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2016年3月31日木曜日

「バーボンとままかり」



人間は死ぬまで何をしているか、答えは“生きている”そんな単純なことを考えながら深夜グラスを傾けた。

時計を見ると午前十二時三十八分二十八秒であった。
お気に入りのグラスにジム・ビームを入れた。
グイッと飲むとカァーとノドに来た。

食道を通過し胃袋に到着する、胃の中もまたカァーと熱くなった。
ストレートで飲むことはあまりないが、人、人、人、人と会って、いい話、嫌な話、疲れる話、ウレシイ話、許せない話、再起再生の話、暗い話、明るくニコニコする話をした後、列車に揺られて帰った。
着ていた服を脱ぐと、ストレートで飲みたい気分になった。

つまみは先日岡山駅で買って来た岡山名産「ままかりの酢漬」だ。
バーボンウイスキーとままかりは実にグッドだ。
ままかりとは漁師が沖へ出て小魚を釣って帰った。
料理して食べたら大変うまいので隣の家に飯(まま)を借りに行った。
そんな話から名付けられた。
酒は気づけ薬ともいうからグダッとした体に火をつけてくれた。

その日の朝辻堂駅ホームに30人位の老人たちが二組に分かれて下りの列車を待っていた。リーダーらしき人がアレコレ指示をしていた。
6080代の男女、わかりましたか、ハーイなんて言ってみんなグハグハと笑っていた。
箱根か大山かなと思った。きっと金はある、時間もある、やることがない。
リュックサックを背負った男女たちはワイワイ、ガヤガヤと列車に乗って行った。

人生は遠足だ。きっとそんな気分なのだろう。二杯目はミネラルウォーターで割った。
“人生とは重き荷物を背負うが如き”確か徳川家康がそんな言葉を遺した。
私の背中のリュックには、未だたくさんの宿題が入っている。
箱の中にままかりは二袋、10匹入っている。一袋は冷蔵庫へ。

チャップリンの映画を一本見るかと思った。
一日中言葉につかれたから無声映画にする。

2016年3月30日水曜日

「西荻窪と丸福」




その朝アタマにイメージしていた昼食が、180度変わった。
本日午前十一時三十一分、私はJR中央線西荻窪の改札口にいた。
会社にいるデザイナーの女性のイラストレーションを展示しているのを見るために。
改札口に女性は迎えに来てくれていた。
明日が最終日、行けるのは今日しかないのであった。

24人の作家が描いたイラストレーションを24ヶ所の喫茶店などに展示する、街の活性化の一つでもある。女性はとても有能でユニークな絵を描き、また絶妙の写真とのコラージュをする。とてもいいよとなり、今度こんな事を一緒にしようと話した。

さて西荻窪は久々なので、どこかいいレストランでもあればごちそうするよとなった。
一軒あります、そこへ行ってみますかと南口で十数歩前へ進み右を見ると、な、なんと丸福ラーメンの文字。えっ、あの荻窪の丸福がまさかとなり店に近づいた。
丸福の文字は荻窪のまんま、レストランやめて丸福に入ろうとなった。
頭の中のナイフとフォークは消え、スープとスプーンも消えた。何しろ丸福である。

入ると右側に5人程座れるカウンター、どうぞ二階へと言われたが、カウンターに座った。小太りの主人と若い人が丸福のラーメンをつくっていた。懐かしい丸福の香りだ。
聞けば荻窪の丸福ラーメンの親戚。かつてその親戚が、私が暮らした杉並区天沼に丸福を出していた。日大二高前バスの停留所と杉並第五小学校前の停留所のまん中あたりに丸福ラーメンがあった。大繁盛の荻窪駅前店は脱税で告発され店を閉めてしまった。

その一族が今、荻窪北口商店街と今日見つけた西荻窪で丸福ラーメンを出しているのだ。小太りの主人と私との話は盛り上がった。
小太りの主人は天沼店で修行していたとか、人生はこういう出会があるから楽しいのだ。私の中は安全に丸福ワールドへ、ワンタンメン煮玉子入り一色となった。

デザイナーの女性には、チャーシュウワンタンメン煮玉子入りを頼んであげた。
ワンタンメンは初体験だったらしい。
私と主人のいろんな思い出話を聞きながら、おいしい、おいしいと、チャーシュウワンタンメンを食べてくれた。ところで脱税の方の丸福はどうしたかと聞けば、よくわかりませんと言った。

その店の次男坊は私と同じ天沼中学だった。
“荻生田”という名前だった。私は未だにその丸福以上うまいラーメンを食べた事はない。
マンションを二つか三つ持って家賃収入で食べているという噂を聞いた。
誰が大繁盛店を国税に密告したか、お客が並んで商売のジャマだと思っていた丸福隣のマンジュウ屋説、ブティック説、有力説は丸福一族説であった。

2016年3月29日火曜日

「おお、神よ」

※ワタナベボクシングジムより 写真:倉持壮さん



King of sports. スポーツの中の聖なるスポーツといわれているのがボクシングだ。
昨日400字のリングではなく本物のリングの前にいた。ボクシングの聖地後楽園ホールだ。

私がお世話になっている広告代理店のオーナーが応援している選手に声援を送りに行った。実は私はこの試合のことを失念していた。つまり忘れていたのだ。
私をサポートしてくれているプロデューサーの女史に、今日は福原力也さんの試合ですよと言われてギョッとした。

ヤバイ、マズイ、シマッタ、夜は人と会う約束をしてしまっている。
仕事場からお世話になっているオーナーに電話すると、みんな後楽園ホール2Fの後楽園飯店に集まっているんだよと言った。
前売りチケットはないけど当日券は未だあるらしい。
負けたら引退だからの一言がグサッと刺さった。
急ぎ会う予定の人に電話をして時間をずらしてもらった。
これから行くとオーナーに電話を入れた。
人の面倒を見ることにかけてこのオーナーの右に出る人はいない。

たくさん人を呼んでいた。
ボクシングは合法的に人を殺せるスポーツだ。
リング上で相手が死んでも罪にはならない。殺るか殺られるかだ。
同じ階級のボクサーがグローブをつけて殴り合う。
命がけだからお互いに相手に敬意を持つ、礼儀正しいスポーツの見本だ。

福原力也さんは前の試合でKO勝ちしランキング一位になったので、チャンピオンの防衛戦の相手として指定された。相手は世界ランカー、強打者で若い。
福原力也さんは全盛期を過ぎている。この試合に負けたら引退かも(?)。
甘いマスク、しなやかな体、鍛えられた筋肉、場内は力也コールに沸いた。

5Rで途中の採点がアナウンスされた。
1ポイント福原力也リード、右アッパー、左フック、右フックが入っていた。
相手はじっくりと左ボディを打ち続けた。スタミナが切れるのを待っている。
右フック、左ボディが力也選手の腹にめり込んで来た。
8Rたまらずダウン、9Rもダウン、ガクッと膝をつきカウントを聞く力也選手。

アリスの唄う「チャンピオン」の歌の世界になった。♪〜立たないで もうそれで充分だ おお神よ…。
しかし力也選手は立上がった。
悲鳴が、声援が、力也ガンバレー!力也選手の母の叫びが場内に響いた。
相手の応援もまた大きい、倒せ、倒せと。

最終回10R両者ちゃんとグローブを合わす。
力也選手最後の力を振り絞って左、左、右を出す。
共に打ち合う中ゴングが鳴った、試合は終わった。

採点はジャッジ3者共4741でチャンピオンの勝ちであった。
挑戦者福原力也選手は、すぐにリングを降りず勝者のインタビューを聞きながらリングをゆっくり去って行った。
力也よくやったぞの大声援が上がった、きっとKOで敗けるそれほど相手は強かったのだ。福原力也選手は相手には負けたが、自分には勝ったのだ。

みなさん、あなたの仕事は痛いですか、顔面が腫れ上がり、鼻血がしたたり落ちますか。殺される程ボコボコに殴られますか。日々の仕事に泣きを入れてませんか。

2016年3月28日月曜日

「雨と肉マン」



私の家の近所にサークルKサンクスが二店ある。
一店は歩いて二分位、もう一店は松下政経塾正門斜め前なので歩いて十分程かかる。先日そのサークルKサンクスのスタッフが入れ替わってしまった。

why、何故(?)近い所に遠い所のオーナー(オジサン)が来た。
聞けば10年毎に契約が見直されるのだとか。
やる気あんのとか、成績ダメじゃんとかをチェックされるらしい(詳細に)。
で、近所の方はすっかり疲れ切って、もうヤーメタとなった。
遠い方が本部からの打診で移れやとなった。やる気を出せばその方がいいからよと。
そんじゃそうすっかとなった。

遠い方はどうする閉めるかとなったが、オイラがやるというオーナーが現れたらしい。
そこで近い所にいたオバサン、オジサン、バイトのお兄さん、お姉さんをソックリ移してもらって経営をスタートした。外は同じで中の人だけ総入れ替えをしたのだ。

私は実にやりにくいのだ。
以前であればツーカーの仲だったから、アレよろしくねといえばソレをとっておいてくれたし、アレとソレとコレとポーズをつけて言えば、葉書と切手と日刊ゲンダイと理解してくれたもんだ。

サークルKサンクスの調理された食べ物は全部ダメで買ったことはない、しかし肉マンだけは時々買った。横浜中華街の肉マンや、神楽坂五十番の肉マンや、神戸の豚マンと比べたら天と地だ。中に入っている具材がスッカスカなのだが、そのダメさ加減が妙に切なくていいのだ。運に見放された演歌に出てくる女性のように。


♪〜京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの 神戸じゃ 渚と 名乗ったの 横浜の酒場に 戻ったその日から あなたがさがして くれるの待つわ 昔の名前 出ています…。
小林旭の大ヒット曲「昔の名前で出ています」だ。

昨日の夜近所のサークルKサンクスに白い肉マンが二個売れ残っていた。
まるで男に捨てられた白い乳房のようであった。京都に行って来たせいか、セロテープとウーロン茶を買って帰りながら、京都にいるときゃ〜と口ずさんでいた。

雨がザアザアと強くなった。
雨の中一人の男と一人の女、傘をさす男の左手に白い肉マン、冷えた両の手を温めるように白い肉マンを持つ女の十本の指、血のような色をした赤いマニキュア、そこに車が通り水しぶきをあげた。泥水がハネて二人の白い肉マンを黒くした。
こんな映像シーンを頭に浮かべながら、雨の中を歩いた。

2016年3月25日金曜日

「許せシマウマよ」



人間は無能で頼りなく、臆病で残酷だ。
水曜日ゴルフ場に一頭のシマウマが乗馬クラブから逃げ出して来た。
シマウマは、フェアウェイやバンカー、グリーン場やクラブハウス側の道やらを走り回った。あるいは逃げまわった。
それを追う人間は10人、20人、30人と増えていった。
ある者は投げ網を投げ、ある者はそっとなだめに近づいた。

シマウマはそんな者共を後足で蹴った、馬鹿野郎と。
知恵のない者たちはただオロオロしまくった。その姿は頼りなくて情けない。
そしてシマウマはゴルフ場内の池に入った。
人間は吹き矢に麻酔薬を忍ばせシマウマの体に刺した。
やがてシマウマは力なくとなり、かわいそうに溺れ死んだ。
ゆっくり時間をかければきっと疲れ切るのに、それを待たずにこれ以上ゴルフ場を荒らされてはヤバイと思って殺したのだ。

今日私は尊敬する大先輩、麻生哲郎さんの個展を見るために京都にいる。
最終日になんとか間に合った。
時間があれば東山動物園へ行って、シマウマを見ようかと思ったりしている。
シマウマよ許せ愚かな人間を。