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2023年5月27日土曜日

つれづれ雑草「盲亀流木」

旅の男には過去を聞いてはいけない。人間は一人ひとり背負うもの、思い出したくないもの、話したら命をかけなければならないものがある。ある旅を経た人を紹介してくれたのは、私の親愛なる男である。この男はあらゆる筋の人間と縁を結んでいる。その人脈は底知れない。いままで万金に値する人を紹介してもらった。その中の一人が銀座を捨てて密教の修行に入った。“想像を絶する厳しい修行”というありきたりの表現しかできない我が身がつらい。今では高名なお寺の住職となり、毎月一回タブロイド判の“◯△だより”が送られて来る。ご自身で書いて印刷されている。そこには毎号勉強させてもらう、仏教の教えといい話が書かれている。真白いアート紙に黒い活字の一文字一文字が、汚れた私の心を洗ってくれる。現在住職をするかたわら、高野山大学大学院に入り勉学にも励んでいる。過去に何があったかは聞いていない。第52号にこんないい話が書いてあった。「盲亀流木(もうきふぼく)〈有ること難し〉」大海に住む盲目の亀が百年に一度海中から頭を出し、そこへ木が流れてきて、亀がちょうど偶然にもその浮木の孔(穴)に出逢うという極めて低い確率の偶然性を表わす比喩譚。人間として生をうけることと、また仏法に遇うことの難しさをたとえる話とあった。人間として“有ることが難しい”「ありがとう」の語源なのですと書いてあった。私たち人間は偶然の中に生きている。生まれてすぐに命をなくす悲しい命があれば、99.9%命は危ないという中で生を得た神の子の命もある。117歳まで生きた命もある。それがよかったか否かは本人に会っていないので分からない。スポーツで鍛えた強烈な体を持つ金メダリストがあっけなく死ぬこともある。年に二回も入院して健康チェックをしていた健康オタクが、四十代でポックリ死んでしまう。なんでこんな話を書くかというと、私の恩人、知人、友人、親類縁者が、肝臓癌、子宮癌、胆管癌、乳癌、すい臓癌と闘っている。二十代から七十代まで。私には何もしてあげることができない。私は「盲亀流木」大海で流木の孔(穴)に出会った亀のように。どうか名医に出会ってと願うしかない。必ずセカンドオピニオンをと願うしかない。高名な大学の教授が名医とは限らない。現在の上皇の心臓を手術した教授は無名に近い人であった。私の友人の奥さんは、過食と拒食をくり返した。太っている時は80k以上、やせている時は30k台、その差50k、お金持ちだったので、有名大学病院を何院も訪ねて入院治療したが、原因はどこも分からずであった。どこで聞いたか山陰地方の大学病院の助教授を訪ねて入院治療をした。結果ウソのように治った。原因は教えてもらえなかった。患者は医師を選ぶ権利がある。米倉涼子主演の「ドクターX」ではないが、有名大学だから、お金持ちがいく病院だからで選んではいけない。私にはとても信頼している先生が二人いるので、その先生の命令に従う。これを書いている午前四時三十三分十三秒現在、眠ることはできない。原因が私自身の問題だからだ。外はかなり明るくなってきた。「ライトハウス」という映画を見た。モノクロフィルムで撮った最高傑作といっていい。ランボーの詩を映像化したみたいであり、ギリシャ神話の如くでもある。「ニューイングランド」の孤島にある灯台に、カナダで木こりをやっていた青年が、金を稼ぐために四週間働きに来る。そこには老人の灯台守一人しかいない荒れ狂う海、乱れ飛ぶカモメ、燃料に石炭を使う重労働、老人と青年とのうす暗い生活が始まる。食料を運ぶ船は四週間来ない。1881年頃に書かれた灯台守のマニュアルに従う。いままで見たことがない白黒の世界は宗教画のようでもある。二日続けてこの映画を見た。主演の一人が私の好きなウィレム・デフォーである。老人は言うカモメを殺すなと、海鳥は海の男の魂だからと。だがしかし青年は狂っていく。そしてカモメを殺す。そこに待っていたものとは。○╳一錠、○╳一錠、○╳一錠を服用した。朝刊がポストに入った音がした。読んでいるうちに少しは眠れるだろう。残念ながら酒はない。あの映画を見ていて思い出した。「盲亀流木」の話を。荒れ狂う波の中に亀はいたのだろうか。流木の孔(穴)に運良く入れただろうか。老人は言った。帆を操る海の男にとって、いちばん不運なのは、無風なんだと。人の命はすべて偶然に支配されている。神はいるのだろうか、信じる者は救われるのだろうか。灯台の光は海の男にとって神に近い。(文中敬称略)





2023年5月20日土曜日

つれづれ雑草「白い手袋」

とある男と、とある事で、とあるホテルのカフェラウンジで会った。五月十七日の水曜日、午後一時頃となると、広いラウンジは、オバさんたちでいっぱいである。とある話をするには、前後左右とにかくウルサイ。オバさんたちは、大声で話し、大声で笑う。マスクはしていない。開放感100%である。“ウルセイゾババァ”と心の中で思っているのは決して私だけではない。とある男は久々に会ったのだが、相変わらずオシャレであった。全体を黒でコーディネイトしていた。とある男と私はレトルトカレー10個分の値段のカレーライスを頼む。ドリンクのサービスがついているとのメニューを見て、アイスコーヒーをオーダーする。(食後に)とあるホテルはかなり有名だが、カレーライスは中村屋のレトルトカレー(中辛)のほうがずっとおいしかった。とある男との話に夢中になって、サラダを食べるのを忘れていた。オバさんたちの中にいる二人怪しい男は、とある芸能関係者とか、とある組関係者と思われていたかもしれない。とある男は先進のコミュニケーションの会社を経営している。ケチでチンケな男と違って、ずっとむかしから、仁と義を重んじている。かつて私の会社にて活躍してくれていた。私は、黒にグレーの文字が入ったパーカーを着ていた。外からは見えないが、腰にはぶ厚い腰痛バンドをしていた。舞台裏はすっかりジジイなのだ。とあるホテルのカレーライスは、CoCo壱番屋程度である。二十三、四歳の小柄な若いウエイトレスが、アイスコーヒーを持って来てくれた。顔にマスクはしていないが、両手には白い手袋をしていた。白い手袋で出されるアイスコーヒーは、劇薬のように感じた。私はマスクは外しているのに手袋はしているの、と言うとホントにかわいい顔をしていて、ハイと言った。彼氏と手を握るときは手袋を取るのと聞いたら、ハイ取りますと言った。とある男と私は、いいネ若い人はと言った。私の右斜め前に、六十代位の二人の男性がパスタを箸で食べていた。かなりつまんない顔をしていた。パスタと箸はイタリアへの侮辱だと思っている。寿司をナイフとフォークでみたいだ。やけにマッポ(警官)が多いなと思ったら、そうかサミット前であった。私たちのような業界の人間は職質を受けやすい。みんなトッポイかっこうをして、大きな鞄や袋を持っている。仕事で使うカッターなども持っている。G7サミットといっても、ルーズベルトやチャーチル、ドゴール、ヒトラーやムッソリーニに比べると、スケールが小さい。敵対する中国習近平に比べると、一軍と二軍位の差を感じる。我が国の岸田文雄プライムミニスターは、会社の接待部長みたいのように笑顔をふるまって、コマゴマ動いている。我々ビンボー人には関係なく、株価が高騰している。世界が日本を買い占めるのだ。ガラクタの兵器を増税によって買わされるのだ。とある男は、むかし懐かし、“鍋屋横丁”の和菓子の名品を持って来てくれた。中野坂上に住んでいる頃、自転車でナベヨコ(鍋屋横丁)にあった、小さな映画館によく行ったのだ。“横丁”なんていう言葉はすっかり消えてしまった。とある男との、とある話は、いずれ正体を現わす。正体といえば人はそれぞれ人には言えない、見せられない、とあるものを持っている。それは宿命であったり、運命であったり、宿や業(カルマ)である。とある歌舞伎役者は、天才的な才能と共に数多くの“とあること”を背負いつづけて生きて来た。それは死ぬほど辛いことであったのだろう。人間の心の闇は出口のないトンネルのようである。才能は凶器と同じで、磨けば磨くほど切れ味は鋭くなる。「子曰く逃げるが勝ち」と言う。とある趣味とか、とある愛人とか、とある過去は、誰れにでも少なからずある。はじめは処女の如く、あとは脱兎の如く逃げるのだ。誰れもいない荒野を裸足で走りつづけるのだ。“死んでやりなおせるものはない”生きて地獄の苦しみに耐える者にのみ、救いの手がさしのばされる。とある話をしている裏でG7サミットは、世界を軍拡への道へとひた走っている。ドサクサの中で日本では増税による軍拡予算が衆議院を通過した。軍需産業関係の株価はうなぎのぼりだ。核大国中国、インド、パキスタン、この三国を相手にG7は勝つことはできない。世界史の中で最も性悪の海賊国家、大英帝国の形を見ると、バリウム検査の時、胃の中に広がる黒い影とそっくりであった。とある話は純粋な青春の話だ。とある男とは、又なと手を振って別れた。鍋屋横丁の和菓子は格別にウマイ! それにしてもオバサンたちはウルサイ。人の命さえ奪ってしまう。(文中敬称略)


 








2023年5月13日土曜日

つれづれ雑草「山の中にて」

松本清張になったような気分である。奥多摩の御岳山その頂上近くの宿坊にて書いている。朝六時に自宅を出発して来た。山の天気は変幻自在である。憩山荘(いこいさんそう)にひと息つく。天気晴朗だったのが灰色になり、やがて黒々となり、ピカッピカッと光りドドーンゴロゴロと雷鳴が激しく私を出迎え雨がザザッと降り落ちてきた。雲に近いだけ雷鳴に迫力がある。推理小説の大家である松本清張のドラマだと、エリート官僚が浮気の相手である人妻を殺すために山の中に誘い出す。青梅線青梅駅、御岳山に登るケーブルが発着する滝本駅、そのケーブルから降りると、その先は急な坂道が曲がりくねる。人妻は指定された通りに行動して山荘を目指す。男は執拗な人妻の愛に我が身の行方の不安を積み重ねている。官僚にとって最大の関心はライバルより出世をして、肩書きが光り輝いていくことでしかない。そのためには利用できるものはすべて利用する。人妻は先輩の妻であり二人の関係が露呈すると男の家庭は崩壊し、出世どころかどこへとばされるか分からない。夫から逃避して情念の火がついた女性は、理性的であるほど激しく燃える。殺すしかない。あの場所であの方法で。宿坊の窓の外の墨絵のような幽玄的な風景を見ていると、なんだか気分が松本清張なのだ。コクヨの原稿用紙と万年筆がしばし作家気分にしてくれた。実態は自主映画制作のためのロケハンで来た。酷い腰痛なのでコルセットでがっちり固めている。プロデューサー、監督、マネージャー(小鳥のようにかわいい女性)カメラマン、メイキングを頼んだ仲間と一緒であった。超低予算の映画づくりは、みんなの支援金によって制作する。それ故いっさいの無駄はできない。この作品は私の遺作となるはずだ。グラフィックデザイン界の大巨匠浅葉克己先生に主役をお願いしている。相手方となる女優さんは私がぜひと願っている人、前向きに検討してくれていて、最終的には脚本を読んで決めますとのことである。もう一人鍵を握る男役には、イメージ通りの若い俳優さんが出演をしてくれる。撮影は九月を予定している。それまでは資金集めとなる。私の懐には残がない。寒風が吹きつのっているのだ。京王電鉄グループの元御岳山登山鉄道の社長さんだった人が、ずっと以前から協力をしてくれている。善い人の見本みたいな善い人で、長いおつき合いをしていただいている。世の中には「金」にしか興味なく、「金」しか信用せず、自分のため以外には、金を死んでも使いたくないという人間も多い。当然芸術などへの関心もないのでクラウドファンディングに参加してくれない。それはそれで、その人の生き方哲学であり、私のようなバカな人間は学ばなくてはならない。広告業界の絶対的存在、“人間国宝”ともいえる親愛なる一人の侠(おとこ)が、ゴッツイ支援をしてくれている。何も言わずコレを好きなように使ってくれ、と言ってくれたこの侠のためには、命をかけねばならないと心に誓う。御岳山の中には山の掟がある。作家浅田次郎さんの従兄弟の方が親切に相談にのってくれている。カンヌ国際映画祭の短編部門や国内での映画祭を目指す。上映会もアチコチでしたいと思っている。天才中野裕之監督の作品と共に。浅田次郎さんの従兄弟の方によると、山の中に来るのは山登りを楽しむこととか、御嶽神社にお参りに来る人たちだけでない。会社をリストラされた人間や、人生に追いつめられた人間も多い。スーツに鞄を持って山に来て時間をつぶす。きっと女房子どもには出社していると言っているのだろう。そんな人間の中から、頂上からずっとずっと下ったところにある滝のそばで“自裁”する人間が出ると言った。人生とは残酷なものである。金さえあれば倒産も破産もせずに、自裁せずに済んだはずだ。世の中は銭ゲバが生き残る。(但し地獄に堕ちる)やはり松本清張的世界の話があるのだ。“死を人質”にとった作家といわれるのが、太宰治である。何度も無理心中をしたが、それは小説のネタ探しでもあった。蜷川実花監督の映画「人間失格」を出発前に見た。太宰治役を小栗旬が演じていた。ファーストシーンは、無理心中して女性は水死するが、生き残った太宰治が“やばかったな”とうすら笑いするシーンだ。もと文学少女や知性とか理性あふれるお金持ちの女性や、家柄や社会的地位の中で生活している人妻や、未亡人などが、太宰治的破滅型の男に命をかけてしまう。銀座のホステスさんみたいに、したたかに逞しく生きている女性は、ちょっとやそっとでは体を許さない。お客は大切な金ヅルだから、手も握らせない。その客が飛んでしまうまで(会社を潰す)小鳥のようなさえずりとモナリザの微笑で誘惑をつづけるのだ。不貞が多いのは圧倒的に堅気の女性だ。三十代、四十代。五十代の人妻は、欲求の不満とエラソーにする夫への不平と、その先に夢も希望もない目の前のオトコに、熱気を感じない。そして松本清張の作品の主人公となる。青梅駅→八王子駅→橋本駅→茅ヶ崎駅と電車を乗り継いで我が家に着いた。足腰がヘロヘロ、ガッタガタ。日本中が地震でゆれている。何か不吉な予感を感じているのは私だけだろうか。(文中敬称略)










2023年5月1日月曜日

ゴールデンウィーク中の休筆のお知らせ

 連休明けまで休筆いたします。皆様、よいゴールデンウィークを。