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2009年12月29日火曜日

人間市場 取り巻き市篇

鉄火巻き、カッパ巻き、かんぴょう巻き、納豆巻き、ネギトロ巻き。旨いですね。
のりがいいんです。

ここに一つのりの悪い巻きがあります。
取り巻きです。これに巻き付かれるとたいがいの金持ち有名人もスッテンテンに巻かれてしまいます。一度見栄を張ったら終わるまで張り続けなければなりません。取り巻きを作る人間は孤独に耐えられない人、寂しがり屋、ずっとビンボーだった人、コンプレックスがある人、悲しい人、切ない人、酒がないと生きられない人。一人程楽しい事はない。孤独程心が落ち着く事はない。

取り巻きは蛭の様な者、美味しい血がある限り吸い尽くす。一匹二匹取り巻きは増殖する。
教授の取り巻き、親分の取り巻き、社長の取り巻き、スターの取り巻き、先生の取り巻き、ネジ巻きで巻いた猿がシンバルを叩く様にバンバンヨイショする。ゴルフへ行って、百円のティーも自分の金を使わない者。缶ビール一缶、清酒一瓶、イカの薫製一袋だって自分の金を使わない者。特技ヨイショ、趣味ヨイショ、仕事ヨイショ、そういう者がこの社会意外にも出世している。

血を吸い尽くされた人間は破滅するのみ。
過日、ある有名人であった人を訪ねた。かつて豪邸に住み、三台の車のうち一台はマセラッティ、一台はベントレー、一台はローバー。油壺にはヨットとクルーザー、三人の子は外国へ留学。海の見える家の一階からはモーターボートが出て行く。365日、取り巻きに囲まれていた。誰か金の使い方を教えてよ、なんて言っていた。金が金を生んでいた。

職業は言えない、直ぐ判ってしまうから。刑務所の塀の上を歩いている様な人生。
朝から晩まで取り巻きに囲まれていた。金、女、SEX、薬が取り巻いて、会社はあえなく倒産。
取り巻きは誰も来ない。
正しくは取り巻けない、医療刑務所の中だから。

シャブ中の治療中、太い鉄格子の中、部屋は狭い。ここに来るまで、主食コカイン、デザートコカインの生活だった銀座から消えたのは四年前だ。

年老いた母親がパジャマやガウンやスエットを丁寧に片付けている。老母は言う。取り巻きが重かったんだよ。あの子は気が弱くて、寂しがりやで、小児喘息だったんだ。
体だって小さくて細くて、運動だって何をやらせても苦手だった。ただ数学だけは飛び抜けてよく出来た。結局はそれが仇になったんだ。株や相場は恐く取り巻きはもっと恐い、そう思った。最近は幻覚が酷い様でしてね、いずれは狂うでしょう、馬鹿な子です。医療刑務所の少し斜め前のお店で渋茶を飲みながら老母と話した。


取り巻きだった人たちは一人もいない。あれだけたかりにたかったのに、血の一滴も出なくなった相手にはもう取り巻く価値がないのだろう。万が一病が治れば法を犯した事による刑罰が待っている。飲めや、歌えや、どんちゃん騒ぎはもう出来ない。

忘年会の季節となった。夜の街はそれぞれフトコロと相談して盛り上げてはいるが、あの頃の勢いはない。ただ取り巻きたちは次の美味しい血の味を求めて、あんたが社長、あんたが大将、あんたがあんたが、とヨイショ大会をしている。

たまたま一人バーのカウンターで飲んでいたら、医療刑務所で廃人へ向かっている男に取り巻いていた連中が入って来た。ボックスに座って直ぐ私に気がついた。
あっ、どうもどうも、お久しぶり、いや〜すごいですね、すごいですねと寄って来る。
何も凄くはねぇや、阿呆俺には寄ってくるなと思った。見てみるとある会社の二代目社長がバリバリに取り巻かれているではないか。スポン、スポンとシャンパンが空いた。今どき流行らねえ奴等だ。

2009年12月28日月曜日

人間市場 悪タレ市篇

長崎に行った時その店ですいません、チャランポラン下さいと言ったら恐い顔をされた。正しくはチャンポンですね。

名古屋に行った時ヒマツブシを下さいとオーダーしたら凄い顔された。次の日他の店でミソッカツを下さいと注文したらもっと凄い顔をされた。正しくは、ヒツマブシ、ミソカツですね。

ジョークのつもりだったのです。ほんの冗談だったのです。私の悪い所なんです、つい思った事を口に出してしまうのです。(反省してますが、もっと言えという人もいます)私が聞いた中で飛び切りのジョークをご紹介します。


ある会社に新人が入って来たそうです。すこぶる出っ歯で歯茎が出ていたそうです。新人が出社して一週間目、上司が出張から帰って来たのです。新人を見るや、オイお前凄い歯茎だな、日に焼けるから気を付けろ、と言ったそうです。これはもうジョークを飛び越えた人種問題ですよね。

その後、新人と上司がどうなったかはご想像にお任せします。毒舌と悪タレと口が悪いの境界線は何処ら辺なのでしょうか。人生長くやっている割にはとんと疎いのです。

オバサンが割り込んで来たからオバサンちゃんと並びなと言ったら、失礼ねと言われました。酷く太った人が避けないからブーデー、少し避けろと言ったら目を吊り上げました。

あんまり美人じゃない女性が三人車内でギャーギャー喋ってうるさいから、不美人たち静かにしなさいと言ったら、お前こそ顔を見ろなんて怒鳴られました。

その三人に対してその後私が何て言ったかはご想像にお任せします。


どうも私は社会秩序に欠けているのでしょうか。反省している様でしていません。

写実的なんです、見たまま感じたままを言ってしまうのです。

先日私がいつものコンビニに夕刊紙を買いに行きました。そこの路地にひっそりと一台のパトカーが隠れていました、ネズミ捕りです。だから三人のお巡りさんに向かって、そんな処でネズミ捕りしてるんじゃないのと言ったら、一人のお巡りさんは思わずピストルの部分に手を付けました(弾は入っていません)その後どうなったかはご想像にお任せします。

駅で違法駐輪を見配っている目つきの悪いおじさんがいます。一度、オイ元お巡りだろうと声をかけたら思わずそうだとおじさんは答えました。その後どうなったかはご想像にお任せします。

一度映画館で恐いヤクザ風の人がいい女風と私の前の席に座りました。ペチャクチャ食べながらうるさく喋るので、後ろからそっとウルサイから静かにしてくれると耳元に言ったら、オウ判った判ったと言いました。映画は「ジョーズ」でした。ドヒャッとジョーズが大きな口を開けて初めて画面に飛び出たら、その男が腰を浮かしました、きっと優しい男だったのです。いい女風は目を両手で隠していました。明るくなってよく見たら大した事なかったのです。


.ある会社の社長に連れられて和食屋さんに行きました。ここの親爺はあの道場六三郎の兄弟分で同じ処で修行したんだ、何でも旨いテレビで道場さんも来ていたんだ。見た?見てません。何でも注文してというから、茄子の煮物と、肉じゃが、戻り鰹の刺身と鮪のヌタ、小ぶりのカレイの煮つけを順次頼みました。まずビール(もちろんキリン)菊正宗を常温で一合、芋焼酎のロックと続いて行きました。全て食べ終わってさあクラブへ行こうかとなりました。主人がどうもと挨拶へ、今後もよろしくと名刺を出して来ました。

連れの人が旨かっただろうと言うから、不味かったと正直に答えました。他のお客も皆一瞬フリーズ状態、連れの人も固まってしまいました。駄目だよ、全然と言い出しました。その後何を言ったかはご想像にお任せします。

二度と行ってません未だやっています。勘定は私がキチンと払いました。今年又、何を言うかは判りません。でも中には私が何を言うのか息を潜めて期待を込めて待っている人もいるのです。

これはジョークでしょうか、親友の葬儀がありました。

高名なお寺、若い二人の坊さんがお経をあげています。見ると坊主が坊主でない(その宗教はいいそうです)髪が長い、戒名を書いた書体が酷い下手くそ、お経も下手くそで読経が終わった坊主が煙草コーナーでプカプカしてたので言いました。しっかり修行しろ、髪の毛切って坊主頭にするぞと、お寺は中野の宝仙寺です。

その後どうなったかはいつかの機会に。

2009年12月27日日曜日

人間市場 ヘンダ市篇

12月20日、M-1グランプリでスター誕生。

「パンクブーブー」ツッコミ黒瀬純(34)ボケ佐藤哲夫(33)スピード感ある話芸、いいネタ話は将来有望、賞金一千万は見た事もないので判りません。何しろ毎月13万位でカツカツの生活をしていたのでという。

人を何とか笑わせたいと頑張って来て、遂に笑っている場合じゃない事となりました。
4329組からのグランプリ、審査員全員から支持を取りました。過去8年で準優勝5回でした。
ちなみに第二位が「笑い飯」、第三位が「NON STYLE」でした。地方回りで力を付けていたのです。いいですねこういう話、若者二人がメジャーになる日を目指して苦節を重ねたのです。

小島よしおのパンツ姿も見なくなりました。ゲッツ坂野のゲッツも見なくなりました。グーグーと指を出していたのは誰だっけ、革のベストと短パンの大男どうしたんでしょう。悲しいですね、それを考えると夜も眠れません。


今から十年前、私の主催であるパーティを行いました。今は無くなった銀座東急ホテルです。
400人位招待しました。皮切りは「松鶴家千とせ」師匠に最後のシメは「南州太郎」師匠にお願いしました。イエ~イ、ワカルカナ、ワカンネエダロウナで始まって、オジャマシマスで終わらせたかったのです。

和田弘とマヒナスターズを計画したのですが暇がないとやんわり断られました。稼ぎ時のシーズンだったのです。
一度は飛ぶ鳥を見ただけで落とす程大人気、眠る暇無く立って眠っていたという千とせ師匠、出演をお願いに高島平(?)の団地に行くとあの独特のアフロヘアーもさっぱりと、イエーイ何の事なんて調子で、昔俺がスターだった頃あいつはヘターでただイターだけだった、ワカルカナァなんて感じで気持ちよくお受け下さいました。仕事あんましねえんだよ、芸人は芸者と同じ売れている内が花だもんねと。南州師匠は私でない人が交渉、喜んでオジャマしますと言ってくれたとか。

ある打ち上げをホテルオークラで、やはり私の主催でやりました。皮切りに誰か欲しいなと思い知人のマネージャーに相談しました。そこには当時小林旭とか天童よしみ等大物が所属していました。女性マネージャーがどんなタレントがいいんですかと聞きますから、ヘンなのがいいんだ、ヘンなのがと答えました。

いますよ一人、誰?山本ヘンダです。

山本リンダじゃないの?いえ山本ヘンダです、そっくりですよ、一発OKです。当日礼を尽くし着替えやメイクの為にスイートルームをホテルに用意させました(ただ同然で)。来ましたヘンダさん、全然ヘンでなくすこぶる美人。マネージャー、付き人(?)ヘアメイクの人たち。お腹空いたら何か食べていいよ、ルームサービスでと言って退室、そしてパーティー開始。

すっかり山本リンダに変身してました。ソックリです、ウララ、ウララウラウラデと熱唱数曲もう最高でした。

パーティーも無事終わり支払いの明細が来ました、何これと見るとルームサービスで食べてくれた事、まるで室内バイキング状態です。仕方なし、後悔無し、食べ残し有り。一発芸で一生食べて行く人尊敬します。苦節を重ねた若い芸人たち応援します。

私の人生も一発芸みたいなものですから、ただ食べていけるかどうかは判りません。大した芸を身につけませんでしたから。

2009年12月26日土曜日

人間市場 奥多摩市篇



少年の頃、林間学校で行ってから好きなのである。
紅葉も盛りになった12月初旬、御嶽山に行った。性懲りもなくある夢を形にすべくイメージを求めて登った。
山の神霊を祀る修験の聖地、武蔵の国魂の天降る山。坂東平野の農業を守る神の山。
又はヤマトタケルを祀る武神の山として古式を残す。

この山に伝わる「太占祭」(ふとまにという)がある。毎年一月三日の早朝に行う。
鹿の肩甲骨を斎火で焙り、出来た割れ目の位置で様々な農作物の出来、不出来を占う。
厳冬の冷気の中で太古の様式を大切にして行う。ある本でこの占いの事を知った。その本の主人公は赤いダイヤといわれる大豆の相場師であった。その年の運気と勝負を占う為に太占祭に来る。

いつ頃からこの神社で始まったのかは不明だが、天保年頃には行われていたのではという文献がある。霊感が人一倍強い私は、長い長い石段を登る。左右には寄進された石塔が隙間無く建ち並ぶ。ひんやりとした空気の中に霊を感じる。人間の死霊ではなく動物の霊を感じる。

白い犬が元気よく石段を登って行く。一匹、二匹、三匹と犬たちは振り返り笑っている。決して吠えない。私の愛犬も真っ白い犬であった。雑種で紀州犬の血が少し入っていた。十三年苦楽を共にした、名はブッチであった。石段を登りながら思わずブッチ、ブッチと声を出した。

奥多摩の上流は素晴らしい流れだ。力強く、そして速い。水は深い青緑である。カヌーの川下りが盛んな所である。その川の辺りの大きな石に座ってじっくりと川の表情を見る。川の音と語る。頭の中の老いた脳ミソがどんどん若返って行く気がする。

この川は美男であり美女であり、知性と野性が流れの中で一体となる。均整のとれたスポーツマンとスポーツウーマンが激しいセックスを終わりなくしている様である。大きな石に一つの白い影。思わずブッチと言ってしまった。東京から車で二時間で魂の流れに出会える。錆びてギシギシになっていた頭の蝶番が強力な潤滑油を差してもらった様に一気に機能化する。正常な人間に環れるのである。都会の汚れた川に流れる病葉(わくらば)の様な体を引きずっていた自分を捨てられる。

自然とセックスする程気持ちいい行為はない。かなりの構想が浮かんで形になった。一月三日又この地に立つ。

時代小説が好きな人は読んだはずの中里介山の大長篇小説「大菩薩峠」の名場面、御嶽神社の奉納試合、主人公の机竜之介が地ずり青眼の構えで相手を負かす、その地がここである。とんでもなく長い小説だった。中学時代不良をしつつも必死に読んだ。確か全十三巻だった。

イワナの塩焼きにキリンクラシックラガー。奥多摩は格別だ。

2009年12月25日金曜日

人間市場 クリスマス市篇


私の家の近所の家の外側が(のの字が多くてすみません)クリスマス近くなるとまるでラスベガスのネオン状態になります。

人によってはパチンコ屋さんという人もいます。豆電球が色とりどりに家を光らせます。

サンタさんトナカイさんお星さまいっぱいのクリスマスツリー、きっと子供に優しい人なのでしょうか、毎年派手になっています、きっと子供が増えたのでしょう。

茅ヶ崎鉄鉋通り富士見町バス停斜め前、サークルKの真裏です。家の形が全部光っています、一度見に来て下さい。


クリスマスと言えばローストチキンです。これがないクリスマスはサンタさんのいないクリスマスと同じです。子供の頃クリスマスになると母親がニワトリの丸焼き(現在のローストチキン)を一羽買って来てくれました。確かその当時で350円位でした(夢のプレゼントです)。


夜遅くまで働きづくめの母がそれを持って帰ると玄関を開けたとたんプ~ンとニワトリちゃんの香りがします。私は一気に色めき立ちます。ナイフとフォークを持ちいざ食わん。丸いテーブルの真ん中に一羽のニワトリちゃん、置かれた途端ガバァ~と取りかかりアッっという間にあわれ骨だけとなるのです。

刺しては切りちぎっては食べるのです。私のメリークリスマスは今日現在までニワトリの丸焼きだけで十分です。程島肉店に三羽(息子たちの分も)愚妻が予約しました。早くバタバタ飛んで来てニワトリちゃんです。

昔仮住まいをしていた事があります。とても古い平屋です、庭がかなりありました。

ある日友人が四羽のニワトリを箱に入れて訪ねて来ました。息子さんがヒヨコを買ってマンションの玄関で育てたら大きくなって、もう飼えないからと言って持って来たのです。

その日から地獄の日々の始まりです。午前三時に突然コケコッコーと鳴いたり、お隣の家の花壇をボロクソにホックリ返したり、そこら中フンをしまくりです。

ウルサイ、クサイ、ゴメンナサイの毎日です。娘と息子は始め可愛いと言っていたが、飛びかかられたりつっつかれたりして気持ちが離れてしまいました。

そうでなくても眠れない私は完全に眠れない日々です。コラッ何処へ行く、コラッ入っちゃだめだ、コラッどこへフンしてんだと約二ヶ月。愚妻は全然平気です。あなた変な気起こさないでよなんて言ってます。


精も根も尽き果てたある日の早朝、縁側に座ってアッチコッチ動き回る姿を見つつお前ら食べちゃうぞ、なんて残酷な気持ちを起こしていたのです。その時ハタといいアイデアが浮かびました。

私の所にいた凄い男が静岡の山の中で夫婦共々自給自足の生活をしている、そこなら色んな動物を飼っているから大丈夫だ、なんで今まで気づかなかったんだ、で直ぐ電話朝五時頃です。

呼び出し音十数回、もしもしと奥さんの声、あっ小夜子ちゃん進藤起こしてくれる、何かあったんですか?ニワトリ取りに来てくれ、えっニワトリ?そうニワトリ四羽直ぐ取りに来てくれって言ってくれ。次の日はるばる山の中から来てくれました。

進藤博行君、優しい男なんです。小さなライトバンに四羽のニワトリとっ捕まえるのが大騒ぎでした。それでも流石に進藤君は鮮やかな動きで一羽ずつ箱の中へ、静かにしろバタバタすんなイテテなんて言いながら。

助かったよヨロシクな、やっと静かになる疲れたよ本当に。大好きなお酒とか色々お土産に、そんじゃと山の中へ帰って行きました。

戦い済んで日が明けて、その後その四羽がどうなったか。

一羽は狼に食べられ、一羽は進藤家の胃袋へ、残る二羽は天寿を全うしたとの事でした。娘と息子にその事を伝えると、えっ食べられちゃったの?食べちゃったの?信じられない、ヒドイ、可哀想なんて言われました。

クリスマスになると思い出すのです。私を悩ましたコッコちゃんたちを。

ログハウスを建てたい人は進藤博行君夫婦をご紹介します。最高の夫婦です。

2009年12月24日木曜日

人間市場 キョロキョロ市篇

親父の目が止まる事はない。
11時半にオープンして4時半位に終わるまで、大きな目はキョロキョロ、キョロキョロ。
そして時には睨みつける。カウンターに10人位、小さな座敷に4つの小さなテーブル。ここは親子連れ用である。カウンターに子供は座らせてもらえない。どこか、私が育った町のとあるラーメン屋にその雰囲気は似ている。店の名前はサッポロ軒という。メニューは極めてシンプルである。

ここも私の育った名物店と似ている。違いといえばワンタンメンがここには無い位だ。ラーメン周辺のメニューだけである。味噌と醤油味のみである。親父の目はキョロコロ、キョロコロしている。奥さんとパートのおばさんの、計3人で働いている。

 人気があり11時頃から店の前に人が並んでいる。小さなお子様はお断りと貼紙がしてある。どこまでが小さな子なのか判らないので一度聞いた事がある、その時の親父のセリフは、自分でちゃんと食べれる子です。そうでないといつまでも席が空きませんから。小さめの体に大きな目である。魚でいうとメバルに近い。奥さんは中々見栄えが良く、愛想がいい。その日の定数が終わったら食べ止め終了、閉店である。私の嫁に行った娘や息子夫婦、又義姉の息子夫婦などは、わざわざ東京から車で食べに来る。親父と話をする客は滅多にいない。
 

ある日私と愚妻、娘と息子とで店に行った。どうも最近奥さんの姿が見えない。パートのおばさんとバイトのお兄さんの布陣である。親父はイライラしていた。
「親父さん、奥さんどうしたの最近見かけないけど」
店に置いてあるスポニチを読みながら言った。ギョロッとした目が私を見据えた。
「もうこんな仕事やだっつって店に出ないの。疲れたって。こっちだって腰のコルセット外したら立ってられないんだから。それでも我慢してやってんのに勝手なもんだよ。太極拳だが、ヨガだかしんないけど、そんなもんやったり温泉旅行ばっかり行ってるよ」


親父の話に、店の中にいたお客は初めての経験だったのかじっと耳を立てながら麺をすすっていた。スープを飲む音がいつもより皆強く感じた。親父さんもういいじゃないの。残すだけ残したんだから。私は、私が育った町の有名なラーメン店を思い出した。雑誌フォーカスに載った。現金5千万が畳の下にびっしり隠されていた店である。総額1億円以上の脱税だった。その事を思い出した。
「親父さん、サッポロ軒って言うんだからやっぱ札幌出身?」
「違います」「へぇそうなんだ」
そこへ頼んだチャーシューメンマラーメンが出来上がった。この間テレビの取材が来たから断ったよしつこい奴等だねまったく、独り言の様に言っていた。年の頃は私より4,5歳若く見えた。息子がいないからね俺の代で終わり、そう言いながら煙草を一本うまそうに吸っていた。ハイライトであった。店の中に立って待つ事は許されない。外で待つこれが掟だ。


あ~あ、俺も終わりにしたいなと言った。店内に異様な空気が流れた。
その日から2ヶ月後、お店は開かなくなった。通常、閉店するなら閉店と貼り紙が貼られるはずである。しかし、都合により暫く休業という貼り紙がされていた。皆、暫くの辛抱だと諦めた。


その頃親父は何をしていたか。湘南シーサイドカントリーの芝の目をキョロコロ見ていたのだ。何しろゴルフが趣味で、それで腰を痛めたのだという。町のタクシーの運ちゃんが、色々教えてくれた。もう毎日の様に行ってるよ、メンバーだから、他にもレインボーと平塚富士見も持ってるんだ。他にマンションを2軒、車はなんとジャガーだという。とにかくゴルフ好きなんだよ。そんな話を聞いてから、暫くでなくず~っと店は開かなかった。今は、昔いた若い衆(?)が同じ様な味を出して結構人気を保っている。
親父はゴルフ三昧、奥さんはヨガ三昧との事である(?)。フックかスライスか、親父の目はキョロコロ、キョロキョロしているのだろう。入ればきっとパーだろう。

2009年12月23日水曜日

人間市場 龍と竜市篇

坂本龍馬は司馬遼太郎先生によって、坂本竜馬になった。
「龍」から「竜」へ。
何故、この事に関しては諸説色々と書いている人がいる。

事実を見た人は今この世にいない、それぞれの人間像を描くといい。
司馬先生は竜馬にする事でより自分の思いを主人公に託したのであろうと思う。司馬先生は快男児が好きでした。私も龍馬ではなく「竜馬がゆく」に新しい日本人像を見て胸を躍らせた。

龍馬はかなり商業的プロデューサーであった様だ。自ら作った海援隊なる組織、亀山社中は正に商社であった。ある時、紀州藩の船と自分たちの船がぶつかり沈没させられた。相手の方が何倍も大きい。
紀州は徳川御三家すっかりシカトを決め込んで弁償しない。龍馬は国際公法を持ち出し、金を払わないならシカトを決め込むなら国を貰う、なんて言って交渉する。こんな所がスーパー英雄化される。
犬猿の仲の薩長に片方には銃を片方には米を、それぞれ交換させ尚かつ手を結ばせ、自分は仲介料をゴッソリと手にする。長い間の日本に欠けていたのはこの交渉術である。日本人は外人に対してつい遠慮してしまう島国の習性国民性である。
しっかりせねばいかんぜよ。腹をすえてガンバレニッポンじゃけん。相手にナメられたらいかんぜよぉ〜。

日本中米国の基地、未だ占領下である。ハイ、どっちもどっちもと盆ござの上の様にあっちがいいこっちがいいと、さぁどうするどうする、丁か半かとかしましい。何も米国の言う通りにする必要は何もない。たっぷりと思いやりをして来たのだからたっぷりと時間を掛ければいいのだ。交渉とは時間と覚悟だ。
必死と決死、剛と柔だ。「龍」の政治性と「竜」の少年性を使い分けねばならない。司馬先生が存命ならきっとそう言うのではないかと思った。勝海舟は外交とは術なんだい、先にこっちの手を見せたら負けってことよ、と言っていたとか。

来年の大河ドラマは「龍馬伝」だ。龍馬は他力を利用する名人であった、ゼネラルプロデューサーである。プロデューサーの最大の才能と仕事はどこからかお金を引き出すこと、資金を集めること。
人間たらしに優れているか、嘘つきか大ボラ吹きかである。一歩間違うと詐欺師となり御用となる。


今年、何人もの映画プロデューサーがどこかに「フケ」た、つまり逃げた。逃げられた人は出来上がった映画を手にボー然としている。どこの映画館にもかかる予定は無い。タダのフィルムである(お蔵入りという)。

さて龍馬をお蔵入りさせた暗殺の下手人は、
(一)、幕府見廻り組説 

(一)、土佐の仲間、後藤象二郎説(協力、岩崎弥太郎) 
(一)、薩摩の西郷隆盛説 等々諸説ある。古来より裏切り者はユダの如く一番近い処にいる。
おっと、危ない。あいつ、まさか俺をである。疑ったらキリがないので私は人を疑ったりはあまりしない。それはとても疲れるから。人を見たらドロボーと思え、人を見たら裏切り者のユダと思え、人を見たらカモと思え。


ある不動産会社の社長が朝礼でガナってました。その会社の社長が先日、裏切られ追放されました。当然、一番に裏切ったのは一番信頼していた人間です。

2009年12月22日火曜日

人間市場 心付け市篇

「冗談じゃないわ、三千円よ。あ~だ、こ~だと、うるさいこと言って、三千円よ。以前に親子で合わせに来た時。何時間もかけて、あれやこれや、あれとこれと、それとあっちと、こっちとそっちと。なに着たって似合うわけないじゃない。元が悪いんだから」

中年の女性はせんべいをボリボリ囓りながらぼやくことしきりです。

「まあ、私が予想するところ長くは持たないわね、あのお母さん。何様のつもりだか知らないけれど、いけ好かないったらないわ。なんでも試食会で、それはそれはうるさかったらしいわ」

三枚目のせんべいを囓る頃、女性の差し歯が少し動いた気がした。

「堅いわね、これ。ゲンコツですもんね、堅いわこれで止めとこ」

お年玉を入れるような小さな紅白の袋(ポチ袋)に、千円札が三枚畳んで入っている。新券はないがヨレヨレでもない。ここはあるホテルの結婚式場の着付け室である。着付けの際の心付け。その相場は判らないがたいていは一万円か五千円だろうと推察する。そして新券が礼儀である。絢爛豪華に着飾ってお色直し二度となると、心付けが三千円ではぶんむくれである。

「私の人生滅茶苦茶よ。今日は安く見積もって一万、ひょっとすると二万と思っていたのに。白無垢角隠し、次はウエディングドレス、そしてカクテルドレス。それにしてもパッとしないわね、今日の花嫁。こう言っちゃなんだけど、泉ピン子に久本雅美の出っ歯くっつけてさ、ホラ、いるじゃない、あの人、あの人、そうそう弘田美枝子。かわいそうね。何であ~なっちゃったのかしら。あんなに美人だったのに。」

気がつくと式の残り物のケーキを食べていた。

「泉、久本、弘田。その三人をカクテルしたみたいよね、ガハハ、ウハハハハハ」

例に出したお三方、ご勘弁を。本当に耳にした実話なのです。

「あなた、ローストビーフ持って変えるでしょ。あたしはチキンを持って帰るわ、子供が好きなの。五組ね、今日は。後、二組か。どっちもこっちもあんまし感じ良くなかったわ。でも三千円は無いと思うけど、一組はお嫁さんバツイチらしいわ」

その頃になるとヨックモックをボロボロこぼしながら、グチをこぼしてました。五千円だとここまでグチりません。一万円だと花嫁さん、何を来てもお美しい事。二万円ともなるともう、おだてる言葉が見当たりません。大言海、広辞苑、現代用語辞典が必要です。ヨックモックしている場合じゃありません。差し歯が浮いて外れる程の美辞麗句を連ねます。

何てお美しい、何て、何て、何てです。

心付けとは恐ろしいものです。人の心はお金で買えちゃうのです。定価無し、時価無し、相場有り、です。私の娘が結婚した時、そして息子が結婚した時も、家で心付けのポチ袋に一万円を入れていました。まあ、二人として二万か。そこへ無口な妻が来て言いました。

「五千円でいいのよ、十分なのよ。あなたは直ぐ人にいい顔するんだから」

「何だそのセリフは、いつ俺がいい顔したっていうんだ」

めでたき結婚式当日の朝であります。そう言われてみれば私の人生は人にいい顔するポチみたいなものでありました。

「嫌な顔するより、いい顔だろうが」

無口な妻は言います。

「お金じゃないのよ、人間なんて欲張りに付き合ったらキリが無いんだから」

「お前、滅多に口をきかないけど、たまにはいい事言うじゃない。そうだよな今日この日を迎えるまで、芸者みたいな人生だからな。そろそろ迎えの車が来るってか。それじゃ五千円でいいんだな、後は知らねえぞ嫌がらせされたって。ひどい奴はウエディングドレスなんかに針をわざと置き忘れたりするっていうからな。いいんだな」

そう念を押して家を出たのであります。

ある日、知人の病気平癒のお守りを貰おうと、江の島神社の階段を登り出しました。私の前にでっかいお尻のおばさんがフーフーしながら登っていました。ちょうど処暑を過ぎた頃です。厳しい残暑でした。お互いやっとこさ階段を登りました。おばさんに遅れること、約25歩お手水の所で目と目が合いました。

「あら、その節はどうもおめでとうございました」

汗だらけの満面の笑みです。「お綺麗でしたね、お嫁さんご立派でしたね息子さん」等々、その人は礼の言葉を連発です。「いや~、こちらこそ、それにしても暑いですね」と手を水に浸す。やっぱり五千円じゃなく、一万円にしといて正解だな。こうしてここで会うのも何かの縁だ。御守りにご利益がつけばいいな、お賽銭は千円にすっか。いや二千円か(?)

2009年12月21日月曜日

人間市場 アタリメ市篇

烏賊がスルメになってアタリメになる。

一杯の烏賊の人生も千変万化である。烏賊のままで魚屋に出ると、旨そうだな煮て食べるか。

お、烏賊のソーメンもある、ビールのつまみに絶好だな。そうだ、子供は烏賊リング揚げが大好きだったな。フライよし縁日の丸焼き最高。家じゃちょっとイマイチだな。あれはやっぱり寒川さんとか、海の家とか江の島で食べるから旨いんだな。イエス イット イズだ。新島のアカ烏賊なんか泣けるほど旨いな。知人から頂いたがああいうのには一切手を加えちゃ無礼なんだな。生身のまま頂く、これが礼儀だ。烏賊もイカした事やるじゃない。頭に来たら真っ黒い墨ぶっかけるなんて。駄洒落てる場合じゃない。


隅に置けないといったらスルメになった頃からか。平べったい板みたいになり、白い粉をふいて化粧したあたりから何故か夜の町でアタリメになって、それに何故かマヨネーズがつく(小皿に唐辛子)。おでんにカラシ、板わさにワサビ、カレーライスに赤い福神漬け、オムライスにケチャップ。いわば法律に近い関係になっている。

七輪に品川練炭を入れ、その上に網をのせてスルメを焼く。アチチ、アチチとどんどん丸くなっていく。まあ火あぶりの拷問に近い。これを又アッチチと言いながら引き裂いて、醤油、マヨネーズと少しの唐辛子を付けて食べる。秋刀魚と同じくもうその焼いている時の香りといったら日本の香りである。大衆、一位の民の宝である。大邸宅から秋刀魚とかスルメの香りが流れているのを嗅いだ事はない。まあ、お金持ちだから何か特別な装置を付けて食べておるのでしょう。しかし家で食べている時はスルメであり安っぽいもんである。

ところがこれが銀座、赤坂、六本木の夜になると、平べったくなったスルメの様子が俄然変わる。

夜の世界では乾き物である。捕られた時は瑞々しくピチピチしていても乾き物である。どこか不貞腐れた感じもする。セットで出る店は仲間に塩豆かエンドウ豆、品川巻き、ピーナツがほぼ決まりである。このセットの値段もクラブやバーによってはしたたかである。クラブ活動に慣れてない人はお通しだと思う。つまりタダだと思う。世の中タダより高い物はない。後で伝票を見ると、おつまみとは絶対書いてない。セット5000円とか書いてある。正確には判らないが、ピーナツ25個、品川巻き17個位、スルメ(ここではまだスルメ)細切り20本位である。ここで怒っては夜の街に出る事は出来ない。何しろ1本千円くらいの「いいちこ」が7千5百円~1万2千円しちゃうんだから。え、ブスがいて、何も喋らないでこっちが一生懸命笑わせて何でだろう、何でだろだよ。こう言っていてはやはり夜の街ではイケマセン。新宿のボッタクリバーじゃないんです。一応銀座、赤坂、六本木。ちょっと足をのばして飯倉、西麻布、代官山。

伝票が出る、ドキッとする。しかし、間違っても伝票なんかじ~っと見ていたらおしまいです。いくらいいスーツを着てたって、その日の内に店中の女の子にサイテーな客ね、です。基本的に伝票は見ない、金額を聞く直ぐ払う。これが夜の鉄則。私は初めての店でもまずカードで支払う事も、現金で支払う事もありません。鉄則です、法律です、全てツケです、私の飲食歴の決まりです。むしろツケの方が必ず割高ですが、ガマ口出してお札を一枚財布から金を出して飲み屋で払った事は一度もありません。気合いです、その代わり直ぐ振り込みます。それじゃこれでよろしくと名刺を出す。

スルメも一品料理で注文するとアタリメに昇格です。一品となるとマヨネーズに七味唐辛子なんかがついてきます。堂々たる一品様です。アタリメよです。スルメがアタリメになった瞬間、プライスアップ、ど~んです。銀座のちょっとした店で8千円~1万5千円の値がつきます。マヨネーズと唐辛子の露払いと太刀持ちかなり値が張ります。大体アタリメは

1本食べるのに数分間はかかります。顎がかなり疲れます。いいとこ3~5本で終わりです。ちなみにスルメはスルから縁起が悪い。アタリメはアタリだから縁起がいい、そういう事です。夜の世界は中々に洒落ているのです。高い月謝を払って憶えたのです。

2009年12月20日日曜日

人間市場 水明館市篇

石原軍団の幹部、館ひろしが岐阜県の下呂温泉は水明館でディナーショーを行ったとスポーツ新聞で見ました。
懐かしいな水明館。館ひろしの歌はどうでもいいんです。凄い下手ですから、人間はいい男、礼儀正しく育ちのいい男。
一度、渡哲也主演、館ひろし共演のテレビドラマのタイトルを付けてくれと石原プロにいた友人から頼まれ、タイトルを付けました。「代表取締役刑事」です。家に電話が入ったので、直ぐに作りFAXをした処、一発でOKをもらいました。番組の試写会場で、渡哲也さんからいい声渋い声で、いいタイトルありがとうございました、と丁寧に挨拶されました。煙草を口にするとサッと館ひろしがライターで火を付けました。昔は石原裕次郎が煙草を口にしたらサッと渡哲也が火を付けたのです。


で、水明館の思い出、名古屋から高山本線に乗って窓の外から美しい川の流れを見て、山峡の色彩の変化に見とれつつ、竜鉄也の奥飛騨慕情を歌いながら行きました。何故、それは名門水明館のグランドオープンの仕事を頼まれたからです。岩下志麻さんに出演をお願いしました。今から二十年位前です。それはそれは綺麗なる事楊貴妃の如し。ホテルオークラで打合わせした時、その姿を見た人がみんなボー然としてました(着物でした)。自分の家に帰って家の者と比べた時、その違いに愕然としたのです。水明館は名高き滝一族の経営です。

確か次男の方、滝秀行さんとは今でも年賀状の交わりをさせて頂いています。腰の低いとても気持ちのいいお方でした。益々のご発展を祈るばかりです。
岩下志麻さんのディナーショーが終わり、大きな風呂にみんなで入りました。洗い場に一人でちょんぼり体を洗っている人がいました。お尻がかなりシワシワになっているのが印象的でした。煮込み(後ろ姿です)過ぎたおでんのはんぺんみたいでした。ゴルフに行っていた頃、プレイをした後風呂に入る。そこで見る中年男のお尻。ほとんどみんなはんぺん状態です。
嫌だねぇ。ああいうお尻にはなりたくないな、あれは男の色気がないよと思いその後色々鍛錬して、私のお尻は今でもパチンパチンです。

男が洗い終わり、ある個所をタオルで隠しながらお風呂に近づいて来ました。あれえ~と大声、田中邦衛さんでした。何で何でとなったのです。奥飛騨浴場でした。水明館いいところです。
高山本線は素晴らしいです。

2009年12月19日土曜日

人間市場 ズル市篇

正直に告白します。ズルとウソを重ねて来ました。
いつか告白しないといけないと思っていました。どんなご批判も受けます。

ゴルフの話です。

崖の下、誰も見ていない、球はぬかるみの中、そっと出しました。
ボールは300ヤードは飛んでいる、しかし白杭のわずか数センチ外、中に入れました。
バンカーの中、クラブが土に触りました。木の根っ子の上のボールを横に出しました。
林の中で空振りしました。でもバックレました。実は色々やりました。
あんまり数打って判らなくなると、人のスコアをしっかり見て、勘定している友人によって違うと注意されました。ゴルフ程精神的に疲れるものはありません。自分がレフリーですから、特に一緒に行ったお客さんのウソや、ごまかしを見たり知った時は、自分の事を棚上げして裏切られた気になって重い一日となりました。

ゴルフを止めて二十年。その間一度だけもう一度やるかとキャラウェイのフルセットを買い込みました。ある年、湘南シーサイドのメンバーになりました。(結果エライ大損しました)知人、友人といざスタート、酷い事もう今世紀中には家には帰れないのではと思う程のスコアでした。
無口な愚妻が言いました。釣りから帰るといい顔してるけど、ゴルフをして帰ってくるとぐったりしてると。300ヤード以上飛ばして人よりグリーンに近くに、しかし上がってみると一番スコアが悪い。そんな事ばかりでした。
そうか、Tウッズだってかなり過少申告してるんじゃない。(愛人の事も)ズルもウソもOBも大嫌いだったウッズが、より大好きになりました。人間的に感じました。人の子だったのです。ちょっと好き過ぎですが、力が有り余っているのです。あれだけのプレッシャーの中のプレイいいじゃないのと言いたい。なんか積年の反省が晴らされたみたいだ。

石川遼選手もやがてグリーン以外のグリーンに乗らねばならない。大ファンの不動裕里さんは恋人が出来てすっかり下半身のためが無くなった。18歳の賞金王をやっつけるのはどうやら見えて来た。くの一だ。俺だけなのかなズルしたのは。もうゴルフはやりません。


そうそう、セコムの仕事を一緒にしていた私の知人が、ミスター長嶋のゴルフ友達だった。世界中どこでも一緒だったその人から聞きました。ミスターは負けず嫌いで、直ぐズルをするんですよ。球がデイポットに入っていると足でチョコット出す。あ、又やったと言うと、やってないやってないと言うんです。その他にも色々と。
いいですねーミスター。可愛いですね。ミスターはだから大好き何んです。許せるんです。ウソのない人間はウソつきです。
ズルしてますか。セコムしてますか。

2009年12月18日金曜日

人間市場 命のやりとり市篇

襖に太い楊枝を刺すとプス~と入る。

赤いトマトに同じようにすると、プス~と入る。人を刺すというのはそんな感じ、刺されるのも同じ。

アチイ、火傷した様に熱い。22口径で撃たれると熱い火箸を当てられた感じで、38口径や45口径は経験が無い。ほぼ一発で砕けてジ・エンドでしょう。

こんな馬鹿な事を一時期して来た命、人生の4コーナーを回り、何となくストーリーが見えて来た。この命どう使って捨てるかだ。車がはねた小さな石ころが額に当たって死ぬ命もあれば、ジャンボ機が落ちても生きてる命もある。この世から消した方がいい命と、何としてでも守ってあげたい尊い命がある、生と死を誰が決めているか判らない。人生とは不公平なもの、平らな道でもつまづくものと言う。

好事魔多し、良い事がある方が怖いもの男の人生はリスクを背負った方がいい。

外車、クルーザー、別荘、馬主、女遊び(?)、ドンペリ、豪邸、株、相場、競輪、競馬、競艇、オート、麻雀、博打、これ転落の述語です。私は全てなし、全てしないのです。凄いでしょ。完璧です。

実の所、博打や酒(?)は二十歳までに人の何十倍もやり尽くし飽きてしまったのです。遊ぶなら若い内、三十過ぎて遊びを覚えると仕末が悪いですから。

リスクは夢や浪漫です。見果てぬ物、決して手に入らぬ物と判っていても追うのです。頭の中で夢を追うのはタダです、原稿用紙に書くなら一冊268円、ボールペン一本120円です。

中学三年の時、先生に将来何になりたいと聞かれた事がある。

私は即座に、三州吉良の常吉の様になりたいと言った。不勉強な教師は何だそりゃと言った。尾崎士郎の名作「人生劇場」に出て来る侠客ですよと言った。教師はキョトンです。

村田英雄がラジオドラマで歌っていたでしょ、「やると思えば、どこまでやるさ、それが男の魂じゃないか、義理が廃ればこの世は闇だ。俺も行きたきゃ仁吉の様に義理と人情のこの世界」って歌ですよ。ヤクザか、違います侠客です。話は全然かみ合いません。尾崎士郎はあの恋愛武士道の宇野千代と愛し合った。恋多き千代が一番愛したのは尾崎士郎ではという説がある。ライバルは東郷青児、いや他にも沢山かな。

千代さんはとにかく男から愛され、愛した。


話がそれたがこの世は今や義理も人情もすっかり無くなってしまった。

手のつけれない不良少年は母親に連れられて江戸川のレイスポーツジムに入った。ジム創設十五年。

遂に一人の東洋太平洋チャンピオンが生まれた。その統一戦があった。育ててもらった選手は会長やスタッフから受けた恩と義理を体で返すためにリングに立つ。会長やスタッフは、何とか世界チャンピオンにさせたいと愛情を注ぎ続ける。

ボクシングが聖なるスポーツと言われるのはこのためだ。世界チャンピオンにならなければ食べていけない世界。わずかなファイトマネーでボコボコになるのだ。一歩間違うと人生が終わる。これも命だ。12月8日、後楽園ホール。四角いジャングルの中に私の応援するボクサーがいた。太平洋ライトフライ級暫定チャンピオン家住勝彦選手だ。前回の試合は二度のダウンの応酬、8ラウンドTKO勝ちだった。ベストマッチで表彰された。相手はそのまま救急車で運ばれそして引退した。ボクシングは一種の殺人ゲーム。相手を殺しても罰せられる事はない。神聖なジャングルだ。引き金の代わりに、刀の代わりにパンチを出す。12ラウンド打ち合うと八百~千発位パンチを受ける。もらうギャラと一発ずつ受けるパンチの値段を単位にするとこれ程割の合わない職業はない。決められた体重に落とすために、何も食べず何も飲まない生活をする。飽食の時代に逆行する。客は倒せ、倒せと皇帝ネロの様に絶叫する。目は切れ、鼻はつぶれ、顔はシリコンを入れた様に膨らむ。冷静に考えるといったい何が好きでと思うだろう。

ボクサーは水を断っても乾いた花では無いのだ。極めてウエットなのである。相手が向かって来る、恐いからパンチを出す、倒れたら立つなと祈る。そういった最強のチャンピオンがいた。


応援した選手は一ラウンド二度のダウンを奪ったが、流石にあいても正規チャンピオン、統一戦に相応しい好試合であった。結果は家住選手の判定勝ちであった。両選手の試合後のマナーが素晴らしかった。

帰りにみんなで水道橋のひなびた中華屋さんに入った。ラストオーダー十時半でいいですか?とオバサン。それぞれ、餃子、パーコーメン、塩焼きそば、キュウリとミミガーの千切り、カニ玉、麻婆豆腐、タンメン、ビール、焼酎をじゃんじゃんオーダー(安そうな店だったので。でも高かったな。)で、乾杯、良かったなと。帰りのタクシーの中で「やると思えば、どこまでやるさ、それが男の魂じゃないか。義理がすたればこの夜は闇さ」と人生劇場の歌を心の中で歌ったのです。


2009年12月17日木曜日

人間市場 若者市篇

友人のピート小林君の紹介で三人の若い写真家が来た。

ピート氏はかつてジャガーやアップルやサントリーの仕事で幾多の広告賞を受けた。高名な文章家であり英会話読本の著者であり、日本中の桜を撮る写真家である。近頃は日本中の案山子の写真を撮っている。

先日TBSの夜の番組V6が出演しているクマグスに、案山子クマグスで出演した。超マニアックな番組で私も必ずモニターで録ってもらって見る。


若者は二人が男、一人が女性であった。久々に志を持つ若者たちであった。(歳は三十前後)新鮮な二時間のやり取りであった。話は彼等がリーダーシップを発揮している写真家のイベント、若い感性のサミットの審査員をして欲しいという趣旨であった。私は基本的にあらゆる審査はお断りしている。

一度だけやってこりごりした。人それぞれ苦労した作品をとても選ぶ事が出来なかった。それ以来してない。

持ってきたパソコンで前回のイベントを見てくれと言われた。パッと見た瞬間、それ以上見るのを止めた。その後話を進めると、一人のリーダー格の若者がイベントも見もしないで失礼じゃ無いですかと言った。九州男児、ステキな顔立ちに怒りがわなわなと出ていた。それでいいんだ。怒る事が一番の創造になるのを知っている。外人の様な顔立ちの女性、黒いベレー帽風に黒い革の上着を着た男。三人の目をじっと見続けた。三人ともイノセント、純粋であった。私にとっての出会いは、その人達の過去ではなくこれからである。この先に何かエキサイティングな展開が生まれるか、自分の目が頼りである。ジャズでいうセッションであり、アドリブであり、舞台でいえば即興であり、ロックで言えばビートとフレーズの交差である。

過去を見てしまうと先入観が入りすぎてしまうからかえって危険だ。若者にあるのは感覚のヒダの数だ。脳しょうの騒々しさだ。残念ながら私にはその若さがもう無い。だから若さは羨ましい。小さくなって欲しくない。オリジナルを追求して欲しい。写真家は写真を撮ってもらえば一切の言葉が無くともその撮り手の明日が見える。


近々一人のとんでもなくユニークなミュージシャンの写真を撮ってもらう事にした。UCKという29歳の若者だ。彼の放つ言葉は、言葉の自叙伝、音楽の懺悔と叫び、生きる事へのメッセンジャーだ。分かりやすく言えば一人の元ギャングが妻と子と別れた。悪の道に入るか、入らないか迷っている少年少女に自分の体に示した無数の刺青を通してメッセージを送るのだ。彼は泣きそして叫ぶ。新しい音楽のジャンルを切り拓くだろう。

三人と会った次の日、友人の個展が勝どきの倉庫の中であった。そこに着物を着た美しい外人がいた。笑って近づいて着たその女性は前の日に来た写真家だった。私が帰った後、他の二人も来てくれたという。私に会えず残念だったと言い残してくれた。

UCKと三人の若き写真家。どんな作品が生まれるだろうか。とても楽しみだ。

若い感性を励ます、それが私の使命だと思っている。でもやっぱり負けねえぞ。まだまだだ。

2009年12月16日水曜日

人間市場 ドライブイン市篇







先々週丹沢に行ったよ。その前は深大寺でそば巡り、その前は鷹取山・・・・ずっとその前を語る中年夫婦。

ドライブインで隣合せ。

私はかなりウキウキで串カツ一本、ジャガコロッケ一ヶ、あっ、あれが白鯛焼きか、何か冷たい感じだな。そのうち白い今川焼き、白いとんかつ、白いコロッケなんか出たらもう人間止めてしまおうと思った。たこ焼き一ヶ、焼きそば一ヶ、焼き鳥の皮を人数分一本ずつ買う。焼き鳥は大人気。

どこへ行くんですかと聞くと、御嶽山です何しろ毎日暇でやる事が無くてね。

お歳は、私は71歳、妻は69歳、アチコチ食べ回っている同行者も似たり寄ったりですよ、ウァハァハァと空声の笑い。笑い終るとすこんと肩の力が抜ける。

あなたは何処へと聞かれた。

奥多摩です、奥多摩と言っても色々あるんですよ、霊感を探しに行くんですよ、え、何ですかそれ、人間の霊を見に行くんです。そんなのあんですか、あるのです。

へぇ~といいつつ、母さんあそこのイワナの塩焼き2本買って、焼きたてだよ、黙って言うと冷めた方を出すからなんて的確な指示、慣れてるんです。霊感はどこに居るんですか?御嶽山に入る途中にある神社、登って行く石塔に挟まれた階段(結構キツイ、でも夏に登った羽黒山の2443段に比べれば楽チン)に霊が歩く、それから樹齢千年近い木々の側。それから多摩川の上流、特に水の溜まりがある大きな石の上。

私は川の流れる音が大好きなんです。特に陽が落ちそうな時、朝、陽が昇る寸前がいいんです。おっ、イワナ旨そうですね俺も食べたいな、イワナとなるとやっぱりキリンビールだな、オイッ、ビールよろしくとなる。あなた何の仕事をしているんですか、何に見えます?う~ん、その格好から見るとテレビ局かなんかの人?違います。でも少し近いです。テレビはライバルです、じゃラジオ?違います。

この串カツ旨いないけますよこれ、こういう処では何食べても旨いですよね、縁日と同じでパックの焼きそばそのまま家で食べたら旨くないですよね。たこ焼きだって、パックっていうのは、家庭生活に合わないんですよ。

私の友人で、奥さんがしょっちゅうパックのままご飯を出すので頭来て離婚しましたよ。京都の大金持ちの娘、家業は代々質屋でした。そうですよね、オイッよく聞いとけよ、なんて奥さんに言う。

人間の霊って本当に居るんですかね、居ると思えば居る。居ないと思えば全然居ない。それじゃ肝試し(?)違います、そこにある時間と空気感を探すんですよ。音、光、闇、温度、石、樹、風、落ち葉、今が丁度紅葉でいいんです。へぇ~何だか、そちらさんのが面白そうですね。こちらは、年金、施設、介護、戒名、葬儀、相続、嫁とか婿の悪口ばかりなんです。面白そうじゃないですか、そっちのテーマも皆さんかなり霊に近づいている人ばかり、生霊だから、私好きなんですそういう人の話。あなた変わってますね、面白い方ですね、とここまでの会話は約十分位。

ドライブインは一期一会。


いざ、奥多摩へレッツゴー!次はあのケーブルカーの登り口で鮎の塩焼き、昼はあの川のほとりの店で四色そば、うどん&釜飯一膳(これは人から少し頂く)といくか。


奥多摩辺りには、確か太占(ふとまに)という鹿の肩甲骨を斎火で焙り、出来た割れ目の位置でその年の農作物の出来、不出来を占う(相場師たちが来る)人がいるとか。会えるといいな霊と占い師。

実は、私は霊感というか、直感というか人の運命が見えるのです(?)。もちろん自分の今後の運命もしっかり見えているんです(?)。

2009年12月15日火曜日

人間市場 夜は変市篇

動物や人間には眠るという一応の決まりがある。

しかし、その夜に働いている人々がいる。

夜勤の看護師さん、長距離の運転手さん、タクシードライバー、カタカナ産業の人々、物書き、病と戦い続けている人、人生の不安を抱えて眠れない人、疲れ過ぎた人、明日が恐い、夜が恐い、朝が恐いと思っている人、夜は静かな中に激しい鼓動を鳴らす。

ひっそりと暮らす山間の村にも、勢いを失ったシャッター通りの町にも、かつては活気に満ちた漁村にも、灰色のビルがまるで墓場の様に立ち並ぶ街で人間関係と仕事と、売り上げとストレスと戦う夜にも鼓動がある。

歴史は夜作られるとも言う。夜は人間を変える。

白い巨塔の支配者や学識者たちは、風俗の中で一匹の動物と化し、国会議員のバッジを付けた権力者は完納の世界に息を弾ませる。部下を詰り倒した男はSと化しMと化す。生徒の規範となるべく教師は、ホストにひざまずき、高級官僚はただの幼児となり捕乳瓶を吸い、名のある評論家、エコノミストたちは、死体にたかるハエの様に女体に群がる。およそモラリストを声高に演じる者ほど、金と性と酒と背徳の世界の住人となる。

私は長い間信じられない光景を見続けてきた。

「異常も日々続けば正常になる」と書いた言葉の達人がいた。その名を仲畑貴志と言う。彼も又、私と同様人間を見続けた男だ。夜だ、暗夜だ、闇だ。漆黒の中の斜光の交差だ。空には歪んだ月が浮かび、夜光の動物が獣道で動き出し赤外線のカメラで捉えられる様に人間の隠れた本性が写し出される。

そんな夜に心のオアシスの様なラジオ番組がある。NHKラジオ深夜便だ。

名だたるアナウンサーが赤児を諭す母親の様に静かに語りかける。その声は慈愛に満ちあふれている。リスナーが誰であっても一切の差別はない。言葉を吟味し、曲を選び、話を選び、本を選び、エピソードを選び、人々の心のふる里を語る。

異常を少しでも正してくれる仁術あふれる医師の様に。そうか、ナイチンゲールは小夜啼鳥とも言う。やさしき看護師さんの様に村を、町を、街を癒してくれる。夜と朝の間にラジオは流れる。その流れの早さはせせらぎである。決して答えを押しつけない、答えを求めない。人間は迷える子羊、悩める小鳥、群れる小魚。鳥網に突っ込んで身動き出来なくなった鳥の様に、刺し網に頭を突き刺し、抜け出せない魚の様に、金というエサを求め突撃を繰り返す。隣に死に絶えそうな人間がいても声をかけるでもなく、跨いで行く。大都会の烏は凶暴化し、彷徨する野犬は栄養を取り過ぎ肥大し、地下を走るネズミは猫ほどになり、猫は野犬と化す。

ラジオ深夜便は夜をいたわる様に流れる。

過日、そのラジオ深夜便に出演した。午前一時五分から一時四十五分迄であった。アナウンサーは二十年のキャリアを持つ、宇田川清江さん。正に慈愛あふれる、優しい人であった。小柄でチャーミングな女性であった。井上陽水のコンサートを楽しみにしていた。二百万人のリスナーに静かに、深く、眠れぬ者に寄り添うが如く語りかける。一人一人に。貴重な体験をさせてもらった。私も夜眠れぬ人間である。「ただし背徳な行為は一切しない」

ラジオはテレビと違い言葉が姿であり、言葉が人生の履歴書である。ブースの中で宇田川清江さんがナイチンゲールに見えた。

2009年12月14日月曜日

人間市場 視力市篇

内藤大助敗れる。(かなり遅いニュースですね)

友人がネット上に亀田興毅のバンデージが異常に盛り上がっている、と教えてくれた。

鉛を入れたのか(?)昔のボクシング界でよく使った手口だ。内藤が第2ラウンド左ストレートを完璧に受けた。

一発で鼻は曲がり、異常に腫れ上がった。長い間ボクシングを見て来たが、確かに異常であった。

鼻血が詰まり、息が出来なくなり集中力に欠ける。あれだけの角度で入った左ストレートで内藤がダウンをしなかったのは亀田のパンチが弱いのだろう。


内藤の敗因はやはり年齢のせいだ。動体視力が断然違っていた。見切りが違った。入ったと思ったパンチは瞬間避けられ、避けたと思ったパンチは入った。その差が出ていた。スポーツ選手は全て動体視力の衰えから来る。

ゴルファーはパットラインが読めなくなる。野球は球にくい込まれ詰まる。バレーも、バスケも、サッカーも、卓球も全て動体視力の衰えから、入る筈のものが入らなくなり、がっくり来る。プロゴルファーは一本の芝、一ミリ二ミリのパットラインを読むという。

松井秀喜やイチローは自分のバットを作ってくれているバット職人にグリップの処を一ミリ二ミリ細く、又は太くしてくれと頼むと言う。バトミントンや、テニス、卓球はラケットの中心でスマッシュを、一ミリ二ミリずれると駄目だと言う。

バスケのシュートしかり、バレーもしかり、しかり、しかりである。

内藤VS亀田の一戦は紅白歌合戦並の瞬間最高視聴率50%強であった。その70%は内藤頑張れだった。アリスの名曲「チャンピオン」を思い出した。「立ち上がるな、これでもういいんだ。おお神よ」その夜私はアリスまみれになってしまった。

世の中はデフレ社会、デフレファイターなる新しい言葉まで生まれた。こちらは一ミリ二ミリではなく、一円二円の勝負をしている。娘夫婦が家に来てチラシを見る。あっ、こっちが二円安い、おっこっちは一円安い。クーポンも付いている。行こ、行こと言っている。男はスーパーなんかに行ってはいけないと心に決めて生きて来た。コンビニは新聞を買いに行くだけ(?)。お父さんは何かというと男のくせにと言うけど大変なんだからと言われてしまう。


「竜二」という映画で、堅気になった主人公竜二が、肉屋のバーゲンに並んでいる妻と子を見て、堅気と決別してヤクザな世界に還って行く。かなり判る気がする大好きなラストシーンだ。本日割引の赤い旗が印象的であった。その映画を作った、金子正次は「竜二」の初日に胃癌で死んだ。35歳であった。瀬戸内海の小島で生まれた男であった。

生きていれば60歳だ。その男が残したシナリオ四本の内の一本「チ・ン・ピ・ラ」を友人の増田久雄さんとフジテレビと共に製作した。(増田さんは今矢沢永吉の映画「ROCK」を製作・監督して上映中。是非観て下さい)この場合、金子正次という男の生き様に一票を投じたかった。

幸い映画は大ヒット。担保にした家は取られずに済んだ。無欲であった。

すっかり話がズレてしまった。私の動体視力も衰えた。一歩間違ってスーパーやユニクロに入ってしまうかもしれない。

実は生涯で十回位は入っているんです。そっと、一人で。

買い物、乗り物は大嫌い。自分で切符が買えるのは東海道線だけ。何事も人任せ、人頼り。始末が悪い人間なんです。

2009年12月13日日曜日

人間市場 果たして市篇

まず始めに私は弱者の味方である事を宣言す。

その上でホームレスや、派遣村の村民たちは全て同情すべき人々なのだろうか。
見れば五体満足、若い人々も多いではないか。何故、君たちはそこにいるのかを私なりに問いたい。

一、 何故朝から酒を飲んだりしているのか。
一、 多重債務の原因は何か。競馬、競輪、パチンコ、投資の失敗等、働かず楽して儲けようと思った結果ではないのか。
一、遅刻ばかり。
一、時間、約束にルーズ。
一、金銭にルーズ。
一、異性間の事にルーズ。
一、向上心がなく、協調性がなく、挨拶も満足に出来ない。
一、服装にルーズ。
一、清潔ではない。

等が因で会社を辞めさせられたり、親、兄弟、親戚、友人、知人、に迷惑をかけて居られなくなり、逃げ回っていたりしている。何かにつけて自分を自分で擁護し、被害者意識に立ち、社会や会社や人のせいにする。
人間本気で働く気になれば仕事はある。全ての物事には原因があるという。こんな気持ちを持っているのは、私だけだろうか。身体が不自由な人だって一生懸命働いている。


先日、ある公園に行った。そこに十数人の男たちがビニールやら、そのままやら毛布の上で昼間から酒盛りをしていた。
生ウーロン割、缶焼酎、ワンカップ、あろう事かアサヒスーパードライの500mlを飲んでいる中年男がいた。サントリーの角瓶を飲んでいる男たちもいた。ブランドはともかく安くはない酒だ。私の連れは、こういう場合私が何か言うのを知っているので早く行きましょう、止めなさいよと言った。そうだなと思った時、その中の一人、二人が、いいねーお二人はなんてぬかしやがった。トーゼン!プッツンです。
オイ、昼間っから酒かっくらってんじゃねぇよ。汚ねぇし、掃除しろ、掃除を!と言った。
かなり大きな声であったので池の鯉も全匹ビックリしていた。
働け!というと、仕事がねぇ~んだよときやがった。スポーツ新聞や、競馬、競輪新聞が散乱していた。ギャンブルやる金があるなら、石鹸でも買って顔を洗って来いと言った。おお~こえ~と言った。この人たちも同情しないといけないなら違います。自滅なのです。無気力なのです。何なら、お前らみんな俺の所に面接に来いと言おうと思ったが、目やにが一杯付いて、あんまり酒臭いので止めました(来てもOKです)。アカデミックな一日にしようと思っていたのに。なんたるこったです。


それにしても安部公房は凄いな。何十年も前に「箱男」という小説で、段ボールに入り込む人間を書いていたのだから。
一度入ってみっかな。

2009年12月12日土曜日

人間市場 辛抱市篇

新聞記事を読んで思わず大拍手したくなる事がある。久々にあった。

11月28日朝刊。私は小さな頃から大相撲が大好き。マムシの栃錦、一直線の柏戸、内掛けの琴ヶ浜、吊り出しの明歩谷、潜航艇の岩風、うっちゃりの北葉山等が大好きであった。
この頃では悪役を一手に引き受けている朝青龍だ。

東京場所の時は見に行く。ヨーダの様な顔をした朝青龍の天敵、内舘牧子。この人がもし、暗闇からでたらほとんどの人は気絶するでしょう。人の前には出てはいけない顔なんです。通販生活位は許します。(それ位の人なんです)何しろ私は美人派の代表ですから。

おっと、大事な記事の話を忘れました。なんと初土俵からワーストの38場所連続負け越しの記録に終止符を打った力士が出ました。年6場所ですから、6年半勝ち越してないのです。その力士の名は、森麗(もりうらら)序の口は16枚目です。
何とか山でも、なんとか海でも、なんとか錦でもない、「もりうらら」ちゃんなんです。カワユイではないですか。よくぞマァ頑張り続けたものです。どえらい人です。この日、16歳の力士に攻め込まれたが土俵際でうっちゃりの大逆転勝ち、努力すればいつかきっと達成できると語ったとか。
4勝3敗。こういう人には心から脱帽です。力士的というより人間的に尊敬です。こんな話があるから相撲は面白いのです。入門してからず~っと序ノ口、つまりは入り口に入ったばかり。中には入っていないのです。入門7年目、千葉県出身22歳、本名森川勇樹。170センチ、120キロ、血液型O型、大獄部屋(親方はあの大鵬の娘婿、元貴闘力)。この夜、父さん母さん(両方とも59歳)。遂に勝ち越したよと電話するとお母さんは号泣したとか。


同じ日、横綱白鵬は年間84勝目。うららちゃんには天文学的数字、でも同じ1勝。
その価値は全く変わりありません。大きな笊に沢山の勝栗を貰ったうららちゃんに、一足早く春うららが来たのです。人間辛抱だ、と言ったのは初代横綱若乃花でした。世の中はどうしようもないですが、努力、精進、辛抱の先にきっと春が来るはずです。
出来たら一度飲みたいなこんな力士と。

2009年12月11日金曜日

人間市場 戦友市篇

男が女性達から、あの人はいい人です優しい人ですと言われたら、モテない男という事です。

いい人とはどうでもいい人であるし、何か頼めば何でもやってくれる優しい人という事なのです。

恐い、危険、近づきたくない、嫌い、と言われたら本物の男です。

一番の理想は、嫌いだけど好き。恐いけど会いたい。危険だけど一緒にいたい。

これが男と女。男の値打ちは、女房がいようがいまいが、どんな女性が側にいるかで判る。


過日、友人を見舞った。妻有り、子有り、孫有りの男であった。すさまじい手術の跡があった。首に腹に、癌はすでに末期であり、一度手術をしても直ぐに閉じてしまった。私の四十年来の戦友である。身長は180cm位あり手術前は体重80kgはあった。酒は一滴も飲まない、キャデラックとハーレーダビットソンを愛する男である。庭いじりを愛し、土と木を愛した。

男はもう一つ愛していた。七年前から一人の女性を愛していた。凄い足フェチで、足の事を語ると徴に入り細に入りいくらでも話をした。お互いに男女の仲は話す事はない、これが男のルール。見舞いに行って初めて紹介された。すでに入院ニヶ月余、体重は十数㎏落ちていた。それでも私たちが来るからとパジャマからジーンズとアディダスのパーカーに着替えていた。男と男、友と友、いよっ、で始まる。大好きな目出し帽を被っていた。前の日までハルミオンも効かなかったが私たちが来るのに声も出ないのはみっともないと、屋上で管を引きずりながら歩いたと言う。そのお陰か前夜は久々にぐっすり眠れたと言う。声も出てるでしょうと言う。精一杯のジョークを飛ばす。二種類の抗癌剤に最後の望みを託すと言う。錠剤と液体を3週間一クールにして試すと言う。一種が50%、一種が25%。合わせると75%効くかもしれない。


膵臓と腹膜に転移していると行って腹の手術跡を見せた。お腹のど真ん中からベンツのマークの様に巨大に切られ、手術用のホッチキスの跡が生々しい。つい二ヶ月前まではピンピンしていたのだ。男の側に一人の美しい女性。萬田久子をもっと美しくした様な女性。足フェチの男が選んだだけあって、足首はしまり長く、背が高く、黒ずくめのコスチュームが知性的である。何事にもそっと気がつく。そっと眼鏡、そっとハンカチーフ、そっと水(これは私たちに)、そっとティッシュ、このそっと感を見た時、成る程と思った。女房、子供には悪いが人生の最後はこの女性と終わりたいんだ、そういう男が何とも魅力的であった。

正に愛しているのであった。説明は要らない。ただ愛しているのである。

一時間半、話して笑いました。翌日女性から、私に付いて来てくれた者にメールが入った。本当に楽しかったと。嘘でもいい、見栄でもいい、その言葉が嬉しかった。帰りに、病院の近くのそば屋さんに入った。一緒に行った者があの人は食い道楽だったですよね。未だ食べ物の臭いだけでも気持ち悪くなるって言ってましたね。何か悪いですねと言いつつ、あれや、これやを食べてしまった。

広い店にお客は私たち三人。三重県出身という23歳(本人が言った)の女の子が妙に私たちから離れない。目が何となくウルウルして、体がしなだれている。薄いブラウスの中からブルーの花柄のブラジャーがハッキリ見える。君どうしたの?そんな格好して、何やってんの?と聞くと、恋人と一緒に声優になりたいと言う。性優じゃないの?と聞くと、チュガイマチュシェイユデチュ、イヤダーなんて突っ立てる。電話番号と名前を書いて、今度オーディションしてあげるから恋人とおいでよと言ったら、ウヒャーホントデチュカなんて言っている。たっぷり手術跡を見た頭がクールダウンしない。でも、家庭を捨ててもあんないい女性と一生を終えたいなんて、負けてんな、カッコイイよな。自己破産して何もかも無くなったが凄い愛を残したのだから。俺は支持するよと言った。

いいか、間違っても女性からいい人なんて言われんじゃネェぞ。何て思った夜でした。

男と女が手を繋ぐシーンがあんなにいいと思ったのは久しぶりだった。

長い病院の廊下、二人のシルエット、いい映像でした。

友よ、奇跡は起こす為にある。

2009年12月10日木曜日

人間市場 心越す市篇

ココロコス、心越すという意味を込めたのか、離島大好きの親友渡辺修一さんは沖縄の瀬底島にフォールームスという四部屋だけのホテルを作りました。これが何とも素敵なホテルなのです。渡辺さんは、テレビやラジオ番組の企画や広告のコピーライターをしていました。


四十歳を目途に、いつか自分の手で、自分のイメージで、自分のホテルを作りたい、そう計画していました。大好きなお酒を少々にして、着々と計画を進めたのです。山を切り拓いた白いホテルです。一階が広い食堂、2階に4部屋、屋上がジャグジーです。フルチンだってフル○ンだって全然大丈夫。誰にも見られません。ジャグジーに浸かって、夕陽を見る。手にはオリオンビール。ワンダフルにしてビューティフル。


人間、夢を本当に形にする人は中々いません。評判が評判を呼んで予約はいつも一杯。何しろ、料理が抜群。沖縄料理じゃなく、フレンチやイタリアンが主です。但し沖縄のアグーという、黒豚のしゃぶしゃぶは、絶品を通り越して絶叫です。うめぇ〜。二頭の白い犬がまた可愛いんです。私の別荘と思って下さい、なんて優しい事を言ってくれるのです。いい奴なんです。最高なんです。今からでないと連休辺りはもう一杯になってしまいます。

美人でない人はあまり似合いません。ちょっと訳ありの感じで美人となんてかなりイケてます。

朝食なんて東京のホテルの比較になりません。正しいブレックファーストです。コーヒーが又旨い。ミシュランなんて田舎者のタイヤ屋がつけるマーク。私がつける☆印の方が正確です。☆☆☆です。

いい本一冊、いい女性一人、これが基本。フォールームスです。

私の名前を出せば、コーヒーは飲み放題、犬が好きな人は犬の散歩をさせたら、きっと卵料理は多めに出してくれます。

直ぐ側に海洋博の時に作ったでっかい水族館。これが又、海の中に入った気分。何時間でも見ていて飽きません。

2009年12月9日水曜日

人間市場 ヲットマン市篇

この世で気持ちいい事をしない人はあんまりいない。椅子に座り、足を伸ばす。

その足を乗せる物をヲットマン(オットマン)と言う。

私は、足は伸ばさないが、毎週体を伸ばす。その場所の名が「ヲットマン」。辻堂駅西口前にある、友人のフーちゃんこと尾崎文彦氏が友人と作った。鍼、お灸、マッサージ、アロマオイルマッサージの治療院だ。ここに行かないと私の全身はアウトになる。在宅の人の為の訪問マッサージもしている。個室のベットが一つ。間仕切りされたベッドが三つ。色々、ヘロヘロ、ヘトヘト、ボロボロになった人。ストレスでカチコチになった人。何かの後遺症でアチコチがコチコチになった人。アンチエイジングで美しい肌を保とうとしている人。など様々な老若男女が来る。ここは私の心身のオアシス。


デスクの女性細渕さん、私を見ると、大丈夫ですかぁ?必ず大丈夫ですかぁ?と言ってくれる優しい人。美人で可愛い女性。趣味はハーレーダビットソンに乗って、西湘バイパスをぶっ飛ばす。愛妻家のご主人がいる。私のマッサージとオイル担当は富田さん。パン食主義の女性、私の体の隅々を一部を除いて(?)知り尽くしている。「そうなんですかぁ、そうなんですかぁ」が口癖の人。私の情報を担当してくれるのが佐賀出身の内藤さん。マッサージもとても上手いがパソコンが凄い。とても優しい二児のパパ。とにかくパソコンから私の希望する情報をほぼパーフェクトに出してくれる。この人もハーレーダビットソンのメンバーの一人。私の体はこの三人で守られている。気持ち良い仲なのです。

もう一人、関西出身の長田さん。この女性は私の親友担当。ボーイッシュで男っぽく、切れ味のいい人。かなり博学の女性。在宅のメンバー以外はこの四人がテキパキと痛んだ人たちを元気にしてくれる。私にとっては家族同然の人たち。時々、食事にご招待する。坂本九ちゃんの親戚が経営している焼き鳥「鳥仁」はみんなお気に入り。(12月から銀座博品館裏に進出。茅ヶ崎に兄弟店がある。抜群に旨い店。体を不自由にした大島渚さんは今でも車椅子で来るらしい。)

人間の体は精密機械と同じ。キチッとメンテナンスしないとトラブルを起こす。鍼、お灸、マッサージ。どんなに痛くとも、どんなに熱くとも我慢が大切。自分への投資、自分への思いやり予算と思っている。私が帰る時、必ず四人で送ってくれる。一歩出た瞬間に体は、又してもらいたがってる。その引力は強い。こんな世の中に贅沢かもしれませんが、みなさん、三度のご飯を二度にして、二度のご飯は一度にし、一度のご飯は抜きにしてでもメンテナンスです。

あっ、先生、ソコソコ。あっ、キモチイイ。あっ、効く効く。痛っ。かなりイケナイ気持ちです。

2009年12月8日火曜日

人間市場 団々市篇

暴力団から、暴力を取るとどうなるか。

団である。団となると色々ある。歌を忘れたカナリアと同じであって、俺たちは何をすりゃいいんだという事になる。バレエ団、雑伎団、消防団、応援団、青年団など様々になる。団という文字が一番恐いのがやはり暴力団である。本物の渡世人、ヤクザ者は暴力団と言われる事を極度に嫌う。プライドが許さない、キャリアが許さないのである。俺たちは筋者なんだと言う。筋者の世界では、揉める事が拡大すると踊ると言う。

例えば、「ヨシ、俺とトコトン踊るか、上等じゃネェか」なんて具合に使われる。踊るだけなら舞踏団だが、筋者はそうは行かない。一度筋道が狂うと行くとこまで行かないと話が終わらない。

世の中で暴力団と言うと、全国民が悪い人だと位置づける。暴力は最後の理性と言った哲学者がいた。ある意味究極の意志の表し方なのだろう。


この頃、弱い者を痛めつける暴力が酷い。老人へ、子供へ、若い女性へ、およそ理性のかけらも無い事が起きている。

本来、強い者と強い者が、どっちが本当に強いかを決める為の手段。あるいは、許されざる侮辱に対し決着をつける。あるいは、愛すべき者を守るために動物的本能を発揮する。そのために暴力はある。私は仇討ち令を作る事を提唱したい。子供や、身内が殺された者には仇討ちを許す。正しい暴力を許す。もし、あなたは自分の子供を殺めた人間が、のうのうと生き続けているとしたら許せるか。私なら許せない。一人しか殺していないからという理由で娑婆に出て来る。勿論殺される側に殺されるべく事も多いと思う。が、真っ当な人間が通り魔的に殺されたり猟奇的に殺されるのは許せない。又、保険金目当てで妻や夫を殺す。私は大した保険に入っていないので保険金目当ては大丈夫だ。積年の恨みは大いにあり得るが。

ある法律家が真面目に言った。(一)仇討ちを認める(場所は高田馬場にする。又は巌流島か鍵屋の辻。)(一)島起こしにもなるので、どこかの島でシメル。(一)暴力団に入れて徹底的にシメル(一)東大の応援団に入れる(もの凄く厳しい)この頃になると法律家先生はかなり酔いが回って来た。そこへある組の大幹部、いや、先生お久し振りで。おお〜と先生、その節はどうも。聞けばその人は、自分の組のケジメをビッシリつけて(暴力の極みをして)懲役八年を務めたとか。その時の担当の法律家でした。先生曰く、あの男は本当の男だ。ああいうのを一括りに暴力団と言うのは僕は反対だ。この頃、堅気の方がよっぽど悪党だからな。君、何かいい言葉考えろよ。正しい暴力団の言い方を。僕が特許を取ってやるよだって。もう先生はヘロヘロ、若い女の子の胸に顔を埋めてメロメロ。明日法廷があるけどシカトすっか、なんて言い始める始末でした。

その夜、帰りのタクシーの中で先生は運転手さんに手を出し、警察に保護されました。

暴力は最後の理性だったのでしょうか。次の日の法廷は果たして(?)ご想像にお任せします。

2009年12月7日月曜日

人間市場 ノーベル市篇

ノーベル賞を貰ったからって思い上がってはいけない。

科学者、研究者だからといって特権意識を持ってはいけない、そう思う。

科学者と大田区辺りで一人苦心を重ね発明、発見しているグリスまみれの社長とどう違う。


凄腕の職人や大工さんや庭師の人たちとどう違うと言いたい。国の予算、即ち税金を使っているのだから謙虚にならなければいけない。自民党の放漫経営で国は破産しているのだから。(私はどの政党にも属していない)確かに、科学は人類に貢献し、文明、文化を切り拓いて来た。

人間を月に立たせたり、歩きながら電話をかけられる様にしたり、宇宙から車を誘導出来る様にしたり、又、原爆や水爆を作ったりしてきた。人を生かすも殺すも、あらゆる便利も作って来た。だが、一方でこんな警告をしっかり心しなければいけない事がある。過日百歳で死んだ、フランスの社会人類学者、思想家のクロード・レヴィ=ストロースはこんな事を書いている。

「世界は人間無しで始まった。だから人間無しで終わるだろう」と。中国の言葉に「歴史は作った者によって滅ぼされる」とある。ならば、人間が作った文明、文化は人間によって滅ぶという事になる。


科学の予算が削減されそうだと聞きつけて、普段は犬猿の仲の大学の学長十人がひな壇に揃う。

五人のノーベル賞受賞者が揃う。その中の一人は口をわなわなと震わせ、削減した者は後世の歴史の法廷に立てるのか、などと怒った。ips細胞の研究者もノーベル賞を受けるかもしれない。

その研究は、死んだ細胞を再生させるという夢の様なものである。ひょっとすると人間は永遠に死ぬ事が出来なくなるかもしれない。自分と同じクローン人間が自分の隣に座るかもしれない。神の領域に迫るものである。

宇宙の先に何があるか。あったらどうなるのか、夢は尽きない。その功績は計り知れない。だからこそ私は言いたい。もし、あの席でこんな話し方をしたらどれだけ値打ちが上がっただろうと。

例えば「今日はみなさんお忙しいところお集まり頂き誠に恐縮。我々ノーベル賞受賞者と言っても、大変な税金の無駄遣い者。何しろ浮世離れした夢を追って居りますので、誠に経済はオンチであります。科学は人間の欲望みたいなものでお金がかかってしまいます。この度、政権交代により科学研究の予算が削減されると聞き、これは一大事と思いここにうち揃ってこんな高い所に座って居る訳です。研究はSEXみたいなもので途中で止める訳にはいきません。あっ、イカンイカン、失言です。お許し下さい」等と言えば、流石という事になったでしょう。


私が尊敬している立花隆氏まで、事業仕分けしている者は、バーバリアン(野蛮人)だ。日本は科学技術でしか生き残れない等と言った。がっくりです。やっぱり彼も東大出の限界だと思った。それじゃ、農業、商業、林業、漁業、工業、職人、民芸、大衆芸能なんて全滅してしまうのかと言いたい。彼等はどこかに学歴主義、権威主義、見下し主義の特権意識がある。どうせなら、「ガバッと金を寄こせば、ガバッと国を儲けさせっから、発明、発見は無駄遣いの結果じゃけん、ケチケチしてたらイカンぜよ。」と坂本龍馬的に言った方が余程スケールがあると思うのです。いい女を抱くには、金がかかるんじゃけんのぉ〜(これは広島弁でした)

元々研究なんてものは私財を投げ売っていたのです。体を張っていたのです。華岡清州の妻の心が必要なのです。野口英世の母の心が必要なのです。


ちなみに、銀座のクラブで一番スケベェなのは大学の教授です。それを連れて行くのが文部科学省の役人、天下り団体、重機械業メーカー、教育関連メーカー、薬品メーカー、医療費メーカー等の関連会社。又、芝白金で愛人を囲っているのもその人たちが断然多いと聞きました。いい身分なのです。


立花さん、病気してから鋭さ不足です。この前の月刊文藝春秋の小沢一郎研究も、あの田中角栄を追い込んだ、殺気も熱気もありませんでした。私にとって唯一のジャーナリストと思っていたのですから、他のマスコミと一緒に群れを組まないでください。

あんだけ怒った次の日に五人はがん首揃えて宇宙人総理大臣に表敬訪問最敬礼。なってねぇな、やっぱり学者は。喧嘩の仕方が全く判ってないと見下したのです。もっと矜持を持てと言いたい。もっと自分の金を使って銀座で飲みなさい。


私は、権威主義者は大嫌いです。真っ向勝負です。

追記として、クロード・レヴィ=ストロースは「野生の思考」の中でこう主張している。

野蛮の中にも思想があり、技術があり、人間的生き方の尺度もある。サベージ=バーバリアンを植物に置き換えると野性という意味になる。

ミシェル・トゥルニエは「フライデーあるいは太平洋の冥界」の中で、文明と野蛮とを共存させようとした。つまり、戦争を起こす人間、その最新技術を生んだ科学者たちも。南海の孤島で、一人山羊と戦い、それを殺し皮を剥ぎ、骨で楽器を作り風に音を生ませる人間。そのどちらも野蛮人という事かもしれない。

教授達よ、一度南海の孤島で一人暮らししてみるといい。ロビンソン・クルーソーの様に。立花さんも又、孤島に一人になった時、その日その日を食べて行くために野蛮人、つまりバーバリアンとなるだろう。科学者はもっと人間的に偉い人になって下さい。

ご無礼はお許しを。