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2012年5月7日月曜日

「ファクタとファクト」




「ひとたび悪事に手をつけたら、最後の仕事も悪の手にゆだねる事だ」シェークスピア「マクベス・第三幕 福田恒存訳」小沢一郎なる悪党が特捜なる悪党と戦った結果は勝負なし、相方黒星だったから。

一連の大マスコミ報道の中でただ一誌だけこの問題を冷静に書いていたのが「月刊誌ファクタ」だ。
あのオリンパス事件もこの雑誌が炙り出した。大磯の先生から勧められ購読を始めたのだ。

「ファクタ」では今年の二月二十六日にすでに小沢が無罪になると書いていた。
Why 何故、それはファクタは広告収入に頼っていないからスポンサーのバイアスがかからない、又、責任編集人の阿部重夫の軍団が五体を存分に使い徹底取材を重ね検証する。そして逃げも隠れも出来ないファクト(真実)を冷静に書く。

一歩間違うとホームから突き落とされたり、階段から突き落とされたり、一服盛られたりするのが当たり前の世界だ。
警察でハイ自殺です、で直葬されたりするケースの中に闇の力が動き真実を追っている人間を自殺に見たてるケースが今までゴマンとあるはずだ。その中で「ファクタ」は得難い雑誌だ。
全体の文章もばらつきがなく、よく書き上がっている。

情報協力者からや官僚からの密告待ち、リーク待ち、殆ど外部に外注しっ放し、五体をどっぷり悪の池に沈殿させてしまっている大マスコミの主筆、論説委員、解説委員たち。

例えば時事通信の田崎史郎、言葉も手も震えている(アル中か)、出て来ただけでこの世が真っ暗になる日経新聞の田勢康弘。もの凄くとか圧倒的にとか最大級の言葉を連発する役立たずの岸井成格は毎日新聞だ。
裏の裏は裏だったと裏ばかり語る後藤謙次。野球の解説者みたいになってしまった朝日新聞の星浩。
不潔極まりなく訳知り顔で語る政治“穴”リストこと伊藤惇夫。
テキ屋のオッサンみたいな政治評論家屋山太郎、競馬の予想屋よりも当たらない選挙予想の福岡政行教授、あのツルツル坊主の政治評論家三宅久之がテレビから引退した。

お前もらみんな身を引けといいたい。
何しろこの世の一番の悪なのだ。言論の自由は大切だが、言論のお買い上げ、言論の身売り、言論の放棄、言論の宿酔は国を滅ぼして来たのだ。「ファクタ」の記事には命がかかっている。生身の刀の様な凄味がある。

マクベスは悪事をした後幻聴に襲われた。
「もう眠りはないぞ!マクベス」大マスコミの連中が被災地で瓦礫一つ動かしている姿を見た人はいない。

ある日青山のコムデギャルソンで古館伊知朗が品定めをしていた。
きみたち報道ジャーナリスト?は枕を高くして眠ってはいけないのだ。
体制に組している一番の悪なのだからと、言ったか言わないか?

五月九日果たして無罪?となった悪人小沢一郎を検察に代わる弁護士は再び被告(控訴)に出来るか。
大地は怒り大竜巻を起こした。迷惑を受けるのはいつも市井の民だ。
連なる休みを終え、連なる明日へと向かう。

2012年4月27日金曜日

「ハシブトガラス」

ハシブトガラス
 


♪〜カラスのヤロー飛んでみな、トンビの間抜け目気をつけろバカなこの世のかんしゃく玉だぁ〜と歌ったのはマイトガイアキラこと小林旭、歌の題名は“ダイナマイトが150トン”150トンのダイナマイトでどれくらい凄いか想像もつかない。
 きっと作詞した人間もまるで分かっていないで書いたのだろう。

争いというやつで、カラスのヤローがとんでもない事をしてくれた。
せっかく抱卵をしている佐渡島の木の上のトキの卵をいとも簡単に取っていってしまったのだ。
あれだけほっトキなといったのに(サブー)。

ハシブトガラスだ(カラスではなくガラス)。
世の中にはこのガラスみたいに人の大切な物を簡単に取っていってしまう嫌な奴がいる。
 例えば大切にしている思い出、大切にしていた友情、大切にしていた想い人、などなど殺しても殺し足らない嫌な奴だといいながらふと鏡を見るとなんと自分自身ではないか。

想えば沢山の人々を傷つけて来たものだとつくづく想う今日この頃だ。
“あとの後悔先に立たず”それも役目の内と想っている。

昨年平塚の七夕様ですくって取ってきた小さな金魚がぐんと大きくなった、ずっと大切にしたからだ。
小さな鉢の中のハゼの気に芽が出て来た、ずっと大切にしてきたからだ。

小さな庭に小さな春が来た。
おっとガラスのヤローが隣の家の屋根の上に2羽、カワイイ金魚を捕られてなるものか。
ガラスは煮ても焼いても食えない嫌な奴だぜ。
ハシブトガラスのヤローザマーミロ、遂にトキが生まれたぞ。
そのトキが来たのだみんなでオメデトウのトキの声をあげよう。


ブログは連休につき、お休みいたします。
みなさんもよい連休をお過ごし下さい


2012年4月26日木曜日

「特殊なバカ」




遊んでばかりいると「遊び人」になる。
野球ばかりしていると「野球バカ」になる。

梶原一騎の名作マンガに「空手バカ一代」がある。
何事もその事ばかりしていると○△バカとか××バカとかいわれる。

ならば勉強ばかりしていると何になるかと孫に聞かれた。私の答えは本物のバカになるといった。
孫たちはよろこんで遊びに夢中になった。

幼、小、中、高、一貫校そして東大、そして高級官僚へ。
こういう人達は特殊な環境で育った特殊人間と見た方がほぼ間違いない。
勿論中にはあいつあんなにスポーツしてあんなに遊んでいるのになんで現役で東大へ等という超特殊人間もいる。
その特殊人間を銀座、赤坂、六本木、西麻布と夕方から朝方まで連れ回ると実に可愛い事に気付く。

ほとんどがマザコンだ。
姿、形、顔よりもオッパイが大好きなのだ。父は大嫌いで乳が大好きが多い。
なんでオレは勉強ばかりしていたんだ、お前はいいな、こんな楽しい夜を毎日送っているのか、オレと替われよなどといってオッパイバレー(胸の谷間)に顔を埋めてしまう。
よし、オレ歌うぞといって歌い出した曲は映画「人間の証明」の主題歌だった。
ママアイリメンバーと歌う我が友はとんでもない音痴なのであった。

2012年4月25日水曜日

「ライヴは戦場」


北野里沙さんのブログより


ビーナスがマイクを持って新宿三丁目のライヴ会場に現れるとどうなるか。
それはそこに居た人間にしかわからない。

東京音大声楽科卒26歳、身長は173㎝位、聞いてはいたがとにかく美しい姿から美しい声が聴く人の心の琴線を揺り動かす。ライヴ会場は50人位でギッシリだ。丸椅子が20程あっただろうか、座れない人は当然立って聞く、小さなカウンターがありドリンクを出していた。

その日は5人と一組がステージに立った。
お目当ての北野里沙さんは3番目、ライヴ会場の側で待機していたら所属事務所の社長と共に挨拶に来てくれた。
リハーサルが終わったからと。知人の広告代理店の社長に挨拶が終わると店を後にした。
元巨人軍投手、現役のボクシングチャンピオン、和歌山出身のエクボのかわゆい女性(23歳)と代理店関係の社長それと私。
所属事務所の社長は“とんぼ”で大ヒットを出した頃の長渕剛を手塩にかけていたとか、現在は大物シンガーの仕事をしているという。

6時に集合した我々は6時半頃から一杯飲み始めた。
ステージは7時50分からだと聞いた。

お刺身、焼き鳥一本、玉子焼、ポテトフライ、温野菜などガッツリと食べた。
クラシカルポップスというニューカテゴリーを聴く身にしては極めて不謹慎な事であったが、とても空腹であったのだ。
許したまえミロのビーナスと心の中でいっては食べた。

クラシックを地下のライヴで聴くなんて生まれて初めてであった。ライヴは何より歌手を育てる場所だ。
東急文化村オーチャードホール、サントリーホール、NHKホールなんかよりぐいぐいにいいのだ。

一曲、二曲、三曲歌い終わる度にライヴ会場独特の乾いて不調和な拍手が起きる。
三畳位のステージにはドラムとキーボードと電子ピアノだけ。薄暗い中に赤褐色のライトがデカダンな感じでぼんやり光っている。会場の人間の顔は暗くて誰が誰だか顔面不明だ。そんな中にビーナスの声は染みわたる。
ピアニストは多分音大あたりを優秀な成績で出た一流アーティストだろう、上品で上質だ。例えは悪いが上野の森にたむろしているホームレスの群れの中にビーナスが現れて歌っている、そんな感じだ。

北野里沙をネットで調べて下さい、きっと近々日本を代表する歌い手になるはずです。
最後に歌った曲は仙台の八軒中学校の合唱部が歌った“あすという日が”であった。

ライヴは生き残りをかけた戦場への第一歩、ビートルズが育ったのはリバプールの小さなライブからであった。
ボブディランはベトナム戦争の戦場であった、正に命を掛けたライヴであった。きっとベトコンたちも聴いていたのだろう。“いくつ鉋弾を撃ったら戦いは終わるの?”そして友よ答えは風の中に吹かれているんだと。

北野里沙さんを聴いていてボブディランのパートナーだったジョーンバエズの戦う心と気高さを感じた。
全身がノコギリの様にギザギザしてしまっているこの国、長引く経済戦争でヘトヘトになってしまっているこの国の民を救ってもらいたいと思った。そうだ早速作詞してみよう。

この国を救うのは決して経済ではない、それは言葉だ。クラシカルポップスの反戦歌だ。
もうお金を追うのはやめよう、愛こそ求めようと、人の心はお金では買えない。
答えは財布の中にはない。(でもやっぱり欲しいのだが?)

2012年4月24日火曜日

「詩人と死人」


東京拘置所


その男の体は不自由だが言葉は自由だ。

両方の足を引きずりヨタヨタとトボトボと歩く。
黒い羽毛服、黒いタートルネック、黒いジーンズそして黒い目出し帽、男の名は芥川賞作家辺見庸という。

この世には大別すると明るく楽しい陽気な分かり易い言葉の人間と、暗く重く陰気で難しい言葉の人間だ。辺見庸は後者だ。作家であり詩人でもある。

かつては記者であった。
目にするもの、耳にするもの、手にするもの、口にするもの、皮膚が記憶しているもの、脳の中に入り込み沈殿したもの又は脳の中は居心地が悪いと出ていった記憶を文字もしくは言葉という操り人形を使って表現する。

辺見庸はいまある死刑囚の俳句を一冊の本にして出版すべき事を行っている。
死刑囚の名は三菱重工爆破事件の大道寺将司だ。あの事件から40年が経っている。

あの日私は三菱重工広報室に打合せに行く予定になっていた。
爆破音は銀座の仕事場にも聞こえた。27歳の時であった。
三菱重工の知人たちが何人か大怪我をした。
大道寺将司の俳句を全て一冊の本にして出版すべく辺見庸は足を引きずり東京拘置所に通っている。

辺見庸は石巻で生まれ育った。
そこは辺見庸の記憶の風景を全て津波が持ち去っていた。
地震、津波、放射能、一切の言葉を受け付けない被災地の現状、辺見庸はそこに生と死を一日の内に必ず見る死刑囚を見たのだろうか。

五七五わずか17文字の中に人間という生き物が背負った業苦が見えるのだ。
亡き母に獄中から送った大道寺の手紙は一万通を超えるという。

「コーマン帝国」

 


420日(金)何が何でも行かねばならない処に行った。
この日は6年間我が社の経理を勤めてくれていた女性が退社する日。夜630分より送別会がある。
長い間本当にお世話になった人がいなくなるのはヒジョーに淋しいもんだ。

暗い気分を晴らすためによし行くぞ「コーマン帝国」へという訳で新宿武蔵野館へアメリカB級いやC級いやD級の映画の大巨匠ロジャーコーマン監督のドキュメント映画「コーマン帝国」を観に行ったのだ。
超低予算の映画をなんと400本以上製作、86歳となっても意気盛ん、元気モリモリやる気バンバンのウルトラスーパー監督。無名だったジャックニコルソンを使い続けた。

そのジャックニコルソンがそのどうしようもない映画作りを愛を込めて語りそして泣く、マーティンスコセッシが、ロンハワードがクエンティンタランティーノが阿呆でバカでもクールなオッサンを語り、リスペクトする。
およそこれ程くだらない映画はないのだがハリウッドはこのオッサンにアカデミー特別功労賞を贈る。
その会場は万来の拍手だ。ブラボー、ブラボー、OHブラボーなのだ。

人間馬鹿程強い者、凄い者はいないのだ。
たった2日で一本の映画を作るのだから撮影現場はもうハッチャメチャなのだ。
この頃すっかり映画馬鹿がいなくなってしまった。大体映画一本1800円は高すぎると思うのだ。

初めて彼女とデートをする若者と彼女で3600円、コカコーラ二つで600円、ポップコーン大盛りで600円で合計4800円。
奮発して酢昆布一個280円、杏一個280円で5360円、今日は20000円しか持っていない。
もし映画の帰りに食事して約4000円(パスタ+ピザ+飲み物あたり)その後、もしやかねてからの目的を達成目指せば残金は10000円とほんの少しだ。
泊まりorショートタイム?若者は映画を観ながらも頭の中は家計簿の如く算盤を弾いているのだ。

武蔵野館は座席数は84席、そこに若者のカップルが3組いた。 
1230分「コーマン帝国」がババァ〜ンと始まる。前の数分間そんな事を思った。
大ヒットした映画「ジョーズ」に多大な影響を与えたロジャーコーマンのジョーズ風映画は頭部だけ安価に作った恐竜が若い女優の足や体を思い切り囓っていた。ロジャーコーマンの影響をうけなかった監督はハリウッドには一人もいないのだ?

興奮した頭を冷やすために新宿駅から四谷駅までフラフラと歩いた。
前日食べた銀座名物天龍の巨大餃子8個(半ライスを半分残した)がお腹の中にずっしりと沈殿していたのだが映画のせいか歩いたせいか少し腹が減った。丸亀うどんというのがあったのでそこに入った。

それにしてもハリウッドはやっぱりヒーローを大切にする処だなと思った。
でっぷり太ったジャックニコルソンがソファーに座りながら泣いていた姿が良かった。
アカデミー受賞式で大拍手を送るジャックニコルソンが良かった。映画馬鹿はニッポン国にもワンサカいるぞと思い冷やしうどんをすすった。思いの外うどんは太く長く腰があり、弾力もありそばの様に飲み込めず手こずってしまった。丸亀うどんはどんどんとすすれないのを知った。

2012年4月20日金曜日

「親のスネ」




大学は何をしに行くのか。
1,勉強をするため。
1,友達をつくるため。
1,4年間又は2年間遊ぶため。
1,スポーツをするため。
1,学食を利用するため。
1,ナンパをするため。
1,親から仕送りさせ親を困らせるため。
1,奨学金をもらうため。
1,学歴をつくり就活に役立たせるため。
 等々学生の数だけその思いや企みやしたたかな計算やよこしまな考えがある。

現在この日本国には4年制と短大を合わせると約1000校の大学がある。
一人頭月々平均10万近くの仕送りを受けているという。
自分の家から通っている者は仕送りを受けないが家に寄生寄宿しているのだ。

夜渋谷の街を歩いていると夥しい数の学生たちが酒に酔い、叫び、喚き、泣き、吐き、倒れ、道路に寝ている。
入学したばかりの者、学業に絶望したもの、恋愛関係がこじれた者、就活に失敗した者、学生の数だけ人生の入口がある。私は思う、学生よそれでいいのだと。
スネをかじるスネがあれば精一杯かじらせてもらえ。これから人生という果てしなき暗路が待っている。

その路を歩くために遊べ、飲め、怒れ、泣け、そして自力を養え。飲み代がなければ私を訪ねよ?。
ホッピーで酒を割り、ハッピーになろうではないか。学生の最大の学びは勝利ではなく敗北なのだ。
人生は短いようで長い。何しろ死ぬまでは生きていなければならないのだから。

政府は大学数を減らす方針を出すそうだ。お前達政治家を先ず減らす方が先だといいたい。
若者は4年間位タップリ遊ばせるのがいいのだ。どうしても学問をしたい、そういう若者には国がお金を出してあげて海外にどんどん行かせる事だ。明治維新は海外で学んだ人間たちによって成ったのだ。島国根性からは人物は出ない。

お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、あなたたちの子が孫がきっとこの国を治してくれる。そのために今しばらくご援助をお願いしたい。

2012年4月19日木曜日

「カキゾエー!」

 


その日、その時力士「垣添」は幕下22枚目であった。
幕下は15日間で7番しか取らない。元小結垣添(33)7敗目を喫した。○勝7敗である。

中学、高校、大学とアマチュアのタイトルを取りまくり武蔵川部屋に入門した。
体は小さいが突貫小僧の様に大きな力士にぶつかっていった。白鵬にも泥をつけた事もある人気力士だった。

妻は女子相撲の力士であった。幕下の収入は2ヶ月で15万だけだ。
十両は給与月100万、正に番付けが一枚違えば天と地だ。幕下の稽古まわしは黒、雪駄は履けない。
食事は関取の食べた後、何から何まで天と地だ。取組中に半月板を損傷、腰も痛めてしまった。

立つ事さえままならない、気が付けば小結→前頭→十両→幕下となっていた。膝にたまる水を抜いて頑張った。
 大阪場所心に引退を覚悟して土俵に上がった。
 垣添!垣添!57歳位の男の子と妻と女の子が大声で応援した。7敗目を喫した垣添に男の子はいった。
よくやったよ、よくやったよ、カキゾエ〜と。

私たちはこれ程過酷な戦いをしているだろうか。
どんな大切なプレゼンテーションに負けても仕方ないよな、あいつと、あいつと、あいつが悪いんだ、だいたいウチの会社に力がないんだよ、なんて人のせいにする。
勿論番付は下がらない。雪駄も履ける。但し負けが続くとプレゼンテーションというお座敷に声が掛からなくなる。
何!またあいつにやらせるってか、駄目だよあいつじゃ絶対勝てないから、もっと若くてイキのいいのを全面に立てろと言われてしまうのは確実だ。

垣添は引退せずきっと来場所も土俵に上がるはずだ。一度だけ勝つ姿を妻や子に見せたいから、きっとそう思っている筈だ。もし来場所垣添が土俵に上がるなら応援に行くと心に誓った。カキゾエ〜ガンバレ〜と大声で。

父との思い出が全くない私にとって垣添を応援する子供が羨ましい。
例え黒星ばかりでも。それは美しい黒星なのだ、キラキラ輝く。

「ドボン」




天丼、カツ丼、ウナ丼といえば丼物の三大スターだ。
親子丼、開化丼、カレー丼、穴子丼、鉄火丼もあるがスターにはかなわない。

丼物といえば貧しかった子供の頃はゴージャスな出前であった。
余程の「お客さんでないと出さないぞという厳しい掟があった。というよりお金がなかった様だ。

さて、この度テポドンだかノドンだか頼みもしないのに飛んでくるぞとのオドシがあった。
我が日本国は大騒ぎだ。出るぞ出るぞといって出たお化けはないというが何しろ我が国を防衛すべき大臣はあの田中直紀だ。もしや未だ頭の体操中ではなかろうかと国民は心配しきりだったのだ。

テポドンだかノドンはあっけなく海にドボンとなった様だ。
花園神社の首長男のようにデルゾデルゾと脅かしつつ500円を払うとなぁーんだウソつきといったのと同じ。私の想像だとそもそもハリボテみたいな物でなかったのかである。あるいわ燃料代が不足していたのでは、その昔敗北近しの我が国に石油がなく、木炭とか木の油とか果実の油まで投入して燃料にし飛行機を飛ばした。当然戦闘力はなきに等しいのであった。世界中の人を呼んでわざわざさぁーやるからなと見せていた時は臭い芝居だと思っていたのだが。芝居には第2幕がつきもの、あの国にも志ある者たちが動き始めている、もし発射大失敗がある者たちによる意図的行為だとしたら。独裁は必ず滅びるそれは必ず弱者たち民衆の手によって。シリア、そしてノースコーリア、あーコリャコリャだ。

2012年4月18日水曜日

「ロックよ立ち上がれ」



ピンクフロイドのプロモーションビデオに「ザ・ウォール」という名作がある。
今の様にコンピューターグラフィック(CG)が発達していない時代に一糸乱れぬ圧倒的な金槌の行進シーンがある。
線画のアニメーションである。

北朝鮮の軍事式典を見てピンクフロイドを思い出した。
クローン人間の様な同じ軍人、行軍、群衆、同じ拍手、同じ敬礼、何もかもCGで合成増殖させた様にピタッと同じだ。
 何かどこかで見た光景ではないか、そうあのナチスドイツ、そして旧日本帝国だ。

28歳にして権力を継承された金正恩の声は震え身振りはドギマギし、落ち着きがなかった。
やがて来る自らの運命は未だ分からないであろう。

ピンクフロイドの「ザ・ウォール」はベルリンの壁崩壊を予言していた。
この頃メッセージ性の強いミュージシャンが出て来ない。ロックンロールは反体制のものであってほしい。
アイルランドのU2、ビートルズのジョンレノン、レッドツェッペリン、イーグルス。
日本のロックンロールは息をしていない。ラブソングばかりだ。どうしたミュージシャンたちよ。