俺は高尚な文学は読んだことはない。大学で哲学を学んだという友人がこんな話をしてくれた。“太陽がまぶしかったから”ということで人を殺してしまった「異邦人」という話だ。(映画は見ている)書いた作家は、アルベール・カミュという。40代でノーベル文学賞を受賞して、40代で交通事故で死んだ。劇的な人生の作家だ。ギリシャ神話をモチーフにした「シーシュポスの神話」というエッセイも書いている。俺はむずかしい話は苦手だから、ざっと教えてと言って頼んだ。人間はそもそも不条理であって、なんで生まれて自分自身になっているのか分かんない。人間は生まれてから一日一日死に近づいて行く。長じて大人になり働くようになると、日々刑務所の囚人のように同じことを繰り返している。朝起きる。顔を洗う。歯などを磨く。服を着て牛乳飲んだり、ジュースやコーヒーなどを飲み朝食をとる。アジの開きに、海苔や納豆、お新香に味ソ汁系もある。犬や猫のエサのようなシリアル系もある。で、衣服を着て外に出て、歩いたり、バスに乗ったり、自転車などで駅に行く。そこから列車や地下鉄に乗る。ギューギューの満員電車に乗り、口臭異臭、体臭に耐えて苦痛と共に目的地で降りる。そしていつもの会社に行くと、いつもの人々がいる。そしていつもの仕事をする。昼12時になると、今日は何にすっか、焼き魚定食か豚ショーガ焼き定食、中華へ行ってマーボ豆腐定食かなんかを食べる。半ラーメン、半チャーハン定食もいい。食後安いコーヒーを飲む。で、又会社に戻り、同じ仕事をつづける。下手に話でもすると、パワハラだ、セクハラと言われるので口にチャックをする。今日もつまんなくて長いなと思いつつ夕方になる。少し元気が出てくる。オッ、五時半か、ソロソロ帰るべとなる。で、いつもの奴といつもの店に行き、チューハイとかハイボール、日本酒などを飲む。で、ヤキトリやおでん、鍋などで腹を満たす。かなり気持ちよくなって来た。ヨシ、いつもの店でカラオケだ。いきなり長渕剛の“とんぼ”かなんか歌ったりして、ヒンシュクを買う。バーロ、課長がなんだ、部長がなんだとボルテージが上がる。ワイワイ、ギャーギャー、男と女が飲んで歌って、騒いでもう帰らなきゃと外に出る。何組かはラブホテルへ行ってしまう。一人終電に向ってヨタ走りする。したたか酔っ払い、時々つんのめって倒れることもある。チクショウ、バカ女房のところへ帰るかと、ゴッタ返しの駅の中に消える。通勤電車はアウシュビッツの囚人列車と同じだ。な、なんだ、俺はまい日、まい日同じじゃねえか、一体何のために俺は生きてんだ。女房、子どものためか、ウィッとしゃくりをしながら、満員列車に突入して行く。20代から60代もしくは70代、入社から定年まで、ほぼずっと同じことを繰り返す。カミュという偉い人はそれが不条理であり、自分で選ぶことのできないのが、人生なんだ。だから死ぬまでは生きなさい、死だけは間違いなくやって来ると教えて“わかるかな、わかんねえだろうな”と、故松鶴家千とせ師匠的になる。“オレがむかし夕やけだった頃、弟はこやけだった。イェイェ~、父さんは胸やけで、母さんはしもやけだった。わかるかな、わかんねえだろうな”この師匠はこれ一曲で大金持ちになり、中金持ちになり、小金持ちになり、無金持ちになって旅立った。イエ~イ、ズビダバ、人間のいいところは“必死”といって、必ず死ねる。これほどの極楽はない。カミュが書いたギリシャ神話の「シーシュポスの神話」という本に“死”はないのだ。永遠に大きな岩を持って頂上に登っては、元に戻らされ、又大きな岩を持って頂上に登っては、元に戻らされ、又大きな岩を持って登って行かねばならない。「死よ、よく来てくれた」といった哲人もいる。地獄には死がない。わかるかな、わかんねえだろうな、人生は不条理なのだ。シュビダバ、イェ~イ。故石原慎太郎が書いた映画「乾いた花」のファーストシーンは、人を殺し刑務所を出たヤクザが駅に降り、人の波をあとに、こんなに人がいやがる。この中の一人位殺したからって、どうってことはないだろう、なんてつぶやく。わかるかな、わかんねえだろうな、イェ~イ。(文中敬称略)
2025年2月20日木曜日
2025年2月14日金曜日
400字のリング 「老人と山/無言の山」
バンザイ、バンザイみんなバンザイ。旧日本陸軍が戦争でバンザイを叫びながら玉砕した話ではない。二月十三日の夜八時頃の東海道線内の話だ。この日、強風の影響でダイヤが乱れに乱れていた。朝、辻堂から東京へ向った時は、今日はやけに風が強いな位であった。鞄を持たずオーバーコートのポケットに入れられる物を入れていた。この日は手帳や資料が必要なかった。“世界は人間なしで始まった。世界は人間なしで終るだろう”ある学者がそう書いていた。が、俺が乗った列車内は、ギュー、ギュー詰めの、人、人、人。東京駅に行くとホームは会社帰りの人であふれんばかりであった。グリーン車もフツー車も人の列車詰めであった。さして急ぐこともないのだが、愚妻の好きな駅弁を買っていたので、それを持ってウロウロできない。仕方ネエな乗るかと人の列につながった。「全員死刑」という映画があったが、「全員無言」である。アウシュビッツの収容所みたいだ。列車が来た。ウォォォ~ン満員でないかい。ドアが開くと降りる者はいない。もう乗れないんじゃないと、心をざわめかせていると、人が入って行く、入って行く。後からズイズイ押されて俺も入って行く。駅弁を頭の上に上げながら。でもってギューギューの中へ。ふとある映画を思い出した。周防正行監督のヒット作「それでもボクはやってない」実話を基にした映画だ。一人の若者が列車の中で、この人痴漢ですと訴えられ、警察に連行された。若者は一貫して僕はやってませんと調書を取らせない。こうなると日本国の警察は意地でも外に出さない。結局、若者は拘置所に一年近く入れられた。裁判官は事件現場を映画のセットのように再現させることにした。勿論監視カメラも同じように取りつける。乗客も監視カメラに写っていたように、老若男女を配置した。結果、訴えた女性のようにはどうしてもならない。事件は女性の訴えた通りではなかった。そして無罪放免となった若者は怒ることすら忘れたようになっていた。(ずい分昔の映画なので正確ではない)確か“加瀬 亮”が演じていた。女性には男と違い、たわわな乳房があり、ハチ切れんばかりのヒップがある。超満員の列車内でこれらに触れないようにするには、バンザイ、バンザイしっかないすよ、と列車慣れした後輩に聞いたことがある。冗談じゃないっすよ、オバサンにチンポまさぐられたことがある。でも男は訴えることはできないっすからね。とにかくバンザイ、バンザイしかないっすよ満員電車の中では。俺は耐えに耐えたが、大船駅でなんとか降りた。パニック障害みたいになっていて、金魚みたいにパクパク息を吸った。みんなまい日こうして働いているんだ。それなのにこの国では大企業だけが儲って、物は値上げ値上げ。中小・零細はバンザイ、バンザイなのだ。今は亡き「人生幸朗師匠」じゃないが、「責任者出てこい!」だ。アメリカ通に聞いた話ではトランプは日本国の責任者“石破 茂”と記者会見が終った後、顔を見ずにプイッとすぐ去った。すでに石破 茂の名前を忘れていたとか。ちなみに東京周辺でいちばん痴漢が多い列車は、埼京線と武蔵野線らしい。諸兄気をつけるべし。
(文中敬称略)
2025年2月6日木曜日
400字のリング 「老人と山/恥の山」
香港映画の名作に「男たちの挽歌」というのがあった。ジョン・ウー監督だ。その映画のキャッチフレーズは、“恥じて生きるより熱く死ね!”だった。そのフレーズをずっと自分に言い聞かせている。だが悲しいかな人間は生きている以上日々老いて行く。別に若さがうらやましいということではないが、デパートのショーウィンドウに写る我が身を見ると、現実が見える。街を歩いている俺をスイスイと人が追い越して行く。それがフェンディやディオール、シャネル、ルイ・ヴィトンなどのウィンドウに写り込む。春節で銀座の街は中国人、中国人、中国人の群れだ。超高級のブランドショップは中国人の行列だ。俺がニーハオ、ニーハオと声をかけると、行列はキョトンとした。資生堂パーラーで人と会いランチをした後、側にあるロレックスやエルメスの時計を売る店のウィンドウを見た。そこには一個一千万円以上する時計がディスプレイされている。中国人たちはいともたやすく超高級時計を買うと聞いた。ティファニーの超高級時計は、一億~四億もするのがあった。それも買って帰る。俺はそんな腕時計をしている奴の腕を、片っ端から日本刀で斬り落としているシーンをイメージした。日本国は衰退の一途で、インバウンドがなければ、デパートは勿論、ブランドショップでもクローズ、つまり終りとなる。高級レストランも、あらゆる高級店はギブアップとなる。日本という国は、恥じて生きているのだ。熱く死ぬなどという根性はない。俺は長生きしすぎたな、死に時を見誤ったなと思った。トボトボと思った。シミジミ思った。こうなりゃ、あのヤローにケジメをつけてと思っている。韓国映画の中にいいフレーズがあった。“復讐は最高の健康法”だと。やられたらやり返す。裏切った奴は許さない。それが心身を鍛える。俺は動かずに一発で仕止める術と技を自己流で習得している。愛する友、愛する者を守るために。そして映画的ラストシーンを生むのだ。「男たちの挽歌」で、チョウ・ユンファは、スーパースターになった。恥をかかされたケジメをつける。さて、石破 茂は、トランプ大統領と、どこまで闘えるか。菅 義偉が総理大臣の時、初めてアメリカの大統領に会いに行った。その時、用意されていたランチは確か白い皿に一つのハンバーガーであった(かわいそうに)。中国の習 近平にはこれ以上ない、オ・モ・テ・ナ・シであった。勝 海舟曰く外交とは、気合いと“術”である。(文中敬称略)
2025年2月1日土曜日
400字のリング 「老人と山/骨の山」
土曜日の早朝、俺は紙パックの菊正宗の角をハサミで切り落としいつものグラスに注いだ。つま味は前夜の残り物、“タイの粗煮”だ。しっかり“粗”で金を取る店は“かぶと煮”という。物はいいようである。かつて東京都杉並区天沼三丁目に住んでいた頃、俺は六人兄姉の末っ子のガキだった。魚藤という魚屋さんがあった。母親から魚のアラを買ってくるようにいわれてバケツを持ってよく行った。魚屋さんのオヤジは体が大きく筋肉がモリモリしていた。魚をテキパキ包丁で切っては刺身にしたり、煮物用に内臓を取り出しては、大きなまな板から次々と落としていた。タイの頭はアラと言っていちばん安かった。俺はそれをバケツに入れてもらって帰った。母親は煮物にしたり、アラ汁にしたり、塩焼きにした。俺は今でもタイの“アラ”は大好きだ。愚妻はよく買ってくる。早朝どんぶりにネギとアラを入れた“アラ汁”をつま味に映画を見た。1960年代日活の映画であった。アラを食べるにはとことんアラ探しをする。大きな目玉が俺を見ている。かなり大きめのアラであったので身がかなりある。箸で丹念にアラ探しをする。大きめの身が取れるとやったなとよろこぶ。タイの骨は恐竜の“ハクセイ”のように太くて鋭い。気をつけないとノドに突き刺さり死に至ることもある。骨についた身を根気よく取る。目ん玉を食べてしまう奴もいるが俺は食べない。日活の映画は刑事ものだから犯人を探す。俺はそれを見ながらタイの身を探す。まだある、まだある、オッこんなにある、目ん玉の側には大きな身がある。旨い! 菊正宗も旨い! “鬼ころし”より少し高いだけあって格調がある。どんぶりの中はタイの骨ばかりになるのだが、まだあるのではと箸を動かす。母親はすっかり食べて残った骨を茶碗に入れて、お茶をかけて完全に食べ尽くしていた。1960年代にまさか“コロナ”があったとは、殺人犯を追っている刑事が地取り捜査の時に“コロナが流行してますから”という言葉を使った。意外であった。監督牛原陽一、脚本は古川卓巳であった。1960年代俺は映画ばかり見ていた。二谷英明とか、若き郷 鍈治とか、名優織田政雄とか、小高雄二とか今は亡き役者が次々と出てくる。タイの身も出てくる。突き刺し、ほじくる。こんな時間が俺には至福の時間である。今の世はアラばかり、バカヤロー令和の時代に米一揆かと思う。悪党たちが米を買い占めて値を上げているのだ。アラを探して突き刺してやらねばならない。どんぶりの中はいつしか骨の山となっている。故城 卓矢が歌った「骨まで愛して」を口ずさんでいた。 フジサンケイグループのボス、日枝久は往生際が悪い。早くこの世とオサラバしないと、フジテレビは骨の山になるだろう。フジのアラはまだまだある。不治の病なのだ。(文中敬称略)
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