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2009年12月8日火曜日

人間市場 団々市篇

暴力団から、暴力を取るとどうなるか。

団である。団となると色々ある。歌を忘れたカナリアと同じであって、俺たちは何をすりゃいいんだという事になる。バレエ団、雑伎団、消防団、応援団、青年団など様々になる。団という文字が一番恐いのがやはり暴力団である。本物の渡世人、ヤクザ者は暴力団と言われる事を極度に嫌う。プライドが許さない、キャリアが許さないのである。俺たちは筋者なんだと言う。筋者の世界では、揉める事が拡大すると踊ると言う。

例えば、「ヨシ、俺とトコトン踊るか、上等じゃネェか」なんて具合に使われる。踊るだけなら舞踏団だが、筋者はそうは行かない。一度筋道が狂うと行くとこまで行かないと話が終わらない。

世の中で暴力団と言うと、全国民が悪い人だと位置づける。暴力は最後の理性と言った哲学者がいた。ある意味究極の意志の表し方なのだろう。


この頃、弱い者を痛めつける暴力が酷い。老人へ、子供へ、若い女性へ、およそ理性のかけらも無い事が起きている。

本来、強い者と強い者が、どっちが本当に強いかを決める為の手段。あるいは、許されざる侮辱に対し決着をつける。あるいは、愛すべき者を守るために動物的本能を発揮する。そのために暴力はある。私は仇討ち令を作る事を提唱したい。子供や、身内が殺された者には仇討ちを許す。正しい暴力を許す。もし、あなたは自分の子供を殺めた人間が、のうのうと生き続けているとしたら許せるか。私なら許せない。一人しか殺していないからという理由で娑婆に出て来る。勿論殺される側に殺されるべく事も多いと思う。が、真っ当な人間が通り魔的に殺されたり猟奇的に殺されるのは許せない。又、保険金目当てで妻や夫を殺す。私は大した保険に入っていないので保険金目当ては大丈夫だ。積年の恨みは大いにあり得るが。

ある法律家が真面目に言った。(一)仇討ちを認める(場所は高田馬場にする。又は巌流島か鍵屋の辻。)(一)島起こしにもなるので、どこかの島でシメル。(一)暴力団に入れて徹底的にシメル(一)東大の応援団に入れる(もの凄く厳しい)この頃になると法律家先生はかなり酔いが回って来た。そこへある組の大幹部、いや、先生お久し振りで。おお〜と先生、その節はどうも。聞けばその人は、自分の組のケジメをビッシリつけて(暴力の極みをして)懲役八年を務めたとか。その時の担当の法律家でした。先生曰く、あの男は本当の男だ。ああいうのを一括りに暴力団と言うのは僕は反対だ。この頃、堅気の方がよっぽど悪党だからな。君、何かいい言葉考えろよ。正しい暴力団の言い方を。僕が特許を取ってやるよだって。もう先生はヘロヘロ、若い女の子の胸に顔を埋めてメロメロ。明日法廷があるけどシカトすっか、なんて言い始める始末でした。

その夜、帰りのタクシーの中で先生は運転手さんに手を出し、警察に保護されました。

暴力は最後の理性だったのでしょうか。次の日の法廷は果たして(?)ご想像にお任せします。

1 件のコメント:

sakon さんのコメント...

仇討ち大賛成です。いまの世の中、殺され損ですからね。あらら、すごいオチがつきました。先生には困ったものですね。。でも、味がある良い人なんでしょうね~。