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2014年11月28日金曜日

「東映大国」

週刊誌より




どの週刊誌も高倉健の特集記事とグラビア写真でギッシリだ。
私は大の健さんファンであった。人間誰にも表があり裏がある、光あり影がある。

私は映画という作品の中で、「死んでもらいます」といって日本刀でブッタ斬る姿に拍手した。健さんが手紙魔でありプレゼント魔であることを知人の写真家やスタイリスト、ヘアメイクの人たちから聞いていた。
熱烈なラブレターもどきを何回も送ってもらい困惑していた人もいた。

スターがスターであり続けるのは孤独との闘いでもある。
流れ星にならないために俳優や役者やタレントさんは日々不安と同居する。
スターであるが故に行きたくても行けないところがあり、食べたくても食べられないものがある。絶えず人から見られているという恐怖の中にいる。
見栄と虚飾にあふれ、嫉妬と怨嗟が渦巻く。

ある愚連隊の大スターだった組長がはじめて映画の主演をした時、芸能界はヤクザ者の世界より怖いところだなとインタビューに応えて笑った。
本場の男と男の世界に身を置いた人間にとって、堅気の俳優がヤクザを演じるのがきっとコソバイ気分だったのだろう。
ヤクザ者を演じているといつしか本物になった気になる俳優もいる。

本当の健さんを知っている人は、本当の健さんを語れない。
伝説は大切にしなければならない。

青春時代私が通った「荻窪東映」が通路までビッシリお客で詰まり、扉は閉まらない、映写室の横の階段まで健さんのファンで埋まった。煙草のけむりで館内はスモッグ状態。
そのスモッグを切り裂くように映写機から投影される光が画面を作りだす。
ラムネをラッパ飲みする者、モナカアイスを二つに割る者、あんず飴を舐める者、都こんぶを口にするもの、オイ、アタマ下げろ見えねえじゃねえかと怒鳴る者、荻窪東映はひとつのドラマ大国であった。
オイそこの席、オレの女を座らせろい、なんてイキガってあとでボコボコにされるのも大国の姿だった。

あと二週間もしたら健さんを語る人たちはいないだろう。
本当の健さんを知る人以外は。東映の岡田裕介氏が死後の一切を仕切ったという。
本当の姿を見せないための男と男の友情だ。

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