小沢一郎は西郷隆盛、菅直人は高杉晋作を尊敬しているとか。
馬鹿言えと言いたい。ものが違いすぎる。
西郷は物言わず、しかしひとたびその姿、そのオーラに接すると離れ難き包容力を感じたと云う。高杉は動けば雷神の如し決して逃げなかった。
西郷が可愛いがっていた辺見十郎太という若者が留学から帰って来る時に征韓論で西郷は下野し鹿児島に帰る、続々とそれに従って下野していく。
そんな中に辺見の弟が入ろうとしていた。辺見は弟に言う。
オイは帰るがおはんは鹿児島に帰ったらいかん、弟は何故ごわすかと聞く。
おはんは西郷さんに一度も会っていない、一度会ってしまったら西郷さんから離れられなくなるからと云ったとか。
そもそも小沢一郎と菅直人などは歴史的に言えば思想も哲学もないただの権力亡者である。かつての市民運動家、市川房枝は死の間際に腹心の紀平悌子に「菅直人だけには気をつけなさい」と云ったという話がある(?)
上に立つ人間を見るには側に居る人間を見れば判ると云う。
会社でいえば番頭、ヤクザなら若頭、大名なら家老、将軍なら老中だ。
菅直人には誰がいる、小生憎い気な寺田学。
小沢一郎といえば側近とは切り捨てる者の考えだから当然いない。
山岡賢次、樋高剛、松木謙公、鈴木克昌、奥村展三、何とも情けない。
で、西郷隆盛となると、篠原国幹、別府晋介、桐野利秋、辺見十郎太等多才な人間に最後まで守られた。このまま行くと近い将来賽の河原で落ちぶれた小沢一郎と菅直人と鳩山由紀夫が筵に座り石ころなど拾いながら昔日を語り合うやもしれない。
トロイカを懐かしみながら。
室町時代前の混乱期こんな連中を「悪党」と呼んだ。
足利尊氏と楠木正成はその代表である。
ちなみに斬首された人斬り半次郎こと桐野利秋の首からは香水のいい香りがし、馬上で戦った辺見十郎太は首にスカーフを巻いていたとも伝えられている。男の美学だ。