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2023年7月22日土曜日

つれづれ雑草「伝説の金子正次」

お流(おりゅう)にするという言葉が裏社会にある。モメゴメやモツタレ話、そのことを水に流すという時に使う。ゴチャゴチャしたけど、この話はお流にすると言うが、お流は中に入った人間の貫目で決まる。◯╳さんが中に入ったんじゃ仕方ない、顔を立ててお流にしようや、と話はひとまず終る。日本人は「恥」の文化という。面子を重んじる。武士社会の習性が残っていた。家門の恥とか言ってたが、それは今ではすっかりすたれている。あまた数ある駅弁の中で、食べ方がビミョーにむずかしい駅弁がある。それは「鳥そぼろ弁当だ」スクランブルされた玉子と、鳥そぼろが二分割されている。この駅弁を隣りで食べられると、すこぶる気になる。昨夜サザエさんのお父さん、波平さんのような会社員風のオッサンが私の隣りに座った。東海道本線2130分発小田原行の特急だ。おじさんは座るなり駅弁をゴソゴソ開けた。短かい割り箸で玉子と鳥肉のそぼろを、一粒もこぼさずに食べ切るのは不可能に近い、案の定オッサンはボロボロとこぼす。それが私の右足などにふりかかってくる。そうでなくても暑さでへんなりしている気分が、イライラに変わる。雑誌選択を読んでいたのだが、残りわずかとなった頭髪のオッサンは、玉子粒と鳥の粒をポロポロと私にふりかける。自分の体、足元にもいっぱいこぼれている。六十近いオッサンだが、スマホを見ながら食べている。これはとてもお流にできないので品川、川崎間でオイ、ボロボロこぼすなよと言った。きっと善人なのだろう、身をかがめてこぼしたものを一粒づつ割箸でつまんでいる。やめなよ、もういいからと言った。すいませんを何度も言った。鳥そぼろ弁当は実にやっかいなのだ。どこまで行くのと聞いたら、小田原ですと言った。まい日通っているのと聞くと勿論ですと言った。そしてお流にした。家に帰るとズボンに、玉子と鳥そぼろが、いくつもくっついていた。私は小田原のこゆるぎ弁当が大好きなのだが、この中に鳥そぼろがのっている。いままで気にしてなかったか、きっと隣りに座った人に迷惑をかけていたのだろう。男と女性の関係をお流にするのは大変にむずかしい。特にそぼろみたいな涙を、ポロポロ流されると、結局泥縄となる。女性の方から切り出されたら、スパッとしなければならない。ヒモになるような人生の達人は、金色夜叉の貫一とお宮の逆のように、金ヅルの女性にすがりつく。女性は男の涙に弱い。いいわよ、私がお金をつくればいいんでしょ、今夜は雨らしいから傘を持っていつもの所で待っていて、と言われそれに従う。売れないヤクザ者、売れない物書き、絵描き、音楽家などの男はヒモが多い。他に占い師とか手品師、パチンコの事師(ゴトシ)や舞台俳優、映画界の人間、などが多い。ヒモは一種の名人芸なのだ。日本人は「恥」の文化と評した「菊と刀」の女流作家(本業は大学教授)の表わした恥などは、今の日本人は何もかんじない。但し自分がヒモをしている女性が、酷い目にあっている時、ヒモは人が変わったように体を張る。ボコボコにされながらも女性を守る。血だらけになった相手の男を見て、女性はうれしいなどと口走って、いよいよ泥沼にはまっていく。日本国は今、アメリカという性悪のヒモの面倒を見ている。欧米社会は「罪」の文化という。どんな罪を犯しても、イエスキリストによって救われた気分となる。イエスは汝を赦すという、NOとはいわないずい分と調子のいい宗教である。原爆を投下しても、十字を切って赦される。世界一のヒモは、バチカン帝国なのだ。12時頃ふとんの上に横になっても、全然眠れない。「浜 圭介」の歌を明け方に聞いた。題名は「おんな道」 生まれた時から みなし子で 親の顔さえ わからずに 夜に生まれて 夜に育った……。ホステスさんたちはこの歌を聞くと、ウルウルする。 嫌なお客に せがまれて 男の枕に されながら つくる笑顔も 生きるため……。日本人は余りにも、悪政をお流にしすぎている。怒りを忘れた男は男でなく、怒りを忘れた国民は、国民でない。ホトトギスはいう。鳴かぬなら殺してしまえホトトギスという主人なら、きっと両目をつぶしてやるぞ、ホトトギスと逆襲する。但しメスの場合。「おんな道」を聞いていると、つくづく堅気の世界はつまんねえなと思う。赤い灯、青い灯ともる、ネオン街を久々に歩きたくなる。男から殺気と色気がなくなったらオシマイだから。明日早朝から奥多摩に行き超過密スケジュールで、自主映画の下ごしらえをする。宮司の偉い人たち、京王電鉄の人、観光協会の会長など一人ひとり、一つ一つ、ていねいにあいさつに回り、撮影への協力をお願いする。許可どりをする。昨年度準ミス日本の女性が出演してくれることになった。「映画」この二文字は私にとって命なのだ。それでエーガがなと言ってくれたヒトビトに心より感謝する。きっと世界を目指す、グランプリを目指す。この言葉はお流にしない。私の目標は、映画「竜二」をつくって、癌により33歳でこの世を去った、伝説の男「金子正次」なのだ。自主映画と同じで資金づくりに苦労した。男は生き様より、死に様なのだ。(文中敬称略)







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