ページ

2021年3月28日日曜日

つれづれ雑草「私の花見大会」

ヤァ~イ、ヤァ~イ、ザマーミロ。コレミロ、アレミロ、ソレミロと昨夜は花見三昧だった。それも独り占めだ。コロナ禍が第四波に向っている中でも、日本人は花見にどっと出る。私はゴディバのチョコをチョコッと口にしながら、奈良・吉野山、京都・大覚寺、埼玉・幸手権現堂桜堤。東京・目黒川、北の丸公園、池上本願寺。岩手・北上展勝地。福島・三春滝桜、会津若松鶴ヶ城。石川・金沢城。青森・弘前城と花見する。各地の桜は美的言語となり、無常を語りかけ、儚く、切なく、散り去り花筏となり、桃色の風となる。私の深夜の花見大会は天才・中野裕之監督が八年の歳月をかけて、日本中の自然美を映像作品としたピース・ニッポンで見たのだ。小泉今日子さんと東出昌大さんの解説付という贅沢さだ。ザマーミロ、コロナめなのだ。私の好きな決め言葉の一つに、故萬屋錦之介が演じた「破れ傘刀舟悪人狩り」というドラマの中で言う、てめえら人間じゃねえや! 叩っ斬ってやる!というのがあった。今の世の中は、そんな言葉を放ってブッタ斬ってやりたいことばかりだ。地球規模で悪事千里を走るなのだ。ある賢人は全てを疑えと言っていた。中野さんの作品を見ていて、信じられるのは自然の永遠なる営みだけだと思えてしまう。「明日地球が滅びるとも今日リンゴの木を植える」そんな言葉を書き残した人に会いたかったと思う。マスクをしながらお産をしたという話を聞いた。このまま人類が進化していくと、マスクをしたような赤ちゃんが生まれるかも知れない。不気味なオリンピックの聖火リレーを見ていて、駄ジャレが浮かんだ。聖火死か昨年お世話になっている歯科医の方の独立記念に、2枚のポスターを制作してプレゼントした。一枚のキャッチフレーズは、生か歯科。もう一枚は、歯医者復活戦であった。先生もスタッフも大ヨロコビで、現在もバ~ンと待合室にある。歯医者さんは全国に約6万、コンビニが約4万5千位、むかしは歯医者さんがいちばん儲かると言っていたのだが、今は次々と閉じている。正に2枚のポスターで表現した通りなのだ。自然の美しさ以外は、すべてを疑えなのだ。「ブラック・リスト」という海外ドラマシリーズ(シーズン「7」まで見ると一ヶ月以上かかる)を見ると、何もかも信じられない。すべての事が悪事千里を走るなのだ。コロナウイルスもきっと人為的に作られているのだ。そしてワクチンで大儲けする奴等がいる。今、米中激突となる、あるいは日米韓EU vs 中露北朝鮮の構図となっているが、中国という人海戦術の国には勝てないだろう。物事を100年単位で計画実行する中華思想は、その場その場主義では制することはできない。世界中どの国にも、大なり、小なりチャイナタウンは必ずある。つまり情報の陣地があるのだ。ついこの間まで何も無かった海に、今では飛行場まで埋め立て作られている。もっとも、ブラック・リスト的に見れば、米中は密かに握っているのだろう。あ~嫌だ嫌だ、せっかく中野さんの作品を見てクリーンな気分になっていたのに。佐賀出身の柔道家古賀稔彦さんが53歳で亡くなった。三四郎もタチの悪い癌には勝てなかった。残念無念だ。古賀稔彦さんの一本背負いほど美しい勝ち方は、もう出ないだろう。先日全日本剣道選手権をテレビで見ていたら、な、なんと選手たちは防具の中にマスクをしていた。剣道の一本は気合いの入った掛け声がないと認められないという。昨日は昼から朝まで映画漬け。まずはドキュメンタリー映画「ファッションに教えられて」映画「プラダを着た悪魔」の主人公のモデル、ヴォーグの伝説の編集長アナ・ウィンターのドキュメント。アナは絶対的な存在いわば教皇であったという。決断の達人、名人、超人であった。人間の価値は決断力に出る。「閉鎖病棟」を見る(三度目)。鶴瓶師匠は実にすばらしい演技派だ。河瀬直美監督の「朝が来る」。その演出力と編集力に、改めてその才を認める。河瀬作品の中でいちばんいいと思った。「許された子どもたち」という映画は、監督も出演者もすべて知らなかったが、秀作だった。現在の少年法、少年審判の在り方に対して、問題を提起している。友人殺しの悪ガキも、ヤル気のない審判(少年は裁判でなく審判)のおかげで、無罪放免となり更に悪ガキになって行く。監督は内藤 瑛亮さんだった。注目すべし。みなさん花見は中野作品でしてください。そして外は明るくなりつつある。今日は日曜日だ。もう二本見ることにした。ずっと昔の西部劇の名作「リバティ・バランスを射った男」。ジョン・フォード監督の作品。主演は当然ジョン・ウェインだ。ジェームズ・スチュアートとリー・マーヴィンが共演する。真実と伝説とどちらが大事か、小さな町で新聞記者たちは……。主題歌はバート・バカラック作曲、ジーン・ピットニーが歌って大ヒットした。(映画の中では使われていない)悪役を演じた、リー・マーヴィンはこの映画で大スターへの道を進むこととなる。今の日本に真実はあるや、なしや。もう一本は今村昌平監督作品、カンヌ映画祭の最高賞受賞作「うなぎ」だ。何度も見ているが、好きな作品だ。夜釣り好きの平凡な会社員が、その日いつもより早目に釣りを切り上げ家に帰ると、妻が男とヤッテはいけないことをヤッテいる。男は台所の出刃包丁で男を傷つけ、妻を刺して殺す。殺人犯となり八年で条件付の仮出所して、刑務所で習ったと思う理髪を活かし店を出す。うなぎは刑務所内で育てていたもので、出所の時に持たせてもらったのだ。さて一度血を知った人間は……。すっかり朝が来ていた。(文中敬称略)




2021年3月24日水曜日

つれづれ雑草「眠れぬ夜のあれこれ」

「友よ答えは風の中を舞っている」。ボブ・ディランは歌った。午前三時三十三分二十四秒目覚し時計を見る。午前二時過ぎにゴロンと横になったが、答えは次々と脳内で飛ばされ、散々に砕け去っていく。連日の打ち合わせが困難を極める。久々の経験、私は打ち合わせは最長2時間位と決めて来た。プロが2時間かけていいヒラメキが出ないはずはない。私に才能がないのだ。新しい話を振られた時、直感がほぼ決める。眠れないので今村昌平監督の映画を見る。「赤い殺意」。五社英雄監督が東宝ではじめてヤクザ映画を撮った「出所祝い」を見る。高橋竹山の津軽三味線が荒海に流れる。五社英雄監督独特の情念の世界がある。文学作品のようであった。確か少年の頃に荻窪東宝で観た。「赤い殺意」は何度見てもすばらしいの言葉しか見つからない。夫の出張中、空巣に入られて犯された主婦が、日々定規で計ったような生活の中で、肉体の中に隠れていた性を、空巣に呼び起こされ目的地のない逃避行へと向う。夫に抑さえつけられて来た女性には、理性も知性もない。あるのは本性である。すっかり目が覚めた。薄いコーヒーを入れてパウンドケーキを食べる。脳内が答えを求めてクールダウンしないのだ。それじゃ歌でもと聴く。北原ミレイ「石狩挽歌」「ざんげの値打ちもない」、天才なかにし礼と天才阿久悠の詞が凄い。長山洋子の「じょんから女節」。大好きな三味線の大競演だ。ちあきなおみの「紅とんぼ」、郷鍈治との死別以来プッツリ歌を消している。美空ひばりと同じ位、すばらしい歌唱力だ。矢吹健の「うしろ姿」「あなたのブルース」、次に仲宗根美樹の「川は流れる」。これも大好きな曲だ。北島三郎「風雪ながれ旅」、国宝級にすばらしい。美空ひばりの「ひばりの佐渡情話」、もう神の領域だ。守屋浩の「僕は泣いちっち」。そしてケイ・ウンスクの「すずめの涙」、松島アキラの「湖愁」を聴いた。すっかり一時間が経った。次にモダンジャズを聴いた。マイルス・デイビスのドキュメント映画だ。圧倒的な音がケーキを二つも食べさせた。眠気がやって来ない。明日は大切なことがあるのだが、クールダウンしない。 帰っちゃいやと いえないあたし 今夜もくるとは いわないあなた ああ うしろ姿は他人でも ゆうべのあなたは あたしの あたしの あたしのもの……。スリルとサスペンスのないマスク生活は、感性を失ってしまう。黒木憲の「霧にむせぶ夜」を聴く。この曲はいい。霧にむせぶ今の自分を現している。今、この国に答えは舞っていない。先進国で幸福度40位程度の国なのだ。あ~五時を過ぎた。ブルース・スプリングスティーンを聴きはじめた。ミッキー・ローク主演の「レスラー」の主題歌は最高だった(ゴールデングローブ賞でオリジナル歌曲賞を受賞)。作品は主演男優賞と助演女優賞にノミネートされた。このところいい映画を全部見落としている。 涙じゃないよと 言いたいけれど こらえても こらえても まつ毛がぬれる 君より切ない この俺なのさ だから笑顔が ほしいのに さようならが さようならが 霧にむせぶ夜……。花に嵐にたとえもあるぞ さようならだけが人生だ。こんな言葉を思い出す。春はさようならと、こんにちはの季節だ。まだまだコロナの風が吹く。それでも友よ Go Ahead 前へ向って進んで行こう。人生とは終りのない永遠の戦いの道修羅道なのだ。全然眠れないが、相当にいい夜だった。西田佐知子の「灯りを消して」。思い出深い曲で、あの日、あの夜、あの言葉を思い出した。荻窪の教会通りにある「角笛」というBarだった。(文中敬称略)

故人の名は生前のままである。



2021年3月20日土曜日

つれづれ雑草「勝負はこれからだ」

昨夜そのシーンを何度もプレイバックして見た。過去に見た「イノセント・デイズ」というドラマである。故竹内結子、妻夫木聡主演の作品だった。女性死刑囚役を演じていた竹内結子の細い首に、死刑執行の太い縄がかけられた。しっかりとかけられていた。よくこの役を引き受けたなと思った。竹内結子が自死したというニュースを見た時、驚きとともにそのシーンを思い出した。妻夫木聡は幼なじみで、ずっと竹内結子が演じる、主人公を想っていた。月日が経った時、殺人事件を起こした事を知る。絶対に人を殺す訳がないと必死に調べていく。そして無罪だと確信するが、主人公は虚無の状態になっていた。面会をして励まし続けるが、やがて確定死刑囚となる。今思うとその映画の台本を読んだ時、竹内結子は自死を考えていたのではないだろうか。演技の中で、予行演習をしたのではないだろうか、そう思えてならない。人の心の中の闇は、顕微鏡でも何も見えない。26年前私が突然不眠が続きうつ状態になった時(蓄積疲労症候群)、担当の医師が奥さんともう一人身近な人を呼んでくださいと言った。私は会社創業時代から一緒の人間に来てもらった。二人は医師と話をして出て来た。私が医師から自殺に気をつけろ、と言われたんだろうと言ったら、そうですと言った。私は私の中の闇が見えていなかった。猛烈以上に働きまくっていたが、頭と心と体は疲れ切っていたのだ。もうアキマヘン助けてくれと叫んでいたのだ。今、小、中、高生とか、20代の男女の自殺が急増している。コロナ禍が影響していると言うが、果してそれだけだろうか。幸い私は知人や友人、会社の人間のおかげで今日まで生きている。ある事象が起きた時、そういえばあの日、あの時、あの言葉、あの態度、あの後姿がというのがある。今、私の周りにはそんな気がしてならない人が多い。だからあえてこうして書いて、嫌な気配を消したいと思っている。生ある者は必ずいつか死ぬ。必死だ。あ~もう駄目だ。あ~もう嫌だ。あ~今日も夜が怖い、また眠れないから。私はしぶとくなれ、図々しくなれ、自分本位になれ、死ぬまでは生きろと言いたい。借金も財産の内という。聞き直れよと言いたい。心配は尽きない。遠くから近くから、妙な事象がないかを気をつけている。大人は子どもたちを守らなくてはならない。何気に発したひと言に気をつけよう。きっと初恋の女の子だったであろう、主人公の竹内結子を守れなかった妻夫木聡役の男は、きっと生ある限り重荷を背負って生きて行く。能の世界に「恋重荷」というのがある。菊を愛好する白河院の庭で、菊の手入れをする一人の老人が、白河の女御を見て恋心を持つ。女御は老人に私を想うなら、恋の重荷を持って、御庭を百度、千度も廻るならば、今一度、姿を見せようと臣下に伝える。男は必死に恋の重荷をと挑むが持つことができず疲れ切り、そして果てる。子どもたちの悲しい死の裏には、初恋の重荷がきっとある。特に中・高生には気をつけよう。まい日嫌な事件ばかり、汚い事件ばかり、信じられない事件ばかり。さらにぞっとする事件だらけだ。人間が最も危険なウイルスになっている。私たちホモサピエンスが、ネアンデルタール人を絶滅させたのは、狂暴なネアンデルタール人より、悪知恵を身につけたからだろう。私たちの遺伝子の中には、ネアンデルタール人のものがしっかり残っているらしい。その遺伝子はコロナウイルスに敵対してくれるとか。ホモサピエンスは一人ひとりじゃ弱くて、ネアンデルタール人に勝てないので、悪知恵を出し合い、集団でネアンデルタール人を殺していったようだ。今、ホモサピエンスはSNSという狂暴な武器を手にして、ネット上で殺りくをしている。小・中・高生、20代の男女の自死の裏にネット上の見えざる暴力があることは言うまでもない。テメエラを引きずり出してブチ殺してやりテェ。そういう時代なのだ。いつの日かそれが許される法律が出来るかもしれない。武士社会に仇討ち法があったように。正常な人間であれば、人間は大なり小なりうつ状態を経験する。医学的には責任感が希薄な人間と、夢も希望も持たない、アンチロマンチストや、現実主義者はならないらしい。私が食を得ている世界のトップリーダーである、天才二人が酷い状態になっている。一人は中島信也さん、一人は佐々木宏さん。クリエイターとしての功績は計り知れない。多くの人材も育てて来た。比類なき才能と言ってもいいだろう。テレビを見ていると同じ業界人として実に悔しい。いろんな事情も分かるし、いろんな背景も分かる。人間は成功するが、失敗もする。日本人の悪い所は人の残して来た功績や貢献を、瞬時にして忘れ徹底的に叩きまくる。そして敬意を忘れる。お二人にはこれからもいいクリエイティブを世に出して欲しいと思う。何しろ世界中のクリエイターが認める比類なき才能だから。勝負はこれからだ。(文中敬称略)



2021年3月13日土曜日

つれづれ雑草「薄切りの男」

日露戦争の時、二〇三高地の激戦があった。乃木希典将軍が率いる日本軍は、無策を極めただひたすら高地を目指し、ロシア軍の機関銃の餌食となり、次々と、続々と、バタバタと討ち死にした。作家司馬遼太郎は乃木希典を余程好まなかったのか、痛烈にその無策ぶりを書いた。元帥大山巌はこのままじゃイカンデゴワスと、陸軍の至宝といわれた児玉源太郎を戦地に行かせた。野球でいえば、先発投手乃木希典がメッタ打ちにされて、投手交代となったのと同じだ。リリーフに立った児玉源太郎は、現地に着き怒り心頭となった。指揮官たちは前線からずっと離れた安全地帯にいたからだ。バカ者戦況が見えずに作戦が立てられるかと、怒られた連中は伊地知たちである。乃木と児玉は長州、大山、伊地知たちは薩摩である。天皇も心配した戦いは、リリーフ児玉の作戦遂行によって、あっという間に終った。児玉は機関銃の陣地に大砲をバッカンバッカンと打ち込んだのだ。災いのもとを断つこの極めて単純明快な作戦を大号令をかけてやった。乃木希典は明治天皇の崩御とともに、妻と自死して軍神となった。私はコロナ、コロナの今、この二〇三高地の事を思う。次々と、続々と、バタバタとコロナは拡大する。国家の大将とその部下たちには作戦立案能力がない。その下の部下たちには、さらに能力がない。二〇三高地の指揮官たちが、失敗の罪をなすり合ったように、同じ失敗を繰り返す。敵のワクチンはブラジル型とか、イギリス型とか、アメリカ型、南アフリカ型と新兵器で攻めて来る。その間、文春砲なる爆弾が大将とその息子、息子の会社、それを管轄する総務省に着弾、さらに大将のお気に入りのくの一広報官(女忍者)にも命中、さらにさらに、NTTの親方にまで命中した。ドンペリあり、シャトーマルゴーあり、牛肉のしぐれ煮(お土産)からアワビの姿焼き、海鮮フル料理、超貴重な牛肉のステーキなどなど。タクシー券まであって、もう演歌チャンチャカチャンの大騒ぎだ。どーして文春はこんなに詳しいのか、調べろとなっているはずだ。答えはカンタン、いちばん身近だった人間が、週刊文春にリークしているのだ。ちなみに銀座の超一流クラブで、ドンペリだ、シャトーマルゴーなんてコースは、一人七万円なんてありえない。座っただけの値段だ。Tチャージ、Cチャージ、Sチャージと一人ひとり変わる女性の分だけ、チャージは加算されていく。これが銀座の掟だ。さらにアフターチャージとなると、もう私でも想像がつかない。ペヤングソースやきそばにブルドックソースと、紅しょうがをかけて食べながら、ずっと昔の(バブルの頃)銀座の夜を思い出した。二〇三高地は高級将校の頭の中では勝っていた。第二次世界大戦も同じだ。2021年の文明社会において、この国には注射器がないという。日々色違い柄違いの派手なマスクのワクチン担当大臣は、コロンコロン言う事が変わる。おそらく現在の陣立てでは、コロナ戦争は大敗北となるであろう。国家の大将が大胆に総取っかえの器量が必要だ。(自分も含め)経験豊富なリリーバーが必要なのだ。野党の力を借りる位の器量も欲しい。午後八時四十分発品川駅から湘南ライナーに乗車すると空席は少ない。オッあったと座る。そこには牛タンの袋詰めをつま味に、缶ビールを飲んでいる、オッサンがいた。これが臭い。ペチャクチャ噛む音が気になる。牛タンは仙台で食えと、ノドまで声が出かかる。品川駅では五分ほど停車する。席を変るかと見渡すと、街中では飲めない、食えない人々が、我こそはと飲みかつ、つま味 or 駅弁などを楽しんでいる。私にとっては地獄列車であった。牛タンはこれ以上薄く切れないというほど薄切りであった。男のスマホの画面にはマンガが映っている。窓側の男の左足が、私の縄張りに広げて入って来たので、踏んづけた。そしてニラミを効せた。警察用語でニラミというのがある。取り調べで調書をとった人間が、裁判所で私はやってませんと言わせないために、法廷に入って来た容疑者にニラミを効かせるのだ。暗黙のオドシである。にもかかわらず、取調べが拷問みたいにキツくてやってないのに、やったと言いました。こう言われると、大失態で出世は出来ないことになる。本来国家権力にニラミを効かすべき、大マスコミは、たっぷり国家にゴチ(ごちそう)になっていて腰抜けとなっている。薄切りの牛タンみたいに、ペランペランのヘナヘナだ。男は実はもう一つ薄切りを持っていた。タコ酢の薄切りだった。これが鼻にツーンと来た。ロボットが切ったのだろう。これ以上なく薄い。タコの肉感はなくやはりヘナヘナヒラヒラであった。もう一度左足を踏んづけたが、すでにいい気持ちになっていて無反応だった。列車は横浜駅を通過していた。(文中敬称略)




2021年3月5日金曜日

つれづれ雑草「アチコチ、コチコチ」

二月二十八日、日曜日。辻堂東京上野大宮仙台岩手角館大曲秋田へと往復日帰りの旅をした。否、旅とはいえない。一つの仕事を得んがための下調べである。過日の地震がなければ、東京秋田は八時程であるが、途中徐行運転のため、往復で二時間過算された。新幹線の中はガランガランであった。写真を撮ってくれるいつもの人と二人であった。秋田は寒いと聞いて余分に服を着ていたが、これ以上ないいい天気で、小春日和であった。ずっと座っていたのでオシリが痛い。腰はパンパン、両足はシビレていた。秋田駅に着き、まずは珈琲を一杯。目的地は二ヶ所そこへ行きすぐにアチコチを調べ、写真を撮ってもらう。体中のアチコチが、コチコチになっているのを感じる。秋田はかつて勇将と言われた、佐竹義宣の領地であった。豊臣秀吉に支えていたが、関ヶ原で敗れ家康に支えることになる。もとは常陸の国の領主であった。義理堅く、筋道を通す。豊臣秀吉の恩を忘れぬ戦国武将であった。勝利者となった徳川家康は、裏切り、寝返りが常となっていたその時代において、我が徳川にもこれほどの武将はいないと、その命を大事にし秋田へ転封させた。佐竹20万石である。テレビCMに秋田市長の佐竹さんが、秋田産の「龍角散」をPRしていた。きっと佐竹一族なのだと思う。豊臣秀頼を守りつづけた。朝鮮出兵もした。後北条の城攻めの時、有名な「忍城」の水攻めも石田三成とした。徳川家康は佐竹義宣を高く評価した。敗者の誉れであろうか。一泊であれば、ハタハタでも、しょっつる鍋でもと思ったが、駅弁だけであった。列車の中から雪景色をずっと見ていると、気持ちが洗われた。家に帰り二時間ほど夕刊を読んだり、テレビのニュースを見た。その後三本の映像作品を見た。一本は、黒沢清監督が第77回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した「スパイの妻」。もう一本は「阿部一族」。原作は森鴎外、監督は深作欣二で、山崎努さんや佐藤浩市さんが出演している1995年の作品である。熊本細川藩50万石、その藩主が死ぬ。家臣たちは忠義の証しとして腹を切り殉死する。次々と殉死する。後を継いだ城主は、もうそんな世じゃない、これ以上の殉死は許さないと命じる。いつの世も同じ、足軽から武功を立てて先君に1000石まで出世させてもらった、阿部一族の主は何枚に腹を切らぬのかと噂する。現代社会でいえばネット上のイジメだ。新しい城主には大目付としてくせ者が付いている。現代社会では安倍政権時代の、現首相菅義偉である。くしくも菅義偉は秋田湯沢出身である。阿部一族はこの大目付によって策を張りめぐらされて、いよいよ悲惨な結末を迎える。いつの世も人の噂とは恐ろしい。人間とは嫉妬を栄養とする生き物である。「阿部一族」はシェークスピアの悲劇に似ている。菅義偉の腹心は岡山出身の加藤勝信官房長官であるが、これがまったく使えない。ヤクザ者の世界では、その組の若頭の器量を見れば、その親分がどれほどか分かるという。日産自動車を食い物にしたカルロス・ゴーンの、これでもかという横暴と、巻き上げたい放題の給料に対して、日産の社長たちは、恐ろしくて何も言えなかったと語った。カルロス・ゴーンはやっちゃえ日産とばかりに私腹を肥した。そのゴーン逃亡を企てた、アメリカ人親子が日本に移送されて来た。その手口は、ネットフリックスで見た、アメリカの連続ドラマ「ブラックリスト」の中の話に近い。逃亡のプロとしてきっと、ブラックリストに入っていたはずだ。このドラマを全部見るには大作業だが、とにかく面白い。そして世界はあらゆる悪者で成立していることを知る。義理も、人情も、忠義も、忠誠も、真心真実は何一つない。あるのは金儲けと権力争い。国家機密の売買である。一番の悪が恩義に一番厚いという、皮肉なドラマだ。つくづく人間とは厄介な生き物である。この「ブラックリスト」を見れば、新型コロナワクチンが、ある国のある者たちによって製造され、世に拡散させる。そしてワクチンを製造して大儲けをする。その仕組が分かる。現代社会においては、実にカンタンな遺伝子を使った、生物兵器によるテロである。人の不幸で誰が儲けたかで、それを知ることができる。一番先に上納金を得るのは、バチカンだろう。日本では陸軍731石井部隊が有名で、戦後製薬会社の多くに、石井部隊のメンバーが入社した。そして数々のワクチンを開発してボロ儲けをし、大きな副作用で不幸を生んだ。さて、あなたはワクチンを打つかどうか、アメリカではすでに1000人近くが、ショック死している。ちなみに私はお断りだ。いずれ死ぬのは必定、ワクチンなどで死んだら犬死だ。「スパイの妻」は蒼井優がよかった。映画そのものは、申し訳ないがそれほどでない。ステレオタイプである。憲兵の異常性が手ぬるい。韓国映画「共犯者」とは比べようがない。でも日本の映画界にとってはとてもいい受賞であった。人を信じるか、信じないか、それはあなた次第だ。都市伝説の呼び込みの決め言葉だ。現代社会はネットによる密告社会である。ワンタッチで、阿部一族が生まれる。ネット社会の野次馬根性者たちは、いいね! いいね! を求めてエスカレートする。やっちゃえ日産とばかりに。キャッチコピーとしては、一流の仕事であった。(文中敬称略)