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2014年1月27日月曜日

「寒川さんにて」



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B級スターの面々、麺々が待っていたぞよと声をかけて来た。
広島風焼きそば、ヤキトリ、綿菓子、タコ焼き、寒川ラーメン、寒川そば、焼き肉のせ焼きそば、イカ焼き、フランクフルトソーセージ、手羽先揚げ、富士宮やきそば、イチゴ飴、七味唐辛子、ベーコン巻き焼き、輪投げ、お面、今川焼き、たい焼き、射的、金魚すくい、あま酒、秋田きりたんぽ鍋(今年初めて登場)等々の屋台が勢揃いして並んでいた。

一月二十六日(日)相撲国寒川神社である。
温かい日であったので多くの人々が参拝に来ていた。私といえば参拝より縁日のような気分を楽しんだ。
とりあえず昨年お世話になった御守や御札を渡し、箱に入れてもらった。お賽銭箱にお金を少し投げいれてムニャムニャとお願いする。

小さな破魔矢と御守を買い、いざ屋台へ。
カップ酒一合、ヤキトリ三本(レバー、皮、ボンジリ)、イカ焼きを楽しみメインの寒川ラーメンを食す。これが実にさっぱりとした醤油味で、家族一同大ファンだ。
おじさんは一年経っても変わらず元気であった。
自分で作ったラーメンを自分ですすってウマイといって笑った。

一杯500円、発泡の白い入れ物に透明感のある黄金色のスープ、中細の麺、ネギ、ナルト、メンマ、絶品の味のチャーシュウ一枚(私には二枚入れてくれた)寒川ラーメンは土日だけ出ている。チャーシュウを一枚余分に入れて欲しい人は私に声を掛けて下さい。
ご一緒してあげます。

何故一枚入れてくれるかというとある年、おじさんいい顔してるね、と言って写真を撮ってあげたからだろう。今年は大事な仕事を成し遂げなければならないので、寒川さんヨロシク!なのだ(寒川さんに来るのは縁起担ぎみたいな事)。

一年も欠かさず三十六年通っている。
子どもや孫の七五三は寒川さんで、写真も地下の写真スタジオで撮ってもらって来た。今の世の中何が起きるか分からない、何もかもお願いしたら少しばかりのお賽銭じゃ叱られてしまう。本殿には白い羽織みたいなものを身につけた人、人、人の願い事が叶えられるよう、神主さんが神様にそれを伝えていた。

私は無神論者であるから、人が何を信心していても全く問題なくお付き合い出来る。
キリスト関係の本も読むし、仏教や新興宗教関係の本もよく読む(学がないのでよくわからないのだが)。

人間は悩みの生き物、迷いの生き物、邪悪な生き物、そして必ずこの世と別れをする命に限りある生き物だから。その人、その人がそれを信じていれば心が安まるなら、それでいいのだと思う。

信じる者は救われる(?)但し私の人生経験では、お金を信じ過ぎた人、名誉や権力や地位を信じ過ぎた人は殆ど幸せな人生の終わりを迎えていない。


午後三時過ぎ、突然ピカッとして雷の音がした。空はあっという間に黒くなった。
ヨシッ今年はきっといい年だぞと思った。帰り途、雨が強く降った。
雨降って地固まるという。年の始めとか人生の門出の雨は何より吉兆の証なのだ。

今、人生の絶頂の晴れ間にいると思っている人は要注意を。
土砂降りの雨だと思っている人は、ネバーギブアップきっといい日がやってきます。

2014年1月24日金曜日

「遺伝子」




心から愛していたけど、あなたとは結婚しません。
何故、だって遺伝子検査の結果、将来◯癌か△癌になるから。

君は残念ながら入社させられない、成績は抜群、人柄もとても良かったのだが。
何故ですか、遺伝子検査の結果将来◯病か×病になるから申し訳ない。

私共の会社の生命保険には入れません。
何故、遺伝子検査の結果◯死、□死になるからなんです。

こんな世の中になるのです。
遺伝子検査ビジネスというのが広がって来ているのです。
医療機関や薬局、コンビニやスポーツジムで「唾液」や「血液」を遺伝子検査専門会社に送ると、それを検査分析するのです。

ブラッド・ピットの奥さん、アンジェリーナ・ジョリーが遺伝子検査で将来「乳癌」になる可能性が高いといわれ、「おっぱい」を取ってしまった。

遺伝子は究極のプライバシーだ。
こんな動きが無法状態で広がって行くと、とんでもない社会となってしまう。
米国では当たり前になって来ているようだが、こんな怖ろしい事はないだろう。
神の領域を犯す事なのだから(神がいればだが)。

現在日本国では2分に一組が離婚しているという数字がある。
結婚しなければ離婚はないのだが、少子化は益々進んでしまう事となる。
人と人を結ぶキューピットは、これから遺伝子検査の結果を持って仲を取り持つ事となる。

◯夫君は99歳まで生きますよ、◯子さんは100歳まで生きますよ、正に共白髪ですね、オッホッホ、よござんすね遺伝子検査はなんて事になる。
で、結婚したら成田離婚、性格の不一致です、という理由やまさかのヒトでしたとか、信じられないヒトでしたとか。

遺伝子検査は性格や性癖やお育ちまで判るのでしょうか(?)
私などは365日なんでコイツと結婚したのかと思っているし、相手の愚妻もなんでこんな奴と結婚したんだろうとバッチリ顔に書いてある。で、極力会話をしない。
「よい結婚はあるが、楽しい結婚は少ない」(ラ・ロシュフコー)それでも若者よ、恋をし、愛を知り、結婚せよと言いたい。

間違っても遺伝子検査なんかしないように。
みんな昔は「同じ原人」だったんだから。

2014年1月23日木曜日

「悪夢」




アメリカの求人情報サイト「キャリアキャスト・ドットコム」が主要200の職業のストレス度の総合的判断を発表している。
アメリカ人と日本人とでは比較にはならないが、興味あるデータなので紹介する。

最もストレスの多い職業
①志願兵(下士官)
②将官
③消防士
④パイロット
⑤イベントコーディネーター
⑥企業広報の幹部
⑦企業上級職
⑧新聞記者
⑨公務員
⑩タクシー運転手

最もストレスの少ない職業
①言語聴覚士
②ヘアスタイリスト
③宝石職人
④大学教授(終身契約)
⑤仕立屋(テーラー)
⑥栄養士
⑦医療事務管理士
⑧図書館司書
⑨マルチメディアアーティスト
⑩機械工

最もダメな仕事
①新聞記者
②きこり(林業従事者)
③志願兵(下士官)
④俳優
⑤油田採掘者
⑥酪農家
⑦検視員(水道など)
⑧郵便配達員
⑨大工
⑩客室乗務員

最もいい仕事
①保険数理士
②医療研究者
③ソフトウェアエンジニア
④言語聴覚士
⑤ファイナンシャルプランナー
⑥歯科医
⑦作業療法士
⑧視能訓練士
⑨理学療法士
PCシステムエンジニア

この調査はストレス度に報酬などの要素を加味して判断したものらしい。
ハードな夜勤もなく家族に喜ばれる職業や他人に頭を下げなくてもいい職業はストレス度が少ない様だ。

2013年度のワーストは「新聞記者」、同社によるとその理由を「活版印刷の時代は終わり、10年後は職業としてないだろう」とコメントしている。

さて思い当たるところはあるでしょうか。
かつて新聞記者に憧れていた、事件記者になりたい、ブン屋なんて呼ばれてみたいと思った頃もあったのだが全く勉強しないのでその可能性はゼロであった。

10年後日本の新聞記者はどうなっているでしょうか。
そう言えば佐藤栄作という総理大臣は長期政権を終え記者会見をした時、「おい、テレビはどうした」と言い、日頃から新聞で散々叩かれて恨みや不満がつのっていたのか「偏向した新聞は大嫌いだ」と言い放つ。
新聞社の記者たちがそれじゃ私たちは出て行きましょうかと言ったら、佐藤栄作は、「帰って下さい、記者の諸君」と言った。
それじゃ出て行こうぜと新聞記者たちは全員記者会見場から出て行った。

今と違って根性があったのだ。
会見場にはパイプ椅子だけが残った。かなり歴史的会見であった。
それを見ていて、オオ新聞記者いいではないかと思ったものだ。

来年の事を言うと鬼は笑うという。 
10年後の事を言ったら鬼は死ぬかもしれない。
昨年ワシントン・ポスト紙を中国の会社が買収か(?)なんて記事を読んだ時、この世は終わるなと思った。

安倍晋三総理はNHKを支配出来る事にした。
秘密保護法の第三者機関も、経団連も、日本版NSCも、次のターゲットはきっと朝日新聞だろうか(赤旗は手強いから諦めるだろう)。

今からでも新聞記者になれないだろうか。一生懸命勉強しますから。
10年後日本に新聞記者がいる事を願わずにいられない。
それとも中国にソックリ買収されるかも(?)一月の悪夢だ。

2014年1月22日水曜日

「ケツまくる」


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井戸を見つけた人、井戸を掘った人、井戸の水を飲む人だったら、井戸を見つける人間でありたい。
駕籠に乗る人、駕籠を担ぐ人、そのまた草履を作る人なら、草履を作る人でありたい。和食が文化遺産となったが、和食なら「だし」でありたい。
煮干し、トビウオ(アゴ)かつお節、昆布、干し椎茸などがなければ和食は成り立たない。「うまみ」を演出するのは「だし」次第だから。

戦国時代はカツオ節を「勝男武士」といって縁起物であった。
関東はカツオ節、関西は昆布がだし文化の主といえる。
少年の頃家に帰っても誰も居ない。煮干しを金網にのせ七輪で焼いてしょうゆにジュッとひたし冷飯の上にのせて食べていたが実に格別の味であった。
しょうゆの少し焦げたいい香りがぷ~んとしてこれ以上ないメシとなった。

母親が働きに出ていったし兄姉は六時、七時まで帰って来ない。
家に灯りをつけるのも末っ子の私の役目だった。
カツオ節をカンナで削るのも得意であった。
少し厚め、少し薄め、少し粉々に、刃の出具合をトンカチで調整して削った。

煮干しとカツオ節ほど少年の頃の思い出はない。それさえあれば何杯でも食べれた。
味噌汁も得意だった。今日は煮干しでだしをとか、今日はカツオ節でとだしを作った。
庭に生えていた野草みたいのを入れると味噌となじんで苦みの効いた旨い味噌汁が出来た。

刺身、焼き物、煮物、揚げ物、酢の物、鍋物、お椀物を人に例えるなら役者たち(タレント)で、それぞれの個性であるならそれを引き立てる「だし」でありたい。
但し「ウルサイだし味」で主役たちを唸らせたい。だしはソウルフードだと言う人もいる。音楽でいえばリズム&ブルースだろうか。

今夜は油揚げと細切りの大根を白味噌で作ってあったのを肉じゃがと共に食した。
ニュースを見ていて思う、沖縄をこれ以上イジメるととんでもない事が起きる。
金で票を買うようなやり方はもう通じない。
もし政府が強行するなら三里塚闘争のようになるだろう。美しい海を血の海にしてはならない。「だし」を演じる政治家を日本国は待っている。

「乱ありて人物出ずる」と古人は言った。
ケツは何んのためにあるのか、ウォシュレットに座るためじゃない。ケツはまくるためにある。

「忘れないもの」




昨今、映画やドラマを観て落涙する様な事が無くなっていた。
遥か昔、松本清張の「砂の器」を新宿ミラノ座で観た時は辺り構わず号泣した。
「皇帝ペンギン」の子育てのドキュメントを観た時は嗚咽が止まらなかった。

父を早くに亡くした私は「父と子」とか「子育て」というテーマの作品には涙腺が敏感に反応する。一月二日日本テレビ開局五十周年記念番組に思わず涙を流してしまった。
脚本・監督は「家政婦のミタ」を手がけた人気の脚本家、遊川和彦の初監督作品であった。

どんなテーマでもいい作品を作ると。
ダーツに様々なテーマが書いてあり、遊川和彦がそれに向かってダーツを投げ、刺さった三つのテーマを一つの作品にするという企画だ。

刺さったのは「マッサージ師」「ラブストーリー」「泥沼に咲く花」であった。
時間は約二時間であった。主人公は訪問マッサージ師(小池栄子)と病気の後遺症で半身麻痺のエリート証券マン(小澤征悦)であった。
エリート証券マンは親から期待されなかったコンプレックスを跳ね返すために勉強をして一流大学に入り証券マンとして成功し、多大な富を手にした。
超一流ホテルのスイートルームにある様なベッドに一日中横になっている。
口は動かない、体も手足も固まっている。

妻は働くことしか頭にない夫と別れていた。
妻のところにいる一人息子は中学生だが父を嫌って近づかない。
仕事仲間は気休めの花だけを置いて帰って行く。

その男がもう終わってしまったと決めているのだろう、黒いベッド、黒いベッドカバーは男の気持ちを表している。何台もあるテレビには株式の動きを表す数字やグラフが動いている。

男の心安らぐ時は一回30分だけマッサージに来てくれる、白い服の女性マッサージ師だ。とにかく明るく大きな笑顔で30分間男の固まった体を丁寧に愛情を込めてマッサージする。大学ノートにはビッシリとリハビリの仕方が書いてある。

「お前はなんでいつも笑っているんだ」と男はタドタドしく嫌味をいい、またこんなオレの事をバカにしているんだろうなどと言う。
黒い心の男、黒いベッド(泥沼のイメージ)と白いマッサージ師。

ある日からマッサージ師が来なくなってしまった。
男は動かない手で懸命に携帯をかける。
マッサージ師はバイク事故で足を骨折して辞めてしまっていたのだ。

親の愛情を知らずにひたすら上昇志向で生きて来た男には人の優しさ、心のこもった人の皮膚感を知らなかった。男は必死でマッサージ師を探すのだ。
「オレを放って置くのか、オレに触れていてくれ。オレはちゃんとリハビリをするからと」
やっと見つけたマッサージ師は白い天使の様に笑う、アパートの中で片足を引きずりながら。

小池栄子は本当にいい役者だと思った。
小澤征悦はよくぞここまでと思うほどのリアリズムだった。
いい作品はやっぱりいい脚本だなと思った。

私も、私の恩人、知人、友人も訪問マッサージさんのお世話になっている。
その人たちの懸命な姿が目に浮かび涙が何本も流れ落ちた。
題名は「30分だけの愛」であった。

子は親に頭を撫でてもらった感触を忘れない。
後輩は先輩にがんばれよ、くじけんなよと言って肩に触れてくれた感触を忘れない。
悩み苦しんでいる時、そっと抱きしめられた感触を恋愛という。

2014年1月17日金曜日

「仁義なき戦い」




男の世界(渡世人、筋者、極道、ヤクザ者)では、一度親を裏切った者、仲間を捨てた者、足で砂をかけて出て行った者は二度と男の世界に戻る事は出来ない。
破門、絶縁とされるからだ。

自民党を口汚くなじり、親分、兄弟分を捨てて出て行った舛添要一氏が自民党に日参して反省、謝罪をしつづけている。
皆様におすがりしたいと膝を屈して詫びを入れているその姿は、マンガでしかない。

自民党にしてみれば一度破門、絶縁した男。
本来なら片腕一本か指の二、三本も持って来いの気分だろうが、使い勝手がよくなったのでちゃんという事を聞くんだぞ、二度とその気になって弓を引くんじゃねえぞなのだろう。また二十年前佐川急便から1億を頂いて(借りて?)マンション買ったとか、家を修繕したとか、ムニャムニャ言ってあっさりフケちゃった(逃げちゃった)。

青山の骨董通りを歩いている様なお殿様が細川家七百年の血が騒いだのか、取り巻きにヨイショされてソノ気になったかご出馬となった。
そこへ持って来て未だ一月なのに凶気の桜を満開にしたライオンマンガ雄叫びをあげ、殿を全面的に応援するという図式となった。

絶倫、結婚好き、離婚好き、愛人好き、DV好き、ナイフ大好き、権力大好き「マスゾエ」という政治学者が勝つか、風の流れ雲の動きを見るのが好きという風流人が勝つのか、神奈川県民の私には投票権はないので直接関係はないが、あまりの人材不足にこの国の将来を心配せずにはいられない。

オリンピック利権、新しいエネルギーの利権、カジノ利権、権力への執着と将来への布石、様々な思惑が複雑に入り混じって東京都知事劇場は開幕する。
そこには♪義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界…という高倉健の唐獅子牡丹の主題歌は流れない。あの有名な広島のヤクザ戦争「仁義なき戦い」のメロディの方が合っている。

このブログはゆらゆら揺れる列車の中で書いている。
私の隣のお兄さんが崎陽軒のシュウマイ弁当を食べている。

永田町は「老人の海」となってきた。何かが地下水脈で動き出して来た。
アメリカに嫌われた政権はことごとく短命であった。
青年よ大志を抱け、この国の未来を背負って立ってくれ

2014年1月16日木曜日

「言葉とかつ丼」


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「あの時」と「その時」。
人生を長くやっていると山ほどあの時とその時のシーンを思い出す。

その殆どは、あの時あのひと言がとか、あの迷いがとか、あの後ろめたさがとか、あの見栄がとか、あの金がとか、あの野郎がとかの、あの、あの反省と後悔と復讐心が頭の中を走馬灯の様に走る。

またその時、まさかあいつがとか、その時まさかあの人がとか、その時あの野郎がよくもまあとか、その時、その時に思いもよらぬ約束破りや、裏切りや、寝返りやとんずらやシカトに出会った時の数々を思い出す。

人間という業の深い生き物は、聖書にある「はじめに言葉があった」にある様に言葉を持った時から。言葉は最凶の武器となった。
イエスキリストを裏切った「ユダ」はその象徴とされた。

有史以来全ての歴史は言葉の歴史といってもいいだろう。
密告、甘言、嘘八百、偽善、口説き、暴言、放言、進言、金言、それらを「あの時」「その時」に置いてみると、なんだいちばんいけねえーのは自分じゃないかとなる。
あの時、自分がバチンとしっかりしていれば、ナメられたり、密告(チクリ)されたり、裏切られたりしなかった。
その時バシッと迷わずに断ったり、攻め込んだり、問い正していればよかった。
エエカッコシイが招いた自分の弱さだといい歳になってやっと見えて来る。

この頃ボランティアでという人が増えて来た。知人や友人の紹介のNPOの人々だ。
非営利団体という言葉の範囲がよく分からない。
君たちはタダ働きをしろというのかいと問い正している。
いや、企業やボランティアやチャリティに理解有る人々からの寄附で運営しているという。そんじゃ、ちゃんとお金が入ってんでしょ、そこんとこをちゃんと正しく教えてよというケースが目の前、つまりその時を迎えている。

人に何かを頼む時はタダはダメ、100円でも1000円でも10000円でも、かくかくしかじかでこれしか無いと説明しないとフェアじゃないよと言っている。
いい人と、いい人ぶっている人とはどえらい違いがあるからだ。
NPOとかNGOとかがこの国に正しく理解されるようになってほしいと思う。

私の愛する後輩と水曜日の夜、赤坂のそば屋さんに入った。
夜七時半ちょい過ぎ、空腹であった。先ずは日本酒を二合、それと牛すじ煮込み、ブリのあら煮付を頼んで二人で食べ合った。この後輩はグイグイ伸びているデザイナーだ。
きっと日本を代表する人間になると期待しているのだ。

私ら以外のお客さん、右に居る男は鍋焼きうどんをハフハフすすっている。
外は寒かったからな、いいな鍋焼き。
その斜め前の男はオヨヨ、そば屋さんでカツカレーだ、旨そうだな。
その横の男は、ミニカツ丼とミニかけそばだ。そういえばカツ丼食ってねえなと相当の思いでカツ丼に目が行く。カツ丼とかつ丼とどっちが正確なのだとふと思う。

人間は空腹になると決断力が鈍くなるのだ。
あの時あれを食べておけばと思わない様に、その時バシッと決断した。
日本酒あと二合、その後ミニカツ丼とミニもりそばセットにするぞと。
後輩も僕も同じでと言った。

何故かその店の女性店員はかなり走りこんだランニングシューズを履いていた。
そうだ、もう一人の愛すべき後輩がある賞をついに獲ったらかつ丼とカツ丼をたらふく食べさせてやろう。

2014年1月15日水曜日

「禁断の実(?)」




一九七〇年以降日本のミュージックシーンその全てに影響を与えていた大天才は「大瀧詠一」しかいない。

伝説のグループ「はっぴいえんど」でデビュー、松本隆、細野晴臣、鈴木茂と共に。
アメリカンロックを独自に解釈し編集されたサウンドはその後日本のミュージックに大影響を与えた。
一度聴いた曲は決して忘れないと言われる程の大記憶力の持ち主であったという。

’72ソロデビュー以降「ナイアガラ」レーベルを立ち上げ、アルバム「A LONG VACATION」「BACH TIME」を大ヒットさせた。
ジャズやロックンロール、ドゥーワップ、アメリカンポップス、ビートルズに代表されるリバプールサウンドやクレイジーキャッツや音頭に民謡、何かしら音楽の箱をつつけば大瀧詠一の名に行き当たった。

音楽への卓越した知識とそれを使いこなす知恵とウィットの織りなす知性の魔法は、純粋で胸躍る新鮮さと普遍的な魅力を持った楽曲を生み出したと、あらゆる音楽関係者はその名に最大限のリスペクトの言葉で表す。


その大天才は去年の大晦日の前日に突然死んでしまった。
解離性動脈瘤、家族の前でリンゴを齧った後に。
「はっぴいえんど」はハッピーエンドではなかった。
65歳であった。大天才は常に職人であろうとする姿勢を貫きラジオ以外のメディアに殆ど出なかった。

それが東北人の美学だったのだろう。
オレが、オレがの世界で稀有な格好良い男であった。
小泉今日子(怪盗ルビィ)、薬師丸ひろ子(探偵物語)、松田聖子(風立ちぬ)、太田裕美(さらばシベリア鉄道)、森進一(冬のリヴィエラ)、小林旭(熱き心に)、ラッツ&スター(夢で逢えたら)、山下達郎などなどに溢れる才能を提供した。

空前絶後の存在であった。
ラジオから、テレビから、CDからいい曲だなと思ったらきっと岩手県出身の大天才大瀧詠一が何かしら影響を与えているだろう(サンデー毎日1/26号『恋する音楽』内田正樹氏より参照)。

ステキな楽曲「君は天然色」そして「幸せな結末」だが皮肉にも不幸せな結末となってしまった。今夜はバカラグラスにバカルディラムを入れて大天才をじっくりと悼む。
山下達郎とラッツ&スターを聴く事とする。

一月十四日(火)テレビのニュースにはオレが、オレがの人間がうんざりするほど出ていた。で、十二時三十七分四十一秒音楽スタート。大瀧詠一に合掌する。
リンゴはやはり禁断の実なのだろうか。
ラッツ&スターの♪夢で逢えたらが染みこんで来た。

2014年1月14日火曜日

「ダメな事」




賢人曰く、便利さが新たな努力を麻痺させる。
世界、自然という大きな書物は、人間の心と同様、連続出来ない。
じっくり読み込み、心、技、体を充実させたい。
即効性の対策はすぐに化けの皮が剥がれ、水漏れする(偉い人の話はちと難しい)。

早い話、この世は便利過ぎてしまって、本来すべきコツコツした努力を失ってしまった。新聞を読んで切り抜きをし、ノートに貼ったり、本を読んでいい個所があったらノートに書き写したり、分からない事を百科事典や辞書で調べたり、色んな土地を歩いたりという地味な努力をしなくなってしまった。
機器の進化と共に人間は退化を始めてしまった様だ。

森羅万象の変化に気づかず、大自然と語る事もなく、人間が自然の一部である事を忘れて来たような気がする。何か一大事が起きて慌てて対策を講じても手遅れとなってしまう。
時間を敵にするか、味方にするか、いよいよ来たるべき大事のために備えている。
やる時はやる。何もしないと決めたら何もしない。メリハリをつける。

何かを世に出す時は自然体ではないとほとんど使えないものしか浮かばない。
酒を飲んだらウマイと思い。食した時は何でもオイシイなと思い。
青い空を見たらキレイだなと思い。夜空の星を見たらそれと語らい。
荒ぶる波を見たら静かになってとお願いし。
犬や猫や金魚を見たら元気で長生きせよと声をかける。
美人と出会ったら心を踊らせなければならない。

自然の心を大切にと心を新たにしてコツコツ努力を積み上げる。
決してゴツゴツしない。あくまでもコツコツが基本だ。
大事の前の小事にしっかりと対処する。

そのために知らない事は知る努力をだ、オイ分かっているのかトウモトサブロウと自らに気合を入れる。一月十三日成人の日、二十歳に戻ったつもりで青年の主張を書く。

清く、貧しく、美しく。それと新しくだ。
高校生のサッカーの決勝戦をTVでみていてつくづく思った。
勝負は最後の一秒まで分からない。素晴らしい試合だった。

121万人の成人たちよ、まずは遊べ、飲め、恋愛せよ、夜の世界で鍛えられよ。
人間を知るには酒という学校に入学せよだ。
コツコツ貯金をしますなんて決して思うなよ。若い内の苦労は買ってでもしろ!というからな。
年を食ってからの苦労は結構シンドイ、そのためにも嫌な事、面倒な事を買ってでもするんだ。

祝!成人式、ごっそりリタイヤした大人たちよ、成人式を迎えた時の自分を思い出そう。人生は毎日がスタートラインという。やる事は山ほどある。
こたつに入ってスマホなんてイジっていてはダメ、パソコンと睨めっこばかりしていてはダメ、ダメ、ダメだ。

2014年1月10日金曜日

「もぐろふくぞう」




パジャマから「パ」の字を引くと「ジャマ」になる。
長年身につけていたパジャマのオシリの部分が「パッ」と破れてしまった。
かなり大きい、修繕の価値なしとなってしまった。

つまりただのジャマ物となった。
それじゃ上着だけでも着るかと思っているのだが、不思議なものでパジャマは上下別々の柄だとどうにも決まらない。なんとなく落ち着きがなく、精神は不安定となりスッキリしないのだ。

そうだ、もう一着あったぞと思い探し出したらつんつるてんだった。
パジャマの破れた個所をしみじみ見てつくづくオシリの世話になっていたと感謝した。
左に傾く癖がある様で左の部分がすり減っていた。

毎晩パジャマ姿でシコシコ下手な文章を書いているし、新聞を読んだり、落語を聞いたり、映画を観たり、音楽を聴いたりとパジャマのお世話になっていた。
名残惜しいが近々お別れの儀式を盛大に行う予定とした。

使い古しの品ほど愛着のある物はない。
へたり込んだスリッパ。時々設定時間に鳴らない目覚まし時計。
ダボッ、ダボッとインクが落ちてしまう万年筆。
座り込みすぎて変形してしまった座布団。先っぽがバラバラとなってしまった筆。
変色してしまった小さな文机などなどこういう品々には未練があり、捨てたり直したりしない。

5本の内2本は灯りを失った蛍光灯、残りの1本は時々消えたり灯りがブルブルする。
この中でじっと本など読んでいると風流を感じる。
何しろ活字や写真や絵がブルブル見えるのだから。
狭い、雑然、使い古しの品々が側にあるのが理想なのだ。

ギュウギュウの空間から誰も考えなかった何かをパッと生み出す。
頭を動かす脳ミソがいい汗をかくまで考える。頭の中は使う程元気になる。

三年近く使っているバカラグラスはすっかり右手と馴染んで会話ができる程になって来た。お疲れさんとか、少しクールダウンしろビョーキになるぞとか、結構いい感じだったよとか語りかけてくるのだ。ぐい呑も使い込まないと語りかけてこない。湯呑みも茶碗も箸も同じだ。

さて今夜はずっと昔の作品、昨年末通販で買った「笑うせえるすまん」本編編約1484DVD18枚組を観る事とする(既に5枚見ている)。
ココロのスキマ♡お埋めします。
「喪黒福造(もぐろふくぞう)」が独特の笑い声で人間のココロの中に入り込んでくる。

グラスの中の氷がコロコロと動く。
全部見終わるまでには一ヶ月はかかるだろう。
原作・藤子不二雄A。ドストエフスキーより人間の心の闇を知っていた。

ウワァハハハハハ…。