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2021年10月3日日曜日

つれづれ雑草「気合いだぁ……」

「ベニスに死す」というルキノ・ヴィスコンティの映画がある。名作中の名作だ。原作は故「トーマス・マン」の私小説みたいな映画だ。ヨーロッパでは当時コレラが流行っていた。私はこの作品を「ペニスに死す」と解釈して何度か見た。の違いだ。トーマス・マンは同性愛者であったようだ。現在ではなんてことはないが、当時はまだ影の世界だった。映画は一人の老作曲家とおぼしき人間が、とある海岸に旅人としてホテルに宿泊する。コレラを避けて来たのか、それとも人生という旅路の終りを見届けにきたのかと思わせる。老作家は富も名声も手に入れていたが、心の中に沈殿している重い心は、老いて行く我が身と、同性への愛の喪失感だった。老作家は海岸で、若さを満喫する少年たちを見る。その中に一人の美少年を見つける。すでに死んでいたような愛への感情が、老作家の心に火をつける。若かれし頃のヒリヒリするような、美少年への想いが燃える。老作家は老いた顔に化粧をし、身を整え美少年の姿を追う。月日とは残酷なもので若さは日々失って行くものである。かつて社交界で踊り明かし、酒を飲み交わし、薬にまみれ、異性も同性の区別もなく、放出したエネルギーは無い。あるのはただ鏡に映る老いたる姿である。そして老作家は一人コレラにて死す。美少年は何も知らず海岸で遊びつづける。一昨夜から昨夜まで(何しろ遅読だ)かけて、「カール・ラガーフェルド」モードと生きて「皇帝」の素顔という本を読んだ。ラファエル・バケ作、山本知子・金丸啓子訳/早川書房刊ちょこらファッション史を調べたいと思うことがあり、アマゾンで入手してもらった。カール・ラガーフェルドは、シャネル亡きあと、モード界の教皇、帝王、そして皇帝(カイザー)と呼ばれている。パリのファッション界は、権力と金、薬とSEX、メディアとモードの交差、そして同性愛であった。世界中の著名人がパリに集った。中でもアンディ・ウォーホルは狂乱していた。ラガーフェルドは自己演出に優れ、ドイツ生まれでユダヤ系であることを隠しつづけた。そのために英語とフランス語を操った。常に美男子を側にはべらさせていた。その中の一人の美男子をライバルであった、イヴ・サンローランと取り合う。勿論日本人の有名なデザイナーも登場する。画家や写真家、作家、詩人、芸術家とは狂った人間である。名声、嫉妬、金、虚栄心、嘘と堕落。イヴ・サンローランは狂って破滅する。およそ美とは程遠い醜悪の世界が、ファッション界、芸術界である。誰が言ったか忘れたが「美は乱調にあり」と言った。「藤沢周」の新刊「世阿弥 最後の花」を読むと、室町時代から戦国大名へ将軍や大名たちが、いかに美少年を我が者にするかに狂っていたかが分かる。足利三代将軍義満に気に入られた十二歳の天才美少年が、政争に巻き込まれ七十二歳で、佐渡島に流される。政争の裏にはもう一人の美少年の存在がある。世阿弥は人間の持つ業の世界を能楽として今日に残している。秘すれば花である。正しい人間、何よりも美しい人間、本当の人間というのは、決して存在しない。人間の長所は欠点があることだ、という名言もある。人生とは能や狂言を演じているのだろう。私は落語の主人公みたいに生きて終りたいと願って来た。バカだねぇと言われたい。フーテンの寅さんが、初代おじちゃん(森川信さん)に言われたように。銀座を歩くとスーパーブランドのウィンドディスプレイを見るのが楽しみだが、今は全く元気がない。ファッションに目が行くようなヒトも見かけない。大好きなサザンオールスターズの桑田佳祐さんや、人気タレントの綾瀬はるかさんが、ユニクロのCMに出ているのを見ると、とてもつらくなる。かつてジーニストという言葉があったが、今はない。ラングラージーンズの広告や、ビッグジョンの名作を思い出す。男には帰りたくても、帰れない街がある。銀座はそんな街になってしまった。夜の銀座はもうペニスに死すなんていう粋な男はいないのだろう。男の人生を狂乱させてしまう、ファッショナブルな女性もまたいなくなった。ただ人がいて、ただヒトが動いている。これではイケマセン。人間はこの地球上の生き物の中で、唯一夢を追うことができるのだ。文を書き、書や絵も描き、想いを言葉にできる。明日に向ってコロナ禍から突き抜けよう。永田町の政争も予想通りに終った。ジャン・ポール・ベルモンドの大ファンだったが、勝手にしやがれとあの世に旅立った。今夜は気狂いピエロを見ようと思っている。歴史は一人の熱狂から生まれると言う。さあ、熱くなれ、とズキズキ痛む足腰に気合を入れている。(文中敬称略)




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