便箋発祥店といわれる、東京日本橋の紙製品販売「榛原」。
1806年創業で、幕末に縦の罫線入りの便箋を発売したという。昭和の初めには蛇腹に畳んで折り目にミシン線が入った「蛇腹便箋」を発売。切り取っても使える一筆箋の様なものになり大人気、それは今も続いている。
職人の腕前を見せる一枚一枚のものは素晴らしい出来栄えだ。銀座の鳩居堂という処にも色んな便箋がある。
この頃は手紙なるものがとんと少なくなった。
パソコンとかファックスとかメールで済ませてしまうからだ。
手紙は、まず便箋を選ぶ。次に切手を選ぶ。そして何より筆記具を選ぶ。万年筆、筆、ボールペン、便箋によって変える。ヤマト糊で丁寧に封をしてポストに入れる。
郵便局でそれを区別し、その先の郵便局に送る。受け取った郵便局はスタンプを押し局員が一軒一軒配達する。その一通の手紙がラブレターだったり、別れの手紙だったり、両親や友人や知人を励ます手紙だったり、なんとか借金を願いたいとか人生そのものが書かれている。葉書や絵葉書、素敵なポストカードなんかも全く同じ過程だ。自分で撮影した写真のポストカードなんかは嬉しい一枚だ。
ある有名な編集者は、葉書や手紙は「心の握手」なんですと言っていた。どんなに疲れていても目を通した原稿の作者や執筆してくれた作家の人達、出会った人達に毎日一枚の葉書を出すという。やがてその「心の握手」は強い信頼感を生み出した。
9.11があった時、イラストレーターの黒田征太郎さんは丁度ニューヨークにいてあの出来事を目の前で見た。その光景を一枚一枚葉書に描いて東京の友人に送り続けた。なんと千通近くになったという。ニューヨークの郵便局から日本へ、そして東京へ。色んな手順を経て毎日友人の処にちゃんと着いた。東京でそれを見て「ホンマ郵便は大変なコトヤナァー」感激するなぁーと話をしていた事を思い出した。
つぶやきというツイッターが流行っている。何とも味気ないやりとりである。つぶやきとはボヤキとかグチとか密告とかの為にやっていた後ろめたい行為であった。
美しい女性や憧れていた女性に通り過ぎる時に耳元で、好きよとかいつもの処でとか今日カッコイイとかつぶやかれたらその日は一日中ウキウキするだろうが、その逆を言われたりすると最悪の日となる。キライとかサイテーとかダサイとかである。
つぶやきひと言で一人の人生が大きく変わってしまう。
この頃葉書や手紙が少しずつ復活しているという。ほんの少しの動きでもいい事だと思う。手書きの手紙、手書きの葉書で是非「心の握手」をして下さい。
文明が異常に発達すると文化はどんどん後退します。人の心も同じです。おぞましい事件の裏に「心の握手」が欠けているのです。
テレビが世の中に出回った時、ある高名な人が「テレビを消す一週間」というキャッチフレーズを出しました。確か伊勢丹の広告だったと思います。「携帯やメールを忘れる一週間」を作ってみて下さい。そして一枚でも手書きの葉書や手紙を書いて下さい。字が上手くないとか下手だからは全く関係なしです。
私はこの国を立て直すには一枚の葉書、一枚の手紙からと思っています。「心の握手」を言ったのは幻冬舎の凄い編集者、石原正康さんです。物静かだが名刀の切れ味の人です。
もしかして大切な礼状を出し忘れたりしていませんか。親しき仲にも礼儀あり。まず親兄弟と「心の握手」をして下さい。難儀な問題、離れてしまった心も少しずつほぐれていくはずです。
このところ季節の便りは凄い寒い、凄い寒い、ちょっとだけ暖かいの繰り返し。何か変ですがこれも自然からの握手なんです。何かを知らせたいのでしょう。