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2023年10月28日土曜日

つれづれ雑草「ザ・ホエール」

ヒッジョーニカナシイ。ピアノ売ってチョーダイ、もっともっとタケモット。近頃このCMが流れないなと思っていたら、私がヒッジョーニ大好きな、財津一郎さんがこの世を去ってしまった。“ヤメテチョーダイ”と右手で左の耳をかきじゃくるギャグや“ヒジョーニキビシイ”というギャグも大好きだった。舞台の役者としても、俳優としてもいい味を出していた。享年89歳、この世の中に大貢献をした。今の世はヒジョーニキビシイ、ヒジョーニ熊が出る。人類が熊たちの生き場所を奪ってしまったからだ。親熊は子熊の空腹を満たすために、人類が生活している所に出没する。ヤメテチョーダイと熊たちは思っているだろう。どんぐりや栗の実など木の実類を主食にしていた熊は、牛や鹿、豚などを食べる肉食獣となっている。日本は世界一の山林国家なのに何故こんなことになってしまったのだろうか。山には山の掟があり、海には海の掟があった。里にも里の掟があった。人類はすべての掟を破ってしまった。一つ、二つ、三つと頼まれた、仕事らしきものがあり、歩いて、歩いて、歩きつづけていた。その中である博物館を見て来た。小学生になったように楽しかった。マンモスや象の骨体。マッコウクジラの巨大なチンボコ。虫メガネでやっと見れる極小の昆虫類。石器時代の人間の創意工夫、大好きな縄文時代の創造物。弥生時代の刀剣もあった。縄文時代は戰がなく、弥生時代から領地の奪い合いが始まったことが分かる。稲作農業が生まれ、米や麦などの穀物類が主食となったからだ。太い木を尖った石の破片でくりぬき丸太舟を造り、巨大クジラを、木の先につけた尖った石を、木の蔦でくくりつけただけの道具で、飛びつき、突き殺す。集団で行ない、平等に分け合って空腹を満たした。私はこんな時代に生まれたかった。しかし私は何も造ることができないので、食うだけで、ヒッジョーニバカにされただろう。博物館ですっかり小学生になった夜、「ザ・ホエール」という映画を見た。妻がいて、16歳になる娘がいる一人の男は、体重が240k近くになっている。ソファーに座りひたすら食べる。フライドチキン、宅配ピザ、マヨネーズたっぷりのサンドウィッチ、チョコレート類。男は大学生に文学や詩を教えている。当然インターネットで。かつての恋人だった人間のお姉さんが医師で訪問医療に来てくれる。男は妻と娘と別居している。男には講師で稼いだお金が15万ドルほどある。妻はそれを狙っている。学業不振で8歳の時に自分を捨てた男(父)を、デブのバカと罵る。宿題のエッセイを自分に代わって書けと命じる。男の恋人は、男であった。つまり主人公はバイセクシャルだった。パートナーが死んでしまったショックで、大食漢となり始めてしまった。映画は訪問に来た医師の女性が血圧を計り、上が238、下が140近いからすぐ入院しないと、一週間内にうっ血性心不全で死ぬという。その一週間を描いている。器具を使わないと一人で歩くこともできない。何をするにも長い棒が必要なのだ。年齢はきっと40歳位だろうか、男が娘のエッセイのために選んだのは、「白鯨」だった。文学者であり、詩人の男は娘のために、モビィ・ディック(白鯨)を殺すことに命をかける。片足の船長エイハブのことを書く。240k近い男を演じた役者は、アカデミー賞とゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。ハリウッドのこういう映画は抜群にいい。ミッキー・ロークが主演した映画「レスラー」を思い出した。老いぼれたプロレスラーと、別居している年頃の娘との物語り、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。ブルース・スプリングスティーンの主題歌がヒッジョーニgoodだった。財津一郎さんサヨウナラ、たくさんの笑いをありがとう。この頃すっかり笑うことが少なくなった。この世はヒジョーニキビシイ。もっと、もっとそうなるのだ。オドロクほど進化しない、ヒジョーニワンパターンの国会中継を見ていて、この国の終末を感じた。日本国のGDPはついに第4位となった。すぐにインドに抜かれる。平均年収は韓国に抜かれた。私はこれから群馬、岡山、九州へと足を運ぶ。ニュービジネスを生むための仕事のために。アイディアは座っていては出て来ない。私の先生は、歩く巨人といわれた、民俗学者「宮本常一」さんである。イスラエルとハマスの戦争は、ユダヤ資本が世界を支配している限り永遠に終ることはない。山口組と一和会の戦争のようにはならない。ロシアとウクライナも同じだ。地球上の争いごとはすべてユダヤ資本が仕切って、儲けるのだ。地球の闇の中に姿を沈めている。“ザ・ホエール”は、戦争太りするユダヤ資本家だ。戦争をヤメテチョーダイ(文中敬称略)










2023年10月13日金曜日

つれづれ雑草「コスモスと枯木のバラ」

「ご自由に持っていってください。」と書かれた一枚の紙が駐車場脇に貼ってある。その下には大きなバケツに入った、秋桜「コスモス」の花が何本も入っている。なんでこんな色が生まれるのだろうかと、植物界の不思議に敬服する。核戦争が起きて地球上の生き物が消滅しても、植物界とゴキブリ界は生き残るらしい。近所のコンビニにスポーツ紙を買いに行く途中でコスモスの花を見た。家に帰ると愚妻がすでにそのコスモスを何本も手に入れていた。花瓶に挿されたコスモスがあった。きれいでしょと言ったから、◯◯さんの家の駐車場にあったのだろうと言った。そうよと応えた。柿とかイチジクとか、キンカンとかをよく持って帰る。私は春に咲く桜よりも、秋に咲くコスモスのほうが好きである。コスモスは咲く場所を選ばない。路傍の花でもある。茎の部分は絡み合い、捻り合う。それはまるで抜き差しならない、男と女の関係のように、死ぬまで解れない。春の桜は散るのが覚悟みたいな戦争を連想する。桜の花の下には死体が埋っていると買いた小説家がいた。そういえば新橋駅SL広場のところによく出ていた右翼の街宣車はどこへ行ったのだろうか。あまりの暑さに活動を控えていたのだろうか。街宣車が同期の桜を流している後に、シュークリームで有名な“HIROTA”ヒロタがある。右翼とシュークリームは、シュールな関係で嫌いではない。(映像的に)この一週間は新作映画の撮影のために、山の頂上から、山の下にある滝まで、腰痛ベルトを装着してがんばった。もともとは修験者が歩んだところなので、岩やら石やら木の根などが山道にあり、汝修業行せよと足腰を痛める。映画についてはいずれ詳細を書く。山の人々がみんな応援してくれた。映画好き20数名がごっそり機材を運んだ。柳田國男の“遠野物語”ではないが、真夜中の山の中には、超常現象的なものを感じる。私は雨よ降るなと念力をかける。で、山の撮影中は思い通りの良い天気であった。山を下り私の地元茅ヶ崎の野球場のシーンを撮り、東京蔵前の地下スタジオ(音響が大きいので)で最終カット。監督のOKの声と共に、拍手拍手ヤッターである。みんなで記念撮影、息子が車で応援しに来てくれたので家に向う。腹が減ったなとなり、家の近所の中華ソバ店へ。12時閉店なので約30分、二人でカタヤキソバとギョーザ一皿を分け合って食べた。なんともいえない疲労感と達成感が、闘志をかりたてる。で、次の日は一日中雨であった。私にはまだ運があるぞ。長い間ロケで雨に降られたことのないツキが残っていた。50年以上傘というものを買ったことがない。一日中雨の日、一日中ゴロンゴロンしていた。両足がひきつりあわてて芍薬甘草湯を服用した。イノシシカレー、熊カレー、コンニャクの刺身、山わさびなどを食す。これがヒジョーニ旨い。そして起きてからは、お世話になった方々に、礼状、礼状、また礼状を書く。(これが重要)ファンドに出資してくれたありがたき方々には、一人ひとり会ってお礼を言う。(これからの最重要)自主映画づくりとは、頭を下げることでもある。北島三郎の歌に、「与作」というのがあるが、私の場合は「遺作」である。♪~ トントントン、トントントンと、与作は藁を打つが、私はドンドンドン、ドンドンドンとご迷惑を打つ。ヤクザ者を志すならこの一曲を知らぬ者はいない。この頃明け方にこれを聞く。31歳で殺された北海道のヤクザ、荏原哲夫通称“雁来のバラ”又、“枯木のバラ”ともいう。この伝説のヤクザを歌ったのが、「484のブルース」だ。484とは札幌刑務所の番地、雁来町に生まれた。♪~ 義理や人情に あこがれた 十九はたちが 花だった ここはその名も 雁来町 いきつく所は 承知の上で ままよこの道 おれは行く……。北海道中のヤクザを震え上がらせた雁来のバラは、当然のように銃弾を浴びた。数人に襲われてスミス&ウェッソン45口径で撃たれた時、海老のように飛び上がった。トドメを刺しに行くと、笑っていたと言う。ずっと昔の話だが、今も語り継がれている。私はバカな自分のことをこの曲を聞きながら想っている。目の前に小さな花瓶がある。濃紅なコスモス、妖しげな桃色のコスモスが、私をじっと見つづけている。人生は、くんずほぐれず、修羅の道だ。(文中敬称略)









2023年10月7日土曜日

休筆のお知らせ

 本日、出張のため休筆致します。

急に涼しくなってきたので、皆様、ご自愛ください。



2023年10月1日日曜日

つれづれ雑草「髪切る前に」

誰れもまだ手にしていない新聞と、何人かが読んだあとの新聞とでは、同じ記事でも鮮度が違う。いつも行く床屋さんのソファーの前のテーブルには、スポーツ紙の報知新聞と、朝日新聞が置いてある。朝九時に行けば新しい新聞紙があり、午後や夕方に行くと、シワシワとなった新聞紙となる。報知新聞は読売系なのだが、きっと気をつかっているのだろう。昨日午後床屋さんに行った。その前に制作している映画の、あるシーンで使用したい施設の使用許可をとるために、尽力してくれた知人の元市議会議長に御礼のごあいさつをした。市営の施設なので役所への手続きが多々ある。床屋さんには先客が一人いた。三人ほど座れるソファーに、ヨッコラショと座る。若い頃はドーンと座った。全身が岩のようにガチガチになっていたのを、平塚の鍼灸の達人、マッサージも達人に来てもらって、鍼を刺してもらい、グイグイ体をほぐしてもらった。達人はこれはもう工事ですという。私の肉体はアスファルトになっている。報知の一面には現在フランスで開催中のW杯ラグビーの記事、サモア戦でトライをしたリーチマイケルのどでかい顔があった。私は早朝3時45分からしっかりと見た。NHKで再放送があるのを知っていたが、結果が分かっていたらツマラナイのだ。スポーツはやはり実況に限る。先日大相撲の千秋楽で、大関貴景勝と前頭どんじりの熱海富士の優勝決定戦があった。双方11勝4敗、20歳か21歳の前頭と、大関の対戦を楽しみにしていたが、勝負はあっけなかった。私は見ていて、汚ねぇ~ぞ大関と叫んだ。前頭がどーんと出ていったら、大関は逃げてしまった。いくら休場明け、心身共にボロボロでも、貴景勝がまさか逃げるとは思わなかった。翌日の新聞ではきっと叩かれると思ったが、協会のトップも、横綱審議会のメンバーも、苦しい中よくやったと語っていた。そりゃないだろうと思った。私はガーンとぶつかって貴景勝が負けてもよくやったという。上位の者が下位の者の挑戦から逃げてはいけない。W杯ラグビーで日本勝つ、ベスト8、ベスト4を目指すと、でっかく書いてあるのだが素直にはよろこべない。日本のチームの半分近くが外国人の助っ人さんたちだ。日本に帰化して日本人になった選手もいる。試合前日本人と外国人さんが君が代を歌っているのを見て、日本人選手がまだ世界レベルになっていない。何人かはいるが数は少ないと思った。いつか15人全員が日本人で戦っている姿を見たいが、その頃、私はあの世からの応援となっているだろう。大リーグで大谷選手が奇跡的活躍をしている。床屋さんの新聞を見て、やっぱり吉田正尚選手でも、大リーグはキツイのかと思った。ムキムキの筋肉で、日本では並ぶ者なきといわれる吉田選手が2打席凡退のあと、3打席目に代打を送られた。日本では吉田に代打なんて考えられないのだ。総理大臣にはいくらでも代打、代打を出すが、スケールが小さい者ばかりだ。吉田正尚を持ってしても体力がキツイのだろう。私は何がいいたいのかというと、貧富の差をなくして、幼少年期から栄養のある食生活をできるようにすべしである。勉強ができなくても、体力に才能があれば、その才能に投資すべしだ。国の予算を地方に割り振り、もっともっと助成しなければならない。新聞には伝統ある大相撲の入門基準が廃止されたとあった。今のままでは“おすもうさん”になる若者がいなくなってしまうからだ。例えが悪いがヤクザ者の世界には、一人親方という人間も多い。つまり子分がいない親分ということである。大相撲の親方になるには、“親方株”という数限られた高額の株を手にしなければならない。弟子がいなくなり廃業する親方もいる(株を売って)。体力に自信があれば誰れでも入門できる。ジャニーズ問題でメディアは大騒動、ずっとバックレ(しらばくれてた)てたツケが大洪水となった。サントリーの新浪剛史社長(経済同友会会長)が、知っていながら知らないそぶりの社長(東山紀之)は考えられない。国際的問題であると語っていた。帝国とか王国で滅亡しなかったのは歴史上ない。解体しかないだろう。そして次はアソコとかアソコ、ヒソヒソ話が広がっている。麻生太郎に呼び捨てにされて“がん”よばわりされた、公明党の代表山口邦津男、石井啓一、北側一雄などは、国土交通大臣の椅子が余程オイシイのか、ムニャムニャと応えている。例えが悪いが、ヤクザ者の世界では、親分が呼び捨てにされたら、言った者の命はとられるだろう。つまりプライドゼロだ。気がつけばインボイス制度などの増税が始まる。マイナンバーは大迷惑、ラチ問題はラチがあかない。北朝鮮に何度か交渉しているようだが、シカトされている。東大法卒の悪魔たちは弱者イジメをつづけている。さて、伸びた髪をカットしてもらうことにした。秋は近いようでまだ遠い。そういえばこんなサラリーマン川柳があった。「あの世では お願いだから 声かけないで」。深夜から朝にかけて、取り寄せてもらった、アンドレイ・タルコフスキーの自伝的名作映画「鏡」と、ベルナルド・ベルトルッチの名作「暗殺の森」の完全版を見た。詩的、哲学的、宗教的、暗示的、叙情的、叙事的、圧倒的であった。「言葉は半端なもの」とタルコフスキーは表現した。建築美、都会美、装飾美、教会美、群像美、暗殺美。「買い物は女同士、支払いは男」という洒落たセリフが53年前のパリで交わされていた。(文中敬称略)