快人、怪人、文人、才人、歌人、広告人、酔人、廃人、そして死人へ。生きていれば73歳程だと思う。俺は「中島らも(1952-2004)」の大ファンであった。兵庫県尼崎市、名門灘中を八位で入学した。地元では神童といわれていたという。本名は「中島裕之」(なかじまゆうし)天才と狂人は紙一重というが、この人ほど人に愛された天才は少ない。高校時代に酒の味を知り、大学生、社会人となりやがて酒の肴は睡眠薬、又、覚醒剤の元となるぜんそくの薬(エフェドリン)をシロップで飲んだ。他にマリファナもやった。警察に捕まったこともある。灘高出身者の殆んどは、東大か京大であるが、“中島らも”は成績がガタ落ち、大阪芸大へと進んだ。無類のギター好きであり、世界各国の弦楽楽器を家中に置いて、ほんのスキ間で生活をしていた。話術にも優れていた。愛妻家であり、ロックンローラーでもあった。文才には特に恵まれ、直木賞の候補にも二度なった。人気作家になり、人気エッセイストになり、人気人生相談者にもなった。仕事は山盛りとなった。朝起きたらすぐにウイスキー、そして次の朝まで、飲んでは書き、飲んでは書きをつづけた。医者から希有な内臓といわれた程酒に強かった。俺の知る限り多種多彩数多くの人に愛され、リスペクトされたのは、故原田芳雄さんと、故中島らもの二人だろう。各界の人々が二人を愛した。故中上健次、松田優作、内田裕也、崔洋一、安岡力也、飲んだら大暴れする武闘派も二人の存在で事を納めた。かつて四谷に「ホワイト」というBarが地下にあった。俺は一度行ったが、業界人の溜り場でここで飲んだら、きっと大きな事件を生むと思いご遠慮した。マスコミ関係、出版関係、広告人や芸術家、文人墨客、芸能人たちが集まっていた。新宿二丁目ゴールデン街に「前田(まえだ)」という有名なBar、「アイララ」というBar、故赤塚不二夫や当時のタモリが珍芸を行なっていた。「どん底」というBarも同様で、ラリパッパ(酔っ払い)が常連であった。俺は今「中島らも」という山を見上げている。ラリパッパ界のスーパースターだ。酒癖が悪いことはない。分別をわきまえていた。残念なことに怪我をして死人となった。当時階段から落ちたと聞いた。俺は今「中島らも」の落語を見ている。最近破天荒な人間が出てこない。みんなこじんまりしている。命がけで酒を飲む人間もいない。胃が突き刺ささるように痛い。ヨシヨシと、“ブスコパン”を酒で飲んでやると、すっかり治まる。だが「中島らも」という山は、とんでもない山なのだ。(文中敬称略)
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