ページ

2025年7月3日木曜日

400字のリング 「老人と山/パンチの山」

「死んでもやらねばならない時は、死ぬべし」、「生きていてやらねばならない時は、生きるべし」幕末長州藩の思想家、『吉田松陰』の言葉だ。かなり過激な中国の思想家、王 陽明「陽明学」の影響を強く受けていたと伝えられている。分かり易くいえば、能書きをタレているより、行動で示せということだろうか。明治維新はテロリズムによって成立した。いわば暴力革命だった。平民を軍人にする始まりだった。(皆兵制)現在世界中でテロリズムが横行している。人間社会は原始社会のように喰うか喰われるか。生きるか死ぬか。殺すか殺されるかの緊張状態にいる。ノー天気な島国ニッポン国家は、株価が4万円を超えているというのに(外国資本が安い国ニッポンを買い漁っている)、GDPは上がらず、値上げラッシュで平均給与は下がる。そんな中で江戸時代のような米騒動が起きている。備蓄米放出といイカサマに、行列を成してありがとうございますと、涙声で配給を受けるように頭を下げる。フザケンジャナイ、安い備蓄米を放出して大儲けしているのは、財務省主体の国家だ。小泉進次郎に無料で配給されている訳じゃないのだ。当然商人たちが“お主も悪じゃのう”と大儲けして大笑いだ。真底このノー天気国家にあきれ返る。集団心理、集団行動は、国家の集団自殺を生む。かつてアメリカに石油をストップされて、太平洋戦争という集団自殺を生んだ。終りなき宗教戦争を知らない、多神教国の、無能な指導者たちは、昔も今も変わらない。商人たちはテロリズム、行動こそ哲理だというのを利用して、巨大な富を築いてきた。トランプ関税は、かつての石油ストップと同じだ。日本の企業は現在コンサルタントの大ブーム。日本の経営者はカタカナ用語を巧みに使うゲーム世代の人間にヒジョーニ弱い。ちゃんとした社員なら一枚の企画書で済むものを、コンサルタント会社は、あれやこれやのカタカナ用語やグラフやデータ、映像を使い分厚い提案書にして、しこたま金を取る。で、目的が達成できなくても、オラ知らねえとなる。本当にアタマのいい奴は、一ページか、二ページあれば十分なのだ。資料やデータなんかは今の世はいくらでも手に入る。さて、王 陽明の陽明学だが、俺は佐賀の「蓑隠」を知って以来、「一日一死」いつ死んでも“ふんどし”が汚れていたら武士の恥(男の恥)と、下着に気をつけている。武士は毎朝井戸の水で体を清めたが、俺はシャワーにしてもらっている。目ヤニや鼻毛も注意、ツメの手入れをしっかりしておくのだ。靴の汚れも恥だ。必死に生きるとは、人は必ず死ぬから、その時にいつも備えよなのだ。「武士道とは死ぬことと見つけたり」その教えを持って、老ボクサーはリングで闘う。アリスの歌った“チャンピオン”という曲に、パンチを受けてダウンした老ボクサーに、“もういいんだ、もう十分だ”というフレーズがあった。この曲のモデルは確かカシアス内藤という選手だったらしい。そのボクサーは引退後、癌と闘いながら、名トレーナーとして多くの後進を育てた。この世に絶対が二つだけある。一つは人間は死ぬまでは生きている。一つは人間は必ず死ぬ。さあ~闘うんだ。“白鯨”のエイハブ、片足を失った松葉杖の船長のように。ロープ際の魔術師といわれたメキシコの名ボクサー“ジョー・メデル”のように、パンチの山を受けロープ際に追い込まれながら、強烈なアッパーで相手をノックアウトする。病いと闘っている多くの人々よ、勝負をあきらめるなかれ。ジョー・メデルは俺が一番好きなボクサーだった。ボッコボコの五月六月が終った。何のあいさつもなく七月が始った。参議員選挙があるぞ。棄権は国家の危険を呼ぶ。必ず投票行動を。一票は強力な一発のパンチだから。
(文中敬称略)