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2014年12月24日水曜日

「良いお年を」




1224日クリスマスイブです。今年最後の400字のリングです。 
17日頃から再開します。

朝のモーニングショーは大韓航空の「ナッツ姫」の話でもちきりです。
ニュース枯れというやつでしょうか、たいしたネタがないのでしょう。
ナッツとくればゲッツ坂野、ゲッツとくればガッツ石松、ガッツとくればメッツの松坂、なんで横浜ベイスターズに来ないんだよと思うのだがどうでもいい話ですね。

今年の十大騒動ニュースをやっていました。
つまんねえ話にマスコミが群がる姿の方が“重大”なんです。

私にとっての理想のテレビは、今日は何事もない無事な朝ですといって画面はずーっと美しい景色。今日は昼になっても何事もない無事な昼です、といって画面はずーっと美しい景色。夜になると今夜は何事もない無事な夜です、といってずーっと美しい景色。
年末年始が穏やかでありますように心より願っております。

待っててごらんウールだよ。良いお年をお迎え下さい。

2014年12月22日月曜日

「みんな、みんな」





おじさんは一年中手焼きせんべいを焼いている。
お兄さんは一年中うなぎの串を刺している。
おばあさんは一年中古い着物を売っている。
おっさんは一年中果物を売っている。
親と子は一年中ラーメンをつくっている。
おねえさんは一年中有機野菜を売っている。
みんなみんな一年中同じことをしている。

靴の修理、ペットショップ、とんかつ屋、お蕎麦屋さん、花屋さん、整骨院、お弁当屋さん。みんな一年中同じことをしている。
人間の営みとは日々同じことを繰り返すこと。
急いでやろうとすればケッつまづいたり、自転車で転がったり、ナイフで手を切ってしまったり、火傷したり、せっかく作ったお弁当を床に落としてしまったりする。

天皇陛下も我々市井の民も時間は平等だ。
一日は24時間なのだ。仕事場の真ん前で何やら大工事をしている。

ガードマンが3人棒を振っていた。その内の一人に1年中大変だねといったら、今日で2日目ですといった。それじゃ一日がなげえ~だろといったら、一日が1週間くらいに感じますといった。

今年も残すところ10日となった。26日で仕事納めの会社が多い。
この季節は借金トリという意地の悪いトリが弱い者からなけなしの金をむしりとっていく。
借金トリという位だからピーピーと鳴く相手から容赦なく取り立てる。黒いママチャリの前のカゴに大きい黒いカバンを入れた男たちが目につく。銀行や信用金庫の人たちだ。お~元気にやってるかと知り合いの融資課の人間に声をかける。

何かと気ぜわしくなって来たのを肌で感じる。
今から10年前の仕事場付近の写真を観ると同じようだが8割以上の店が変わっていた。夫婦でずっとやっている小さな喫茶店に入ってモーニングサービスを頼んだ。
メニューはモーニングだが頼んだのは1時過ぎ、その名をトーストセットに変えてあった。
ゆで玉子をおでこにゴツンと当てて割った。赤と黄色のジャムが私を見ていた。焼けたトーストと一緒に。

2014年12月19日金曜日

「天野教授と作家椎名誠さん」




愛読するアナーキーな「日刊ゲンダイ」を読みながらウトウトしていた。
昨夜はNPOの人と友人の広告代理店の人と後輩と私、合計5人で仕事場の近くの安くて旨い!イタリアンレストランで食事をし、白ワインを二杯飲んだら酔いが来た。
体が酒を拒否していた。

食事の後仕事場に戻り、一人ゴソゴソと残していた仕事をやり、セブンイレブンにより愛読紙を買った。140円を出すと胸に中国語の名前を付けたお兄さんが、アリガトーゴザイマース、リョウシュウショウイリマスカーといったので、いらないよといった。

東京駅までタクシーに乗り、車の中のほの暗い灯りの中で新聞を広げた。
私は車の中で何かを読むのが大好きで、何時間でも楽しめる。
お客さん気持ち悪くなりませんかとよくいわれるが、ゼーンゼンとこたえる。

日々生活している寝床がほの暗い。五本ある蛍光灯はずーっと前から三本だけになり、その内の一本は半グレの状態でビシッとしない。

さて、ペラペラとめくると、ドカンと見出しに「睡眠薬の常用が一番困る」飲んでいる人は手術がしにくいと天皇陛下の心臓を手術した天野篤教授の記事がバーンと1ページ書いてあった。そうかそんじゃオレはまず心臓の手術はダメだなと思った。
喫煙者もダメと書いてあったがタバコは喫わない。

パラッとめくると椎名誠さんという作家がバーンと1ページ、僕は眠れない「不眠症35年」という新書を出したとか。椎名誠さんは読んだことはないが、不眠症仲間だという親近感を持っていた。世界中旅をしながら不眠と戦うというか実験的試みをしたことが書いてあった。日本は日々雑誌の見出しに不眠という文字が出ている世界でも稀な病的社会とも書いてあった。

ワインの酔いが少し残ってウトウトしながらなので流し読みだが、私と椎名誠さんも共通しているこれはいけないというのをやっていることがあった。
お酒と睡眠薬を飲むことだ。椎名誠さんは35年、私は20年だ。
一度ぜひお会いして不眠談義をずーっと眠らないで語り合いたいと思った。

私がお世話になっている東洋羽毛さんの本社のショールームにバーンと大きな文字があるのを思い出した。「無薬快眠」だったと思う。なんとすばらしいキャッチフレーズか。
最高の羽毛ふとんは薬を無くしてぐっすり眠らせてくれることを表現している。
椎名誠さん、キラリトギンザ3Fオルハショップに、そのフレーズを生んだ人が睡眠改善インストラクターでいますのでぜひ訪ねてみてください。
許されるならぜひそこでお会いしたいものです。

2014年12月18日木曜日

お知らせ

このたび12月13日(土)に東本三郎の書籍、「若者よ、天下を取れ。」が上梓いたしました。


全国書店にて販売しております。
ぜひお手にとってください。




「エボラとズボラ」




ふと気がつくと「エボラ出血熱」のニュースに殆ど気がつかなくなった。
Why何故だろう。「ゴルゴ13」風に読み解くと国際的薬マフィアたちが巨大利権を生むために動いたのではないだろうか。アメリカ人たちは何故か治ってしまった。
アフリカ人たちが犠牲になったのか?
新薬開発は闇の中で生まれ、闇の中で増殖をする。

12月もあと2週間余りとなると私は「ズボラ熱」を発症する。
大掃除とか、中掃除とか、小掃除とかが嫌で嫌で仕方ないのだ。
生来整理整頓が苦手なのだ。一年中何かを探しているのだ。
雑然と混然が一体となって整然としているのが私の理想なのだ。

つまり身の回りのことにズボラなのだ。
これにより人々に多くのご迷惑をかけ続け来た。あー嫌だな12月はなのだ。

粗大ゴミなどをマメに出しているご主人たちをみると心からエライ人だと思う。
私は現在まで一度も粗大ゴミを出したことはない。分別ゴミというのを実に美しくするご主人を見ると思わず敬礼をしてしまう。

日本人というのは決められたことに対しては実に忠実に守る、この国民性がある限り日本は大丈夫だと思う。だが戦争すべしと決められるとそれに対しても忠実に従い行動する、この国民性は怖いのだ。政治に対してズボラはいけないと思う。
気がつくと尊い命が捨てられてしまうからだ。世界は混然となって来た。

仕事を求めて“戦争に就職する”若者が増殖し、イスラム国だとかタリバンに続々と入っている。日本国は国際問題となるとまるで相手にされない。エネルギー戦争にズボラを決め込んでいるととんでもないことになるだろう。コラッ!その新聞を捨てるな!大事なことが書いてあるから。今年もきっと何もしないで掛け声だけのダメ男だな。

「串かつと半ペン」



裏社会ではドジを踏んだり、ケチがついたりすることを「イモを引く」とか「ガミを引く」などと表現します。その語源はよく分かりません。
(私は表社会人なので)裏切られたり、憎たらしい思いをさせられると、あのヤロー串刺しにしてやるとか、串かつにしてやるとか怖い顔していいます。

一昨日は大雨、強風、寒気強烈であった。
私はとてもいい友人と、とてもいい仲間と三人で「串かつ」を食べました。
全然憎たらしくなく、全然楽しい串かつだったのです。

7時〜9時、銀座のおでん屋「お多幸」です。
大根1/4と竹輪1/2、がんも1/2、お豆腐1/4ずつ、三人で仲良く分けあって食べました。
それとマグロのぬたを少々、おでん屋だけどお多幸の串かつは相当カリコリしていい味なのです。太いネギ二本と太い豚肉二本が、コノヤローとばかり太い串でブスッと刺されて出て来るのです。

一人前二串だから二人前四串を三人で、私が一串、友人が二串(二本目のコロモは取っていた)、仲間が一串であった。思い出話はパチンコの玉みたいに楽しく弾けた。そしてソロソロと店をでると雨は上っていた。
二合ばかりの菊正宗がずい分と効いていた。

そんじゃ今夜は帰るからと別れ新橋駅に向かって歩いた。
久々に食べた串かつの味を思い出していた。いけねえ、また自慢話をしてしまったと反省した。

むかし何かというと、あいつら串かつにしてやるといっていた先輩の顔を思い出した。その先輩はもう一つ口ぐせがあった。
喧嘩して相手をコテンパンにすることを、「半ペン」にしてやるというフレーズだ。
体中骨抜き状態になるまでヘロヘロにしてやるという意味だ。
そういえばおまかせ1.5人前に半ぺんは入っていなかったことを思い出した。
若い会社員たちがベロベロになって群れていた。ビューと強い音をたてて北風が吹いた。

2014年12月16日火曜日

「ヤクザの判定勝ち」




これはコントではありません。
記事を読み笑ってしまったのです。
傷害と銃刀法違反の罪で捕まった暴力団の組長が、ある地方裁判所に出廷しました。

組長は最初からイライラしたようです。
細身でメガネをかけた二人の検察官が、ボソボソと聞き取りにくい声で証拠を読み上げました。すると「聞こえねえよ!腹から声を出せ!」と小爆発。
さらにボソボソが続くと、「こんなしけた証拠かよ!却下だ!」さすがに裁判長から「却下って被告は裁判長じゃないでしょ」といった。

「俺はヤクザだ!」知ってます。
「こんなくだらない証拠を出すために、何日ブタ箱に入れられたと思ってんだコラ!」「ヤクザなめんなよ!命張って極道やってんだ!!」と検察官を完全に圧倒。さらに裁判長ものみ込まれ、「組長…いや被告、冷静に」とむしろ裁判長は冷静さを失った。

結局この日の公判は、組長の独壇場で終了。
最後に裁判長から「何かいうことはありますか?」と聞かれると、「法律を守るか守らないか決めるのは俺だ!」自白のようにも聞こえるコメントで閉廷し、判決は次回に持ち越された(週刊文春12/19のコラムより)。

ヤクザの組長には意地とプライドがありありと有り、検察官と裁判長にはヤル気がまったく無いのであった。
次の法廷にはどんなやりとりが用意されているのだろうか。
第一ラウンドはプライドの判定勝ちであった。


世の中には「無法」という「法」が大手を振ってまかり通っている。
六法全書が怖くて極道をやって行けるか、とある親分は若い衆に号令をかけたとか、これからの極道はちゃんと法を守れという親分も多いという。

「コインの裏表」



ある高名な方と食事を共にした時に、キミねえ酒を飲む時に何が楽しいって「人の悪口」だよといった。悪口を焼いたり、煮たり、古漬けにしたり、フライパンで炒めたりする。これほど美味しくなるものはない。

それとねえキミ、敗軍の将兵を語らずというがな、敗軍の兵を語りつくすというのも実に酒が旨い。敗けた原因はみんな部下のせいにするんだ。
あいつがあそこでドジ踏んだ、あのヤローがあそこで逃げやがった。
あいつらみんな揃いもそろって裏切りやがった。

と、まあでっかい声で酒を飲む。悪口をつま味にし、人のせいにしてゴクッゴクッ飲む姿を見て奇妙な爽快感を感じた。
裸一貫一代でその地位を築いたその高名な方は、実は妻にコケにされ、息子と娘には見放され、家の中でたったひとり、次々と悪口を連発していた。

何故私がそこにいたのか。
それをいうとかなりその高名な方の悪口になり、部下だった人たちのあまりのいい加減さを語らねばならない。高名と悪名はコインの裏表みたいなもの。
その高名な方がやっとこさ選挙で比例復活して、ヘコヘコ、ペコペコ、ニタニタし頭を下げていた。腹の中ではきっと舌を出しているだろう。

2014年12月12日金曜日

「人間のすること」



「うつつ責め」という言葉を知っていましたか。
これは過酷な拷問のこと。のべつ幕なしに尋問を浴びせて、夜も昼も眠らせない。

ブッシュ政権下でCIAがテロ容疑者にこの「うつつ責め」をしていたことが公表された。
顔に大量の水を注ぐ、氷風呂に入れる、真っ暗な独房に入れて大音響を流す、立たせたまま180時間眠らせぬ。

日本の場合は木の上に正座させ、その上に重い石を一枚、二枚と重ねていく。
北朝鮮の火あぶりの刑について読んだがこれがすさまじい。
人間の腸がふくらんでバアーンと次々に大爆発する。
そして頭も身体もバッバァーンと大爆発すると書いてあった。

かつて日本には治安維持法という稀代の悪法があった。
その悪法が着々と甦って来ている。
秘密保護法の名の下に隠れているがやがて頭をもたげて来るはずだ。 
TVの報道も新聞も報道規制されてきた。 
TV、新聞の選挙報道は前回の半分にも満たないという。

「うつつ」のもう一つの怖さは、国民一人ひとりが政治に無関心となり、何もかもに「うつつを抜かす」ことだ。ええじゃないか、えんじゃないか、と。

友人たちと一杯楽しく飲んでいたら急に数人の男が来て連れていかれてそのまんま帰らぬ人になる。つい一杯機嫌で権力批判みたいなことを口走っていたからだ。
一冊の拷問史を資料のために読んだが、人間が人間でなくなることを知った。

私といえば二日間風邪にうつつを抜かしていたました。
あそこが痛え、ここが痛え、とてもじゃないが拷問になんか耐えれるわけがない。

2014年12月10日水曜日

「有頂天とは」




私の人生といえば「へ」らず口を叩く人生でした。
チェッカーズがデビューした頃に唄っていた曲にこんなのがありました。

♪〜ちっちゃな頃から悪ガキで15で不良と呼ばれたよ ナイフみたいにとがっては触わるみな傷つけた あーわかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか ララバイララバイおやすみよ ギザギザハートの子守唄…
「ギザギザハートの子守唄」という曲だったと思います。

「へ」らず口を叩き出したのは私の場合はオギャーと生まれた時からではないかと思います。当たる物みなに当たって生きてきたのです。

麻生太郎氏という大臣はやはり「へ」らず口が売りというか、人物学的特徴です。
ハッキリいってヨォみんな金を儲けてんのにヨォ、金儲けできてない奴はアタマ悪いか運が悪いかじゃねえのぉ。とか、年寄り守るのにヨォ、むかしは何人でも守っていたけど、これからは一人か二人で守らなきゃなんねえ、子どもをつくらねえのがいけねえんじゃねえの、というようなことを口をへの字に曲げて演説をした。
 
いわゆる本音が出たということなのだ。
この人はさすがに大臣になっただけあって、へらず口を叩きながら口をちゃんとへの字にしてしまった。私などのへらず口は大したことはねえなと思った。
最もシドロモドロに弁解しているへの字の口は絵にならねえ。

寒風ピューピュー岩手県のとある場所、黄色いアサヒビールのケースの箱の上に立っているのは小沢一郎氏、わずか数十人を相手に演説している。
人間落ち目は素晴らしい、その見本として絵になっていた。
私は落ち目大好きなので小沢一郎氏が落選する姿を見てみたい。
きっと見れるはずだ。

数年前、小沢一郎氏は有頂天の頂点にいた。
お正月の小沢一郎氏邸では一部、二部と分けてヨイショ、ヨイショの新年会をやっていた。私が出した売れないであろう本にこんなことを書いた。
「有頂天とはこれから転がり落ちる場所のこと」一流の人間は決して有頂天まで登らないよと。

もういくつねると投票日、1214日有頂天に登る人間が沢山登場する。
そして転がり始める。当然口をへの字に曲げて落選の弁を語る人間が山ほどでる。
この世は苦界なのだ。だからいつも落ち目の中にいた方が居心地がいいのだ。
苦の先には楽があるやもしれないからだ。

テレビに林修氏という予備校の講師が出ている。この男も口をへの字にしている。
いつやるのいまでしょ!このひとことで苦界から這い上がった。
この男いつ消えるの、もうすぐでしょ!

2014年12月9日火曜日

「ヤキを入れる」




12月のポストには「喪中につき年末年始のご挨拶を失礼させて頂きます」という葉書が一日何枚か入って来る。
このようなご丁寧な習慣はきっと日本だけではないだろうか。


私は一年の内で12月がいちばん嫌いである。
何故なら人の死の便りに多く接するからである。

107歳で祖母を亡くしましたのお知らせにはよくぞ生きましたね、すばらしいの言葉をかける。
若い頃いろんなことを教えてくれた先輩の死には、あれだけ酒飲んでいて79歳。先輩やっぱり東京から離れてよかったね、と声をかける。

若い頃ハイミナールという睡眠薬中毒で一日中ラリって煙草の火を体中につけていた後輩が66歳で死んだ。私は睡眠薬をやる後輩を治させるために何度もその身を拘束した。
いつ死んでもおかしくないような男だったが一人の女性と知り合いハイミナール中毒を克服した。オイ、実はオレは今睡眠薬を飲まないと眠れない不眠症だと葉書に向かって苦笑する。

人生とは皮肉なものだ。
後輩や仲間をハイミナール中毒から守るために泣き泣きヤキを入れていたのに。
私は私にヤキを入れなければならない。後輩ほど可愛い者はいない。後輩を守るためにどれだけ体に傷を残しただろうか。

12月のポストにはBARやクラブのXmasパーティのご案内が入って来る。
むかしはよく顔を出したものだがこの頃は殆ど行かない。

今年の12月のポストには政党の葉書が入って来る。 
1214日赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日に投票がある。
エイエイオーと討ち首をあげる者あれば、奮戦するも討ち死にした者のドクドクと流れる血の音がするはずだ。武士は大義に生き、大義に死ぬ。
大義なき選挙で職を失った人の葉書はきっとお正月に来るはずだ。

♪〜もういくつねるとおしょうがつ。
生きている内に年賀状書きを始めねばならない。ポストほど人間のドラマが入って来るところはない。手書きで書かれた文字ほど人に伝わるものはない。

2014年12月8日月曜日

「絶対売れない本」




今日128日は真珠湾攻撃をした日。
またジョン・レノンが銃弾に倒れた日。

こんな縁起でもない日に、私が書いた本の見本が届きました。
私らしいといえばとても私らしい日です。

1220日ごろから書店に出るそうです。
とりあえずご報告をさせて頂きます。
出版社は経済界、値段は1300+税です。

2014年12月5日金曜日

「師走なり」




全速と喘息の関係は何もない。

ただ私が乗った東京発小田原行の湘南ライナーが全速でレールの上を走っている間中、私の隣に座っている男がひどい咳き込みだったのだ。

湘南ライナーは東京→品川→大船→藤沢→辻堂の順に停まる。
新橋、横浜、戸塚は通過となる。

「キリンのどごし生」と細切りチーズとつま味サラミを持ったその男は40才位だろうか、ゴホン、グフォン、ガァフォン、ギャホンをずっとしながらビールを飲み、サラミをかじり、細切りチーズを口に入れる。
と同時にまた、ゴホン、グフォン、ガァフォン、ギャホンを繰り返す。

湘南ライナーは全席指定のため移動できない。
男はじっと目を閉じながら同じ動作を繰り返す。
間は隣で同じ動作をされるとイライラが生じ、イライラが凝り固まり、気が付くと自分が制御できなくなる。自制心との戦いとなる。
日経トレンディという月刊誌を持っているところを見ると堅気の会社員なのだろう。

ゴホンと来たら龍角散というコマーシャルがあった。
のど黒飴になんで瀬川瑛子が出ているのだろう。などと思いつつ気を紛らわせる。
グフォン、ガァフォンときたら、イソジンでうがいをとか、金太郎飴を思いつつ気を散らす。ギャホンときたら列車は大船に滑り込んだ。
ど、ど、どっと男は日経トレンディを目の前の網の中から引っ張り出し下車して行った。

私は自分がずい分と我慢強く大人になったことを知った。
自制心がこの歳になってやっとこさ効いて来たのだ。
あのヤロービールを飲み放し、チーズの細切りとつま味サラミは食べ放し、空缶と空袋を編みの中に突っ込んで下車しやがったのだ。全速で出て行ったところをみると、喘息じゃないなと思った。
 ノドチンコにきっとチーズの切れっ端とかがへばりついていたのかもしれない。

 やっと新聞を読む気になった。
自民党単独で300議席超、民主東京124敗と大見出しが目に突入してきた。ファクションと大きなくしゃみが出た。どこかで誰かが私の噂をしているのかもしれない。

これを書いているのは125日午前三時五十一分三十七秒だ。
午前四時からキラリトギンザ3oluha(オルハ)ショップを取材してくれたのがON AIRされるからだ。室外機がイカれて暖房がつけられない、足元がかなり寒い、雨がポットン、ポットンと落ちている。月日は全速で走り過ぎていくのだ。
師走とはよくいったもんだ。

2014年12月4日木曜日

「ダウンの価値」




大先生がいいました。
実業界にとって「景気」というものは、ボタモチのようにタナから落ちてくるもんなんですね。だから彼等は今日もまた一生懸命タナの上を見ますよ(故東大名誉教授、大内兵衛)。

トリクルダウンという言葉がこの頃あちこちのニュースに出てくる。
早い話1%のお金持ちがもっとお金持ちになれば、全然お金持ちでない人々におこぼれが落ちてくる、それにより景気は良くなるんだよという経済用語らしい。
当然私はお金持ちでないのでタナからボタモチが落ちてくるのを待つようにずっとタナの上を見ているのだが。
 実業界というか経済界はせっせ、せっせとタナの上の権力に献金をしている。
赤組が権力を握ると赤組へ、白組が権力を握ると白組へ。右往左往する。

バカ者、トリクルダウンじゃねえ、トリプルダウンだと怒る人は世の中を真当に生きている人々だ。実質給与ダウン、年金もダウン、円の価値もダウン、ついでに国債の価値もダウンだ。

最良の羽毛ふとんに使用されるのは良質のグースダウンなのだが、明け方に見た通販番組「カイモノラボ」で、ある安物の羽毛布団に“ハンガリー産ホワイトダックダウン”85%と内容表示がされていた。なんだいこりゃと大声を出してしまった。

この際ハッキリいわせてもらうと、一万円台、二万円台、三万円台、四万円台、五万円台などの羽毛布団に最高品質なものは絶対にない。
臭い、汚い、ダニだらけ、長持ちしない、羽毛出が多い。
名ばかりのダウンは使う人の睡眠の価値をダウンさせる。

なんだかダウンばかりの話となってしまった。
ダウンが評価されるのは最高品質の羽毛ふとんとプロボクサーだ。
相手をダウンさせKOすればボクサーの価値は上へ、上へと上がる。
ボクサーにタナからボタモチはない。タナの上を見るようにアゴを上げれば相手のパンチを受けるからだ。

現在実業界、経済界のリーダーたちはタナの上を見上げてアゴはガラ空きだ。
きっと強烈なパンチが、バチン、バチン、バチンと当たり、リングの上にダウンし転げ回るだろう。栄光あるSONYのマークが、かつての本社ビルから取り外されていた。
ダイエーの名は消える。“どういうわけかキリン”といわれたガリバーキリンが時価総額でサントリー、アサヒに抜かれ第三位となってしまう。
大ヒットを連発したキリンビバレッジはな、なんと赤字となってしまった。

一度ダウンしたブランド価値が再び上がった例はこの国では殆どない。
キリンブランドに大恩ある私にとって悔しく、つらく、かなしい。
そんな記事を読みながら飲むにはいつものグラス気分にならない。
で、湯のみにヤケ酒を注いだ。どういうわけだキリン。
経済誌ZAITEN今月号にサントリーいよいよキリンを手に入れるかと、真冬の悪夢の様な記事が書いてあるとか、急ぎ取り寄せてもらっている。

2014年12月3日水曜日

「静かにしろい」




鳥には何の罪もない。
あの野郎は蝙蝠(こうもり)みたいな奴だから気をつけろ。
あの野郎は鵺(ぬえ)みたいな奴だから気をつけろ。
あの野郎は廊下鳶(とんび)だから気をつけろ。
あの野郎は烏(からす)みたいな奴だから気をつけろ。
など人から嫌われる人間を表すのに何故か鳥類がその表現として使われる。

人間が群れをなす社会とか会社にはこの鳥類が飛び回り、走り回り、逃げ回り、隠れ回り、漁り回る。この鳥類たちに気を許したり、心の内をさらけ出したり、内緒の話をしたりするとあっという間に話に尾ヒレがつき、あっちこっちに話がこぼれ回る。

メダカみたいな話は巨大魚となり、小石みたいな話は巨岩となり、小さな波紋は鳴門海峡の渦巻きとなる。あの野郎とっ捕まえて嬲(なぶ)り殺しにしてやると被害にあった人は怒気と憎しみを口走る。

「嬲」という文字を見れば分かる通り、世の常として許されざる男と、許されざる女と、許されざる男が見えざるところで人を陥れる。だから「嬲」という文字が生まれたのだろうと私は思うのだ。

ある業界では秘密はベッドの中から一番流れ出るという。
大会社を潰すのには刃物はいらない。人事、人事、人事の噂を流せば内部からガタガタになるという。

ある店の小上がりの部屋で数人の男たちが熱気を放出して会社の人事話をしていた。
ウルセイ蝙蝠と、ゴッツイ鵺と、キョトンとした鳶と、やたらに改革だを連発する烏野郎が会社の秘密を大きな声で話していた。一人の男が突然、俺は是々非々だといった。
何がゼゼヒヒだと他の人間から集中攻撃を受けていた。

静かにしろいと私が怒鳴ったら、一同シュンとなってしまった。
あんな奴等にも会社はちゃんと給料を支払っているのだ。馬鹿な男たちでここだけの話だぞといっているのに、背広の上着に会社のバッヂをつけていた。
誰でも知っている有名な会社であった。私と友人の後をゾロゾロと出て行った。

2014年12月2日火曜日

「最強の武器とは」



地球に人類が誕生し、群れて集団を形成した時から人類の歴史、ヒト、人間の歴史は裏切り、寝返り、密告、権力闘争の歴史であった。
古代から現代に至るまで人間と人間は終りなき争いの中にいる。
人類平和を願うがそれが叶うことは永遠にない。 

12月1日、高倉健さんに次いで菅原文太さんが81才の生涯を終えた。
彼の演じた広島のヤクザ戦争の主人公は、東映の生んだ映画史の中でも特筆すべき映画「仁義なき戦い」シリーズの主人公であった。

この映画が何故ヤクザ映画なのにあらゆる階層の人々から絶大な支持を得たか、笠原和夫の生々しい言語が銃弾のように飛び交う、過去に例のない脚本、深作欣二監督の斬新を極めた演出、鮮烈な音楽、この映画の中でえぐり出されたのは、正に人間の深層心理劇であった。
 
人間は弱い、人間は汚い、人間は恐く怖ろしい。
人間は裏切り、寝返る。人間と人間は金と権力と縄張りと利権を巡って非情なまでに殺し合う。

この映画は実話を基にしている。
中国新聞はあらゆる脅し、脅迫、暴力、襲撃に負けず、暴力許すまじと新聞に記事を連載し続けた。その記録は「ある勇気の記録」として残っている。確か菊池寛賞を受賞した。

菅原文太さんが演じる、広島呉の組長が獄中でそのヤクザ戦争について手記を出した。
昨日の友は今日の敵、敵の敵は味方、大都市の巨大な組織と地方の組織との意地と意地のぶつかり合い。仁義なき戦いの中で、その仁義を信じ人を殺し、殺される若者たち。
私は日本映画史の中でベストワンといっても過言ではないと思っている。

事実ある調査によると、日本人が選ぶ映画ベスト10に於いて。
1位「七人の侍・黒澤明監督」の次の2位に選ばれている。ベストテンの中に2作選ばれている監督は、深作欣二さんしかいない。もう1作は「蒲田行進曲」だ。

仁義なき戦いシリーズ第1作に、確かこんなやりとりがある。
刑務所から出て来た菅原文太に、組の若頭はホテルのベッドの上でポツンとこういう。「オレはよォ、毎日夜になると堅気になろうと思うんじゃ、だがよ朝になってよォ、若い者たちに囲まれると忘れちまうんじゃ」この若頭には赤ん坊ができていた。
菅原文太演じる呉の組長はこういう。「ヤクザ者がよォ、そげな弱気を持ったら危ないじゃけん。身引いて堅気になりなよ」と。
二人は若い頃からの仲間同士だった。若頭はその後襲撃され、殺される。
終りなき仁義なき戦いのはじまりであり、その戦いは広島の軍港呉から広島へ、そして日本中が抗争の渦の中に入っていった。

今日122日、大義なき解散による衆議院選挙の火蓋が切って落とされる。
全国津々浦々で仁義なき戦いが公式に始まる。この戦いに最大な力を発揮するのは一票を投じる国民だ。この一票はどんな武器よりも強い。
信条、思想は自由、棄権という逃げを打ってはいけない。どこかに必ず一票を。
(文中敬称略)

2014年12月1日月曜日

「恐い泣き虫」


私が現在に至るまで映画を観たあと号泣した映画は、小学生の時に観た「綴り方教室」と、大人になって観た「砂の器」だ。その映画を観た映画館が、12月末をもって閉館するという。
 
新宿歌舞伎町にあった「ミラノ座」だ。日本最大の客数を誇っていた座席数は1000席超だった。同時にミラノ1・2・3、シネマスクエアとうきゅうの4館も閉館する。
60~70年代映画を見に行くといえば歌舞伎町であった。新宿プラザ、新宿名画座、歌舞伎町東映、歌舞伎町日活。洋画の大作からヤクザ映画、ロマンポルノ、ピンク映画、学校の先生から歌舞伎町は不良の行くところだから決して近づくなといわれた。

ミラノ座と新宿コマ劇場の間に大きな噴水があった。
それを取り囲むように様々な娯楽施設があった。当時は不良全盛時代、中でも愚連隊全盛時代であった。噴水の周りにはビッシリ決まったファッションの愚連隊が勢揃いしていた。

その中のリーダー的先輩と「砂の器」を観た。松本清張作、野村芳太郎監督、音楽は芥川也寸志。主演加藤剛と丹波哲郎、有名になった人間の過去、血の歴史、差別をされていた不治の病、国を追われ巡礼となり流浪する父と子、宿命と運命を奏でるオーケストラの曲、ピアノの激しくも哀切な音、愚連隊のリーダーも私もあるシーンから泣き放し、終わってからも泣き放し、通路のソファーでも泣き放しであった。恐いはずの先輩も私も泣き虫だった。

その後現在のアルタ、むかしの二幸裏にあった「三平食堂」という洋食屋で三平ランチをおごってくれた。ラグビーボールのような形をしたライスに波の形があった。
オイ、ライスは少し残すのがマナーだからなと先輩はいった。二人ともフォークにライスをのせるのにすごく手間取った。恐くて泣き虫の先輩はその後外科医となった。

映画にはいろんな思い出がある。恐い先輩は三平ランチでビフテキを切ったナイフを人の命を救うメスに替えたのだ。