「冗談じゃないわ、三千円よ。あ~だ、こ~だと、うるさいこと言って、三千円よ。以前に親子で合わせに来た時。何時間もかけて、あれやこれや、あれとこれと、それとあっちと、こっちとそっちと。なに着たって似合うわけないじゃない。元が悪いんだから」
中年の女性はせんべいをボリボリ囓りながらぼやくことしきりです。
「まあ、私が予想するところ長くは持たないわね、あのお母さん。何様のつもりだか知らないけれど、いけ好かないったらないわ。なんでも試食会で、それはそれはうるさかったらしいわ」
三枚目のせんべいを囓る頃、女性の差し歯が少し動いた気がした。
「堅いわね、これ。ゲンコツですもんね、堅いわこれで止めとこ」
お年玉を入れるような小さな紅白の袋(ポチ袋)に、千円札が三枚畳んで入っている。新券はないがヨレヨレでもない。ここはあるホテルの結婚式場の着付け室である。着付けの際の心付け。その相場は判らないがたいていは一万円か五千円だろうと推察する。そして新券が礼儀である。絢爛豪華に着飾ってお色直し二度となると、心付けが三千円ではぶんむくれである。
「私の人生滅茶苦茶よ。今日は安く見積もって一万、ひょっとすると二万と思っていたのに。白無垢角隠し、次はウエディングドレス、そしてカクテルドレス。それにしてもパッとしないわね、今日の花嫁。こう言っちゃなんだけど、泉ピン子に久本雅美の出っ歯くっつけてさ、ホラ、いるじゃない、あの人、あの人、そうそう弘田美枝子。かわいそうね。何であ~なっちゃったのかしら。あんなに美人だったのに。」
気がつくと式の残り物のケーキを食べていた。
「泉、久本、弘田。その三人をカクテルしたみたいよね、ガハハ、ウハハハハハ」
例に出したお三方、ご勘弁を。本当に耳にした実話なのです。
「あなた、ローストビーフ持って変えるでしょ。あたしはチキンを持って帰るわ、子供が好きなの。五組ね、今日は。後、二組か。どっちもこっちもあんまし感じ良くなかったわ。でも三千円は無いと思うけど、一組はお嫁さんバツイチらしいわ」
その頃になるとヨックモックをボロボロこぼしながら、グチをこぼしてました。五千円だとここまでグチりません。一万円だと花嫁さん、何を来てもお美しい事。二万円ともなるともう、おだてる言葉が見当たりません。大言海、広辞苑、現代用語辞典が必要です。ヨックモックしている場合じゃありません。差し歯が浮いて外れる程の美辞麗句を連ねます。
何てお美しい、何て、何て、何てです。
心付けとは恐ろしいものです。人の心はお金で買えちゃうのです。定価無し、時価無し、相場有り、です。私の娘が結婚した時、そして息子が結婚した時も、家で心付けのポチ袋に一万円を入れていました。まあ、二人として二万か。そこへ無口な妻が来て言いました。
「五千円でいいのよ、十分なのよ。あなたは直ぐ人にいい顔するんだから」
「何だそのセリフは、いつ俺がいい顔したっていうんだ」
めでたき結婚式当日の朝であります。そう言われてみれば私の人生は人にいい顔するポチみたいなものでありました。
「嫌な顔するより、いい顔だろうが」
無口な妻は言います。
「お金じゃないのよ、人間なんて欲張りに付き合ったらキリが無いんだから」
「お前、滅多に口をきかないけど、たまにはいい事言うじゃない。そうだよな今日この日を迎えるまで、芸者みたいな人生だからな。そろそろ迎えの車が来るってか。それじゃ五千円でいいんだな、後は知らねえぞ嫌がらせされたって。ひどい奴はウエディングドレスなんかに針をわざと置き忘れたりするっていうからな。いいんだな」
そう念を押して家を出たのであります。
ある日、知人の病気平癒のお守りを貰おうと、江の島神社の階段を登り出しました。私の前にでっかいお尻のおばさんがフーフーしながら登っていました。ちょうど処暑を過ぎた頃です。厳しい残暑でした。お互いやっとこさ階段を登りました。おばさんに遅れること、約25歩お手水の所で目と目が合いました。
「あら、その節はどうもおめでとうございました」
汗だらけの満面の笑みです。「お綺麗でしたね、お嫁さんご立派でしたね息子さん」等々、その人は礼の言葉を連発です。「いや~、こちらこそ、それにしても暑いですね」と手を水に浸す。やっぱり五千円じゃなく、一万円にしといて正解だな。こうしてここで会うのも何かの縁だ。御守りにご利益がつけばいいな、お賽銭は千円にすっか。いや二千円か(?)
1 件のコメント:
心付けとは、良く言ったものです。昔の言い方やしきたり、風習、ことわざ。どれも当たっていますし、昔の人は凄いと思わせられる瞬間です。
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