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2010年10月26日火曜日

湘南の嵐便り 「オムライス」


長い付き合いの写真家に藤井英男さんがいる。

先日行った藤井さんの個展

先日個展に行って来た。
スペイン、ポルトガルを一年回って撮ってきた作品だ。
藤井さん独特のモノクロームの世界はやわらかい視点で捉えられている。
藤井さんは若い頃、パリで勉強し雑誌「ELLE」などで活躍、日本に帰り本格的に売り出しビッグネームとなった。
写真家は個性が強い人が多いが藤井さん程マイルドな人は少ない。
何人も若い写真家を育てて世に出した。

会場が路地の中であり早めに出て12時オープンの30分前には着いてしまった。

会場の前に二軒の店があった。
一軒はインテリア&ジュエリーショップ、もう一軒は麻布食堂だ。

インテリア&ジュエリーショップ

麻布食堂

インテリアショップでコーヒーをご馳走になって友人を待つ、そこで麻布食堂のオムライスは凄く美味しいですよと教えてもらう。
で、個展を観て友人と麻布食堂へ、入り口は小さいが中はとても広いしお洒落であった。


昔ながらの洋食屋さん風、家庭的で落ち着ける、私と友人はオムライス、私はデミグラスソース、友人はホワイトソースをオーダーした。

私が頼んだデミグラスソース

隣の若い三人はカニクリームコロッケが二人、ハンバーグが一人、シンプルでとても美味しそうであった。今度はメンチカツを食べようと心に決めた。カウンターの人が食べていた。

カニクリームコロッケとハンバーグ

インテリアショップの女性が美味しかったでしょうと言った。
コーヒーを二杯ご馳走になったので5700円のガラス玉を買った。

インテリア&ジュエリーショップの女性


いい写真、いいインテリア&アクセサリー、いいランチ、ギャラリーの名はイー・エム西麻布です。

2010年10月25日月曜日

湘南の嵐便り 「どぜう伊せ㐂」


高ばし 伊せ㐂

過日深川高ばしにある「どぜう」の名店「伊せ㐂」に三人で行った。

佐藤隆介先生

一人は池波正太郎の一番弟子で日本を代表する食通、佐藤隆介先生。
もう一人は佐藤隆介先生の一番弟子でやはり食通の加藤雄一さん、お二人は博覧強記で知らない事はない。

どぜう鍋
「どじょう」とも「どぜう」とも云う。
コイ目ドジョウ科に分類される淡水魚である。この日の目的は、柳川鍋、蒲焼き、丸鍋の三種。ぬき鍋という骨抜きのもある。しかし残念蒲焼きがなかった。

この季節は大きさが足りないので蒲焼きはないとの事。
先生はしまった俺としたことがと声を上げた。それでも柳川と丸鍋をしっかり食べた。


伊せ㐂」「飯田屋」という名店と「駒形どぜう」がベスト3といわれている。

飯田屋の柳川鍋とどぜう鍋


江戸っ子は気が早いので鉄鍋を極端に薄く仕上げており、またどぜうに酒を染み込ませ身を柔らかくして火の通りをよくしている。安い、早い、旨い、江戸っ子のファーストフードであった。

飯田屋のどぜう蒲焼き
店内は開放感に溢れている。


一体この国はどうなっちまったんだろうと先生はつぶやき、この頃かなり右傾化交戦的になっている加藤さんは、元々日本は強いんだ中国にもロシアにも負けてない、勝負すべしといったお言葉を発す。まあ中国やロシアはドジョウみたいに掴み所のない沼科の生き物だからなと思った。
日本もかつては世界中の物をパクって世界の嫌われ者だった。


先生はかなりご機嫌、次の日出張とかで早帰り、最後に鰻の白焼き、加藤さんは白焼き丼、先生ちょっと白いご飯をくれと言ってこりゃ旨いやそして風の様に去って行きました。
雪駄の音が小粋でありました。

飯田屋の鰻重

私はその後銀座のクラブで友人と待ち合わせ、そしてとんでもない目にあったのです。

2010年10月20日水曜日

おしらせ

いつもご覧頂きありがとうございます。
明日、明後日のブログはお休みいたします。


今後ともよろしくお願いいたします。

湘南の嵐便り 「筋者」





先日一人の男が自宅に来た。遠い昔の後輩である。

少年の頃傷害で初等印旛少年院、出所後殺人で久里浜特別少年院、出所後広域暴力団の若衆に。体半分は刺青が入っている。
左手の小指は第二関節、右手の小指は根元からない。


現在56歳。バリバリの親分であり直系の若衆も七人いる。
その男がすすり泣く。

やっと生まれた男の子が死産だったのだ。
バチが当たった、バチが当たったと白い髪ばかりになった頭を下にして。


その日家の奴は留守だった。
家の外にベンツに乗った若者が二人いるので少しずらしてくれと言った。
亡くなった母が少年院を出て挨拶に来た時、もう馬鹿は止めなさいと言った時、自分はこの道しかないので必ず親分になりますと言った。

荻窪駅南口の飲み屋街で喧嘩になり短刀で刺した。
刀は背中まで突き通っていた。何回も面会に行ってやった。


久里浜の特別少年院で水泳の教練が厳しく水泳が苦手な自分には死ぬより辛いと言っていた。こんな狭い家にいてもしょうがないから海でも行こうと海に向かった。
男は涙を拭った。

海辺の防波堤に座り語り合った。
お前堅気になりたいんだろと聞くと今更堅気にはなれないと言って笑った。



今追い込みをかけられていると云った。
何しろ極道の世界も金、金、金の時代だから。
会長代行の奴とどうにも合わないんだ、どうしても我慢出来ない事が何度かあった。


この間若い者連れて夜中さらって片を付けたかったのだが何処で嗅ぎつけたか家に行ったらガードの堅い事、それ以来禁足にされてしまった。未だ破門まではいってないんだが。ガキの頃から博打で生きて来たから。





デリヘルや乱交パーティやシャブや美人局などは絶対やれない。

しっかりケジメつけるか、トコトン堅気になって笑われるかどっちしかないかと私は言った。
お前は元々金筋の親分になるために生まれて来た様な男なんだから、半竹に身を引いたら一生追い込まれるからな。その後男がどの道を選んだかは判らない。




秋の海辺に赤とんぼが飛んでいた。
私は確信するのは必ずあの男は自分でケジメをつけるだろう。
その男の女房になったのは私が育った街のいいとこのお嬢さんだった。
いつもバイオリンを持っていた。56歳の後輩が新年をどこで迎えるかは判らない。
男が惚れ惚れするいい男だった。


ちなみに若衆から一番嫌われる極道(ヤクザ)は
一、金儲けしか頭にない。
一、金にブシイ(シブイ)
一、人を信用しない、銀行は全て自分で行く
一、飲み代を値切る
一、語る(人の名を借りる)
一、フケる(いざという時逃げる)
一、歌う、チクる(密告)(パクられた時直ぐ喋る)
一、スゴム、これ見よがしに自分の女にスゴム。女に手を上げる。
一、フカス、小さな話を大きくするラッパ。
一、ジャッキを入れる、自分で出来ないので人をのせる。
一、根性がまるでない。楊枝一本で刺されて青くなる。血に弱い。
一、銭に異常に汚い。貯めたがる、金の離れが悪い。

こういうチンケな奴人はいつか必ず沈む。

多分狙うその相手はこれらを全部満たしている筈だ、シャブや女の子の体を売って得た金だけでのし上がって来た男なのだろう。


えっ、私の上司もこんな男だって!?
すっかり筋の通った男が居なくなってきましたね。


2010年10月19日火曜日

湘南の嵐便り 「人間の知力」


チリの鉱山から奇跡的に33人全員を脱出、生還させた人間の英知と努力は心から凄いと思う。

正に生きて還るのライブなヒューマン劇場だった。
一つ一つの救出の器具にあらゆる工夫がされていた。
それを見ててある日の感激というか感動を思い出した。

松ヶ岡開墾場記念館

山形県に松ヶ岡開墾場がある。
そこにいかに人間が生き延びるかの知恵を、いかに一粒でも多くの米と一つでも多くの野菜を作るかの工夫が、広い広いかつては養蚕場だった展示場に一大歴史ドラマとして展示されている。


明治維新の時、官軍に逆らった武士達がお前らに与える土地などありゃせんごわすと言われ、何もない何も育たない雪国に追いやられた。

開墾場記念館の中、沢山の農具がありました
武士は刀を鎌(かま)に、樏(かんじき)、背負子(しょいこ)、鍬(くわ)、鋤(すき)、篩(ふるい)にシャベル、様々に工夫した農耕機具に持ち替えた。
この松ヶ岡開墾場で私の尊敬する先輩が水彩画展を行った。
山形県鶴岡出身の素敵な画人であり、名文家であり、日本チーズ協会の会長でもあった。

開墾場を描いています
麻生ご夫妻


こよなく鶴岡を愛し、こよなくフランスのプロヴァンスを愛している人だ。一年に一度は必ずお料理の先生の奥方とスケッチ旅行に行く。
銀座プランタンでは人気作家の一人であり毎年の様に展覧会をする。


農具の数々


もちろん水彩画もよかったが農耕機具にも心を奪われた。
嵐の日には、風の日には、雨の日には、雪の日には、それぞれ細やかに工夫改良されている。溶接もない時代に何でこんな曲線や曲形が創られたのか、心から人間の歴史に敬意を感じた。自然の生物をみんな味方に取り入れたのだ。木、草、土、水、火、そして決して怯むことなき根気だ。



今は何でも手に入る。東急ハンズに行けばいいのだから。
隣は庄内映画村、今や一大観光スポットだ。時代劇の名作を生んでいる。
夥しい数の農耕機具と時代劇を見ると日本人がしっかり見えて来る。

今、何が欠けているのか、今、何が不足しているのか、これから何処へ向かうのか。



私は日本は再び農業の時代が来ると思っている。
漁業や林業は自然任せのところがある。特に漁業は魚群探知機の発達とFRPの高速船の発達、無線の進歩で魚を捕り過ぎて寿命を縮めた。地球の生態系も狂ってきた。
林業は国があまりにたるんでいて森を見て木を見て来なかった。
100年、500年、1000年を見据えた国家的計画が必要だ。

言い方は悪いがお百姓さんの時代となる。彼等は強かの上にも強かだ。
板子一枚に命を掛けている漁師とは全く違う。林業は計画投資的、漁業は博打的だけ、農業は季節の恵みという強い味方がある。


昨日400円したキャベツやレタスが一日で100円から200円になった。
これはJAあたりの悪知恵、浅知恵である。
ぐにょぐにょに曲がったサツマイモや凹凸の京茄子が一個60円で売っていた。

食べてウンコになればみんな平等だ。
自給自足の時代に備えよう。

2010年10月18日月曜日

湘南の嵐便り 「アンティーク着物と聖教新聞」

私の仕事場の30メートル近くの処に骨董品屋さんがある。



「三希堂」という小さな店だ。
河井寛次郎の書とか、中国元の時代の骨董品とか珍しい物がある。

中でも品が揃っているのがアンティーク着物だ。今静かなブームだという。
私は骨董には全く知識がないが歩いているといつも店の前の着物が気に掛かる。



週に一度着付けを替える。
一着八千円から三万円位で素敵なデザイン、絵模様の着物が手に入る。何着か買って家に置いてある。


現代の着物は花鳥風月が主たるパターン、十万や二十万や三十万ではペラペラの着物しか買えない。
その代わりアンティークな着物は、明治あり、大正あり、モダニズムあり、アールヌーボやアールデコもある。大胆な色使い、シンプルなデザイン、シュールリアリズムもある。

種類も沢山あります

着付けが毎週変わります
着物というよりは絵画を見る様で楽しい。帯の組み合わせも面白い、帯は三千円から一万円でいいのが手に入る。孫の七五三にアンティーク着物はどうかと思ったが何を考えているのと一蹴された。これから育つ女の子に昔の着物はないかもしれない。
江戸紫のシンプルな着物に線画きの白い朝顔だけ、帯は黄色一色のみ、中々モダンであった。


近頃銀座のママさん、ホステスさんたちも勝った組と負けた組とは着物を見れば一目で判る。一千万以上もする総絞りの着物とか、辻が花風仕立て物は勝ち組、レンタル着物でナフタリンぽい臭いがするのは負け組、見栄と虚飾を生き甲斐にしている夜の蝶達もこんな不景気は経験した事がないと泣きが入っている。

三希堂さんご夫婦はとても仲良い夫婦、今ある企画を協力してもらっている。

先日ガマガエルの置物を写真に撮りたいのであるかと聞いたら、奥さんがお店にはないけど私がいつも新聞を配っている家の庭の池の側に確かガマガエルが置いてあった様だという。申し訳ないけど借りれないかなと聞くとちょっと自転車で行って来てあげると言ってくれた。


中々見つからず困っていたので私はちょっと出掛けるけど会社の者に連絡しておいて下さいとお願いした。そうしたら見つかったら私のお願いも聞いてといわれた。

何?と聞くと聖教新聞をとってくれるかだって。新聞配達の意味が分かった。
その場はお茶を濁しつつ立ち去って暫くして会社に電話すると、ガマガエルじゃなくて亀だって言ってましたという伝言。

忌々しいよりイボイボしい。

骨董品の数々


そうか三希堂にいつも数人集まっているのは学会の人たちだったんだ。
それ以後私は折伏され続けている。仕方なくアンティークの着物と帯を買った。

中々にいいが着てくれる女性がいない。
着物好きの女性が申し出てくれればお送りします。
その代わり一度デートする事、ただし誰から見ても美人である事。

2010年10月15日金曜日

湘南の嵐便り 「海の向こうはブラックジョーク」




十月十一日体育の日は朝から天気晴朗、風は爽やかであった。

午後四時から五時半まで海辺を散歩した。
手には使い捨てのカメラ、私はずっとキャノンオートボーイ頼みだった。(バカチョンと云われた)三十年使って遂に部品が無く修理不能、それ以来使い捨てカメラを使用している。他のカメラは使えない。



道ばたの花をパチリ、パチリ。しかし花の名は判らない。
海はやや波高し、サーファー達がその波に乗る。バーベキューを楽しむ若者達が何組もいる。烏帽子岩が逆光の煌めく海の中に黒いシルエットになっている。

砂遊びをする少年や少女、もしかして釣れるかもと投げ釣りをする人ポツリポツリ。江ノ島の灯台が斜光を浴びて美しい。富士山は雲が多く見えない。赤とんぼがだんだん少なくなっているのが気になる。


サイクリングロードはウォーキング、ランニングの人達で一杯。
中高年の男女が断然多い。秋の陽はつるべ落とし、一気に西の山並みに消えて行く。この季節が一番いい。

湘南サーファーの憧れカリスマサーファーの高津佐浩行さんのサーフショップへ寄る。
TシャツのOFF SALEをしていたので二枚買う。一枚3600円なり。

アクセルサーフ

高津佐浩行さん

体にうっすら汗が出て来た。コンビニに寄ってカルピスウォーターを買う、冷えて旨い。
今年は猛暑で海に行かなかった。心がギザギザ、体の切れ味が悪い。
頭が悪いのはそのせいだろうと思っている(元々悪いのだが)。



コンビニで週刊誌をパラパラめくっていると落合信彦著作の書評があった。

落合信彦氏

本の題名は「無知との遭遇」、ジョーク集である。
その中にこんなのがあった、中国でギョーザ事件が問題になっている頃飛び交っていたという。

「中国の農民が、その年は畑の収穫を上げようと思い立ち、春に新しい種を買って来て畑を耕した。だが、秋になっても収穫はゼロだった。種が偽物だったのだ。
絶望した農民は農薬を飲んで自殺しようとした。だが、死ねなかった。農薬も偽物だった。農民が住んでいる村の人たちは『死ぬことはない』と彼を励まそうと村を上げて宴会を開き、そこで餃子が振る舞われた。農民は生きる希望を取り戻し、餃子を口にした。
すると農民は死んでしまった。」


この本を買う事に決めた。
海の気分もトワエモアの歌みたいで良かったが、このブラックジョークは中々であった。
海の向こうの隣人中国は一筋縄でいかないのだ。

2010年10月14日木曜日

湘南の嵐便り 「エスペランサと絶望」

チリ・コピアポ。

ノーベル賞受賞者の栄光も素晴らしいが、地下700メートルで69日奇跡的に生き抜いた人間の強い意志もノーベル賞に劣らず素晴らしかった。
屈強な男は地界から現れた。

一人目の救出者アバロスさん

息子と固く抱き合い、妻と抱き合う、だが何処までも冷静だ。
フロレンシオ・アバロス(31)、仲間から選ばれた男であった。


一発で十万人以上も殺してしまう悪魔の爆弾もあれば、自分の体に爆弾を巻き付けジハードだと言って自爆し沢山の命を奪う命もある。

世界中の目がチリの奇跡に釘付けになるのはそこに見失っていた人間の強さ、人間の意志、人間と人間の信頼関係、国民と国、国と国、英知と経験の結果、そこに国境はなかった。

アバロスさんの息子、感動しました
そして何より我々を感動させたのは、父と子、夫と妻、友人関係の絆だ。
何もかも現代社会は忘れしまっていた。
事故にあった鉱山は収入がいいが危険で人が入りたがらない処であったという。
しかし家族のため、生活を守るため、危険を承知で入山していったのだ。


トンネルを抜けるとそこはもっと長いトンネルだった。
悪夢から覚めるともっと悪夢だった。折角の命の先が幸多かれと思わずにはいられない。
「奇跡は奇跡的には起こらない」といった人がいたが正にこの度の奇跡は普段の強い心の結集であったのだ。


人と人が罵り合い、足を引っ張り合い、嫉妬し合う浅ましい社会はこれを教訓に活かす事だ。私も学ぶ事が多かった。

鳥肌が立って、涙が流れ手を叩き続けた。白いヘルメットを被った少年の父を見つめる目は神を見る様であった。日本国の国会の予算審議がテレビから流れていた。
何と切ない、悲しい、虚しい論争かと目と耳を疑った。


切ない、悲しい、虚しい論争中・・・


チリで事故が起きている中で一人の赤ちゃんが生まれた。
その名を「エスペランサ=希望」という名にした。
地界から出た男に希望が待っていてくれたのだ。


地上へ引き上げるカプセルの名は「エスペランサ」と「フェニックス=不死鳥」だ。
日本国にエスペランサは果たしてあるのか、あるいはフェニックスの様に甦る事が出来るのか。

国会論争を見る限りNOといえる、希望より絶望の方が近い。
不死鳥より焼き鳥だ(麻雀で一回も上がれないのを焼き鳥という)最低だ。


親たちよ、子供にゲームや勉強ばかりさせないで、海で川で山で砂場で公園で真っ黒になるまで遊ばせる事が大切だ。いくら勉強出来ても点数を沢山とっても木登りして柿の一個も取れなければ生き残っていけない。

子供たちには思い切り遊んで欲しいですね


20代の若者が家計簿をつけたり、スーパーのチラシを持って買い物をする、クーポン券をせっせと貯めて少しでも貯金をする、こんな事が現実だとしたら明日は真っ暗闇だ。


チリはいろんな事を世界中に教えてくれた。命は尊い。
パパは少年や少女、妻や仲間の誇りなのだ。




男は強くなければ男でない。子熊達にエサをあげたい熊が射殺された。
アチコチで熊も猿もエサが無くなっている。これらも人間と同じ命に変わりはない。