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2009年12月3日木曜日

人間市場 椿市篇

私の家に坪庭がある。(二坪位)

実生(みしょう)、椿の実が落ちそこから新しい椿の木が生まれる事を言う。と長いお付き合いの庭師のおじさんから教わった。数木ある寒椿が咲き始めて目を和ましてくれる。椿は別名、首切り花とも言う。ポツンと落ちるからだろう。一木の牡丹がある。一年毎に、二輪見事に咲く。牡丹は崩れ花。バサッと崩れ落ちる。二本の梅の木がある。二十年前母が家に来た時、一緒に植木屋さんに行って買ってくれた。親指ほどの太さだったが今では立派な梅の木になり、美しく花を咲かせ、又、たくさんの梅の実をつける。毎年それで梅酒を作る。家ではおばあちゃんの梅の木と言っている。梅は飛ぶと言う。菅原道真の東風(こち)吹かば匂いをこせよ梅の花、から来たのだろう。春風と共に花は飛び去る。

一本桜の木を植えたいと庭師のおじさんに言ったら、家に桜は縁起が悪い、桜は散るからだと言う。お城や学校や公園や川べりなんかに植える木だと言われた。


二年前友人夫婦と吉野の山桜を観に行った。少し季節を逃していたが、それはそれで風情があった。坂口安吾の「桜の花の満開の下」を読んだ事があったので、ぜひ観たかった。薄曇りがかえって、夢幻の世界を生んでいた。同じ桜が咲き誇るではなく、一本一本がそれぞれ個性的な色香を出し、それが西行の詠んだ歌の見事を証明する。小説では確か、吉野の桜の下を通ると人間の気が狂うと書いてあったと思う。篠田正浩監督で映画化され、主役は都の女性が岩下志麻、山賊が若山富三郎であった。その舞台となった寺があり、実にいい。特に壁画がいい。その庭にある桜の木が又、いい。能の世界がこの寺にある。闇があり、滅びがあり、秘があり、密があり、血の臭いがある。これ程光が似合わない寺も少ない。


更に山の上には、誠に小さな一つの庵がある。吹きさらしの佇まいである。畳にすると二畳程であろうか、西行がここに二年ほど住んでいた。西行庵という。そこから吉野の山々、木々の変化を目に憶えさせ旅に出た。命を懸けて想う一人の女性の為に。一度ぜひお勧めしたい。


さて話を実生に戻す。私の命も親が落とした一つの命である。親木の様になるには私はいささか劣等である。私の実生たちが立派に育っているのが救いである。

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