戦場報道カメラマン ロバート・キャパはヘリコプターの上で、今戦場に降りて生と死の確率が50%と言われたら間違いなくヘリコプターを降ろしてくれと頼んだと伝えられる。
ユージン・スミスも然りであろう。
日本でも戦場報道カメラマン達が命を落として逝った。
沢田さん、一ノ瀬さん達、そして今回の村本博之さん。ロイター通信日本支局のカメラマンであった。
かつて日本の映画界に内田吐夢という大監督がいた。
夢を吐くからその名を付けたという説がある。本名は内田常次郎という岡山県の和菓子屋の三男坊であったそうだ。水上勉の名作「飢餓海峡」を三時間十二分の長篇で仕上げた。会社は長すぎるからと助監督にカットを命じた。それを知った内田吐夢は激怒、映画監督にとって「命一コマ」なんだと言い、カットしたものを上映するなら自分の名を消すようにと申し入れた。そして東映を退社した。
その内田吐夢がいつも言っていた言葉は「歴史を描きたい。歴史を語る人間は自分の足の裏でその地べたを踏みしめないとダメだ」それを口癖にしていたという。旅役者の一座にいたり、浅草で日雇い労働者などをして人間を観察していた。やがて満州に渡り映画界に入る。
戦場で銃弾に倒れたカメラマンも歴史の一瞬を求めてシャッターを切り続けた。世界の報道はロイター、UPISUN、新華社から配信してもらう仕組みとなっている。
世界中でジャーナリズム、特に新聞社が次々と消えていっている。自分の足で記事を書かない記者、外注スタッフ任せの写真や、電子辞書頼りの継ぎはぎ記事を書く記者達、そこには執念も正義感も熱意もない。朝日、読売、毎日、日経、産経等主力紙は御用新聞と化し一体アメリカの味方か日本の味方かが判らない。何かの社会的テーマを猟犬の如く追いつめていくものが全く無い。
ジャーナリズムの始めはローマ帝国のカエサルが「アクタ・ディウルナ」という日々の事を書かせた事からだという。ジャーナルとは日々という意味だ。日々の地に立たないで、行かないで、聞き語りの様な記事を書く記者達よ、戦場の真ん中に行き銃弾の雨を浴びよと言いたい。
映画監督が「命一コマ」なら、戦場カメラマンは「命一瞬」「命一発」でないと歴史の瞬間は伝えられない、肉声が語れない。
かつては命懸けの取材であったという記事があったが、今や死語になってしまった。
旅行会社、出版社、宗教、通販等に頼る広告、減り続ける部数、新聞を読まないでもインターネットで十分という若者たち、それでも日本の新聞販売所は毎日正しくどんな日でも配達してくれる。世界の航空会社の中でほぼ時間通りに離発着する一位はJAL、二位はANAであった。列車が当然のように時刻表通りに駅に来る事は外国人にとってアンビリーバブル、信じられない出来事だと言う。
外国では時間通りに来る事の方がおかしいのだ。
バスも巡回船も日本は正確なのだ。何もかも正確な国なのに警察や検察の取り調べ、それを書く記事、今世の中に何が起きているか、今この国に何が必要かを正確に書くジャーナリズムが消えて行っている。もっと夢を吐け、血を吐け、靴の底を減らせ、今起きている歴史の地の上に立てと言いたい。
ある外国人旅行者達のアンケートが救いであった。
日本人の一番良いところはという問いにみんな口を揃えて第一位は「親切な事」と応えていた。この「親切」を磨いていかねばならないと、そんな国になってほしいと願う。「親切の国ニッポン」こんなキャッチフレーズでみんなが一つになるといいと思う。アメリカ軍隊にばっかり思いやりとか親切過ぎる事はない。政治家も「命一徹」を貫いて欲しいと思う。