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2021年1月30日土曜日

つれづれ雑草「華吹(はなかぜ)」

「鍋焼きうどん」はあるけど、「鍋焼きそば」はなんでないのかなと思う。「カレー南蛮うどん」は、なんで「カレー南蛮そば」より旨いのかと思う。今週は(月)(火)(水)(木)(金)と東京の仕事場に出た。テレワークなることができない。私の脳内から出た考えは、私の口からしか伝えられない。いつもはビッシリ混んでいた長寿庵に、お客は私と数人のみだった。壁に達者な筆文字で書かれた、品書きの短冊を見ていた。「タロウのバカ」という大森立嗣監督の映画は、ベストワンだと思ったのに、何故キネマ旬報以下、どのベストテンのランキングにも入っていなかったのだろうと思う。タロウのバカと言えば、麻生太郎を思い浮かべる。八年近く財務大臣をやって、この国の財政をハチャメチャにした。その太郎の一の子分が、松本純という神奈川選出の衆議院議員だ。銀座のクラブを三軒ハシゴした。要望陳情だと言った。麻生太郎が村(派閥)の皆に大変申し訳ないと詫びを入れた。ガキじゃあるまいし、バカにつける薬はない。神奈川選出にもう一人太郎がいる。河野太郎という変人奇人だ。次の総理大臣候補の一番手だと調査にあった。私はボー然自失となる。この国は有ってはならない事が、余りに有り過ぎる。コロナ対策世界ランキング40位以下のテイタラクだ。ヨーロッパのある国では、大聖堂をコロナ病院にしていた。菅義偉総理が劇的というか、奇跡的に支持率を上げるとしたら、国民の皆さん、オリンピックを目指して来たアスリートの皆さん、関係各位の皆さん、私は決断しました。オリンピックは中止いたします。新国立競技場はコロナ病院にします。全国の競技場も病院化します。国難ですから自衛隊、警察病院などもフルに活用します。国会議員の給料は3分の1にします。バカな議員はリストラします。医療従事者の方々の給料は2倍以上にします。オリンピック利権のボスたちは消えてもらいます。全国の繁華街を守ります。ママさん心配なく。芸者さんも、舞妓はんも守ります。レストランや、飲食店も守ります。中小零細企業は大企業の中で、好決算のところから税金をバッチリとって守ります。等々を自分の言葉として発したら、後世にその名を残すはずだ。支持率は80%位にはなる。先ずは太郎のバカを外すこと。こんな川柳があった。「判子を止めますという書類の判子をもらいに行く」。私は運命論者なので、コロナに負けない手段は、働いて、働いて、働き抜くしかないと思っている。今迄もそうして運命を共にして来たから。囲碁の世界には「着眼大局、着手小局」という格言がある。中国の兵法から来た言葉だ。先ずは盤面を見て大きく着想せよ(大局眼を持て)、小さな手を見逃すな(寄せをしっかりと)。選挙で国民の代表となった人々は今こそ、政治家としての真骨頂の見せ所なのだ。総理大臣とは、国民の代表の中の代表取締役なのだ。ボソボソ原稿読んでる場合じゃない。大好きな大相撲に、大スターが出た。116年ぶりに50歳で勝ち越した力士がいる。(4勝3敗)序の口9枚目の「華吹(はなかぜ)」さんだ。(50)美しいシコ名ではないか。50代力士としては明治38年(1905年)の若木野以来とか。立浪部屋所属で、部屋のちゃんこ長で、醤油ベースのちゃんこ鍋は絶品とか。本当は引退するはずが、再就職先がコロナ禍で混乱して、予定外の現役続行とか。無事引退してちゃんこ料理店「華吹」をやったら即行きたい。これからアレルギーの季節だが、“ハナカゼ”みたいなくしゃみも出来ない。土曜日の午前二時から2004年東映製作、故森田芳光監督の「海猫」を見る。北海道で昆布漁を生計にしている海の男。そこに嫁に来た美しい女性。男の弟、男の姑、この四角関係が海鳴り、風雪、貪り合う肉体、飛び交う海猫と共に物語は異様に展開する。森田芳光監督に「故」をつけねばならないことを悔む。やはりすばらしい才能だ。すみません、「鍋焼きうどんそば」くれると、マスクをした若いバイト女性に言った。「うどんそば」って(?)と言ったから、半分うどんで半分そばで。(?)(?)としたので、嘘、嘘、と言って謝った。なんだこのバカはと思ったはずだ。タローのバカじゃなくて、サブローのバカだ。本の腰巻に「人間は生まれながらにして死刑囚だろ」少し読み残していた伝説の編集者で、新潮社の天皇と言われた「藤十一(1914~2000)」の本を読了する。本の題名は「鬼才」だ。ところで、私の住んでいる茅ヶ崎出の力士「勝南桜(元服部桜)」は、現在3勝217敗1休(31場所)。幕下「湘南乃海」は、ガツンと当ってノーシントーで倒れた。大珍事だ、さて勝敗は(?)                      (文中敬称略)



2021年1月21日木曜日

つれづれ雑草「豚テキ」

深夜に見る「深夜食堂シリーズ」は格別にいい。小林薫さんが営む新宿裏街の小さな食堂だ。午前十二時から朝七時頃までが営業時間だ。Uの字形の店内には九人位が入れる。メンバーは基本的に“豚汁定食”(六百円)だけだが、お客さんの注文に応えられるメニューは作る。本日午前十二時四十五分早朝からずっと長い原稿を書き続けていたので、ひと休みするためにNetflixで深夜食堂を見た。(昼にカチコチになった首と肩と腰に、平塚の達人に来てもらって、鍼り治療を受けた。)メニューは「タンメン」だった。女性のタクシードライバーが来て、いつものタンメン、メン抜きと頼んだ。男女一組がいた。女性はえっタンメンのメン抜きとおどろいた。男はタンメンを肥満を気にしながらも食べていた。タンメンのメン抜きならば“野菜スープ”だからだ。私はチャーハンを家で食べる時でも、丸い山盛りでないと食べない。ピラフというのがあるが、なんだかバラバラしていて食べない。チャーハンをスプーンで食べると美味しくない。やっぱりレンゲでないとダメだ。逆にピラフをレンゲで食べると、食べにくくてダメだ。火曜日八時十五分頃に、お世話になっている代理店の人と、会社の仕事でお世話になっている友人と三人で、長い長い打ち合わせで腹が減った。で、食事をしようとなった。寒いからちゃんこ鍋でもと会社の前の「鮒忠」を見ると看板が出てない。それじゃパスタでもとすぐそばのイタリアンに行くともう閉店とか。そんじゃ「だるま亭」で中華でもと言ったら、店閉じまいしちゃったと。昭和通りに出て、オッ、ハンバーグ店がやっているとよろこんで行くと、テイクアウトだけです。な、なんだょ「長寿庵」も「菊鳳」も、「寿し辰」も八時で終りだ。こうなると「なか卯」しかないねと店内を見ると誰もいない。大きな紙にテイクアウトのみとあった。日本人は実にちゃんとルールを守るのだ。寒い、仕方ない家で食べましょとオツカレさん、サヨウナラとなった。オッ、立食いソバ店の灯りが見える。「吉べえ」だ。近づいて見ると、立て看板が店内に斜めに置いてあった。つまり終っていた。その夜遅く家に帰り、アジフライを食べた。キスは天ぷらは美味しいけど、キスフライはないなとつぶやく。こんな遅くにフライなんていいのと愚妻は言ったが、空腹はフライを好むのだ。深夜食堂次のメニューは、魚肉ソーセージのアメリカンドックだった。今は拘置所暮らしだが、私の好きな役者“新井浩文”が出演していた。安藤サクラさんと共演した映画「100円の恋」は良かった。新井浩文はボクサー役でコンビニに行って一本100円のバナナをよく買う。そこの店員役が安藤サクラさんで、ボクサーに恋心を持つ。肥満で食っちゃ寝生活だったが、トレーニングらしきものを始めるのだ。恋はダイエットにもなる。本当の恋をすると、食欲なんかはどこかへ行ってしまう。新井浩文はいつ出所するのだろうか。アメリカではD・トランプがホワイトハウスを出所した。ジェントルマンシップのない、ギャンブラーは大統領の就任式に出席しないで、ヘリコプターに乗って出て行った。この男は罪人的なので、出所という言葉が似合う。今年になって会った人々に、菅内閣を支持する人はいない。高(三)の孫に、友だちたちはと聞いたら、“ガースー”は終っているでしょと言った。つまり支持率0%だ。おそらく永田町湖の水面下ではアヒルの足の如くだろう。所信表明演説は腹から声が出ていない。きっと半ウツ状態だと思う。経験者の私にはよく分かる。それに目が浮いで死んでいる。まるで鯵(アジ)の目だ。午前二時からCNNニュースで、J・バイデンの演説を見るのだ。D・トランプの支持者たちを見ていると、名作「イージー・ライダー」のラストを思い出す。アメリカファーストの保守的人間は、自由に生きる若者たちを、何のためらいもなく散弾銃で殺す。ニューオリンズに行った時、スーパー一店位の大きさのGunShopがあった。38口径スミス&ウェッソンを買いたかったが、日本人は持ち帰れないよと言われた。(トーゼンです)あの時持ち帰っていたら、きっと自分の頭を撃ち抜いて、今はないだろう。どっちが良かったかは分からない。深夜食堂三話目は“豚テキ”だった。私はビフテキより、断然豚テキが好きなのだ。(ポークステーキともいう)

2021年1月16日土曜日

つれづれ雑草「しあわせってなんだっけ」

午前二時十分から、いつも脳内がOh! NOと停止した時、見る映画を見始めた。トコロテンを押し出すように、アイデアを出していた。もう何度も見ている作品だ。「ALWAYS 三丁目の夕日」だ。「男はつらいよ」とこの作品には、悪い人、いわゆる悪人は出てこない。みんないい人なのだ。私たちは今コロナ禍の中で、文明の進化によって得た物質文明が、実は大きなものをすべて失う文明であったことを知る。得たものが大きいほど、失うものも大きい。私の愛する東海道線には週に二、三回乗る。食べていくためには働かなければならない。受けた仕事は期待以上にプロとして応えねばならない。人間観察をしていた東海道線の列車内は、すっかりつまらない。みんなマスク、マスクだから、缶チューハイを飲む人も、第三のビール缶を飲む人も、ハイボールロング缶を飲む人もいない。柿ピーやサキイカ、ホタテのくんせい、タコ焼きやヤキトリを食べる人もいない。日本人はルールを守る国民なのだ。咳ばらいを二度位すると、思わずまわりの人たちを気にする。マスク大嫌いな私も出かけに愚妻から、マスクを渡されちゃんとしてよと言われる。常識よ、ルールよ、ウルサイナ、ワカッテルよと言って家を出る。で、「ALWAYS 三丁目の夕日」だが、東京タワーがつくられている時代、マスクをしている人は一人もいない。車は少なく二酸化炭素も少ない。ウイルスもいない。大声で笑い、大声で泣き、大声で叫び、大声で飲み合う。はじめてモノクロテレビが入ると、その家にご近所みんなが集まり、力道山の空手チョップに大拍手する。裸電球、ちゃぶ台、氷の冷蔵庫、扇風機がのんびり回っている。夏はランニングシャツでOKだ。集団就職で出て来た娘は、シュークリームが古くなっていても食べてしまう。私がガキの頃テレビがある家は、ごくわずかであった。プロレスを見せてもらうために、見せてください、おねがいしますと言ってその家に行った。大人から子どもまでご近所のテレビ無し家族が、その家に集まった。大人たちはお世辞を言った。お金持ちはウラヤマシイですよ、なんて。プロレスは日本テレビ、提供は三菱電機であり、試合前は、リングの上を掃除機でキレイにした。そして大歓声の中力道山が黒いタイツ姿で現われる。何故か61分一本勝負だった。1分の意味は大人になるまで分からなかった。その頃、マスクマンと言えばコロナではなく、悪役ミスターXだった。顔をかくして目と口だけが出ているのだ。“ザ・デストロイヤー”という“四の字固め”のマスクマンがその後出現する。銭湯に行って電気屋さんの前に行くと、プロレス中継を見る人でいっぱいだった。意地悪なババアが白いカーテンを閉めて見えなくした。ナショナルの店でそれ以来ナショナルは嫌いになった。松下電器という看板が今でも目に浮かぶ。♪~「しあわせってなんだっけ」明石家さんまさんがCMソングを歌ったのが確かあった。何のCMかが思い出せないのだが、「ALWAYS 三丁目の夕日」を見るたびに、「しあわせってなんだっけ」と思う。何も無い時代には、いろんなものがあった。人情があふれるほどあった。人の親切がつながるようにあった。サンタクロースがいると信じる子どもたちがいた。今日はコロッケよとお母さんが言うと、ヤッタァーと喜ぶ子どもがいた。はじめてコカコーラを飲む人に、なんだそのしょうゆみたいのはと言った。アメリカ文化が音をたてて入って来た。日本人の思想を破壊せよ、アメリカ文化は進駐軍と共に、確実に日本人から奪うべきものを、奪って行った。「ALWAYS 三丁目の夕日」は一人の男のロマンから生まれた名作だ。その男は大手広告代理店のすばらしいクリエイターだった。嫌いな奴の下で働きたくないと言った。決然と会社をやめて映画界に入った。鉄道大好きであった。大ヒット作を多く手がけ、立ち上げた会社は世界的に有名となり、でっかくなった。男は映画界のレジェンドとなった。多くの人材を世に出し、アカデミー賞も受賞した。私は大尊敬している。今では遠い遠い存在となっている。コロナで“すごもり”している人に、今ぜひおススメだ。何度見てもいい作品だ。特に第一作目がいい。人間は本当はみんないい人なんだ。さて、「しあわせってなんだっけ」。



2021年1月9日土曜日

つれづれ雑草「演歌の夜」

寒い、やけに寒い。寒椿の赤いつぼみがポツポツと見える。秋田に義姉家族がいるので大雪の凄さを見るにつけ自然の恐ろしさ知る。正月が明けるも冨士山の雪は極めて少ない。ある地質学者によると、地下のマグマが熱気盛んとなり、 休火山である冨士山を活火山にしはじめ雪を溶かしているのでは(?) これは大地震の前触れかもと言う。不気味な黒冨士を寒風の中で見ていると、実にくだらない言葉ばかりが浮かんだ。ある世界ではもう駄目だパンクだを、もう“クンパ”だとか、どうにも苦しいを、“シークル”だ。一銭も無い状態をもう“ハイナシ”だよとか言う。又、持ち金がないことを“ハコテン”(麻雀などで負けが込む)だと言う。コロナ、コロナで、一部の金持ち(不労所得で儲ける富裕層という悪徳者たち)以外は、皆、クンパ、シークル、ハイナシ、ハコテン状態となっている。国難ともいえる国家最大のコロナ危機に対応しているのが、役不足の見本のような軽量大臣たち。そのボスである総理大臣が、史上最も役不足とも言える暗い人。「政治とは言葉だ」とも言われるが、悲しいかな自分の言葉がハイナシだ。裏舞台を仕切っていた番頭が、表舞台、大店の主にはなれない。コインの裏はずっと裏であってこそ役を演じる。ボスのボスは更に裏舞台を仕切っていた。稼業人だ。ローマ帝国を仕切っていたのは元老院で、あのシーザー(カリサス)でさえ元老院にオプソ(終り)にされた。英国王政のドロドロの人間劇を知っているシェークスピアは、それを劇にした。今のすべては次の悲劇への“序章”であると。私の尊敬するクリエーターが、一月六日、七日、朝日新聞に見開き30段で四本の新聞広告を発した。ある出版社の広告だ。毎年話題作を出し多くの賞を得るが、今年の作品もやはりすばらしかった。おそらくこれを超える作品は今年中は出ないと思う。私は負けられないぞと思った。その中に「暴力は失敗する」というキャッチフレーズの作品があった。又、「君たちは腹が立たないのか」というのもあった。この作品と時を同じくして、アメリカの議事堂にトランプ支持者が、殴り込んで、民主主義の国(?) アメリカの民主主義を破壊した。政治経験のない博打屋トランプを大統領にした、アメリカの無惨な姿であった。「空樽の音は大きい」と言う。(私も空樽だ)トランプのハッタリも、何んとか大統領恩赦を勝ち取りたいの一心であったはずだ。身内、側近から見放され一気にトーンダウンして、従順にルールに従う罪人となった。いずれ多くの疑惑で公聴会に引っぱり出されるだろう。トランプはクンパ、ハコテン、シークルとなった。暴力を扇動したが、暴力は失敗した。我が国のボスを選んだボスもマサカこれほどの能力しかなかったのかと、キャスティングミスに気づいた。四月二十五日の補欠選挙で二つ負けたら、元老院は次のボスを決めて行くだろう。我々下々はコロナ、コロナの中でシタタカに生き残る知恵と勇気を出して、戦い続けねばならない。あるドキュメンタリーを見ていた。新橋で流しの歌手をしている人だが、二十代の初めに北国から出て来て五十余年ギターを片手に一人駅ビルの中の店を回っては歌う。持ち歌はなんと一万曲。正に人間レコード店だ。ごひいきさんたちが、割り箸に千円、二千円、三千円とはさんで胸ポケットに差し込む。そして酒場から客が消えた後、カプセルホテルの狭いカプセルに入って眠る。「ちあきなおみ」が歌う、船村徹作曲の名曲「紅とんぼ」を思い出す。♪~ 空にしてって 酒も肴も 今日でおしまい 店仕舞 五年ありがとう 楽しかったわ いろいろお世話になりました しんみりしないでよ ケンさん 新宿駅裏“紅とんぼ” 想い出してね 時々は ~♪ 作詞は吉田旺だ。もう一曲「新宿情話」というのがこれ又名曲だ。二曲とも店を閉める歌だ。私のところに長い間通った店から、もう駄目みたい、もう終り、もう故郷にも帰れないとかの電話が入る。私は言う。諦めるな戦え、ファイトだ。そして新橋の流しの話をした。カプセルホテルに入ったって恥ずかしくはないんだ。一人ぼっちでも戦っていけば必らず人はついて来てくれるからと。深夜からずっと久々に演歌を聞いている。徳久広司「北へ帰ろう」北原ミレイ「石狩挽歌」長山洋子「じょんから女節」いい歌だ。人は何故か傷つき破れると、北へ帰る。きっと人の温度があたたかいのだ。南へ帰る歌はない。小林旭の「北帰行」を聞きながら想う。負けるな人間、負けるな北国の人たちよ。悲しいかなすでに天才「なかにし礼」の話をする人はいない。しかし名曲は永遠に歌いつがれる。人は生きていればこそなのだ。“死は一睡の夢”恐れるなかれだが、コロナは強敵だ。死ねば一日で忘れ去られる。それにしても、田崎史郎という間抜け顔の政権のポチ。(政治ジャーナリストとか)八代英輝という馬鹿者(国際弁護士とか)東国原英夫、その他多勢のコメンテーターたちの顔にうんざりする。熊谷亮丸(経済アナリスト)などという、競馬の予想屋より当らない予想をする恥知らずの厚顔人間たち、無責任な阿呆たちへ、画面から消えて、終列車に乗って国へ帰れと言いたい。午前二時、春日八郎の「赤いランプの終列車」を聞く。最後に井沢八郎の「あゝ上野駅」を聞きウルウルした。上野は心の駅だったのだ。新政権は始発してすぐに終列車のようだ。(文中敬称略)