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2025年4月5日土曜日

400字のリング 「老人と山/偶然の山」

「男の顔は履歴書。女の顔は請求書」という名言を遺したのは、確か作家の故藤本義一だったと記憶している。一人ひとりの人間にはそれぞれの顔が、基本的に一つある。美男子に生まれたばかりに、ケツの穴を掘られまくり、大痔主になった男も多い。美人に生まれたばかりに、大借金(バンスという)を抱え込み、フィリピンやタイに売られた女性も多い。飲み代のツケを払ってと請求書を送るも、相手がフケてしまい(逃げる)、飲み代を自分が背負うことになる。やがて悲しき仕打ちが襲って、体で返せとなる。美しかった顔は見る影もなく変わり果ててしまう。昨日、朝日新聞の朝刊21面、かながわ版にこんなベタ記事(小さな記事のこと)があった。事件・事故・見当たり捜査で容疑の受け子逮捕 相模原南署は2日、特殊詐欺の「受け子」をしたとして、住所不定、無職の中村義輝容疑者(33)を詐欺容疑で逮捕し、発表した。記事はつづき24行で終る。この記事を読んで、「見当たり捜査」を特集した番組を思い出した。この捜査の担当は、署内でも数少ない。事件を犯して逃げている、数多くの犯人の写真を目に焼き付けて記憶する。それは殺人犯であったり、強盗や窃盗、放火やスリ、万引き、性犯罪や暴行傷害など、六法全書に載っているだけ犯罪があり、逃げつづけている犯人がいる。犯人の数だけ“顔”を持っている。見当たり捜査は、一日中視界に入る人間の顔を見つづける。似てる、似てない。もしかして、否違う。それをずっとつづけるのだ。俺も街行く人間の顔を見るのが好きだ。面白い顔、つまんない顔、ゴッツイ顔、笑っている顔、疲れ切った顔、欲深き顔、嫌な顔だなと思ったら、ガラス戸に映った俺の顔だった。これはと出会った顔に勝手にストーリーをつける。次々と短篇映画のシナリオが浮かぶ。残念ながらそれを形にすることはできない。シナリオはダンボールの箱の中に入って終る。今回お手柄の金星を挙げた見当たり捜査官は、若手であった。防犯カメラの映像で見た顔を憶えていたのだ。かつて見た番組では、ベテラン捜査官でも、一年間に一人も見つけられない年があるという地味な仕事なのだ。銀座を歩いていると外国人ばかりになって、すこぶるつまんなくなってしまった。すれ違う人の顔を見る楽しみがなくなってしまった。シナリオを書く楽しみも激減した。今は妄想で書いている。『リトルモアの孫 家邦さん』の手掛けた映画が封切られた。『片思い世界』主役は三人の女優さん「広瀬すず」「杉咲 花」「清原果耶」、それに横浜流星。脚本「坂元裕二」監督「土井裕泰」大ヒットした。「花束みたいな恋をした」のコンビだ。“ペスト”を書いた作家カミュは、一人ひとりの人間は偶然生まれた。すべては不条理の中にいるのだと書いた。俺はなんで俺なのか、俺はなんでこんな悪人顔に生まれたんだと悔やんでも、偶然の産物だから仕方ない。この世とあの世が逆になったって全然不思議じゃない。映画は遠い思い出と会える世界をつくることができる。人は、“初恋にかえる”という。さあ、今夜眠る時、初恋の人を思い出して、片思いをしてみよう。ブルマーかなんかで走り回っているあの子。俺はトレパンだ。きっと映画館で観てほしい『片思い世界』三人の女の子は偶然の中なのか。不条理の中なのか。ファンタジーは夢の中なのか。トレパンの俺は校庭に引かれた白いラインに沿って走っている。オヨヨ、俺には顔がない。音楽室から女子生徒の合唱が聞こえてくる。あの子はどこだ。ソプラノか、テノールかな。それともピアノか。(文中敬称略)