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2025年1月9日木曜日

400字のリング 俺は「老人と山」

E・ヘミングウェイは「老人と海」で自分自身の魂の歴史を語り、やがて猟銃の引き金を自ら引いて、男としての人生を終えた。俺の家の中には、E・ヘミングウェイが巨大カジキマグロを釣った後、漁港で記念写真を撮った写真がある。床から天井までの大きいパネルだ。俺は日々それを見てきた。俺はどう自分の人生の落とし前をつけるかを考えながら、ずっと生きてきている。憧れのE・ヘミングウェイが、「老人と海」なら、俺は「老人と山」だと決めた。今年の年賀状の一枚は、「両忘(りょうぼう)」に決めた。「生を忘れ、死を忘れる」。中国の賢人の言葉だ。今までは「私」という言葉で自分を気取ってきたが、コソバユイので今後は「俺」で行く。これからヒデー腰痛を抱えながら、標高何メートルの山を登れるだろうか。登山ではない。これはやってやるぞという目標の山の高さだ。人生は不条理との闘い。長い裁判生活ともいえる。自分自身との闘いである。いまさら過去に未練はない。今日生きてていても、明日は死刑かも知れない。人生は喧嘩と同じなので、マイッタ、負けましたと頭を下げない限り、勝負はつづく。地の果てまで探してケジメをつけなければならない奴もいる。(もうあの世かも知れないが、あの世でカタをつける)近頃の世の中は堅気の人間が、やたらに人を刺す。物騒この上ない。若い頃、喧嘩をする相手が刃物を使うと調べたら、腰に少年マガジンとか、少年ジャンプを巻き、両腕には週刊朝日とか、サンデー毎日とかの週刊誌をつけた。紙の束はピストルのタマも、刃物も寄せつけない。今の世はこんな装着が必要なほど人は狂っている。令和七年は世界中が大混乱する。何が起きても不思議ではない。日本国はかつて一人の指導者が「美しい国づくり」なんて言ったが、夢も希望もない、金、金、金の拝金国家となってしまった。「汚い国」に成り下がったのだ。石破 茂という国の指導者に、何ができるのか、関税マニアのトランプの米国からすれば、鴨がネギを背負って来るのを、舌なめずりして待っている。アレやれコレやれ、アレ買え、コレ買え。あ~しろ、こうしろ、三白眼がただの白眼になってしまうだろう。目を白黒させられる、世界の政治情況を間近に体感している内に、黒目が無くなってしまうはずだ。野党も、与党も、ゆ党も世界が全く見えていない。チンケな公約ばかりだ。霞ヶ関の官僚に立ち向える政治家は少ない。日本は完全なる官僚国家となる。日本の一人あたりのGDPは、OECD加盟38ヵ国中21番目の韓国以下になった。韓国語でもうおしまい、という事を「オプソ」という。日本は完全にオプソとなる。世界はトランプによって、ビビンバ(かきまぜる)だ。中国は100年単位で国をつくる。気がつけば地球の殆どは中国が支配している。あるいは金を貸している。世界一速い新幹線が完成、時速500km以上だ。新年早々嫌な気分だ。だがあの山を登らればならない目標がある。正月駅伝の選手の速さを見ると、ああ無情脚力はガタ落ちだが、「老人と山」で行く。そこに山があるかぎり一歩づつだ。今年400字のリングは、ブンキ(気分)次第です。生原稿をテキスト化するため、人の手を借りないとイケナイのです。そして頼りはガタがきているFAX。時々どん詰まりになる。送り役の愚妻のごきげんもある。(文中敬称略)



 




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