私が現在に至るまで映画を観たあと号泣した映画は、小学生の時に観た「綴り方教室」と、大人になって観た「砂の器」だ。その映画を観た映画館が、12月末をもって閉館するという。
新宿歌舞伎町にあった「ミラノ座」だ。日本最大の客数を誇っていた座席数は1000席超だった。同時にミラノ1・2・3、シネマスクエアとうきゅうの4館も閉館する。
60~70年代映画を見に行くといえば歌舞伎町であった。新宿プラザ、新宿名画座、歌舞伎町東映、歌舞伎町日活。洋画の大作からヤクザ映画、ロマンポルノ、ピンク映画、学校の先生から歌舞伎町は不良の行くところだから決して近づくなといわれた。
ミラノ座と新宿コマ劇場の間に大きな噴水があった。
それを取り囲むように様々な娯楽施設があった。当時は不良全盛時代、中でも愚連隊全盛時代であった。噴水の周りにはビッシリ決まったファッションの愚連隊が勢揃いしていた。
その中のリーダー的先輩と「砂の器」を観た。松本清張作、野村芳太郎監督、音楽は芥川也寸志。主演加藤剛と丹波哲郎、有名になった人間の過去、血の歴史、差別をされていた不治の病、国を追われ巡礼となり流浪する父と子、宿命と運命を奏でるオーケストラの曲、ピアノの激しくも哀切な音、愚連隊のリーダーも私もあるシーンから泣き放し、終わってからも泣き放し、通路のソファーでも泣き放しであった。恐いはずの先輩も私も泣き虫だった。
その後現在のアルタ、むかしの二幸裏にあった「三平食堂」という洋食屋で三平ランチをおごってくれた。ラグビーボールのような形をしたライスに波の形があった。
オイ、ライスは少し残すのがマナーだからなと先輩はいった。二人ともフォークにライスをのせるのにすごく手間取った。恐くて泣き虫の先輩はその後外科医となった。
映画にはいろんな思い出がある。恐い先輩は三平ランチでビフテキを切ったナイフを人の命を救うメスに替えたのだ。
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