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2009年12月15日火曜日

人間市場 夜は変市篇

動物や人間には眠るという一応の決まりがある。

しかし、その夜に働いている人々がいる。

夜勤の看護師さん、長距離の運転手さん、タクシードライバー、カタカナ産業の人々、物書き、病と戦い続けている人、人生の不安を抱えて眠れない人、疲れ過ぎた人、明日が恐い、夜が恐い、朝が恐いと思っている人、夜は静かな中に激しい鼓動を鳴らす。

ひっそりと暮らす山間の村にも、勢いを失ったシャッター通りの町にも、かつては活気に満ちた漁村にも、灰色のビルがまるで墓場の様に立ち並ぶ街で人間関係と仕事と、売り上げとストレスと戦う夜にも鼓動がある。

歴史は夜作られるとも言う。夜は人間を変える。

白い巨塔の支配者や学識者たちは、風俗の中で一匹の動物と化し、国会議員のバッジを付けた権力者は完納の世界に息を弾ませる。部下を詰り倒した男はSと化しMと化す。生徒の規範となるべく教師は、ホストにひざまずき、高級官僚はただの幼児となり捕乳瓶を吸い、名のある評論家、エコノミストたちは、死体にたかるハエの様に女体に群がる。およそモラリストを声高に演じる者ほど、金と性と酒と背徳の世界の住人となる。

私は長い間信じられない光景を見続けてきた。

「異常も日々続けば正常になる」と書いた言葉の達人がいた。その名を仲畑貴志と言う。彼も又、私と同様人間を見続けた男だ。夜だ、暗夜だ、闇だ。漆黒の中の斜光の交差だ。空には歪んだ月が浮かび、夜光の動物が獣道で動き出し赤外線のカメラで捉えられる様に人間の隠れた本性が写し出される。

そんな夜に心のオアシスの様なラジオ番組がある。NHKラジオ深夜便だ。

名だたるアナウンサーが赤児を諭す母親の様に静かに語りかける。その声は慈愛に満ちあふれている。リスナーが誰であっても一切の差別はない。言葉を吟味し、曲を選び、話を選び、本を選び、エピソードを選び、人々の心のふる里を語る。

異常を少しでも正してくれる仁術あふれる医師の様に。そうか、ナイチンゲールは小夜啼鳥とも言う。やさしき看護師さんの様に村を、町を、街を癒してくれる。夜と朝の間にラジオは流れる。その流れの早さはせせらぎである。決して答えを押しつけない、答えを求めない。人間は迷える子羊、悩める小鳥、群れる小魚。鳥網に突っ込んで身動き出来なくなった鳥の様に、刺し網に頭を突き刺し、抜け出せない魚の様に、金というエサを求め突撃を繰り返す。隣に死に絶えそうな人間がいても声をかけるでもなく、跨いで行く。大都会の烏は凶暴化し、彷徨する野犬は栄養を取り過ぎ肥大し、地下を走るネズミは猫ほどになり、猫は野犬と化す。

ラジオ深夜便は夜をいたわる様に流れる。

過日、そのラジオ深夜便に出演した。午前一時五分から一時四十五分迄であった。アナウンサーは二十年のキャリアを持つ、宇田川清江さん。正に慈愛あふれる、優しい人であった。小柄でチャーミングな女性であった。井上陽水のコンサートを楽しみにしていた。二百万人のリスナーに静かに、深く、眠れぬ者に寄り添うが如く語りかける。一人一人に。貴重な体験をさせてもらった。私も夜眠れぬ人間である。「ただし背徳な行為は一切しない」

ラジオはテレビと違い言葉が姿であり、言葉が人生の履歴書である。ブースの中で宇田川清江さんがナイチンゲールに見えた。

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