12時40分から15時18分(予告編15分)だった。206席は7分の入りで殆どがシニア層だ。
正直私的にはつまらなかった。
テレビの二時間ドラマの延長の様であった。撮影の名手、笠松則道さんのローキーで重厚な映像で持っていた。地方の疲弊がよく出ていた。
久石譲の音楽が後半、出しゃばり過ぎていてメロドラマ仕立てになってしまった。
この作品の失敗は原作者の吉田修一が脚本に参加した事に尽きる。
原作者と監督の共同脚本はまず失敗する。李相日の才能に原作を料理させればよかったのだ。
それ故、何もかもが中途半端となった。
悪人のいない映画、絶望と日常、心と心が繋がり合って傷ついて行く、切れ切れとしたスリルも孤独も無常も破滅もない。
主人公二人の出会いを生んだきっかけの携帯による出会い系サイトも設定がすこぶる古い。
九州田舎町を走るスカイラインGTの音、それと対比する自転車で通勤する女。
孤独な者同士が引かれ合うがそこには情念も闇もない、死の臭いすらない。妻夫木聡はいい芝居をしていたが深津絵里はまるでフツーだ。
この程度で主演女優賞は甘い。
ベッドシーンなどは今時珍しい程刺激的でない。
例えば全裸になった深津絵里が私37歳だけど処女なのだから痛くしないでと震えながら言うとか、現実から逃げるという行為がえぐられていない。
切なく哀しく怯え、そしてオスとメスの狂気の発散もない。1人1人いい役者が出ているがその役者の個性を出す事で終わっている。それぞれが連鎖しない。
ラストに2人は灯台に潜む。
闇の中を照らす光にこの世の行き先を求めたのであろか、又朝日を一杯に浴びる2人にいつか又出会い再生を求めたのであろうか。
芥川賞作家の映画だから一つくらい文学的なセリフがないかと思っていたがなかった。
ただ一つ出会い系サイトで知り合った若い男女が車の中で言葉を交わす。
デートの前餃子を食べてよく喋る女に「ニンニク臭いんだよ、お前みてぇなのタイプじゃねえんだよ」と怒鳴って車の中から蹴り出す、ココはリアリティがあった。
かつて篠田正浩がヌーベルバーグの旗手として名を上げた石原慎太郎原作の「乾いた花」の中にこんなセリフがあった。
人を殺して出て来た中年のヤクザが昔の女を夜訪ねる。酷くくすぶった時計屋だった。
壁に掛かった沢山の時計は過去か今か明日か。その一階に寝ていた原知佐子を久し振りに抱く、その時「お前息が臭いな、胃が悪いんじゃねえか」というセリフがある。日本映画史上初めてのリアリティのある男女間の言葉だった。
この映画は私のベストファイブに入れている。
「悪人」とは誰かをただ現代社会に求めたとしたらあまりに安直といえる。
李相日は天才だから好きな様に撮らしてあげたかった。きっと凄い作品になったであろうと思う。
但しこれは私の見解だからみなさんそれぞれ批評あれと願う。
悪人の臭いをスクリーンから感じたかった。
主人公は確か煙草を喫っていない善人だった。
その夜私の映画の友である息子が仕事から帰って来て「悪人」面白かったと聞いた。
お母さんに聞いてみなと言ったらそれだけで理解した様子であった。