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2020年5月18日月曜日

第63話「私は残念」

私は「残念」である。私残念はずっと座敷牢生活をしている。4月17日と5月15日だけ東京に出た。ガラガラの列車、ガラガラの街、休業中の店ばかり、デパートもやっていない。こんなの見たこともない、終末的風景が広がっている。おもわず顔を叩いたら痛い、夢ではないのだ。15日夜ついにというか、やっぱりファッションの名門「レナウン」がとても残念になった。既に香港資本の傘下に入っていたが、コロナショックでトドメを刺されたようだ。かつてはNO1ブランドであった。私残念が食を得ている広告界には“レナウン以前。以後”という言葉があった。それは、レナウンの有名なCM「ワンサカ娘」が衝撃的であったことと、当時「太陽がいっぱい」という大ヒット映画の主役「アラン・ドロン」が、日本のCMに登場し、ヘンテコなフランス語(フランス語が分からないので)で「ダーバン」というブランド名を言った。小林亜星大先生の作曲によるCMソング「ワンサカ娘」は、おシャレで、動感があって、チャーミングで、画期的であった。♪〜 ドライブウェイに 春が来りゃ……プールサイドに夏が来りゃ……イェイェイェ イェイ イェイ……。と、みんなが口ずさんだ。’92年当時「日曜洋画劇場」という番組があった。淀川長治さんが番組のシメに「映画っていいですね〜、それじゃ、サイナラ サイナラ サイナラ」で有名であった。広告を目指す者なら、みんなこの番組を提供している四社の仕事したいと夢見た。私残念もその一人であった。「レナウン」「サントリー」「松下電器」(当時)「ネスカフェ」の四社であった。60秒のCMを流し、その作品で優劣を競った。クリエイターの超花形ジョブ(仕事)であった。CMソングの名作は数多いが、「ワンサカ娘」は歴史的名作だったと言える。レナウン以後外人モデル、先鋭的ファッション、超大物外人俳優が日本でも起用できる。その先駆けであった。日曜洋画劇場で他社よりいい作品をつくり広告賞をとらないと、制作者が変えられるという話まであった。四社はエース級のクリエイターたちを起用した。レナウン以前、日本のファッションは、“ネズミ族”と言われるほど地味であった。日本人は灰色のイメージであった。レナウンブランドはデパートに対しても、特別なポジションを得ていた。ファッションが文化となって行く。PARCOがデビューした時、「モデルだって顔だけじゃだめなんだ」とメッセージした。つまり顔やスタイルがよくたって、ファッションセンスがない人はダメよと言うことであった。“ファッションに強い国民になろう”がコンセプトだった。サントリーはスコッチの国イギリスで、“サーの称号”を与えられていた。ジェームズ・ボンド役「ショーン・コネリー」を“日本のウイスキー”のCMに起用するという快挙を成しとげていた。ネスカフェは「違いがわかる男」シリーズで遠藤周作先生を起用、松下電器は日本の電化文化を、三田佳子さんを起用して、軽妙かつコミカルに表現して数々の名作を世に出した。私残念は一張羅に“ダーバン”のスーツを買った。レナウンが再生されることを願う。大変お世話になった「オンワード樫山」さんや「三陽商会」さんも、かなり厳しいようだ。なんとか、がんばってほしいものだ。私残念の業界も先が見えない中にいる。ガランガランの銀座を歩いていると、ファッションのブランドショップも当然クローズしていた。このまま終わってしまわないでと、ショーウインドに声をかける。それにしても、小林亜星大先生は、演歌の「北の国」から、「ワンサカ娘」まで、360度の音楽の世界を持っている。私残念は心から大尊敬をしているのだ。ガンバレ! レナウン。このままサイナラ、サイナラ……にならないでほしいものだ。記憶が正しくないところがあるかも知れない。確かボギーこと、「ハンフリー・ボガート」がレナウンのアクアスキュータムのコートを着ていた。(通称ギャングコート)(文中敬称略)


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