじじ、ばば。孫の時代となって来た。
ある記事にこんな見出しがあった“孫消費に意欲示す。「育G調査」結果発表。
それによると小学生以下の孫がいて年三回以上会っている50歳以上の人に対し調査した。
それによると孫にかかる年間支出の平均は約11万円という。
その内訳はおもちゃ66.8%、衣類・靴53.6%、絵本・本53.6%、さらに孫に為に家までなどとある。

少子高齢化社会の象徴的現象といえる。
私の知り合いの女の子26歳は歯の矯正代を全ておじいちゃんに出して貰ったというし、31歳の男は一年間の海外旅行(勉強とか?)のお金をおばあちゃんにおねだりしたという。

じじ、ばば、は何より孫に好かれたい、嫌われたくない。そう願っているらしい。
これから孫とじじ、ばば、ビジネスが大きく成長するだろう。
「孫は来てうれし、帰ってうれし」という。たまに会うといいのだろう。

「もしもしグランパ」と孫から電話が来た。来年小学校に入る孫からだ。
「あのねぇー、ランドセル今度来たとき買ってくれるのぉ?」「うん買ってあげるよ、何色がいいのぉ?」なんてデレデレっと話をする。

「もしもし○△銀行××支店ですが」「えっ何!」といえば、残高不足でカードのお金や何やかんやが落ちないという。
「えっ本当!」とマゴマゴしたのだ。そうかずっと入金をしていなかった。残金は1646円ですといわれた。
入るのより出るのが多くなるのがグランパの今なのだ。

人生二勝九十八敗を目指しているが、二勝の道は遠く険しい。
だが必ず金ぴかの一勝をしてやろうと思っている。「やると思えばどこまでやるさ、それが男の生きる道」なのだ。

2012年8月23日木曜日

「男の血」




プロの男の世界では人を判断する時にこんな表現をする。
1、使える。2、器量がある。
この二つで十分なのだ。勿論この逆であいつは使えない、器量がないとなるとまず伸びないし大きく育たない。

“使える”は何事にも頭が切れている男をいう。
“器量”は金の切り方が見事で金離れがいい。
器が大きい、若いけど心配りが行き届いて万事抜かりがない、あいつはきっと上にたつとか、親分にもリーダー、社長にもなるという男だ。酒を飲んで割り勘などという男や、向こう傷を負わない(万事人の責任にする、逃げを打つ)、女性に対して優しさがない、先輩後輩に気配りのない男はまず使えない。

よくチンケでケチな男というのは金に汚い男をいう。あいつはチンケなナンパ師といわれてしまった笑い者の男だ。
女房を質屋に入れても困った人間が相談に来たらそれに乗ってあげねば男はつとまらない。
男の器量は店の支払をする時によく分かるものだ。

ある飲み屋で会社員とおぼしき人たちが三人で飲んでいた。
当然話題は会社へのグチ、上司へのグチ、同僚への悪口だ。
私は知人二人と飲んでいたのだがあまりにグチグチうるさいのでいつもの悪い癖でひと言いってしまった。

君たちさっきから聞いているとよくまあ〜給料貰っている会社のグチばかり言っているねぇ。
君たちみたいな男は会社もきっと辞めてほしいと思っているよ、と。シラーっとした空気が流れた。
私は知人にこういう男達が使えない、器量がないっていうんですよと言った。

すっかり静になった三人は話題を変えた。
そして20分後もう帰ろうぜとなって立ち上がった。
レジの前で三人の男達が割り勘の計算をしてそれぞれ金を出し合って店を出て行った。

その夜私は新橋演舞場で歌舞伎を観た。市川海老蔵の「伊達の十役」だ。
一人十役早替わりを四時間あまりかけて演じる。悪人四役、善人六役。

やっぱり海老蔵は使える、器量がある、華がある、なにより男の色気、男の殺気、男の狂気、男の佇まい、男の眼力がある。西麻布で酒乱を演じたのもボコボコにされたのもキッチリ芸の肥やしに活かしている。
以前に増して風格が出ていた。

その翌朝八月二十三日、日刊スポーツ朝刊に海老蔵をボコッた男の先輩であった男が一冊の本を出版したという記事が大きく書いてあった。
今では市川海老蔵を尊敬している、自分も俳優になると書いてあった。歌舞伎を是非観たいとも。

世の中で一番美しいものは「悪の華」ともいう。
人生という舞台で悪の華を演じれる様な名優になるには自ら“血”を流すという月謝代が掛かるのである。

2012年8月22日水曜日

「トイレで携帯」




東京駅八重洲中央口地下にトイレがある。その日は猛暑でみんなイラだっていた。

朝十時過ぎ私は小用を足しに行った。
大用のために人が五人並んでいた。その中の一つが中々でない。
その前に待つ事久しの40歳位の会社員がイライラもじもじ時々ブルブルっとしている。
中からジッパーを上げる音、バンドを絞める音がした。ザァーと水を流す音、私は小用を終え手を洗っていた。

とその時バァーンとトイレを蹴る音がした。
バカヤローいつまで入ってんだコノヤロー、そんな処で携帯をかけてんじゃねえ早く出ろ、こっちは出そうなんだみたいに震え声、目は心なしか涙が浮かんでいる、もう一度バァーンとドアを蹴っ飛ばした、何事にも好奇心を持つ私は事の成り行きをじっと見ていた。

この頃トイレの中で携帯を使う不届き者が多いのでどんな男か見てみたかったのだ。
再びザァーと水を流す音がして一人の男が出て来た。シラーっとした顔であった。
歳の頃は45歳位であった。怒っていた男の顔をジーッとみて手洗い場に向かった。

並んでいた人たちは何だコノヤローはという顔であった。
シラーっとした男の手には少年ジャンプがあった。黒い鞄はパンパンに膨らんでいた。
グレーの背広に白いワイシャツ、鞄からはみ出した封筒に三菱UFJ銀行と印刷されていた。
ペットボトルもはみ出ていた。私ならきっとこの男を殴っていただろうと思った。
我慢できない人は我慢できないのがトイレなのだ。

2012年8月21日火曜日

「霧子のタンゴ」

 


私がこの世で一番苦手なのが、ミーチャン、ハーチャンだ。

八月二十日オリンピックのメダリストがパレードをするというのをすっかり忘れて銀座四丁目の和光に御礼の品を買いに行った。時計を見ると午前十一時四十三分六秒であった。イヤ〜いたのなんのミーハーがそこいら中にぎっしりといた。

おばさん二人に何かあんの?と聞けば、何を聞くのかこの阿呆みたいな顔をされた。
顔は炎天下の中で汗まみれ、厚化粧が崩落し、首筋には転々と白粉がある。

夥しい数のガードマンや警官、空にはヘリコプターがバタバタ、なにすんのよ押さないでよ〜、とオバサン二人いつ合流したのか連れ合い二人。もっと前へ行きたいのよぉ〜、ボーッとしないで何とかしてよ、全く役立たずみたいな熱い空気。左手にはミネラルウォーター、右手に団扇でバタバタする。
なんだこりゃ〜、ミーハーの大洪水だといったらギョロとガンつけられた。

で、結局和光へは行けず、群れから離れ昭和通りにある江戸切子のグラスにしたのであった。
そのむかしフランク永井の歌で“霧子のタンゴ”といういい歌があった。
店の入口には宮内庁御用品とある。それはそれは見事な江戸切子の数々。

一人の女店員に“霧子のタンゴ”って知ってる?って聞いたら、ハア、といってポッカーンとされた。
当たり前であった。
変なお客が暑さに頭がイカレてやって来たと顔に描いてあった。
店の中で霧子のタンゴを口ずさんでいた。

だが待てよ、村田諒太の姿を見たいな、48年振りにボクシングで金メダル、それもミドル級でだ。
「金メダルが価値でない。これからの人生こそが価値だ」みたいないい事をいっていた。手の付けられなかった不良少年は武元前川先生と出会って見事な男となった。ボクシングはやっぱりすばらしい。先生は50歳でこの世を去ったがその人生は金メダルだ。イカン、歌など口ずさんでいる場合でない。と、ミーハーになりに行ったのだが。

2012年8月20日月曜日

「八月十九日に想う」



より速く、より高く、より強く、オリンピックはこれが基本であった。
ロンドンオリンピックに日本中が熱帯夜の中、眠らず声援を送った。
その結果メダル数史上最高の38個となった。

だがまてよ、より速くの陸上はまるでゼロ、より高くも全くゼロ、より強くは男子の柔道が全然駄目であった。
つまるところ、走る力、跳ぶ力、投げる力はどんどん世界から離れてしまっているのだ。

近代オリンピックに追加されていったスポーツはほぼスポンサーがついてセミプロ化している。
マラソンの藤原新などは一度勝った位で会社を退社し自らをタレントとした会社を立ち上げ一社ウン千万を集めテレビに出まくりであった。結果はヘトヘトヘロヘロの45位であった。

感動したのは南スーダン出身のグオル・マリアル選手だ。国ではなく五輪旗の下で走っていた。
胸には小さく「IOA」の文字。これは個人参加五輪選手の略だ。没道の大観衆の声援を背に、走り続けた。
完走できてよかった。故郷の現状や世界の難民について人々に考えてもらいたかったという。

内戦の続く故郷で、親族28人が命を失った。自らも二度誘拐され少年兵にされそうになった。
8歳の時、難民キャンプからエジプトに移され、米国で難民として永住資格を得た。
故郷は昨年7月、スーダンから分離、完全独立した。だが国内にはまだオリンピック委員会はない。

完走85人註47位であった。ただ一人で練習をした結果だ。
体協もない、勿論強化費もない。ユニホームには国旗もない。

金メダルは300万、銀は200万、銅は100万とか。スポンサーからうん百万とか、この国は全て金、金、金だ。
走る力、跳ぶ力、投げる力を根本的に鍛え直さないと真のメダルは手にできない。
フェンシング、アーチェリー、卓球、サッカー、バドミントン等が一生懸命メダルを稼いでくれた。
私の金メダルは勿論南スーダンのマラソンマンにあげたい。

そんな中で、こんな記事を目にした。いまどきモテる男は「4低」。
かつてバブル期に沸いた時期は「3高」がもてはやされた。高学歴、高収入、高身長だ。
ところが大震災を境にがらりと変わった。「3平」が人気化した。平穏、平均年収、平凡な容姿だ。

そして今度は、低姿勢、低依存、低燃費だ。
女性に威張らない、家事は女性に頼らない、リストラされない、更に節約できる男となる。
気前のいい男は無駄使い男として駄目男となってしまう。折込チラシをよく見る節約男が、いい男なのだ。
全くこんな男たちから、より速く、より高く、より強くは生まれない。

今回のオリンピックは女性が大活躍であった。世界各国女子選手を強化している。
だが「女性アスリートの三徴」が問題になっている。体操や陸上長距離、重量挙げなど体重制限のある競技では「摂食障害、無月経、骨粗しょう症」だ。
制限によって体重脂肪が減少する、排卵と女性ホルモンの分泌がとまり無月経になるという。
栄養不足は骨密度の低下を引き起こし選手の生命も驚かす深刻な状態となるという。

どうりで女子レスリングの吉田沙保里さんがまるでゴリラに見えた訳だ。
柔道の松本薫さんが狼に見えた訳だ。

本日8月20日、メダリスト達が銀座をパレードしたらしい。
8月9日亡き友の偲ぶ会を無事終え、ずっと封印していた映画を観に行った。
ショーペン主演の「きっとここが帰る場所」、年老いたロックンローラーの心の闇の行き先だ。とても文学的で良かった。

休み中買い求めた古今亭志ん朝のDVD全集をずっと見、ずっと聞いた。
噺のわからない処を教えてくれた友はもういうない。ヒタヒタと友を失った悲しさが身を包む。
私の人生に於いて金メダルの男であった。

蝉が狂った様に鳴いているが、夕方海岸に行くと、トンボたちが風の中を飛んでいる。海の浅瀬にはボラたちが気持ちよさそうにピョンピョンと飛んでいる。夕陽を背に浴びた富士山は丹沢、大山連峰の稜線を従え黒富士となってその美形を誇っている。何があっても一日一日は通り過ぎて行く。

2012年8月9日木曜日

「地と球」




地球という文字を二つに分けると「地」と「球」となる。
この地球という宇宙の小さな球には様々な球がある。

野球の球、サッカーの球、卓球の球、ハンマー投げの球、バレーボールの球、ハンドボールの球、水球の球、砲丸投げの球、ゴルフの球。
それらが人間を熱くし、地球を喚声に包む。
たった一ミリ、一センチの転がりで勝敗が分かれたりする。

地球の地の上では永遠に宗教戦争や経済戦争、利権戦争が絶えない。
たった一人の言葉で人の運命が左右されたりする。
地の上では血が流れ続けるが、球の部分では世界は一つになれる。

地球という誠に持って不思議な青い球はこれから何処へ向かってどう転がるのだろうか。
人間の魂を「たま」ともいう。自分の運命とか、宿命とか、寿命とかという魂はどう転がっていくのだろうか。
そんな難しい事はしばし夏休みとしよう。

八月九日、亡き親友の偲ぶ会を終えゆっくり一人友を思い出す夏休みとする。
彼の魂はいよいよ地上から宇宙ヘの彼方へと飛んで逝った。さらば友よ、また会う日まで。

ブログは20日までお休みします。

2012年8月8日水曜日

「生き物係」



オリンピックのテーマソング(風が吹いている)を歌っている「いきものがかり」という若者3人がどうしてこんな大変な係を受け持つ名を付けたのかをある記事で知った。
小学生の頃、金魚たちを守る「生き物係」だったからだとか。

とある学校のプールに500匹以上の金魚が投げ入れられていた。お祭りかなんかで売れ残った。
正しくは金魚すくいから逃げ切った幸運な金魚たちが大人達の手で捨てられたのだ(結局不運だった)。
その学校のプールは金魚の釣り堀化しているという。

小学校ではフナ、メダカ、タナゴ、カメ、ウサギ、ニワトリ、文鳥や十姉妹(ジュウシマツ)みんな生き物係の子供達が守り育てた。

近頃小学校から百葉箱がなくなってしまった。
白い箱の中に毎日毎日ワクワクする季節のドラマがあったのに。

子供達がオリンピックを見ていて、マラソンの金メダルと競歩の金メダルはどっちが偉いの?
体操の金メダルとアーチェリーの金メダルはどっちが偉いの?と聞いてきた。
どっちも偉さは同じだよといった。

ずっとむかし、こんな広告があったのを思い出した。
「数学の5と体育の5はどっちが偉いの」
数学5、英語5、理科5でも、かけっこも出来ない、サッカーも出来ない、逆上がりも出来ない。
それでは健全な子供とはいえない。
オリンピックは体育が5だった人の祭典だ。
大人はもっと子供の個性を伸び伸びと育てないといよいよマズイ事になってきた。

 「私の学問は全て砂場で学んだ」といった哲人がいたが、砂場で真っ黒になって遊んでいる子供達がいない。
私の家の前は公園で砂場もあるのだが、子供達はあまり入らない。

あっ○□ちゃんそんな処入って遊んだら駄目、砂だらけになってしまうじゃない!洗濯すんのが大変なんだから。
こんなお母さんが公園にタムロしてヨタ話をしている。
ネェー、ロングブレスダイエットの美木良介っていいじゃん、私も今やってんのよ、こうやってこうずーーーーーーっと息を吐くのよ。お母さんは股を広げてカンフーの様な事をしている。
ギャー何してんの、最悪!自分の子供に雨で湿った砂の固まりを投げつけられたのだ。
しっかりしろってんだよ。いきものがかり達よ。

2012年8月7日火曜日

「焼け火箸」



子供だった頃、近所のおばあちゃんに、夕方に口笛を吹くと人さらいが来て大きな袋の中に入れられてサーカスに連れて行かれるといわれた。そしてお酢をいっぱい飲まされるのだという。
お酢を飲むと体がぐにゃぐにゃに柔らかくなるんだと。

その頃木下サーカスとかキグレサーカスとかがあってそこに連れて行ってもらうのが夢だった。
サーカスに連れて行ってもらえなかったので、夕方になると口笛を吹いて人さらいが来るのを待っていた。

オリンピックの女子体操の選手たち、なかでも中国の選手を見ているとまるでサーカスの様であり、その体はとても小さくまるで子供の様だ。金メダルを逃すととても悲しい顔をする。帰国したらどんな仕打ちが待っているのか心配だ。

むかし、角兵衛獅子という映画があった。
アフリカでライオンだかトラだかに噛まれて有名になった松島トモ子が逆立ちをしたり踊ったりする。
上田吉之助という恐い親方が稼ぎが悪いと「おメエーたちもっと働け!」なんていって焼け火箸でイジメるのだ。

 なんかそんな映画を思い出した。
ちょっと失敗しただけで減点する厳しい審判員が、あの恐い上田吉之助に見えて来た。
思えば戦後67年ずっと、おメエーたちもっと働けと言われて生きてきた。八月六日、広島で平和を願う式典をした。

ロンドンでは平和を願うスポーツの祭典をしている。
働いて働いて、働きまくった結果。この国の民になんで一人700万も800万も借金を背負わされるのか。
世界で唯一の被爆国に原発が54基もあるのか。何かを始めなければならない。

ポールマッカートニーがオリンピックの開会式で歌った「ヘイ・ジュード」の詞にある。
いい事ばかりじゃないけど、考え方ひとつで変わるものだ、さあ始めよう。
一人一人が権力から焼け火箸を取り上げよう。
嘘八百だった民主党はもはや上田吉之助、十手を持った役人の手先、弱い者イジメの極悪集団だ。
おメエーラに近々焼け火箸が待っている。

2012年8月6日月曜日

「恐い、白い、濃い」




超不眠症男が連日のオリンピック中継を見ていると、気が付けばずっと起きている。
ネムレンピックがあればオレは金メダルを取れるかもと自信を深めてしまった。

朝早くから鳴きまくる蝉の声もずっと聞いていると何匹くらいか分かってくる。
お隣の家の風鈴の音もゴリン、コリン、リンリンと聞こえて来る。
電話の音さえゴリンゴリンリンリンと聞こえてくる。

女子柔道で金メダルをとった松本薫選手が前半のハイライトの顔だった。
コワイデスネ、スゴイデスネ目玉が奥に引っ込んでまるで鬼の面、あれ位でないともはや世界に勝てない。
女子水泳の鈴木聡美選手の白い歯並びの美しさが印象的であった。体操の内村航平選手の脇毛の濃さも凄かった。
この三つが今のところ印象度金メダル。 
1.恐い、2.白い、3.濃い。

そんな中で政界の黒メダルを何個もとった、ハマコーこと浜田幸一が83歳で死んだ。

話は違うが、五輪選手に渡されたコンドーム15万個が前半でなくなったとか。
一体何処へ行ってしまったのか。人間、特に勝負をさせられるスポーツ選手は男女等しく興奮状態となり続けるらしい。戦争下における人間の心理と同じだという。

“やってやれない事はない”なんて水前寺清子の歌の通り、“やると思えばどこまでやるさ”と美空ひばりの歌った通りとなるのだ。頑張れコンドームと変な応援をしているのだ。
何!ピルはどうなっているかだと?その報道はなかった。

公園で子供達がやっていたバトミントンなんてお正月の羽子板みたいなもんだろうと思っていたが、とんでもないスポーツだった。
確か藤井瑞希選手といったが、カメラがズームアップする。
小さな顔、おちょぼ口、薄いルージュの口紅、耳に小さなピアス、ほつれ髪。
でっ尻、うっすらと流れる腕の汗、色気が一番あった。

ネムレンピックは前半を終えた。私はどうも人と違って変な処を見ている。
初めてラスベガスに行った時、ここがハマコーが数億負けた処だと教えて貰った。
HAMACO ROOMとプレートがあった。黒メダルもまた、一つの勲章ではある?

2012年7月25日水曜日

「虚と実」




週刊誌のグラビアページに沢尻エリカがヒマワリだらけのファッションで出ていた。
英国のアミシュのミニドレスとイタリアのセルジオ・ロッシのヒールと書いてあった。

とまあこんな事はどうでもいいのだが、次の文章に目が止まった。
今、手に入れたいものはの記者の問いに対し、“透明人間になりたい”と応えた。
精神科の分析によると「演技性パーソナリティ障害」があるのではという。

何でもこの病気は一見強うそうだが傷つきやすく、努力するとか、責任を持って仕事をするという事が苦手で持続力がない、ちやほやされると瞬間的に昇るなどと書いてある。更に自分中心でないと怒りが爆発する。

なんだか身近に似た様な人間がいるなと思ったら、自分自身だった。
そうか、演技性パーソナリティ障害だったのか。そういわれれば、見え透いた芝居、臭い芝居、田舎芝居の人生だった気もする。

四十八歳で水死した名優太地喜和子は何もかもが虚であり続けた。
実の部分は芝居の中の主人公になりきる事であったと伝えられる。
とことん共演者に嫌悪され、演出家、監督をてこずらせた女優であったかがその芝居は圧倒的であった。
ある人は評して、太地喜和子は何もかも脚色して生きた。
嘘をついて自分を作りあげた。生まれも育ちもその都度変わった。その嘘は実を演じる芝居のためだったのだろう。
熱い愛に生き、酒に身を委ね、煙草をくゆらせ、性を満喫し恋を捨て、人生というシナリオを縦横に書き、そして事故死した。

人生が劇場であればその中にいる一人一人は芝居の役者でもある。
本当ばかりの人生なんてあるのだろうか。嘘をつかない人間なんているのだろうか。

太宰治はまさに演技性パーソナリティ障害だったのだろうか、嘘を演じ続けて心中をし水死した。
男はかわいい健気な嘘をつく女に弱いのだ。


水難の恐れがある芝居がかった男は、水商売に気をつけよう。
クラブ活動は学校の課外授業だけにすべしだ。えっ、○×さんから電話!いかん赤坂のママさんだ。
何!□△さんから電話いかん、いかん銀座だ!



726日から86日までブログをお休みします。