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2021年11月6日土曜日

つれづれ雑草「重たい日」

友、遠方より来たる。と言う言葉があるが、友、映画に現わるを見た。石井裕也監督といえば、「舟を編む」とか「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」などでベストワンを生んだすばらしい才能だ。まだ30代というから注目をつづけている。その監督の作品に、「生きちゃった」というのがあることを知り、本日明け方まで見た。うすめのコーヒーと、バウムクーヘンの小袋入りを用意した。朝からシンドイ話の電話で、いささか重たい日であった。で、私の場合は映画を見るのが何よりの癒しとなる。「生きちゃった」という映画のタイトルからどんな内容かと思ったが、実に不思議な気分で、今どきの若い夫婦の一面を見た。おそらくはじめてというシーンが、物語のスタートにある。30歳の主人公の男(仲野太賀)が、その日体調が悪く会社を早退する。家に帰ると娘を幼稚園に行かせている妻が、(大島優子)見知らぬ男と激しくSEXをしている。夫である男はそれを見て、ただボー然として見る。フツーなら夫は逆上して、殴ったり、蹴ったり、包丁で斬ったり、刺したりする。ところがこの映画では何もしない、何も言わない。むしろ大島優子演じる妻の方が、攻撃的でありつづける。私はあなたから愛情を感じなかったので苦しかったのよと、開き直る。このシーンに石井裕也監督の斬新さを見た。無感情の感情表現だ。結婚前の夫にはかつて好意を持っていた女性がいた。開き直った女性ほど恐い者はない。娘は私が育ってるからと言い今はお金がないから、このままこの家に住むと言う。夫婦はとりあえず何ごともなかったように生活をつづける。怒声のない時間、見る側にボールを投げつけられたのは、あなたならどうするみたいなクセ球だ。妻はスーパーで働いているのだが、そこの店主と話すシーンがある。おだやかな丸い顔。こんもりとした体つき、オッヨヨと思ってそのシーンを止めた。どこかで見た顔、見た姿ではないか。で、プレイバック、プレイバック。やっぱりそうだっと、しばらく会っていない友人の名を口にした。映画のラストのクレジットを見るとやはりそうであった。制作に協力もしていた。次の日電話をすると、えっ、見てくれたの、うれしいと言った。見たよ、見た見た、さすが石井裕也監督作品だけあって、妻が不倫している生々しい姿を見て、何の感情も現わさないという、はじめての体感をしたよと言った。そうでしょ、凄いヒトですよ、シナリオは三日三晩で書いた作品なんだとか。いやいや思わぬところで友人に会えた。いい映画なのでぜひ見てほしい。何故「生きちゃった」というタイトルをつけたのかが不明のままだから、もう一度見る。清き一票を投じた選挙が終った。戦いに敗れた者、勝利を手にした者、いつもながら天国と地獄のような、生々しい姿が議員会館にある。白い蘭の花を持つ列があり当選を祝う。ダンボール箱をトラックに入れ込む敗戦の列がある。戦いつづける者に敗者はいないという賢人の言葉がある。何より大切なのはだ。それを貫くために、何をすべきかをしっかりと見直さなければならない。戦いをやめた者、それを敗者という。さああればすぐに行動開始だ。これからは熱量の時代、何をやっているか真実の時代となって行くだろう。長引くコロナ禍でシンドク、キビシイと入る電話に、オレだってとは言えない。決して泣きは入れないとずっと生きて来た。人間界とは、六道の一つである苦界だと感じる。コロナ禍はマスクばかりだから、笑い声がない。笑顔もない。仕方ないので尊愛する坂田利夫師匠が出演している嘘八百という映画の第二弾を見た。偽物作りのメンバーの一人が師匠だ。二束三文の骨董品を、嘘八百で、ん百万、ん千万円で売るグループ「なんでも鑑定団」という人気番組のパロディだ。坂田利夫さんはヴェルサーチみたいな派手派手の姿で出て来て、何でもペロペロとなめまくる。コロナ前なら抱腹絶倒なのだが、私自身笑いを忘れていて、ただ無言で手を叩いただけだった。銀座中央通りにあった、テイラーメイドの超名店「英国屋」が三丁目に移転していた。昇進御祝にネクタイ一本をと思って行ったらなかった。四丁目の「鹿乃子」2階で、きしめんでもと思って行ったら、2階はやっていなかった。コロナ禍はこれからどうなるのか、誰も明確にしてはくれない。今夜はなんとしても笑いたいと思っている。余りに気が重いからだ。佐賀の超人「江頭2:50」のビデオを選んでいるのだ。日本で唯一、全裸で街中走り回れる(?)。違法人なのだ。無理にでも笑っちゃったとなりたいのだ。それにしても大島優子の演技はすばらしかった。
                               (文中敬称略)



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