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2010年10月5日火曜日

湘南の嵐便り 「ショナイのナシ」




「ショナイのナシ」ある恐い業界での話し方。

これは正しくは「内緒の話」という事。
あるペット業界内での内緒にしておきたい話。



それはペットを薬の治験(実験)に使い、死んだペットを焼却し続けているという事だ。
勿論人間も治験者として使っていると聞いた事がある。
内緒のアルバイトとして人間が申し込む。「通称サル」とも云われるらしい。あらゆる効能や副作用を試すのだ全ては内緒で行われる。






新商品開発は企業の至上命題だ。
全ての病院やメーカーが大なり小なり治験を行っている、人間やペットで。
ペットショップで売れ残り大きくなってしまった犬や猫は大学病院やペットフードメーカーに下げ渡される「ああ無情だ」。

治験に申し込んだ人間は全て秘密を守る事を約束されるという。
肉体を全て拘束されて治験シェルターで生活していく。生きて帰れるという約束はない。気違いにならないという約束はない。

全ては「ショナイのナシ」なのだ。
今あなたが可愛がっているペットの裏で恐ろしい事が起きているのだ。
毎日どこかで。



恐い業界でもう一つ「レソワイナ」という話し方があるこれは「それはない」という事、高い治験のアルバイト代につられて治験者になると「それはない」という結果が待っている。

何事も逆にして話す業界、「生」と「死」は背中合わせにあるのだ。
一に雇用、二に雇用、三に雇用とまるでコヨーテの遠吠えの様に叫んでいる最低の政治家がいるが官僚の犬となったこの男にはペットフードがふさわしいといえる。
いや犬や猫ちゃんに失礼かもしれない。

恐い世界では仲間を売った犬には死しか待っていない。

2010年10月4日月曜日

湘南の嵐便り 「帰らざる日々」

イタリアロケにて



人は思い出を宝に生きている。

「振り返らない、そこには夢がないから」といったのは寺山修司だ。
だがしかし人は人生のアルバムを見続けたい生き物なのだ。
寺山修司は振り返りたくない故里への決別があったのだろう、又上京して一旗あげるという野心があったのだろう。自らの詩と劇で。

寺山修司的にいうならば、地方にうずくまって生きて来た人間の権力と風習に対する自発的行動の戦い続ける美しい姿なのだと、あるいは地方の片隅の競馬場に育った一頭の馬が中央に上京し並みいるサラブレッドをゴボウ抜きにする姿なのである。

それはハイセイコーでありオグリキャップであり一勝も出来なかったが世間の注目を浴びたハルウララちゃんでもある。
地方から上京し一旗あげるというのは覚悟なのである。
「注目」を浴びねば故里には帰れないという。


全く整理をしないでいた会社の自分の部屋を何年ぶりかで整理した。
物を整理するなど慣れない事をするとこの世とオサラバするというが確かにその時期が目の前に来ているのかもしれない。こればかりはいかんともしがたい人生の掟だ。

一つの段ボールが出て来た、その中に夥しいスナップ写真が出て来た。
40代の頃の仕事部屋
それは正に帰らざる日々の証しであった。


会社を興して1013日で40年、愚妻と一緒になって40年、みんなみんな若かった。
30数年家族付き合いをしてもらっている中井さん、今岡さん、藤田さん一家、正月4日には我が家にみんな集まってくれた。

今岡ファミリー、中井ファミリー、藤田ファミリー
三家族ともこの頃は東急エージェンシーにいたが、今では中井さん夫婦は陶芸家に、今岡さんは神奈川県の特別参与に、藤田さんは道路関係の会社の役員に、この一枚の写真の時は誰も現在を予測してなかった。船尾さん家族も思い出深い。(写真参照)
船尾ファミリーと妻と娘

この写真の頃は船尾さんは東急エージェンシーの制作担当のトップであった。
現在は定年となって夫婦で会社を興した。

北海道から出て来て東急エージェンシーの役員までなったハイセイコーである。
うれしい事はみんな可愛い孫に囲まれすこぶる幸福な人生を歩いている事だ、ベンツに乗りヨットに乗りブランド品に囲まれゴージャスだ。今も時々会っているいわば私の人生の戦友なのだ。

キーウエストにて
ニューオリンズのホテルにて
一枚の写真は人生の句読点ともいうが、物語は更に続いている。
振り返ろうそこには人との出会いがあるから。

最近妙に整理したがっている。
今手掛けている、来年62日からの展覧会が文字通り命懸けであり多分そこが句読点でなく終点になる予感があるからかもしれない。

段々プレッシャーがかかって来るこの感じが最高なのだ。



ニューヨークにて (左)クリエイティブディレクター船尾夲氏 (中)コピーライター田村義信氏 


あるロケ先にて。(右)吉岡敏行プロデューサー
あるパーティーにて(左)コピーライター佐々木克彦氏


2010年10月1日金曜日

湘南の嵐便り 「香水」





小沢一郎は西郷隆盛、菅直人は高杉晋作を尊敬しているとか。
馬鹿言えと言いたい。ものが違いすぎる。
西郷は物言わず、しかしひとたびその姿、そのオーラに接すると離れ難き包容力を感じたと云う。高杉は動けば雷神の如し決して逃げなかった。




西郷隆盛
高杉晋作
例えば嘘か誠かこんなエピソードがある。
西郷が可愛いがっていた辺見十郎太という若者が留学から帰って来る時に征韓論で西郷は下野し鹿児島に帰る、続々とそれに従って下野していく。

そんな中に辺見の弟が入ろうとしていた。辺見は弟に言う。
オイは帰るがおはんは鹿児島に帰ったらいかん、弟は何故ごわすかと聞く。
おはんは西郷さんに一度も会っていない、一度会ってしまったら西郷さんから離れられなくなるからと云ったとか。




辺見十郎太は外国に行き学んだ。それ故西郷が下野し、やがて東京に攻め上がっても決して勝てない事を知っていた。しかし西郷のオーラに触れてしまった自分は引力に従って行くしかない。
辺見十郎太




そもそも小沢一郎と菅直人などは歴史的に言えば思想も哲学もないただの権力亡者である。かつての市民運動家、市川房枝は死の間際に腹心の紀平悌子に「菅直人だけには気をつけなさい」と云ったという話がある(?)


上に立つ人間を見るには側に居る人間を見れば判ると云う。
会社でいえば番頭、ヤクザなら若頭、大名なら家老、将軍なら老中だ。

菅直人には誰がいる、小生憎い気な寺田学。
小沢一郎といえば側近とは切り捨てる者の考えだから当然いない。

山岡賢次、樋高剛、松木謙公、鈴木克昌、奥村展三、何とも情けない。

で、西郷隆盛となると、篠原国幹、別府晋介、桐野利秋、辺見十郎太等多才な人間に最後まで守られた。このまま行くと近い将来賽の河原で落ちぶれた小沢一郎と菅直人と鳩山由紀夫が筵に座り石ころなど拾いながら昔日を語り合うやもしれない。
トロイカを懐かしみながら。

室町時代前の混乱期こんな連中を「悪党」と呼んだ。
足利尊氏と楠木正成はその代表である。

ちなみに斬首された人斬り半次郎こと桐野利秋の首からは香水のいい香りがし、馬上で戦った辺見十郎太は首にスカーフを巻いていたとも伝えられている。男の美学だ。

2010年9月30日木曜日

湘南の嵐便り 「ガチョーン」


かの正岡子規はカリエスのあまりの激痛に耐えかねて自死を計ったというが死に至らずだった。

さすがに正岡子規、その苦しみの中で「平気」という悟りの境地を開いたと何かで知った。
即ち「平気で死ぬ」という極意だ。



「ガチョーン」で一世を風靡したクレイジーキャッツのダニーケイこと、谷啓は死んだ事が判らなかったのではという。これまたお疲れさんでしたガチョーンである。

友人が訪ねて来るとお寿司の巻物を出した。
カッパ巻き、次にカッパ巻き、そして又、カッパ巻き、そして最後にガチョーンと言ったとか言わなかったとか。




NHK教育テレビの夜1025分から25分間の「美の壺」は私の一番好きな番組で全て録画してあり何回も見る。昨年3月まで谷啓がナビゲーションをしていた。今は草刈正雄だ。

この番組はやはりNHKでないと作れない、極めて上質な番組だ。
民放では逆立ちしても見られない。夜中や明け方帰ってきて一杯飲みながら録画しておいてもらった「美の壺」を見る、その中から何度ビッグアイデアを貰ったか判らない、アイデアの宝庫だ。


私にとっては明け方は学校だ。必ず大学ノートを広げてノートを取りながら見る。
谷啓さんが軽妙にエスコートしてくれていた。ブラウン管から出ていた人が出なくなると不吉な事が起きる。ニュースで名優小林桂樹の死去の報に接した。



そう言えばこの頃見なかった。社長漫遊記の秘書役は絶品だった。経理部長加東大介、宴会部長三木のり平、絶妙であった。駅前シリーズも又良かった。私が英会話のNOVAに「駅前留学」と名付けたのもあの映画のお陰であった。




この頃、私の少年時代、青春時代の名優がどんどんあの世のステージに行ってしまう。今自分のイメージしている自分のお墓を探しに行っている。

友人のスタイリスト会社の社長が私のリクエストした流木を探してくれた。
かなりいいイメージだ。後は左に江の島、右に烏帽子岩をその又右に富士山を見る小高い場所を探す。これが中々難しい、もう二年も探している。愚妻からちゃんと見つけといてよいつ何が起きるか判らない時代なんだし、歳なんだからと。

ビョーン、ガチョーンとバッチシ決めたいものだ。
墓には今のところ「平気」とか「両忘」とか「ぐっすり眠る」とかTHE ENDとか「完」とか「終」とか「FIN」とかを考えている。私の事だから直ぐ気が変わるが。

ちなみに「両忘」とは孟子の言葉、生を忘れ、死を忘れる。
死は一睡の夢なのである。
死ぬのが恐くて生きてはいられない(?)

2010年9月29日水曜日

湘南の嵐便り 「ナイフとフォーク」



先日、ホテルオークラ一階のテラスレストランに会社の経理担当の女性と公認会計士事務所の女性と三人で夕食を共にした。


二ヶ月に一回三人で食べ歩く、いつもの奥の席に座ると私たちの斜め前に田中真紀子さんが一人の白髪の男性と食事をしていた。
私達より早く来ていた様だ。
私達は六時半からスタートであった。お互いに妙に目と目が合ってしまう。

始めはあんまり静かに話すので別人かと思ったが来るお客さんがそれぞれ田中真紀子さんに挨拶に行く、それに対しそれぞれ静かに対応する。
あのでかい声はどこにもない、クワイエット&クワイエット。静かである。




シャンパン、ワイン、スープ、サラダ、この日はハンバーグのスペシャルデーとかで確かビーフシチューハンバーグを食べていました。
そしてコーヒーからデザートへ、私達より早く帰りました。

で、感心した事がひとつ。
それはテーブルマナーがパーフェクトな事、ナイフ、フォーク、スプーン、バターナイフ、デザートのフォークとナイフ、コーヒーの飲み方全てがパーフェクトで見事でした。

決して音を立てず、滑る様なフォークとナイフ、ナフキンの使い方、どこにもあのじゃじゃ馬の姿はありません。さすがに外務大臣までやった女性、田舎出とはいえ総理大臣の娘です。しっかり教わったのでしょう。

相手の女性の氏素性を知る時は、魚の食べ方、箸の使い方、スープや味噌汁の飲み方、パンの食べ方、ナイフとフォークの使い方で全て判ります。

こればかりは一夜漬けでは身に付きません。
自分の子や孫は国際社会で身を立てさせようと思ったらテーブルマナーは大切です。逆にそんなもんは人間の価値になんの関係もない好きな食べ方でいいんだと思うのも大正解です。

魚とか肉なんか手でむしって食べた方が余程美味いんですから。
中国やインドやアジアや中東、アフリカなんてみんな手掴み国家ですからね。
モノは考えよう、身に付けようです。



出っ尻でニワトリの様に前のめりに歩く姿はやっぱり田中真紀子さんでした。
この日私が食べたのは白ワイン一杯、赤ワイン一杯とミートソースです。

初めてデートする若い人へ、最初の食事で洋食は止めておいた方がいいですよ。




2010年9月28日火曜日

湘南の嵐便り 「ラスク」



この頃山形県蔵王にあるシベール工房の「ラスク」にはまっている。
かなり評判の「ラスク」はシンプルで奥が深い。
ラスクの為にパンを焼く、自社で焼きあげた専用フランスパンにシャトーバターをたっぷり塗ってサクッと焼きあげるので、口当たりは軽く、ウイスキーオンザロックやジントニック、バカルディラム、ハイボール等によく合う。

厳選した小麦粉に赤穂の塩と山形の美味しい水がいいフランスパンを生むという。
ブルーベリー、チョコ風味、アールグレイ、くるみのハーモニー、サクサクガーリックを選んで食べる。



私は深夜から明け方にかけ映画のDVDを見ながらパリパリ食べる。
パラパラとパンの粉とか砂糖があぐらをかいた足許に落ちて溜まる(指で突いて一つずつ取って行きそれを舐める)。


昔同じ様に「ラスク」にはまった時がある。少年の頃見た仏映画にギャングが二人で「ラスク」を食べるシーンがある。映画の題名は「現金に手を出すな」、原題は主題歌でもある「グリスビーブルース」であった。主役は私の大好きなジャン・ギャバンだ。

「現金に手を出すな」

ギャングのボスギャバンの友人が相手のギャングに追われる、それを逃すギャバンは自分の隠れ家に連れて行く。暫く使ってないから何もない、とりあえずこれに着替えろときちんと畳んだパジャマとガウンを投げ渡す。

その次にこれっきゃねえんだと「ラスク」を出し与える。ギャングが二人「ラスク」をポリカリカリポリと食べるのだ。男の友情を現した名シーンだ。
それ以来「ラスク」ばかり食べ家の中をラスクの食べるごとに落とす粉で一杯にし、うるさい姉に叱られた。



臨床心理学者の故・河合隼雄さんの著書の中にこんな一節がある。
「夜中の十二時に、自動車のトランクに死体をいれて持ってきて、どうしようかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人」(『大人の友情』)というのがある。


さて、そんな友人はいるでしょうか。近頃あの人には本当の友達がいなそうというのが最も手厳しい罵倒ではないかと何かで読んだ。
携帯電話に何百人も「友達(?)」を登録して精神安定剤にする若者達が増えているという。友達が居なくて寂しい人はぜひ「ラスク」を食べながらいい映画を観て下さい。映画の中にたくさんの友達がいるからです。

2010年9月27日月曜日

湘南の嵐便り 「悪人」




918日(土)、平塚で今評判の「悪人」を観た。
1240分から1518分(予告編15分)だった。206席は7分の入りで殆どがシニア層だ。


正直私的にはつまらなかった。
テレビの二時間ドラマの延長の様であった。撮影の名手、笠松則道さんのローキーで重厚な映像で持っていた。地方の疲弊がよく出ていた。
久石譲の音楽が後半、出しゃばり過ぎていてメロドラマ仕立てになってしまった。

この作品の失敗は原作者の吉田修一が脚本に参加した事に尽きる。
原作者と監督の共同脚本はまず失敗する。李相日の才能に原作を料理させればよかったのだ。

それ故、何もかもが中途半端となった。
悪人のいない映画、絶望と日常、心と心が繋がり合って傷ついて行く、切れ切れとしたスリルも孤独も無常も破滅もない。



主人公二人の出会いを生んだきっかけの携帯による出会い系サイトも設定がすこぶる古い。
九州田舎町を走るスカイラインGTの音、それと対比する自転車で通勤する女。
孤独な者同士が引かれ合うがそこには情念も闇もない、死の臭いすらない。妻夫木聡はいい芝居をしていたが深津絵里はまるでフツーだ。
この程度で主演女優賞は甘い。

ベッドシーンなどは今時珍しい程刺激的でない。
例えば全裸になった深津絵里が私37歳だけど処女なのだから痛くしないでと震えながら言うとか、現実から逃げるという行為がえぐられていない。



切なく哀しく怯え、そしてオスとメスの狂気の発散もない。11人いい役者が出ているがその役者の個性を出す事で終わっている。それぞれが連鎖しない。


ラストに2人は灯台に潜む。
闇の中を照らす光にこの世の行き先を求めたのであろか、又朝日を一杯に浴びる2人にいつか又出会い再生を求めたのであろうか。

芥川賞作家の映画だから一つくらい文学的なセリフがないかと思っていたがなかった。

ただ一つ出会い系サイトで知り合った若い男女が車の中で言葉を交わす。
デートの前餃子を食べてよく喋る女に「ニンニク臭いんだよ、お前みてぇなのタイプじゃねえんだよ」と怒鳴って車の中から蹴り出す、ココはリアリティがあった。



かつて篠田正浩がヌーベルバーグの旗手として名を上げた石原慎太郎原作の「乾いた花」の中にこんなセリフがあった。
人を殺して出て来た中年のヤクザが昔の女を夜訪ねる。酷くくすぶった時計屋だった。
壁に掛かった沢山の時計は過去か今か明日か。その一階に寝ていた原知佐子を久し振りに抱く、その時「お前息が臭いな、胃が悪いんじゃねえか」というセリフがある。日本映画史上初めてのリアリティのある男女間の言葉だった。
この映画は私のベストファイブに入れている。



「悪人」とは誰かをただ現代社会に求めたとしたらあまりに安直といえる。
李相日は天才だから好きな様に撮らしてあげたかった。きっと凄い作品になったであろうと思う。

但しこれは私の見解だからみなさんそれぞれ批評あれと願う。
悪人の臭いをスクリーンから感じたかった。
主人公は確か煙草を喫っていない善人だった。




その夜私の映画の友である息子が仕事から帰って来て「悪人」面白かったと聞いた。
お母さんに聞いてみなと言ったらそれだけで理解した様子であった。

2010年9月17日金曜日

湘南の嵐便り 「シルバーホリデー」


狂った様な夏がやっと終わりそうです。

昔の人はやはり凄いものです。暑さ寒さも彼岸までと言い残しました。ちゃんとその通りになって来ました。ちょっとばかし暑さの度合いが桁違いでしたが。

ブログを初めて十ヶ月余、何処で調べたか北は北海道から南は沖縄までいろんな人々から手紙や葉書が来るようになりました。

私はパソコンを持っていないので一日一枚、二枚、三枚と来るのです。
ご家族はとか何をしていたとか、湘南とはとか裏の世界とか芸能界についてとか、政治についてとか、離婚や浮気についてとか、趣味についてとか、何を食べてんのとか(一応人間なのでペットフード以外を食べてますと返事してます)、何の本を読んでいるのとか、恋愛論とかその反響に実は驚いているのです。

九月二十日〜二十六日までシルバーウィークを利用して旅に出たりするのでブログはお休みします。
又二十七日より再開しますので皆さん少しでも夏の疲れを癒してください。

高山祭
下呂温泉


私も日本三大美祭りの一つ、飛騨高山祭りに行き下呂温泉で疲れを癒す予定です。
高山の友人とも会う予定です。

それから上野の藝大美術館でシャガールの素晴らしい展覧会をやっています、十月二日が最終日是非行って下さい。
素敵な男の人か美しい女性と。

2010年9月16日木曜日

湘南の嵐便り 「ローストビーフ」


赤坂溜池のロウリーズに久々に行った。



ローストビーフ専門店では世界的に有名な店である。
初めて行ったのは20年程前。ロサンゼルスの店に行った事がある素晴らしい店であった、しかしその時は折角のローストビーフは食べれず仲間が食べる特大のローストビーフをソファーに横になりながら見ているだけであった。

何故かそれはロサンゼルスにロケに行く二日前に宿敵の痔を手術したばかりであったのだ。
医師は最低でも10日間は入院しろと言ったが私の代役はおらずロケのスケジュールはバッチリ決まって居り現地のスタッフも待っているからだ。

医師から馬に飲ませるという鎮痛剤をもらって飛行機に乗った。一日8錠以上のんだら内臓をやられるから気をつける様にと念を押された。

ロケの日数は8日間だ。
人間の法則で食べた物は出る。出る時は激痛で体中脂汗と目から涙がこぼれ落ちる。
それ故何も食べない、食べれない。ロスのフリーウェイは日本と違いドライブインがなくトイレがない。目的地のズマビーチまで数時間かかるのだ。

激痛で眠れない、空腹で眠れない、ただ生クリームを少し舐めるだけであった。なんと8日間で8㎏体重が減った。ロケ最終日スタッフみんながどうしてもロウリーズのローストビーフを食べたいと私に願い出て来た。それまで私に気をつかってハンバーガーとかホットドッグとかパンケーキしか食べてなかったのでよし行こうという事になった。


しかし私は激痛でソファーにも座れないのでオカマみたいな座り方でしなを作った。
毎日鎮痛剤を15錠飲んでいた。どーんとどでかいローストビーフ、日本のトンカツの二倍位ある。みんな美味しそうに食べている。チクショウ治ったら必ずロスにローストビーフを食べに来てやると心に誓った。

そのロウリーズ日本店が登場したのだ。以来二ヶ月に一度位は食べている。
トーキョーカット130g位とかカルフォルニアカット180g、200g、300g、500gとなる。500gを見るとトンカツ4枚分くらいある。
外人は平気で食べてしまう。私はいつもトーキョーカットだ。

目の前でカットしてもらえる
サラダ盛りつけのパフォーマンスもあり


およそ13600円でOK(お酒は別)ウエイティングバーもいいし中は広く大きいし個室もある。友人と恋人と愛人と仲間と是非一度行ってみて下さい。

アメリカンスタイルの綺麗な個室でワインを飲んで、ローストビーフのカットショーを見て食べて口説けばかなりの確率で落ちると、その日来ていた中年オジサンがトイレで連れションしていたらそういいました。



若い女性は間違いなく喜んでくれます。
目の前の巨大なローストビーフの山を担当の外人の男の人と日本人の若い女の人がでっかい包丁で見事に切ってくれます。
みなさんが想像する鎌倉山のローストビーフと違いローストビーフステーキです。

2010年9月15日水曜日

湘南の嵐便り 「紅がら」


湘南茅ヶ崎、辻堂に来たらぜひ「手打ちそば 紅がら」に寄って下さい。

紅がら外観


目印は松下政経塾の塔の隣、ポルシェのショールームの斜め前です。

ポルシェのショールーム


30年余、開店以来のお付き合いです。
とても人気がありいつも待合い室から外までお客さんでいっぱいです。
開店当時はご主人が、今は娘さんのご主人がそばを打っています。



我が家はみんなおそば大好き。
私も日曜や休日の昼に行きビールか冷酒に板わさや出し巻き玉子、ヤキトリ二本、季節によって富山の白海老や駿河湾の赤海老の天ぷら、天然鮎の焼き物や天豆などをつまみに新聞を読む。仕上げは天ざるか、つけとろそばか鴨せいろを食すのが長い間の週間となっている。時に茶そば、紫蘇切りそばとかを食す。



嫁に行った娘や近所に住む息子は「紅がら」のお座敷で育った様なところがある。娘達は我が家に来ると必ず「紅がら」に行く事になっている。とても明るく素敵な女将さんとは仲良しである。私の展覧会の時は家族揃って来てくれました。

おかみさん


混んでいる時並んでいるとグラスにビールを注いで持って来てくれる特別な仲なのだ。
私の紹介で来ましたと言ってくれればきっと喜んでビールセットを出してくれるかも。


政経塾出身の議員も「紅がら」ファンだ。
それでも一時に比べるとお客さんは減ってきたとか、見た目と違って何人も使っているので厳しいのかもしれない。

孫達は支払が終わると1人に一個お菓子が選べる、それが楽しみなのである。
私の行動をよく知っている友人は休日家に来て居ないと「紅がら」に来る。