一枚の葉っぱの上に一匹のカタツムリがへばりついていた。
子どもの頃はでんでん虫と言っていた。
どちらでもいいと思うので以下でんでん虫と言う。
一枚の葉っぱは虫喰い状態のアジサイの葉。夜の公園であった。
コンビニでセロテープとアルプスの天然水を買って家に帰る時見つけた。
でんでん虫はかなり大きかった。つまんで取ろうとすると力一杯葉にへばりついた。
かなり怒っているようだった。きっと眠っていたのかもしれない。
オイ、でんでん虫よ、オマエはフランスではエスカルゴって呼ばれてかなりの値段の料理になっているんだぞと言った。でんでん虫は二つの角を出した。
その佇まいはキリリとして気品があった。角を指でツンと突っつくとニョッキと振り返った。首筋というか胴体というか分からないのだがグニューと伸びて縮んだ。
今年何故かアジサイが咲かなかった。
鉢の中に一本だけあるのだが何故か咲かなかった。
アジサイは死んでしまったのだろうか。
かなり窮屈そうだったので20センチ位動かしたのが悪かったのかもしれない。
でんでん虫の前世は何であったのだろうか、もう一度つまんでみるとやっぱりへばりついた。私も急変する時代にへばりついて来た人生だった気がする。
アジサイの花には雨が似合うというがまったくよく降ったもんだ。蒸し暑いのは苦手だ。
台風が南の島辺りにへばりついて動かない。30日31日沖縄に行けるだろうか。
家に帰ると沖縄の友からFAXが入っていた。
直ぐに電話をすると、いつものように明るく元気に「待ってますよ」と言ってくれた。フォールームスという四部屋だけのお洒落なホテルを経営している。
仲間四人でそこへ行く。辺野古とネーネーズとアフリカのファッション人間の写真展。
二人は四十年以上私を支えて来てくれた男、会社を設立した時からの戦友だ。
でんでん虫は達観を極めゆっくりと生きている。人間でいえば哲人なのだ。
朝、まだいるだろうか。組織は世代交代を進める。
仁義の男、赤城廣治くんが力を貸してくれている。心強い熱血漢なのだ。
近々がっぷり四つに組んできっといい作品を作る。楽しみにしているのだ。
♪〜やると思えばどこまでやるさ それが男の魂じゃないか 義理がすたればこの世は闇さ なまじとめるな夜の雨 人生は劇場なのだ。