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2023年8月11日金曜日

つれづれ雑草「そんなの関係ネェ~」

だから言っただろバカ者たち。甲子園を屋根付きにすべしで書いたが、初日の試合ですでにその必要性を強く感じた。レフトを守っていた選手は足がつり激痛でボールが追えない。ヒット性のボールを打った選手が、一塁まで走っていく途中で足がつりベースにたどり着けない。そんなケースがいくつもあった。正確に計測すると、グラウンド上にいる選手の体感は40度を超えていたとか、頭の中はやかんでお湯をわかしているようなもの、こんな状態がつづくと、重大な支障をきたして、後遺症が残ると医学者は言う。私は声を大にして言いたい。もっと科学的にせよと、私が朝日新聞の購読をやめたのは、堕落しきった経営者と、ヤル気のない記者のヘタクソな記事、ワンパターンの天声人語や、宿酔いで書いているようなコラム素粒子腰が引けた社説。がある。記者たちは昼頃出社し、大型の社用車やハイヤーを使い、高級レストランやホテルでランチをし、わずか数百字の記事やコラムを書いて、年収2000万以上、夕方にはどこぞへしけこみとなる。「女ざかり」という本の主人公は、朝日新聞とおぼしき新聞社の記者である。映画化され吉永小百合が演じた。ずっと昔すでにジャーナリズムとか、ジャーナリストは消失していたのだ。今、日本のメディアは、物言えば唇寒しの状態である。有能な記者の記事は、どれもこれもボツとなってしまう。司法の朝日、社会部の読売、外信の毎日と称された頃は、権力と闘っていた。時の総理大臣佐藤栄作が、政権最後の記者会見で、私は新聞社は大嫌いだと言った。その時、新聞記者たちは、そうですか、それじゃ退場します、みんな出ましょう、出ようとなり、広い記者会見場に佐藤栄作はポツンと一人だけとなった。後世に残る有名なシーンだ。今ではこんな根性のある記者たちはいない。話を真夏の甲子園に戻す。私は少年野球を数多く見るが、審判の特権意識の大きさに、頭に血が登る。警察官と同じで、自分たちのミスや誤審を認めない。酷い誤審やルールを知らない判定も数多い。大リーグを真似して、プロ野球でビデオ判定を導入したら、約4割は誤審である。審判には文句を言ってはいけないという、古い慣習がこびりついている。そもそも朝日新聞の社旗は、旧日本軍と同じような旭日旗である。日本に来た元大リーガーが帰国後、地球の裏側にベースボールに似た野球というのがあった。そんな本を出版した。松坂大輔は一人で250球も投げた試合がある。本場の人間はクレイジーだと伝える。大リーガーたちの契約は球数が決められている。余分に投げればギャラが発生する。名監督とはいかに選手寿命を長くしてあげられるかである。日本は勝利至上主義だから、監督は投手を酷使してきた。この頃やっと本場のように、先発は100球位までが基準となった。私は高校野球の判定は人工知能でやるべしと言いたい。100%誤審はないからだ。野球と同じことが、政治、経済、教育などの世界にへばりついている。議員特権で罪を犯しても殆どパクられない。ビックモーターのような、ノルマ、ノルマ、未達成なら降格、左遷、あるいは会社内座敷牢入り。(仕事を与えず机と椅子のみ、一日中座っているだけ)本人から辞表を出すのを待つ。ソニーとかパナソニックなどは有名であった。何十人、何百人が牢人とされたのだ。その結果有能な人材や技術者たちは辞めて、中国、韓国、台湾へ職を求めた。それ故日本は先進七ヵ国の中で人材の活躍度最下位である。アメリカのシリコンバレーでは科学技術者の約半分は、中国人とインド人だという。三洋、ビクター、東芝は倒れ、シャープは台湾に、ソニーはゲームと損保メーカーになってしまった。日本を再生するには、教育の現場から正さねばならない。おそらく100年かかるだろうが、やらねばならない。小・中学校の先生の30%近くが「鬱」状態で休職したり、退職している。先生になる人か年々減っている。いい先生がいなければ、いい生徒は生まれない。点数や内申書中心主義では、個性的な生徒は生まれない。政界は世襲を禁止するか英国のように、親の地盤でないところからにする。経済界はもっと意地とプライドを持って政界と対決しなければならない。人材を発掘、投資して世界に通用する人材に育てなければならない。スティーブ・ジョブズが演説したように、愚か者が時代をつくるのだ。敗戦記念日の前に一つの言葉を書く。キューバ革命を成功させた、チェ・ゲバラが64年前の7月2531歳の時に広島に来て、原爆資料館を訪れた。その時こう言ったと伝えられている。「アメリカにこんなひどい目に遭っても何故怒らないのか」。一昨日の昼新橋駅品川寄り、改札口となりの相談窓口コーナーで、白いマスク、花柄のワンピースを着た高齢の女性が、大きな旅行用キャリーバックの横で、バッタリ倒れていた。二人のJR駅員はカウンター越しに呆然と見ているだけ、誰一人も声をかけず通り過ぎる。私はガラス越しにそれを見ていて怒り心頭となった。改札口を出てしまっていたが、窓口へと引き返したら、年配の駅員がキヨスク斜め前の所から一人二人と出て来た。倒れた高齢の女性の横を窓口に来た人たちは、通り過ぎて行く。この国は完全な「無関心国家」となっている。スマホで写真を撮っているバカムスメが二人いた。二人共に小さなTシャツでおへそを丸出していた。本日より休筆する。まずはお墓参りだ。永眠はいいな、ずっと眠っていられるから、不眠の私は、不謹慎にも永眠に憧れている。その前にやらねばならないことをやり遂げる。そんなの関係ネェ~、そんなの関係ネェ~とパンツ一枚だった芸人は誰れであったか。(文中敬称略)



2023年8月5日土曜日

つれづれ雑草「落語のはなし」

八月二日夜、ある会社の美人社長と、正義と直情の衆議院議員のヒトと、夜食事をした。恵比寿のとある店であった。家族で営んでいるその店には初めて行った。居酒屋さんのようであった。若い人たちが多く来ていたところをみると、適正価格なのだろう。丸い顔をして笑顔がとてもいいご主人、がっしりとした体でテキパキしている女性、長身でメガネをかけてよく働く若い娘さん。いい店は入った瞬間で分かる、というか感じるのだ。何故会ったかというさしたる理由はない。社長さんから◯◯先生と久々に会いませんかという連絡があったので、暑気払いにいいですねとなった。カウンターには数人座れるがすでにいっぱい。小上りの座敷には四人が座れる席が四席ほどあったがすでに若い人たちがいた。奥の席を予約してくれてたのでそこに座った。とめどない話を、とめどなく話をするのは楽しい。お金儲けの話とか、仕事の話とか、政治や経済の話もしない。とめどなく話をしては笑い、そして話は線香花火のように、飛び散る。社長も先生も決して“エラブッタ”ところはない。お刺身とか牛肉のタタキとかおいしい品が出て、三人でそれを食す。この店のメインはうなぎのようだ。汗びっしょりの丸い顔のご主人が焼いている。とにかくこの店の人の笑顔がいい。社長は何度が来ているようだった。いわゆる“ナジミ”の客だ。雑談の会みたいな時間はいいものだ。最後にうなぎを半分ずつに分けて食べて終った。いい店、いい笑顔、いいかんじ、いい時間、ヘバヘバにへバっていた体が陽気になった。連日38度、39度があたり前だのクラッカー状態である。今日八月五日はどこぞで40度を超えたとか。地球が狂って、大自然が狂って、生態系が狂って、人間も狂いに狂っている。かつて“明石家さんま”が、「生きているだけで丸儲け」と言ったが、今は生きてる内にサンマの丸焼きとなっている。こんな狂った暑さの中で、明日夏の甲子園大会が始まる。国連ではジャニーズ事務所の創業者による性加害が数百人になると大問題化している。児童虐待や青少年の虐待は、国際的問題となっている。真夏の甲子園大会も青少年への虐待だと問題化している。朝日新聞とNHKが主催している一大イベントだが、このイベントのために全国でどれほどの野球少年の肩やヒジや腰が、足やヒザが壊れているか数知れない。そして精神まで壊れているのも数知れない。入場式は学徒出陣のようであり、宣誓式は特攻隊のようである。私は大の野球ファンであるから、夏の甲子園大会は予選から見ている。私は提案する、夏にやるのであれば、甲子園球場を屋根付球場にせよと、朝日、NHKは勿論、日本中の大企業が、しこたま儲けた金の中から寄付をせよと。第一回夏の甲子園の頃は30度を超す日などなかった。この国の駄目なところは、寄付文化がないところだ。弱者や体に障害を持っている人々、生まれつきハンディを背負っている人々に対して、大企業は寄付をしない。バカヤローな国なのだ。大谷選手が劇画を超える活動をしているが、私はそれほど興味はない。すばらしい才能を持った者が、人一倍努力してすばらしい記録を生んでいる。そりゃそうだよなスゴイなと思うだけだ。それよりもこの打席で一本のヒットを打たなければプロとして残れない。トライアウトの試合でヒットを打った選手、三振を奪った選手に拍手を送る。スカスカのスタンドで、一本のヒットに、赤子を抱える妻は涙する。運命論者の私には、大谷選手がきっと数奇な運命を遂げるのが見える。“過ぎたるは猶及ばざるが如し”だ。老子曰く“努力より脱力せよ”と。超、超大天才の将棋の藤井聡太七冠、もうすぐ八冠は、恋をせよ、愛に砕けよと言いたい。大谷選手もしかりだ。大リーグの名選手だったジョー・ディマジオは、マリリン・モンローと恋に落ちた。人間サイボーグでなく、人間であるためには、今のままではつまらない。大ファンだったゴルフ界のスーパースター、タイガー・ウッズは、セックス依存症と戦って再起し、奇跡的にマスターズで勝った。私は狂喜乱舞した。今は勝つことはできないが、私は今のほうが以前より好きである。腰痛と闘いながら、女体の叫びと闘いながら、フェアウェイをトボトボと歩く姿に感動する。さあ、高校野球好きのみなさん、甲子園球場に屋根を付ける運動へ声を上げよう。経済四団体のオッサンたち、若者たちの肉体と精神を守るために尽くせ。落語の中にこんな噺がある。「酒もやらず、女もやらず、百まで生きたバカがいる」超天才たちにこの落語の言葉を送る。凡才の私は超天才を超えて来たなと自負をする。(文中敬称略)