令和六年より「400字のリング」は、「ばかな話」一行の日もあれば、400字詰め原稿用紙5枚の日もある。我が家のFAXは壊れ気味で、ごきげんナナメの時は、私の書いた生原稿をテキスト化していただく人へ送信できない。文字校正や、テキスト化していただく人から、ここはマズイのではとか、ここは違っているとか、ここはこうしたほうがなど、ありがたきやりとりに、我が家のFAXはブータレて送信、受信拒否となる。PCやスマホが使えないということは、実にややこしく、ヒトビトにご迷惑をかけてしまう。ガラケーを使っているのだが、ショートメール通称(SMS)のやりとりもままならない。仕方ないいつもよりもっと一生懸命ばかになろうと心に決めた。昨年末私が誰れよりもアコガレていた坂田利夫師匠が亡くなった。「アホちゃあねん、パーやねん」という言葉にアコガレた。アホとパーと五分の勝負をできるのは“ばか”だと決めたのに師匠は82年の生涯を終えた。そっと静かに老衰で“ありがとさ~んと”。野球のエリートが人生のエリートになれる。そんな保証はないと、ある高校野球の監督が言っていた。東大を出たからといって、人生のエリートになれる訳ではない。霞ヶ関、永田町の東大出が、パー券だキックバックだ、証拠隠滅だと騒いでいる。一生懸命騒いでいる。一月一日「能登大地震」、二日「日航ジャンボ機大炎上」。運命論者の私には、やはりこの国は数奇な運命の国であり、故小松左京が書いたように、日本沈没の運命をクッキリと見るのだ。佐賀が生んだ葉隠の精神は、“一日一死”、朝起きたら、夜には死んでいるやも知れない。これが武士道精神となった。であるから、朝には体を清め、ちゃんと洗った下着(ふんどし)をつけた。もし汚れたりしていたら、一家一門の恥となる。一歩間違えると軍国主義となるのが、武士道精神だから、気をつけねばならない。そんじゃノーパンでとなる人も多い。霞ヶ関、永田町のエリートたちは、ノーパン大好きであるのはいうまでもない。内閣官房や、警視庁公安部は、エリートたちの内緒の部分をすべて知りつくしている。いざという時に役に立てる。この延長上にジャニーズ問題があり、松本人志=吉本興業問題である。次はその次は、ほぼ想像できるのだ。さて、志賀原発は本当に大丈夫なのか。総理大臣は何故能登に行かないのか、留守をしていると寝首をとられるから心配なのかも知れない。日本は地震帯の上にある。それなのに学習効果がなく、水がない、食べ物がない、トイレがない。灯油、ガソリンがないを繰り返す。テレビではひたすら歩いて食べ物を見つけ、ウマイ! おいしい! を連発する。将棋の名人であった故米長邦雄は、兄貴はバカだったから東大に行った。私はおりこうさんだから将棋さしになったと言った。エリートたちには危機感という感性がないのだ。大好きだった歌手、八代亜紀さんが急逝した。芸能人絵画展というのがあった時、その絵を観たがとてもいい絵だった。♪~ 雨々ふれふれ もっとふれと歌ったが、今の能登では雨よ止め、雨よ止めだ。七尾に大親友と行ったことがある。故高橋 治の“風の盆恋歌”の祭りを見に行った。夜から明け方まで、ゆらゆら踊る。みんなが参加してゆらゆら踊る。能登はいらんかねえ~、故郷能登はよォ~、こんな歌もあった。日本列島に絶妙の形で突き出た能登半島のことを思うと、気分が鬱状態にある。電気を消して深夜映画を見ながら、岡山の知人から送っていただいた、ハムの燻製を袋から出して食べた。紙みたいにペラペラなのだが、これが咬むほどにやわらかくなり、絶品の味となる。一枚、二枚、三枚、番長皿屋敷みたいに数えながら映画を見る。オッ、これでラストだなと口に入れる。咬めば咬むほどマズイ、なんだこりゃと電気をつけたら、乾燥剤の袋だった。“ばか”だなまったくと思った。見ていた映画はデンゼル・ワシントン主演の「イコライザー」であった。その題名の意味は、平等にするものであった。地震も平等になると、いよいよ静岡、そして東京だ。防炎対策できることから始めよう。朝は体を洗い、きれいな下着をつけよう。(文中敬称略)