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2025年2月1日土曜日

400字のリング 「老人と山/骨の山」

土曜日の早朝、俺は紙パックの菊正宗の角をハサミで切り落としいつものグラスに注いだ。つま味は前夜の残り物、“タイの粗煮”だ。しっかり“粗”で金を取る店は“かぶと煮”という。物はいいようである。かつて東京都杉並区天沼三丁目に住んでいた頃、俺は六人兄姉の末っ子のガキだった。魚藤という魚屋さんがあった。母親から魚のアラを買ってくるようにいわれてバケツを持ってよく行った。魚屋さんのオヤジは体が大きく筋肉がモリモリしていた。魚をテキパキ包丁で切っては刺身にしたり、煮物用に内臓を取り出しては、大きなまな板から次々と落としていた。タイの頭はアラと言っていちばん安かった。俺はそれをバケツに入れてもらって帰った。母親は煮物にしたり、アラ汁にしたり、塩焼きにした。俺は今でもタイの“アラ”は大好きだ。愚妻はよく買ってくる。早朝どんぶりにネギとアラを入れた“アラ汁”をつま味に映画を見た。1960年代日活の映画であった。アラを食べるにはとことんアラ探しをする。大きな目玉が俺を見ている。かなり大きめのアラであったので身がかなりある。箸で丹念にアラ探しをする。大きめの身が取れるとやったなとよろこぶ。タイの骨は恐竜の“ハクセイ”のように太くて鋭い。気をつけないとノドに突き刺さり死に至ることもある。骨についた身を根気よく取る。目ん玉を食べてしまう奴もいるが俺は食べない。日活の映画は刑事ものだから犯人を探す。俺はそれを見ながらタイの身を探す。まだある、まだある、オッこんなにある、目ん玉の側には大きな身がある。旨い! 菊正宗も旨い! “鬼ころし”より少し高いだけあって格調がある。どんぶりの中はタイの骨ばかりになるのだが、まだあるのではと箸を動かす。母親はすっかり食べて残った骨を茶碗に入れて、お茶をかけて完全に食べ尽くしていた。1960年代にまさか“コロナ”があったとは、殺人犯を追っている刑事が地取り捜査の時に“コロナが流行してますから”という言葉を使った。意外であった。監督牛原陽一、脚本は古川卓巳であった。1960年代俺は映画ばかり見ていた。二谷英明とか、若き郷 鍈治とか、名優織田政雄とか、小高雄二とか今は亡き役者が次々と出てくる。タイの身も出てくる。突き刺し、ほじくる。こんな時間が俺には至福の時間である。今の世はアラばかり、バカヤロー令和の時代に米一揆かと思う。悪党たちが米を買い占めて値を上げているのだ。アラを探して突き刺してやらねばならない。どんぶりの中はいつしか骨の山となっている。故城 卓矢が歌った「骨まで愛して」を口ずさんでいた。 フジサンケイグループのボス、日枝久は往生際が悪い。早くこの世とオサラバしないと、フジテレビは骨の山になるだろう。フジのアラはまだまだある。不治の病なのだ。(文中敬称略) 



 






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