突然濃厚な牡丹の花がパカッと二輪咲いた。一つは濃厚な赤、もう一輪は艶やかなピンク。二輪が寄り添うように咲いた。今年は花芽が出ていたので楽しみにしていた。九州に向った日の朝は、小さなつぼみだった。桃色が恥じらうように見えた。人間でいえば少女の如くであった。咲いたら写真を撮ろうと思い、使い捨てカメラ(これがいちばん)のフィルムを五枚分(シャッター五回分)残して、仕事へと旅立った。辻堂→横浜→羽田→福岡→柳川→大牟田のコースであった。福岡の天神で俺がこよなく愛する後輩と会った。こよなくといっても女性ではない。かつて俺たちの会社にいた、清々しい男だ。いつ会っても薫風のように爽やかなのだ。3.11の大地震の時、まだ小さな子がいた。奥さんが東京は恐いからと実家のある福岡へ避難した。小さな我が子に放射能はよくないからだ。で、後輩はひとまず妻の実家へ行って来ますといって、福岡に行きそのまま帰って来なかった。今では有名なグラフィックデザイナーとして数々の賞を受賞している。特筆すべきは一昨年、福岡での世界水泳大会で使用する、金・銀・銅のメダルのデザインのコンペで一等賞になった。選手たちはそのメダルを首にかけ国歌を聞いた。俺はその事がうれしくてたまらなかった。何をつくるにしても理詰めで生み出す。しっかりといろんな背景を調べる。そして斬新なデザインを生む。いい男で、いい奴で、汚れていない。俺は嫌な男で、横柄を極め、暴力的で汚れちまっている。そんな俺の正反対の男なので憧れている。で、福岡で会った。先週末の金曜日、大変お世話になっていた会社の人が二人停年になった。一人は延長して六十五歳で、もう一人は延長せずに六十歳であった。俺とそのお二人、今もその会社にいる人二人、合計五人での“停年を祝う会”であった。むかし話は、話に尾ヒレがつきドンドン大きくなるのがいい。メダカはフナに、フナは大ナマズに、大ナマズは大マグロに成長する。俺はホラ吹きである。酒はそれを許しくれる。俺が支持している政治家以外は、どうしようもない者ばかりだ。救いようもない。プッツンの広末涼子、チンポコを丸出して迫っていたという、とんねるずの石橋貴明、不倫、不倫、季節外れのフーリンのように不倫を重ねる女子アナたち。なんでだと賢人に問えば、それは、そこに穴があるからじゃと教える(ウソです、想像ですよ)俺は何度も書くが、男と女の下半身は別人格なのだ。人間という動物の愚かな肉体は、愚かにも発情してしまう。アメリカの大統領トランプにホワイト・ハウスで交渉に挑んだ、この国の大臣は哀れを極めた。格下の、その又下の格下の私に会ってくれましたと。赤い帽子をもらってピースサインをつくってパチリと、屈辱的写真が一枚できた。どいつもこいつも格下ばかりだ。トランプは執務用のレザー貼りの立派なソファー椅子、テーブルをはさんで向うは、デッキチェアの我が国の代表。その有り様を見て、外国の政治家は、日本は実験台のモルモットとか、日本はカナリア(大事政を予告する)であった、とか。ゴルフのパター(先に打ってくれればラインが読める)などなどいろいろな表現でボンクラな日本の政治家を笑った。飛んで火に入る夏の虫ともいう。喧嘩は先に仕掛けた方が敗ける。相手がジリジリとしびれを切らすまで待たせる。例えば豊臣秀吉をトコトン待たせた、伊達政宗、佐々木小次郎をイライラの頂点まで待たせた宮本武蔵、孫子の兵法にある、謀ごとであり、術である。「肝大小心(たんだいしょうしん)」という言葉がある。肝をでかく、打つ手は細心に。石破 茂が行く時は、死装束で、手には短刀を。これは日本国に伝わる、死をかけた時の作法だといって。わかるかな、わかんねえだろうな。九州から帰って来た時は午後十一時近かった。すぐにカーテンを開けると、ウオッ、ヤッパリ、この暖かさで一気に咲いたか、牡丹ちゃん。夜間にストロボで二枚、朝起きて花の向きを直して三枚。やはり動物は植物に勝てない。梅の木にはすでに南京豆位の大きさになった緑色の梅の実がビッシリついている。昨年は一個もとれなかった。「あした地球が滅ぶとも、今日リンゴの木を植える」そんな言葉を思い出した。空港で明太子を買うかと思ったが、どえらい高くなっていた。西鉄電車のシルバーシートに二人で座って、しゃべっていたら、マスク顔で妖怪みたいなオバサンが両手に軍手をつけて近づいて来て、ウルサイ! 静かにしろ! と怒った。……スミマンでした。その夜、溜っていた朝刊を読んだ。トップの見出しに、一流ホテルがカルテルを組んで値段調整をしていたとか。許せない奴等だ。高くした宿泊費を下げないための悪巧みであった。一流ホテルの中華なんで、どこも街中華の「菊凰」に比べたら、格下の中の格下の味だ。料理の味もカルテルを組んでいるのか、どこも高くてマズイ。味は格下でバカ高い。(文中敬称略)

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