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2010年10月12日火曜日

湘南の嵐便り 「高山ラーメン」

下呂温泉

 俺はちょっと「ゲロ」に行って来る、と言っても飲み過ぎて気持ち悪くなって「吐き」に行く訳ではない。


 下呂温泉に行くのだ。
下呂温泉は有馬、草津と並ぶ日本三大名湯の一つ、そこに行くのだ。




最も主たる目的は飛騨高山のカリスマ左官職人挾土秀平氏に会うのと、鳳凰屋台が何年振りかで修理が終わり出るという高山の日本三大美祭を見る事が目的で、後は高山ラーメンの名店「つづみ」でラーメンを食べる事である。


 連れは一人、残念な事に二日間の祭の初日は雨また雨であった。 
京都で云う「山車」、高山では「屋台」と云う。雨さえ降らなければ何台もの屋台が練り歩く。


海外からも沢山の人々が集まっていた。
無常にも早々と中止、「屋台」はその姿を拝むのみ、しかし高山の街は人、人、人、人そして雨、雨、雨、雨も又風情なりだ。 


飛騨牛の丸明

二之町

無形文化財の二之町で連れは、飛騨牛の串焼き、ワンダフル。飛騨牛のコロッケ、うま〜い。みたらし団子、うま〜い。五平餅、うま〜いの大喜び。 


昔の街並みを三時間程歩いて、私が選んだ高山ラーメンのNO.1「つづみ」へ、午後一時十五分、やはり二十人以上が並んでいる、仕方なし。




高山ラーメンNO.1のつづみ!一番右端が例のホステス風の子。。。
このシンプルなソバが最高に美味しいんです!

 私の前は27歳位のスナックのホステス風の二重つけまつ毛の女性、胸は寄せてあげてる風、何かひたすらメール。 並んで約一時間、次の方は何人ですか、私二人、つけまつ毛一人だったが携帯メールの早打ち。

で結局相席、突然頭から飛び出る様な声で席が空いたから来て、その声はまるで小学生がいきなり27歳のホステスになった様な声。

舌足らずで甲高い。
 ハヤクキテヨーデモ、アイセキナノーと、そこへスナックのマスター的33歳位の太った男、ここがこの写真の店なんだぁー。昨日のラーメンとどっちが旨いかな。
ワタチュラーメンと煮たまご、俺はチャーショウメンの大盛り。

 ちなみに私と連れは一方がラーメン私がチャーシュウメン。
しばし待っている時、マスター的男がワンタンメンって何、ホステス風、ラーメンとワンタンがイッチョなのよ、じゃ俺ワンタンメン、すいませーん、ラーメンの上にワンタン乗せて下さい。 

お店の人今からそれは無理です、満席の店はシーンと固まった。 

始めからワンタンメンって頼まないと駄目なのよ、そうなの、ラーメンにワンタン乗っけてくんないの、と言う。で結局ワンタンだけ別注文したのであった。 

私たちは無言。外では雨の中ズラリ並んでいるので早く食べて席を空けるのがルールだから、でも連れがおいしいー、こんなの初めてだと言ってくれればそれでOKだ。 

海外の人も沢山!

荻窪のラーメン三名店、丸福、春木屋、丸信を食べて来た私はラーメンには相当ウルサイ。高山のラーメンは相当旨いのだ。 
アゴ(飛び魚)やカツオダシとか秘伝の技で作ったスープは醤油味で極めてシンプル。
メンは細めのちりぢり系、あとはメンマと美味しいチャーシュウのみ。
 実に上品で上質である。 
高山だけで30店以上が味を競っている。

次の日天気予報は大雨とか、仕方なく予定を変え名古屋に向かう。
途中でどんどん晴れて来るではないか。聞けば「屋台」が出たという。残念だった。


 下呂⇔(40分)⇔高山⇔(120分)⇔名古屋⇔(120分)⇔小田原⇔(25分)⇔茅ヶ崎。乗車時間合計約660分余、奥飛騨慕情の旅であった。 









2010年10月8日金曜日

湘南の嵐便り 「松岡正剛」


松岡正剛氏


ある高名な哲学者がこんな事を書いていた。

私の人生で唯一自分を誉めてやりたいのは本を読まなかった事だ。
悪い活字、悪い文章程精神衛生上悪影響なものはないからと。

しかしこれは万巻の書を読んだ人のみに許される超一級のジョークだろうと思う。


我が国にとんでもない知の巨人、読書の超人が一人いる。
名を松岡正剛という。66歳である。


松丸本舗の書棚

本の海を泳ぎ、本の山を登り、本のピラミッドを建てる。
あらゆるジャンルの本を読み、整理し、系統だて分類しその上で空間の中に本の迷宮回廊を作り上げる。

丸の内丸善4Fに松丸本舗という松岡正剛が独自の視点で選別配列した奇跡的な書棚のコーナーがある。それはまるで計画的完全犯罪の様に謎めいてなおあらゆる仕組みが施されている。


一見好き勝手の様に、そう子供部屋の本棚の様に置いてある。
躾の厳しい親なら本棚をキチンと整理しなさいと叱られるだろう。
本の題字すら読めない本もある。
人間の心理として読みにくいものは見たくなるものである。

横のものは縦にしたくなる、縦のものは横にしたくなる、あえて分類をしていないものは分類したくなる。

売り場のベテラン女性にこれで売れますかと尋ねると、ウフフフとだけ言った。
私は大好きなパンクロック作家「町田康」の本をその日二冊買った。ずっしりと重い一冊700ページ、かつて私が読んでコレは誰かに勧めたいと思っていたからだ。
一冊は「告白」、一冊は「宿屋めぐり」、一冊は友人に、一冊は知人にプレゼントする為である。


「町田康」の本を手にしてそうかこの空間はパンクロックなんだと思った。




一日中居てもタダで楽しめる、松岡正剛という人間図書館なのだ。

2010年10月7日木曜日

湘南の嵐便り 「オドイーターとムシューダ」





お釜は何をするものかと聞かれれば真っ当な人はゴハンを炊く物と答えるはずです。



そのお釜が近頃ダーウィンも驚く程進化を遂げテレビの画面をジャックしているのです。


本来は新宿二丁目辺りに生息していたのが、オスだかメスだか判らないオカマ&ニューハーフとしてそのタレント性(才能)をフルチンに発揮しているのです。(中にはある物を取ってしまった元男もいます。)





彼等いや彼女等は実に頭の回転が速く、話題は豊富お客は笑いの渦の中の住人となってしまいます。男の喜ぶツボを知っているのです。
銀座あたりのクラブでしこたま高い料金を取り、ただ座っているだけの人形みたいな女と大いに違うのです。(中にはとびきりの女の子も居ますが)


ただ私は正直言ってオカマ&ニューハーフは苦手です。
臭いに敏感なので濃い化粧と、元男の体臭と香水の混ぜこぜになった臭いに頭がクラクラになって気持ち悪くなってしまうのです。



「はるな愛」という売れっ子のニューハーフがこんな事を言っていました。
ある男と一緒にいた時にどうしても誤魔化せないものがあった。
それは寝具に染み込んだ男だった時の体臭が決して消せない、夕方になるとヒゲが生え出す事だと。いつもオドイータとムシューダで消そうとしたとかしないとか(?)






臭いの話でもう一つ面白い話がある。
西城秀樹がワンマンショーをある地方の公会堂で催した時、その日の司会者にこういった。
すみません、今日は終わった後変な臭いがするかもしれませんから。
そしてスタート1500人ギッシリ満員、オバサンで満タン、秀樹が歌い出すと熱狂、絶叫、ある者は泣き、ある者は失神してしまう。もう大興奮大会となって終演、その後会場内には異様な臭いが。




それはオバサンたちが「過換気症候群」でアンモニアをお漏らししてしまった人が続出したのだ。

過度の緊張と興奮状態になると緩んでしまうのです。
当然「秀樹感激」だったはずです。





これからワンマンショーに行くときはオドイーターかムシューダを持参して下さい。

2010年10月6日水曜日

湘南の嵐便り 「孫」


週末は運動会でした
駆けっこでは一番でした!

孫を持つとこんなにも晩年の人生が明るく楽しいのかとつくづく思っている。


筒井康隆の小説に「私のグランパ」というのがある。
女子高校生のおじいちゃんは昔気質のヤクザ者、その人が出所してくる。
女子高生はジイジイとかおじいちゃんとか言わずグランパと呼ぶ。

私はこのつまんない小説を読みながらグランパだけは頂こうと思っていた。
そして待望の孫が今では四人、上から8才、7才、7才、4才と続く、二人は直ぐそばに居るのでほぼ毎日の様に来る。


週末と日曜日は一緒に食事する。
8歳の子は将棋を覚えて中々強い。私の出す算数の難しい問題が全て出来ると500円玉を一個あげる(一週間に一回だけ)、その時の嬉しい顔といったらない。

お金は色んな人が触って汚い物だから直ぐ手を洗う事にしている。
この頃は手を洗うのが面倒なのでズボンのポッケを広げグランパここに入れてなどという。下の子はお絵かきが中々なので上手に描けるとやはり500円。




遠くから二人お泊まりに来た時は上の子がぬり絵が上手いので上手にいったら500円。
下の子は私とベイブレードをやって買ったら100円玉一個。
みんなそれを持って近所のサークルKに行って好きな物を買ってくる。

小さな家の中は足の踏み場もない、至る所落書き、貼り紙、カードだらけである。
下手に剥がすと貼った物を覚えていて凄く怒るのだ。


「孫は来てうれし、帰ってうれし」むかしから可愛い者だったのだろう。
「孫」という歌が大ヒットした位だから。

大泉逸郎の「孫」



何処まで成長を見届けられるか判らないが今の私の力の源泉である事は間違いない。グランパは反抗期や年頃の娘になった時が心配なのだ。私のDNAが色濃く出ないといいと願っている。


パパ、ママ達はお酒も女遊びも博打も煙草もやらない(息子が煙草を少し)。
親に全く似ていない超真面目なのだ。性格穏やか、極めて質素、争いを好まず。

父親と正反対なのだ。

2010年10月5日火曜日

湘南の嵐便り 「ショナイのナシ」




「ショナイのナシ」ある恐い業界での話し方。

これは正しくは「内緒の話」という事。
あるペット業界内での内緒にしておきたい話。



それはペットを薬の治験(実験)に使い、死んだペットを焼却し続けているという事だ。
勿論人間も治験者として使っていると聞いた事がある。
内緒のアルバイトとして人間が申し込む。「通称サル」とも云われるらしい。あらゆる効能や副作用を試すのだ全ては内緒で行われる。






新商品開発は企業の至上命題だ。
全ての病院やメーカーが大なり小なり治験を行っている、人間やペットで。
ペットショップで売れ残り大きくなってしまった犬や猫は大学病院やペットフードメーカーに下げ渡される「ああ無情だ」。

治験に申し込んだ人間は全て秘密を守る事を約束されるという。
肉体を全て拘束されて治験シェルターで生活していく。生きて帰れるという約束はない。気違いにならないという約束はない。

全ては「ショナイのナシ」なのだ。
今あなたが可愛がっているペットの裏で恐ろしい事が起きているのだ。
毎日どこかで。



恐い業界でもう一つ「レソワイナ」という話し方があるこれは「それはない」という事、高い治験のアルバイト代につられて治験者になると「それはない」という結果が待っている。

何事も逆にして話す業界、「生」と「死」は背中合わせにあるのだ。
一に雇用、二に雇用、三に雇用とまるでコヨーテの遠吠えの様に叫んでいる最低の政治家がいるが官僚の犬となったこの男にはペットフードがふさわしいといえる。
いや犬や猫ちゃんに失礼かもしれない。

恐い世界では仲間を売った犬には死しか待っていない。

2010年10月4日月曜日

湘南の嵐便り 「帰らざる日々」

イタリアロケにて



人は思い出を宝に生きている。

「振り返らない、そこには夢がないから」といったのは寺山修司だ。
だがしかし人は人生のアルバムを見続けたい生き物なのだ。
寺山修司は振り返りたくない故里への決別があったのだろう、又上京して一旗あげるという野心があったのだろう。自らの詩と劇で。

寺山修司的にいうならば、地方にうずくまって生きて来た人間の権力と風習に対する自発的行動の戦い続ける美しい姿なのだと、あるいは地方の片隅の競馬場に育った一頭の馬が中央に上京し並みいるサラブレッドをゴボウ抜きにする姿なのである。

それはハイセイコーでありオグリキャップであり一勝も出来なかったが世間の注目を浴びたハルウララちゃんでもある。
地方から上京し一旗あげるというのは覚悟なのである。
「注目」を浴びねば故里には帰れないという。


全く整理をしないでいた会社の自分の部屋を何年ぶりかで整理した。
物を整理するなど慣れない事をするとこの世とオサラバするというが確かにその時期が目の前に来ているのかもしれない。こればかりはいかんともしがたい人生の掟だ。

一つの段ボールが出て来た、その中に夥しいスナップ写真が出て来た。
40代の頃の仕事部屋
それは正に帰らざる日々の証しであった。


会社を興して1013日で40年、愚妻と一緒になって40年、みんなみんな若かった。
30数年家族付き合いをしてもらっている中井さん、今岡さん、藤田さん一家、正月4日には我が家にみんな集まってくれた。

今岡ファミリー、中井ファミリー、藤田ファミリー
三家族ともこの頃は東急エージェンシーにいたが、今では中井さん夫婦は陶芸家に、今岡さんは神奈川県の特別参与に、藤田さんは道路関係の会社の役員に、この一枚の写真の時は誰も現在を予測してなかった。船尾さん家族も思い出深い。(写真参照)
船尾ファミリーと妻と娘

この写真の頃は船尾さんは東急エージェンシーの制作担当のトップであった。
現在は定年となって夫婦で会社を興した。

北海道から出て来て東急エージェンシーの役員までなったハイセイコーである。
うれしい事はみんな可愛い孫に囲まれすこぶる幸福な人生を歩いている事だ、ベンツに乗りヨットに乗りブランド品に囲まれゴージャスだ。今も時々会っているいわば私の人生の戦友なのだ。

キーウエストにて
ニューオリンズのホテルにて
一枚の写真は人生の句読点ともいうが、物語は更に続いている。
振り返ろうそこには人との出会いがあるから。

最近妙に整理したがっている。
今手掛けている、来年62日からの展覧会が文字通り命懸けであり多分そこが句読点でなく終点になる予感があるからかもしれない。

段々プレッシャーがかかって来るこの感じが最高なのだ。



ニューヨークにて (左)クリエイティブディレクター船尾夲氏 (中)コピーライター田村義信氏 


あるロケ先にて。(右)吉岡敏行プロデューサー
あるパーティーにて(左)コピーライター佐々木克彦氏


2010年10月1日金曜日

湘南の嵐便り 「香水」





小沢一郎は西郷隆盛、菅直人は高杉晋作を尊敬しているとか。
馬鹿言えと言いたい。ものが違いすぎる。
西郷は物言わず、しかしひとたびその姿、そのオーラに接すると離れ難き包容力を感じたと云う。高杉は動けば雷神の如し決して逃げなかった。




西郷隆盛
高杉晋作
例えば嘘か誠かこんなエピソードがある。
西郷が可愛いがっていた辺見十郎太という若者が留学から帰って来る時に征韓論で西郷は下野し鹿児島に帰る、続々とそれに従って下野していく。

そんな中に辺見の弟が入ろうとしていた。辺見は弟に言う。
オイは帰るがおはんは鹿児島に帰ったらいかん、弟は何故ごわすかと聞く。
おはんは西郷さんに一度も会っていない、一度会ってしまったら西郷さんから離れられなくなるからと云ったとか。




辺見十郎太は外国に行き学んだ。それ故西郷が下野し、やがて東京に攻め上がっても決して勝てない事を知っていた。しかし西郷のオーラに触れてしまった自分は引力に従って行くしかない。
辺見十郎太




そもそも小沢一郎と菅直人などは歴史的に言えば思想も哲学もないただの権力亡者である。かつての市民運動家、市川房枝は死の間際に腹心の紀平悌子に「菅直人だけには気をつけなさい」と云ったという話がある(?)


上に立つ人間を見るには側に居る人間を見れば判ると云う。
会社でいえば番頭、ヤクザなら若頭、大名なら家老、将軍なら老中だ。

菅直人には誰がいる、小生憎い気な寺田学。
小沢一郎といえば側近とは切り捨てる者の考えだから当然いない。

山岡賢次、樋高剛、松木謙公、鈴木克昌、奥村展三、何とも情けない。

で、西郷隆盛となると、篠原国幹、別府晋介、桐野利秋、辺見十郎太等多才な人間に最後まで守られた。このまま行くと近い将来賽の河原で落ちぶれた小沢一郎と菅直人と鳩山由紀夫が筵に座り石ころなど拾いながら昔日を語り合うやもしれない。
トロイカを懐かしみながら。

室町時代前の混乱期こんな連中を「悪党」と呼んだ。
足利尊氏と楠木正成はその代表である。

ちなみに斬首された人斬り半次郎こと桐野利秋の首からは香水のいい香りがし、馬上で戦った辺見十郎太は首にスカーフを巻いていたとも伝えられている。男の美学だ。

2010年9月30日木曜日

湘南の嵐便り 「ガチョーン」


かの正岡子規はカリエスのあまりの激痛に耐えかねて自死を計ったというが死に至らずだった。

さすがに正岡子規、その苦しみの中で「平気」という悟りの境地を開いたと何かで知った。
即ち「平気で死ぬ」という極意だ。



「ガチョーン」で一世を風靡したクレイジーキャッツのダニーケイこと、谷啓は死んだ事が判らなかったのではという。これまたお疲れさんでしたガチョーンである。

友人が訪ねて来るとお寿司の巻物を出した。
カッパ巻き、次にカッパ巻き、そして又、カッパ巻き、そして最後にガチョーンと言ったとか言わなかったとか。




NHK教育テレビの夜1025分から25分間の「美の壺」は私の一番好きな番組で全て録画してあり何回も見る。昨年3月まで谷啓がナビゲーションをしていた。今は草刈正雄だ。

この番組はやはりNHKでないと作れない、極めて上質な番組だ。
民放では逆立ちしても見られない。夜中や明け方帰ってきて一杯飲みながら録画しておいてもらった「美の壺」を見る、その中から何度ビッグアイデアを貰ったか判らない、アイデアの宝庫だ。


私にとっては明け方は学校だ。必ず大学ノートを広げてノートを取りながら見る。
谷啓さんが軽妙にエスコートしてくれていた。ブラウン管から出ていた人が出なくなると不吉な事が起きる。ニュースで名優小林桂樹の死去の報に接した。



そう言えばこの頃見なかった。社長漫遊記の秘書役は絶品だった。経理部長加東大介、宴会部長三木のり平、絶妙であった。駅前シリーズも又良かった。私が英会話のNOVAに「駅前留学」と名付けたのもあの映画のお陰であった。




この頃、私の少年時代、青春時代の名優がどんどんあの世のステージに行ってしまう。今自分のイメージしている自分のお墓を探しに行っている。

友人のスタイリスト会社の社長が私のリクエストした流木を探してくれた。
かなりいいイメージだ。後は左に江の島、右に烏帽子岩をその又右に富士山を見る小高い場所を探す。これが中々難しい、もう二年も探している。愚妻からちゃんと見つけといてよいつ何が起きるか判らない時代なんだし、歳なんだからと。

ビョーン、ガチョーンとバッチシ決めたいものだ。
墓には今のところ「平気」とか「両忘」とか「ぐっすり眠る」とかTHE ENDとか「完」とか「終」とか「FIN」とかを考えている。私の事だから直ぐ気が変わるが。

ちなみに「両忘」とは孟子の言葉、生を忘れ、死を忘れる。
死は一睡の夢なのである。
死ぬのが恐くて生きてはいられない(?)

2010年9月29日水曜日

湘南の嵐便り 「ナイフとフォーク」



先日、ホテルオークラ一階のテラスレストランに会社の経理担当の女性と公認会計士事務所の女性と三人で夕食を共にした。


二ヶ月に一回三人で食べ歩く、いつもの奥の席に座ると私たちの斜め前に田中真紀子さんが一人の白髪の男性と食事をしていた。
私達より早く来ていた様だ。
私達は六時半からスタートであった。お互いに妙に目と目が合ってしまう。

始めはあんまり静かに話すので別人かと思ったが来るお客さんがそれぞれ田中真紀子さんに挨拶に行く、それに対しそれぞれ静かに対応する。
あのでかい声はどこにもない、クワイエット&クワイエット。静かである。




シャンパン、ワイン、スープ、サラダ、この日はハンバーグのスペシャルデーとかで確かビーフシチューハンバーグを食べていました。
そしてコーヒーからデザートへ、私達より早く帰りました。

で、感心した事がひとつ。
それはテーブルマナーがパーフェクトな事、ナイフ、フォーク、スプーン、バターナイフ、デザートのフォークとナイフ、コーヒーの飲み方全てがパーフェクトで見事でした。

決して音を立てず、滑る様なフォークとナイフ、ナフキンの使い方、どこにもあのじゃじゃ馬の姿はありません。さすがに外務大臣までやった女性、田舎出とはいえ総理大臣の娘です。しっかり教わったのでしょう。

相手の女性の氏素性を知る時は、魚の食べ方、箸の使い方、スープや味噌汁の飲み方、パンの食べ方、ナイフとフォークの使い方で全て判ります。

こればかりは一夜漬けでは身に付きません。
自分の子や孫は国際社会で身を立てさせようと思ったらテーブルマナーは大切です。逆にそんなもんは人間の価値になんの関係もない好きな食べ方でいいんだと思うのも大正解です。

魚とか肉なんか手でむしって食べた方が余程美味いんですから。
中国やインドやアジアや中東、アフリカなんてみんな手掴み国家ですからね。
モノは考えよう、身に付けようです。



出っ尻でニワトリの様に前のめりに歩く姿はやっぱり田中真紀子さんでした。
この日私が食べたのは白ワイン一杯、赤ワイン一杯とミートソースです。

初めてデートする若い人へ、最初の食事で洋食は止めておいた方がいいですよ。