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2010年6月15日火曜日

人間市場 ビヤ樽市


現在住んでいる以前の家の隣にサンケイリビングという処に勤めている人がいた。
私より一歳上、身長は150㎝位、奥さんと子供二人で上の男の子が私の娘と同じ年であった。私は大阪に転勤していた義兄の家に住んでいた。その年大阪の転勤から帰って来るとの事ですっかり海のある生活に慣れ親しんでいた私はその近所に中古の住まいを探した。その時労を尽くしてくれたのが隣のご主人だった。

月に二回床屋さんに行くが以前住んでいた処の床屋さんが私の刈り具合を知っているので三十三年間通っている。雨でない限り自転車で行く。

ある年そのご主人の家が改装を始めやがて二階建ての大邸宅が出来上がった。
床屋のおじさんおばさんが云うにはサンケイリビングを辞めて株をやり始め、大儲けしているという。へえーそうなんだ、株なんかにのめり込んでいるといつか酷い目に遭うよ等と話をした。

それから二年後床屋さんの二つしかない一つの椅子にご主人が座っていた。
株やってるんだって。ええまあ。
凄い家じゃないでっかいベンツもあるし。ええまあ。
今度家を建て替えるのでチョット書類がいるので今度行くのでお願いしますよと話をした。

後日書類を作ってもらいに家に行くと部屋中がグラフを表示した紙だらけ、パソコン二台、奥さんがお茶を出してくれる。すいません、今起こして来ますから、ニューヨークの株式市場が深夜開くので毎日睡眠不足なんです。一日中動かないでパソコンと睨めっこだから体がビヤ樽みたいになってしまったんですと言っていたら、イヤーすみませんちょっと眠ってしまってと言いながら出て来た。本当にビヤ樽みたいに変形していた。

株など一切知らない私は株って上がったり下がったり大変なんでしょと聞くと、それが面白いんですよ上がったら下がる、下がったら上がる。それを読むのが醍醐味なんです。

それから数年後駅の側にある小さな画廊で友人の個展があった。そこに行くと受付にあの奥さんが座っているではないか。てっきり友人の知り合いでお手伝いかと思ったらそうではなくその画廊にパートで勤めていると言う。

どうしたんですかご主人はと聞くと、株でスッテンテンになって何もかも無くしました。
家はと訊ねると、全部持っていかれてしまいました。
ご主人はと訊ねると、この画廊のオーナーの不動産会社に勤めているという。
元の職業に戻ったんだ。悪夢ですよ悪夢。本人はいつか又リベンジするなんて言ってるんです、そうしたら絶対離婚します。

それから半年後位に床屋さんで会いました。男同士の仁義で株の話は一切なし。
奥さんと会った事も言わない。ただかなりスリムになっていたのでダイエットしたの?かなり昔に戻ったじゃないと言うと、ダイエットもダイエット何も運動しないでゲッソリ痩せましたよと言う。訳が判っていたのでそれ以上の事は話さなかった。

濃いブルーのスーツに白のワイシャツ、レジメンタルのネクタイでビシッと決めていました。これから物件の商談なんですと言いながらお金を払っていた。親子四人近所の団地に住んでいると床屋のおじさんが言った。株止めたんだと聞くとおじさんが何回も止めたりやったりしているからね、バブルの頃が忘れられないんじゃないかなと言った。時々怪し気な人と歩いているからな。

それから三年後、自転車で駅のロータリーにいると大きな白いベンツからどうもと声を掛けられた。あのご主人だ。ああ株で一儲けして、今は上昇気流なんだなと思った。
体はビヤ樽に戻っていた。
ビヤ樽が坂を転がり出したらどんどんでっかくなってしまう。雪だるまの様に。どんな雪だるまになったかは想像して下さい。

2010年6月14日月曜日

人間市場 銀ブラ市

東京・三田慶応大学から銀座までブラブラ歩く。
まず慶応の裏門からスタートして芝公園弁天池へ。増上寺の境内を横断してから三門を出て大門を左折する。それから新橋駅前を通り、目的地である銀座のカフェーパウリスタ(銀座八丁目)へと辿り付く。約3㎏の散歩の事を銀ブラと云ったらしい。

芥川龍之介や永井荷風、佐藤春夫や久保田万太郎ら「三田文学」周辺の人々がこのカフェーパウリスタに集まり大正レトロな雰囲気の中で名物ブラジル珈琲を飲み、ひとときを楽しんだらしい。
現在も一杯498円で味わえる。銀座八丁目にある。ジョンレノンも楽しんだと伝えられている。

銀座は大好きな街でありよく銀ブラをする。
買い物が苦手な私は、靴はフタバヤと決めている。散歩がてら立ち寄る私の足の事は全て判ってくれている。銀食器を見るのが好きなので宮本商行に立ち寄る。
田中屋でお蕎麦をすすり、鳩居堂で文具を買い、風月堂でお茶をし、和光の画廊で絵など見る。その通り向いに友人が社長をしているおせんべいの名店、「あけぼの」で少々買う。路地裏の小さな画廊でいい絵を見つけると今日はいい一日だと思う。旭屋書店がなくなったので教文館にブラッと入っていろんな本の装幀を見るのが楽しい。

一人でブラブラ一時間から二時間歩く。
銀座通りにド派手なマツモトキヨシが出来た時はショックだった。街の景観が壊れてしまった。最近はどこもかしこも中国人だらけだ。カメラを持ってウロウロしている。
その昔ニューヨークの五番街が日本人だらけで顰蹙を買ったのと同じ光景だ。大好きなティファニーの本店なんかに立ち寄るとそこは中国人のてんこ盛り。売り場のスタッフも全くウルセイ奴等だ、ミャーミャーばかり言って中々買わない、何言ってっかよく判らないがどうやら値切っているらしい。

ティファニーで値切るのかこのワンタン野郎。メンマババアみたいの気持ちがありありと見える。静かな応対の中に怒りが籠もっている。銀座はチャイナタウンになってしまうのかもしれない。

先日、長い付き合いの友人が並木通りにある有名な並木画廊で定年後初めての水彩画展を行った。初日に行くと広い会場にたくさんの友人、知人達。奥さんと娘さんは対応におおわらわ、本人は腰痛を抱えながら一人一人にご挨拶の連続。出展点数40点、武蔵野美術大学デザイン科卒だけあって素晴らしい出来栄えだ。次々と赤丸がつく(売れてる)。本人はひたすら感謝感激。

私も経験があるが個展はとんでもなく疲れるものだ。気力体力を必要とする。大先生等は初日のパーティーしか出ず、あと途中にちょっと一回と最終日に来る。新人は朝から晩まで出ずっぱりで最終日が終わると疲れがどっと出る。

まかり間違って中国人の集団が入って来るととんでもない事になってしまう。お客さんは拒否出来ない。文化芸術に国境は無い。
但し中国人にはマナーはない。ゾロゾロ入って来ていきなり椅子に座りテーブルの上のお菓子やおせんべいをバリバリボリボリ食べまくる。お茶なんて直ぐに無くなってしまう。何の事はない、絵を見る訳ではなくお茶を飲んでお菓子食べてミャーミャー騒いで次の画廊へ。長年銀座で生きてきた銀座の猫たちも呆れ顔である。友人の処もそんな目にあっていないか心配している。

かつて中国人や韓国人を差別し奴隷の様にコキ使って戦争成金になった大企業が今頃モミ手をしてゴマすって頭を下げる。可愛い女の子をあてがって商売を求めている。日本は中国と韓国の子分になってしまった。

歴史とは恐ろしいものだ。私は中国人と話をするのは三十分位が限界で一時間となると頭の中がこんがらがった釣り糸みたいになる。外貨準備高世界一が中国だ。
パクリ大国だ。以前日本もパクリ大国と云われた。都合の悪い昔の傷は直ぐ忘れてしまうのも日本人だ。それ故この国の末路は考えたくもない。



2010年6月11日金曜日

人間市場 交代市


キムタクは終わった、と言っても巨人軍の故木村拓也選手の事ではない。巨人軍のキムタクは試合前コーチとしてノックをしながら倒れ亡くなった。そして一つのレジェンドつまり伝説が生まれた。

一方の木村拓哉はSMAPのキムタクである。
彼は千葉県出身、今をときめく大デブ女性コラムニスト、マツコ・デラックス(37)とは千葉県犢橋(こてはし)高校の同級生だ。しかし彼は決して千葉県出身とは言わず書かず東京都出身であるとプロフィールに記す。

何故でしょうかチバタリアンと言われたくないとしたら私の娘は千葉に嫁ぎ二人の孫は千葉で生まれた。千葉に対する侮辱である。
テレビの世界では月曜日の九時のドラマは月9と云って別格であるらしい。かつてキムタクは25%から30%の視聴率が当たり前だったそうだ。

五月二十八日金曜日、東京駅は社民党福島党首罷免の号外で大騒ぎであった。
夕刊を五紙買って列車に乗る。様々な記事の中にキムタク神話崩壊をハッキリ裏付けた「月の恋人」の大苦境。15.6%まで視聴率が下落とあった。第一話22.4%、第二話19.2%、第三話が15.6%、関西ではなんと12%台と書いてある。CMにバンバン出ているから人気もバンバンあるのかと思ったが今や「嵐」という若者達の時代であるという。キムタクは何もやっても同じ演技らしい。

又、ストーリーがもうトンチンカンでリアリティゼロの机上のドラマと書いてある。
不思議なものでこういう記事を読むとよし今度の第四話は見てみようかなと思ってしまう。あと三年で不惑の年となるのにクサイ芝居で10%を切ってしまうかもしれない。芸能界に詳しい友人がこのドラマに出ている篠原涼子が北川景子のあまりのド下手な芝居にどん引きになっていると言っていたのを思い出した。

脚本家より偉いマネージャーがいてあれこれ脚本を直すらしい。私なら木村拓哉にフランスのフィルムノワール(暗黒映画)の様な役をやらせたい。例えば「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンの様な。きっと新境地を見い出すだろう。

他の新聞を読み出すとカンヌ映画祭の記事、作品がすっかり映画不況で小粒とか。日本の作品は観る影もなし。そこにツーショットの写真があった。アラン・ドロンとクラウディア・カルディナーレがカンヌのパーティーで写真に写っていた。74歳と72歳になっていた。

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イタリア映画の名作「刑事」で自分の男がピエトル・ジェルミの扮する刑事に捕まって、車で消え去って行く。その車を走って追うカルディナーレ。最高のラストシーンだった。名曲のアモーレ アモーレ アモーレ アモーレ・ミオの歌が切なく悲しく流れる。

何回観たか判らない。そのカルディナーレは見るも無惨に変形していた。アラン・ドロンはまだまだいい味を出している。「太陽がいっぱい」で捕まった男が刑務所から出て来たその後の話なんて映画を作ったらどうだろうかと思った。いいだろうな、ちなみに世界の映画の名ラストシーンは1.シェーン、2.第三の男、3.望郷(ペペルモコ)。その次が「市民ケーン」そしてあのゲイリークーパーの「真昼の決闘」と云われている。

家に着いてテレビを点けると福島みずほがベタベタにグロウした赤い唇で私を罷免するのは沖縄や国民を裏切る事です、言葉に責任を持つ政治をと未練たらたら話している。
社民党は次の大臣になりたい人とか筋を通せとか本音と建前とかが行ったり来たりウンザリしてボタンを押したらピンポン大会(卓球ですね)をやっている。
こっちこそ白い球が行ったり来たり、よくまあ飽きずにやるなと思って顔を上げたり下げたりしながらこの文章を書いている。

あんまり行ったり来たりが続くので一時で終わりにされてしまった。
私の大尊敬するアートディレクター浅葉克己先生は卓球命。きっと怒っているだろうなと思った。浅葉さんは六本木合唱団の大幹部。財界、政界、スポーツ界、芸能、芸術様々な人々100人以上で合唱する。そう云えば鳩山由紀夫総理とも大の仲良し。何しろ民主党のマークをデザインした人だから、私も会社の顧問もしてもらっていた人だ。

何もかも卓球のラリーの様に行ったり来たりだ。世の中本当にうまく行かない。
「月の恋人」ってどういう人間だろうか。外は雨が降り出した。明日は孫の運動会、どうか雨が降りません様にと祈るばかりだ。

今頃になって政治家の言葉の重さ、軽さとはなんてスットコドッコイの事をどこの局のキャスターも言っている。お前達の言葉の重さ、軽さをまず考えろと言いたい。
その昔中野正剛という政治家が自らの発言に責任を取るとして国会で答弁した後、家に帰り自決した。こういう人物出て来ないかね、まったく。民主党と国民新党それに共産党がくっついたら面白いと思う。これぞよりましな政府だ。

さあ熱いシャワーでも浴びるか。ボールペンのインクも無くなったし。

2010年6月10日木曜日

人間市場 六年市

今から六年前、ある人に呼ばれ神谷町のビルの一室に行った。

私の方は確か四人だったと思う。十人掛け位の長いテーブルに私の向側に一人の美人、その隣に一人の男の人、その右側に仙谷由人さん(当時衆議院議員)、その隣に手塚仁雄さん(当時衆議院議員)であった。

話の内容は頭の良さそうな美人、その名を蓮舫さんという。その人が来たる参議院選挙に東京選挙区から立候補するので何か良い戦略があればという事であった。以前手塚仁雄さんの選挙をお手伝いし当選したその縁だと思う。

蓮舫さんは仙谷由人さんと手塚仁雄さんが後見人のようであった。かつてクラリオンガールであり、ニュースキャスターで名を成していた。ショートカットにクルクルとした真っ黒な大きな目で私をじっと見つめる。

その頃マニフェストという言葉が世の中に出まくっていた。東京選挙区は四人区である。自民、公明、共産、残り一議席を民主、社会、無所属で争う。
今と違ってかなり民主党にとって厳しい状況だった。仙谷由人さんは胃癌の手術をしたとの事、しかし鋭い目であった。その日は多分私の値踏みを兼ねた顔合わせであったと思う。蓮舫さんは双生児の女の子を産み、育てているという。未だ手が掛かる歳であった。

私は話しながら紙に筆ペンで、硬派蓮舫ママとして起つ。蓮舫のママフェスト。と書いた。徹底的にママ目線がいいのではと思う、又キャスター時代硬派と呼ばれていたのであえて硬派を旗印にはと筆で書いた。仙谷由人さんがいいねと言った。
続いて手塚仁雄さんがいいですねと言った。蓮舫さんはどうですか、今ここで決めなくてもいいですから家に帰ってご主人と相談してみて下さいと言った。蓮舫さんは凄くいいです、これで行きますと即答した。ご主人にはと聞くと隣にいる人に向かってこの人が私の主人ですと言った。なあんだ、そうですかご主人はどうですかと聞くといいですねと言った。この間およそ二十分位であったと記憶している。

その後蓮舫さんは参議院議員となり今や必殺仕分け人なる恐い人となり、ついには特命担当大臣(行政刷新相)となった。又、仙谷由人さんは官房長官となった。手塚仁雄さんは小泉ブームで一度落選したが昨年復活した。

思えば色んな人たちの選挙を手伝って来た。つくづく六年の月日の変転を感じている。みなさんに比べ我が身の六年の何と進歩の無い事か。

亀井久興さんとその娘の亀井亜紀子さんもお手伝いした。
先日亜紀子さんとは亀の子塾を立ち上げようと話し合った。蛙の子は蛙か、はじめは演説もままならなかったが竹下王国での選挙戦の最終日、島根県益田の広い公会堂(建築がとてもいい)に行ったら、この公会堂が出来て以来こんなに人が集まったのは初めてだと地元の人が言った。凄い熱気で超満員だった。
私が紙に筆で書いた言葉は「山陰」は暗いイメージだから「陽の当たる島根に」と書いた。シンボルカラーはオレンジにして太陽をシンボル化した。そして奇跡的に当選した。

加藤一郎元東大学長の娘さんである小宮山洋子さんもお手伝いした。聡明を絵に描いたような女性であった。確か息子さんと一緒だった。再出馬であったので「小宮山洋子新登場」とした。人間も商品ですからと言った。そうですねと一発でOKしてくれた。小宮山洋子さんは黄色が大好きであったので黄色いひまわりをシンボルカラーにした。その小宮山洋子さんも六月七日財務委員長となり壇上にいた。

つまりはいかに私自身が何にも変化も進化もせず退化をしているかを感じさせたれた。六年間みなさんはどう進化しましたか。一度立ち止まって見るいい機会かも知れません。

野次馬のマスコミは直ぐに、反小沢だ、非小沢だ、親小沢だ等と大騒ぎ、六年間マスコミは退化し続けている。時代が混乱、カオス状態になると必ず若くていい人材が出て来る。人材は時代が生む産物である。明治維新の立役者西郷隆盛も活躍したのは島津斉彬に見い出されてから七〜八年であった。日本にもやっと真の変化が生まれて来た気がする。

菅直人も一学生から進化を遂げた。「イラ菅」「ダマ菅」「ズル菅」と変化しながら。
強いカアチャンに気合いを入れられながら。野心家の底は浅いまだまだドラマは続く。

私にこの先の六年は無いだろうからせめて六ヶ月単位で今一度変化を目指して行こうと思う。まずは飲み、書き、作るだな。何を作るか今から直ぐに考え始めよう。もっと人生に恋愛しよう。後三年の人生だとしたらお正月は後3回しか来ない。春夏秋冬も。一年だとしたら後一回だけだ。


2010年6月8日火曜日

人間市場 政局市


六月二日、鳩山総理辞任会見。又か、である。

安倍、福田、麻生とみんな短命である。私は別にどの政党も支持をしていない。日本人は政治に対して我慢できない国民である。それ故世界中から相手にされない。

公約とかマニフェストとは四年の任期中に行う約束である。
あの小泉純一郎などは公約の一つや二つは破ったってどうって事はないと言い切った。
そうですこの国の公約は破るためにあるのです。また大マスコミと言われる朝日や読売、毎日などは政権が 変わる度にさあ未だか、さあ未だかと追い詰める。

自分たちの会社自体が権力争いや赤字まみれなのに。大臣や党役員になれなかった人間達は大姑、小姑となって悪口をいい散らす。渡部恒三はその代表である。自民党が政治と金の問題とか強行採決とかあれやこれやを何一つ言えた政党では無い。

この国は二、三度ガラガラポンにしてやり直さないと国として立ち直れない。
テレビでは田原総一朗がさあ次の総理は、幹事長は、官房長官はと競馬の予想みたいに嬉々として騒いでいる。みのもんた、宮根誠司、古館伊知郎どいつもこいつも救いがたき野次馬である。自民党の控え室ではテレビでの会見の間ヤンヤの大騒ぎだ。恥を知らない者共と言える。

若い精気のある人々に希望をたくした方がいい。
そうしたら自民党はシュンとなってしまった。家庭内のイジメ、地域でのイジメ、会社でのイジメ、何より重大なのが学校でのイジメ。全てが一本の線で繋がっていて人々の揚げ足を取る。針小棒大に話を作る。仁と義がなく妥協し合う心の広さがまるで無い。
人の長所を見ず欠点ばかりを探していく。天下百年の計を語り合わず目の前の利権や金儲けだけに走る。

いずれ民主党は割れる。自民も割れる。これから最低十年は応仁の乱となる乱世である。菅直人が総理大臣になったらいよいよ最悪だ、長くは持たない。一度話し合った事があるがまず人の顔を見て話さない、時間を守らない挨拶が満足に出来ない無礼者。携帯を持って立ったり座ったり出たり入ったりイライラしまくる、まるで二重人格の人間だ。ケンカ寸前までいった事を覚えてる。

この国の政治は衆愚政治、反社会政治、年功重視、国際感覚がまるで無い。
インテリジェンス(裏情報)とインフォメーション(表情報)がまるで機能していない。情報後進国なのだ。福島みずほ等という進歩しない出来の悪い女に手を出すと痛い目に遭う。亀井静香などというウルトラ悪人と手を組めばゴチャゴチャとなるのは当然なのだ。
舛添要一なるサバイバルナイフマニア、SEXマニア、暴力離婚マニアがエラソーな事をのたまっている。それが人気NO.1、(近々消える)戦争オタクの石破茂が気持ち悪いトーンで喋っている、いやはやとんでもない国だ。

若い人材に任せて年寄りは一度や二度失敗してもケツを持ってあげる。何事も我慢なのだ。中国の新聞がうまい見出しを書いていた、「人気が落ちて家に帰る時が来た」と。官邸では鳩山元総理が片付けをして帰り支度をしていたという。

ヒヨドリが家に帰って来いといっているとも云っている。
その時新橋や銀座ではもう次の総理は誰かと該当インタビューを始めていた。菅か前原か岡田か枝野か仙谷かだと。麻雀で言えば半チャンばかりで終わる政権、イーチャンまでせめてやって勝負してみろ。

で、六月四日菅直人が総理になった。
蓮舫さん、枝野、玄葉、細野とか樽床伸二なる50歳の若手(?)が出て来たのが救いである。この男達はリーダーになる。テレビではもう次の政局を予想している。この国は政治後進国、早く国民投票で選ぶシステムを作り上げないと同じ事を何度も繰り返し滅亡する。

政治家は辞めてハイサヨナラでいいが我々はそうはいかない。生きて行く為に。
政治アナリストというアナ党の伊藤惇夫なるうす汚くこざかしい男や、官邸機密費たっぷり頂き男の三宅久之なるつるつる坊主がテレビにでまくる。

この阿呆達がテレビから消えたらこの国はきっと良くなっている。何も総括していない老害政党自民は当分反転出来ない。

2010年6月7日月曜日

人間市場 体重計市


体重計に乗ってみる、あなたは何㎏ですか。
70㎏、60㎏、50㎏に人それぞれの重さがある。だがその重さの中に人生の重さは入っていない。人生への希望、絶望、夢やロマン、苦悩や煩悩、犯した罪、放ってしまった言葉の責任、欲望や歓喜、挫折や蹉跌、淡い恋や深い愛、諦めや決意、出会いと別離への想い、全ての運命と宿命と天命は体重計の目盛りには表示されない。

心の重さが計れたらどうだろう。朝起きる、体重計に乗る、体重73.2㎏+無念1.2㎏+引きずる愛1.8㎏+諦め0.8㎏なんて具合に計れるとその一日の心の在り方が設計できる。希望は人生を最も悪くする言葉だと言った人がいるが人間から希望を失ったらただの動物ではないかと思う。そうか人間は単なる動物なのだ。なまじっか希望とかを持つからいろんなストレスが生まれてしまい人を苦しめたり苦しんだりする。

食べて飲んで眠る、これが基本なのだ。
これに欲を加えるから厄介な事になる。もっと旨い物を食べたい、もっと旨い飲み物、もっといい服着て、もっといい処で眠りたいとなると、一人より愛する人と眠りたいと思う、子供が出来たりすると少しでもいい幼稚園へ、小学校へ、中学校へ、高校へ、大学へそしていい会社へとエスカレートして行く。その親の思いはとどまるところを知らない。しかし体重計に期待される子供の苦しみの目盛りは現れない。

バックシャンという言葉がある、後美人の事。街を歩いていると後ろ姿が美しい女性がいる。何気に早足となりその女性を追い越して顔を見ると99.8%位は期待を裏切られる。だがしかし美人=心の美人とは限らない。美人は99.8%位の割合で幸福にはなれない。朝も昼も夜も美人と一緒だったと息が詰まってしまう。それに育ちが違うといよいよ疲れてしまう。私の統計によると45日に一回位美人と会うのがいいらしい。丁度ケンタッキーフライドチキンを食べる人の統計が45日に一回位食べたくなると言う。

一生長く付き合えるのは時としていい女に見えるのがいいらしい。
吉野家の牛丼あたりが分相応といえるのだ。食べる気になれば毎日でも食べれる。盛り蕎麦の様な味の女だろうか、時々海苔などパラパラかけてやると急にざる蕎麦になり一気に美人になる。ずーっと美人はいつか若い頃は美しかったのにねと言われるがバックシャンはその逆になる。昔はダサかったのにこの頃随分キレイになったわね。もしかしていい人でもできたのかしら、羨ましいわなんて言われる。

女は付き合う男、一緒になる男によってどんどん変化する。体重計に美しくなった分、そうでなくなった分が表示されるといい。体重52㎏、意地悪度1.5㎏とか性感度アップ1.8㎏とか。絶望度は表示されない方がいい。今年の一月から本日五月二十六日まであっと驚く美人は銀座で一人も見かけなかった。多分私の統計に間違いはない。

先週、不動裕理選手優勝!18番のパットがカップにピタッと寄った時は万歳をしたもんだ。凄く美しいがんもどき顔であった。美人度+2㎏位だった。

亡き父が亡き母によく言っていたそうである。
お前は本当に不細工だが時々はっとするほど細工が良く見える日があると。見た目や顔や家柄で選んで幸福になった男は、ほぼいない。

この文章は五月二十六日、新橋演舞場の歌舞伎観劇の幕間に書いている。
こちらは女形みんな遠くから観るとすこぶる美人ばかりである。海老蔵、勘太郎、七之助、伝統芸とはいいものだ、いよ!成田屋、中村屋と叫んでいた。間違っても吉野家なんて言ってはいけない。

2010年6月4日金曜日

人間市場 木刀市

深夜一時二十五分、久々に種田山頭火の行乞日記を読んでいると外の公園が何やら騒々しい。部屋の蛍光灯三本の内、一本がイカレてしまって点いたり消えたりしている。

愚妻の部屋は公園に面している。私のまるで物置の様な寝室兼本置き場、絵の下書き部屋兼雑文書きのところに来て何か大変よと言う。

隣近所の犬たちがヒステリックに吠えている。玄関の電灯を点け外に出ると、そこはもう大騒ぎ。一人の女性(四十歳前後)を一人の男(やはり同じ位)が公園に。
既に女性は髪を掴まれ引きずり回され殴る蹴るはで大立ち回り。
トイメンの大京マンションも殆ど灯りが点き、この売女、売女、売女と言いながらバッコンバッコン蹴りを思い切り入れている。

やっと立ち上がろうとすると顔面にパンチ連発、鼻血はブーブー、口は裂けてザクロの様、手前この野郎、人が泥まみれになってガキの為に朝から晩まで働いているのに、昼オケなんかで知り合ったクソジジイとベイホテル(海岸の側)なんかにしけ込みやがって、恥を知れこの売女と言ってフリーキック。それがみぞ打ちにめり込んで女性は悶絶、服はビリビリ、下着は丸出し、ブッ殺してやると言った声は涙声。チクショウ人の事コケにしやがって。
あのジジイはさっきとことんシメテ、ケジメつけたから今頃は徳州会だ。手前はオロク(殺すの意味)にしてやるからな、チョットばかりいい女だなんて言われてその気になりやがってと言って、なんと公園のベンチの上からニードロップ。

そこで私がちょっと止めて来るわと言えば、愚妻が私の体といってもパジャマを離さない。それでも出ようと思うと普段は裸でパジャマを着ているのでお尻丸出し。
止めて絶対止めてと引っ張り続ける。そうこうしている内にパトカーが三台到着、どうしたんだこんな夜中に。ウルセイお巡りはすっこんでろ、夫婦げんかは犬も食わねえだ、黙って見てやがれと言った時、女の目はどす青く腫れて切れ、唇は明太子の様に膨れ上がり、肋骨にはヒビが入り、両足は腫れ上がり、もうリンチと同じ。

やっと愚妻の手から逃れた私がビーチサンダルを履いて、男が酔って女をシメたら終わりだよ恥かくだけだよ、早く徳州会に行って治療させなよと言うと、馬鹿野郎あの病院にはあの野郎がいるんだ。
じゃあ市民病院だ、お巡りさんボーッとして無線ばかりで話してないで早く連れて行かないと内臓破裂かなんかでいっちゃうよ、と言っていたらウワンウワンと救急車。男はワッパを掛けられ茅ヶ崎警察へ。いいか手前みたいな売女は出て来たら必ず殺してやるからな、と捨て台詞。その間ほぼ230分。

オメエどこの誰だと言うからあそこに自転車が4台止まっている家だよ、来るならいつでもおいで、但し俺がいる時だぞ。もし俺以外に手を出したらお前の体を貰うからな。
お前みたいのを女を虐めるヤサ男って言うんだよ。(体が細身だった)
玄関に入ると愚妻が私の愛用の短い木刀を握りしめていました。

それから読み直した種田山頭火の心の清々しい事。その一節をご紹介。

「分け入っても分け入っても青い山」
「飲み過ぎの胃袋が梅雨ちかい空」

ちなみにこの事は事件にならず、男は二日留置されてパイ(釈放)になりました(妻が訴えなかった)。
その後一人の男の子、一人の女の子を妻が連れて青森県八戸へ帰ったそうです。
男は今スカイツリーの鳶職に精を出しているそうです。いつか八戸に迎えに行くと親方に言っているとか。夢は夜ひらくという藤圭子の歌が聞こえて来ました。

その夜何故か枕元に木刀がバスタオルにくるんで置いてありました。
私が本気で怒って暴れ出したらどうなるか愚妻は知っているのです。
キリンの麦焼酎白水をチビチビと飲んでいます。遠くから波の音が聞こえ、犬たちがまだウーウー唸っている。雨がシトシト、昼間見た歌舞伎の余韻が完全に消えました。
海老蔵のお殿様が酒乱の魚屋惣五郎にいいかつつがなく暮らせよと言った言葉だけが耳に残っていました。

2010年6月3日木曜日

人間市場 瀬戸の花嫁市

二十代から三十代中頃まで三菱重工業の漁船用エンジン ダイヤディーゼルの仕事で、北海道の鮭漁から沖縄のサバニ漁まで日本中の漁の取材をした。
当然漁師と共に船に乗り、夜明けから暗くなるまで、土佐のカツオの一本釣りから相生の車子漁、静岡の桜海老漁、富山のホタルイカ、白海老漁、銚子の鰯巻き網漁、知床の蟹漁、その他ホタテ、メキシコの車海老、番外ではニューオーリンズのキャットフィッシュ(ナマズ)漁まで。モロッコの蛸、キーウエストのトローリング(気分はヘミングウエイ)、カナダやアラスカのキングサーモンと至る処に行った。

一人か二人+カメラマン。
漁が終わると漁師達と捕れたての海の幸を肴に取材がてら酒を飲み交わす。このひとときが最高である。農家の人は本音や本性を出さない。何故なら生命がかかっていないから一心同体になれない。漁は一緒に乗る板子一枚、下は死の世界だ。

イカとかマグロの遠洋漁業は半年位帰って来ない。乗っている人間の中には凶状持ちも多い(事件で追われたり訳有りの人たち)。
一度、カメラを向けたら撮るんじゃねえと言って海に捨てられた。
小さな漁船の後尾でカメラマンが用を足していたら揺れて海にジャブン。暫くして戻ったら半死状態。水をゴボゴボ吐き、目から涙を流しながらこんなギャラが安くて恐ろしい仕事は二度とやらないとブータレられた。
毎日可愛いモデルさんや女優さんを撮っているのでまるで船に弱い。二時間半ほど突っ走っていざ網投入。さあ撮ってくれと言ったら、気持ち悪いとひっくり返っていた。高いマストの上から撮影しろと網はしごを登らせようとしたらカナブンみたいに網にしがみついて嫌だ嫌だと言って登らない。仕方ないから私がカメラを持って登り上から撮った。


私は特異体質なのか一度も船酔いをした事がない。
気仙沼で秋刀魚漁を取材した時に大時化になった若い漁師達も上下5,6メートル位船が動くのでほとんどダウン。私は船倉で吉川英治の三国志の文庫本を読んでいた。親方がオイ若いの、船にめっぽう強いね、気に入ったと言われて大揺れの中でコップに酒を注がれた。その時、今日は危ないからオロクになるかもなと言われた。オロクとは死体の事。酒が一気に体中に回った。

小柳ルミ子の瀬戸の花嫁が大ヒットしている頃、瀬戸内海でイカ漁を取材した。
夜の瀬戸にイカ釣りの灯りがなんとも美しい。点々とした灯りの芸術だ。取材がなかった日みんなで宴会ドンチャン騒ぎ。漁師達が今度はオレの島で一杯、次はオレの島で一杯と正に歌の通り島から島へとはしご酒をする。島には小さなスナックバーが一つ、カラオケ等無い時代。ただ大声で歌い笑い語る。この世で最高の酒であった。瀬戸内海では船の酔っ払い運転で漁師が落ちる事もあるという。

漁師は一心同体だから本性を出し、本音を語ってくれる。鳥羽一郎の兄弟船そのもの、八代亜紀の舟唄そのもの、美空ひばりの哀愁出船そのものなのだ。

夫婦船といって夫婦で底曳きをするのに乗った時は感動した。
底曳きは文字通り底を熊手の大親分みたいのでガリガリ引く、網を夫婦で上げる。半分以上はゴミ。後の半分はそれこそ魚類図鑑がいる位いろんな魚や貝やクラゲが入っている。一日に多い時は朝から五度位網を入れる。夫は網係、妻は仕分け。ゴッタの中から一つ一つ丁寧に丁寧に仕分けていく。

驚いた事に朝、港を出てから昼船の上で食事し港に帰るまでひと言も会話をしない。
全て暗黙の世界だ。夫婦長持ちのコツは余計な会話をしない事というが正にそのお手本だ。港に帰ると仲間が迎えに来てくれている。仕分けた入れ物を次々と渡す。そして漁協へ行くとその日の稼ぎを書いた紙切れを渡される。
家に帰ると娘さん二人と息子さんみんなで酒盛りを開始。旨い、何もかも旨い。特に生の車子に本生わさびは最高。渡り蟹は次に最高だった。

今でもこの時の海の味を覚えていると、暫くすると何と奥さんが一杯気げんで瀬戸の花嫁を歌うではないか。子供達はやんややんやお父さんはコップをグイグイ。
これが日本の夫婦なんだと思った。十七歳で嫁に来て姑さんと一緒に二十年近く、そしてその時五十三歳の瀬戸の花嫁だった。

今日寿司屋でいい車子が入ったというので二貫食べた(ツメをつけて)。そして思い出した。夫婦は余計な会話をしてはいけないの格言を。

2010年6月2日水曜日

人間市場 マサイ市


歩いて携帯、走って携帯、座って携帯、目の前にパソコン、寝そべって、横になって、部屋に籠もって、海辺で、山の中で、雪の上で、川下りのカヌーの上で、なんと波乗りサーフィンの上でも。車の中は当然、そしてアフリカのマサイ族も今やみんな携帯を持っているというではないか。ピョンピョン槍を持って跳ねながら着ている服(ポンチョの大型)の中から携帯を出す。牛の市場とのやりとりで価格調整をするのだ。今日はどうだい市場に牛がいっぱいだから今日は止めた方がいいぜ、アイヨ判ったべなんて交信して収入が一段と増えたとか。牛のフンで造った家の中には電気もない、それ故充電は街まで出て行く。一回の充電がニ十円とか。

あのダイヤモンドのシンジケートデビアスはかつて世界市場の八割位は押さえていたが今やその半分位とか。携帯とパソコンが革命的出来事を起こしてしまったのだ。
21世紀が中国を中心としたアジアの時代なら22世紀は間違いなくアフリカ、インド、パキスタンの時代となるであろう。日本とアメリカは中国のバブルが弾けると同時に無理心中となる。

私は北朝鮮はアメリカとロシアと中国が裏で手を組んで潰すと思う。
既にそのシナリオは出来上がっている。今度の韓国の潜水艦による哨戒艦爆破は間違いなくそのシナリオ上にある。金正日が死んだ瞬間に内乱が起きるだろう。

金正日は自分で死んだ後の事を(特に息子達の)頼みに行ったのだろう。
口が軽い日本の政治家には絶対話さない。その頃ロシアはプーチンが大統領に復活している筈だ。北朝鮮は女性に例えると性悪女の典型だ。見栄と虚飾と強欲と独占欲と支配欲の固まりだ。美人大国であるから内乱の後その美人達を各国が取り合いをするだろう。五年後位で世界は信じられない形となって行く。
アメリカの核やロシアの核、インドの核、中国の核、イギリスの核、フランスの核、パキスタンやイランの核なんてマサイ族の弓矢や槍で落とされてしまうだろう。

アフガンのオサマビンラディンなんてとっくの昔に死んでいる。
生きていなければ困まるのはどこかの国か想像すれば判ると思う。これ以上書くと我が身が危ない。世界中に北朝鮮の美人美肌の遺伝子が広がり世界は美人で溢れると思う。金儲けしか考えなくなった類人猿ヒト科人間は絶滅に向かって一直線に進んでいる。


私は坂本龍馬は大好きである。
龍馬は実はスビロヘータに犯されていたという史実がある。顔や体に斑点が浮き出ていた、もし暗殺されていなかったらスピロヘータが脳に移り気狂いとなって死んでいただろう。英雄は長生きしてはならないと歴史は教える。

歴史にもしは厳禁だが坂本龍馬のDNAが生き続けていてくれたらこんな怒りを忘れた国にはならなかったかもしれない。
私はこの頃政治家のみなさんに寺子屋の開設や私塾の開設を勧めている。その一つが形になろうとしている。家の前の公園で遊んでいる子供達の中にきっと未来の龍馬がいて、立派に成長してこの汚れた国を洗濯してくれるだろう。

サラリーマン経営者よ、シェアだ売り上げだなんて志の低い事ばかり言っていないで人材を発掘し、人材に投資して育てなければならない。世界の競争力はかつて二位とか三位。今や二十三位あたりをウロウロしている。人材流出と枯渇が原因だ。このままでは北朝鮮からどっと流れ出す美人美肌を競争で勝ち取る事は出来ない。

「ニッポンオプソネ」だ。訳すと日本何も無い、日本終わりである。私は断固戦い続け人材を見つけ育て続ける。マサイ族に負ける訳にはいかない。だがしかし勝つ決め手が見つからない。弓でも習いに行くか。槍でも買ってくるか。草食系よアフリカに行け、草はいくらでもあるぜよ。

千利休は海産物屋の息子だったし、長次郎はその利休が見つけた瓦職人だった。
これからの時代は人の目利きの時代だ。有名校や良い学校に入れば親が満足する時代は既に時代遅れも良いところだ。才能の時代は自分で切り拓くしかない。どんどん世の中に放り出すべきだ。

2010年6月1日火曜日

人間市場 思い出のゴルフ市


十四歳の秋に女と酒を知ってから五十年。
絶好調の頃は三十年間位、毎月ウン百万・・・(?)は飲んだり食ったり遊んだりしていた。

朝しらじらと明るくなるまで飲む、小さな子供の教育に父親の外泊はマズイのでどんな状況でも茅ヶ崎までタクシーや白タクで帰った。
一日に二カ所でゴルフコンペがあったりすると白タクをキープして返る。
家に着く、3時頃!一時間寝るから中に入ってコタツで寝てろなんてザラだった。

湘南シーサイドカントリーから千葉の鶴舞とか、鶴舞から栃木のジュンクラシックへとか、そこから又、埼玉へ、熱海へ、はたまたハワイへグアムへ、ぐっすり眠るのはシュラフの中や飛行機の中であった。仕事や酒に熱中しながら付き合いのゴルフの両立は死ぬより辛かった。酒をたらふく飲んでゴルフ場に着くともうヨタヨタ、ヘロヘロ、ゲロゲロとなる。しかし社長業は辛い全て笑ってこなさなければならない。

三人は200ヤードからせいぜい250ヤードのドライバー。
私は280ヤードか300ヤード以上は飛ぶ。但し、その後がいけない。ミドルアイアンだめ、ショートアイアン全然だめ、バンカー滅多に出ない。パットはそこそこの様な気がしたがなんとパット第一打がOBになった事がある。

忘れもしない大宮カントリー打ち下ろし383ヤード、パー4、バシッと打ったボールはキャディーの金歯がぶっ飛ぶ程の弾道でグリーンにワンオン、下りの8メート位、オーバーすると急坂転がり過ぎるとOBだと。よしバーディーだと打ったボールはまっしんに当たり一気に穴ぼこオーバー、そのまま転がって次のホールのティグランド近くでOB。
その瞬間私はゴルフと決別しました。

五十肩でトップにクラブが上がらずにシケたパンチショットなんてやってられない。
大体ゴルフは人の失敗をやったやったと喜ばれる。約三十年やったベストスコアが何しろ4244なんだから才能ゼロ、カモネギ、ロスのカメラマンの友人と186ヤードをサンドウエッジで乗せられるかと5000円賭けて見事ワンオン。でも私はボギーで友人はパー。

JASの旭川カントリークラブで砲台グリーンの第二打地点、まだ四人はグリーン上。
残り263ヤード三番ウッドで乗るかとチョコレート賭けてバシーン打ったらピン側5メートルでグリーン上の人間から叱られたと同時に驚きを与えた。
で上がって見ると私はダブルボギー、後の三人はパー二人と、一人ボギー。クラブをへし折りたくなってしまった。


年に二回、私の主催で春と秋40人のコンペをしていた。プロ野球人、芸能人、相撲取り、クラブのママやホステスたち一組に必ず美人を入れる。ホストの私は当然最終組。優勝はバブル絶頂期グアム旅行から箱根の強羅温泉まで、いたれりつくせりの豪華賞品ズラリ。だからどのコンペよりも大人気の一泊付き。

現役のプロ野球選手のドライバーなんて地べたをはってそのまま急上昇して行方不明380ヤード飛んだ奴がいた(フラットで)。芸能人、ホステスたちはファッションで魅了、芝のゴルフ練習場でよく練習しているので球が曲がらない。150ヤード、120ヤード、60ヤード寄せてパーかボギー、白いスカートに花柄のパンツなんか履いてすっかりみんな調子が狂ってしまう。

三十年間でウン千万円は使ったと思う。
何しろ私は人に奢られるのは絶対ダメ、全て自腹を切るので。でも十五年前からプッツリ止めました。道具はニューヨークで買った愛用のトミーアーマーのクラシックタイプ、キャラウェイ、マルマン、本間、大好きだったパワービルト全部人にあげました。さらばゴルフです。

一番屈辱的だったのは軽井沢72で一泊でコンペをやった時、朝起きたら部屋の外に私とあと二人寝ていた事です。何でも二人の鼾が酷くみんなで廊下へ運んだそうです。
私とゴルフについての三十年を書くと間違いなくベストセラーになります。何しろ420ヤード、森超えをワンオンしてトリプルボギーにしたんですから。
富士高原の事でした。人が崖下にボールを落とすと上から出ますかあーなんて見張っている奴、空振りすると、いい音聞こえましたよなんていう奴の多いこと、チキショウ、金でも銀でも銅でもダイヤでも持ってけと行ってサヨナラしたのです。

石川遼はきっと長生きしません。運を既に使い果たしてしまいました。
ジ・エンドになります。ボクシングの大場政夫の様に。(勝運は残しとけと云います。)
私のメンバーコースだった湘南カントリークラブの17番池越え176ヤード、ピンは池の近く4メートル位、友人三人とサンドエッジで乗るかと賭けた。カチンカチンの固いトミーアーマーのサンドエッジでバシッと打った。

見事ピン上3.5メートルにワンオン、後の三人は五番が二人、六番が一人、三人共見事ワンオン。みんな私より遠い。それぞれいいところに寄った。
で私がコツンと打つと球はコロコロ池の中、後から打ち直しなんだよこれと泣きが入っていよいよゴルフとサヨナラだけが人生となりましたのです。